死刑とは最も重い刑罰であり、死を以て罪を償わせるというものです。日本では絞首刑が、米国の一部の州では薬物注射による処刑が、サウジアラビアでは斬首刑が現在も刑法に取り入れられ、度々執行されています。
現代の処刑法は(ISISのような集団による刑法に則ったものではないものを除いて)概ね処刑される受刑者の苦痛と恐怖を少なくする配慮がなされているものが殆どです。
しかし、歴史を覗いてみればそのような配慮とは逆行し、出来るだけ長い時間、死んだ方がましだと思うような苦痛を与えるための工夫がなされた恐ろしい処刑法が存在しました。
今回は特に残酷な処刑法を10通りピックアップしてご紹介します。
※この記事にはショッキングなコンテンツが含まれています。
ご了承の上ご閲覧をお願い致します。
串刺し
吸血鬼ドラキュラのモデルとなった人物をご存じですか?
その人物は現在のルーマニア南部に存在したワラキア公国の君主ヴラド三世で、日本ではヴラド・ツェペシュの名で有名です。
ツェペシュは彼の本名ではなくルーマニア語で「串刺し公」を意味する異名であり、直訳すれば串刺し公ヴラドとなります。
ヴラド三世が執行を命じた串刺しの刑とは、先を尖らせた木製の大きな杭を地面に埋め込んで固定し、持ち上げた受刑者の肛門から貫くというもの。
木製の杭は緩やかに尖らせてある為、自重がかかることにより直腸を穿ち、腹部から胸部を惨たらしく貫きます。酷い場合には喉を通って口から杭の先端が露出し、まさに上半身を串で刺された状態になるのです。
多くの場合において心臓や肺が損傷を受けることなく消化器を貫いて磔にされる為、執行された人の大半は即死できず、激痛に苛まれながら数日間は死を待ち続けることになります。
ヴラド三世が串刺し公と称されるようになった理由として、罪人の処刑だけでなく身分を問わず敵国の捕虜や自国民の粛清にも用いて、その権威を誇示したことにありました。
串刺しの刑そのものは古来より存在し、度々執行されていたのですが、その対象となるのは大罪を犯した農民に限られ、貴族には断首刑が行われていたのです。
日本においても執行を命じた記録が日本書紀に残されていますが、串刺しそのものは中止されたと記されており、国内で執行された記録は残されていません。
現在、串刺しは非人道的であるという理由で執行を許可している国は存在しませんが、 岡山少女串刺し事件のような猟奇的な犯罪において用いられるケースがあります。
ファラリスの雄牛
引用:https://yukawanet.com/
ファラリスの雄牛は人間を閉じ込め、長時間炒って殺す為に発明された処刑器具です。
2500年程前、かつてシチリア島の僭主だったファラリスは新たな処刑法を考案し、真鍮職人にファラリスの雄牛を制作させました。
真鍮製の牛の模型の内部は空洞になっており、施錠可能なハッチ、音響効果を持った管が備え付けてあります。内部に人間を入れてハッチが開かないようにし、牛の腹部にあたる部分を火で熱して内部の人間を炙り殺すというものでした。
当然、即死することはかなわず内部の人間は長時間に渡って高熱に晒され、徐々に体力が奪われる仕組みになっています。ファラリスはこの処刑装置にもう一工夫施しました。断末魔の叫びをより美しく響かせることにしたのです。
雄牛の内部は熱せられた空気が充溢し、皮膚の火傷と共に呼吸困難が哀れな犠牲者を襲います。
そして雄牛の頭部に備え付けられた音響効果を持つホルンのような筒から外部の新鮮な空気を吸い込もうとし、不吉な音色が響き渡ったそうです。雄牛の形に設計させたのはこの音色の為であり、まるで雄牛が唸っているようであったとされています。
この雄牛が完成した際に僭主ファラリスは真鍮職人に出来を確認するように命じました。
真鍮職人は作品の出来を検める為に内部に入ったところ、ファラリスはその瞬間を狙ってハッチを閉じて施錠し、火を付けさせました。
パニックに陥った真鍮職人は外へ出すように訴えますが、真鍮は熱せられ、程なくしておぞましい音色が響いたと伝えられています。
