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関西地方の有名廃墟20選

関西地方は大都市があるほか風光明媚な自然や歴史的な建造物が多く、そういったところへアクセスするために多くの建物が建てられました。

しかしそのすべてが現存するわけではありません。

様々な事情から廃業せざるを得ないものもあるため、関西には今でも廃墟が無数に残されています。

今回はそんな関西の廃墟を紹介していきます。

 

土倉鉱山

引用元:http://touge1000.com/

土倉鉱山は滋賀県長浜市にある鉱山跡です。

1907年に発見され、1910年から銅や硫化鉄、微量の金、銀などが採掘されました。

当初は「奥土倉」と言われる、現在の鉱山跡より2㎞ほど北の地点に坑道を掘っていましたが、冬季に雪害に見舞われるうえ坑道を広げることができなかったため、1940年に現在の地点に移転しています。

1957年には200tもの選鉱場が作られるなど盛んに採掘が行われていましたが、1963年に銅鉱石の輸入が自由化すると国内に海外の安価な銅鉱石が流入することで採算が取れなくなり、1965年に閉山しました。

現在は選鉱所や坑口などの遺構が残されています。

「土倉」という地名は、この地に金属資源が眠っていることを示していると言われます。

滋賀県には「金居原」や「金糞岳」のような、金属資源の存在を示すような地名がほかにもあります。

 

イーゴス108

引用元:http://jinbita.sblo.jp/

滋賀県大津市には、かつて「びわ湖タワー」と言われる展望塔が営業していました。

1965年にドライブインとして開業し、1967年に拡張され、遊園地や宿泊施設、結婚式場などが併設されました。

イーゴス108はそんなびわ湖タワーの新たな目玉として1992年に開設しています。

当時世界一を誇る108mもの高さを誇り、名前は一般公募から「すごーい」を逆さから読んだ「イーゴス108」となりました。

しかし2001年には業績不振でびわ湖タワーが閉園、イーゴス108はその後もメンテナンスを続け、2013年9月には解体されてしまいました。

現在はベトナムのダナンという都市で、「SUN WHEEL」という観覧車になっています。

近年では人気アニメ『けものフレンズ』に出てきたジャパリパークの観覧車のモデルにもなりました。

 

甲賀ファミリーランド

引用元:https://www.pinterest.jp/

甲賀ファミリーランドはかつて滋賀県甲賀郡甲西町(現:滋賀県湖南市)にあった遊園地です。

1970年ごろに開業したと言われ、遊園地やメリーゴーランドなどといった定番のアトラクションに加え、京都市電の車両や消防自動車などが展示されていました。

当時は滋賀県最大の遊園地でしたが、交通の便が悪く、園内の高低差が激しく不便だったためにすぐに入場者数は減少、1985年頃には閉園してしまいました。

閉園後はアトラクションがそのまま残されたために廃墟好きや肝試しで訪れる人が多く、老朽化した施設が危険ということで2008年末までにすべての施設が解体されています。

しかし現在も甲賀ファミリーランドは滋賀県の心霊スポットとして名高く、トイレや観覧車の跡などでは心霊写真が撮影できるなどの噂があるため来訪者は少なくないようです。

 

摺子発電所

引用元:http://sputoyo877.com/

奈良県吉野郡下北山村にある七色ダムのダム湖である七色貯水池には、摺子発電所という発電所が沈んでいます。

摺子発電所は1929年に宇治川電気株式会社(現:関西電力)が建設を開始し、1931年に完成した水力発電所です。

この地域では山で伐採した材木で筏を組んで下流へ流す「北山川の筏下り」が行われており、発電所を作った後も筏下りができるように発電用の水路と筏を流す水路を分けていました。

しかし1964年に池原ダムが完成することで役目を終え、水没しています。

かつてはレンタルボートなどを利用することで間近まで寄ることができましたが、2018年6月の大阪北部地震以来、立ち入りができないようになっているようです。

 

奈良ドリームランド

引用元:http://xn--gdka2erbd0d2c.jp/

日本のディズニーランドと言えば千葉県浦安市にある東京ディズニーランドです。

しかし東京ディズニーランドが開園する20年ほど前にも、ディズニーが開園に携わった遊園地があります。

それが奈良県奈良市にかつて存在した「奈良ドリームランド」です。

奈良ドリームランドを作ったのは「昭和の興行師」として知られる実業家の松尾國三です。

アナハイムにあるディズニーランドに感銘を受け、ウォルト・ディズニーに協力を仰いだ松尾はディズニーランド側から遊園地を経営するノウハウと技術者の派遣を受け、奈良ドリームランドを建設しました。

