今では世界でもトップクラスの装備と実力をもつとされる自衛隊ですが、発足して間もない頃はまだまだ装備も十分でなく、アメリカから譲られた戦車を使っていました。
戦前の軍需産業は消滅していたため、自衛隊戦車の歴史は外国製戦車ではじまるほかなかったのです。
やがて、戦後日本でも独自の国産戦車開発が行われるようになっていきます。
太平洋戦争中、日本軍が使用していた戦車はとにかく弱くてアメリカの戦車に対して歯が立たなかったことはよく知られています。
では、戦後に日本が開発し、自衛隊が使用してきた戦車はどのような能力で、世界の戦車と比べてどの程度の実力をもっていたのでしょうか。
ここでは、自衛隊が使用してきた歴代の戦車たちをランキング形式で紹介していきます。
第7位 M4シャーマン中戦車
引用:matome.naver.jp
第二次大戦での降伏の伴い、陸海軍が解体され軍隊をもたない国となった日本でしたが、1950年の朝鮮戦争勃発に伴う国際情勢の緊張によって自衛隊の前身である警察予備隊が発足します。
最初、GHQ司令官であったマッカーサーの意向で自衛隊には最新のM26パーシング重戦車が供与される予定でしたが、朝鮮戦争での原爆使用に関する発言などで問題を起こしたマッカーサーが解任されるとそれもなくなります。
自衛隊には第二次大戦でアメリカ軍の主力戦車をつとめたM4シャーマン中戦車が供与されることになりました。
自衛隊が受け取ったのは、大戦末期に登場したM4シャーマンの完成形、イージーエイトともいわれるM4A3E8というタイプです。
自衛隊ではM4A3特車と呼ばれていましたが、やがて特車は戦車に改められました。
M4A3E8は、主砲に長砲身76㎜砲を搭載し、防御力を強化したもので、水平渦巻きバネ式懸架装置(HVSS)をもっています。
元々、アメリカ人用に開発された戦車だったため、車体や砲弾のサイズが大きく、日本人には扱いづらいものでした。
M4シャーマン戦車は、北海道に優先的に配備されていき、1970年代半ばまで使用されていましたが、国産の61式戦車と交代する形で全車退役しました。
第6位 M24チャーフィー軽戦車
引用:matome.naver.jp
M24チャーフィー軽戦車も、M4シャーマンと同じくアメリカ軍から供与された戦車で、自衛隊ではM24特車とも呼ばれていました。
チャーフィーという愛称は、アメリカの戦車部隊の発展に貢献して「機甲部隊の父」と呼ばれたアドナ・チャーフィー・ジュニア陸軍少将から採られています。
乗員は5名で、主砲はもともと航空機用として開発された75㎜砲で、軽戦車でありながら高い火力をもっていました。
装甲は軽戦車であるため最大でも38㎜ほどですが、車体は優れた避弾径始発揮できる設計となっています。
チャーフィーの大きな特徴が、先進的な走行装置です。
チャーフィーは、新型のクロス・ドライブという変速操向装置を搭載していました。
日本の国産戦車でクロス・ドライブが搭載されたのは、1990年に制式化された90式戦車からで、第二次大戦中に開発された戦車であるにも関わらず、時代の40年ほど先を行く画期的な機構を備えていました。
さらに、サスペンションには未来的なトーションバー式を採用し、高い機動性や登坂性をもっており、同じ時代の他国の軽戦車と比較して1歩も2歩も先を行く画期的な戦車でした。
チャーフィーは日本本土上陸作戦にも投入される予定で、もし実現していれば、山がちで複雑な日本の地形でその能力を活かして活躍していたことでしょう。
自衛隊でもとても操作性の高い戦車として評判が高く、小型の車体は日本人の体格にもあっていたということです。
M24戦車は日本全国に配備され、M41戦車や61式戦車の導入と交代する形で退役していきました。
第5位 M41ウォーカー・ブルドック軽戦車
引用:http://plamottawinkwendy.livedoor.blog/
