巡洋艦と聞いて、みなさんはそれがどんな軍艦であるかピンとくるでしょうか。
巡洋艦は、戦艦のように強力な砲をもっているわけでも、空母のように多くの航空機を搭載できるわけでもないため、他と比べて、どういった特徴があるのか少し分かりづらい艦種かもしれません。
しかし、特徴がないということは逆にいえばいろいろな任務に使いやすい艦であるともいえます。
巡洋艦は、戦闘から偵察・索敵、船団護衛とオールマイティーにこなすことができ、その多彩な能力を活かして様々な場面で活躍をみせました。
ここでは、多種多様な任務に奮闘した世界の巡洋艦たちをご紹介します。
巡洋艦とは?
引用:http://photozou.jp
巡洋艦とは、高い航洋性能と適度な大きさをもつ軍艦のことで、英語ではクルーザーといわれます。
クルーザーという単語はラテン語のクルクス(十字架)に由来し、敵を求めて「敵艦を求めて海上をジグザグに航海する」という意味合いがあります。
巡洋艦は、沿岸や近海で活動する小型艦とは違って、外洋を航行して警備や偵察を行い、遭遇した敵艦と戦闘を行うことを任務にしていました。
第一次大戦以前の巡洋艦は、甲板に装甲を施した防護巡洋艦、大型で舷側にも装甲をもち重武装で戦闘志向の装甲巡洋艦、小型で速力重視の偵察巡洋艦といった種類がありました。
重巡洋艦と軽巡洋艦はどう違う?
引用:ja.wikipedia.org
ところで、巡洋艦といえば、やはり軽巡洋艦(軽巡)、重巡洋艦(重巡)という区別が有名です。
軍艦について少し知っている人なら、一度は聞いたことのある名称ではないでしょうか。
しかし、この重巡と軽巡の区別というのはいったいどうなっているのでしょうか?
名前の通り、重いか軽いかで別れているのでしょうか。
2つの軍縮条約と巡洋艦
引用:www.historycentral.com
重巡・軽巡という区別は、第一次大戦後の戦間期に結ばれた2つの軍縮条約によって生まれたものです。
この頃、軍艦の大型化が各国の財政を圧迫するようになっており、1921年にアメリカの呼びかけによってワシントン海軍軍縮会議が開かれました。
ここで、主力艦の建造について制限する国際ルールが決められ、巡洋艦は「基準排水量10000トン以下、主砲の最大口径20.3㎝」の軍艦と定められました。
このルールに従って造られた巡洋艦は「条約型巡洋艦」と呼ばれます。
しかし、ワシントン会議では主力である戦艦の保有についても制限が設けられたため、各国はそれを補うために巡洋艦をせっせと建造するようになりました。
これではせっかくの軍縮条約の効果も薄れてしまいます。
そこで、1930年に今度はロンドンで軍縮会議が開催されました。
この頃は世界恐慌も起こっていたため、各国ともさらに財政に余裕はありません。
巡洋艦の建造についてもさらなる規制が設けられ、口径15.5㎝以上の砲をもつものがA級巡洋艦、15.5㎝以下のものがB種巡洋艦という2つのクラスに分けられました。
A級巡洋艦のことを英語でHeavy Cruiser、B級巡洋艦をLight Cruiserと呼び、「重巡洋艦」「軽巡洋艦」とはこれらを和訳したものです。
重巡、軽巡という区別は艦の重さによる違いというわけではなく、条約により人為的に作られたものでした。
日本海軍では重巡を甲級巡洋艦(甲巡)、軽巡を乙級巡洋艦(乙巡)を呼び、重巡には山の名前
軽巡には川の名前を艦名として用いました。
巡洋艦の役割
引用:twitter.com
重巡は強力な砲や魚雷発射設備をもち、戦艦に次ぐ戦力とされました。
一方、軽巡は駆逐艦部隊の旗艦を務めるなど、主として砲撃戦以外の任務に就きました。
ほとんどの巡洋艦は水上偵察機を搭載しており、戦場での索敵、砲撃戦での着弾観測などを行い、ほかにも通商路の保護や船団護衛、海洋警備や植民地など海外権益の保護といった巡洋艦本来の幅広い任務を行う万能艦でした。
大艦巨砲主義の名残のあるこの時代にはどの国も戦艦は艦隊決戦のために温存する傾向にあり、巡洋艦は戦艦よりも前線に出しやすく使いやすい艦として重宝されました。
戦後の巡洋艦
引用:sputniknews.com
この記事では、主に第二次大戦中に活躍した巡洋艦をとりあげますが、戦後の巡洋艦についも少し解説しておきます。
戦後の巡洋艦は、艦隊空ミサイルを搭載したミサイル巡洋艦に改装され、空母や揚陸艦の支援を行うようになります。
原子力空母と行動をともにするため、原子力機関を搭載した原子力巡洋艦も建造されましたが、現在では小型の警備艦であるフリゲート艦の大型化によって、巡洋艦と他の艦種と区別や定義があいまいになりつつあります。
