ミリタリー

世界の極秘軍事基地11選

みなさんは、子供のころに秘密基地を作ったことはありますか。

大人に見つからない場所を探して、自分たちだけの秘密の場所を作りだすのは、特に男の子にとってはワクワクすることではないでしょうか。

フィクションの世界ではヒーローやサンダーバードのような秘密組織が、拠点としてこうした秘密基地をもっています。

そして、現実の世界でも、秘密基地と呼ぶにふさわしい施設が存在します。

それは、極秘の軍事基地や政府施設、研究施設であったりして、テロリストやスパイなどのアジトもこのなかに含めることができるでしょう。

こうした極秘の基地は、外からは内部でなにが行われているかわからないため、様々な都市伝説や陰謀論の対象にもなっています。

ここでは、地下の巨大司令部や外部から隔絶された都市、新兵器の実験場、さらには宇宙人やUFOの研究を行っているといわれるものまで、世界中にある極秘の軍事基地を紹介していきます。

シャイアン・マウンテン空軍基地

引用:gigazine.net

シャイアン・マウンテン空軍基地は、アメリカのコロラド州コロラドスプリングスに存在するアメリカ空軍の基地の1つで、かつては北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD:ノーラッド)が置かれていた場所として知られています。

NORADは、アメリカとカナダが共同で運用している連合防衛組織で、アメリカ大統領とカナダ首相が共同で総合指揮を務めています。

NORADは「抑止・探知・防衛」を指標に掲げ、24時間体制で人工衛星からの観測により、地球上で発射される核ミサイル・弾道ミサイル・戦略爆撃機の警戒・監視を行っています。

NOMADが設置されたのは1958年で、当時は冷戦真っ只中であり、ソ連からの核攻撃の脅威が現実のものとして考えられていました。

そのため、核ミサイルに対して強靭な防御力を発揮できる堅固な地下司令部が建設されることになりました。

NORADの司令部が建設場所に選定されたのが、ロッキー山脈にある標高3000m級のシャイアン・マウンテンで、1961年から工事がはじまり、45万kg以上の爆薬を使って花崗岩でできた山体から70万t以上の花崗岩を掘り出し、4.5㎞におよぶトンネルと総面積18000㎡にもなる基地スペースが掘られました。

1966年の完成までに1億4200万ドル(約153億円)もの費用が投入されたということです。

基地施設は鋼鉄製の主要構造物15個からなり、うち12個が3階建て、残りが1~2階建てとなっています。

それぞれの建物は核攻撃による振動によって損傷するのを防ぐために免震構造になっており、岩壁をそのまま削って造られたものではなく、重量1tという巨大バネおよそ1400個の上に建てられ、揺れに対しては水平方向に30㎝ほど移動することによってエネルギーを逃すようになっています。

建物は核シェルターになっていて、入り口には厚さ90cm、重さ25tの鋼鉄製の扉が設置されて、これは45秒で開閉することができ、核爆発が起こるとセンサーが感知して自動で封鎖されるようにできています。

シェルター内には数百人が一か月以上過ごせる量の食糧備蓄や570万tもの水を溜めておける岩盤を利用した4つの巨大な貯水槽、新鮮な空気を供給する高性能換気システム、非常用発電機などが備わっており、食堂から医療設備、売店、ジム、理容室、サウナといったシェルター内とは思えない様々な施設が存在しています。

冷戦時代には核爆弾を搭載したソ連の大型爆撃機に関する警戒を行っていたシャイアン・マウンテン基地ですが、ミサイル技術の発達とともにミサイル防衛も任務に加わり、湾岸戦争の際にはスカッドミサイルの発射警戒も行われていました。

2006年には対テロ戦争の時代には不必要な代物という判断から一時移転しますが、2015年からは、電磁パルス攻撃に強い構造をしている点が注目され、軍の精密通信機器を移転させるためアメリカ軍によって7億ドル(約756億円)での改修が行われています。

閉鎖都市

引用:ja.wikipedia.org

閉鎖都市とは、入出が厳しく規制・管理されている都市のことであり、内部の新兵器の開発や核開発が行われる軍事基地の秘密を守るためのもので、主に旧ソ連において各地に作られました。