M41ウォーカー・ブルドックは、アメリカが戦後に開発した軽戦車で、愛称は最初は「リトルブルドック」になる予定でしたが、朝鮮戦争中に偵察行動時の自動車事故によって死亡したウォルトン・ウォーカー中将の名前を採ってウォーカー・ブルドックに変更されました。
もともと試作車として開発が行われていたもので、1946年から開発がはじまっていたものが、朝鮮戦争の勃発によって一挙に大量取得されて制式化されることになりました。
M41ウォーカー・ブルドックは、乗員は4名で、60口径76.2㎜砲を搭載し、軽戦車のため装甲は最大でも38㎜ほどでした。
自衛隊では147両がアメリカから供与されており、全国の戦車部隊に配備されていきました。
国産の61式戦車の配備に伴って更新が進められましたが、最終的にすべてが退役したのは61式の後継である74式戦車の配備後となる1983年のことで、陸上自衛隊で最も長く使われたアメリカ戦車となっています。
第4位 61式戦車
引用:ja.wikipedia.org
61式戦車は、戦後の日本が初めて作り上げた国産戦車で、戦後第1位世代に分類される戦車です。
読み方は、「ろくじゅういちしき」ではなく「ろくいちしき」で、これは旧日本軍の兵器も同じで「九九式」なら「きゅうきゅうしき」のように数字1つ1つを読んでいきます。
この数字はその兵器が制式化された年の下2桁からとられています。
自衛隊では、発足当初アメリカから供与されたアメリカ製の戦車を使用していましたが、これは第二次大戦や朝鮮戦争で使用された中古品であり、さらに外国製のため日本人の体格にあわないなどの欠点がありました。
そこで、1955年(昭和30年)から戦後初となる国産戦車開発となる61式戦車の開発がスタートしました。
重量35tで90㎜砲搭載などの仕様要求のもと、普通科部隊の支援と戦車部隊の主力としての活躍、その両方に使うことのできる万能戦車としての能力が求められていました。
61式戦車は、1959年に試作車両が完成し、1961年4月に制式採用されました。
制式化されたときの名称は、「61式特車」となっていて、のちに61式戦車に改名されました。
61式戦車の性能
引用:ja.wikipedia.org
61式戦車は、全長8.19m、全幅2.95m、重量35t、最大速度45km/hで、乗員は4名となっています。
操縦席は、日本の道交法にあわせて車体の右側になっていましたが、この配置だと乗員4人のうち3人が車体の右側に乗ることになってしまうため、後継の74式戦車からは左側に変更されています。
数少ない戦車を効率的に使用するため、鉄道による高速輸送が重視され、61式の車幅や重量は鉄道輸送が行えることを基準に決定されています。
主砲は61式52口径90㎜ライフル砲で、アメリカ軍のM36ジャクソン戦車駆逐車の主砲をもとに開発が行われたものです。
主砲弾は、HE(榴弾)、HEAT-T(曳光対戦車榴弾)、HVAP-T(曳光対戦車徹甲弾)、APC-T(曳光被帽徹甲弾)、WP(発煙弾)などを装備し、製造は日本製鋼所が請け負っていますが、アメリカ軍との間で共通化が図られていました。
砲塔上にリモコン式の12.7㎜重機関銃M2を、主砲同軸機銃として7.62㎜機銃M1919A4を装備していて、M2機関銃は、戦車の外に身を乗り出して操作を行わなくても砲塔内から電磁式トリガーによって遠隔操作を行うことができました。
61式戦車の砲塔は、お椀を伏せたような形になっていて、避弾径始を備えています。
装甲厚は、車体前面が55㎜で、砲塔前面が110㎜、車体後部が25㎜となっています。
車体より砲塔の装甲が厚くなっているのは、稜線から砲塔だけを出した待ち伏せ攻撃なども視野にしていると考えられ、防衛を任務とする自衛隊の戦車らしい特徴をもっているともいえます。
ただ、61式戦車は重量の上限が鉄道輸送のできる35tと決められており、装甲の重さも含めてこの数値内におさめなければならなかったため、十分に装甲をもたせることができず、防御力は不足気味でした。