世界最強の巡洋艦ランキング
さて、ここからは、世界最強の巡洋艦ランキングを発表していきましょう。
まずはじめに惜しくもランキングに入ることのできなかった各国の巡洋艦を紹介し、最後に最強巡洋艦ランキングTOP10をご紹介していきます。
どの国でも様々な個性をもったバリエーション豊かな艦が生み出されていたことがわかります。
軽巡洋艦デ・ロイヤル (オランダ)
引用:ja.wikipedia.org
現在でこそヨーロッパの小国となっているオランダですが、かつては海洋国家として世界中で交易を行っていました。
日本においても鎖国下の江戸時代にも長崎の出島において、貿易を行っていたのは有名な話です。
同様に、オランダは世界中に多くの植民地をもっていて、特に、アジアにおいては蘭印とも呼ばれていたオランダ領東インド(インドネシア)が最大の植民地でした。
この植民地を警備するため、オランダは海軍戦力を整備していて、すでにジャワ級軽巡洋艦を保有していましたが、これはアジアの仮想敵である日本海軍に対して力不足と考えられていました。
そこで新たに計画されたのが、軽巡洋艦デ・ロイヤルです。
全長170.92m、排水量6642トン、速力32ノット、装甲厚100㎜、15㎝連装砲3基、水偵2機を装備していますが、世界恐慌の発生による予算不足のために、対空砲や魚雷発射管は搭載されませんでした。
デ・ロイヤルは、ドイツからの技術支援を受けて建造されたもので、東南アジアでの運用を考えて復原性(波や風で傾いた時に転覆せずもちこたえて立てなおす能力)に優れた長船首楼型を採用するとともに、遠く離れたアジアへ派遣するために10000浬という長大な航続力をもっています。
オランダ期待の新型巡洋艦だったデ・ロイヤルは、太平洋戦争ではアジアにおける連合軍の艦隊であるABDA艦隊(Australian-British-Dutch-American:オーストラリア、イギリス、オランダ、アメリカ連合艦隊)の旗艦を任されます。
しかし、1942年のスラバヤ沖海戦でABDA艦隊は日本艦隊に敗北し、デ・ロイヤルも僚艦ジャワとともに撃沈されました。
ケーニヒスベルク級軽巡洋艦 (ドイツ)
引用:ja.wikipedia.org
第一次大戦の敗戦とその後のヴェルサイユ条約により、ドイツは軍備を大きく制限されることになりました。
ケーニヒスベルク級(K級)は、軍備制限内で可能な限り強力な艦を目指したもので、1926年から「ケーニヒスベルク」「カールスルーエ」「ケルン」の3隻が建造されました。
全長174m、排水量8130トン、速力32ノット、乗員514名、最大装甲厚100㎜、15㎝三連装砲3基と三連装魚雷発射管4基を搭載しています。
第二次大戦がはじまると、1940年のドイツ軍によるノルウェー侵攻作戦は、3隻が揃い踏みした最初で最後の戦いになりました。
この戦いでケーニヒスベルクは要塞、カールスルーエは潜水艦からの魚雷攻撃によって撃沈され、残ったケルンもその後は大きな活躍の場はなく、1945年には空襲によって大破しています。
ベインティ・シンコ・デ・マヨ級重巡洋艦 (アルゼンチン)
引用:http://www.navweaps.com
南米のアルゼンチン、ブラジル、チリはABC3国と呼ばれ、お互いをライバル視する関係にありました。
アルゼンチンは1926年に、ブラジルとチリに対抗するため海軍力の強化を目指し、イタリアのオート・メラーラ社から技術支援を受けて重巡の整備を行いました。
それが、ベインティ・シンコ・デ・マヨ級で、「ベインティ・シンコ・デ・マヨ」と「アルミランテ・ブラウン」の2隻が建造されました。
全長170.8m、排水量6800トン、速力32ノット、乗員780名、最大装甲厚は70㎜で、19.1㎝三連装砲3基と三連装魚雷発射管2基、水偵2機を搭載し、船のサイズからみるとかなりの重武装となっています。
ちなみに、やたら長い艦名のベインティ・シンコ・デ・マヨですが、これはアルゼンチンの独立記念日にあたる5月25日を意味しています。
ベインティ・シンコ・デ・マヨは、実戦経験はほぼありませんが、アルゼンチン海軍を象徴する艦として、領海警備や他国への親善訪問に使われるなどアルゼンチンの国威発揚のため大きな役割を果たしました。
ダイドー級軽巡洋艦 (イギリス)
引用:http://www.cmchant.com
ダイドー級軽巡洋艦はイギリスが建造した世界で初めての防空巡洋艦です。
