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世界の呪われた場所15選

正体は未だに明らかにされていませんが、「呪い」というものはエピソードに事欠きません。

特に世界には立ち入るだけで怪奇現象の発生するような、呪われた場所が数多くあります。

それらには呪われるに足る逸話が数多くあり、更に実際その後に怪奇現象が多く報告されており、立ち入りが推奨されない場合があります。

今回はそんな世界の呪われた場所・スポットを紹介します。

 

チリンガム城

引用元:https://www.pinterest.jp/

チリンガム城はイギリスの北部、スコットランドとの国境であるノーサンバーランド州のチリンガム村にある城です。

イギリスの指定建造物に登録されており、城の敷地内にある公園には希少種であるチリンガム牛がおよそ90頭生息しています。

元々は12世紀後半に建てられた修道院で、1344年に当時のイングランド国王であったリチャード3世によって城へと改造されました。

チリンガム城は「血塗られた城」、「呪われた城」、「幽霊城」などと言われ、イギリスで最も幽霊の出没する城として有名です。

チリンガム城はかつてイングランドとスコットランドの国境地帯での重要な防衛拠点として機能しており、両国の王位が統一されるまで国境沿いで何度も戦いが繰り広げられました。

改修工事の際に2人の男性の遺体が見つかるなど、当時の凄惨な行いは今も残されています。

そのため当時の戦死者やチリンガム城に投獄・拷問されて死亡した多くの人の幽霊や怪奇現象が未だに目撃されているのです。

中でも特に有名なのが「ブルーボーイ」と言われる幽霊です。

ブルーボーイは真夜中になると表れ、悲鳴やうめき声をあげた後に青い光を放つと言われています。

 

モースハム城

引用元:https://mysterioustrip.com/

オーストリアのザルツブルクに建つモースハム城は、中世ヨーロッパで多くの犠牲者を出した「魔女狩り」が行われたことで知られるスポットです。

元々ローマ帝国時代の城塞のうえに建てられ、1285年頃にザルツブルク司教区によって押収されました。

以後は当時の大司教によって利用され、拡張されました。

モースハム城は1675年から1690年の間魔女裁判に使われ、15年で139人が処刑されています。

魔女狩りというと女性のイメージが強いかもしれませんが、モースハム城では処刑された139人のうち113人が男性と非常に珍しい記録が残っています。

1800年頃には当時のモースハム城の近くで狼男が出没するという噂が流れました。

魔女狩りのときと同様、関係のない男性が処刑されたそうです。

当時の犠牲者が今も幽霊となってモースハム城にさまよっていると言われています。

 

プレジャマ城

引用元:https://www.postojnska-jama.eu/

プレジャマ城はスロベニアでも代表的な観光名所であるポストイナ鍾乳洞に建つ城です。

城名になっている「プレジャマ」とはスロベニア語で「洞窟の前」を意味しており、鍾乳洞の中、崖に埋め込まれるような形で建てられており、難攻不落の城であるほかその外見も幻想的で、観光名所として知られています。

またギネスブックにも「世界最大の洞窟城」として認定されています。

1274年に当時のアクイレイア大司教が建造し、15世紀にリューグのエラスムス(リューグはプレジャマ城のドイツ語名)という騎士が城主を務めました。

リューグのエラスムスは「泥棒男爵」と言われる、不平等な商売などで成り上がった資産家のひとりで、強盗団を組織して当時のスロベニアで収奪に励んでいました。

多くの人がプレジャマ城で拷問・殺害、更には私刑まで流行したと言われています。

リューグのエラスムスは当時のスロベニアを治めていたハプスブルク朝の司令官を殺害したことで包囲され、最後は殺害されてしまいました。

伝説によると部下に裏切られ、砲撃によって生命を落としたと言われています。

その後プレジャマ城は地震で壊れてしまい、再建され現在の姿となりました。

しかし現在もリューグのエラスムスが治めていた時代の亡霊がさまよっていると言われています。

 

アロアタワー

引用元:https://www.nts.org.uk/

アロアタワーはイギリス・スコットランドのクラックマナンシャーにある塔です。

14世紀に建てられ、現在に至るまで大規模な改修をされながらも未だに建築当初、中世の姿を保持した貴重な建造物のひとつで、スコットランドの文化遺産を保護するスコットランドナショナルトラストに管理されています。

