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【画像】有名な妖怪一覧 32種類(あいうえお順)

妖怪というと水木しげるさんの代表作である『ゲゲゲの鬼太郎』のイメージが強く、その独特なビジュアルやどのように人間に向かってくるのかといった面が印象に残っているという方も多いのではないでしょうか?

もちろんビジュアルも妖怪の非常に魅力的な要素なのですが、何故このようなものが考案されたのか、出典はどこにあるのかといったことも調べてみるとなかなか面白いものがありますよ。

以下に何種類存在するのかも定かではない数多の妖怪の中から、人気の高いものなど32種類をあいうえお順に順番に紹介していきます。

 

あ行の妖怪

あかなめ

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれた妖怪で、『古今百物語評判』には『垢ねぶりのこと』としてあかなめと思われる妖怪の記述があります。

古い屋敷に居住して塵や垢の積もった場所から誕生したというあかなめは、風呂の垢を舐めるので表面がザラザラした長い舌を持ち、水中にも潜れるようにエラ呼吸もできるとされています。

風呂場の汚れをつけたまま歩き回るので、その家の人は病気になりやすいと恐れられていました。

 

小豆あらい

小豆あらいは川や井戸などの水辺で小豆を洗うような音を立てる妖怪で、江戸時代の随筆に頻繁に登場するこの妖怪は『絵本百物語 桃山人夜話』には姿も描かれています。

“絵本百物語 桃山人夜話”によると、かつて越後にあった法華宗の寺に肢体に障碍を持つ小僧がおり、小豆の数を一合でも一升でも言い当てることができる程数を数えることが得意で、和尚はこの小僧を跡取りにと考えていたそうです。しかし和尚に可愛がられていることを妬んだ円海という名の僧に殺されてしまい、井戸に落とされたこの小僧の霊が小豆あらいの元になったというのです。

他にも小豆あらいの物語は日本全国に分布しており、長野県南佐久群では小豆とぎという名称で呼ばれて「小豆とぎやしょか人取って食いやしょか、しょきしょき」という歌も伝承されています。

また民俗学的な解釈によると小豆とは赤飯など慶事の食事に使われる材料であることから、祭りごとに浮かれていると恐ろしいものが現れるという戒めの意味で誕生した存在ではないかと考察されており、柳田国男は夜間に水辺に集まる動物が立てた音を恐れた結果、生み出された存在なのではないかと推察しています。

 

天邪鬼

天邪鬼は他人の心中を察する能力があり、人の意見に逆らい、人や動物の声真似が得意とされる小さな鬼の姿をした妖怪で、昔話や伝承の他、神話や仏教の説法にも登場し仁王像や毘沙門天の像の足元にいる小鬼もこの妖怪とされています。

もとは日本神話の神・天雅彦に仕えたとされる天探女がモデルであったとされ、この女神が後に魔女として扱われるようになって天邪鬼に転化したという説もあります。

山中に住むことから山彦と同一視する地域や山姥と同一視する地域もあり、箱根や伊豆には天邪鬼が富士山を崩そうとして失敗してできたのが伊豆大島であるという伝承も存在するなど、各地で異なる扱いをされているのも、この妖怪の特徴です。

ちなみに水木しげるの描く天野邪気には心臓が2つあり、ひとつは生命を維持するための器官として毛が生えたもの、もうひとつは人の心を見抜いてしまうさとり心臓という天野邪気独自の器官という設定があります。

 

一本だたら

引用:https://http://matthewmeyer.net

奈良県と和歌山県の県境に連なる果無山脈に12月の20日にのみ現れるという妖怪で、果無山の付近ではこの日を“果ての20日”と呼んで厄日としています。

一本足で目が皿のような外見とされ、奈良県吉野郡川村町の伯母ヶ峰にも同名の妖怪についての伝承がありますが、こちらはイノシシの霊が化けた一本足の鬼神として描かれることがあり、外見からは別の妖怪のようにも見受けられますが12月20日にのみ現れるという特徴は同じです。

また和歌山県の西牟婁郡では山に入った河童のことを一本だたらと呼んでおり、このように紀伊半島の山中で語られる妖怪には同じ名称で異なる特徴や外見を持つものが多く見られるとされます。

 

犬神

犬神は中国、四国、九州といった西日本の農村地に伝わる憑き物で、個人の体に憑く場合と代々家系に憑く犬神持ちの2通りが存在します。

犬神に憑かれると様々な病気になり、次第に犬のような声で鳴くようになると言われ、徳島県ではこれに憑りつかれた者は食欲が非常に増し、死ぬと遺体には犬の歯型が浮き上がってくると伝えられています。

