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日本最古の神社10選

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神社は日本固有の宗教である神道の教えにおける祭祀施設で、日本には神社がおよそ8万社あると言われています。

神社個々を見ると建立された時期は様々で、古代以前にまでさかのぼるところもあれば、明治期に新設されたものもあります。

ただ古い神社だと文献に頼らないとその歴史を辿ることができないために正確な年代を測るのが難しく、いくつもの神社が「日本最古の神社」を自称しています。

今回は日本最古の神社を名乗る神社を紹介します。

 

大神神社

引用元:https://icotto.jp/

大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市にある神社です。

奈良県で最古の神社とされています。

主祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、副祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)です。

奈良盆地を巡る山のひとつである三輪山をご神体としています。

『古事記』において三輪山は大物主大神と活玉依姫の恋物語の舞台として語られる由緒ある土地であり、昔の桜井市一帯を支配した出雲ノ神一族によって神奈備信仰(自然をご神体とする信仰)の対象となり、山中の岩で磐座祭祀が行われたと言われています。

大神神社の縁起書によると山の頂上付近にある奥津磐座(おきついわくら)に大物主大神、中腹の中津磐座(なかついわくら)に大己貴神、麓の辺津磐座(へついわくら)に少彦名神が鎮められているとされています。

 

伊勢神宮

引用元:https://www.iseshima-kanko.jp/

伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社で、正式名称は単に「神宮」と言います。

他の神宮と区別するために、伊勢神宮と呼ばれます。

日本を代表する神社であり「お伊勢さん」、「大神宮さん」と呼び親しまれ、江戸時代には伊勢神宮を参拝する「お蔭参り」が流行しました。

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』では、当時の民衆のお蔭参りの様子が描写されています。

また明治時代に編纂された近代社格制度において伊勢神宮はすべての神社の上に位置するものとして、社格の対象外とされました。

伊勢神宮は「皇大神宮」と「豊受大神宮」の2つの正宮を始めとする125の宮社によって構成され、皇大神宮の祭神が天照大神(あまてらすおおみかみ)、豊受大神宮の祭神が豊受大御神(とようけおおみかみ)です。

『日本書紀』によると、伊勢神宮の成り立ちは第11代垂仁天皇の時代にまでさかのぼります。

天孫降臨の際に天照大神は、自らの神霊を込めた「八咫鏡」を三種の神器のひとつとして神武天皇に授け、第10代崇神天皇の代に大和の笠縫邑(かさぬいむら、比定地不明)に移しました。

崇神天皇の代に日本で疫病が流行ったために、八咫鏡は疫病の鎮圧のために各地を転々とし、最後に現在の伊勢神宮の皇大神宮に鎮座したそうです。

 

大和神社

引用元:https://www.travel.co.jp/

奈良県天理市にある大和神社(おおやまとじんじゃ)は、現在の奈良県の旧国名である「大和国」の名前の由来となった神社です。

ほかにも、あの戦艦大和に大和神社の分霊が守護霊として祀られていました。

昭和17年に「特別神符遷座祭」を行って分祀し、その後戦艦大和の艦長以下乗組員もたびたび大和神社を参拝したと言います。

大和は昭和20年に撃沈され、現在も当時の海戦で亡くなった2736柱の英霊と、軽巡洋艦矢矧など大和の護衛艦の乗組員が国家鎮護の神として境内の祖霊社に合祀されています。

祭神は日本大国魂大神(やまとのおおくにたまのかみ)、八千戈大神(おおくにぬしのかみ)、御年大神(おおとしのかみ)の3柱であるとされていますが、日本大国魂大神以外の2柱については諸説あります。

第5代孝昭天皇の時代に、当時日本大国魂大神と共に宮中で祀られていた天照大神が笠縫邑に移されたことを期に、日本大国魂大神もまた市磯邑(いちしのむら)に移されたのが大和神社の始まりとされています。

 

