生物 その他雑学

世界の難病・奇病・珍しい病気10選

引用:https://www.medicalnewstoday.com/

私たち人間の多くは、往々にして一生の間に病を患うことを経験します。

発熱や激しい咳を引き起こす風邪、幾千もの白銀の針で刺されるような痛みをもたらす痛風、そして日本人の死亡原因第一位を長年に渡って占めている悪性新生物(ガン)など、枚挙に暇がありません。

しかし、そういった数々の病気の最後尾に、発症が極めて稀な珍しい病気、奇病と呼ばれる病が隠れています。

今回は世界の珍しい病気10選を実際に病気と闘っている人々を通してご紹介します。

 

小人症

引用:https://steemkr.com/

カナダのオンタリオ州に住むケナディ・ブロムリーさんが生まれた時、医師は両親に「彼女は数日ともたずに亡くなってしまうだろう」と告げました。

出生体重は僅か1.13キログラム、身長は18センチメートルしかなく、世界で100人程度しかいない原初小人症を罹患して生まれたからです。

原初小人症を罹患している人々は身長の発達が著しく遅く、骨が薄く脆弱で、脳の発達に障害があることも多く、身長は1メートルを超えないことが殆どです。また、小人症の多くは短命で、脊椎の湾曲や心臓の疾患、動脈瘤のリスクも高くなります。

この病気は遺伝子疾患の一つとされ、両親がその因子を持っていればおよそ4分の1の確率で子供が小人症をもって生まれると言われています。

ケナディが生まれて間もなく、余命幾ばくもないと医師に告げられたケナディさんの両親はすぐに彼女にキリスト教の洗礼を受けさせました。このときはケナディさんの死を予感せずにはいられなかったのです。

ケナディさんの母親であるブリアンヌさんはこの時期のことを振り返り、次のように述べています。

「彼女が生まれてから最初の一ヶ月程は悲嘆に暮れることに費やしました。彼女の死の兆候は私にもまざまざと思い知らされましたし、医師や看護師は専門的な知識や経験から、ケナディが長く生きられないと話していたので、私もそれを信じざるを得なかったのです。

でも、ケナディが生きる強さを日々身に付けていく様子を見て、私たちも彼女の人生を愛に満ちたものにしようと決めたんです。ネガティブな考えを私たちも払いのけようって。そしてケナディを普通に社会に送り出して、無知なコメントや好奇の視線を無視しようと決めたんです」

医師の予測に反してケナディさんは3週間後に初めて自宅に帰ることができました。その後も骨が脆いこと、関節が外れやすいこと等の懸念はありましたが、元気にすくすくと育っていくことになります。小人症罹患者としては異例中の異例でした。

引用:https://www.thesun.co.uk/

ケナディさんは2018年現在、満15歳を迎え、水泳やスケートをこなし、中学校に通うほどに成長しました。学校では多くの友達に恵まれ、

しかし、彼女は依然として薄くて脆い骨や様々な疾患のリスクを抱えており、常にその脅威に直面しています。

ブロムリー夫妻はケナディさんの生涯を、可能な限り幸福と笑顔に満ちたものにしたいと考え、小人症についての理解を周囲に求めつつも一人の立派な女性に育てようと考えているそうです。

 

多毛症

引用:https://www.irishmirror.ie/

メキシコ合衆国サカテカス州出身のエスス・アセベスさんは狼男として知られています。

彼は多毛症と呼ばれ、発症例は僅か50人程度という稀な病気を患っており、この病気の罹患者には本来であれば体毛が発生しない部位におびただしい発毛が見られます。

アセベスさんは生まれつき多毛症の罹患者でしたが、この病気は後天的に発症することもあります。

この病気もまた根本的な治療は見つかってはいませんが、幸いなことに、現代では脱毛の選択肢は豊富にあります。しかし、ワックス脱毛やレーザー脱毛を施したとしても一時的な処置に過ぎず、しばらくすると元通りに体毛が生えてしまい、長期的な成果は得られません。

アセベスさんは自分が他の人と違うことを幼い頃からひどく悩み、なぜ神は自分を特異な存在として創ったのだろうと思い詰めていました。彼の体毛は同年代の少年達に引っ張られ、嘲笑の対象になったのです。

そして13歳の時にサーカスへ狼男として入団し、メキシコ中を廻り、珍しい存在として写真を撮られ続けました。日給は日本円で1000円にも満たず、怪物として働く日々を送る中で彼の自尊心は僅かばかりの日給と引き換えに少しずつ傷を深めていったそうです。

