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【怪奇】本当に不気味で怖い世界の建物15選

人は死んでも、人の作りあげたものは残ります。

世界遺産などで選ばれる美しいものもありますが、そればかりではありません。

今回は世界に存在する本当に不気味で怖い15の建物を紹介します。

 

ブルガリア共産党本部


引用元:https://genchan.net/

大相撲の元大関である琴欧州関の故郷としても知られるブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォの近郊にあるバズルジャ山の山頂に、ブルガリア共産党本部はあります。

UFOを思わせる独特の外見をしたこの建物は、1981年から1991年まで当時のブルガリアで事実上の一党独裁(ヘゲモニー政党制)を敷いていたブルガリア共産党の党大会や演説会場として使われていました。

内部には著名な芸術家が手がけたグラフィティアートや共産主義を創始したマルクス、エンゲルスの肖像画、更に共産主義のシンボルである「鎌と槌」のマークが描かれています。

更に併設された塔を登ると、晴れていればギリシャやルーマニアのほうまで見渡すことができると言われています。

ブルガリア共産党本部はブルガリア共産党が1990年に一党独裁を放棄し、「社会党」へ改修した後に放置されてしまいました。

ブルガリア政府は記念碑として残そうとしましたが維持が困難であるため、2012年に社会党へ所有を移しています。

 

セドレツ納骨堂


引用元:http://takashi1016.com/

チェコの中央ボヘミア州には中心部が「クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂」として世界遺産に登録された都市クトナー・ホラがあります。

そんなクトナー・ホラの近郊、セドレツの全聖人教会の地下にあるセドレツ納骨堂は内装の制作素材に本物の人骨が使われた、非常に不気味な建物です。

なんと1万人分もの人骨によって装飾や礼拝所、シャンデリアに至るまでが作られているのです。

セドレツの全聖人教会には13世紀に当時の院長であったハインリヒという人物がエルサレムへ派遣された際に、ゴルゴダの丘の土を持ち帰り、墓地へ撒いたと言う伝承が残っていました。

そのため聖なる地として地元住民のみならずボヘミアやポーランド、バイエルンなどからも埋葬希望者が表れるようになります。

更に14世紀にはペストが流行して死者が大量に発生し、3万人がセドレツの墓地へ埋葬され、15世紀にはフツ戦争によって数千人が埋葬されることとなります。

セドレツ墓地は急ピッチで拡大することを余儀なくされ、15世紀には墓地の中心に教会を建設し、地下のスペースを納骨堂として使用することに決まります。

教会の建築に伴っておよそ4万人分もの人骨が掘り起こされ、納骨堂に納められました。

そして19世紀に入り、この教会を購入したシュヴァルツェンベルク家がフランティシェク・リントという彫刻家に納骨堂の人骨を使った内装の制作を依頼し、現在のセドレツ納骨堂となりました。

チェコではこのセドレツ納骨堂のほかにもブルノという都市にある「聖ヤコブ教会」、コリーンという都市に「聖バルトロメウス教会」に人骨を用いた装飾が存在しています。

 

三芝飛碟屋


引用元:http://www.jiyukenkyu.ne.jp/

三芝飛碟屋は台湾の最北部にある新北市三芝区で開発されていた、東アジアに駐留する米軍などをターゲットにしたリゾート施設です。

UFOのような変わった形の建物が並ぶリゾート地になる予定でしたが、事業主の倒産によって計画が頓挫、作りかけのまま30年も放置され、2008年にようやく取り壊されました。

台湾現地では三芝飛碟屋について「建設中に事故が発生した」、「幽霊が表れる」などという噂が流れています。

このUFOのような建物は「FUTURO」というもので、フィンランドのマッティ・スーロネンという建築家が1968年にデザインしました。

「スキー場の斜面に山小屋を立てる」という着想を元に考案され、その着想通りFUTUROはパーツさえあればボルト締めで組み立てができる、組み立ててしまえばヘリで運ぶことができるなど非常に建築が容易にできるものでした。