全長156.06m、排水量5600トン、速力32ノット、乗員480名で、最大装甲厚は76㎜で、対空砲としても使用可能な13.3㎝連装両用砲を5基装備し、海戦だけでなく船団護衛作戦でも活躍しました。
ダイドー級はネームシップのダイドーをはじめ計16隻が建造され、後期の5隻は改良型のベローナ級と呼ばれます。
ダイドー級はドイツ爆撃機の空襲から輸送船を守る通商保護作戦をはじめ、空母機動部隊の護衛など多くの作戦に従事し、地味ながらイギリス海軍を支えた巡洋艦です。
イギリスの作家アリステア・マクリーンの小説で、イギリス輸送船団とそれを狙うドイツ軍との闘いを描いた「女王陛下のユリシーズ号」に登場する巡洋艦ユリシーズは、ダイドー級がモデルになっているといわれます。
ヨーク級重巡洋艦 (イギリス)
引用:www.world-war.co.uk
ヨーク級は、1927年から就役した巡洋艦で、政府による海軍予算の圧迫を受けて建造費を節約したもので、イギリスが以前に建造していたカウンティ級重巡洋艦の小型版というべき艦です。
全長175.29m、排水量8250トン、乗員628名、最大装甲厚102㎜と全体的に小降りになり、20.3㎝主砲も連装砲3基に減らされましたが、速力は32.3ノットと増加しています。
2番艦のエクセターは、艦の幅が30㎝広くなるなどヨークから多少の改正が施されています。
ヨークは地中海のクレタ島でイタリアの水上特攻艇の攻撃を受けて大破し、エクセターはラプラタ沖海戦でドイツのポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーと交戦し、相手を自沈に追い込む活躍をみせましたが、太平洋戦線のスラバヤ沖海戦で日本海軍の重巡妙高・羽黒等により撃沈され、2隻とも戦没しています。
キーロフ級巡洋艦 (ソ連)
引用:ja.wikipedia.org
キーロフ級は1930年代から、当時旧式化が進んでいたソ連巡洋艦を更新するために計画されたもので、イタリアのアンサルド社から大規模な技術支援を受けて建造されました。
全長191.3m、基準排水量7880トン、速度36ノット、乗員872名で、装甲厚は76㎜、18㎝三連装砲3基、三連装魚雷発射管2基、水偵2機を搭載しています。
イタリア巡洋艦をベースにしているため、外見は似ていますが、耐氷構造が採用されるなどソ連海軍での運用を考えた設計になっています。
「キーロフ」「ヴォロシーロフ」の2隻が建造され、第二次大戦のソ連海軍は大規模な海戦を戦わなかったこともあり、どちらも戦後まで生き残っています。
マキシム・ゴーリキー級
マキシム・ゴーリキー級は、キーロフ級の改良型として建造されたもので、「マキシム・ゴーリキー」「モロトフ」「カリーニン」「カガノヴィッチ」の4隻が建造された、ソ連を代表する巡洋艦です。
こちらも、大きな活躍はなかったものの、4隻とも戦後のソ連海軍でも使用されました。
カナリアス級重巡洋艦 (スペイン)
引用:http://tecnologia-maritima.blogspot.com
1926年に巡洋艦の建造を計画したスペインでは、自国でこうした軍艦を建造した経験がなかったため、イギリスに設計を依頼することになりました。
イギリスのカウンティ級巡洋艦をベースとして、スペイン国内で建造されたのが、カナリアス級重巡艦です。
「カナリアス」、「バレアレス」の2隻が造られ、スペイン唯一の条約型重巡です。
カナリアス級は全長193.55m、排水量10113トン、速力33ノット、20.3㎝連装砲4基、三連装魚雷発射管4基、水偵2機を搭載し、114㎜という優れた水中装甲をもっていました。
しかし、まだ建造中だった1936年にスペイン内戦が勃発し、カナリアス級はフランコ将軍率いる反乱軍によって奪われ、未完成のまま就役させられます。
バレアレスは1938年のパロス岬沖海戦で政府軍の駆逐艦による雷撃で撃沈されてしまいますが、カナリアスのほうは内戦を生き残り、1975年まで現役として使われました。
航空巡洋艦ゴトランド (スウェーデン)
引用:ja.wikipedia.org
ゴトランドは、海戦において航空兵力を重視したスウェーデン海軍が建造した航空巡洋艦です。
全長は134.8m、排水量4750トン、速力27.5ノット、乗員467名で、装甲厚は25㎜で、主砲は15.2㎝連装砲2基と少し心もとないですが、その代わりに11機の水上機を搭載できるという航空巡洋艦の名前の通りの優れた航空機運用能力をもっています。
