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悪魔と契約する方法と悪魔と取引をした7人の人物

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『悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世の全ての国々とその繁栄ぶりを見せて「もし、ひれ伏して私を拝むのなら、これを全て与えよう」と言った』

これはマタイによる福音書4章8~9節の記述です。勿論イエスはこの後、悪魔の提案を拒んでいるのですが、自ら悪魔と取引をして特別な力を得たとされる人物の記録は数多く残っており、その中には芸術家や貴族など歴史に名前を刻んだ人物も存在します。

今回は悪魔と契約する方法と、実際に悪魔と取引をした・魂を売ったとされる7人の人物をご紹介します。

 

悪魔と契約する方法

魔王と人間が契約することができる、ということを初めて世に示したのは1335年にフランスのトゥールズで行われた妖術をめぐる裁判の中でした。この裁判は悪魔との密会であるサバトを取り扱った史上初の裁判でもあり、中世史上も重要な意味を持つとされます。

この裁判に被告として出廷したカトリーヌ・ドヌールは魔女の疑いを掛けられており、不倫相手の羊飼いから魔王との契約を強いられたと証言しました。この裁判の様子を記録した『魔女とその世界』によると、彼女は森の外れの2本の道が出会う場所で行われ、左腕を傷つけて流した血液を教会から盗んだ人骨で起こした火の中に滴らせて魔王ベリトを召喚したといいます。

そして証人となる不倫相手の前でベリトへの忠誠を誓うことで契約を完了して、毎週金曜日にサバトに参加するようになったそうです。悪魔との契約はこのように証人の前で行うか、魔女などの代理人に嘆願書を渡してなされたと考えられています。

また魔術書『大いなる教書』によると、契約はルシフェルやベルゼバブ、アシュタルトといった高位な悪魔と直接行うことはできず、配下の悪魔を通してのみ可能であったとされます。そして悪魔との契約は当初は数年間の奉仕といったような条件でなされたものであっても、最終的には必ず魂もしくは同等の価値を持つものを奪われると考えられていました。

 

悪魔と取引をした人物① ヨハン・ファウスト

ゲーテの代表的な戯曲『ファウスト』のモデルともなったヨハン・ファウスト。フィクションの登場人物と思われがちなファウストですが、15世紀頃にドイツのワイマールで百姓夫婦の間に生まれた実在の人物なんです。作中では悪魔に魂を売り渡した天才として描かれている彼は、実際に知性に恵まれて神学の博士号を取得していたといいます。しかし傲慢で虚栄心の強い性格であったがために暴飲暴食や姦淫にふけり、やがて悪魔学に傾倒していったそうです。

そしてファウストは悪魔メフィストフェレスを森の中の十字路で呼び出し、自らの心に浮かぶありとあらゆる欲望を満たして、精霊の力と体を授けるように要求したといいます。その時、メフィストフェレスが代償として要求したのが以下の3つです。

1.ファウストは一定の年月が経った後に、悪魔の所有物となる。

2.自らの血で、この契約書に同意の署名を行う。

3.キリストへの信仰を捨てて、全ての信者の敵となる。

この条件を飲んだファウストは、それから鍵をかけた書斎にこもって毎日のようにメフィストフェレスを呼び出すようになりました。メフィストフェレスは大抵灰色のローブをまとった修道士のような姿で現れ、極上の食べ物や女を次々とファウストに与えたといいます。またこの世の成り立ちや天国と地獄についてなど、多くの知識をメフィストフェレスに授けられたそうです。

 

ファウストの伝説

錬金術師であり占星術師でもあったファウストは、学者として地位を築いたという記録も残っています。傲慢とされる一方で向上心も非常に強く、神学を修めていながら神よりも医学や知識に重きをおいたことから悪魔に魂を売ったという噂が立ったとも考えられています。

現在でも過ぎた野心を持ち倫理観や道徳観念を失うことを『ファウスト的』と表現するほど、その名や性格が知られるファウストですが、彼に関する伝説も非常に多く存在するためどれが本当なのかというのは分かっていません。ファウストの伝説の中で悪魔に関する記録は、以下のようなものが挙げられます。