また愛知県では犬神持ちの家系のことを犬神筋と呼び、犬神筋の家には家族と同じ数の犬神が存在し、その家の娘が嫁いだ場合は嫁ぎ先にも犬神が付いていき、婚家の人間も犬神持ちになると恐れられていました。

犬神の由来は多数あり、源頼朝が鵺を退治した際にその体が4方に飛び散って犬神になったとする説や弘法大師がイノシシ除けに描いた絵から犬が飛び出して犬神になったという説もあります。

また飢えた犬を頭だけ出して地中に埋め、餓死する寸前に目の前に餌を置いて、食べようと首を伸ばしたところを狙って首を落としこれを祀る、闘犬を行って勝った犬に魚を与えて食べている最中に首を落とし、残った魚を自分が食べるといった方法で犬神憑きになれるといった伝承も存在します。

 

えんえんら

鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれた妖怪です。漢字では煙煙羅と書き、羅とは薄い織物のことを指し、煙がたなびく様子を妖怪に見立てたと考えられています。

煙の妖怪というのは他に例がなく、伝承なども存在しないことから鳥山石燕が捜索した存在であると考えられています。

 

か行の妖怪

がしゃどくろ

佐藤有文の『日本妖怪図鑑』で描かれた妖怪。丑三つ時にガシャガシャと音を立てながら現れる巨大な人食い骸骨で、野垂れ死にした人の躯が集まって10m以上の大きさになったとされています。

江戸時代に活躍した浮世絵師である歌川国芳も『相馬の子内裏』でがしゃどくろと思われる妖怪を描いていますが、その出典などは不明です。

 

河童

鬼や天狗とともに日本3大妖怪のひとつに挙げられる河童は、関東地方の方言“かわっぱ”が語源と考えられる水の妖怪です。

水木しげるが描いたように頭に皿が付いた子供の姿のものが知られていますが、頭に皿がないもの、乳児のような姿のもの、すっぽんのような姿のものと地方により異なる姿を持ちます。

人間の尻子玉を盗むという言い伝えを持ちますが、これは溺死した遺体の腹部が膨れて肛門が開いているのを見た昔の人が河童の仕業であると考えたことによるものとされ、この妖怪は水難事故の恐ろしさの象徴であったとも推測されます。

水への恐怖や水神信仰、民間信仰が絡み合って生まれたと考えられるため、姿だけではなく呼び名も地方によって異なり、誕生した起源も多数持つ妖怪です。

 

キジムナー

引用:https://http://matthewmeyer.net

沖縄に伝わる妖怪であるキジムナーはガジュマルや栴檀といった古木に住む妖精で、全身が毛で覆われた赤子のような姿で描かれることが多いです。

悪戯が好きで赤土を赤飯に見せかけて人に食べさせたりする一方、仲良くなると漁の手伝いをしたり山仕事に付き合ってくれるとも言われています。

また友達になったキジムナーと縁を切るには、この妖怪が嫌うタコや鶏などを投げつける、屁をこく、宿っている木を焼くといった方法も伝わっています。

 

管狐

管狐はイタチとネズミの中間のような小動物で、名前の通り竹筒に入る程の大きさの妖怪です。長野県を中心に言い伝えが残っており個人より家に憑くことが多く、管狐の憑りついた家は“管狐を飼っている”と表現されるように、人間にとってプラスの印象のある妖怪です。

使役することで金品を盗むことができることから管狐を飼っている家は金持ちになると言われており、自分の意志で行動するというより人間の命令に従う性質を持ちます。

元々は山伏が使役したとされ、飼い主が死んだ場合は関東の狐の親分の居住地であったとされる東京都北区の王子近辺に、身を寄せたとされています。

 

くだん

くだんは中国、四国、九州に伝わる牛の体に人間の顔を持つ妖怪です。生まれてすぐに予言をして言い終わると死んでしまうという特徴を持ち、予言の内容は主に災害や疫病など凶事に係わることとされます。

天保7年の大飢饉の年にくだんが現れたという伝承があり、その他に第2次大戦中にも戦後に疫病が流行する、戦争と疫病で日本国民の大半が死ぬ、というくだんの予言が巷で囁かれたと言われています。

 

さ行の妖怪

座敷童

座敷童は岩手県を中心とした東北地方に伝わる妖怪で、3歳~12歳程度の子供の姿をしているとされます。

憑りつかれた家は豊かになるというイメージの強い座敷童ですが、階級があり上位の者は色が白く可愛らしい外見をしているのに対し、下位の者は土間から這い出てきて臼をつくような音を立てるなど気味の悪い特徴を持つといわれます。

