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世界最強・最悪の殺人鬼ベスト3

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アメリカでは4人以上の人間を殺害するとシリアルキラーと呼ばれ、欧米では現在これに該当する殺人鬼は珍しくありません。また殺した人間の数が少なくても、その手口が他に類を見ないほど狂気に満ちていたりと、シリアルキラー以上に名を知られた殺人鬼も少なからず存在します。

この記事では映画や小説といったフィクション作品のモデルにもなった世界有数の凶悪殺人者3名について、その生い立ちも交えて紹介してきます。

エドワード・ゲイン

引用:http://www.theoccultmuseum.com

エドワード・ゲインは人間の皮や骨、目玉といった器官を収集し、それを自ら加工して身にまとったり家具として使用したという世界一有名なネクロフィリア(死体愛好家)として知られる殺人鬼です。

公的にはゲインが手に掛けた人間は2人だけとされており、被害者の数だけを見ると世界最強の殺人者とは感じられないかもしれません。

しかし『サイコ』『悪魔のいけにえ』『テキサスチェーンソー』といった映画に出てくる猟奇殺人者のモデルとなっており、自身の半生も映画化されるなど世界で最も有名な殺人鬼の1人であると言えます。

 

エドワード・ゲインの生い立ち / 犯罪者となった背景

1906年8月27日、ゲインは父ジョージと母オーガスタの次男として誕生しました。ジョージはアルコール中毒で酒を飲んではオーガスタに手をあげるといった悪癖を持っており、そのせいでオーガスタは激しく男性を憎悪していたと言います。

そこに元来持っていた歪んだ信仰心が加わって、オーガスタは幼いゲインとその兄であるヘンリーに父のようになってはならないと毎日ジョージの死を祈らせ、雨が降るとノアの箱舟の話をして人間の心が汚いから神の裁きが下ると騒ぎ立てるようになりました。

更に家の外の人間と付き合うと悪が持ち込まれると言って友達をつくることを禁じ、息子達を孤立させて自分以外の拠り所を奪っていったのです。

また彼女は夫への恨みから息子達の“男”の部分を激しく嫌悪していました。男はすべて悪人なのだと繰り返し息子達を責め立てて、ペニスに唾を吐きかける等といった行為も日常的に行っていたといいます。

兄のヘンリーは父の死後オーガスタの奇行や呪縛に気が付き、彼女を罵るようになりました。しかし当時34歳となっていたゲインには自分の崇拝する母を侮辱する兄の姿は許しがたく、同じ家庭の被害者であり唯一助け合える存在であったはずの兄をも憎悪するようになったといきます。

そして父の死後から2年が経った頃、ヘンリーは町のゴミ焼却所から焼死体となって発見されました。これについては他殺か自殺か原因不明のまま処理されています。

そしてヘンリーの死体が見つかった年の暮れにオーガスタも脳いっ血で死亡し、孤独の身となったゲインは母の部屋を聖域として封印した後、母を失った孤独を埋めるべく女性の死体を漁るようになっていったのです。

 

猟奇的な行動の数々

引用:http://www.viralnova.com

閉鎖された世界で神のような存在であった母を失ったゲインは、母に汚いものとして禁じられていた異性に対する欲求と、罪の象徴と教え込まれていた男性という性別への嫌悪との間で苦しむようになります。

そして自分の欲求を満たしながらも母を裏切らない手段として彼が思いついたのが、死者との性交でした。

しかし防腐処理のされていない死体はすぐに蛆が沸いて朽ち果て、彼のパートナーとしての姿を失ってしまいます。このことが原因でゲインは死体が腐らない方法を発明しようと考え、死体を切り開いて解剖するようになったのです。

結果、独自の防腐処理方法を考案したゲインは死体の一部をトロフィーとして自宅に飾るようになっていきます。そして死体漁りと解剖に慣れると母親に似た中年女性をターゲットにするようになり、顔の皮を剥いで被り、切除した女性器で自分の性器をくるんで、切り取った乳房を縫い付けたベストを羽織って女装をするというようにエスカレートしていきました。