閉鎖都市は核兵器や化学兵器の開発やレーダーなどの軍事基地といった国家機密に関わるような特定の目的のために作られ、そこでは兵器製造に関わる人間とその家族が生活しています。

閉鎖都市の多くはフェンスや壁、有刺鉄線などによって周囲を囲まれ、出入り口には検問所やゲートが設けられて厳重な警備が施され、一般人の出入りは禁止されています。

それだけでなく、多くの場合は内部の住民が外にでる場合にも許可を必要とします。

都市を出た場合にも軍や国家の監視下に置かれることが多く、この街で生まれた子供は多くの場合、一生を街の中で暮らします。

万一、街の秘密を外部の漏らすようなことがあれば、KGB(国家保安委員会:ソ連の秘密警察)が飛んでくることになります。

閉鎖都市は、地図に乗っておらず、上空は飛行制限が設けられ、街に通じる道路も普段は封鎖されていて、それどころか街には名前すらなく住民も公式には住んでいないことになっていて、郵便私書箱の番号を都市名の代わりに使用して存在を徹底的に秘匿されます。

かつてのソ連には多くの閉鎖都市が存在したといわれ、バイコヌール宇宙基地のあるカザフスタンのバイコヌールや黒海艦隊の基地があるウクライナのセヴァストポリなども閉鎖都市でした。

現在のロシアにも30~90の閉鎖都市があるといわれ、アメリカにも少数ですが同じように軍事機密を守るために秘密にされている都市があるとされます。

HAARP研究施設

引用:www.homernews.com

高周波活性オーロラ調査プログラム(HAARP:High Frequency Active Auroral Research Program)とは、アメリカで行われている共同研究プロジェクトで、その目的は地球の電離層とその周辺の宇宙で発生する自然現象を探求し、理解することとされています。

一見すると、単なる自然科学に関する研究活動のように思えますし、実際にアラスカ大学、ボストン大学、カリフォルニア大学、スタンフォード大学など数多くの大学がこの研究に関わっており、東京大学も一部研究機器(誘導磁力計)の提供という形で協力しています。

しかし、このHAARPは、アメリカ空軍、海軍、そして国防高等研究計画局(DARPA)の資金提供によって行われてきたものなのです。

HAARPはもともと、ロナルド・レーガン大統領時代の戦略防衛構想(通称スターウォーズ計画)といわれる、ミサイルやレーザー、早期警戒衛星によって弾道ミサイル迎撃を行うという軍事計画に端を発したものとされます。

地表から55~800㎞の地点にある空気の層である電離層においては、帯電した大気が電波を吸収し、屈折・反射させているため、軍・民間の通信、ナビゲーション、監視、検知システムに影響を与える可能性があるといい、HAARPが無線等の通信を攪乱することを目的にした軍事研究だという批判が、主にアメリカのライバルであるロシアなどから出されています。

HAARPの研究施設は、アラスカ州のアンカレッジの市街地から離れたガコナに存在しています。

アラスカ上空では、太陽の活動によって電離層の状況が常に変化しているため、中緯度電離層、オーロラ電離層、極電離層など多様な電離層の観測を行うことができます。

HAARPの研究施設は1980年代の終わりから建設がはじまり、2005年に完成したといわれ、2億9000万ドル(約314億円)もの資金が投入されました。

施設内には、電離層観測装置(ISRI)があり、これは高さ22mの180基の格子状に置かれたアンテナから構成される、2.8~10MHzの周波数帯の電波を照射する高出力の高周波無線送信装置です。

ここから照射された高周波は多くは反射して地上に還ってくるか、電離層を通過して宇宙へと達しますが、一部は電離層に吸収され、それが電離層にどのような影響を及ぼすのかを分析・記録しています。

このプロジェクトに関与している理由として、アメリカ軍は電離層を通過する膨大な無線通信の観測システムにより、地下にある施設や物質を探知したり、地下や深海における通信システムへの応用の可能性があるからだとしています。