当初松尾は日本にディズニーランドを作るつもりでウォルト・ディズニーに協力を仰いだのですが、ウォルト・ディズニーは日本人の手で日本独自の遊園地を建設することに協力をしたつもりでした。

このすれ違いによって、ウォルト・ディズニーは日本に対して悪印象を抱いたと言われ、東京ディズニーランドの誘致の障害になったと言われています。

奈良ドリームランドは1961年に開業し、多くの入場者数に恵まれましたが、1983年には東京ディズニーランドが、2001年にはユニバーサルスタジオジャパンが開園したことで入場者数が減少し、2006年に閉園しました。

当時の土地の権利問題が複雑だったため転用も進みませんでしたが、2016年からは解体が進められています。

 

柳本飛行場

引用元:https://www.travel.co.jp/

太平洋戦争中期から後期、戦況が悪化した日本軍は本土決戦を視野に国内の用地を見定め、軍事施設の建設を進めました。

そのうちのひとつが奈良県天理市にある柳本飛行場です。

正式名称を「大和海軍航空隊大和基地」というこの基地は、1942年ごろに海軍によって測量が始められ、1944年ごろに建設が開始されました。

柳本飛行場には4本の滑走路のほか航空機の整備場や居住区のほか、本土決戦時には臨時の大本営としての機能させる構想もあったため天皇の御座所なども作られる予定だったそうです。

しかし1945年の終戦と共に建設が中止され、今は1本のみ完成した滑走路や防空壕、更に飛行場建設の際に白堤神社を移転したことを記念する石碑などが残されています。

 

友ヶ島

引用元:https://www.jalan.net/

友ヶ島は和歌山県の紀淡海峡にある地ノ島、虎島、神島、沖ノ島からなる無人島群の総称です。

行政的には和歌山県和歌山市に属しています。

江戸時代から修験道の修行場として利用されていたほか、明治時代には大阪湾の防備のために要塞が建設され、砲台や防備衛所などが整備されました。

修験道の修行者を除いて一般人の立ち入りは禁じられ、地形図は塗りつぶされてしまいました。

ただ実際に日本の本土が戦火に遭った太平洋戦争では航空戦が主体となり、日本本土も上陸されることはなかったため、ついに友ヶ島の要塞が機能することはありませんでした。

戦後は友ヶ島全体が瀬戸内海国立公園に指定されたために現在まで施設が良好な状態で残されており、観光地として人気です。

和歌山から友ヶ島汽船が出航しており、島内にはハイキングコースが整備されています。

また明治期からの遺構が残る光景は、宮崎駿監督の手がけた国民的なアニメ映画である『天空の城ラピュタ』の光景に似ているとして人気を博しています。

 

飯盛鉱山

引用元:https://sherpers.org/

飯盛鉱山は和歌山県紀ノ川市にある鉱山後です。

1878年に発見され、1919年に古河鉱業が買収、操業を開始しています。

含銅硫化鉄鉱の採掘が行われましたが、1970年に閉山しました。

現在も選鉱所などのコンクリート遺構が残されています。

鉱山跡の坑口からは今も酸性の廃水が流れていますが、鉱山の一部を工場用地として転用するデュプロが中和しています。

 

鷹の巣遊園

引用元:https://ameblo.jp/

和歌山県和歌山市の雑賀崎といえば風光明媚な海岸線や美しい「雑賀崎灯台」などで知られる景勝地です。

そんな雑賀崎の雑賀崎灯台駐車場近くに、鷹の巣遊園があります。

1970年ごろに開園し、名勝や史跡巡り、小道の散策などを楽しむことができました。

現在は草木が生い茂るほか、野犬も出るなど立ち入りが危険な状態です。

ただ雑賀崎周辺には廃墟ではあるが廃業はしていない、という状態の施設も多く、鷹の巣遊園もそのひとつである可能性があります。

立ち入りには注意が必要です。

 

アクアパーク東山

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アクアパーク東山は京都府京都市山科区にあったプール施設です。

ウォータースライダーをいくつも備えた大型のプール施設で、1991年に開業、2007年に閉業しています。

プールが現存しており、ウォータースライダーに蔦が繁茂している様子などを周辺から見ることができます。

現在は土地の所有者である社会福祉法人によって閉鎖されており、立ち入ることはできません。

また駐車場側はデイサービスセンターとして再利用されています。

 