この奇妙な格好で墓場を練り歩くことはゲインのお気に入りのパーティであったそうで、機嫌のよい時は人の皮を張った太鼓を人骨のバチで叩きながら、一時間以上も行進をしていたとされます。

死体を加工することに喜びを見出したゲインの生活は死体まみれになり、頭蓋骨のコップや人骨のカトラリー、人の脚の皮で作ったゴミ箱に背中の皮を使った椅子、数人の頭の皮をつなぎ合わせたランプシェードに多数の唇をつなぎ合わせたモビール、といったように人体を使ったインテリアが家の中に溢れかえっていきました。

 

ゲインの逮捕と余波

1957年にゲインはメアリー・ホーガンとバニース・ウォーデンという2人の女性を殺害した罪で逮捕されます。

2名は行方不明者として捜索願が出されていましたが、ホーガン夫人は生首が棚に飾られ、ウォーデン夫人は内臓を抜かれた胴体を逆さ吊りにされ、頭蓋骨を抜かれた頭部は耳に紐を通した釘が打ち込まれた状態でゲインの自宅で発見されました。後にゲインは、ウォーデン夫人の頭部はハンドバッグか水筒にする予定だったと告白しています。

逮捕後事件のあまりの異様さに検察は彼を精神異常者と判断して、刑務所ではなくウィスコンシン州立精神病院へ収容することにしました。

1984年に78歳でこの世を去るまでゲインは精神病院の中で過ごしたのですが、彼は同じ病院に入院していたバービス・スミスという青年に如何に死体を加工することが愉快なことか、その方法を子細に語っており、それが原因でスミスは老婆を殺害して顔の皮を剥ごうとして失敗、殺人鬼として逮捕されるに至っています。

この事件以降ゲインは影響を受ける可能性のある人間とは接触が禁じられ、病院も転院することとなりました。

またゲインが逮捕されて以降プレインフィールドの人々は相次いで腹痛を訴えるようになりました。ゲインは度々「鹿狩りに行った、1人では肉を食べきれないからもらって欲しい」と近所の家に肉のお裾分けをしていたのですが、後の供述で鹿狩りなんて一度もしたことがない、と述べていることから“謎のお裾分け”の正体を予想した人々が気分を悪くしたものと考えられています。

死後は彼の狩猟の場所でもあったプレインフィールド墓地に無記名で埋葬されましたが、2000年に墓石が盗まれたことがきっかけで、現在はウィスコンシンの博物館に作り直されたゲインの墓石が展示されています。

 

ジョン・ウェイン・ゲーシー

引用:https://sociologycriminology.wordpress.com

ジョン・ウェイン・ゲーシーはポゴという名の道化師に扮して小児病棟の慰問をするなどの慈善活動をする傍ら、33人もの少年を残忍な方法で殺害したとされる殺人ピエロとも呼ばれる凶悪殺人鬼です。

2017年に映画化されたスティーブン・キングの代表作『IT』に登場した怪物、ペニー・ワイズのモデルであると考えられています。

 

ジョン・ウェイン・ゲーシーの生い立ち / 犯罪者となった背景

ジョン・ウェイン・ゲーシーは1942年にポーランド移民であった父ジョン・スタンリー・ゲイシーと母マリオンの間に生まれました。

スタンリーは自らが貧しい環境で育ったことから歪んだマッチョイズムに憑りつかれており、生まれつき心臓肥大というハンディを抱えて激しい運動ができないゲーシーを「オカマ野郎」と激しく罵ったといいます。

更にスタンリーは手術不可能な場所に脳腫瘍を患っていたことから情緒が安定せず、まだ幼児であったゲーシーが取るに足らないような失敗をしただけで激高し、砥石で血が噴き出すほど殴りつけたそうです。

ゲーシーは4歳の時に近所の年上の少女から性的ないたずらを受けたのですが、この時も加害者ではなく被害者である息子に対して「やっぱりお前はオカマ野郎だ」と侮蔑の言葉を掛けたといいます。