諏訪大社

引用元:https://www.onbashira.jp/

諏訪大社は全国に25000社もある諏訪神社の総本社です。

長野県諏訪市、茅野市、諏訪郡下諏訪町など諏訪湖の周辺の二社四宮によって構成されています。

祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)の2柱です。

諏訪大社の成り立ちは『古事記』にまでさかのぼり、国譲り(国津神が天津神に対して葦原中国を譲り渡すエピソード)に反対した建御名方神が諏訪まで逃れ、そこに国を築いたことが始まりとされています。

平安時代、927年に編纂された『延喜式神名帳』にも「南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)」という名前で信濃国四十八社の第一として記されているほか、持統天皇(645~703)が諏訪大社に勅使を送ったという記録も残されています。

諏訪大社は独特の祭祀や信仰が残る神社としても有名です。

四社の社殿の四隅には「御柱」と呼ばれるモミの柱が立ち、7年に1度、寅と申の年に柱を建て替えます。

樹齢200年を超える巨大なモミの柱を曳き立てる「御柱祭」は、1000年以上の歴史を持つ勇壮な祭りであり、毎回多くの観光客が訪れます。

また諏訪大社の祭祀には諏訪地方を中心に関東・近畿地方にまで広がる「ミシャグジ信仰」の影響が残っています。

そのためか個々の祭神はあまり意識されず、地元の人には「諏訪大明神」、「諏訪神」という名前で親しまれています。

 

花窟神社

引用元:https://jinja-gosyuin.com/

2004年、和歌山県、奈良県、三重県にまたがる3つの霊場と3つの参詣道が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。

このうち三重県熊野市の熊野三山にある花窟神社(はなのいわやじんじゃ)は、古代から「窟の熊野」として熊野三山信仰の中心地となってきました。

祭神は伊弉冉尊(イザナミノミコト)と軻遇突智尊(カグツチノミコト)です。

『日本書紀』の「国産み」において伊弉冉尊が火の神である軻遇突智尊を産み、陰部を焼かれて亡くなった際に埋葬された「紀伊国の熊野の有馬村」が花窟神社の謂われだと言われています。

花窟という名前は、伊弉冉尊に対して花を供えて祀ったことに由来しています。

花窟神社の神体である巨岩の麓にある「ほと穴」に伊弉冉尊が葬られたと言われています。

ちなみに「延喜式神名帳」などでは花窟神社は記載されていません、『日本書紀』のエピソードから神社ではなく墓所として扱われていたようで、神社として扱われるようになったのは明治時代以後のことです。

 

丹生川上神社上社

引用元:http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/

丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみしゃ)は奈良県吉野郡川上村にある神社です。

「上社」とあるように同名の丹生川上神社下社が奈良県下市町にあり、対になっています。

また奈良県吉野郡東吉野村にも同名の神社があり、こちらは「中社」と言われます。

主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で、配神として大山祇神(おおやまつみ)と大雷神(いかづちのおおかみ)が祀られています。

かつては罔象女神(みずはのめ)を主祭神としていましたが、1922年に現在の中社との合併によって現在の主祭神へ変更となりました。

丹生川上神社上社は決して規模の大きな神社ではなく、歴史も天武天皇の時代である675年に建立されたと残っている程度です。

しかし大滝ダムの建設の際に境内を発掘調査したところ、平安時代以前の祭壇跡や縄文時代の祭祀施設である環状配石遺構が出土し、断絶した時期こそありますが、丹生川上神社上社が縄文時代から宗教的な機能を有していたことが明らかとなりました。

現在、丹生川上神社上社は日本遺産「森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしと こころ ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~」の構成文化財として認定されています。

 

宇治上神社

引用元:https://icotto.jp/

京都府京都市宇治山田にある宇治上神社(うじがみじんじゃ)は創建年こそ不明ですが、本殿は1060年ごろに建てられたと推測され、日本最古の神社様式を採用した神社です。