また、史実としてローマ帝国中期にキリスト教徒(当時はまだ国教化されておらず、迫害の対象でした)に対してファラリスの雄牛による処刑が執行されたという記録が残っています。
腹裂き
引用:https://io9.gizmodo.com/
日本には切腹という処刑法がありますが、古代オリエントや中国の腹裂きとは趣が異なります。切腹の場合、腹を切った直後に介錯されるので苦痛は最小限に抑えられますし、武士階級と同等の扱いを受け、晒し者にされることは無い為、名誉は守られます。
しかし、腹裂きの極意は腸の巻き取りにありました。刃物で切り裂かれた腹部から、生きたまま腸をウインチ等で巻き取られ、往々にして公開処刑であるが為に衆目に晒されるのです。
個人差はありますが、通常、大人の腸の長さは6メートル前後であるとされています。腹部の切開口から取り出された腸の先端をウインチに固定して全て巻き取られるまでに相当な時間が必要であり、その間、受刑者は耐え難い痛みに襲われます。
出血を抑える為に動脈を切断せずに執行した場合、多くは外傷性ショック死であったようです。往々にして腸を全て巻き取ってしまい、胃が下腹部に移動し始める時点で事切れてしまうケースが多いのですが中にはウィリアム・ウォレスのように心臓を摘出するまで死ねなかったという事例もあります。
生きたまま腸を摘出され、神経が繋がったままの状態でウインチに巻かれるのは想像を絶する痛みが伴ったようで、受刑者の痛ましい叫びと痛ましい光景は凄惨極まるものであったようです。
観衆は、最初は好奇の目で見るものの、次第に見るに堪えなくなり目を覆う者も少なくなかったと伝えらえています。
タイヤネックレス
引用:https://homesecurity.press/
タイヤネックレスは正確には法律により定められた死刑ではなく私刑による殺害方法で、主に南アフリカ共和国において白人側に立ったとみなされて裏切り者とされた黒人を、裁判を経ることなしに制裁する際に多く見られる手法です。まさにアパルトヘイトの負の遺産と言えるでしょう。
方法は民間で様式化されており、自動車のタイヤを首や上半身にかけさせた後に大量のガソリンを浴びせて点火して焼き殺すというもので、残忍極まる処刑と言っても過言ではありません。
通常の火刑は古今東西を問わず行われてきましたが、往々にして一酸化炭素中毒による絶命が多く、生きた人間を熱エネルギーで殺すという目的は達成されないことが多いとされています。
一方のタイヤネックレスはガソリンの燃焼によりタイヤが溶け、肌にべったりとくっつき、広範囲に渡って深刻な火傷を負わせます。あまりの苦しみに堪りかねてのたうち回ればタイヤ内部に溜まった溶けたタイヤが体に降りかかり、更なる苦痛を招くのです。
タイヤを首にかける理由はただ一つ。より苛烈な苦しみを、より長い時間をかけて与えて殺すため。
この方法によって処刑された人は殆どが焼死してしまいますが、九死に一生を得たとしてもその後の人生は地獄の残り火に焼かれるようなものです。
タイヤに接していた部分は特に火傷がひどく、炭化してただれて声帯も失われ、目や耳は焼け落ちてしまいます。首から上は黒く焼け焦げて生きた屍となってしまい、自立的な生活は送れなくなるのです。
このような惨たらしい私刑がまかり通っている原因の一つに、警察の機能不全があると言われています。
南アフリカ共和国は殺人や強盗といった凶悪犯罪の発生は日常茶飯事であることで有名ですが、そういった犯罪はもちろんのこと、民間人によるリンチも野放しになっているのです。
平和の対義語は戦争……と考えてしまいがちですが、平和も戦争も統治者による秩序が働いており、戦争は外交の延長でもあるとされています。もしかすると、秩序なき混沌こそが平和の対義語なのかもしれません。
凌遅刑
引用:http://www.mundogump.com.br/
インターネット上で有名な残酷の処刑法の中で最も有名なのは清の時代まで執行されていた凌遅刑ではないでしょうか。