61式戦車は、三菱12HM21WT空冷4ストロークV型12気筒ディーゼルエンジンを搭載し、戦後開発の戦車では唯一、車体後部のディーゼルエンジンと前部の変速機をドライブシャフトで接続した前輪駆動方式が採用されています。
このため、車高が高くなったり、その場で動かずに戦車を旋回させる超信地旋回ができないといった特徴をもちます。
61式はそれまでのアメリカ軍から供与されていた戦車と比べて操縦に難があったため、世界一操縦が難しい戦車といわれることもありました。
変速に失敗すると、シフトレバーが跳ね返るため、操縦するとき左手に腕時計をつけていると時計が壊れてしまうので右手につけかえたり、なかにはこれで骨折してしまった人もいるといわれます。
このように、まだまだ欠点もあった61式戦車ですが、最終的には560両が生産され、全国の戦車部隊に配備されて自衛隊の主力戦車の座につきました。
その後39年間にわたって活躍した61式戦車は、90式戦車への移行に伴って2000年には全車が退役し、現在は総数が陸自の駐屯地に展示されているのみです。
61式戦車は、現役時代、ついに一度も実戦を経験することはありませんでした。
第3位 74式戦車
引用:ja.wikipedia.org
74式戦車は、61式戦車の後継として開発された戦後2番目となる国産戦車で、戦後第2世代に分類される戦車です。
読み方は、「ななじゅうよん」ではなく「ななよん」で、自衛隊内ではそのまま「ナナヨン」が愛称として使われています。
74式戦車の開発がスタートしたのは、1964年からとされていますが、次期戦車の必要性については61式戦車の制式化前から認識されており、エンジンの試作などが行われていました。
と、いうのも61式戦車には主力戦車としてまだまだ不十分な点があり、74式戦車は世界各国で採用されている、どのような戦場にも対応できるオールラウンダー戦車である汎用戦車(MBT:Main Battle Tank)として、世界水準の戦車として誕生しました。
74式戦車は主砲として105㎜砲を搭載することや、重量38t以下などの要求に基づき、1968年から試作が開始され、1974年9月5日に制式採用されました。
74式戦車の性能① 機動力
引用:rikuzi-chousadan.com
74式戦車は全長9.41m、全備重量約38t、全幅3.18m、乗員は4名です。
車体前面の左側に操縦手が、砲塔右側に砲手、左側に装填手、砲手の後ろに戦車長が搭乗します。
車体は溶接構造になっていて、砲塔のみ鋳造です。
エンジンは、三菱重工業製10ZF-22WT空冷2サイクルV型10気筒ディーゼルエンジンを搭載しており、最高速度は約53㎞/hです。
このエンジンは、もともと日本海軍で高速魚雷艇用に開発されていたエンジンを祖先にもっているため、高出力という特徴があり、さらに、ディーゼルエンジンであるため頑丈で発火しにくいという利点も兼ね備えています。
74式は、高い機動力によって対戦車ミサイルからも逃れることができるよう、このエンジンを搭載されました。
74式戦車の大きな特徴となっているのが、油気圧式懸架装置(サスペンション)です。
これは、各転輪の懸架装置の油圧シリンダーの油圧を調整することによって、姿勢制御を行うことができるようになるという機構です。
これによって、74式は車体を上下に上げ下げしたり、前後左右に傾けたりといったことができるようになっています。
これを備えているのは、海外の戦車でもスウェーデンのSタンクや韓国のK-1戦車など一部だけです。
この能力を活かした戦い方として、74式戦車が得意としているのが稜線射撃です。
これは、丘など地面が高くなっている場所の後ろに車体を隠し、サスペンションによる姿勢制御によって車体を傾けて、主砲のみを稜線の向こうからのぞかせて待ち伏せ、やってきた敵を相手からはこちらの姿が見えない状態で砲撃するというものです。
稜線射撃は特に防衛戦において有効な戦い方であり、専守防衛を旨とする自衛隊戦車ならではといえるでしょう。