1052年創建の平等院との関連も推測されています。

醍醐天皇が平等院を訪れた際、隣接する宇治神社と共に「離宮明神」と名付けました。

宇治にはかつて「宇治七名水」と呼ばれる7か所の湧水がありましたが、現在では宇治上神社境内の「桐原水」しか残されていません。

宇治上神社の本殿や拝殿は国宝に指定されるほか、宇治上神社は世界遺産「古都京都の文化財」の構成遺産のひとつとして登録されています。

 

伊弉諾神宮

引用元:http://kuniumi-awaji.jp/

淡路島は記紀に記される「国生み」において最初に生まれた土地であり、「国生み」、「神生み」を終えた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が淡路島多賀の地に幽宮(かくりのみや)に鎮まったと伝えられています。

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)はこの幽宮として伝えられる神社であり、祭神も伊弉諾尊と伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。

地元では淡路島で最も社格の高い神社であることから「一宮(いっく)さん」、あるいはそのまま「伊弉諾さん」と呼び親しまれた神社で、幽宮でなくとも『日本書紀』などに記載があります。

伊弉諾神宮の境内には樹齢900年を超える「夫婦大楠」と呼ばれる、高さ30メートルほどの大きな楠があります。

2メートルほどの地点から二股に伸びており、元々2本の楠だったものがひとつとなったもので、祭神である夫婦神の伊弉諾尊と伊弉冉尊のご神霊が宿るご神木だと伝えられています。

 

神魂神社

引用元:https://www.jalan.net/

島根県松江市大庭町にある神魂神社(かもすじんじゃ)は、高床式倉庫から発展した「大社造」と呼ばれる建築様式を採用した神社の中で最も古いものです。

現在まで伝わる神社建築様式が確立する前には、神魂神社や出雲大社などの大社造や住吉大社などの「住吉造」、伊勢神宮の「神明造」などの建築様式で神社が建てられました。

神魂神社は天穂日命(あめのほひ)が創建したと伝えられていますが、『延喜式神名帳』や国史などの文献に記載がなく、初めて登場したのが鎌倉時代の文献のため、実際の創建は平安時代以後のことだとされています。

現存する最古の大社造のため、神魂神社は1952年に国宝に指定されています。

 

大己貴神社

引用元:http://kazenoyadori.seesaa.net/

大己貴神社(おおなむちじんじゃ)は福岡県朝倉郡筑前町にある神社です。

祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)で、「大神神宮」とも呼ばれるほか地元では「おんがさま」とも呼ばれます。

『日本書紀』によると神功皇后が新羅を征伐する際に、兵が集まらなかったために大三輪社を建てたところ無事に兵が集まり、新羅征伐に繰り出すことができたと伝えられています。

また「邪馬台国の会」を主宰する大学教授安本美典は、数理文献学という手法を用いて記紀などを統計学的に分析し、邪馬台国が福岡県朝倉郡にあったとする説を唱えています。

これは現在『日本書紀』などで大和国で起きたとされることは皆朝倉で起きたことであり、朝倉で勢力を築いた邪馬台国が東遷し、大和国へ政権を移動させたという考えです。

この「邪馬台国=朝倉説」において大己貴神社は奈良県桜井市の大神神社に該当する存在です。

確かに『日本書紀』において大己貴神社は大三輪社と呼ばれ、大神神社と通じるところがあります。

ほかにも大己貴神社と大神神社は周りの地形が酷似しているとも言われています。

邪馬台国の所在についてはまだ確たる証拠はありませんが、こうした歴史ロマンを味わえるのも大己貴神社の醍醐味と言えるでしょう。

 

まとめ

今回は日本最古の神社を自称する神社の数々を紹介しました。

残念ながら文献ベースの分析がメインのため、日本で本当に一番古い神社というのは分かりませんが、今回紹介した神社はいずれも社格が高く、立派な謂れを持つ神社です。

近年では参拝することで運気を上昇させる「パワースポット」としても注目を浴びています。

ぜひ旅行などの参考にしてください。



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