下位の座敷童にはかつての日本で行われた“間引き”の影響が強く見られ、生まれてすぐの赤ん坊を土間や臼の下に埋めたことから、それが化けて出たものと考えられているのです。

そしてこの中でも家に害をなさなければ座敷童、家を祟りを起こすと同じ姿でもタタリモッケと呼び名が変わります。

 

七人ミサキ

七人ミサキは高知県を中心とした四国、中国地方に伝わる妖怪です。川や磯、沖合といった水辺に現れ、出会うと高熱を出すとされています。

七人ミサキの正体は溺死者の霊であると言われており、常に7人で行動し生きた人間を1人誘いこんで殺すと1体が成仏し、新しく死んだ者が加わることで人数が維持されます。

この妖怪が生まれた背景には、天正16年に長宗我部元親に切腹を命じられた吉良左進親実と後を追った重臣6名の合計7名が怨霊となったという噂が存在し、高知の吉良左進親実を祀った吉良神社には七人ミサキを鎮めるためものとも言われています。

 

瀬戸大将

引用:https://http://matthewmeyer.net

瀬戸大将は鳥山石燕の『画図百器徒然袋』で描かれた、寄せ集めの瀬戸物の体に瀬戸物の甲冑をまとった姿を持つ妖怪です。

『三国志』の関羽雲長がモデルとされ、同じく陶器である唐津物を曹操孟徳に例えて、瀬戸物の付喪神の瀬戸大将(関羽)が唐津物を打ち取ったという内容の文章が『画図百器徒然袋』には添えられています。

 

た行の妖怪

玉藻前

玉藻前は九尾の狐の別称であり、平安時代には女官に化けて鳥羽天皇に取り入り、安倍泰成に正体を見破られて栃木まで落ち延びたところを武士に成敗され、強力な怨念となって石にとり憑いたという言い伝えを持ちます。

これは中国の『封神演義』等の中国の古典小説をもとに考えられた伝承と考えられており、物語の中では人間をそそのかす悪い妖怪として描かれていますが、時代の流れとともに強力な神通力を持つことから神として祀られるようになりました。

実際に栃木県那須郡には玉藻稲荷神社が、岡山県には玉雲宮が玉藻前を祀る神社として存在し、特に人に憑く狐を最も高位とする岡山県では九尾の狐を招福の神として崇めています。

 

鉄鼠

鉄鼠は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれた大鼠で、平安時代にいた効験あらたかな僧侶・頼豪阿闍梨が死後変化したとされる妖怪です。

鉄鼠は生前に自分が僧として勤めた円城寺と対立していた延暦寺を無数の鼠とともに襲い、これを恐れた延暦寺は頼豪を神として祀ることで怨念を鎮めたとされます。

また鉄鼠は延暦寺を襲った後に下野にまで来襲したとされ、この時に鼠を封じた塚が“来鼠塚”として栃木県小山市に現在も残っています。

 

百々目鬼

百々目鬼は腕にたくさんの目を持つ女の姿をした妖怪で、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』で描かれました。

長い腕で他人の財布などを盗むことを得意とするとされますが、栃木県宇都宮市にも百目鬼(どうめき)という百の目を持つ鬼の伝説が存在し、百々目鬼はこれをモデルとした可能性があると考えられています。

 

な行の妖怪

人魚

現存する文献で初めて人魚の記述が確認できるのは『日本書紀』の中で、推古天皇の時代に大阪の漁師の網に子供のような大きさの人間でも魚でもない奇妙なものがかかったという内容です。

八尾比丘尼のように人魚の肉を食べると不老不死になるという言い伝えもありますが、一方で人魚を殺したり食べたりすると祟られるという説もあり『諸国里人談』には、ある漁師が人魚を殺して食べたために村を自然災害が襲ったという記述もあります。

西洋ではマナティやジュゴンといったカイギュウ類が人魚のモデルと言われていますが、日本の人魚のモデルは深海魚であるリュウグウノツカイではないか、とも言われています。

これは伝承に出てくる人魚が赤い長髪の女性とされることと、リュウグウノツカイの赤く長い奇妙な背びれ、姿を見ることが凶事の前触れとされる人魚と、深海から浅い水域にやってくることが地震の前触れとされるリュウグウノツカイにまつわる噂など類似点が見られることによるものです。