ただ、油気圧式懸架装置には、構造が複雑になる、メンテナンスが煩雑になる、油漏れが起こりやすいといったデメリットもあります。
74式戦車の性能② 攻撃力
引用:rikuzi-chousadan.com
主砲は51口径105㎜を搭載し、これは74式戦車が登場した頃はまだ冷戦の最中で、西側諸国の戦車はソ連のT-54/55戦車が搭載している100㎜砲に対抗するべく105㎜砲を搭載することがスタンダードとなっていました。
74式が装備しているのは、当時西側の戦車に多く採用されていたイギリス製ロイヤル・オードナンスL7A1ライフル砲を日本製鉄所が独自改良したもので、レーザー測遠機と弾道計算器、砲安定装置、間接照準器などを備えた射撃統制装置(FCS)搭載しており、1500mで80%という優れた命中精度を誇ります。
弾道計算器は初期の頃はアナログ型でしたが、現在は最新の高性能デジタル式へと換装されています。
途中の生産型から砲身に、射撃時の熱によって砲塔がたわむのを防ぐサーマルジャケットが搭載されるようになりました。
砲弾は、APFSDS(93式105㎜装弾筒付翼安定徹甲弾)とHEAT-MP(91式105㎜多目的対戦車榴弾)を搭載しており、徹甲弾を使えば2000mで410㎜ほどの装甲貫徹力があります。
副武装として、砲塔の左側に12.7㎜重機関銃M2を、主砲との同軸機関銃として車載の7.62㎜機関銃を装備しています。
74式戦車は、砲塔の左側に赤外線照射装置が取り付けられており、アクティブ式暗視装置を備えていて、最新型のものではこれが熱線映像装置を備えたパッシブ暗視装置に取り換えられ、夜戦にも対応しています。
現代の戦車は赤外線探知能力が向上しているため、赤外線照射装置は実戦においてあまり使いどころがありませんが、予算の関係でパッシブ暗視装置は74式でも74式戦車改と呼ばれているG型のみの搭載となっており、74式の装備では現代の戦場において夜戦能力が制限されてしまっています。
74式戦車の性能③ 防御力
引用:rikuzi-chousadan.com
74式戦車の装甲厚は一般には非公開になっていますが、前面80㎜、後面25㎜、側面35㎜で、最大装甲厚は防盾の195㎜とされています。
74式戦車は、傾斜走行をもち、装甲の側面を斜めにすることで防御力を向上させるという避弾経始を備えています。
しかし、現代戦車標準装備している高初速徹甲弾であるAPFSDSには避弾経始は効果を発揮せず、自分の主砲と同じ大きさである105㎜砲の砲弾にも貫通されてしまいます。
74式戦車改
引用:rikuzi-chousadan.com
74式戦車改は、1992~93年(平成4~5年)に74式戦車の改良型として開発されたもので、別名74式戦車G型とも呼ばれます。
74式戦車改の登場によって、旧式化が進む74式の延命が期待されていました。
74式戦車改では、パッシブ式暗視装置や発煙弾発射筒と連動したレーザー検知装置の搭載のほか、90式戦車のものと似たサイドスカートの装着可能になり、機動輪にリング状の履帯脱落防止装置が取り付けられるなどの改良が施されました。
これによって74式の性能はさらに向上すると判断されましたが、予算の都合から試作1両と量産車4両が製作されたのみにとどまり、当初の目的であった既に配備されている74式の改修は行われませんでした。
74式戦車の運用
引用:rikuzi-chousadan.com
74式戦車は制式化以来、日本全国の機甲科や偵察部隊に配備され、かつては四国を除くすべての地域に74式をもっている駐屯地があり、まさに陸上自衛隊の主力戦車といえました。
自衛隊のマスコット的戦車として基地のイベントで一般の人に顔見せする機会も多く、1991年の雲仙普賢岳噴火など災害派遣でも活躍しています。
2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発事故では、放射能防護能力をもつドーザー付74式戦車2両が派遣されました。