6歳の頃にはゲーシーの精神には歪みが生じており、それは手癖の悪さとなって見られるようになります。そして父の友人の男性から“レスリング”という名の性的な嫌がらせを受けるようになり、まずます父親との確執は深まっていきました。

また、生まれつきの疾患が原因でゲーシーは体調が不安定になりがちでした。しかしこれをスタンリーに悟られると「役立たずの腰抜け、オカマ」と罵られるので極限まで我慢をするようになり、失神するまで苦痛に耐えていたといいます。

そして20歳の頃ゲーシーは家出をします。家出中は生活費を稼ぐために葬儀社で働き、遺体の血抜きをする作業を手伝っていたのですが、この時に少年の遺体を見ると異常に気分が高揚するということに気が付いたと、後に語っています。

 

死体が浮かぶ家

自分の性倒錯者としての面に気付いた後、ゲーシーは連れ戻しに来た母とともに帰宅しシューズ・メーカーに就職、セールスマンとしての頭角を現しプライベートではボランティア活動にも積極的に参加するなど、当時住んでいたスプリングフィールドの青年会議所での重要なポストに就けるのではないかと噂されていました。

この頃のゲーシーはビジネスマンとしても成功を収め、市議会議員から市長、更に上院議員にまで上り詰めるという野望を周囲に話しており、周囲もゲーシーであれば実現も夢ではないと考えていました。

しかし、順風満帆に見られたゲーシーの第二の人生は「アナルセックスを強要された」と15歳の少年から起訴をされたことで終わりを告げます。訴えを起こした少年とは現在でいう援助交際の関係にあったのですが、判決では少年の訴えが全面的に認められて収監されることとなりました。

刑務所内では模範囚として振る舞い、懲役10年のところを僅か16ヶ月で釈放された後、ゲーシーはゲイのたまり場で少年を漁るようになります。

そして、たまたま揉み合いとなり1人の青年をナイフで刺してしまったことがきっかけで、少年を脅して強姦し、拷問して殺害するという行為を繰り返すようになり、被害者の死体は床下に並べて腐敗が進むように石灰や塩酸をまくようになりました。

腐敗した死体が放出するメタンガスや腐汁が原因でゲーシーの家の床からは汚水がにじむようになり、セメントでふさいでも悪臭が漂い、1978年の12月に失踪した少年の捜索で警察が立ち入った時には床下は腐った水分で充填され、そこに29体の少年の遺体がプカプカと浮いていたそうです。

 

多重人格殺人者の最期

引用:https://thoughtcatalog.com

1972年から1978年に逮捕されるまでの6年間、床下から見つかった29名と付近の川に浮いていた4名、あわせて33名の少年を殺害した罪でゲーシーは逮捕されます。

被害者の死体の中には胸腔がラード状になり、蛆虫の団地のようになっているものや溶けた頭蓋骨の中に脳みそがスープのように溜まっているものなど原型をとどめていないものも多く、当然厳罰を求める声があがりました。

しかしゲーシーは自身が多重人格障害であると主張し、死刑を求める検察と精神耗弱を訴える弁護士、多額の慰謝料を求める被害者遺族との間で混乱を起こします。

取り調べの中でゲーシーはIQテストでは上位10%に入るであろう高い成績を見せたものの、ロールシャッハテストなどの結果では精神分裂症の可能性があると診断されます。

しかし、当時連続殺人鬼として世を騒がせていたウィリアム・スタンリー・ミリガンが10の人格を持つ多重人格者であるということが話題になっていたこともあり、ゲーシーの主張はこれに便乗しているに過ぎない、詐称だというのが世論でした。

そして1980年3月、僅か2時間の審議で陪審員より21回の終身刑と12回の死刑を言い渡され、1994年5月にイリノイ州ジョリエット刑務所でゲーシーの死刑が執行されたのです。

