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世界に実在した魔法使い・魔術師10選

魔法使いや魔術師といえば小説や漫画など、フィクション作品の登場人物として人気です。

一方で今日では科学技術も発達し、魔法の存在を心から信じている人はごく少数だろうと思います。

しかし今より科学が発達していなかった時代には、真剣に魔法を研究し、ついに魔法を使えるようになった魔法使い、魔術師も存在していました。

今回はかつて本当に実在した魔法使い、魔術師を紹介します。

 

アレイスター・クロウリ―

引用元:http://takeoichikawa.hatenablog.com/

アレイスター・クロウリーは20世紀にその名を馳せた魔術師で、その行いから「世界で最も邪悪な男」と呼ばれました。

クロウリーはイングランドに生まれ、幼少期はキリスト教分派であるカルヴァン教の敬虔な信者である両親の下で過ごしますが、ケンブリッジ大学へ進学したのちにオカルティズムへ目覚め、魔術結社である「黄金の夜明け団」へ入会します。

「黄金の夜明け団」で首領のマクレガー・メイザースにオカルト知識を教わりますが、内紛によりクロウリーは結社を脱退してしまいます。

その後クロウリーは東洋思想を学ぶべく日本や上海などを訪れつつ、独自に体系化した魔術を記した『法の書』を発表し魔術師としての評判を高めました。

1920年には同じく「テレマ僧院」を開設し、麻薬や性行為を利用した性魔術の儀式に没頭したのですが男性信者が儀式によって感染症に罹り死亡したことでイングランドを追放されてしまいます。

クロウリーは東洋の歴訪中に世界第2位の標高を誇るK2や同じく第3位のカンチェンジュンガの登頂に挑戦するなど奇行が目立っていましたが、タロット愛好者の間で名作と言われるトート・タロットを考案するなどその成果は確かに存在しました。

またクロウリーの生涯は多くの芸術作品に影響を与え、クロウリーをモデルにした楽曲やキャラクターが今日でも多く登場し、フォロワーを自称する人間も数多く存在しています。

 

ニコラ・フラメル

引用元:http://takashi1016.com/

二コラ・フラメルは14世紀フランスに実在した錬金術師です。

フラメルは錬金術に関する本を多く著したと言われているほか、1407年にフラメルがパリに建てた家は現在もパリで最も古い家として残されています。

フラメルの業績は主にフラメルの書いた『象形寓意図の書』に記されています。

『象形寓意図の書』によると、フラメルは偶然手に入れた『アブラハムの書』という秘法書から錬金術の秘法を手にしたと言われています。

ただ、この書はヘブライ語で書かれていたために解読は非常に難航しました。

スペインの大学で知り合ったユダヤ人のカンシュを師と仰ぎ、共に解読を進めましたが、その解読には20年以上の年月がかかったそうです。

『アブラハムの書』の解読に成功したフラメルは、非金属を黄金に変える触媒であり、不老不死をもたらす霊薬である「賢者の石」の錬成に成功しました。

その後フラメルは、水銀から黄金をすることにも成功し、ついには不老不死の体を手に入れたという伝説も残っています。

フラメルは、後のフィクション作品に大きな影響を与えており、世界中で大人気となった『ハリーポッターシリーズ』にも名前が登場しています。

 

ソロモン王

ソロモン王は紀元前1世紀頃のイスラエル王国の第3代国王で、旧約聖書に登場する人物です。

国の経済や制度を発展させ、対外的にも近隣諸国との条約や政略結婚により安定した国土を保つなど、王国の最盛期を築き上げた優れた統治者とされています。

ただ、そのように為政者として有名である反面、魔術師としても多くの伝説を残しています。

特に有名なのは、ソロモンの指輪と呼ばれる魔力を持った指輪の逸話でしょう。

大天使ミカエルから授かったとされるこの指輪には、悪魔を召喚し支配下に置く力があるとされています。

実際神殿建設の際にこの指輪を使い悪魔の王ベルゼブブなど72もの悪魔を召喚し、驚くほどの速さで神殿を建設したと言われています。

国を大きく発展させたソロモン王ですが、その内部には宗教対立や重税による不満が渦巻いており、ソロモンの死後息子のレハブアムの時代にはイスラエル王国は南北に分裂してしまいました。

またそのような不満が、ソロモンが悪魔を使役するという伝説を後の時代まで残していったのかもしれません。

 

ジョン・ディー&エドワード・ケリー

引用元:https://commons.wikimedia.org/

ジョン・ディーはイギリス出身の科学者、哲学者、数学者です。

ディーはヨーロッパを旅した後に、相談役としてイギリスのエリザベス1世に相談役として招かれ、1588年に行われたアルマダの海戦でエリザベス1世に、気象学に基づくアドバイスを送り、嵐に乗じての勝利へ導いたと言われています。