「僕は外を歩くのが好きじゃなかった。外出せざるを得ないときは手で顔を隠しながら歩いたんだ」

多毛症は体毛が一般の人よりも多く生えるというだけで、致死性の病ではありません。しかし、その特異な見た目から、社会的な生きづらさを感じずに生きることは不可能に近かったことでしょう。

アセベスさんは人前に出る仕事にはありつくことは出来ませんでしたし、対人関係にも悩まされました。かろうじて得たサーカスの仕事は彼に適した数少ない仕事であり、選択の余地はなく、怪物のプロフェッショナルとして生きていくしかなかったのです。

それでもサーカスで20年以上働いたことをアセベスさんは後悔していないと言います。

「一人のアーティストとして人々を楽しませて笑わせる――それは立派な仕事さ。お金を稼ぐ為に嫌な目に遭ったとしてもね」

引用:http://www.hotopixs.com/

アセベスさんはサーカスの仕事を辞め、人前に出る仕事を始めました。路上に捨ててあるゴミを再利用するために回収していく仕事です。狼男としての自分を脱ぎ捨て、ありのままの自分で社会に飛び込んでいったのです。

彼は買い物に行くときも、仕事をするときも、手で顔を隠すのをやめるようになりました。

「鬱屈した人生なんてまっぴら御免だよ。僕だって他の人たちと同じように幸せになりたいんだ」

 

色素性乾皮症

引用:http://www.ladbible.com/

マサチューセッツ州に住む9歳の少女、ケイトリン・マッケイブさんは日光を浴びることができません。それ故に、日中は体中を衣服で覆い、紫外線を遮断するヘッドギアを着用して外出しなければならないのです。その姿はさながら宇宙服を着た子供のようです。

彼女の病気は色素性乾皮症、通称XPと呼ばれる、日光による皮膚のダメージを修復できなくなる病気です。

通常、人体が日光に含まれる紫外線に晒されると細胞にダメージを受け、赤く腫れて表皮が剥離するといった日焼けを起こします。しかし、通常の人は紫外線でダメージを受けた部分を修復する能力があり、しばらくすると健常な状態に戻ります。

一方、XP患者はこの修復機能が生まれつき極端に低い為、受けた皮膚のダメージが慢性的に残った状態になり、やがて細胞分裂のエラーであるガン細胞が増殖し、皮膚ガンのリスクが通常の約2000倍にまで跳ね上がってしまうのです。

この病気の発症確率はおよそ25万人に1人と言われ、根本的な治療法はありません。徹底して紫外線を避け、肌に日光が届かないようにしても加齢と共に病気は進行する為、平均寿命は30歳前後です。

引用:https://www.dailymail.co.uk/

ケイトリンさんは外出する度にSPF50の日焼け止めクリームを塗り、保護服と手袋、そして先述のUVカットヘッドギアを着用しなければなりません。もし、それらが無かったらケイトリンさんの肌はわずか90秒で太陽光に焼かれ、表皮や真皮だけでなく脂肪組織まで死滅する程の重度の火傷を負ってしまうのです。

彼女の宇宙服のような格好は周囲の人々の注意を引き付けます。「あの人たち、今日がハロウィンじゃないって知らないのかしら?」といった声を、彼女は日常的に耳にしてきました。

また、ある日ケイトリンさんが父親のロバートさんに連れられてショッピングセンターへ買い物へ行った際、「マイケル・ジャクソンの子供のような服を着せられた小さな女の子を連れている高齢の男性がいた」と911(日本の110番に相当)に通報されるということもありました。

父親のロバートさんは人々にXPという病気の存在や、防護服を着る理由を知ってほしいと述べています。ケイトリンさんは道楽で宇宙服のような恰好をしているわけではなく、普通の暮らしを送る為に好む好まざるに拘わらず体を紫外線から守る必要があるということを。

引用:https://www.dailymail.co.uk/

彼女の家の照明は全てLED照明であり、蛍光灯や電球は一切ありません。一般的に市販されているLED照明は紫外線を蛍光灯の200分の1しか含まない為です。LED照明が灯る夜間にだけ、ケイトリンさんは防護服を脱ぐことができます。

「私は本当に酷い日焼けをしてしまうものだから、私を護ってくれる防護服と手袋、そしてUVカットヘッドギアを持っているの。全身が覆われてしまっていて、もちろん暑いんだけど、それでもやっぱり私を護ってくれるものなのよ。それに、扇風機がついているからへっちゃらよ!」

ケイトリンさんは気丈にもそう話しますが、他の子供たちと同じように外で遊ぶには、やはり日が沈みきった夜間でなければなりません。

また、外出先で防護服を脱ぐにはデジタル紫外線測定器を用いて、紫外線量が規定値を下回るかを確認してからでなければならず、例えば蛍光灯や電球から発せられる紫外線量が多い宿泊先等ではケイトリンさんは防護服を脱ぐことができないのです。