契約から8年ほど経ったある時、ファウストはメフィストフェレスにベリアルを呼ぶように頼みました。しかし実際に現れたのは蠅の王とも呼ばれるベルゼバブで、彼を地獄に連れて行ったといいます。異形の生き物や硫黄の臭い、地響き、稲妻、すさまじい熱に満ちた地獄では多くの人が苦しんでおり、その中には良く知られているような王族の顔も見られたそうです。

そして更に8年ほど経つと、彼は悪魔に頼んで世界三大美女の1人であるトロイアのヘレネを呼び出させて一緒に暮らし、後のユストゥス・ファウストゥスという名前の息子をもうけたとされます。ファウストはこの間にもう一度ルシフェルと契約をしており、最初の契約から24年後には自分の魂を完全に捧げるという約束をしていたそうです。

契約の期限が迫ってきたころ、ファウストは自分の最期に怯えるようになり自らの教え子たちには心正しい人生を歩むように熱心に説いたといいます。そして契約の最終日の午前1時、教え子達と宿泊していた宿に恐ろし気な音楽とともにファウストの悲鳴が響き渡り、翌朝には全身が四散したような無残な姿の遺体が発見されました。彼の死後、妻と息子はいなくなり、2度と地上には姿を見せなかったそうです。

この最期については、錬金術の実験が失敗して爆発が起きたのではないかという説もあります。しかしキリスト教における正しい人間の在り方を伝えるための反面教師として、ファウストと悪魔についての話には尾ひれがついていったと考えられているのです。

 

悪魔と取引をした人物② テオフィルス

テオフィルスは538年頃にシチリア北部のアダナの教会で出納係をしていたとされる修道士です。司教の職に就くことを打診されていたのですが、謙虚な性格であった彼はこれを辞退し、代わりに司教となった人物に呪術を使っているという告発をされる等の嫌がらせを受けて失職することとなりました。

失意のテオフィルスは報復のために悪魔崇拝者と関りを持つようになり、やがて十字路で悪魔との契約をしたとされます。サタンと契約したことで自分を苦しめた司教を失職においやり、その後釜につくことになったテオフィルスですが、やがて地獄で永遠に暮らすことへ恐怖を感じ始めたといいます。

彼は聖母マリアに助けを求め、毎日祈りを捧げました。マリアは彼を助けるようにゼウスにとりなし、これにより悪魔との契約は破棄されてテオフィルスは解放されることとなります。救済された後の彼は契約書を燃やし、公衆の前で自分のしたことを告白した後に残りの人生を敬虔かつ平穏に過ごしたされます。

彼の話は大団円に終わる結末のおかげで中世の人々から支持されるようになり、13世紀には吟遊詩人により『テオフィルスの奇跡』という芝居にもなったそうです。

 

悪魔と取引をした人物③ クリストフ・ヘイズマン

クリストフ・ヘイズマンは17世紀のバイエルンに存在した画家です。1677年に魔王との契約をしたと告白しており、死ぬまで悪魔に苦しめられたとされます。1677年の8月29日に異様な痙攣に襲われたヘイズマンは病院ではなく警察に駆け込み、9年前にサタンに魂を売ったことを告白し、保護を願いました。

警察の保護下でヘイズマンは悪魔との取引についてを文章に書き起こしたといいます。彼の残した文書によると、サタンは黒い大型犬を連れた市民の姿で現れ、自分と契約すれば苦しみから救ってやると契約を迫ったそうです。そして契約書にサインをしたその日から、サタンは幾通りものおぞましい姿でヘイズマンの前に現れるようになったといいます。

その姿のひとつが上の絵にあるようなもので、これはヘイズマンの作品です。彼はサタンから地獄の光景も見せられたといいます。このようなことから病んでいったヘイズマンは地元の警察によってマリアツェルの聖堂へと送られ、そこで数日間にも及ぶ悪魔祓いを受けました。

サタンとの契約書は聖母マリアにより破棄され、一度は救済があったものの翌年にまた悪魔に苦しめられているとしてヘイズマンは聖堂を訪れ、再度悪魔祓いを受けます。その後はバイエルンの修道院に入ったものの悪魔の幻覚に悩まされ続け、1700年に亡くなったといいます。