この塔は当時の住人であったジョン・アースキンの行いによって、数百年もの間呪われていたと伝えられています。

16世紀、ジョン・アースキンは自身の新しい宮殿を建築するために地元のカンブスケンネ修道院を解体しました。

そのことに修道僧のアボットという人が激怒し、アースキン家に呪いをかけました。

この呪いによってアースキン家の子孫のうち3人が盲目で生まれたと言われています。

アボットの呪いは1820年ごろに、アロアタワーの屋根から苗木が伸びていることから解けたと考えられているようです。

 

コロブラーロ

引用元:https://jp.depositphotos.com/

イタリア南部、バジリカータ州のコムーネのひとつであるコロブラーロはイオニア海を臨む山の斜面にある非常に風光明媚な村です。

しかしこのコロブラーロはヨーロッパで最も呪われた村だと言われています。

イタリア人はこの街の名前を大きな声で言うだけで不幸が訪れると信じているため、コロブラーロの話をするときには「その村」などという表現を使います。

そのためコロブラーロは「名前のない村」と言われています。

この村に呪いをかけたのは、20世紀の2人の男女だと伝えられています。

ひとりはコロブラーロに住んでいたビアジオ・ヴィルジリオという弁護士です。

ビアジオは一度も裁判で負けたことがないと言われるほどの凄腕の弁護士で、ある時自身の主張を強調するために裁判所で「もし私の主張が間違っているというのなら、このシャンデリアが落ちてくるだろう!」と叫んだと言われています。

この発言がきっかけにビアジオの発言はすべてが悪いことが起きる予兆であるという風聞が広まり、やがてコロブラーロそのものの評判が悪くなったと考えられています。

同時期、「ファッティチェーラ」と言われる魔術師を探しに人類学の研究チームがコロブラーロを訪れたのですが、チームのメンバーが事故で急死してしまうことが起きました。

このことからコロブラーロは魔女が潜む村として悪名を馳せるようになりました。

コロブラーロの呪いは現在も語り継がれており、コロブラーロ出身者はしばしば「不幸の運び屋」として忌み嫌われるほか、呪いを嫌ってコロブラーロでスピード違反を起こすドライバーを警察は検挙できません。

 

ガイオラ島

引用元:https://divertlife.com/

イタリア、ナポリのポジリポの海岸の南には2つの岩を岩のアーチでつないだようなきれいな島があります。

それがガイオラ島です。

風光明媚な地に浮かぶこの島ですが、所有者が次々と変死を遂げる「呪われた島」として有名です。

19世紀の終わり、巨大な漁業会社の経営者であったルイジ・ネグリがガイオラ島を購入し、別荘を建設しました。

ルイジの会社がその後破産、ガイオラ島も売却され、持ち主を転々とすることになります。

20世紀はじめ、ガイオラ島を保有したのはスイス人の資産家であったハンス・ブラウンです。

しかしハンスは敷物に包まれた状態で遺体が発見され、ハンスの妻も海で亡くなっていました。

次に保有したオットー・グランバックはガイオラ島で心臓発作を起こして死亡、モーリス・イヴ・サンドは購入直後にスイスから亡命し、ガイオラ島で死亡しました。

その後もドイツの実業家であるカール・ポール・ラングハイム男爵が保有しましたがすぐに会社が破産し、島をフィアットの経営者であるジャンニ・アニェッリに売却します。

するとジャンニの家族も相次いで死亡、続いて島を保有したアメリカ人実業家のジャン・ポール・ゲッティも長男や末子と死別したうえ、孫も犯罪組織に誘拐されるなどの不幸に見舞われました。

ガイオラ島の最後の保有者として知られるジャン・パスクアーレ・グラッポーネは刑務所に入り、妻も自動車事故で死亡しています。

なぜこの島でこんなに不審な死が相次いだのかは定かではありません。

しかし19世紀のはじめ、ルイジが購入する前ガイオラ島は「魔法使い」として知られた隠者に保有されていました。

もしかしたらこの隠者の残した呪いが、所有者を拒んでいるのかもしれません。

現在ガイオラ島はイタリア政府によって管理されていますが、2009年には島の向かい側にある別荘の保有者が死亡するなど呪いはまだ収まっていないようです。

 