しかし、HAARP研究施設は、関係者以外の出入りが禁止されているため、そのなかで行われている研究についてはいくつもの陰謀論めいた憶測がなされてきました。

大気を攪乱することで航空機を墜落させる研究や人間をマインドコントロールする研究から、果ては天候や自然災害を操作する研究が行われていて、2011年の東日本大震災がこのプロジェクトによって引き起こされたものであるなどという荒唐無稽な話まで存在します。

2014年5月に、アメリカ軍は老朽化したHAARP研究施設を閉鎖すると発表し、2015年からはアラスカ大学が建物を受け継いで、現在では民間の研究施設になっています。

マウント・ウェザー緊急事態指揮センター

引用:www.mnn.com

マウント・ウェザー緊急事態指揮センターも、シャイアン・マウンテン基地と同じく、冷戦期にアメリカが核攻撃を受けた際にも政府機能が存続できることを目的に建設された基地で、現在も戦争や国家的な災害等が起きた場合の国家要人の避難場所とされています。

マウント・ウェザーは、バージニア州のラウドンからクラークをまたぐベリービル山中の地下に建造された基地で、もともと気象観測用の気球の打ち上げ場所として利用されていました。

ここが非常事態用の施設になったのは1950年代のことで、大規模な採掘工事によりトンネルや貯蔵庫が作られ、1959年に地下複合軍事施設として生まれ変わりました。

基地内には巨大なコンピュータルームや高周波通信施設、病院、貯水槽、ヘリポートなどがあり、出入り口は厚さ3m、重さ30tの防爆扉によって守られています。

緊急時にはアメリカ大統領をはじめ政府要人や最高裁判所関係者などを収容して臨時政府として機能します。

1970年代からはアメリカ連邦緊急事態管理局(FEMA)によって地上の訓練施設も開設され、災害時の対応を行う施設にもなっています。

地表の施設はエリアA、地下施設はエリアBと呼ばれます。

FEMAの活動自体は公表されているものの、マウント・ウェザーの周囲は厳重な警戒が施され、内部でなにが行われているか外からうかがい知ることはできません。

エリア51

引用:ja.wikipedia.org

UFOファンにとってエリア51といえば、説明の必要もないほどに有名な場所です。

エリア51は、アメリカ空軍の管轄する区域で、ネヴァダ州南部に広がる荒涼とした砂漠地帯の中にあります。

ラスベガスから北北西に約200㎞の地点にあり、グルーム乾燥湖とグルーム・レイク空軍基地を含む、ネリス射撃場の一部で、155㎢という神奈川県川崎市ほどの面積をもっています。

グルーム湖では第二次大戦中に爆弾や大砲の試験が行われており、空軍基地では古くから航空機の機密試験が行われていたとされ、U-2偵察機やステルス爆撃機のテストにも使われたといわれます。

空軍基地内には、7つの大きな滑走路と航空機格納庫、管制塔、レーダーアンテナ、兵舎などの施設が並んでいるのを航空写真で確認することができます。

この場所がUFOと関連づけられて語られるとき、必ずといっていわれるのが、基地内に墜落したUFOが保管されているのではないか、さらには、基地の中に本物の宇宙人がいるのではないかという話です。

エリア51周辺は飛行禁止空域になっており、軍の飛行機が演習で誤って入ってしまったときでさえ、すぐに帰投するよう命じられます。

もちろん地上では基地周辺への立ち入りおよび写真撮影も禁止で、破ればすぐに衛兵によって不法侵入者として逮捕され、最悪刑罰の対象になってしまいます。

場合によっては武器の使用すら許可されているとのことです。

こうしたことから、基地の中にはなにかものすごい極秘事項が隠されているのではないかと、昔から様々な陰謀論になって語られてきました。

その中でも最もポピュラーなのが、1947年にニューメキシコ州ロズウェルにUFOが墜落したとされる通称「ロズウェル事件」で、墜落したUFOの残骸と捕獲された宇宙人がこの基地に運ばれ、内部で研究が行われているのではないかというものです。

この事件では、円盤状の謎の物体が空を飛んでいるのを見たという証言があったことに加えて、直後に陸軍から未確認飛行物体を回収したと公式発表がなされたことで、根強い噂を生み出すことになりました。