ですが外壁にプラスチックを採用していたために1973年に発生したオイルショックによって製造を断念せざるを得なくなり、その時点で製造されていた分だけが辛うじて世界に存在しています。

三芝飛碟屋のものは残念ながら取り壊されてしまったようですが、台湾には他にもFUTOROがいくつか点在していると言われています。

また日本でもFUTUROが2軒だけ輸出され、現在も群馬県にある「フェリカ建築&デザイン専門学校」でその姿を見ることができます。

 

リープ城


引用元:https://www.compathy.net/

アイルランドのオファリー州クールデリーにあるリープ城はヨーロッパでも有数の心霊スポットとして知られています。

赤い目をした幽霊や人間の顔をした悪魔が表れると言われ、現在も「よくないものが写る」とされ内部の写真が公開されていません。

現在はミュージシャンのショーン・ライアンと妻のアニーが住居として建て直して住んでいます。

リープ城は1250年ごろに当時クールデリー一帯を治めていたオバノン一族によって建設されました。

1532年、当時リープ城の城主だったマルロニー・キャロルが死亡したのちにマルロニーの家族が家督を巡って争い、弟が司教であった兄を殺害してしまう事件が発生します。

それ以来リープ城は「血のチャペル」と呼ばれるようになりました。

またリープ城は監獄としても使用されていたことがあり、罪人やキャロル一族の中で規則を破ったものを収監していたと言われています。

それらのよくない念のようなものが、現在も幽霊となって表れているのではないかと考えられているのです。

リープ城には幽霊のほかにも妖精が住んでいると考えられています。

この妖精は四大元素説でいう「地」の妖精ノームであり、羊くらいの大きさに黒い瞳をしているそうです。

 

ミシガン中央駅


引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/

アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトにあるミシガン中央駅は1913年にミシガン・デトロイト鉄道の駅として移転開業しました。

駅舎は地上18階建てと非常に大きく、当時世界で最も高いものでした。

第二次世界大戦中には軍事物資の輸送で大変賑わいましたが、戦争終結後は利用者が激減します。

1975年にはアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されましたが利用者は戻らず、1988年にはアムトラック社がデトロイト市内に専用駅を建設し、駅機能を移転する形で閉鎖されました。

閉鎖された後は建物としての規模が大きすぎたために転用や取り壊しもできず、いくつか再開発計画も立案されましたが結局は放置されてスラム化が進行、2009年にはデトロイト市議会で取り壊しが決議されます。

しかし取り壊しが決議された後に保存運動が高まり、取り壊しは中断を余儀なくされてしまいます。

2013年にはデトロイト市が破産し、取り壊しの計画は宙に浮いてしまい、結局再び放置されることとなりました。

そんな停滞していた事態が動いたのが2018年のことです。

アメリカの自動車メーカーであるフォード社がミシガン中央駅の駅舎を買収したことを発表、今後は自動運転や電気自動車の開発拠点としての改装工事を進め、2022年の完工を予定しています。

ミシガン中央駅を管理していたモラウン家のマシュー・モラウンはフォード社による買収を受け「契約は完了した。施設にには新しい未来が確保された。セントラル・ステーションは未来を開くのにふさわしい次の所有者を得た。ミシガン・セントラル・ステーションはデトロイトの進歩と成功の輝かしいシンボルとなるだろう」とコメントしています。

ちなみにミシガン中央駅はその近未来的な荒廃ぶりから、マイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』や『アイランド』などのSF映画の撮影場所としてもよく用いられていました。

 

