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2000年以上!?歴史上最も長く争った戦争ランキング

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人類の歴史は戦争の歴史だと言って過言ではないほど、これまで数多くの戦争が起きてきました。

現在でも国と国との間で戦争を防ぐ仕組みは導入されていますが、内紛などは後を絶ちません。

そこで今回は史上最も長い戦争をランキング形式で紹介します。

どれほど長期化してしまったのか、どうしてこんなに戦争が長期化してしまったのか。

そこには色々な事情が絡んでいます。

ぜひ最後までご覧ください。

 

10位 第二次世界大戦(約51年)


第二次世界大戦は1939年にナチス・ドイツ軍がポーランドへ侵攻したことがきっかけで勃発した世界規模の戦争です。

日本、ドイツ、イタリアを中心とする枢軸国とアメリカ、イギリス、ソビエト連邦を中心とする連合国がヨーロッパ、アフリカ、太平洋地域で衝突しました。

開戦当初は枢軸国側が版図を大きく広げましたが1942年以後は連合国側が反撃に転じます。

1943年にはイタリアが、1945年にはドイツと日本が降伏し、1945年9月2日、日本が降伏文書にサインすることで大戦は終結しました。

一般的に、第二次世界大戦はこの1939年から1945年までだと認識されています。

しかしドイツは降伏後間もなく東西ドイツに分かれてしまい、第二次世界大戦の敵国だった統一ドイツとの停戦協定を結ぶことができませんでした。

そのため長らく戦争が終結していない扱いとされていました。

もはやドイツの再統一が秒読みとなった1990年、西ドイツと東ドイツがドイツを占領していたアメリカ、フランス、イギリス、ソビエト連邦との間で、停戦協定や講和条約に代えて「ドイツ最終規定条約」と呼ばれる条約を結ぶことで戦争を終結させました。

またこのドイツ最終規定条約、およびその後にポーランドと結んだ領土条約によって再統一ドイツは領土を確定させることとなりました。

 

9位 朝鮮戦争(約68年)


引用元:https://www.cnn.co.jp/
朝鮮戦争は1950年に勃発した戦争です。

第二次世界大戦終結後、日本の統治を脱した朝鮮半島は北緯38度線を境界に分割され北部をソビエト連邦、南部をアメリカ合衆国によって統治されました。

そして1948年にアメリカ領に大韓民国が、ソ連側に朝鮮民主主義人民共和国が建国されたのですが、当時軍事力が優位であった北朝鮮軍が1950年に韓国へ侵攻したことをきっかけに、朝鮮戦争が勃発しました。

開戦当初は中国とソ連の支援を受けた北朝鮮軍が圧倒し、韓国軍を半島南端の釜山にまで追い込みました。

しかし韓国軍もアメリカを筆頭とする国連軍の支援を受け、仁川上陸作戦をきっかけに元の北緯38度線まで戦線を押し返します。

その後は中国も義勇軍を派遣するなど、東西冷戦の代理戦争としての意味合いが強くなりました。

1951年には停戦交渉が開始され、1953年には板門店で中国軍、北朝鮮軍と国連軍が「朝鮮休戦協定」を結び、停戦が成立しました。

しかしあくまで休戦であり、まだ戦争状態は継続しています。

2017年に韓国の大統領に就任した文在寅は「月光政策」と呼ばれる、対北朝鮮融和路線を打ち出しています。

2018年には南北首脳会談を行い、休戦協定を平和協定を転換する方針を盛り込んだ「板門店宣言」を出すなど朝鮮戦争終結へ向けての動向が注目されています。

 

8位 オランダ独立戦争(約80年)


引用元:http://militarywardiplomacy.blogspot.com/
オランダ独立戦争は1568年から1648年にかけて、ネーデルラント諸州が宗主国であるスペインに対して起こした独立戦争です。

休戦も含めると80年も戦争が続いたため、八十年戦争とも呼ばれます。

当時のネーデルラントはハプスブルク家の領土でしたが、ハプスブルク家がオーストリア=ハプスブルク家とスペイン=ハプスブルク家に分離した後は、スペイン=ハプスブルク家の領土となりました。