チャールズ島

引用元:https://www.novascotia-immobilien.de/

海賊の残した秘宝と聞くとロマンチックな響きがありますが、あのキャプテンキッドが宝物を残したというチャールズ島は3度も呪われたことがあるという呪いの島です。

チャールズ島はアメリカ合衆国コネチカット州のミルフォードにあります。

干潮時には沿岸と砂州でつながるこの小さな島は、3度の呪いによって未だに定住者がいません。

最初の呪いは1639年、当時のコネチカットを治めていたパウグセット族の族長がヨーロッパの開拓者と土地を交換したときのことです。

交換に対して族長の娘が不満に抱き、島を呪ったと伝えられています。

2度目の呪いが、あのウィリアム・キッド(キャプテンキッド)によるものです。

キッドは捕まる前にニューヨークのガーディナーズ島で宝物を埋めたと伝えられていますが、実はその一部をチャールズ島に隠したというのです。

キッドは宝物を埋めたチャールズ島とその隠し場所を記した地図に呪いをかけたと言われています。

3つ目の呪いがかつてのアステカ帝国のグアトモジンという皇帝によるものです。

16世紀、アステカ帝国を征服したコルテスはアステカの宝物を略奪するためにグアトモジンを尋問しましたが、ついにグアトモジンは自らの宝物の隠し場所を明かしませんでした。

1721年、ある船員の一団がグアトモジンの遺したアステカ帝国の宝物を発見し、家に持ち帰りました。

すると一団5人のうち、4人が死亡、残った1人は宝物をチャールズ島へ持っていき、グアトモジンの呪いを島へ移したというのです。

ウィリアム・キッド、そしてグアトモジンの宝物を探す人は後を絶ちませんが、未だに見つかっていないと言われています。

 

ボディ

引用元:https://savingplaces.org/

アメリカ合衆国カリフォルニア州シエラネバダにあるボディは、ゴールドラッシュ当時の賑わいを今に残すゴーストタウンです。

現在はアメリカの国立歴史建造物、カリフォルニア州の州立歴史公園に指定されています。

1859年にW.S.ボディという人が発見した金脈が元に発展し、最盛期には10000人を超える人口を抱えました。

都市名もボディに由来しています。

都市機能も整備されていた反面治安は悪く、殺人事件や銃撃戦、酒場での乱闘騒ぎは日常茶飯事だったと言われています。

そのためローザ・メイという売春婦が懸命に医療活動に従事し、ボディに伝染病が流行したときも多くの人命を救ったという記録が残っています。

20世紀に入ると金が掘りつくされたことで街は一気に衰退、1932年には街の中心部が大火に見舞われ、更に衰退が加速しました。

さてゴーストタウンになった後、ボディは公園となり多くの観光客が訪れるようになりました。

そんな観光客の中にはボディに残された当時の道具などを盗み出してしまう人もいたそうなのですが、そんな盗人たちの身に次々と不幸が降りかかるようになったというのです。

実際に公園の事務所には不幸を訴える手紙が相次いだそうです。

盗難と不幸の因果関係は不明ですが、これも当時のボディの住人たちによる呪いなのかもしれません。

 

ビバリーヒルズバミューダトライアングル

引用元:https://laghosttour.com/

ビバリーヒルズと言えばアメリカ合衆国カリフォルニア州にある高級住宅街です。

ロサンゼルスとウェストハリウッドの間に位置するため、高級スターやセレブなどが数多く暮らしています。

そんなビバリーヒルズにも「ビバリーヒルズバミューダトライアングル」と言われる、呪われた一角があります。

ノースリンデン通りとノースホイッティア通りの間に位置するこの一角で不幸が起き始めたのは、1946年のことです。

「資本主義の権化」とまで称された大富豪ハワード・ヒューズが自分の企業で開発した高速偵察機XF-11の実験飛行中にビバリーヒルズバミューダトライアングルに墜落してしまいました。