すぐに陸軍はこの発表を撤回し、後に公表された内部文書でも回収されたのは極秘の調査気球であったことになっています。

しかし、UFOの存在を信じる人々にとって、そうした発表もすべて事実を隠蔽するための工作だと思われてしまいます。

冷戦時代にはより実戦的な演習を行うために鹵獲したソ連軍機がこの基地に運び込まれたこともあるとされ、そうした話も噂に信憑性を与えるのに一役買っているのかもしれません。

エリア51に関するブームは1970年代にピークを迎え、映画やテレビ番組、ドキュメンタリーなどがいくつも作られました。

UFOとの関係があるかどうか真偽のほどは定かではありませんが、市販の地図やグーグルアースにも掲載されているにも関わらず、長年アメリカ政府がエリア51の存在を認めていなかったのは事実です。

否定はしていませんが、肯定もしておらず、アメリカ政府の発行する地図には記載されていませんでした。

アメリカ政府がエリア51の存在を公式に認めたのは情報公開請求に基づき内部文書が公開された2013年になってからで、もちろんこの文書内にUFOや宇宙人に関する記述はありませんでしたが、政府のこうした態度はエリア51の神話を根強いものにした一因といえるでしょう。

ペーネミュンデ陸軍兵器実験場

引用:ja.wikipedia.org

ペーネミュンデ陸軍兵器実験場は、第二次大戦中にドイツにおいて設立された新兵器の研究・開発を行うための施設です。

ドイツ陸軍によって設立された5つの兵器実験場のうちの1つであり、バルト海ポメラニア湾を望むウーゼドム島西端にあり、海岸沿いの東側(東地区)に陸軍の試験場があり、西側の岬の先端部分(西地区)には空軍の試験場もありました。

ペーネミュンデの試験場には1億2000万ドル以上の資金が投じられ、以前に陸軍の実験施設があったクルメンスドルフからも多くの科学者やその家族が移動し、ここで暮らす人間は多い時で3000人以上に膨れ上がりました。

ロケット技術の権威であるヴェルナー・フォン・ブラウン男爵を技術責任者に据え、250名以上の科学者を選抜して新兵器の開発を行い、なかでも世界初のミサイルであるV-2ロケットの打ち上げが行われたことで知られています。

さらに、アメリカを標的にした超長距離ミサイルV-3の設計も行われていました。

ドイツ空軍省の全航空実験施設への燃料割り当てではペーネミュンデが優先順位表トップになっており、どれほど重要視されていた施設であるかがわかります。

試験場内には飛行場やロケットの実験用発射台、発電所、V-2の燃料となる液体酸素の製造工場、研究者や家族の生活のための施設などが整備されていました。

当時、その存在は極秘とされており、基地内には世界初となる監視カメラが導入されて万全のセキュリティ体制が敷かれていました。

しかし、基地内で強制労働をさせられていたポーランド人からの情報により、イギリス軍諜報部MI6の知るところとなります。

イギリス軍はすぐさまこの施設を破壊するためのハイドラ作戦と呼ばれる空爆作戦を行い、1943年8月17日深夜、597機におよぶ爆撃機編隊の空襲によって730人もの死傷者をだし、ペーネミュンデは徹底的に破壊されました。

以後、V-2ロケットなどの製造や打ち上げ拠点はドイツ全土に分散されることとなり、ペーネミュンデも大規模な兵器実験場としての役割を終えました。

ポートンダウン国防科学技術研究所

引用:metro.co.uk

イギリスのウィルトシャー州にある小さなポートン村、その近郊の丘陵地帯に建っているのが、イギリス国防省の大規模な化学兵器研究施設である国防科学技術研究所(Dstl:Defence Science and Technology Laboratory)です。

この施設が開かれたのは第一次大戦中の1916年3月で、大規模な毒ガス戦が行われた第一次大戦時には、陸軍省の実験場としてドイツとの戦争に使われる化学兵器の研究が行われていました。