74式戦車の調達数は873両となっていますが、現在はさすがに旧式化していて、74式改による延命も無理となったため年間40両ほどのペースで退役が進められています。
74式戦車は今でもまだ陸自最古参として頑張っていて、採用から40年以上も現役で活躍し続ける長命な戦車です。
第2位 90式戦車
引用:rikuzi-chousadan.com
90式(きゅうまるしき)戦車は、74式の後継として開発された戦後3代目の国産戦車で、第3世代戦車として平成2年(1990年)に制式化されると自衛隊の主力戦車として活躍しました。
120㎜砲やFCS(射撃統制装置)、自動装填装置、複合装甲など自衛隊戦車初となる様々な特性を備え、61式や74式がまだまだ能力的に不十分な面を抱えていたのに対して、90式は日本が誇る世界レベルの戦車になりました。
90式戦車は、74式戦車の本格的な量産がはじまった1977年からはじめられており、これには当時はまだアメリカとソ連による冷戦の最中であったこと国際情勢も関係していました。
昭和59年(1984年)には試作車が完成し、1990年に制式化されて30両の調達がスタートしました。
90式戦車の性能① 機動力
引用:rikuzi-chousadan.com
90式戦車は全長9.8m、全幅3.4m、重量50tで、自動装填装置を装備したため装填手がいなくなり、乗員は74式から1人少なく3名となりました。
砲塔は溶接構造になっていて、右側に車長、左側に砲手が乗り込みます。
90式戦車の最高速度は約70km/hで、エンジンは、三菱10ZG32WT水冷2サイクルV型10気筒ディーゼル(1500馬力)という第3世代戦車の中でもトップクラスの高出力を発揮できて、かつ構造が簡単で軽量という特徴を備えたエンジンです。
これは、他国の戦車エンジンと比べて、耐久性や加速性能にも優れています。
反面、ディーゼルエンジンには燃費が悪い、騒音が大きいというデメリットもあります。
74式と異なり、90式戦車ではエンジンとトランスミッションはパワーパックとして一体化され、車体後部に搭載されています。
トーションバー式と油気圧式の複合式サスペンションを搭載し、前後に±5度の範囲で姿勢制御を行うことができます。
左右に姿勢制御ができない点は不利と思われますが、これについてはFCSによる弾道計算によって補正することができるとされます。
90式の全備重量は50tで、後継の10式戦車が44tのため日本戦車としては最重量級となっています。
重量が増えたことによって鉄道輸送はできなくなり、自衛隊では74式以降戦車の鉄道輸送用の機材も開発されていません。
90式は戦車の幅も鉄道線路の幅を考慮しないで作られていて、自衛隊では初めから90式戦車を鉄道によって展開するつもりはなかったことがわかります。
90式戦車の性能② 攻撃力
引用:rikuzi-chousadan.com
90式戦車は、自衛隊の戦車として初めて120㎜砲を装備した戦車です。
アメリカのM1A1戦車やドイツのレオポルト2主力戦車にも搭載されていて、西側の第3世代戦車では標準的な砲といえるラインメタル44口径120㎜滑腔砲を日本製綱所がライセンス生産したものを装備しています。
砲弾は、APFSDS(120mm TKG JM33装弾筒付翼安定徹甲弾)およびHEAT-MP (120mm TKG JM12A1対戦車榴弾)を搭載しています。
90式が装備している120㎜砲の薬莢は、焼尽薬莢と呼ばれるもので、発射後に底部を残して燃え尽きるようになっているため、薬莢を捨てる必要がなくなっています。
90式戦車は、自動装填装置を装備しているために装填手を乗せず、そのスペース分だけ砲塔を小型化することができ、装填手の疲労も起こらず常に一定の速度で装填が行えます。