幸い、ハワードは一命をとりとめましたが以後この一角では不幸が相次ぐようになります。

翌1947年には「バグジー・シーゲル」として知られた有名なギャングであるベンジャミン・シーゲルが通りの向かいにある家で暗殺されました。

1966年には「ジャン・アンド・ディーン」という男性デュオで活動していたウィリアム・ジャン・ベリーがビバリーヒルズバミューダトライアングルで交通事故に遭い、昏睡状態に陥りました。

皮肉にも、当時ジャン・アンド・ディーンは『デッドマンズ・カーブ』という曲でヒットを記録していました。

2010年にはハリウッドスターの広報担当をしていたロニー・スー・チャスンが自動車を運転中にビバリーヒルズバミューダトライアングルで銃撃され、交通事故を起こして死亡しています。

霊能力者はこの一角によくないもの、負のエネルギーが溜まっていると発言しています。

 

ゴーストランチ

引用元:https://www.flickr.com/

ゴーストランチはアメリカ合衆国ニューメキシコ州にある、21000エーカーにも広がる広大な牧場です。

1800年代にスペインの開拓者であるアルクレタ兄弟によって開拓され、1936年にアメリカの博物学者兼作家のアーサー・パックが購入しました。

そしてパックと親交があった芸術家のジョージア・オキーフが牧場を牧場の一部を購入してアトリエ兼住居としました。

現在はキリスト教の長老派教会が管理し、教育施設として活用しています。

アルクレタ兄弟はゴーストランチに好奇の目が及ばないよう、牧場が悪霊に取り憑かれているという悪評を流しました。

そのため地元の人はこの牧場を「魔女の牧場」と呼んでいました。

現在でも悪霊が出るという噂は残っており、中でも代表的なものとしては現地の神話に登場する、30フィートを超えるガラガラヘビの「ビバロン」です。

ゴーストランチは化石の宝庫であり、大型爬虫類の化石が発掘され、学名にビバロンが冠せられました。

 

カサ・フィゲロア

引用元:https://www.playle.com/

カサ・フィゲロア(フィゲロアの家)という名前の通り、この家は1943年に芸術家のフィデル・フィゲロアが購入しました。

フィゲロアはこの家を改装し、ギャラリーとして一般公開しています。

元々カサ・フィゲロアはカデナ伯爵という貴族がメキシコの先住民族であるトラウィカ族を動員して建設しました。

戦争が起きたときに備えて隠し金庫や秘密の部屋、脱出用の隠し通路などを備えていました。

この家の入居者には不幸が相次いでおきています。

19世紀の終わり、ノナ・バクリサという女性がこの家で強盗に殺されました。

また1910年に起きたメキシコ革命の際には、この家のパニックルームで女性が窒息して亡くなるということもありました。

このような悲劇的な事件が相次いだため、地元では呪われた家、「涙の家」と言われています。

フィデル・フィゲロアの死後、カサ・フィゲロアは閉鎖されましたが、2013年に再び公開されました。

 

豊都鬼城

引用元:https://www.pinterest.jp/

中華人民共和国の豊都県重慶市から170㎞行った先に、豊都鬼城というゴーストタウンがあります。

中国神話や仏教における死後の世界、すなわち幽都や地獄を模した建物や彫刻などが立ち並んでおり、多くの観光客が訪れます。

その歴史はおよそ2000年前、東漢時代にまでさかのぼります。

陰長生と王方平という2人の役人が豊都鬼城を訪れ、道教の教えを実践することで不死を手に入れたと伝えられています。

そのため豊都鬼城は死後の世界を示すシンボルとなり、現在の姿になるように死後の世界を表すような建物などが多く作られました。

またそのような街であるために、死者の霊魂が多く集まっている呪いのスポットであるとも伝えられています。

 