笠置観光ホテル

引用元:http://nibansenji.com/

京都府相良郡笠置町にある笠置観光ホテルは、関西でも有数の心霊スポットとして知られています。

1962年に開業し、周辺の観光施設を訪れる観光客を相手に繁盛していたのですが1980年代に笠置駅から都市部への直通電車がなくなったことなどが原因で観光客が減少し、業績も悪化。

1983年には天然温泉を掘削し、「笠置大光天温泉」という名称でリニューアルしましたが業績は回復しなかったようで、1990年に廃業しています。

廃業後は肝試しのスポットとして多くの人が訪れ、何度も放火されたほか施設全体も老朽化が進んでおり、ひどく荒れています。

また当時のホテルのオーナーが業績不振を苦にして焼身自殺を遂げたという噂が流れており、このオーナーの霊が今もホテルに留まり、怪奇現象を引き起こしていると言われています。

しかしこういった噂は心霊スポットとして有名な廃ホテルではありがちなエピソードで、真偽は不明です。

 

海軍第三火薬廠

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海軍火薬廠とは大日本帝国海軍の兵器に利用される火薬を生産する、海軍直轄の工廠です。

現在の神奈川県平塚市内に設けられ、その後宮城県船岡市と京都府舞鶴市に増設・移転しています。

舞鶴市にある海軍第三火薬廠では爆薬を製造していました。

戦後その跡地は日本板硝子工場や、舞鶴工業高等専門学校の用地、グリーンスポーツセンターなど幅広い用途に転用されていますが、現在も煉瓦造りの建物などが一部に現存しています。

心霊スポットとしても有名で、「ロシア病院」という愛称で呼ばれることもあります。

ロシアも病院もまったく関係がなく、愛称の由来は不明です。

 

愛宕山鉄道

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昭和初期、京都府京都市にある愛宕山ではホテルやスキー場などを建設し、リゾート地として売り出す計画が立てられました。

その一環として嵐山駅と清滝駅を結ぶ鉄道と、清滝駅と愛宕山の山頂をつなぐケーブルカー路線の建設が計画されました。

京阪電気鉄道と京都電燈が合同で出資し、愛宕山鉄道という運営会社を設立し、駅舎も建てています。

1930年にはスキー場などが順次営業を開始しますが、世界恐慌の影響で業績は伸びませんでした。

太平洋戦争に突入すると愛宕山鉄道は不要不急線に指定され、レールを軍需物資として供出したことで廃線となり、今も復旧していません。

現在ではケーブルカー駅の駅舎や線路跡などが遺構として現存しているほか、鉄道跡地は道路として再利用が進められています。

 

ほととぎす旅館

引用元:https://shinreimap.com/

ほととぎす旅館とは大阪府阪南市にかつて存在した山中渓温泉の温泉旅館のひとつです。

阪和電鉄(現:JR西日本阪和線)の山中渓駅が開業した翌年である1931年にほととぎす旅館が開業し、50年代から60年代にかけて阪和館、山中荘、元禄、つるのやなどの温泉旅館が続々と開業しました。

「大阪の奥座敷」と称されるなど多くの人が訪れましたが、70年代以後道路の建設によって立ち退きを余儀なくされるなど、2005年までにすべての旅館が廃業しています。

ほととぎす旅館はまだ旅館の廃墟が残されており、庭園などを見ることができます。

 

一龍旅館

引用元:http://dimensionx.myqnapcloud.com/

一龍旅館は大阪府貝塚市にかつて存在した旅館です。

正式な名称は「国際ホテル一龍」と言います。

水間公園の近くにある池のほとりに、南北二棟が建てられていました。

開業時期、閉業時期は不明ですが、1980年代前半までは営業していたと言われています。

廃業後は大阪でも有名な心霊スポットとなり、2階から女性の霊が覗いていると言われました。

オーナーが一家心中した、火災によって大勢の人が亡くなった、カップルが心中を図ったが彼氏だけ生き残った、などの噂が流れていますが真偽は定かではありません。

2015年から2016年の間に解体され、現在は残っていません。

 

大阪市立少年保養所

引用元:https://bizamurai.com/

大阪市立少年保養所(つくし寮)は大阪府だけでなく日本でも屈指の心霊スポットのひとつです。

1948年に療養をする子どもたちが学業に遅れが出ないよう、大阪市立少年保養所内に付設貝塚学園が設立されました。

1951年に学園が独立、1958年には大阪市立貝塚養護学校と改称します。

その後大阪市立少年保養所は統合を繰り返して、心身に障害を持っていたり、病気を抱える子どもの病院兼教育機関として機能しました。

しかし入所する生徒数の減少などを理由に1992年に少年保養所が閉鎖、2009年には貝塚養護学校も閉鎖しています。

閉鎖後は元々病院だったために多くの死者の霊が怪奇現象を起こしているとして、心霊スポットとして有名になりました。

2014年には解体され、現在は残っていないようです。

 