しかし、実際には予算の関係から水上機は6機までしか搭載したことがなく、その本領を発揮することができませんでした。
スウェーデンは第二次大戦で中立だったため、ゴトランドも実戦経験はほぼありませんが、ドイツの最強戦艦ビスマルクが通商破壊作戦のために出港した際には、それを最初に発見し、イギリス海軍に通報するという働きをして戦史に名を残しています。
クリーブランド級軽巡洋艦 (アメリカ)
引用:www.okieboat.com
クリーブランド級は、太平洋戦争におけるアメリカ軽巡の主力となった艦首です。
全長185.9m、排水量10000トン、速力32.5ノット、乗員1255名で、最大装甲厚152㎜、15.2㎝三連装砲4基を搭載しています。
アメリカは第二次大戦中にこれを大量建造し、初期段階では52隻が計画され、最終的に25隻が竣工しました。
他の27隻も、小型空母に転用されたり、他の級の巡洋艦として竣工しており、これだけの隻数を戦時中に建造することができるアメリカの工業力の高さを如実に示す事例です。
完成度の高かったクリーブランド級は、空母機動部隊に随伴したり、上陸作戦での艦砲射撃など様々な任務をこなしました。
ペンサコーラ級重巡洋艦 (アメリカ)
引用:http://military.sakura.ne.jp
ペンサコーラ級はワシントン軍縮条約後にアメリカ海軍が初めて計画した重巡で、「ペンサコーラ」「ソルトレイクシティ」の2隻が建造されました。
全長178.46m、排水量9096トン、速力32.5ノット、乗員631名、最大装甲厚102㎜、水偵4機、20.3㎝三連装砲3基と連装砲2基、三連装魚雷発射管2基を搭載しています。
高速を発揮するため、船体が細く設計されていて、そのため、艦の前後の砲が上側は三連装、下側が連装というちょっと変わった配置になっています。
このため、ペンサコーラ級はトップヘビーで安定性が悪く、防御力も低い「ブリキ艦」と呼ばれて、敵の巡洋艦と戦うには力不足とみられました。
ペンサコーラ、ソルトテイクシティともに太平洋戦争で、1942年のルンガ沖夜戦や1943年のアッツ島沖海戦に参加しましたが、どちらも終戦まで沈没を免れています。
ノーザンプトン級重巡洋艦 (アメリカ)
引用:http://www.microworks.net
ノーザンプトン級は、ペンサコーラ級で明らかになったいくつもの問題点を克服するために計画された重巡で、「ノーザンプトン」「チェスター」「ルイヴィル」「シカゴ」「ヒューストン」「オーガスタ」の6隻が建造されました。
全長182.96m、排水量9390トン、速力32.5ノット、乗員617名、最大装甲厚95㎜、水偵4機、武装は20.3㎝三連装砲3基に改められ、艦前部に2基、後部に1基を搭載する形になりました。
主砲の数は1門減りましたが、その分重量が減り、主要区画への装甲防御を手厚くすることができました。
しかし、それでもまだトップヘビーや耐弾性への現場からの不満は完全には払拭されていませんでした。
太平洋戦争では、ノーザンプトンがルンガ沖海戦で、ヒューストンが1942年のバタヴィア沖海戦で、シカゴが1943年のレンネル島沖海戦でそれぞれ沈没し、ルイヴィルもレイテ沖海戦や沖縄戦で特攻機による損傷を受けています。
ポートランド級重巡洋艦 (アメリカ)
引用:en.wikipedia.org
アメリカでは、ワシントン条約締結後に建造したペンサコーラ級・ノーザンプトン級重巡がどちらも排水量10000トンを割り込んだことから、今度は規程上限までフルに使った巡洋艦を建造することを決定します。
1930年から建造がはじめられたポートランド級は、全長185.93m、速力32.5ノット、乗員807名、最大装甲厚146㎜、水偵4機、排水量10285トンと、アメリカ重巡ではじめて10000トンを上回りました。
武装は、20.3㎝三連装砲3基を搭載し、魚雷兵装は撤去されて、代わりに当時発達しつつあった軍用機に対抗するため対空兵装が強化されています。
しかし、復原性が弱いことや装甲にまだ若干不安があることなど、運用側からの評価は芳しくありませんでした。
「ポートランド」「インディアナポリス」の2隻が建造され、インディアナポリスは、1945年7月30日にテニアン島へ原子爆弾用のウランを輸送する極秘任務を行った帰りに、日本潜水艦伊58に撃沈されたことが有名です。
これは、太平洋戦争においてアメリカ海軍が大型艦を沈められた最後の事例になりました。
練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク (フランス)