ムンバイの沈黙の塔

引用元:http://anomalyinfo.com/

ゾロアスター教では死者を葬るために猛禽類についばませる「鳥葬」という風習があります。

そして鳥葬をするために、死者を安置する「沈黙の塔(ダフマ)」という円形の塔を建設します。

インドのムンバイには「パールスィー」と言われるゾロアスター教徒が多く、マラバールという丘のうえに沈黙の塔があります。

しか1990年代から2000年にかけてしムンバイでは現在では使用を禁止されている家畜用の医薬品によって、猛禽類の95%が死亡してしまいました。

牛などの家畜に投与された薬が体内に残り、その死肉を食べた猛禽類が薬の作用によって死亡したのです。

そのため死体の分解が著しく遅れてしまいました。

死者は沈黙の塔で腐敗して悪臭を放つだけでなく、その霊魂も沈黙の塔に留まり周辺を呪っています。

ムンバイでは猛禽類の数を回復するためにハゲタカの繁殖や太陽光を用いて死者を分解する装置の設置などが議論されましたが、現状では有効な打開策は見つかっておらず、死者の一部は埋葬を余儀なくされています。

 

花魁淵

花魁淵(おいらん淵)は、山梨県甲州市と北都留郡丹波山村の境にある滝です。

地元では「銚子滝」と言われるほか、正式な名前としては「五十人滝」、あるいは「五十五人滝」と言うようです。

日本でも屈指の心霊スポットとして知られています。

花魁淵と言われる由縁は、戦国時代にまでさかのぼります。

当時甲府一帯を治めていた武田氏は長篠の戦いで敗走し、織田信長、徳川家康、北条氏康の連合軍によって甲州征伐に遭い、風前の灯となっていました。

それに伴い、隠し金山として利用していた黒川金山も閉山を決定します。

その際武田氏は黒川金山の情報が敵方へ流出するのを恐れ、当時鉱山の労働者を相手にしていた遊女55人を滝壷に突き落として殺害したのです。

中には生き延びた遊女もいたそうですが、淵の周辺の住人に「遊女を逃してはいけない」というお触れが出ていたため、住民は遊女を見つけ次第殺害したと言われています。

住人は遊女たちの供養のために「おいらん堂」というお堂を建てました。

しかし理不尽な死を迎えた遊女の魂は浮かばれなかったのか、その後この花魁淵は日本でも有数の心霊スポットとなりました。

花魁淵の周辺は急峻な地形で非常に危険なため、現在では立ち入るための道は危険ですが、このような経緯から立ち入る者は後を絶たず、怪奇現象に見舞われていると言われています。

立ち入る人が滝壷へ吸い寄せられる、女性の声やラップ音が聞こえるなどその例は枚挙に暇がありません。

今後、花魁淵へ立ち入るための旧道を廃道にするための工事が行われる予定です。

 

青木ヶ原樹海

引用元:https://4travel.jp/

富士山の北西部、山梨県富士河口湖町と鳴沢村にかけて広がる広大な森林は「青木ヶ原樹海」と言われる、日本でも有数の自殺の名所です。

キャンプ場や公園などもあり、美しい自然を満喫できるスポットではありますが、一歩分け入ればゴミなどの中に自殺者の遺留品が見つかると言われます。

この青木ヶ原樹海の存在もあり、かつて山梨県は10万人あたりの自殺者数が日本で最も多い都道府県でしたが、現在では未然の声かけを徹底するなどの対策が功を奏し、この不名誉な記録を返上しています。

松本清張の『波の塔』や1993年にベストセラーとなった『完全自殺マニュアル』などでも青木ヶ原樹海は自殺の名所として記述されていますが、なぜ青木ヶ原樹海がそうなってしまったのかは不明です。

「奥へ足を踏み入れると戻れなくなる」、「方位磁針が使えなくなる」など都市伝説もあり、そもそもに自殺志願者を引き付けるような陰鬱なイメージができているのかもしれません。

しかし心霊現象なども報告されており、いわゆる「呪い」とも言うべきものが人を引き付けている可能性も完全に否定することはできないでしょう。

 

まとめ

今回は世界の呪われた場所・スポットを紹介しました。

恐ろしい呪いは人を恐怖させると共に、魅了することもあります。

また古くの人の霊魂や思念が今の人に影響を与えるというのは、その場所の歴史を感じさせます。

今回紹介した場所に興味を持ち、行きたいと考える人もいるかもしれません。

呪いの存在は実証されていませんが、もし今回紹介した呪われた場所に行って何かしらの怪奇現象や不幸に見舞われても、自己責任でお願いします。



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