オルフェウム劇場


引用元:http://cinematreasures.org/

アメリカ合衆国マサチューセッツ州ベッドフォードにあるオルフェウム劇場はおよそ50年に渡って営業してきましたが現在は廃墟となっています。

開業したのは1912年4月15日、奇しくもあの豪華客船タイタニック号が沈没したのと同じ日のことでした。

劇場やボールルーム、射撃場、体育館、オフィスなどを地元ベッドフォードの建築家であるルイス・ゴンザレス・デストランプが設計しています。

劇場には1500人を収容でき、『キングコング』や『市民ケーン』などの著名な作品を上映しただけでなくコミュニティの中心として多くの人を集めました。

オルフェウム劇場は1958年に閉鎖され、しばらくは年に数回ほどイベントのたびに開場していましたが1962年に完全に閉鎖され、タバコ工場の倉庫として使われるようになりました。

現在は裏手にスーパーマーケットができていますが、他の部分は維持費が足りておらず、劣化が始まっているようです。

Orpheum Rising Project Helpers(ORPH Inc)という非営利組織がオルフェウム劇場の修復と多文化センターとしての再利用を目指して活動をしています。

 

ヘリングリー精神病院


引用元:https://www.countyasylums.co.uk/

イギリスのイースト・サセックス州には、ヘリングリー精神病院という病院がかつて存在していました。

G.T.ハインという建築家が設計したヴィクトリア朝様式の病院で、1903年にEast Sussex County Asylumという名称で開院しました。

重度の精神病患者を監視、隔離することを目的としており、燃料となる石炭を輸送するための専用の「ヘリングリー病院鉄道」を引くなど、静かで穏やかな環境を作っていました。

1994年に閉鎖してからは放火などの被害が度重なり、病院は瞬く間に荒廃してしまいます。

現在は心霊スポットとしても知られ、実際に白い影を見た、聞こえるはずのない悲鳴を聞いたなどの体験談があるそうです。

 

超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔


引用元:http://osakaland.blog.fc2.com/

大阪府富田林市には、デコボコとした形の白い塔が立っています。

これは「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」というもので高さは180m、通称で「大平和塔」、「大平和祈念塔」と呼ばれます。

建設したのは富田林市に本部を置く宗教法人パーフェクトリバティー教団(PL教団)で、独特のアシンメトリーな形状は二代目教祖である御木徳近が塔の原型として作った粘土細工を忠実に再現したためだそうです。

教団によれば建設目的は「人種、民族、国境を超え、宗教的信条を超え、あらゆる戦争犠牲者の霊を祀る」のと同時に、「人生は芸術である」という教団の教えを具現化するためとのことです。

大平和塔はいわゆるPL教団の聖地であり、毎年年始には多くの信者がこの大平和塔へ初詣に訪れ、8月には下層にある神殿で年祭という祭事を行います。

塔が建てられた当時には塔の下では「PLランド(桜ヶ丘遊園)」という遊園地が営業しており、大平和塔の上層にある展望台まで上ることができたのですが1989年にPLランドが閉園してからは展望台は閉鎖され、信者による塔の下部にある神殿への参拝しか許されません。

 

トゥールスレン虐殺博物館


引用元:https://www.ladieswhattravel.com/

かつてカンボジアで政権を握っていたクメール・ルージュ(カンボジア共産党)は知識階級や教師、宗教関係者などを反革命勢力とみなし、キリングフィールドと呼ばれる処刑場で数多く殺害しました。

反革命勢力とみなされた者は首都プノンペンにある「トゥール・スヴァイ・プレイ」というリセ(フランスの高等教育機関)の施設を転用したS21という政治犯収容所に収容しました。

S21では看守が囚人に対して拷問に近い責め苦を与え、拘禁反応(牢獄や閉鎖病棟など、強制的に自由を奪われた人間に起こる人格の変化)によって、「自分は反革命勢力である」という自白を引き出します。

そして自白を強要された囚人は、キリングフィールドという処刑場で殺されてしまいました。

クメール・ルージュが政権を握った2年9か月の間に、S21には14000~20000人もの人が収容されましたが、生き残ったのはわずか8人でした。

S21は存在そのものが当時のカンボジアでは秘密にされていたために名前を与えられておらず、クメール・ルージュ崩壊後は周辺の地名から現在は「トゥールスレン虐殺博物館」という名称で一般公開されています。