死刑は麻酔薬と心臓を停止させる塩化カリウム、呼吸停止を促すパヴノールの3種類の薬の注射で行われるのですが、平均7分で終わるというこの処刑にゲーシーは抗い、30分の間苦しんだのちに絶命したといいます。

 

ヘンリー・リー・ルーカス

ヘンリー・リー・ルーカスはアメリカの犯罪史上最多の360人の人間を殺害した、世界一有名なシリアルキラーです。しかも360件というのも彼が覚えているだけの件数であり、実際は更に多くの人を手にかけている可能性もあります。

テキサス州のジョージタウン刑務所の地下にある厳重警戒官房の最深部に収監されていたルーカスは、独房の中から自身の起こした事件の情報提供を行う形で“ヘンリー・リー・ルーカス連続殺人事件特別捜査メンバー”として捜査に協力しており、映画『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのモデルともなった人物です。

 

ヘンリー・リー・ルーカスの生い立ち / 犯罪者となった背景

ヘンリー・リー・ルーカスは1936年の8月23日にヴィオラ・ルーカスの11番目の子供として誕生しました。12歳から売春婦として働いていたヴィオラはこの仕事が天職だといえるような性格で、ルーカスを身ごもった時も仕事の邪魔になるからと自分の腹部を殴りつけるなどして必死に流産させようとしていたといいます。

しかし、客の1人に「お腹の子が女の子なら親子で売春ができる」と言われたことをきっかけに態度を改め、女児が誕生するのを心待ちにしたといいます。そのため実際に誕生したのが男児であったことに怒り、夫のアンダーソンがヘンリーと名付けた息子を“ヘンリエッタ”と呼び女児として売春婦にするために育てる決意をしました。

とはいえ今まで10人の子供を出産した経験があれど産んですぐに捨てる、施設に入れるなどして子育てをしたことがないヴィオラに真っ当な育児ができる訳もなく、夜泣きをするルーカスを床に叩きつけたり、気に入らないことがあると何度も頭を殴ったといいます。これが原因で成人したルーカスの大脳辺縁神経系には多くの障害が見られたそうです。

幼少期のルーカスは伸ばした髪をカールさせて女装し、見知らぬ男と母親が性交する様子を近くで見るように命令されていたといいます。

ルーカスの一番最初の記憶はヴィオラが客の男の脚を拳銃で撃ち、血まみれの男に掴みかかられて首を絞められたというもので、その時もヴィオラは助けに入るでもなく裸で返り血を浴びて笑っていただけ。後にルーカスは「何故他の兄弟のように自分も捨ててくれなかったのか」と供述しています。

そんな地獄から少年のルーカスを救おうとした人物もいました。そのうちの2人は小学校の若い女性教師で、女装をして裸足で登校するルーカスを気に掛けた彼女らはヴィオラに息子を女装させないと法廷で誓わせ、彼に男児用の衣服をプレゼントして髪の毛も短く切りそろえてやりました。

このことでルーカスは自分の人生にも選択肢があると希望を感じたのですが、他者が自分の生活に介入することを激しく恐れたヴィオラはより激しく息子を暴行するようになります。

ある冬の日に頭蓋骨が骨折するほど角材で殴られたうえ雪の降る屋外に放置されたルーカスは、そのことが原因でてんかん発作を起こすようなり、突然昏倒するようになったといいます。

ルーカスが8歳になった時、雪の中を裸足で歩いているところにトラックで通りかかった夫婦は彼の生い立ちに心底同情し「養子にくれないか」とヴィオラに交渉を持ちかけるのですが、ヴィオラはこれを拒絶し、子供の産めない夫人を侮辱して追い返したそうです。こうして2度差し伸べられた救いの手もルーカスには届きませんでした。

そしてある年の夏、ルーカスは腹違いの兄と遊んでいて、枝を切った時に誤って左目をポケットナイフで切りつけられるという大怪我を負いました。母親の罰を恐れた2人はこのことを黙っていましたが、顔に包帯を巻いて帰宅したルーカスを面白がったヴィオラは息子の顔をさんざん箒で小突き回し、そこから雑菌が入ってルーカスの目は失明寸前にまでなってしまいます。