両親はケイトリンさんにテディベアのぬいぐるみを贈りました。そのぬいぐるみは全身を服や手袋で覆われ、防護頭巾を被っています。ケイトリンさんに友達をプレゼントしたのです。

日々、日光を避けなければならない生活を前向きに続けながらも、いつか彼女が太陽の日差しの下で快適に過ごす為の解決策が見つかることを、ケイトリンさんもご両親も心から望んでいます。

 

水アレルギー

引用:https://people.com/

米国ユタ州に住むアレクサンドラ・アレンさんは正式にはアクアジェニック蕁麻疹(じんましん)と呼ばれる、世界で僅か35人程度しか症例がない珍しい病気の一つである水アレルギーの罹患者です。この病気は海洋生物学者となりセイリングボートで世界を駆け巡るという彼女の夢を阻むことになりました。

アレンさんが12歳の時、重度の水アレルギー反応を初めて経験しました。家族と休暇をとってホテルのプールで泳いだ日の夜、肌が赤く腫れ、痒みを伴う激痛に襲われたのです。

彼女はこのことを家族に話しました。家族はプールの水に溶け込んでいる塩素や化学物質の影響を最初に疑ったそうです。もっともな話です。それまでアレンさんは普通に生活してきており、水アレルギーなど誰も考えたことがなかったのですから。

しかし、月日が経つにつれてアレルギー反応は深刻になり、アレンさんはもはや入浴の際にバスタブの水に浸かるどころか、自分の汗や涙ですら痒みや痛み、腫れを起こす原因になってしまうようになりました。もし、長時間雨に打たれるなどすればアナフィラキシーショックによる死亡の可能性すらあるのです。

一度アレルギー反応が起きてしまうと主に肩、腕、背中、胴や首といった上半身に炎症の症状が表れ、24時間は腫れと痛みに襲われ、長いときには一週間に渡って症状が続きます。

その炎症はまず痛みから始まると彼女は述べています。その痛さは紙やすりで擦られ続けるようであり、それがしばらく続いて次第に痒みを伴い、激しい痒みに堪えかねて爪で掻いても逆効果で、いたずらに肌を傷つけ、出血してしまうので耐えるしかないそうです。

引用:https://onedio.com/

幸いなことに、彼女のアレルギー反応は肌に限られている為、水を飲んだり水分を含む食べ物を口にしても内粘膜には何ら影響はありません。

しかし入浴で体を清められるのは週に3回だけの、ごく短時間の冷水シャワーだけです。体温を上げて汗をかくと長時間に渡る水分との接触を誘発する為、基本的に彼女は体温を上げることができません。

幸いなことにユタ州は米国の中でも乾燥した気候ですが、運動をすれば当然のことながら発汗は免れません。よって、アレンさんは室内で空調機器によって温度管理された環境でしかスポーツを楽しむことはできないのです。

引用:https://plus.kapanlagi.com/

彼女を苦しめる水アレルギーは症例が極端に少ないことから研究が殆ど進んでおらず、恐らくアレンさんの闘病は生涯に渡って続くでしょう。しかし、彼女は若者らしい希望を失ってはいません。

「私は自分を幸運な方だと思うんです。他の多くの難病に比べて許容できますし、まだ扱いやすくもありますから」

現在、アレンさんはブログの運営や楽器の演奏、ロッククライミングなどに果敢に挑戦しつつも、海洋生物学者への夢を果たすことを諦めずに勉強を続けているそうです。

 

先天性無痛無汗症

人が感じ得る感覚の中で痛覚はとかく嫌われがちです。

「当たり前じゃないか! 誰だって痛い思いはしたくないだろう。いや、一部には好む人もいるだろうが……。でも大多数の人間は痛いのは大嫌いだね!」

このように思われる人もいるかもしれません。ごもっともです。

しかし、痛みというのは人体への危機が迫った際の大切な信号。痛いという感覚を経験し、学習することで、同類の危機を回避することを学んでいくのです。

引用:https://siouxcityjournal.com/

米国アイオワ州に住むアイザック・ブラウン君は2歳の時に先天性無痛無汗症と診断されました。先天性無痛無汗症も世界的に稀な病気であり、治療法は確立されていません。

この病気は痛覚を感じることができません。例えば高温のアイロンに触れてしまったり、骨折をしてしまったりして、人体に深刻なダメージを及ぼす状況に陥ったとしても、その危機を知覚できない病気なのです。

それに加えて汗をかくこともできません。その為、夏は特製の冷却ベストを身に着け、帽子を常に被っている必要があります。また、体温が上昇してしまうことから水泳を除く殆どのスポーツは控えざるを得ません。