 

フロイトによる見解

後年、マリアツェルで発見されたヘイズマンの悪魔祓いの資料を元に、フロイトは彼の遺した絵を含めて彼の精神状態を分析しました。その内容は1923年に刊行された『イマーゴ』という雑誌に掲載され、論文のタイトルは『17世紀のある悪魔神経症』というものです。この中でフロイトはヘイズマンの悪魔憑きを以下のように分析しています。

1.ヘイズマンの自画像には女性的な表現が見られ、ホモセクシュアルの嗜好を抑圧していたと考えられる。

2.しばしば絵に現れる乳房は、ヘイズマンとサタンの性的な結びつきを示している。

3.ヘイズマンが悪魔と契約した年数である9という数字は、妊娠の夢想を表現する数である。

4.どの絵のサタンにもペニスが描かれている。これはヘイズマンが実の父親に近惣しており、父の子を産む妄想にふけっていたこと、それを嫌悪していたことと関係する。亡き父親を悼むと抑圧された妊娠の夢が復活するため、彼は悪魔に憑りつかれているという神経症を使って、この夢想から身を守る必要があった。

5.ヘイズマンの苦しみとは実の父を亡くしたことに起因する。サタンに身を売ることで、心の平和を買った。

6.結局のところ、サタンとは父親の代わりであった。

 

悪魔と取引をした人物④ ジル・ド・レ

ジル・ド・レは1404年~1440年に存在したフランスの高名な貴族です。王太子シャルルとイングランドがフランスの王位をめぐって争った百年戦争の際には王太子に加勢し、ジャンヌ・ダルクの護衛を任されました。そして何度もジャンヌとともに戦場に出向き、不可能と言われたオルレアンの開放にも尽力したといいます。

このような功績を買われてシャルル7世が即位した際には国王から騎士として最高の名誉である元帥の称号を得るのですが、1431年にジャンヌがイングランドに捕らえられて処刑されて以降はブルターニュの所領に引きこもるようになり、戦場にも一切姿を見せなくなりました。

裕福な貴族の家庭に生まれたため経済的には恵まれていたものの、幼い頃に両親を相次いで亡くすという辛い経験をしているジルにとって、ジャンヌと過ごした時間は特別なものであったと考えられています。ジャンヌを失ったことでジルは彼女を助けてくれなかった神を憎むようになり、次第に黒魔術や錬金術に傾倒していったのです。

元々の親の遺産に加えて1420年には裕福な女性と結婚したこともあり莫大な財産を所持していたジルは、この隠遁生活でも国王をしのぐほど贅沢な暮らしをしていたとされます。しかし数百人の使用人や居城の護衛のために雇った200人の騎士などの給料も支払わなければならなかったため、次第に彼は金策のために領地を切り売りするようになっていきました。

 

悪魔召喚の儀式と生贄

1435年にシャルル7世から直々に領地の売買を禁じられたジルは錬金術師を居城に招くようになり、同時に富を得るために悪魔の召還を試みるようになります。そして悪魔召喚の儀式の生贄として、子供を誘拐して拷問の儀式の末に殺すようになっていったのです。

次第に彼が誘拐事件に関わっているのではないか、錬金術どころではない悪事を行っているのではないかという噂がブルターニュに流れるようになり、遂に1440年9月に逮捕されます。と言ってもこの時に罪状は領土の売買に関するトラブルが原因のもので、子供の誘拐や殺害については逮捕後に明らかになったのです。

教会裁判ではジルに対して47の罪状が数え上げられ、その大半は常軌を逸した残虐性を持つものでした。少年少女に対する性的虐待、瀕死の状態になるまでの首つり、手足の切断、火あぶり、等が彼の罪として挙げられましたが、中でも残酷なのが子供の血を抜き、ゆっくりと死なせる間に強姦したというものや、短剣で子供の目をくり抜いたり、臓器を取り出したりして悪魔に捧げたという行為です。

裁判当初は無実を訴えていたジルでしたが、拷問の末に罪を犯したことだけではなく残虐な行為を楽しんでいたことまで自白したといいます。そして1440年10月に絞殺されたうえで火刑に処され、36歳で生涯を終えました。