炭素ガス、ホスゲン、マスタードガスといったあらゆる種類の化学兵器の開発実験が行われ、1952年には神経剤であるVXガスの開発にも成功しています。

内部の研究者のいうところでは、初期の頃は化学兵器の開発を行っていたものの、現在は化学兵器に対処することを目的とした研究を行っているだけだといいます。

しかし、ここでは1953年5月6日にサリンを使った人体実験で、当時20歳だったイギリス空軍のロナルド・マディソン二等兵が死亡するという事故も起こっています。

これは、マディソン二等兵の腕の上に載せた布にサリン20滴を垂らすという実験で、これによって彼は特別報酬と休暇を与えられる予定でした。

彼は、それを利用して恋人に婚約指輪を買う予定でしたが、これは永遠に果たされることはありませんでした。

マディソンはガスマスクをつけていたにも関わらず、実験開始の20分後に苦しみだし、その3分後に倒れて、病院に運ばれたものの帰らぬ人となったのです。

当時、マディソンの件は「偶然による不幸な事故」として処理されました。

この時期に行われていた実験・研究に関しては倫理に反する物や不正行為があったとされ、1999~2004年にかけてアントラー作戦と呼ばれる警察による捜査・再審理の対象になりました。

サリンやVXガスなどの人体実験に参加していたボランティアの数は3400人にもおよぶとされ、被害にあったのはマディソン二等兵だけにとどまりませんでした。

皮膚が水ぶくれになって赤く腫れあがった人やガス室に入れられた人、幻覚剤を投与された人もいましたが、誰も実験の危険性について事前の説明を受けてはいませんでした。

マディソンの遺族のようにあとになって補償金を受けとった例もありますが、この件で起訴された科学者は1人もいませんでした。

この施設は2001年から国防科学技術研究所と名前を変え、現在まで100年以上にわたって存続しており、化学兵器によるテロなどの脅威が高まっている時代にあっては、これからも当分の間、この施設が閉鎖されるようなことはないでしょう。

レイブンロック・マウンテン複合施設

引用:aboutcampdavid.blogspot.com

アメリカノペンシルヴァニア州に存在するレイブンロック・マウンテン複合施設は、冷戦時代に核攻撃を受けた際、アメリカ政府の機能を存続させるために作られた地下司令部です。

「サイトR」と略されることもあり、別名「第2のペンタゴン」とも呼ばれます。

レンブンロック・マウンテン複合施設は、ハリー・トルーマン大統領の在任中である1951年に建造がはじまり、3年後に完成しました。

最も硬い花崗岩として知られる緑岩石でできたレイブンロック・マウンテンの山頂から200mの地点に岩盤を掘って建設され、硬い岩盤は良質な天然の防壁として機能します。

面積65000㎡の基地施設には3000人を収容することができ、シャイアン・マウンテン基地と同じく核攻撃に対して30日間は機能を存続することができるようになっています。

基地には5つの主要な建物があり、地下道の西側にはA・B、東側にはC・Dの4つの入り口があって、憲兵隊とカメラによって常時監視されています。

3階建ての建物の内部は通信設備がぎっしりと詰め込まれた地下通信センターがおかれていて、巨大貯水池やヘリボートも存在し、山頂には通信アンテナや衛星通信用パラボラアンテナが立ち並びます。

レイブンロック周辺は通信が制限され、携帯電話は持ち込み禁止でもっていたとしても圏外、GPSも使えず、通信妨害が行われているとされます。

写真を撮ることやスケッチ、地図の作製も違法行為となり、見つかれば逮捕されてしまう可能性もあります。

レイブンロックから数㎞のところにはアメリカ大統領の別荘であるキャンプ・デービットがあり、地下トンネルでつながれているという噂もあります。

ソ連が崩壊して冷戦が終わりを告げると、レイブンロックの存在も無用の長物になり、そのまま行けば基地そのものが閉鎖の憂き目をみていたことでしょう。

しかし、2001年に起きた米同時多発テロでハイジャックされた航空機が国防総省ペンタゴンに突っ込んだことで、もしもワシントンD.C.が攻撃を受けた際にもアメリカの国家機能を喪失させないための基地が必要だと考えられるようになります。

テロ事件後には、短期間ですが当時の副大統領ディック・チェイニーがレイブンロックに滞在していたとされ、これなどはアメリカが更なる攻撃を受ける事態に備えたものと考えられます。

レイブンロックはその後、さらなる拡張工事が行われ、現在では5000人を収容できる巨大シェルターになっているといわれ、もしも第三次世界大戦が起こるようなことがあれば、この場所がアメリカ大統領の所在地かつアメリカ軍の司令部となることでしょう。