アイザック君はある日、遊具で遊んでいた際に高いところから地面に落下してしまいました。彼は体に違和感を感じはしたものの、全く痛みがなかった為にそのまま遊び続けました。ところが、彼の骨盤は落下の衝撃で割れていたのです。

アイザック君の両親は彼が転倒する度にエックス線検査を受けさせることになりました。また、遊んでいる間は片時も目を離せず、彼に少しでも怪我の疑いがあればすぐに遊びを辞めさせざるを得なくなりました。それはもはや見守るという域を超えて監視そのものだったそうです。

そのような家族の努力も空しく、痛みを知らないことからアイザック君の体は切り傷や火傷が絶えませんでした。

彼は熱いコーヒーに指を浸したまま、叫ぶことも泣くこともなく、顔を強張らせることすらなかったのです。家族は慌てて指をコーヒーから引き抜きましたが、彼の指はすっかり火傷を負ってしまっていました。

両親は堪りかねて医師に対処法を相談しましたが、医師はアイザック君を治療できない旨を告げるだけでした。

唯一、医師が両親にアドバイスできたことは、痛みを感じないアイザック君に痛みという感覚を教え、それを認めさせるということだけだったのです。

引用:https://www.dailymail.co.uk/

アイザック君は両親から痛覚について教わりました。出血は悪いこと、脚を踏まれた際にはくすくす笑わずに「痛い!」と言わなければならないこと、自分が傷を負った可能性がある場合はすぐに周囲に知らせること――

また、汗をかくこともなく、寒さや冷たさも体感できない為に極端な気温を認識できない為、屋外では熱中症や凍傷の危険が付きまといます。

雪の上に裸足で立ってはいけない、夏は屋外に長時間いてはいけない……。同年代の平均的な子供たちが教わる必要もないことまでも彼は教え込まれました。両親の、ただただ普通に生活をして普通に成長してほしい、自分の体を守る為の知識を身に着けてほしいという一心で。

幸い、アイザック君は両親の教えに素直です。同年代の子供たちが外で砂遊びをしますが、彼は室内で大きいとは言い難い箱に入れた砂で遊ぶことを楽んでいます。

引用:https://siouxcityjournal.com/

また、両親も彼の病気との付き合い方を学んでいきました。

母親のキャリーさんは同じ痛みを感じない子を持つ親と交流を深めようと、インターネットで先天性無痛無汗症の子供を持つ家族について検索しました。するとイギリス在住の女性のブログが見つかり、彼女にEメールを送ったのです。

イギリスの女性はキャリーさんに自分が加入している先天性無痛無汗症のFacebookコミュニティを紹介してくれました。そこでは先天性無痛無汗症の子供を持つ世界中の親達が情報交換をしていたのです。

痛みを感じない子供を持つ悩みを抱えているのは決して自分たちだけではないことを知り、先天性無痛無汗症の子を持つ多くの家族と交流し、両親の考えも前向きになりました。

「私は普通の子供の親が普通に子供を見守るのと同じようにすることはありません。例えアイザックがどこを歩いていたとしても、彼のことを考え続けること。それが私達両親がやらなければならないことです」

また、両親は怪我の危険を恐れずにアイザック君に色々な体験をさせるように心掛けています。

アイザック君は4歳にして大空中ブランコに乗り、岩壁を上るクライミングをやり遂げました。そんなアイザック君を、父親のブラウンさんは自慢げに語ります。

「アイザックは命知らずだ。こいつには恐れるものが何もないんだよ!」

 

進行性骨化性線維異形成症

引用:https://www.reddit.com/

映画ターミネーター2でサラ・コナーがシルバーマン医師を襲撃し、彼の腕の骨を折ったときに「215本の骨が人体にあるのよ。その1本くらい!」と発言する有名なシーンを見て人体の骨の数を知った人もいるかもしれません(215本という発言は決して間違いではありませんが、実際には骨の数は個人差があります)。

人間の骨の数は赤ちゃんの頃は300本程あるとされ、成長と共に骨同士がくっついて一つの骨になり、徐々に個数を減らしていくとされています。しかし、徐々に骨が増えていくとしたらどうなるのでしょう?