また人魚の肉の味について、美味とするものと不味くて食べられたものではないとするものの2通りが伝わっていることも、リュウグウノツカイは調理方法や鮮度で味が全く異なることに起因するのではないかと考えられています。

 

ぬらりひょん

家人が留守の間に家に上がり込み茶などをすするとされるぬらりひょんは、妖怪の総大将としても知られています。しかし、この妖怪の姿を描いた鳥山石燕の『画図百鬼夜行』を始めとする『化物づくし』『百怪図鑑』などにも外見以外の情報はなく、なぜ妖怪の総大将とされたのかは不明です。

藤沢衛彦が『妖怪画談全集』で『まだ宵の口の灯影にぬらりひょんと訪問する怪物の親玉』と記載したことが、ぬらりひょんを大物として扱うきっかけと考えられていますが、根拠となるような伝承があるわけではないため、石燕らの絵を見て藤沢衛彦がこの妖怪の背景を想像したものと推測されます。

 

猫又

猫又は尻尾が2股に分かれるまで歳を重ねた猫のことで、鎌倉時代から恐れられていた妖怪です。藤原定家の『明月記』にも登場しており、天福元年に南都に猫又が現れて一晩のうちに人間を7,8人食べてしまったとあります。

通常猫又は山中に潜む妖怪とされ民間伝承でも山の中で人間に化けた猫又と行き会う話などが伝わっていることから、富山県の猫又山や福島県の猫魔ヶ岳のように、猫又の伝承から名前が付けられた地名も見られます。

また飼い猫が歳をとって猫又になるという説もあり、死期が近づいた猫は猫又になるために家を離れて山に入っていくという俗信も各地で見られます。

 

のっぺらぼう

のっぺらぼうは顔のパーツが一切ない妖怪で、小泉八雲の『怪談』にも登場します。ある男が目鼻口のない顔の女に出会い、驚いて逃げ込んだ蕎麦屋でその話をしたところ蕎麦屋の主人にも顔のパーツが無かったという話ですが、『怪談』ののっぺらぼうは貉やカワウソ、狐といった獣が化けたものと考えられています。

また『新説百物語』ではのっぺらぼうに腕をつかまれた者の袖に獣毛が付いていたという記載があり、こちらもやはり獣に化かされたというオチです。

一方で正体不明の化け物としてのっぺらぼうを描いている話もあり『曾呂利物語』では、京都市中央区の空き家に顔のない物の怪が出たという話が載っています。

 

は行の妖怪

引用:https://http://matthewmeyer.net

獏は悪夢を食べるという中国由来の幻獣です。中国の『本草綱目』によれば、象の鼻にサイの目、牛の尾、虎の足を持ち、熊のような胴を持つとされています。

中国では獏の毛皮や絵は邪気を払う効果があると伝えられており、それが日本に渡来した際に悪夢を払う、夢を食べる妖怪へと解釈が変わったと考えられています。

江戸時代には1月2日の初夢の前には宝船の絵を枕の下に入れる風習があり、夢見が良いようにとそれに獏という字を添えたり、獏の姿を書き込んだりしたとも言われています。

 

ヒダル神

ヒダル神は主に西日本に伝承される憑き物で、これに憑かれると空腹感を覚えて体の自由を奪われ、そのまま死に至ることもあるとされる餓鬼の類です。

現れる場所は四つ辻や峠の辻、行き倒れた者がある場所など決まっており、変死者などの浮かばれない霊がヒダル神の正体と考えられていますが、山の神や水の神を正体とする地方もあります。

また急激に血糖値が下がった時の感覚がヒダル神に憑りつかれた際の状態と似ているともされ、二酸化炭素中毒でも同様の症状を起こすことから、植物が腐敗した際に発する二酸化炭素がこの妖怪の正体なのではないかとも推測されています。

 

百鬼夜行

百鬼夜行は夜間に様々な異形が列を作って歩くことで、正月と2月子日、3月と4月の午日、5月と6月の巳日、7月と8月の戌日、9月と10月の未日、11月と12月の辰日に出現するとされ、百鬼夜行に行き会うと命を取られると言われているため、これらの日の晩には外出を控えたという話も残っています。

百鬼夜行に行き会った話は『今昔物語集』にも載っており、右大臣藤原良相の息子が鬼の行列に見つかり捕まりかかったものの、服の襟に尊称真言が縫い込んであったため助かったという内容です。

他にも『大鏡』や『拾芥抄』にも百鬼夜行についての記述があり『カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ』と唱えれば、命を取られずに済むとされます。

 