またディーは天使との交感を果たした霊媒師という側面もあり、エリザベス1世のもとで水晶玉を用いた降霊実験で大天使ウリエルと交信を果たし、天使の用いる奇妙な言語を「エノク語」として体系化しました。

1583年からジョン・ディーは、霊媒師であり錬金術師であるエドワード・ケリーと二人でポーランドやボヘミアを旅し、王宮で天使との交信や魔術を披露します。

ただケリーは1595年に、ボヘミア王ルドルフ2世によって投獄されて死亡、ディーはイングランドへ戻り、1608年ごろに死亡しました。

ジョン・ディーの名前は死後、オカルティズムやフィクションなどに広く使われるようになりました。

20世紀の魔術結社「黄金の夜明け団」の提唱した「エノク魔術」は天使がジョン・ディーに伝えた魔術理論を結社が再発見したものであるとされているほか、クトゥルフ神話の世界観を作ったハワード・フィリップス・ラヴクラフトは架空の書物『ネクロノミコン』を英語に訳したのはジョン・ディーであると定めています。

 

ラビ・レーヴ


16世紀プラハのユダヤ教司祭であるラビ・レーヴ、本名イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルは、選挙や税制などの法の改訂や非嫡出子に対する誹謗中傷の根絶のために尽力しました。

しかし、現在彼の名をより有名にしているのは、ゴーレム伝説の主人公としてです。

ちなみにゴーレムとは、ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形のことです。

作った人の命令を忠実に実行しますが、運用上の制約を守らないと、途端に凶暴化するとも言われています。

このラビ・レーヴは、家でゴーレムを作り、家事全般を担当させていると噂されていました。

しかもある日ゴーレム運用の制約をうっかり忘れてしまったためにゴーレムは凶暴化し、プラハの街を破壊して回り軍隊までが出動する騒ぎになってしまいました。

ラビ・レーヴが呪文を唱え、護符を口から取り出すとただの泥人形に戻ったそうです。

 

ピオ神父

20世紀初頭から中頃までカトリックの聖職者として活躍したピオ神父は、南イタリアの貧しい農民の家の4番目の子供として生まれました。

経験なカトリックの家に育ったピオ神父は、自身も聖職者の道を目指すことになります。

司祭となったピオ神父の体には、いつしか聖痕と呼ばれるキリストが磔られた際にできたような傷跡が浮かび上がるようになりました。

また脇腹には、何かが貫通したような傷もでき、実際に出血もあったと言われています。
それ以外にもいくつかの傷が彼の体に残り、それは50年も完治することはなかったといいます。

それ以外にも、後にローマ法王となるヨハネ・パウロ2世の即位を予言したり、祈りを捧げたことにより友人のガンを完治させるなどの軌跡も起こしています。

特に有名な奇跡は、シチリアの盲目の少女に祈りを捧げると、その少女の視力が回復したというものでしょう。

ピオ神父は死後、2002年にヨハネ・パウロ2世によって聖人として列聖されました。

死後40年が経った現在でも、イタリア内外から深い尊敬を集めています。

 

クリスチャン・ローゼンクロイツ

ローゼンクロイツは14世紀から15世紀にかけて、ドイツで活動したとされる魔術師です。

16歳の時にエルサレムにおいて賢者のお告げを受けたことにより魔術を身に着け、それ以来白魔術を用いて多くの人々を治療したと伝えられています。

また、不老不死の実現を目指し人類を苦しみから開放することを目的とした秘密結社『薔薇十字団』の創立者としても知られています。

ローゼンクロイツは106歳まで生きたと伝えられており、またその死の際には「私は120年後に再び現れる」との予言を残したと言われています。

事実、ちょうど120年後に一人の会員によって偶然墓が発見され、そこには永遠に消えることのないランプが輝き、全く腐ることなく完全な形のまま保たれていたそうです。

 

ラ・ヴォワザン

ラ・ヴォワザンは、17世紀のフランス、ルイ14世の統治下で暗躍した黒魔術師です。

彼女は宝石商を営む夫を持ち、豪邸に住むなど表向きは華やかな生活を送っていました。
しかし裏では悪魔崇拝の儀式や黒ミサに精通し、媚薬や毒薬の製造・販売にまで手を染めていたのです。