200万人に一人の割合で発症するといわれ、日本でも厚生労働省により難病に指定されているのが進行性骨化性線維異形成症です。英語名の頭文字をとってFOPとも呼ばれています。

この病気は筋肉が骨に変わっていき、関節を曲げることができなくなるどころか、病気が進行すれば呼吸までもが困難になる恐れがあるという難病です。骨化の進行を抑える治療法は確立されておらず、現在も不治の病とされている上、罹患者の子供は50%の確率で遺伝するとされています。

多くは2歳~3歳の小児期から全身の骨格筋、腱や靭帯等が徐々に骨になってしまい、腕や脚だけでなく、全身の可動部が進行的に減り続けてしまう病気ですが、内部組織が破壊されてしまうことにより、多くの場合、体が動かせなくなるばかりでなく健康リスクも高いとされています。

引用:https://www.insideedition.com/

フィラデルフィア州在住のパトリック・ドーアさんは彼が17歳の時にFOPと診断されました。

彼は現在、肩を含めて両腕がほぼ硬直しており、左腕がやや上がった状態で、同じ姿勢を保たざるを得ません。鼻をつまんだり、耳かきをしたりすることは健常者と同じようにはできないのです。

また、ドーアさんの顎はかなり硬直していて、口を大きく開くことはできません。

しかし、たとえ歯を食いしばった状態でも言葉をある程度発音することは十分に可能です。更に、英語は発音をする際にそれほど大きく口を開く言語ではない為、ドーアさんは非常に明瞭に話すことができます。

彼は口を大きく開けられなくても「会話をするには十分だよ」と言い、それほど不便さを感じていません。それだけでなく、肩や腕の制約を工夫で乗り越えることにしました。

腕が動かせる範囲が限られているのであれば自分の発明で不可動部を補い、可能な限り自分ができることを減らさないようにしたのです。

引用:https://www.youtube.com/

ドーアさんは何かを飲むときは誰かの手を借りることはありません。コップを口元に運ぶことはできませんが、彼は長いストローを用いて誰の手も借りずに自分だけで飲むことができます。

同様に、食事の際にも柄を長くしたフォークやスプーンを手慣れた様子で口に運び、歯ブラシもマジックハンドの要領で固定した棒でブラッシングします。

一見タフに見えるドーアさんですが、発症してからは耐え難い痛みと腫れに悩まされたと言います。ドーアさんの母親は、彼の筋肉や関節が硬い骨になっていく様子を成す術もなく見ることしかできず、家族もまた無力感に苛まれたそうです。

しかし、徐々に体を動かせる範囲が少なくなっていくにもかかわらず、彼は内向きになることはありませんでした。現在ドーアさんは国際FOP協会に所属し、FOP患者の認知と理解を促す為にパネリストとして活動を続けています。

FOPは進行性の病気である為、日を追うごとに彼が動かせる範囲は狭くなっていきます。それでも、彼は治療法の確立と自分の可能性を信じているのです。

「僕は自分が出来ることがあるということで自分に誇りを持てるようになったんだよ」

現在、治療法は未だ確立されていませんが、2006年にアメリカの研究所の発表により、発症に関わる遺伝子が明らかになりました。また、日本でも京都大学の取り組みによりiPS細胞を用いた治療の研究が進んでいます。

いつの日かFOPが不治の病でなくなることを願ってやみません。

 

プロテウス症候群

引用:http://allamma.blogspot.com/

英国ランカシャー州で生まれたマンディー・セラーズさんは別名エレファントマンシンドロームと呼ばれる難病、プロテウス症候群と診断されました。

彼女は生まれながらに異常なほど大きく左右不対象な脚を持っていました。成長するにつれて不整合さと大きさは増していき、2009年の時点で上半身は38キログラムであるのに対し、脚の重さは95キログラムもあると推定されています。

プロテウス症候群はこれまでに120件程しか発症例がなく、2006年にプロテウス症候群と診断されるまでは医師は彼女の病気の原因に対して首をかしげるばかりで、診断すらできない有様でした。

まだ彼女の病気が発覚していなかった1981年、医師は既に肥大化した脚を切断するようにセラーズさんの母親に勧めました。異様なまでに大きな脚は彼女が成長するにつれて更に大きくなる可能性があったのです。

しかし、セラーズさんの母親は「普通に歩くことができるのに、どうして切断しなければならないの?」と、可能な限り我が子に普通の生活を送らせる決意のもと、医師の勧告を拒否します。

引用:https://www.dailystar.co.uk/

セラーズさんはその後、平穏な生活を続け、成長期を終えて大学に通うようになりましたが、その間も脚は更に成長し続けました。

この時点ではセラーズさんは自分の足で歩くことができていました。しかし、止まることを知らない脚の成長に不安を感じないわけにはいかず、脚の成長を止めるには切断するしかないと周囲に言われることも珍しくはありませんでした。

2003年、彼女が28歳のとき、深部静脈血栓症により下半身が六週間ほど麻痺するという出来事がありました。深部静脈血栓症とは、足から心臓に繋がる静脈が血栓によって詰まる病気です。