凌遅とは緩やかな死を意味し、致命傷を避けながら人間の肉を生きたまま細かく刃物で削ぎ落していき、肉がすっかり無くなれば耳と鼻を削ぎ落し、更に眼球を抉り出して腹を裂き、そして首を切り落とすという、切るという方法で最も多大な苦痛を与える極めて残酷な処刑法です。
この処刑法は中国特有のものであり、体系化された同類のものは、支配下にあった冊封国を除いて、歴史を通して(記録されなかった事例がある可能性は否定できませんが)他国には存在しません。中国では王朝を問わず古くから執行されており、清代末期まで執行されていました。
明代の宦官である劉瑾(りゅうきん)は凌遅刑を執行された一人です。彼の受刑は執行人による記述が残されています。
劉瑾は当時の君主である正徳帝を唆して騙し、政治を私物化したという罪で凌遅三日の刑を宣告されました。
執行一日目、劉瑾の体は生きたまま刃物で少しずつ切り刻まれ、初日はおよそ三千刀に及びました。処刑は公開処刑であり、彼に憤慨していた観衆の一人は当時流通していた最小単位の貨幣で劉瑾の肉片を買い、米と酒と共に食したことが記録に残っています。
劉瑾はなかなか絶命せず、三千刀を入れた頃には日が暮れてしまっていたため、一度獄舎に戻され、満身創痍の体で、差し入れられた夕食のお粥二杯を食べています。
翌日、凌遅刑二日目を迎え、劉瑾の体を切り刻む刑が再開されました。相当に体力を奪われていたようで、3357刀目にしてようやく息絶えたと伝わっています。
先述の肉を買った観衆のように、凌遅刑により削ぎ落された人肉は漢方薬になると信じられ、実際に売買され消費されていたようです。
なお、現在の中華人民共和国では凌遅刑は一切行われておらず、法律により処刑方法は銃殺もしくは薬物注射に限られています。
八つ裂き
引用:http://tabnakbato.ir/
八つ裂きの刑(正確には四つ裂き)は両手両足を縛り、縄を馬に結び付け、それぞれ別の方向に向かって走らせて四肢を胴体から切断して死に至らしめる処刑法です。
洋の東西を問わず古来より行われた刑罰であり、多くの場合最も重い処刑法とされ、日本においては江戸時代に馬の代わりに牛が用いられました。
牛や馬の力だけでは人間の四肢がそれぞれ切断されることは殆どなく、執行前に刃物で腱を切って千切れやすくしたとされています。また、同時に四肢がばらばらになることは物理学的にはあり得ないので、複数回に渡って馬を走らせたと考えられています。
この処刑法で最も有名な事例をご紹介します。
フランスの絶対君主ルイ15世を暗殺しようとして未遂に終わったロベール・フランソワ・ダミアンという男は裁判の結果、八つ裂きの刑に処されることになりました。
この処刑は執行人が書き記した記録が詳細に残っています。
ダミアンの場合は国王殺しを企てたという大逆罪であったため、他の刑罰を織り交ぜながら最後は八つ裂きにされるという苦痛のフルコースを味わうことになっていました。
死刑執行の為にグレーブ広場に連行されたダミアンが見たのは興奮を隠しきれないおびただしい数の観衆、執行人と死刑台、四頭の馬。パリでは147年ぶりの八つ裂きの刑が執行されます。
まず、彼は死刑台で国王を襲った際に凶器のナイフを持っていた右手を硫黄の炎で焼かれ、最初の罰を下されます。次に真っ赤に焼いたやっとこで、胸、腕、もも、ふくらはぎを引き裂き、できた傷口に溶けた鉛、沸騰した油、火のついたタールと樹脂、硫黄とロウの混合液を流し込まれました。
そしていよいよ本番です。耐え難い痛みに耐え、ほうほうの体となっていたダミアンの両手と両足に縄が結ばれ、もう一方を四頭の馬に結ばれます。そして号令と共に縄で結ばれた馬はそれぞれ四方向に駆け出すのですが、ダミアンの体はばらばらにならず、彼の悲痛な叫びが広場に谺するだけでした。
三回同じ手順を踏んだ後、埒が明かないと判断した死刑執行人は四肢の腱を切断して四度目の執行に臨みます。すると左脚、右脚、続いて右腕がもぎ取られ、左腕を残してダミアンの体はばらばらになり、この時点でダミアンは絶命しました。処刑開始から一時間が過ぎていました。