 

悪魔と取引をした人物⑤ アントワーヌ・ローズ

アントワーヌ・ローズは“サヴォワの魔女”と呼ばれた女性で、1477年に魔女裁判にかけられ、悪魔ロビネと密会をしていたことを告白して処刑されています。彼女の自白によるとロビネにより与えられた軟膏を棒に塗って、これに跨ると空を飛ぶことができたそうです。

ここからほうきに乗って空を飛ぶという魔女像が生まれたと考えられているのですが、この軟膏はマンドレイクやトロンパンアルカロイド、ヘムロックといったような幻覚作用のあるハーブを使用して作ったもので、空を飛ぶという幻覚を見ていただけなのではないかと現在では考えられています。

幻覚作用のある軟膏の中には生殖器から吸収することでより強い幻覚効果を得られるものもあったため、ローズは本当に浮遊しているような感覚を味わったのではないかとされているのです。

 

悪魔と取引をした人物⑥ ロバート・ジョンソン

ロバート・ジョンソンは1911年生まれのアメリカのミュージシャンで、伝説的なブルース歌手として知られる人物です。特に彼のギターテクニックには亡くなって久しい現在においても、ミュージシャンや作曲家からも多くの称賛の声が寄せられています。そして、その卓越したギターテクニック故に悪魔と取引をしたのではないかと噂された人物なのです。

ロバートは20歳前後の頃、デルタ・ブルースの頂点と言われたミュージシャン、サン・ハウスの演奏を聴き、彼と彼の友人のウィリー・ブラウンからギターに教えてもらうことになります。サン・ハウスによると、ロバートはハーモニカの腕はなかなかのものであったといいます。しかしギターに関しては「犬だって聞きたくない」と評される程度の腕だったといいます。

サン・ハウスは一向にギターの腕が上達しないロバートに対して、ギターを諦めるように促したそうです。しかしロバートは諦めず、その後2年の間酒場や路上で演奏を続けることで着実に演奏の技術を磨いていきました。

1932年にロバートは再びサン・ハウスやウィリー・ブラウンの前に現れると、彼ら2人と観客の前でギターを弾いたのですが、その時には既にサン・ハウスを驚愕させる程のテクニックを身に付けていたといいます。そして僅か2年で、それも独学でここまで卓越した技術を身に付けるのは超常的な力が働いたからに違いない、悪魔と契約したのだと囁かれるようになったのです。

また彼の楽曲の歌詞には悪魔や地獄を連想させるものも少なくありません。このことから1946年にはジャズ評論家ルディ・ブレッシュにより代表曲『Hellhound on My Trail』について悪魔に憑りつかれた人間が歩いていくという解釈を寄せたことが原因で、一層ロバートと悪魔を結び付けて解釈する傾向が強まったのです。

 

クロスロード伝説

1932年以降ミュージシャン仲間からも惜しみない賛辞を寄せられていたロバートですが、その6年後の1938年8月には27歳という若さでこの世を去りました。しかし死因については不明な点が多く、死亡届にも“No Doctor”と書かれているのみだといいます。そこから彼が死に際に四つん這いになって犬のように吠えていた、悪魔に魂を奪われた等と噂されるようになったとされます。

実際には不倫相手の夫に殺されたのではないかとも考えられているロバートの死ですが、この早すぎる死が一層彼を浮世離れした人物と印象付けるようになったのでしょう。

彼はデルタ地域のあるルート61号と49号が交わる地点、クロスロードで悪魔に魂を売ったという伝説も語られるようになりました。この“クロスロード伝説”は今もなお生き続けており、彼のファンや観光客が多く足を運んでいます。

 

悪魔と取引をした人物⑦ アントン・サンダー・ラヴェイ

現代における悪魔崇拝で最も大きな流れを作ったのがアントン・ラヴェイです。ラヴェイは1966年にサンフランシスコに悪魔教会を建て、その類まれなる洞察力とカリスマ性によりメディアからも注目を集め続けました。