更に運の悪いことに、後日学校でからかわれているルーカスを助けようとした女性教師の持っていた定規が怪我を負っている左目に刺さってしまい、完全に失明。学校から賠償金をもらったヴィオラはルーカスに安ものの義眼を与えて、残りの金は自分の遊興費に使ったのです。

このことを機にルーカスは学校に行かなくなり、森で小動物を殺す、腹違いの兄と同性愛行為に浸るなど奇行が目立つようになっていきました。

 

殺人鬼の誕生

ルーカスが14歳になった時、唯一の遊び相手であった腹違いの兄が年齢を偽って海軍に入隊、これに倣って自分も軍隊に入って母親から逃げようと試みるのですが、失明した左目が原因で入隊テストに落ちてしまいます。

そして絶望したルーカスに「あたしのところ以外にあんたの居場所なんてないんだ、死ぬまで奴隷として働くんだよ」とヴィオラは追い打ちをかけます。同じ頃ヴィオラの夫であったアンダーソンが死亡するのですが、これを機に彼女はますます息子に執着は酷くなっていきました。

ルーカスが初めて人を殺したのもこの頃で、バス停にいた17歳の少女を脅して人気のない堤防に連れ込んで気絶させ、強姦した後に殺したといいます。そして、この後も被害者に性的暴行をしてから殺すというのがルーカスの常套手段になっていきます。

殺人が露見して逮捕されるのを恐れていたルーカスですが、その前に窃盗の罪で刑務所に収監されることとなりました。しかし恐れていたはずの刑務所は母と暮らす家に比べると天国のように快適で、すっかり彼は刑務所が気に入ってしまったそうです。

23歳の時に釈放されたルーカスは、母のもとには帰らずミシガンに住む義姉のもとに身を寄せます。ここでマリーという女性と恋に落ち、結婚を夢見るようになりました。

ところが自分の人生も軌道修正ができるのだと希望を感じていたルーカスの前に突然ヴィオラが現れ、マリーを散々罵って婚約を解消させてしまったのです。

その晩ルーカスは宿泊先のモーテルでヴィオラの首をナイフで裂いて殺害、数日後に殺人罪で再び収監されました。

 

オーティス・ツールとの出会い

懲役40年の刑で収監されたルーカスですが、当時ベトナム戦争が原因でアメリカが財政難にあったことから経費削減の一環として囚人を早めに釈放する動きがあり、逮捕から10年で仮釈放されることとなりました。

ルーカスはこの時、社会に野放しにされれば自分は人を殺すということが分かっていたため最後まで刑務所を出ることを嫌がったといいます。

そして仮釈放当日、刑務所から3ブロック程歩いたところでまず女性を殺害し、殺人行脚が始まりました。

1979年、ルーカスはフロリダ州ジャクソンビルでオーティス・ツールという青年と出会います。きのこ農場での仕事で知り合った2人はすぐに打ち解け、週末ごとに出掛けては強盗、暴行、殺人をレジャー感覚で行うようになり、じきに農場を辞めて州から州へ渡り歩いて殺人を繰り返していきました。

そして、オーティスから“死の腕”という殺人組織に入らないかと持ちかけられるようになります。死の腕に入るには7日間のトレーニングキャンプに参加する必要があり、その間は凶悪犯罪の実行方法や逃走の仕方といったことについての講義を受け、生贄と呼ばれる死体の血を飲んで生活をしたそうです。

キャンプを終えて入会を許可されたルーカスは、乳幼児や少女の誘拐や殺人を仕事として行うようになったといいます。

 

ベッキーとの出会い

時を前後して、オーティスは従姉妹のベッキーという名の少女をルーカスに紹介しています。2人が初めて会った当時ベッキーは9歳でしたが、ルーカスは人を殺している時も、頭を潰した女を犯している時でもベッキーのことを考えるようになり、もう一度会わせてもらえないかとオーティスに頼みました。