ネーデルラントは毛織物産業が盛んな土地で、商工業が発展していましたが、利益が本国へ奪われていました。

またネーデルラントは宗教改革以後カルヴァン派が主流でしたがスペインはカトリックが盛んであり、本国から迫害に遭うなど宗教対立も勃発しました。

そのような背景からてゲリラ的な独立運動が展開されていましたが、指導者であるオラニエ公ウィレムがネーデルラントに戻った1568年に本格的な独立戦争を開始しました。

1600年ごろには実質的な独立を勝ち取ったネーデルラントは世界初の株式会社となるオランダ東インド会社を設立、オランダ・ポルトガル戦争に勝利して香辛料貿易を掌握するなどして莫大な利益を挙げます。

そしてヨーロッパ中を巻き込んだ、三十年戦争と呼ばれるカトリックとプロテスタントによる宗教戦争の後に締結された「ウェストファリア条約」によって、1648年に正式にオランダが独立を果たしました。

 

7位 第一次世界大戦(約100年)


第一次世界大戦は1914年から1918年まで続いた、世界初の世界大戦です。

当時の経済大国はイギリスの3C政策やドイツの3B政策などに見られるように植民地獲得に奔走していました。

特にバルカン半島ではロシアの南下政策とオーストリア=ハンガリーによるボスミア併合による主導権争いが深刻化し、「バルカン問題」と呼ばれました。

各国は独自に軍事同盟を結ぶことで辛うじて均衡を保っていましたが、サライェヴォを視察に訪れたオーストリア=ハンガリーの皇太子フランツ=フェルディナント大公が暗殺されるというサライェヴォ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発しました。

世界はドイツとオーストリア=ハンガリーを中心とする中央同盟国とフランスやイギリスを中心とする連合国の2つに分かれ、ヨーロッパ、アジア、アフリカで武力衝突をします。

第一次世界大戦は世界初の世界規模の戦争になると共に総力戦の様相を呈し、ヨーロッパに動員された兵士総勢6000万人のうち800万人が戦死、1500万人が重傷を負ったと言われています。

敗戦国となったドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国、オスマン帝国はみな国家体制が一新され、国際連盟が発足するなど国際体制の一大転換点となった戦争でもありました。

第一次世界大戦は世界中の国家を巻き込んだのですが、参戦した国の中に中米の小国コスタリカがありました。

大戦末期の1918年にコスタリカはドイツへ宣戦布告をしました。

しかしその前年である1917年に成立したフェデリコ・ティノコ・グラナードス政権がアメリカやイギリスから承認されておらず、ヴェルサイユ会議に参加できなかったために平和条約を結ぶことができず2018年現在もドイツとコスタリカの間に平和条約は結ばれていません。

ちなみにコスタリカでティノコ政権が樹立した背景には第一次世界大戦によってコスタリカのコーヒー生産に依存した経済が傾いたことが背景にあります。

コスタリカは第一次世界大戦に翻弄された国と言っていいでしょう。

また同様の例にアンドラ公国を挙げることができます。

アンドラも第一次世界大戦では連合国側として参戦し、11人の義勇兵を派遣しました。

しかしアンドラの外交を担うフランスがヴェルサイユ条約の締結時にアンドラの分のサインを忘れてしまったため第一次世界大戦を終えることができなかったのです。

アンドラの場合は第二次世界大戦後の1958年に西ドイツと平和条約を締結することで戦争状態を終結させました。

 

6位 日露戦争(約102年)


引用元:http://beginner-military.hatenablog.jp/
日露戦争は1904年から1905年にかけて、日本とロシアの間で勃発した戦争です。