ヤマンタウ山地下基地

引用:ja.wikipedia.org

ヤマンタウ山は、ロシア連邦を構成するバシコルトスタン共和国にあるウラル山脈の天野1つで、標高1640mと南ウラルでは一番高い山です。

現地の言葉で「魔の山」「邪悪な山」を意味するこの場所は、アメリカ軍による衛生を使った諜報活動によって、ロシア軍の大規模な地下基地があると推測されています。

ヤマンタウ山は、沼や岩場が多いため家畜の放牧に向かず、熊も多く生息しているため、ここに行くと馬が死ぬと信じられていたことから魔の山と呼ばれるようになったといいます。

この山で地下施設の建設がはじまったのは、ソ連時代の1964年からのこと。

1990年代には大規模な採掘が行われていたことが衛星写真によって観測されています。

地下施設は総面積1000万㎢もの広さをもち、60000人もの人員を数か月のあいだ収容することが可能です。

さらには、核兵器や化学兵器、生物兵器などあらゆる兵器による攻撃に耐えられることを想定して造られているといわれます。

ヤマンタウ山の周辺には他にもいくつもの軍事施設が点在しており、かつてベレロック(Beloretsk)15、16という軍の駐屯地があった閉鎖都市メジゴーリエや、ヤマンタウ山から600㎞北にあり同じようにロシアの秘密核施設や掩体壕があるとされるコスビンスキー山などが存在しています。

ロシアはこの場所に関して、採掘場やロシアの宝物庫、食料保管庫、核戦争時の指導者用避難所など質問を受けるたびに異なる答えを繰り返していて、それが一層疑念に拍車をかけることになっています。

ロシアはヤマンタウ山の施設がアメリカにとって脅威になるようなものでないという点を強調していますが、過去には「ロシアの安全を高めるためのもの」と回答していた例もあり、核の秘密保管所および有事の際の地下司令部ではないかとの見方もあります。

ヤマンタウ山の開発は現在も続けられているという説もあり、ここにはロシアが核攻撃を受けた際に、自動的に行われる報復核攻撃システムが設置されているともいわれます。

パインギャップ

引用:www.davidicke.jp

パインギャップは、オーストラリア中部の砂漠地帯にあるアメリカとオーストラリアによって共同で運用される軍事施設です。

パインギャップでは、スパイ衛星のコントロールと取得された情報の分析が行われています。

この施設は正式名称を「パインギャップ共同防衛施設」といい、1966年にアメリカとオーストラリアの間で結ばれた条約に基づいて建設されたものです。

アメリカ中央情報局(CIA)、アメリカ国家安全保障局(NSA)、アメリカ国家偵察局(NRO)によって運用されており、アメリカの軍事用通信傍受を行っている地球監視ネットワークエシュロンとも関係しているといわれます。

このネットワークにはアメリカのほか、イギリスやオーストラリア、カナダ、ニュージーランドが参加しているといわれ、公的・私的の区別なく電話や文書、メールなどを監視・盗聴して分析しているというもので、パインギャップがその拠点の1つではないかという疑惑をもたれています。

パインギャップが完成したのは1970年で、先住民であるアランダ族がかつて住んでいた場所に建設され、当初は宇宙防衛研究施設と呼ばれていました。

土地の所有者は消極的でしたが、オーストラリア政府が強制的に買い上げ、完成後も拡張が繰り返され、1970年後半になると世界有数の地上衛星基地になっていました。

パインギャップでは中国やロシア、中東など地球の3分の1の地域を通過するアメリカのスパイ衛星をコントロールしており、国家戦略上非常に重要な施設です。

パインギャップは、大規模なコンピューター室や衛星アンテナ収納した14のレドームを備えています。

施設内では800人以上の職員が勤務していて、アメリカ人の職員がその大半を占めています。

パインギャップの上空では高度5500m以下の飛行が制限されており、もちろん一般人の立ち入りは禁止されています。

パインギャップの入り口にはアメリカとオーストラリアの国旗が掲げられ、両者が対等な関係があることが示されていますが、実際はオーストラリアがアメリカに利用されているのではないかという声も根強く、同じパインギャップの職員であっても、お互いに相手国のエリアには立ち入れないことになっています。