自動装填装置はベルトマガジン方式と呼ばれるもので、砲弾は砲塔後部のバスル(張り出し部)からベルトコンベアによって運ばれ、ラマー(装填棒)によって装填されます。
バスルには18発の砲弾を搭載でき、毎分12~15発の速度で装填を行うことができます。
砲弾を満載しているバスルに攻撃を受けると危険な気がしますが、バスル上はブローアウトパネル(破裂板式安全装置)となっていて、被弾した際には爆風が上方に逃げるので戦車内の乗員が保護されるようになっています。
しかし、便利に思える自動装填装置にもデメリットが存在していて、乗員が1人少ない分、整備のときや車外で活動するときに割ける人員が減ってしまったり、誰か1人が負傷するとたった残り2人だけで戦車を動かさなければならなくなるなど一長一短といえます。
砲塔上には12.7㎜重機関銃M2が、同軸機銃として74式車載7.62㎜機関銃を搭載し、乗員向けの携行火器として89式5.56㎜小銃(折り曲げ銃床型)が支給されています。
90式戦車の性能③ FCS(射撃統制装置)
引用:rikuzi-chousadan.com
90式戦車がもつ大きな特徴といえるのが、高性能のFCS(射撃統制装置)で実戦の鉱泉距離における命中率はほぼ100%ともいわれます。
これは、数に勝るソ連戦車に対して少数の戦車でも性能の差によって勝つことを目指したものとされます。
レーザー測遠機や環境センサー、熱線映像装置、デジタル弾道計算機などを搭載し、自分の動きや目標の動き、風や気圧の影響を計算し、一度目標をロックオンすれば自車や相手が移動しても主砲が自動的に追尾して目標を捉え続け、長距離からの初弾でも命中させることができます。
90式戦車は、移動しながら射撃する行進間射撃の能力にも非常に優れ、アメリカのヤキマ演習場で行われたデモンストレーションの際には、3000m以上離れた距離から行進間射撃によって初弾を命中させて米軍関係者の度肝を抜いたという逸話をもっています。
砲塔の左側にある砲手用の照準潜望鏡には、昼光用の光学視察装置と目標を追尾するための熱線映像装置とみられる2つの窓がついています。
赤外線装置を使用することで夜間においても昼間と同じ戦闘力を発揮することが可能です。
目標自動追尾システムや熱線映像で敵を捉える暗視装置などは世界で初めてのもので、90式戦車の射撃統制装置は日本の技術力を結集した世界最高レベルのものでした。
一部車両にはC4Iとして、戦車連隊指揮システム(T-Re-Cs)の端末も装備されています。
90式戦車の性能④ 防御力
引用:www.jiji.com
90式戦車は車体と砲塔の前面に複合装甲を有し、詳細は明らかではありませんが、セラミックやチタニウムなどをサンドイッチしたものと考えられています。
この装甲は、耐弾試験において、250mの距離において120㎜滑腔砲に耐えることができたといわれます。
側面装甲では、砲塔側面で35ミリ機関砲、車体側面で20㎜機関砲の掃射に耐えることができるとされます。
90式戦車は車体の側面にサイドスカートをつけており、これによって、車体上の装甲とあわせて2枚の装甲の間に空間をもたせて被弾のダメージを軽減する空間装甲(スペースド・アーマー)をもつようになっています。
砲塔上部にはレーザー検知器が備わっており、敵の測距用レーザーを感知すると警報が発砲して発煙弾を発射して敵の攻撃から身を守ることができます。
90式戦車の運用
引用:rikuzi-chousadan.com
90式戦車は自衛隊戦車のなかで最もヘビーであるため、有事の際に迅速な展開は難しいと考えられたのか、ソ連による脅威が最も大きかった北海道に集中的に配備されました。
本州で90式戦車が配備されているのは、教育部隊のみです。
しかし、制式化から1年後の1991年にソ連が崩壊したため、冷戦の脅威がなくなり、調達のスピードもダウン。
最終的には2009年までに341両が生産されましたが、当初の予定より調達ペースは落ちてしましました。