朝鮮半島と満洲の権益を巡っての戦争であり、日本は遼東半島にある旅順要塞を攻略、続いてロシア軍の拠点である満洲南部奉天を攻略します。

また日本海ではロシアのバルチック艦隊と日本の連合艦隊が衝突し、連合艦隊が歴史的な勝利を収めました。

日本とロシアはポーツマス条約で和平を結び、日本は朝鮮半島と満洲における権益を確保しましたが賠償金を得ることはできず国内の不安が高まりました。

一方敗れたロシアでは革命運動がいよいよ盛んになるなど、日露戦争はこの後の歴史に大きな影響を与える戦争となりました。

実はこの日露戦争では、モンテネグロ公国という東ヨーロッパの国が日本に宣戦布告し、義勇兵を満洲へ派遣していました。

しかし実際の戦闘には参加しなかったことから宣戦布告が無視され、ポーツマス条約でも講和の対象となりませんでした。

1918年にモンテネグロ公国は消滅しましたが宣戦布告した事実は残り、日本はずっとモンテネグロと戦争状態にありました。

2006年にモンテネグロが独立した際には鈴木宗男衆議院議員が質問主意書でこの日露戦争の問題に触れ、日本政府は答弁書で「千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない」と回答しています。

日本は休戦の通達を行う予定としていましたが、現在も続報はありません。

 

5位 百年戦争(約116年)


引用元:https://www.sekainorekisi.com/
百年戦争はフランス王国の王位継承権を巡って、フランスのヴァロワ朝とイングランドのプランタジネット朝、ランカスター朝が争った戦争です。

1337年から1453年のおよそ116年に渡って続いたことから百年戦争と呼ばれます。

日本でもジャンヌ・ダルクやエドワード黒大使などの存在で知名度が高い戦争です。

当時のイングランド王家はフランス人によるものであり、フランスにも広大な領土を有していました。

当時イングランド領で、毛織物産業が盛んだったフランドル地方の領有権を巡り、当時のイングランドとフランスは対立を深めていました。

百年戦争が起こる前、フランスを収めていたカペー朝が断然し、ヴァロワ朝のフィリップが後継として立ち上がったのに対しカペー朝の血を引く、プランタジネット朝のエドワード3世が王位の継承権を主張したことがきっかけで開戦しました。

この百年戦争はイングランドとフランスの王朝の対立ではありますが、明確に2つの国家同士の争いだったわけではありません。

むしろフランス国内の諸侯同士が争った内乱という側面も強く、国家間の争いという意味合いが強まったのは百年戦争末期のことです。

この百年戦争をきっかけにフランス国民のアイデンティティが確立したのではないかと考えられています。

百年戦争の結果、イングランド王家のフランス国内領土はカレーを除いてみなフランスに帰属し、現在のイギリスとフランスの国境線がほぼ確立されました。

 

4位 半島戦争(約173年)


引用元:http://sinema652.blog.fc2.com/
半島戦争とは、ナポレオンの支配するフランスとスペイン軍、ポルトガル軍、イギリス軍との間で発生した戦争です。

半島戦争のほか、スペイン独立戦争、スペイン反乱とも呼ばれます。

トラファルガーの海戦でイギリスに敗れたフランスが、イギリスの通商を封鎖するために大陸封鎖令を発布したのですがポルトガルが従わなかったため、フランスはポルトガルを征服しました。

その最中でナポレオンはスペインの直接統治を目論見、1808年に軍隊をマドリードへ派遣したことをきっかけにスペインの民衆が武装蜂起し、半島戦争が勃発しました。

フランス軍は民衆に対して残酷な処刑を行うなど鎮圧に務めますが、イギリス軍がスペインを支援し、ナポレオンがロシア遠征に兵を割いたことで撤退を余儀なくされてしまいました。

1813年にはフランス軍はすべてイベリア半島を出たのですが、実は当時フランス側で侵攻したデンマークとスペイン東部のウエスカという街で講和条約が結ばれていませんでした。

この事実が1981年に判明し、同年に平和条約が結ばれたことで、半島戦争はようやく完全に終結しました。

 

3位 三百三十五年戦争(約335年)


引用元:http://blog.livedoor.jp/
三百三十五年戦争はオランダと、イギリス南西部のシリー諸島の間で起きた戦争です。

1651年から1986年の、335年も続いたことから三百三十五年戦争と呼ばれます。

この戦争はイングランド内乱が背景となって発生しました。

当時国王軍はオリバー・クロムウェル率いる議会軍によってコーンウォールまで追い詰められ、コーンウォールからシリ―諸島へ逃れました。

一方オランダはイギリスと長く結んでいた同盟関係を維持するために内乱に勝利しそうな議会軍と同盟し、シリー諸島へ宣戦布告します。

しかし間もなく国王軍は降伏し、オランダ軍は一発も発砲せずに退却しました。

本来ならばオランダは戦争の終了を宣言するべきなのですが、オランダは他国のほんの一部の領土へ宣戦布告をするという曖昧な状況下にあったため宣言をしないままにしてしまいます。