引用:http://military.sakura.ne.jp
練習巡洋艦とは、その名の通り、海軍士官を育成するために、実際の軍艦を使った航海をさせるために用いられる艦のことです。
イギリス海軍のように艦艇保有数が多い国では、ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約で多くの艦が廃棄されたため、この一部を練習艦に回すことができました。
しかし、それほど艦に余裕のなかった国では専用の艦を建造する必要があったのです。
ちなみに日本にも香取型と呼ばれる練習巡洋艦があり、戦時中は艦隊旗艦になるなど実戦にも参加しています。
フランスの歴史的英雄ジャンヌ・ダルクの名をもつこの艦は、練習艦として遠洋航海では各国を訪問し、他国の海軍と親交を行う必要があったため、普通の軍艦よりも手の込んだ造りになっていて、二層のプロムナード・デッキ(遊歩甲板)をもつなど豪華客船のような外見をしています。
全長170m、排水量6496トン、速力25ノット、乗員676名、15.5㎝連装砲4基と魚雷発射管2基を搭載しているものの、最大装甲厚はわずか20㎜と戦うには心細いスペックですが、第二次大戦が勃発すると、自由フランス海軍の一員として輸送任務や沿岸への艦砲射撃など実戦にも参加しています。
1965年に退役したとき、ジャンヌ・ダルクの総航海距離は74万浬で、同時期に作られたフランス巡洋艦の中で最大になっていました。
五五〇〇トン型軽巡洋艦 (日本)
引用:http://www35.tok2.com
五五〇〇トン型軽巡洋艦は、いずれも大正時代に建造された艦ですが、太平洋戦争においては日本の軽巡戦力の主力の役割を果たしました。
五五〇〇トン型は、球磨型(「球磨」「多摩」「北上」「大井」「木曽」)、長良型(「長良」「五十鈴」「名取」「由良」「鬼怒」「阿武隈」)、川内(せんだい)型(「川内」「神通」「那珂」)の3クラスに分けられます。
基本的な要目は似通っており、全長162m、排水量5170トン、速力36ノット、乗員450名、最大装甲厚63.5㎜、14㎝単装砲7基に連装魚雷発射管4基を搭載しています。
太平洋戦争がはじまる頃には能力的にも艦齢的にも限界が近づきつつあるとみられていましたが、開戦すると14隻すべて前線に投入されて、海戦や輸送任務などに奮闘しました。
それだけに損害も大きく、北上以外の13隻が戦争中に失われています。
軽巡洋艦 夕張 (日本)
引用:ja.wikipedia.org
軽巡「夕張」は、日本海軍が建造コストの節約と技術実験のために建造した試作艦で、3000トンという駆逐艦なみの小さな船体に巡洋艦なみの兵装を搭載するという非常に野心的な設計の艦でした。
夕張は、全長138.99m、排水量2890トン、速力35.5ノット、乗員328名、最大装甲厚38㎜、14㎝連装砲2基・単装砲2基、連装魚雷発射管2基と小さな体に強力な武装を積み込んだうえ、建造費はそれまでの巡洋艦の7割程度に抑えられ、計画としてはおおむね成功といえるものでした。
その特異さから、当時は世界の海軍艦艇について解説した専門書であるジェーン海軍年鑑に特集ページが設けられるほど世界中からも注目を集めていました。
しかし、その船体も小ささから居住性が悪い、航続距離が短い、水偵や対空兵装を搭載するスペースが不足しているなどの問題点も多く、量産されることはありませんでした。
古鷹型重巡洋艦 (日本)
引用:ja.wikipedia.org
古鷹型は、戦艦8隻・巡洋艦8隻の艦隊を整備するという八八艦隊案により計画され、ロンドン条約の規定により建造された日本初の重巡です。
全長185.17m、排水量8700トン、速力32ノット、乗員639名、20.3㎝連装砲3基(建造当初は20㎝単装砲6基)と新型の酸素魚雷を運用できる四連装魚雷発射管2基、水偵2機、最大装甲厚76㎜で、「古鷹」「加古」の2隻が建造されました。
小ぶりの船体に武装を詰め込んだせいで艦内に余裕がなく、主砲の装填が人力であるなどの欠点があったため、後に改装が行われましたが、防御力には最後まで不安が残りました。1942年の第一次ソロモン海戦には2隻揃って参戦し、日本艦隊の勝利に貢献しましたが、帰還時に加古がアメリカ潜水艦の攻撃を受けて撃沈され、古鷹も1942年のサヴォ島沖夜戦でアメリカ巡洋艦部隊と交戦し、撃沈されています。
青葉型重巡洋艦
引用:http://military.sakura.ne.jp