曾根崎の永久建設中のビル

引用元:http://gorimon.com/

大阪府大阪市北区、俗に「キタ」と言われる繁華街には無数の廃墟ビルが立ち並んでいますが、その中でも特に異彩を放っているのが「曾根崎の永久建設中のビル」、「曾根崎の謎ビル」、「不壊廃墟」などと言われるビルです。

1980年ごろから建設が始まったビルなのですが、一向に完成することがなく、20年以上もコンクリート打ちっぱなしの状態で放置されていました。

隣接する界隈には古い飲み屋街が残っていましたが、2015年ごろに永久建設中のビルと共に揃って解体され、現在は複合商業施設「曽根崎Link City」が建っています。

 

旧バジャージ邸

引用元:https://blog.goo.ne.jp/

兵庫県神戸市は幕末以後、数多くの欧米人が居住していました。

そんな欧米人が生活した欧米様式の住宅は俗に「異人館」と言われています。

特に北野町山本通と言われる地域に多く集まっており、この地域は伝統的建造物保護地域に指定されています。

しかし異人館も現管理運営がきちんとされ、観光客が集まるものばかりではありません。

旧バジャージ邸は大正期に建てられた、イラン総領事の自邸です。

1981年には公開異人館に認定され、伝統的建造物として観光名所のひとつとなったほか、ペルシア風の内装を活かして「ペルシャ美術館」という名前の美術館としても利用されていました。

1995年の阪神淡路大震災で半壊して以後、当時の所有者が修理や解体をすることなく放置したため半壊したまま放置され、観光名所としての役割を果たすことができなくなりました。

神戸市は当時の所有者に対して何らかの対応を取るよう再三求めましたがついに応じなかったため、2004年に伝統的建造物の指定を解除、2012年には公売物件として売却、解体しています。

 

武田尾廃線跡

引用元:https://dejikaji.exblog.jp/

武田尾廃線跡は、かつての福知山線で使われていた武田尾駅から生瀬駅の廃線です。

武田尾駅周辺は地形も急峻な谷になっており、保線作業やトンネルの落石を防ぐための護岸工事も困難な難所でした。

1980年代に路線の複線化・電化を行う際に現在の宝塚駅から三田駅の区間を新たに敷設し、1986年に武田尾駅から生瀬駅までの路線は廃線となりました。

その後は看板などを設置して閉鎖していましたが、ハイキングを目的に訪れる人が後を絶たなかったため、1990年からハイキング中の事故の一切を自己責任とする代わりにハイキングルートとして解禁されました。

武田尾廃線跡は照明のないトンネルや古い鉄橋や枕木などが放置され、安全対策は充分とは言えません。

2008年には実際に転落事故も発生しています。

現在のハイキングルートはある程度整備されていますが、依然注意は必要です。

 

摩耶観光ホテル

引用元:https://www.roomie.jp/

兵庫県神戸市灘区、摩耶山には廃墟愛好家の間で「廃墟の女王」と名高い摩耶観光ホテルがあります。

アールデコ風の美しい外観をしており、今も多くの人が訪れます。

1929年に摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として開業し、当時は外観が軍艦に似ているとして「軍艦ホテル」と言われていました。

太平洋戦争が勃発すると摩耶観光ホテルへ行くための摩耶鋼索鉄道摩耶ケーブル線が不要不急線として運行が停止され、ホテルも営業を休止しています。

摩耶観光ホテルは空襲で大きな被害を受けており、復旧は全面改装の後、1961年のこととなりました。

1974年からは学生のゼミ合宿やサークル合宿などで利用する「摩耶学生センター」として営業を始め、1993年には閉鎖しています。

阪神淡路大震災では倒壊こそ免れたものの大きな被害を受け、周辺は立ち入り禁止となっています。

 

まとめ

今回は関西地方の廃墟を紹介しました。

関西地方は人口も多いうえ、観光地としての人気もあるために多くの旅館などがあるほか、鉱山や軍事施設、廃線などバラエティ豊富な廃墟に恵まれています。

関西地方はアクセスもいいですが、廃墟は不便な場所にあるケースも珍しくないため、もし行きたいと思うのであれば自家用車やレンタカーを利用するようにしてください。

また廃墟は安全が確保されていません。

それどころか立ち入りを禁止されているところも少なくありません。

くれぐれも行くときには自己責任でお願いします。



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