そして334年後の1985年に、歴史家ロイ・ダンカンによってこの交戦状態が続いていることが発覚し、翌1986年に平和条約が結ばれようやく戦争が終結しました。

三百三十五年戦争は世にも珍しい、一発も発砲しない、平和な戦争として記録されています。

 

2位 アラウコ戦争(約347年)


引用元:https://ai-inori.com/
アラウコ戦争はスペイン、およびチリ共和国と先住民族であるマプチェ族との間で起きた戦争です。

マプチェ族はアラウカニアと呼ばれる地域に暮らし、非常に戦意が旺盛で1536年から1883年という長きにわたって交戦状態が続きました。

特に16世紀のマプチェ族の指導者ラウタロは征服者ペドロ・デ・バルディビアを討ち取るなどマプチェ族の中心となって抵抗しました。

このアラウコ戦争によってマプチェ族は自身の社会を堅持していましたが、19世紀には周囲の発展から取り残されてしまいます。

そして政治的な空白地帯となったアラウカニアに、フランス人冒険家オルリ・アントワーヌ・ド・トゥナンがアラウカニア・パタゴニア王国の建国を宣言します。

この建国にはマプチェ族も理解を示し、トゥナンを王として認めますが同時にチリに軍事作戦を行う口実を与えることとなりました。

間もなくアラウカニア、およびトゥサン族はチリの軍人コルネリオ・サーヴェドラ・ロドリゲスが立案したアラウカニア制圧作戦(アラウカニア講和)によって制圧されてしまいました。

 

1位 ポエニ戦争(約2134年)


引用元:https://ameblo.jp/worldhistory-univ/
ポエニ戦争は紀元前264年から紀元前241年、紀元前219年から紀元前201年、紀元前149年から紀元前146年の全3回争われた、共和制ローマとカルタゴの地中海の覇権を巡る戦争です。

第一次ポエニ戦争は、局地的にカルタゴが優勢に立ちますがアエガテス諸島沖の海戦でローマが勝利したことでシチリア島を占領し地中海の覇権を握ります。

第二次ポエニ戦争はカルタゴが陸路でローマを占領しようとした戦争です。

カルタゴのハンニバル将軍がアルプス山脈を超えてイタリア半島へ進軍し、カンナエの戦いでローマ軍を撃破します。

しかしローマを占領できないうちに、ハンニバル将軍は本拠地のイベリア半島を逆に支配されてしまい、最後は大スキピオ率いるローマ軍にザマの戦いで敗れてしまいます。

ハンニバル将軍を失ったカルタゴは事実上、ローマへ従属することとなりました。

第三次ポエニ戦争はカルタゴの経済力を恐れたローマによるカルタゴの攻囲戦でした。

カルタゴは完全に破壊され、街に火を付けられた挙句焼け跡に作物の生えないよう塩まで撒かれたと言われています。

またカルタゴの残された領土を支配することでローマのアフリカ属領が拡大しました。

このように、ポエニ戦争は紀元前146年に主権国家カルタゴの滅亡によって終焉を迎えました。

しかしポエニ戦争は書面を交わして戦争を終えたわけではなかったため、1985年に当時のローマ市長とチュニス(当時のカルタゴの衛星都市)市長が正式に終戦の条約を交わし、ポエニ戦争を終結させました。

 

まとめ

この記事では史上最も長い戦争を紹介しました。

近現代の戦争は書類を交わして戦争の始まりや終わりを告げるため、意外な行き違いがあったりして戦争状態が続いてしまっていた、というのはユーモラスな気がします。

学校で習うような有名な戦争にもそう言った事例があるのは驚かされる事実です。

一方で正真正銘100年も戦い続けた歴史があるのは、やはり人や民族の意志の強さを感じさせます。

こういった戦争を起こさないように努めていきたいものだと思います。




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