「青葉」「衣笠」の2隻が建造された青葉型重巡は、古鷹型の改良形といえるもので、艦のスペック的にはほぼ同等ながら、最初から20.3㎝連装砲を搭載していました。
重巡青葉が、サヴォ島沖夜戦でアメリカ艦隊を味方と誤認して「ワレアオバ」の発光信号を放ったエピソードが有名です。
青葉はこのとき、敵の攻撃が集中して大破しましたが、修理を受けてレイテ沖海戦などに参加し、1945年の呉空襲で大破着底するまで活躍しています。
10位 シュフラン級重巡洋艦 (フランス)
引用:ja.wikipedia.org
フランス海軍では軽巡の発展形として開発されたデュケーヌ級重巡洋艦をもっていましたが、仮想敵であるイタリア艦に対して防御力と速度に劣り、戦えば不利になると考えられていました。
そこで、デュケーヌ級の改良型として生まれたのがシュフラン級で、「シュフラン」「コルベール」「フォッシュ」「デュプレクス」の4隻が建造されました。
全長196m、基準排水量10000トン、乗員773名、最大装甲厚50㎜、20.3㎝連装砲4基に魚雷発射艦4基、水偵2機も搭載していました。
防御力も改善し、特に水中防御は条約型で最良ともいわれましたが、その分速度はデュケーヌ級の33ノットから31ノットへとさらに低下してしまいました。
フランスは第二次大戦において早期に降伏してしまったため、シュフラン級にも大きな活躍の場はなく、コルベール、フォッシュ、デュプレクスの3隻は1942年ドイツに奪われるのを避けるためツーロン港で自沈しています。
9位 ザラ級重巡洋艦 (イタリア)
引用:http://conlapelleappesaaunchiodo.blogspot.com
イタリア海軍のザラ級巡洋艦は、「ザラ」「フューメ」「ゴリツィア」「ポーラ」の4隻が建造され、最大装甲厚150㎜という条約型重巡で最も強力な装甲を誇る艦です。
全長182.8m、排水量11870トン、乗員841名、最大装甲厚150㎜、20.3㎝連装砲4基、水偵2機を搭載しています。
防御を強化した代わりに速度は33ノットと抑えめですが、それでもライバルであるフランスのシュフラン級を上回っていました。
主砲は20.3㎝連装砲4基ですが、魚雷発射管は重量軽減のために搭載されませんでした。
イタリア期待の新鋭主力艦として竣工したザラ級でしたが、1941年にイギリス海軍との間で繰り広げられたマタパン岬沖海戦ではザラ、フューメ、ポーラの3隻が一度に撃沈されると悲運にみまわれています。
8位 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦 (ドイツ)
引用:en.wikipedia.org
アドミラル・ヒッパー級は第二次大戦におけるドイツ海軍唯一の重巡で、「アドミラル・ヒッパー」「ブリッヒャー」「プリンツ・オイゲン」の3隻が建造され、「ザイドリッツ」「リュッツオウ」の2隻は未完に終わりました。
アドミラル・ヒッパー級は、全長202.8m、速力32.5ノット、乗員1382名、最大装甲厚160㎜、20.3㎝連装砲4基のほか三連装魚雷発射管4基と水偵3機も備え、さらに機雷敷設も可能と攻撃力に関しては文句なしで、装甲に関しても十分な能力をもっていました。
ヒッパー級がこれほど高い能力を備えることができたのは、ドイツが軍縮条約に参加していなかったため、排水量が他の重巡を凌駕する14000トンに達していたためです。
それでも、他国を憚って対外的には排水量10000トンとしていました。
ドイツ海軍は敵を惑わすため、戦艦や重巡といった艦のシルエットを似せて区別がつきにくくなるようデザインしており、ヒッパー級もビスマルクやシャルンホルストといったドイツ戦艦と似通った外観になっています。
3隻のなかでも特にプリンツ・オイゲンは、戦艦ビスマルクとともに1941年のデンマーク海峡海戦でイギリスの巡洋戦艦フッドを撃沈する撃沈する戦果を上げ、戦争末期には東部戦線で陸軍を援護するためのソ連軍への艦砲射撃を行うなど八面六臂の活躍をみせ、終戦時にはドイツ唯一の残存大型艦となっていました。
戦後、アメリカに引き渡されたオイゲンは、日本の戦艦長門などと一緒にビキニ環礁での原爆実験での標的艦になり、その生涯に幕を閉じました。
7位 カウンティ級重巡洋艦 (イギリス)
引用:en.wikipedia.org
イギリスの建造した条約型重巡であるカウンティ級は、1924年から27年までのあいだに、計13隻が造られました。