1930年4月にシカゴに生まれたラヴェイは子供の頃は音楽を学び、早い時期からオカルトに興味を持っていたといいます。15歳の時にはサンフランシスコバレエ交響楽団でオーボエ奏者になっていた彼は、高校を3年時に中退し、動物の世話係としてサーカスに入りました。

ラヴェイには何故か大型のネコ科動物を手なずける才能があり、これにより彼はあっという間に副調教師になったといいます。後にラヴェイはこのサーカスでライオンを調教している時に内的な魔力と魔術を会得したと話しています。

その後18歳でサーカスを退団した彼はカーニバルに勤め、奇術師の助手の仕事に就きました。また1948年にはマリリン・モンローと出会い、彼女の歌の伴奏をしたといいます。1951年に結婚した後にはサンフランシスコ市立大学で犯罪学を学び、犯罪現場のカメラマンとしてサンフランシスコ市警に3年間在籍しましたが、暴力的な現場を見ることに嫌気がさしたラヴェイは、警察の職も辞してナイトクラブでオルガン奏者の職に就きました。

この頃からオカルトに傾倒するようになり、テンプル騎士団や地獄の火クラブ、アレイスター・クロウリーといったものを扱った資料から見つけ出した儀式を行う魔術サークルを運営するようになっていったのです。このサークルには女優のジェーン・マンガスフィールドや映画製作者のケネス・アンガーなどの著名人も参加していたといいます。

 

悪魔教会

1966年のワルプルギスの夜にラヴェイは頭を剃って悪魔教会の創設を宣言しました。悪魔の崇拝に“教会”という文言を使うことで多くの注目を集めることに成功した彼は、この教会で悪魔的な儀式や洗礼だけではなく、なんと結婚式や葬式まで執り行ったのです。これまでの悪魔崇拝と一線を画すラヴェイの行動を全てのメディアが追うようになり、悪魔教会は大々的に報道されるようになります。

教会はバフォメットと呼ばれる山羊の頭を描いた逆五芒星をシンボルとし、魔術的言語としてエクノ語を儀式で使い、クロウリーが使ったというエクノの鍵を取り入れました。このような点を見るとラヴェイの悪魔教会は中世のサバト等と変わらない印象を受けますが、彼は黒魔術を犯罪行為に行うことを厳しく非難し、儀式に黒ミサを加えないなど一定の道徳観念に基づいて教会は運営されています。

このことはラヴェイの定めた悪魔崇拝の9ヶ条、地上における悪魔崇拝の11のルール、悪魔崇拝の9つの罪にも表れており、教会は国際的に信者を集めることに成功しました。また信者のほとんどは中産階級以上の人々で、一説には最盛期には2万を超える信者がいたとも言われます。

1975年に教会は分裂し、離脱したものは“セト寺院”という別の悪魔崇拝の組織を作り、悪魔教会も秘密結社として再編成されました。この頃からラヴェイは一線を退くようになり隠遁生活に入るようになったといいます。1990年代にはマスコミにも姿を現しましたが、97年の8月に長年患っていた心臓病が原因で他界し、現在教会はピーター・ギルモアが運営しています。

悪魔教会のメンバーは教会の教えの根本となっているサタンの存在を信じているわけではなく、ラヴェイの信奉した原理を守ることに重きを置いているとも言われています。つまり

信者たちにとってはラヴェイこそがサタンなのではないか、とも考えられているのです。

 

まとめ

スコットランドの伝承では、耕作されずに放置され、荒れた土地を悪魔の土地と呼ぶ風習があったといいます。これはキリスト教の権力者によって付けられた呼称で、単に耕しても利益の得られない枯れた土地を放置していただけのことが土地を魔王への捧げものとしていると解釈されたのではないかとも言われています。

悪魔と契約したと言われる人についても同じことが指摘されており、常人には理解できない能力を持った人や、理解できない行動をとる人に対して悪魔と契約したことで特殊な人間になったと噂されるようになったのではないか、というのが現在の主な解釈です。

そのせいかロバート・ジョンソン以外にもブライアン・ジョーンズやジャニス・ジョップリン、カート・コバーンなど特に若くして他界したミュージシャンには、悪魔と契約したのではないか?という噂がつきまとうことがあります。



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