そのため、量産によるコスト削減の効果もなくなってしまうことが危惧され、安い外国製戦車を輸入したほうがよかったのではとの声もあがりました。
しかし、最初約11億円だった調達価格は、最終的に約8億円まで減らされ、M1戦車やレオパルト2も輸出価格は1両あたり10億円以上のため、結果的に価格面でも国産戦車を開発した成功だったといえるでしょう。
第1位 10式戦車
引用:ja.wikipedia.org
10式(ひとまるしき)戦車は、2010年に制式化された日本となる4番目の国産戦車で、陸上自衛隊が世界に誇る最新鋭戦車です。
10式戦車は、90式戦車ではなくその1つ前の代の74式戦車を更新するために開発がスタートしたもので、平成20年(2008年)には試作車が一般に公開されました。
試作と生産は三菱重工業が行っています。
10式はこれまでの戦車と少し違い、対戦車戦闘はもちろん、市街地における特殊部隊やゲリラを相手にしたゲリコマ戦にも対応できる能力を備えています。
10式戦車は、全長9.42m、全幅3.24mで、自動装填装置を装備しているため、乗員は90式と同じく車長・砲手・操縦手の3名となっています。
全備重量は44tで、90式戦車や他国の戦車と比較して軽量ですが、輸送時には40tになって73式特大型セミトレーラーや民間の大型トレーラーなどで運ぶことも可能です。
小柄な10式戦車ですが、攻撃や防御、機動においては、90式戦車を越え、他国戦車にも負けない優れた能力をもっています。
10式戦車の性能① 機動力
引用:rikuzi-chousadan.com
10式戦車は、水冷4サイクル8気筒ディーゼルエンジン(1200馬力)を搭載し、最高速度は70km/hと90式と同程度ですが、燃費は向上しています。
トランスミッションは、変速比を最適制御することができる油圧機械式無段階自動変速機(HMT)を搭載していて、これにより、前進も後退も同じ速度で行うことができます。
油気圧式懸架装置によって、油圧を変化させることで上下や前後左右に傾斜することができ、姿勢安定性や不整地での踏破性に優れています。
駐屯地のイベントにおいて、砲身の先にワインを注いだワイングラスを乗せて車体を旋回させ、ワイングラスが落ちない、倒れない、こぼれないという神業をみせています。
10式戦車の性能② 攻撃力
引用:rikuzi-chousadan.com
10式戦車は、日本製綱所による国産の44口径120㎜滑腔砲を装備しています。
砲弾は、APFSDSとHEAT-MPのほか、国産の新型徹甲弾(10式120㎜装弾筒付翼安定徹甲弾)も使用可能です。
この新型徹甲弾は、10式の120㎜砲と並行して開発が行われたもので、10式の120㎜砲はこのために薬室の強度がアップしています。
10式戦車の砲塔には、砲手用の潜望鏡と車長用の潜望鏡があるため、砲手が砲撃しているあいだに車長が次の目標を探し、迅速に次の敵へと攻撃を行うことができます。
10式戦車の砲塔は、将来的に55口径120㎜砲への換装ができるよう設計されています。
副武装としては、砲塔上の車長用ハッチ横に12.7㎜重機関銃M2、主砲同軸機銃として74式7.62㎜機関銃を装備しています。
10式戦車の性能③ C4I・FCS能力
引用:http://www.kjclub.com/jp
10式戦車の大きな特徴といえるのが、陸上自衛隊の戦闘車両で初めて、本格的なC4I機能を搭載していることです。
C4Iとは、Command(指揮)、Control(統制)、 Communication(通信) Computers(コンピュータ) 、Intelligence(情報)の頭文字からきたもので、戦場において戦闘に必要な情報を共有するための通信・情報処理の能力を表す用語です。
これは、M1戦車やフランスのルクレール戦車などにも搭載されているもので、各種のセンサーによって敵味方の位置や敵の識別、味方戦車がどこを狙っているか、どの戦車にどれほどの弾薬が残っているかといった戦闘に必要な膨大な量の情報を味方の10式戦車同士でデータリンクにより共有し、統制のとれた戦闘指揮を可能にしてより効率的な戦い方をすることができるようになっています。