各艦の艦名がイギリスの州名から採られているためカウンティ級と呼ばれます。
カウンティは「ベリック」「コーンウォール」「カンバーランド」「ケント」「サフォーク」「オーストラリア」「キャンベラ」のケント級、「デヴォンジャー」「ロンドン」「シュロップシャー」「サセックス」のロンドン級、「ドーセットシャー」「ノーフォーク」のドーセットシャー級と、大きく3グループに分けられ、それぞれ兵装などが異なっています。
ケント級を例にとると、全長190.02m、排水量9750トン、速力31.5ノット、乗員685名、20.3㎝連装砲4基と四連装魚雷発射管2基を装備し、最大装甲厚は110㎜となっています。
オーストラリアの国名と都市名をもつオーストラリアとキャンベラの2隻は英連邦に所属していたオーストラリア海軍に供与されました。
イギリス巡洋艦の主力だったカウンティ級は、サフォーク、ドーセットシャー、ノーフォークの2隻がドイツ戦艦ビスマルク追撃戦に参加するなど活躍も多くありますが、第1次ソロモン海戦でキャンベラが撃沈されたことや、セイロン沖海戦でドーセットシャーとコーンウォールが撃沈されたことなど損害も多く出ています。
6位 最上型重巡洋艦 (日本)
引用:ja.wikipedia.org
ロンドン条約によって、巡洋艦の建造枠が制限され、高雄型を建造した日本はほかの重巡を作ることができなくなってしまいます。
そこで、苦肉の策として考え出されたのが、15.5㎝以下の主砲をもつ軽巡洋艦を建造し、有事の際には20.3㎝砲に換装して重巡として使うというものでした。
最上型重巡はこうして生まれたもので、「最上」「三隈」「鈴谷」「熊野」の4隻が建造され、艦の名称も軽巡の命名規則により河の名前がつけられています(鈴谷の名前は当時日本領だった南樺太の鈴谷川から)。
全長200.6m、排水量12400トン、速力34ノット、乗員896名、最大装甲厚140㎜、20.3㎝連装砲5基と三連装魚雷発射管4基、水偵3機を搭載しています。
日本海軍の書類上では終戦時まで軽巡として扱われた最上型ですが、船体は重巡同様の防御力と戦闘力をもっていました。
最上型は当初の予定通り、1939年から40年にかけて主砲の換装を行い重巡へと生まれ変わります。
1942年のミッドウェー海戦で最上型の1隻である三隈が沈没しますが、このとき、アメリカは航空写真で主砲が20.3㎝砲に換装されているのに気づき、慄然としたといいます。
ネームシップの最上はその後、水上偵察機11機を搭載可能な航空巡洋艦にも改装され、レイテ沖海戦のスリガオ海峡海戦で沈没しています。
5位 ニューオーリンズ級重巡洋艦 (アメリカ)
引用:www.nationalww2museum.org
ニューオーリンズ級は、ロンドン海軍軍縮条約後に、それまでに建造されたアメリカ重巡への反省を踏まえて計画された巡洋艦です。
全長179.22m、排水量10050トン、速力32.5ノット、乗員868名、20.3㎝三連装砲3基、水偵4機を装備し、ポートランド級同様魚雷発射管は最初から搭載していません。
防御に不安があった前級までの欠点を克服するため、最大装甲厚は165㎜に強化されています。
「ニューオーリンズ」「アストリア」「ミネアポリス」「タスカルーサ」「サンフランシスコ」「クインシー」「ヴィンセンス」の7隻が建造され、タスカルーサ以外は太平洋戦線で戦いました。
1942年の第一次ソロモン海戦ではアストリア、クインシー、ヴィンセンスの3隻が一夜で撃沈されるという屈辱を味わっています。
4位 妙高型重巡洋艦 (日本)
引用:ja.wikipedia.org
妙高型重巡は、ワシントン条約の規制に則った条約型重巡で、「妙高」「那智」「足柄」「羽黒」の4隻が建造されました。
妙高型は、関東大震災の影響で建造が遅れ、2番艦の那智が最初に完成したことから、外国文献などでは特に「那智型」とも呼ばれることがあります。
全長203.76m、乗員891名、最大装甲厚102㎜で、水偵3機を搭載しています。
妙高型は条約型といいながら、条約の制限である排水量10000トンをわずかに超過した10940トンでしたが、それでも20㎝連装砲5基に魚雷発射管4基、速力35ノットという他国の重巡を上回るスペックをもっていて、ジョージ6世の戴冠式でお披露目したときには外国メディアから「飢えた狼」と呼ばれました。
これは、妙高型の獰猛な野獣のような攻撃力を称賛したものとも、兵器を搭載するために乗員の居住性を犠牲にした粗野な姿を皮肉ったものともいわれます。