その後、ダミアンは荼毘に付され、その遺灰は墓に入れずに散布されています。日本では火葬は一般的ですが、キリスト教圏においてはキリストの復活の際に天上世界に行けなくなることを意味し、霊的な死を与えられているのです。
皮剥ぎ
引用:https://www.nationalgallery.org.uk/
皮剥ぎの歴史は古く、そして20世紀まで世界各地で行われた猟奇的な処刑法です。
人間の外皮を刃物で切り裂き、人力で剝いでしまうというものであり、往々にして致命傷には至らない為、受刑者は長時間に渡って風が吹けば激痛が走る程の苦しみの中で死を待つ状態になります。
皮剥ぎの手順として、頸部や手首のように皮膚が薄い部位を刃物で切り、皮下脂肪と真皮の境を手で引き裂く要領で捲り取る方法が取られることが多かったようです。人体の皮下脂肪でぬるぬると滑る為、手で握れる程に皮を刃物で剥離し、力いっぱい引き剥がす方法でした。
鶏肉の胸肉やもも肉の薄皮を引き剥がすのは比較的容易ですが、生きた人間の皮を剥ぎ取るのはなかなか骨が折れる作業であったようで、受刑者もじわじわと皮を引き剥がされる為、苦痛は想像を絶するものであったに違いありません。
皮剥ぎによる直接的な死因は激痛に耐えかねての外傷性ショック死か外皮を失ったことによる感染症、敗血症によるものが多いと言われています。外皮との間に大きな血管はありませんので、血液が滲み出ることはあっても出血多量による死は許されませんでした。
外皮を剝がされた状態の人間の外貌、苦痛に満ちた呻き声は正視に耐えるものではない為、みせしめにされることが多く、主に戦争による敵対勢力への戦意喪失、自国民の民衆に対する体制への反乱防止を狙って皮を剥がされた受刑者を生きたまま、またはその遺体を晒すことが度々あったようです。
鋸挽き
鋸挽きは生きた人間を鋸または意図的に刃こぼれさせた刃物で生きたままの受刑者を長時間に渡って引く恐ろしい処刑法です。古代ローマ帝国や中世ヨーロッパ、中国、中世から近世の日本において行われました。
極めて多大な苦痛を与える刑罰である為、復讐の為に用いられることも多かったようです。日本の場合、主殺(しゆうごろし)を犯した者に適用され、最も重い死罪であるとされていました。
鋸挽きは公事方御定書に詳細な記録が残っています。まず受刑者を一日中引き廻しにした後、受刑者の首だけを露出させた状態で土に埋め、両肩に刃物で切れ目を入れておき、竹で出来た鋸に受刑者の血を付着させ、二日間晒し者にされます。
そして被害者の遺族や通行人等が希望すれば、立てかけられた血まみれの鋸で一挽き、または二挽させて復讐を成就させるといったものでした。
中世ヨーロッパでも同様の刑罰が行われていました。
フランスでは悪魔の子を孕んだ魔女、ドイツでは農民一揆の首謀者に対して執行されていました。こちらは苦痛をより長引かせる為、逆さ吊りにして執行人が時間をかけて鋸を挽いたようです。こうすることにより血液が上半身に集まり、股間から鋸を入れた際に出血が抑えられ、より死が遠のくとされていました。
逆さ吊りにして両手両足を縄で固定したとしても、鋸で人体を挽こうとすれば体が前後に動き、丸太を鋸で挽くのとは違って切れ味が鈍ります。その為、受刑者は死に至るまで意に反して緩やかに胴体を破壊されることになったのです。
また、別の手法として椅子に座らせて固定した罪人に対して頭部から鋸を入れる方法も存在しました。こちらは慈悲深い方法であるとされ、逆さ吊りにして下半身から鋸挽きに処すよりも絶命が早く、苦痛も最小限に抑えることができる為、特に逆さ吊りを指定されていなかった場合に罪人への情けで取られていた手法のようです。
釜茹で
引用:http://en.nishan.org/
日本では釜茹での有名な過去例として石川五右衛門(彼については当サイトの関連記事を是非ご覧下さい)が挙げられるでしょう。主に戦国時代から江戸初期にかけて執行された公開処刑です。