C4I能力をもつ戦車は、第3.5世代戦車と呼ばれることもあります。
さらに、10式戦車には、優れたFCS(射撃統制装置)も備わっており、目標の自動追尾システムで走行中でも目標を逃さず高い命中率を誇ります。
10式はデモンストレーションで、移動する標的に対して、後進しながら左右に蛇行しながらのスラローム射撃を行い、目標に対して百発百中の命中率を出して見せ、これには外国の軍事関係者からも驚きの声が上がりました。
さらに、複数の目標を同時に捕捉したり、敵の脅威度を判定してより脅威の高い敵から攻撃することも可能です。
FCSはC4Iとともに砲塔内にあるタッチパネルで行うことができ、モニター上に映し出された攻撃したい目標をタッチするだけで自動的にロックオン・追尾を行ってくれるという簡単操作になっています。
陸自初のIT化車両として、高いFCS・C4Iの能力を備えた10式戦車は、自衛官のあいだで「走るコンピュータ」との異名をつけられているといいます。
10式戦車の性能④ 防御力
引用:rikuzi-chousadan.com
10式戦車の装甲は、炭素繊維とセラミックを組み合わせた複合装甲で、これによって車体の軽量化に成功しています。
車体と砲塔の前面には、取り外しのできるモジュール装甲を装着しており、これは、輸送時に外して車体をより軽量にすることができるため戦略機動性が高くなります。
それだけでなく、被弾しても壊れた装甲だけを好感して迅速に戦闘復帰ができることや、モジュール装甲には低脅威度装甲や付加装甲もあるとされて、これらを使い分けることにより任務にあわせて防御力を変えることができる、といったメリットもあわせもっています。
10式戦車の前面は、くさび型になっていて中空装甲になっているとみられ、履帯側面はサイドスカートで防護されています。
10式戦車の運用
引用:www.mod.go.jp
10式戦車は2019年までに99両が調達され、2020年に12両が調達されて111両となる見込みです。
90式と異なり、北海道や教導隊だけでなく本州の部隊にも配備されています。
しかし、10式戦車の調達スピードは74式戦車の退役のペースよりも遅いため、自衛隊の戦車戦力はだんだんと減少していっています。
陸上自衛隊では、数少ない戦車を有効に使うため、将来的に戦車は北海道と九州のみに配備する予定で、戦車がいなくなる本州には、代わりに装輪式の16式機動戦闘車が配備される予定です。
10式戦車が1両あたり約9.5億円に対して16式は7億円ほどで、価格面でも有利な機動戦闘車は陸自戦闘車両のなかでも存在感を増していて、今後、陸自の主力戦闘車両は戦車ではなく装甲車になっていくとみられます。
まとめ
以上、陸上自衛隊の歴代戦車たちをランキングで紹介してきました。
最初は、外国から与えられた戦車を使っていた自衛隊が、国産の優れた戦車を装備するようになる過程は、日本が戦後復興を終えて経済的に飛躍していく期間でもあります。
やはりというか、一番後になって登場した10式戦車が第1位なのは当たり前のことというべきかもしれません。
戦時中の日本戦車はアメリカ戦車に歯が立ちませんでしたが、今の日本戦車は日本の技術力の結晶であり、間違いなく世界でもトップクラスの戦車だといえます。
近年は予算の関係もあって、諸外国でも比較的安い装甲車を戦車の代用として使うのが一般的になっており、陸自でも戦車の存在感が徐々に薄れてきています。
これは、最近の陸自が力をいれている分野が離島防衛で、北海道の平野のような広い場所での大規模な戦車戦が起こりにくいというのも関係しているかもしれません。
しかし、自衛隊と日本の技術者たちが何世代にもわたって作り上げ、世界トップレベルに導いた国産戦車開発の技術と能力は、これからも日本の安全を守り続けてくれるでしょう。