妙高型は、太平洋戦争でも1942年のスラバヤ沖海戦や1944年のレイテ沖海戦といった有名な海戦に4隻揃って参戦するなど大きな活躍をみせました。
3位 利根型重巡洋艦 (日本)
引用:http://albumwar2.com
利根型重巡は、もともと最上型の5、6番艦として計画されていましたが、日本海軍が巡洋艦による航空偵察を重視していたため、水上偵察機6機を運用することのできる航空巡洋艦として建造されることになりました。
20.3㎝砲4基のみしか搭載していなかったものの、これを艦の前部に集中して配置する手法で攻撃力の低下を抑え、防御力も高く、特に弾火薬庫の装甲は各国巡洋艦のなかでも最良のものといわれます。
全長201.6m、排水量11213トン、速力35ノット、乗員874名、最大装甲厚145㎜、20.3㎝連装砲4基に三連装魚雷発射管4基を搭載し、航続力、居住性にも優れていました。
日本重巡の完成形ともいわれる利根型ですが、書類上は最上型と同じく軽巡扱いで艦名も川の名前からとられています。
利根型の最大の特徴はなんといっても航空偵察能力の高さで、ミッドウェー海戦では利根、筑摩がそれぞれ2機、赤城、加賀がそれぞれ1機、戦艦比叡が1機と、利根型は空母よりも多くの偵察機を発艦させていて、さらに、利根から発艦した利根4号機はアメリカ空母部隊を発見する活躍をみせています。
これについては、以前は機械トラブルによって偵察機の発艦が遅れたためにアメリカ機動部隊の発見が遅れたといわれていましたが、現在では時間通り発艦していれば逆にアメリカ艦隊と遭遇できなかっただろうといわれています。
その後、筑摩は1944年のレイテ沖海戦のサマール沖海戦で撃沈され、利根も1945年7月の呉空襲で大破しています。
2位 高雄型重巡洋艦 (日本)
引用:http://japanese-warship.com
「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」の4隻が建造された高雄型重巡は、まるで城の天守閣のような巨大な艦橋が特徴です。
全長203.76m、排水量13400トン、速力34.25ノット、乗員835名、最大装甲厚127㎜、20.3㎝連装砲5基と四連装魚雷発射管4基、水偵3機搭載と、とてもバランスの優れた艦で、条約型重巡としても世界トップレベルでした。
第1次ソロモン海戦では鳥海を旗艦とした日本艦隊がガダルカナル島付近に陣取るアメリカ艦隊に殴り込みをかけ、アメリカ重巡4隻を撃沈する大戦果を上げています。
その後も高雄と愛宕が第3次ソロモン海戦でアメリカ戦艦サウスダコタを遁走させたり、摩耶によるガダルカナル島の飛行場砲撃など、高雄型はその能力を存分に発揮し、太平洋戦争でも大きな活躍を見せました。
しかし、4隻揃って参戦したレイテ沖海戦では、「愛宕」「摩耶」「鳥海」の3隻が撃沈されるという憂き目をみています。
1位 ボルティモア級重巡洋艦 (アメリカ)
引用:http://hush.gooside.com
ボルティモア級は、第二次世界大戦開戦後の1940年に計画されたもので、太平洋と大西洋の両面での有事に対応できるよう艦隊戦力強化を目指して建造されたものです。
すでに上限排水量10000トンという条約による制限はなくなっていたため、従来の重巡がもつ復原性や防御力の不安という問題を完全に解決できる自由な設計になっており、第二次大戦最強ともいわれる重巡です。
戦前、アメリカ海軍の重巡保有数は日本海軍と同じ18隻で日米の戦力は互角でしたが、続々と就役するボルティモア級によってそのパワーバランスは完全にアメリカ有利に傾いていきます。
全長205.26m、排水量13881トン、速力34ノット、乗員1426名、20.3㎝三連装砲3基、水偵4機、最大装甲厚は165㎜で、1943年に1番艦ボルティモアが就役し、全部で14隻が建造されました。
太平洋戦争でも戦没艦はなく、戦後も朝鮮戦争に参戦し、その後も「ボストン」「キャンベラ」の2隻はミサイル巡洋艦に改造され、キャンベラはベトナム戦争にも派遣されました。
まとめ
ここでは主に第二次世界大戦の頃に活躍した巡洋艦たちを紹介してきました。
巡洋艦という艦種が最も活躍していたのはこの時代といえます。
現代ではフリゲートの大型化によって巡洋艦という艦種の区別もなくなりつつあり、戦艦と同じように時代とともに消えていく運命なのかもしれません。
少し寂しい気もしますが、ここで紹介した巡洋艦たちの活躍は、これからも消えることなく軍艦の歴史の中にその名を残していくことでしょう。