再会した時12歳になっていたベッキーは、肝の据わった少女でルーカスのことを“パパ”と呼んで慕ったといいます。そして、目の前で死の腕の仕事をしていても動揺せず、一緒に死体を埋める穴まで掘ってくれる姿に感動したルーカスは彼女と結婚したいと願うようになったそうです。

そしてベッキーは殺人鬼2人と行動をともにするようになるのですが、テキサス州で警察から目を付けられ身を隠すため“祈りの家”という信徒村に身を隠したことがきっかけでキリスト教に傾倒、年の離れた恋人同士の間に溝が生まれていきます。

ルーカスにとっては神の説法を聞かされるうえにアルコールも麻薬も禁じられた祈りの家は地獄のような場所だったのですが、ベッキーはたちまち信仰に染まり、自らの罪を懺悔したいと言うようになりました。

この時ルーカスが殺した人間の数は200を超えており、FBIをはじめ様々な州警察が捜査に乗り出していました。懺悔から殺人が露見することを恐れて口論となり、箒で自分を叩いてきた彼女に母ヴィオラの姿を重ねたルーカスはベッキーの首を裂いて殺害してしまいます。

以降殺した死体の処理を雑に行うようになったルーカスは、1日に5件の殺人を犯すことも朝飯前、死体に自分の歯型を付ける等、殺人に拍車がかかっていきました。そして1983年に犯行後に残した証拠が原因で遂に逮捕されました。

 

神との対話

逮捕後、麻薬とアルコールの離脱症状に苦しむルーカスはモンタギュー郡の独房で“神の声”を聞いたといいます。神は彼にすべての罪を告白すれば赦されるのだと語り掛け、これに従って自分が犯した殺人について語り始めるようになったのです。1983年6月15日のことでした。

そしてその年の8月ジョージタウン刑務所に移送されたルーカスは、そこで神と出会うことになります。彼の神様はシスター・クレイミーと呼ばれる尼僧を志す女性で、彼女はボランティアとして刑務所を訪れては囚人の心に寄り添い、その心に潜む深い闇に飛び込むことさえ躊躇わない勇敢さを持っていました。

ちなみに『羊たちの沈黙』のレクターのモデルになったというルーカスですが、同作の主人公であるクラリス・スターリングのモデルはシスター・クレイミーではないかと推測されています。

ルーカスが収監された当初、ジョージタウン刑務所の所長たちは多くの主人の拠り所であったシスターが凶悪な殺人鬼に近づくことを禁じたといいます。

しかし他の囚人の房を訪れる際に鉄板と岩で封鎖された異質な独房を目にしたシスターは、その主であるルーカスを助けたいと願うようになりました。そして同年のクリスマスイブの夜に自分の娘を伴って刑務所を訪れ、看守の目をかいくぐってルーカスの前までやってきたのです。

シスターから聖書を渡されたルーカスは涙を流して感謝を述べたといいます。そしてその1月後にシスターの手によって洗礼を受けたルーカスは、“神の子”として生まれ変わりました。

そして2001年に心臓発作で急逝するまで、全てが解決した後に死刑を受け入れることを条件に捜査に協力し続けたとされます。殺しの相棒であったオーティスの罪もルーカスの自供から明らかになり、後に死刑囚となったオーティスは「あいつを真っ先に殺しておくべきだった」と呟いたといいます。

 

まとめ

上で紹介した3人以外にも、凶悪殺人者と言われる人物の多くには悲惨な生育環境という共通点が見られます。彼らのような悪魔は生まれついてのものなのか、環境によってつくられるものなのかというのは度々議論されることですが、少なくともこの3人はつくられた怪物であると言えるでしょう。

また、この3人を含め凶悪殺人者は芸術に傾倒することも多いようで、2016年には日本でもシリアルキラー展として彼らの絵画が紹介されたこともありました。彼らの深淵を覗くことができる作品も多いので、興味のある方は一度調べてみるのも良いですよ。




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