トゥールスレン虐殺博物館ではその名前の通り、当時のままとなっている拷問室や、囚人たちの写真、生還した画家の描いた拷問の様子などが展示されており、クメール・ルージュ時代の陰惨な様子を窺い知ることができます。

2003年にはユネスコの記憶遺産として認定されました。

 

旧シティホール駅


引用元:https://dailynewsagency.com/

1904年、ニューヨーク市地下鉄IRTレキシントン・アベニュー線で初のターミナル駅となるシティホール駅が開業しました。

ラファエル・グアスタビノというスペインの建築家が設計したこの駅は、当時のニューヨーク市地下鉄の中では珍しいロマネスク・リヴァイバル様式を採用しており、天井はグアスタビノ・タイルと呼ばれる独特のタイル張りをしています。

正式名称はシティホール駅ですが、当時はシティホールループ駅と呼ばれていました。

1940年から50年にかけて乗客が大きく増加し、輸送力が足りなくなると地下鉄会社は編成車両数を増やすことで対応しました。

ですがシティホール駅は急なカーブ上にあったために編成車両数の増加に対応するためのホームの延伸が非常に困難だったうえ、北隣のブルックリン・ブリッジ・シティ・ホール駅のほうが利便性が高く、利便性と改修の手間が合わないことから1945年12月31日の閉鎖されました。

現在もシティホール駅は定期的に手入れがされており、廃駅の構内を巡るツアーや、折り返しループの際などに駅を見ることが可能です。

 

ルセディオ大修道院


引用元:https://travel-noted.jp/

イタリアにあるというルセディオ大修道院は、悪魔によって呪われた修道院だと言われています。

1684年に悪魔に誘惑された若い娘が修道士を誘惑し、修道院全体に呪いをかけたのです。

その結果、ルセディオ大修道院は悪魔信仰の儀式や、子どもへの暴行が行われる場となってしまったそうです。

 

ベーリッツ陸軍病院(ベーリッツ・サナトリウム)


引用元:https://gotrip.jp/

ベーリッツ陸軍病院はドイツ・ブランデンブルク州のポツダムにかつて存在した陸軍病院の跡地です。

もともとはベルリンで働く労働者のための病院として建設された結核療養院(サナトリウム)でした。

当時労働者の間では結核が社会問題となっており、ビスマルクが社会保険制度を手厚く保障していたドイツでは100以上のサナトリウムが整備されました。

このベーリッツ・サナトリウムもそのひとつです。

ベーリッツ・サナトリウムはサナトリウムであると共に、国の有事の際には傷病兵のための病院となるよう定められており、実際に第一次世界大戦の際にはあのアドルフ・ヒトラーがソンムの戦いで負傷した際にこのベーリッツ・サナトリウムへ入院をしたことが知られています。

そのヒトラーが政権を握り、第二次世界大戦を引き起こした際もこのベーリッツ・サナトリウムは軍の病院として機能しました。

第二次世界大戦後はソ連によって占領され、様々な治療法を研究するための拠点として使われました。

東ドイツの総書記であったエーリッヒ・ホーネッカーもこのベーリッツ・サナトリウムに入院しています。

1995年には民営化され、パーキンソン病患者のための神経リハビリテーション施設として使用されましたが立地の悪さから経営が成り立たず、2000年には放棄され、廃墟となっています。

その退廃的な雰囲気から『戦場のピアニスト』や『ワルキューレ』の撮影にも使われましたが、現在は完全に封鎖されており中へ入ることはできません。

 

淡嶋神社


引用元:https://cdn.jalan.jp/

和歌山県和歌山市加太浦にある淡嶋神社は少彦名命、大己貴命、息長足姫命(神功皇后)を祭神としており、婦人病、安産祈願などといった女性に関する事柄を祈願するほか、特筆すべきこととして、人形供養の神社としても有名です。