この間にセラーズさんの筋力は衰え、歩行が今までよりも輪をかけて困難になり、リハビリに励まざるを得なくなりました。

その後も感染症や腎臓の障害に悩まされましたが、2010年、彼女はついに左脚を切断せざるを得なくなります。敗血病に罹り、脚を切断しなければ命の危機すらあったのです。

引用:http://bomapeters.blogspot.com/

ロイヤルリヴァプール病院で左足を切断した彼女は他にも多くの病に罹っていたため、半年もの入院を余儀なくされました。

数か月後、病院の医師は彼女の残された左脚が右足よりも太くなっていることに気付きます。彼女の大腿部は失われた部位の成長を補完するかのように更に成長していたのです!

この予想だにしなかった脚の成長について、セラーズさんは後日、当時の心境を次のように述懐しています。

「私の人生は自分自身の体に支配されていた。私はそれに対して無力でしかなかったの。若い頃には立って歩き回れたのに寝たきりになってしまって、その間にも私の脚は成長を続けている。脚が成長を続けるうちに、私の人生が終わってしまうのではないかという考えがいつも私の中にあったのよ」

そんなセラーズさんに一筋の光明が差します。2012年、これまで原因が特定されなかったセラーズさんの病気は遺伝子変異が影響し、発症している可能性があることを医師に告げられたのです。

異様に大きくなり、様々な病を引き起こしていた自分の脚について、自分はおろか医師ですら原因や状態が明確にわかるとは夢にも思っていなかったセラーズさんは興奮を隠しきれず、天にも昇るような歓喜に包まれたそうです。

そして彼女は医師に勧められた薬を試してみることにしました。その薬は劇的な変化をセラーズさんにもたらすことになります。

2年後、セラーズさんの脚は38キログラムも減少し、一時は出来なかった自律的な行動が、かつての若い頃のように出来るようになりました。

引用:http://home.bt.com/

セラーズさんの脚は徐々に小さくなっていき、彼女は人生に対して積極的なりました。

生まれながらにして巨大な脚を持ち、目に見えて異常な大きさになり、様々な病に苦しめられた彼女は現在、旅行やスポーツを楽しんでいます。未来を見つめることに前向きになり、回復が続くことを信じているそうです。

難病を患い、闘病を続けていながら笑顔を絶やさずに希望を持ち続ける彼女。そんなセラーズさんが述べた言葉は明快でした。

「みんなは『あなたが(難病との付き合いを)どうやって上手くやっているのかわからないわ』って言うんだけれど、私は自分に出来ることや自分で感じることを、思いっきり楽しんでいるだけ。私は、そんな私が誇らしくてたまらないの!」

 

新生児早老症様症候群

引用:https://www.lizzievelasquezofficial.com/

アメリカ中南部テキサス州の州都オースティンで暮らすリジー・ベラスケスさんは体脂肪の蓄積を阻害し、体重が増えなくなるという、世界でたったの3人しか発症例がない、非常に稀な先天性疾患を患って生まれました。

彼女は脂肪を体内に蓄積することができず、命を繋ぐために絶えず栄養を補給しなければならない為、外出先であろうと寝室であろうと大量のドーナツやチョコレート、スナック菓子を食べ、一日に成人女性の2倍から3倍のカロリーを摂取しなければなりません。

体脂肪率は0%に極めて近い状態が慢性的に続き、上記のような鯨飲馬食をもってしても絶対に太ることができず、体重が29キログラムを上回ったことはないそうです。

彼女は予定よりも1ヶ月ほど早く生まれ、出生体重はわずか1.2キログラム強しかなく、この疾患による成長の阻害で13歳のときに右目を失明しています。

彼女は世界的に見ても発症例が少ないこの病気についての数少ない証言者です。

ベラスケスさんは自分の病気――とりわけ極度に痩せている容姿が原因で壮絶ないじめにあい、明日目覚めたら普通の女の子になっていますようにと願いながら床につく日々を送ったといいます。

しかし、周囲の好奇の目はベラスケスさんを更に追い詰めました。

ベラスケスさんが17歳のとき、世界で最も醜い女性というタイトルで彼女の動画がYouTubeにアップされてしまったのです。

この10秒にも満たない動画は瞬く間に400万回以上再生されておびただしい数の心無いコメントが書かれ、ベラスケスさんの心を深く傷つけました。中には彼女の自殺を願うような書き込みもあったのです。