ま行の妖怪

ミズチ

ミズチは古い時代に信仰された蛇の神で『日本書紀』には仁徳天皇の時代の話としてこの妖怪を退治する内容のものが載っています。

ミズチのミズは水を示し、チはイカヅチなどと同様に物の精霊を表す古語と考えられることから、ミズチは水の精霊と考えられ『和漢三才図会』では長さ3m程で鱗を持ち、四つ足で平たい体、頭は小さく細長い頸の周りに輪のように白い模様があるとされています。

また『山海経』には、魚が2600匹集まるとミズチがやってきてその群れを率いるといった記述もあり、他にも水神として日本各地に伝承が存在する妖怪です。

 

ムジナ

ムジナは狐や狸と並んで人を化かすことを得意とする妖怪として、日本各地の伝承や随筆などに登場します。現在はムジナは穴熊の別称とされていますが、地方によっては狸と同一視されていたり狐を意味したりといった錯綜が見られます。

ムジナは『日本書紀』にも登場し、人間に化けたものが歌をうたったという記述が見られ、古くから怪しい生き物として見られていたことがうかがえます。

 

モンジャ

モンジャは青森県西津軽郡、北津軽郡の海岸に現れるとされる怪異です。漢字では亡者と書き、海難者の霊が返ってきたことを指し、モンジャが来たら庭で足を叩くような音を立てて火を焚けといったような伝承も存在します。これは火を焚くとモンジャがあたりに来るためです。

ある年に漁船が沈没して大勢の漁師がなくなり、遺族が浜で火を焚いたところ言い伝え通りにモンジャが集まってきたという話も残っています。

 

や行の妖怪

夜行さん

夜行さんは節分、大晦日、庚申の夜、百鬼夜行の日などに現れるという首のない馬に乗った鬼の怪異です。行き会うと蹴り殺されるとされ、草履を頭にのせてひれ伏していれば助かると言われています。

また首のない馬だけが目撃されることもあり、徳島県の吉野川下流域から香川県東部にかけては首のない馬を夜行さんと呼び、節分の夜に現れるとされています。

 

山姥

山姥は各地の民族資料や伝承、怪談集に登場する山中に住む老婆の妖怪です。山で行き会った人間を食べるという話が広く知られますが、地域によっては民家で糸紡ぎの手伝いをしたり、暮れの市で山姥が支払った銭には福が宿っているといったように福の神のような存在として語られることもあります。

こうした二面性には山神信仰の影響があり、山姥は単なる妖怪ではなく山神或いは山神に仕える存在とも考えられています。

 

ら行の妖怪

雷獣

雷獣は雷とともに天から降りてくると言われる獣型の妖怪で、江戸時代の随筆や各地の民族資料で扱われており、岩手県花巻市にある雄山寺などには雷獣のミイラが保管されています。

各地に伝わる雷獣の特徴には、約60cm程度の体長で子犬や狸のような外見を持ち尻尾が21cm~24cm、鋭い爪を持つという共通点が挙げられます。

 

ろくろ首

ろくろ首は抜け首、飛頭蛮とも呼ばれ、頭部と胴が細長い首でつながっているものもあれば、頭部が独立して動くものも見られます。

日本の文献には江戸時代から多く見られるようになり『太平百物語』『耳嚢』『画図百鬼夜行』と様々な作品で取り上げられてきました。

一般的には女性の姿をしていることが多いですが『蕉斎筆記』には男のろくろ首が登場し、寝ている間に首が抜ける抜け首という病について描かれています。

 

わ行の妖怪

輪入道

輪入道は鳥山石燕の『今昔画図百鬼』に牛車の車輪に男の顔が付いた姿で描かれた妖怪です。これは『諸国百物語』に登場する車輪の中央に人間の顔が付いた片輪車の挿絵がもとになっていると考えられ、共に京都の東洞院通りに現れる怪異とされています。

また鳥山石燕の絵に添えられた文章によると“此所勝母の里”と書かれた呪符を家の戸口に貼ると撃退できるとされていますが、これについての根拠は不明です。

 

まとめ

日本ならではの湿った雰囲気を醸し出す妖怪は、西洋の悪魔などとは異なった魅力があります。

疫病や事故死した遺体、自然災害などをきっかけに生み出されたものも多く、昔の日本人の想像力の豊かさが感じられることからか単に気味の悪い存在ではなく、どことなく親しみのある存在に感じられることも世代を超えて妖怪が高い人気を持つ理由なのでしょう。

紹介したもの以外にも奇妙な背景を持つ妖怪は多数存在しますので、是非お気に入りの妖怪の成り立ちなども調べてみてくださいね。



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