釜茹でとは釜をお湯または油で満たして加熱し、受刑者を放り込んで死に至らしめるというもの。石川五右衛門のケースでは熱した油に放り込まれたという記録がスペイン人商人の著書に残されています。
いずれの方法にしても、この方法で処刑された受刑者は体中に致命的な火傷を負い、赤くただれ、想像を絶する苦しみと共に死を迎えます。
火刑と違い呼吸器へのダメージが少ないこと、一酸化炭素中毒で昏睡することが無い等の理由から数十分以上は苦しみ続け、殆どのケースでショック死すると考えられています。苦痛に限って言えば、油よりも熱湯に浸され続ける方が長引くでしょう。
この釜茹でという処刑法は古代オリエントが発祥とされ、日本には元寇の際にモンゴル軍が壱岐や対馬の住人に対して行ったことで持ち込まれたとされていますが、後世の日本においては地獄の再現という意味付けがされたと言われています。
「地獄 仏教」で画像検索すればすぐに鬼に釜茹でにされている人間の絵が出てくるはずです。罪人に対して地獄と同じ究極の苦しみを以て地獄に送り出すという、大変不名誉な死に方を公開することで見せしめになり、その解りやすさから民衆の娯楽にもなったのです。
スカフィズム
引用:https://toiletovhell.com/
スカフィズムはギリシア語由来の言葉で、日本語の訳語はありません。元々はアケメネス朝ペルシアで行われていた処刑法ですが、12世紀の東ローマ帝国の記録が残っていることから、長らく執行されていたと考えられています。
スカフィズムは人類が生み出した究極的に残酷な処刑法との呼び声もある、身の毛もよだつ殺害方法です。
この処刑には炎も刃物もノコギリといった、殺傷能力が高い器具は必要ありません。使うのは小さな舟とはちみつミルク、野生の虫だけです。
罪人はまず衣服を全て脱がされ、舟に寝かされます。手足と頭だけが出る蓋をし、縄で蓋と舟をぐるぐる巻きにして処刑台は完成です。罪人は酷く衛生状態が悪い池、もしくは炎天下に晒し、絶えず顔を太陽に向けられます。
罪人は蜂蜜とミルクを飲むように強要されます。拒否すれば目を刺されてしまうのですが、往々にして飢えと渇きに苦しんでいる為、貪るように飲んでしまって下痢を誘発してしまうのです。
食事が終わったら露出している顔と手足に蜂蜜とミルクを塗られます。基本的にこの繰り返しがスカフィズムです。
この処刑法が興味深くはあるが凄惨ではないと思ったのなら、すぐに間違いだったことに気付くでしょう。
スカフィズムが始まって三日もすれば受刑者が横たわる舟と蓋の間のスペースは汚物で溢れ、悪臭とはちみつに誘われた大量の蝿と昆虫に顔と手足が覆われるようになります。この間もはちみつミルクの強制給餌は行われ、飢えや脱水症状で死ぬことはできません。
蝿や昆虫は受刑者の汚物に卵を植え付け、それが孵化すると幼虫が腸内に侵入してきます。体の内外両面から昆虫やその幼虫に食われ、体が壊疽していき、やがて蛆虫が湧くようになります。
受刑者は姿勢を固定されていますが、自分の腕を見ることは出来るので、破れて腐り果てて蛆虫に食われる様子を見、腹部の激痛から幼虫に蝕まれていくのを感じながら死を待ちます。実際にスカフィズムに処されたミトリダテスは死に至るまで17日間も必要でした。
この処刑法の目的は生きながらにして受刑者の体を腐敗させ、極めて遅効的なダメージでありながら精神的に苛烈な方法で命を奪うことにあったのです。
まとめ
ロシア文学の名作、カラマーゾフの兄弟の一節に次のような一文があります。
『野獣のような人間の残虐』なんて表現をすることがあるけれど、野獣にとってこれはひどく不公平で、侮辱的な言葉だな。野獣は決して人間みたいに残酷にはなれないし、人間ほど巧妙に、芸術的に残酷なことはできないからね。虎なんざ、せいぜい噛みついて、引き裂くくらいが精一杯だ
必要以上に苦痛を与えて殺す行為を野蛮と形容しがちですが、その実、極めて理性的な行為です。
それは誰もがどこかに隠し持つ、人間の持ち得る本性の一面なのかもしれませんね。