しかし、彼女はこの逆境をきっかけにして、反攻に転じます。

傷心を理由に自己憐憫に陥るのではなく、持ち前の明るさとポジティブな感性で、人々に自分の声を届けることにしたのです。

2010年には自費出版で母との書簡形式の自叙伝を出版しただけでなく、なんとかつて彼女を傷つけたYouTubeで、自分の生き様やいじめを受けた経験、それらを惜しげもなく世間に発信するようになりました。

ベラスケスさんはそれだけでなく、自分が受けた経験を通して、オンライン上でいじめに苦しむ人々にアドバイスを送り、励ます活動を始めます。

彼女のハートフルでオプティミズムに満ちた考え方や行動は次第に人々の共感を呼び、アメリカのメディアに取材されるようにもなり、全米で有名な女性の一人になりました。

実際の映像がYouTubeにアップされており、日本語の字幕が添えられています。

飾らず、あるがままに、自分の人生をハンドリングするのは自分自身であると主張する姿には多くの人が心を打たれるのではないでしょうか。彼女の強さには頭が下がるばかりです。

”I want you to leave here, and ask yourself what defines you. But remenber; brave starts here.”

 

致死性家族性不眠症

現代社会は時として不規則な生活を現代人に強い、過剰なストレスをもたらし、800ルクスを超える光で昼夜を問わない活動を求めることがあり、それにより多くの人が不眠症で苦しんでいます。

一方、この致死性家族性不眠症(英語名:Fatal familial insomnia 略称FFI)はどんなに寝付こうとしても眠ることができなくなる究極の不眠症、一言で言えば眠る能力を失う病気です。

多くの生物は睡眠によって脳や身体の疲労を回復させていますが、およそ1000万人に1人の割合で発症するというこの病気に罹ってしまうと、死ぬまで絶対に睡眠をとれないという生き地獄に苛まれることになります。余命は長くて2年程度とされ、今のところ治療法はありません。

引用:https://www.mirror.co.uk/

オーストラリア連邦クイーンズランド州に住む兄ヘイリー・ウェッブさんと妹レイクラン・ウェッブさんは祖母からこの疾患を継承しました。

病名であるFatal(致死的な)Familial(一家遺伝的な)Insomnia(不眠症)をなぞればお分かりの通り、この病気は代々遺伝するものであり、ウェッブさん兄妹の祖母や母もFFIにより亡くなっています。

ウェッブさんは自分の病気について次のように述べています。

「僕はティーンエイジャーの頃から、僕たち家族の呪われた病気の存在について認識していたんだ。僕の祖母はFFIにより亡くなった。祖母は意識障害の兆しがあったし、彼女の視力は失われ、会話もままならなかった。後に祖母はFFIであると診断されたんだ。そのとき、僕たち家族が同じ病気を持っていたのを知ったよ」

また、妹のレイクランさんは同じ病気で亡くなった母の容体を通して、病気について語っています。

「母は不眠による幻覚に悩まされ、発病から半年で亡くなりました。睡眠による回復ができないまま、人生の最後の半年を起きて過ごしていたのです」

FFIが発症すれば体力や意識の明瞭さを回復できないだけでなく、深刻な幻覚症状、譫妄症や偏執病に悩まされ、苛烈極まる苦しみの果ての死を待つことしかできなくなります。これまでの症例から、致死率は100%とされる恐ろしい病なのです。

ヘイリーさんによれば、母親は61歳で、祖母は69歳で、叔母は42歳、ヘイリーさんの兄は20歳でこの病気により亡くなっているそうです。二人はまだ睡眠をとることができますが、いつ発症するかわからない状態に怯える毎日を過ごしています。

引用:https://supercuriosos.com/

いつ発症するとも知れない必然的な病、遺伝性の時限爆弾を前にして、兄妹は手をこまねくのではなく解決策を探る為に行動する道を選びました。

カリフォルニア大学の研究チームは兄妹に協力し、この非常に珍しい病気の治療法を確立する研究を進めています。睡眠障害について研究していたカリフォルニア大学も、FFIという極めて珍しい病気の情報提供者を求めていたのです。

ヘイリーさんはレイクランさんと自分達が若年で発症しないことを心から望みつつ、少しでも情報を得て治療法が発見されることに一縷の望みを託してカリフォルニア大学の研究に希望を託しているそうです。

彼は研究に参加するにあたって心境を語っています。

「FFIは明日発症する可能性だってある。でも、僕は何もしないまま、砂時計の砂が落ちるのを座して待っていたくないんだ。少しでもFFIについての情報が欲しい。そして治療法が見つかることを心から望んでいるよ。それまで、死に物狂いでありたい」

 