ただ、もし前情報なく淡嶋神社を訪れたらその不気味な光景にきっとギョッとすることでしょう。

淡嶋神社の境内には日本人形、フランス人形のほか信楽焼の狸、福助人形といったあらゆる種類の人形が所狭しと並べられているのです。

その数はおよそ2万体ほどだそうです。

これは「人形は人の目につくことで供養される」という考えに基づくもので、その異様な光景から心霊スポットとして扱われることもありますが、それも承知のうえとのことです。

淡嶋神社はパワースポットとしても知られており、奉納された人形の髪が伸びると言う話も伝えられています。

一方で人形のほかにも女性用の下着を奉納されるなど、日本の神社の中でも淡嶋神社はかなりの変わり種と言えるでしょう。

 

スポメニック


引用元:https://www.calvertjournal.com/

ボスニアやクロアチア、ロシアの一部などかつてユーゴスラビアというひとつの国だった地域に、「スポメニック」という奇妙な巨大建造物が点在しています。

これは1960年代から1980年代にかけて、当時のチトー政権が第二次世界大戦のドイツやイタリアへの抵抗と人民解放軍の活躍を記録するため、そして新しい社会主義のイデオロギーを誇示するために作らせたと言われています。

セルビア・クロアチア語で「モニュメント」を意味するこれらの建造物は、バルカン半島全土に数百は作られたと考えられています。

しかし1990年代に発生したユーゴスラビア内戦によって多くが破壊され、現在は数十ほどしか残されていません。

スポメニックについてはベルギーの写真家であるジェン・ケンペナアーズやフランスの写真家であるシルヴァン・ヘラウドなどがまとめており、調べれば奇妙なモニュメントの数々を見ることができます。

 

ダンバース精神病院


引用元:https://patch.com/

ダンバース精神病院はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ダンバースで1874年に開院した病院です。

ボストンの著名な建築家であるナサニエル・J・ブラッドリーが施工を手掛け、看護婦の教育機関や病理学研究所としての機能も持った、非常に大規模な施設でした。

建築当初、ダンバース精神病院の病床数は600ほどだったのですが患者数が増え続け、最盛期では2000人以上も入院し、増設が間に合わない過密状態へ陥りました。

そのためかスタッフから患者へ電気ショック、薬物の乱用、更には現代ではタブー視されるロボトミー手術などの非人道的な行いが行われるようになります。

やがてダンバース精神病院の非人道的な行いは問題視されるようになり、1960年代には入院患者数が減少し始めます。

病院側は自身の患者のケアについて「十分かつ人道的」と主張していましたが、1985年に閉鎖を余儀なくされました。

閉鎖後は保存を求める声もありましたが2006年までに外壁を残してすべて取り壊され、跡地には住宅が建てられています。

一説によるとダンバース精神病院はロボトミー手術発祥の地だと言われており、映画『セッション9』の舞台として採用されたこともあります。

ただし当時のアメリカの精神病院にはほかにもトピーカ州立病院、バイベリー精神病院、トランスアレゲニー精神病院など患者に対して非人道的な行いをしていたところは少なくありません。

アメリカで最初にロボトミー手術が行われたのは1936年のジョージ・ワシントン大学でのことであり、ダンバース精神病院を発祥の地とするのは少々無理があるように思われます。

 

まとめ

今回は世界の不気味で怖い建物を紹介しました。

ときに建物は私たちが思う以上に長い間存在することがあります。

私たちが見たときになぜそこにあるのか、なぜそうなっているのかを理解できていないと、やはり不気味だと言う印象が生まれてしまいます。

今回紹介したものはみなかつて役割を持って作られ、今もそれを果たしているか、あるいは既に役割を終えてしまったものばかりです。

見慣れない建物や廃墟を見たときは、それがどんな目的や役割を有しているのか思いを馳せてみると、より一層面白く味わえるのではないでしょうか。



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