パインギャップは、オーストラリア国内にありながら、オーストラリア政府にとっても極秘にされている基地なのです。

ダルシー基地

引用:www.pinterest.jp

ニューメキシコ州の山中にあるといわれるダルシー基地は、数ある極秘基地のなかでも最も謎めいていて、その存在は確かなものではありません。

ダルシーは、ニューメキシコとコロラドの州境にある人口2500人ほどの小さな町で、アパッチ族の居住地の中にあります。

この場所になにか秘密の施設があるのではないかといわれるようになったのは1970年代のこと。

物理学者であったポール・ベネウィッツ教授はアルバカーキにある空軍基地で極秘のプロジェクトに参加していたとき、ダルシー付近で謎の電波を感知し、空に奇妙な発行体が現れるのを何度も目撃したといいます。

このときのプロジェクトがなにであったかベネウィッツは語っていませんが、アルバカーキではかねてより軍により秘密プロジェクトの存在が噂されていました。

1940年代の原爆開発のマンハッタン計画では、ロスアラモス国立研究所のスタッフがアルバカーキを輸送拠点にしていたという話があり、基地の地下には世界最大の規模の核兵器貯蔵施設があるという話もあります。

同じ頃、ニューメキシコでは牛が惨殺されるという事件が相次いでおり、ガベ・ヴァルテズという警官の証言では、牛の死体のそばにガスマスクやケミカルスティックが落ちているのを発見し、その近くには牛の胎児と思われるものがありましたが、それはサルと人間とカエルを足したようなまるでこの世のものとは思えない姿をしていたということです。

ヴァルテズは、これはなにかの生物実験のあとではないかと考えました。

一方、ベネウィッツもある女性から話を聞きだすことに成功し、その証言によれば、彼女と息子は宇宙人に誘拐されて地下の実験室に連れていかれ、そこには牛の解体された死骸があり、彼女たちはマインドコントロールのための装置を体に埋め込まれたといいます。

他にも、ダルシーで働いていた採掘作業員が大量の宇宙人に遭遇したという証言もあり、彼はグリーンベレーの隊員によって助け出されましたが、その際彼と一緒にいた仲間の作業員が50人以上殺されたといいます。

ベネウィッツはこうしたUFO、宇宙人に関する証言や証拠などを集め、ダルシー基地の地下にある秘密基地で宇宙人による人体実験が行われており、これにはホワイトハウスも協力しているという結論に辿り着きます。

ダルシー基地は、ダルシーの街を見下ろす標高2800mのアーチュレタ・メサ山にある地下7階建ての建物で、地下1階がセキュリティ施設、2階は人間の居住区、3階は研究室、4階はマインドコントロール実験室、5階は宇宙人の居住区、6階は遺伝子実験室、7階は冷凍保存庫となっています。

下層階にいくほど高度なセキュリティがかけられ、厳重な管理下に置かれていて、施設内には3000台もの監視カメラが配置されています。

しかし、ベネウィッツの主張が認められることはなく、彼はカートランド基地の人間と結託して防諜のために偽の情報を流していたといわれて非難され、失意のなか2003年に亡くなりました。

もちろん、アメリカ政府はこのような基地の存在は認めていませんし、ダルシー基地はただのUFOマニアの好む噂話というのが一般的な評価です。

しかし、陰謀論や都市伝説としてダルシー基地の存在は現在まで根強く信じられています。

まとめ

以上、世界の極秘軍事基地を紹介してきました。

軍事基地である以上、内部の情報を秘匿するのは基本ですし、ここで紹介したような重要な基地であればなおさらです。

しかし、中でどんな活動が行われているか分からないとなると、それが様々な憶測を生み出します。

こうした極秘施設に陰謀論や都市伝説じみた話がついてまわるのも、ある意味では仕方のないことといえるでしょう。

極秘軍事基地は、これからも多くの謎を抱えたまま存在し続けるでしょうし、もしかすると、世界にはまだ我々の知らないさらなる極秘の基地が存在しているかもしれません。

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