超記憶症候群

引用:https://www.alzheimersreadingroom.com/

もしかすると、うっかり物事を忘れてしまった経験をしたことがある多くの人々の中には、この病を超能力の類のように感じ、羨ましく思うかもしれません。

この病気はハイパー(Hyper=過剰な)サイメシア(thymesia=記憶)とも呼ばれ、見聞きしたすべての出来事をつぶさに記憶し、過去の出来事がまるで今その場で起きているかのように思い出せてしまうほど、物事を詳細に記憶してしまうものです。

世界でもわずか数十人しか発症例がない極めて珍しい病気の一つであり、発症した人があまりに少数である為、発症の原因は特定されていません。

一見すると超人的な記憶力を持つという、まるでSF映画に出てきそうなものですが、全ての物事を記憶してしまうということは、言い換えれば忘れることができなくなるのです。

引用:https://lifespeaker.ru/

米国カリフォルニア州ロサンゼルスに住むジル・プライスさんは世界に20人ほどしか罹患していないハイパーサイメシア罹患者の一人であり、世界で最初に超記憶症候群と診断された女性です。

プライスさんは1980年2月5日から現在に至るまでの全てを記憶しています。

まさに1986年5月2日が何曜日で天候はどうだったか、1994年11月3日は昼食に何を食べたか、2005年8月21日にテレビで視聴した番組の出演者は誰だったかといったことを正確に覚えているのです。

プライスさんは自身の著作で自分の記憶について分かりやすく説明してくれています。

「私の記憶は、自分の生涯を撮り続けたホームムービーのようなもので、それが絶え間なく私の頭の中で再生されているんです。私の記憶を追体験する方法があります。子供の頃から自分のビデオを作って、毎日自分の周りのことを記録して、それを一枚のDVDにまとめた後、部屋に座ってランダム再生するだけです」

プライスさんは誰かに年号や日時を言われれば特定の記憶を辿ることができ、そうでないときは彼女の言葉通りに記憶がランダム再生されます。決していい思い出でなくても。

恐らく、超記憶症候群に罹っていない人は小学二年生のときに友達にされたいたずらや思春期の失恋、あるいはある時期の悩みや不安を、事実として覚えてはいるものの、当時の胸を抉られるような感情までは、いくら振り返ってみても完全には思い起こせないはずです。

私たちの脳はそういった苦しみや悲しみが記憶に残らないように、記憶を整理して忘れるという能力を持っています。しかし、プライスさんはそういった思い出を忘れることができず、記憶にほだされるストレスと共に人生を歩まねばなりません。

誰にも忘れたい過去や恐ろしい体験、悲劇的な瞬間があり、年を重ねる度に増えていくものです。

プライスさんは毎日、思い出したくない記憶を、鮮やかな明瞭さをもって否応なしに追体験しなければならないのです。

「10年以上前に夫が亡くなったのですが、彼は脳卒中で倒れ、6日間の延命措置の後に亡くなりました。私は今でも、毎日目を覚ましても、まだ同じ場所に居合わせているように感じるんです。ベッドの上の彼はもちろん、病院の匂いまでも――そうなると本当に自分でもどうすればいいのかわからなくなります。逃れることができない瞬間に、私は八方塞がりになるんです」

もし、物事を忘れられないようになったら、失敗を恐れない挑戦に対して積極的になれるでしょうか。また、凄惨な交通事故を目撃する確率は極めて低いのだと思って気軽に外出できるようになるでしょうか。

プライスさんは一日の大半をロサンゼルスの自宅で過ごす中、悲しい思い出がありありと蘇ることで一日に5回~10回は泣いてしまい、心が荒廃してしまうそうです。しかし、プライスさんもまた、自分の病に飲み込まれてしまうことはありませんでした。

引用:https://anomalien.com/

彼女は自分の超記憶症候群のデータが意識障害の人々にとって何かの助けになるのではないかと考え、治療の進歩を願ってカリフォルニア大学の研究者達に協力を申し出ました。

プライスさんは神経生物学の権威であるジェームズ・マッガウ教授に依頼し、自身が何十年も綴ってきた日記と、自分の記憶の参照し、記憶の謎の解明に取り組んでいます。

「他の人とは違う私の記憶は私が望んで持ったものではありません。だって、これは私を苦しめますもの。でも、私ではなく誰かの為の贈り物を私が受け取っているだけなのかもしれない――そう思うんです」

 

まとめ

今回ご紹介した病気を患った人々とその家族は、共通してそれぞれに苦しみを抱きつつも前向きに生きる姿勢を私たちに見せています。

それはきっと、生きる為の一番の強さ。

私たちも生きていく上で何らかの病を患ったり、病気でなくても様々な困難に直面したりするに違いありません。

そんなときこそ、真剣に生きることに向き合っている人々の生き様と言葉に学ぶことがあるのではないでしょうか。



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