彼女の顧客となったのは、主に上流階級の貴婦人たちだったといいます。

中には、ルイ14世の寵愛を受けていたモンテスパン侯爵夫人の名前も含まれていたそうです。

ラ・ヴォワザンは黒ミサの儀式の際に子供を生贄に捧げており、彼女の手にかかった子供たちは2000人にも上ると言われています。

また毒薬の製造・販売だけではなく、国外への輸出まで手がけたことから、ついにはパリ警察によって逮捕されることになります。

激しい拷問の末にすべての罪を自白したラ・ヴォワザンは、火刑に処されることとなりました。

彼女は死の間際においても、神と王に対する謝罪だけは、断固として拒否したと伝えられています。

 

安倍晴明


引用元:https://cultural-experience.blogspot.com/

安倍晴明は、日本で最も有名な陰陽師としてよく知られています。

現在の一般的な安倍晴明像は、江戸時代中期に記された『蘆屋道満大内鑑』に記されたものがベースとなっています。

そのほかにも後世では様々な本が安倍晴明伝説を扱っていますが、実は史実上の安倍晴明はあまり記録が残されていません。

安倍晴明はまず出自が明らかではありません。

史書では右大臣安倍御主人の子孫であると伝えられていますが安倍仲麻呂の子孫とする説、安倍益材の子孫であるという説も存在しています。

生地も摂津国阿倍野とする説が有力ですが、奈良県桜井市にある安倍という説も存在します。

安倍晴明は生まれた後、長く記録が存在しませんが、当時陰陽道を世襲していた賀茂氏に陰陽道を教わっていたようです。

40歳のころに天文得業生(陰陽寮に所属し天体の観測をする学生)だった晴明は当時の村上天皇のもとで占いを命じられ、50歳ごろから天文博士に任じられます。

その後は陰陽師として出世を重ね、花山天皇や一条天皇、藤原道長のもとで占いや陰陽道の儀式を行うようになります。

陰陽師として台頭した後には様々な官職を歴任し、最終的に従四位下・播磨守の位へと出世しました。

また平安時代の男性の平均寿命は35歳程度であったと考えられていますが、晴明は85歳まで存命で、しかも亡くなる数か月前まで仕事に励んでいたと記録には残されています。

晴明の死後安倍家は陰陽師としての地位を確立し、晴明伝説が数多く残されることになりました。

その中でも有名なものをいくつかご紹介しましょう。

・晴明は、少将がカラスに糞をかけられたのを見て、少将が他の陰陽師から呪いをかけられているのを見抜きました。一晩中祈祷を行った晴明は、呪いを解いただけでなく、呪い返しによりその陰陽師をしに至らしめたということです。

・藤原道長が可愛がっていた犬が、突然主人の外出を激しく止めようとしたことがありました。それを見た晴明は、道長が呪いをかけられていることを見抜きました。そして紙を鳥の形に切って空に投げると、それは本当の鳥となって飛んで行き、呪いをかけた陰陽師の居所を突き止めたということです。

・大干ばつの年に晴明は、10人の高僧と雨乞いの儀式を行うことになりました。高僧が儀式を始めると、雷が鳴りわずかな雨が降りました。そして次の日、晴明が儀式を始めると、たちまち雷鳴が鳴り響き、大雨が降ったと伝えられています。

 

アイザック・ニュートン


引用元:https://meigen.club/isaac-newton/

アイザック・ニュートンは万有引力の発見によってニュートン力学を確立したほか、微積分法の発見などの偉大な業績を残した科学者として知られています。

しかしそうした科学的な発見をした一方で、ニュートンには錬金術師としての側面もありました。

ニュートンの著書には、「賢者の石」や不死の霊役である「エリクシル」を作ることを目的に錬金術の研究を進めていたことや聖書に記されるソロモン王の宮殿の建築の秘密を解き明かそうとしたと記述があります。

またニュートンが「賢者の石」の材料と言われる「賢者の水銀」を作るための方法を書き写したメモも発見されており、実際に作ることができたかはともかく、ニュートンが「賢者の石」の作成に血道を上げていたことは明らかなようです。

ニュートンが生きていた時代には錬金術の実験の一部は禁止されていたほか、金相場の暴落を防ぐため錬金術そのものに罰則がかけられるなど、錬金術への風当たりは強いものでした。

しかも皮肉なことにニュートン自身が後の現代科学の基礎となる発見をしたために、錬金術の研究はますます下火となっていきます。

1942年にニュートンの錬金術研究書を読み、検討したという経済学者ジョン・メイナード・ケインズは「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言しています。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は歴史上実在したと言われる10人の魔法使い・魔術師をご紹介しました。

科学が進歩した現代においても、魔法や超能力は実在するのか?というテーマは人の興味を惹きつけて離しません。

我々の心の中には、未知のものに対する畏敬の念のようなものがインプットされているのかもしれませんね^^



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