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【世界最恐】謎の未解決事件(海外)10選

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日本を含め、世界では毎日のように様々な事件が発生しています。

多くは各国の警察組織によって犯人が逮捕され無事解決に至っていますが、その中には警察等の懸命な捜査にも関わらず犯人に結びつく有力な証拠や情報を得ることが出来ずに、迷宮入りとなっている事件も存在するのが事実です。

今回は海外で発生した凶悪事件の中で、特に有名な未解決事件をご紹介します。

日本の未解決事件はこちら
【凶悪】最も有名な未解決事件(日本)10選

ヒンターカイフェック事件(ドイツ)

ヒンターカイフェック事件はドイツ犯罪史最大の謎として知られる殺人事件です。

1922年4月4日、ミュンヘンの北70kmに位置する小さな農村、ヒンターカイフェックの農場で惨殺死体が発見されました。

犠牲者は、夫のアンドレアス・グルーバー(64)、妻のツェツィリア(73)、娘のヴィクトリア・ガブリエル(35)、ヴィクトリアの子ツェツィリア(7)とヨーゼフ(2)、使用人のマリア・バウンガルトナー(45)の6人。

凶器はつるはしで、夫妻と娘、孫娘(ツェツィリア)の4人は納屋で、ヨーゼフと使用人はそれぞれの寝室で殺されていました。事件は3月31日の夕方に発生したとされていますが、実際に何が起こったのかは目撃情報が無いため正確には分かっていません。

事件の2,3日前に、アンドレアスは「森から農場へと続く怪しい足跡を見つけたこと」「屋根裏から足音のような音がすること」を隣人たちに話していました。隣人たちは警察に届けることを勧めましたがアンドレアスは「ああいう連中とは関わりたくない」と拒んだそうです。

また、ケチで有名だった娘のヴィクトリアが、事件の数日前に教会の懺悔室に多額の献金を置いていくという奇妙な行動をしていました。

事件の6ヶ月前には、使用人の女性が仕事を辞めて去っていました。辞めた理由は「農場が何かにとり憑かれている」からというものでした。事件の犠牲者となったマリアが新たに使用人として農場にやって来たが、彼女が農場に着いたのは事件当日で、まさに殺害される数時間前のことでした。

4月4日、一家の姿を数日見かけないことを不審に思った近隣の住人数名が農場を訪れました。農場内の全ての戸は施錠されていたため、彼らは納屋の戸を押し破って中に入り、一家6名の遺体を発見しました。

遺体発見翌日の4月5日、ミュンヘン警察は屋根裏で足音を消すために敷かれた藁を発見しました。更に、人が寝たと思われる凹みや、外が覗けるようにずらされた瓦などの手がかりから、誰かが屋根裏に潜んでいたことは間違いないと結論付けました。

4月8日には、早くも犯人に繋がる有力な情報に対して10万マルクの懸賞金が掛けられました。

犯行後に何者かによって農場の牛や鶏に餌が与えられていたほか、台所でパンや肉を食べた跡が見つかり、近隣の住民の中には週末の間、農場の煙突から煙が出ているのを目撃した者もいたことから、犯人(たち)は、犯行後の何日間か、農場に留まっていたと考えられています。

警察は当初、犯人の動機を物盗りと考えていましたが、農場の母屋から多額の現金が発見されたことで疑わしくなりました。また、怨恨の線でも有力な成果は上がりませんでした。

そこで警察は、霊媒師に捜査を依頼するため、現地で6人の遺体の頭部を切断しニュルンベルクに送りました。

ヒンターカイフェックはカトリック信仰が非常に強い土地だったため、教会の神父が犯人などの懺悔を通じて真実を知っていたのではないか?という説もありますが、この神父の証言は警察の調書には記録されていません。

その後、6名の遺骸は頭部が無いままヴァイトホーフェンの墓地に埋葬され、頭部は第二次世界大戦の混乱で紛失してしまったそうです。また、事件の翌年の1923年に農場の取り壊しが行われ、屋根裏部屋の床板の下から凶器と思われるつるはしが発見されました。

ミュンヘン警察の高飛車な態度が村人たちの反感を買い、捜査は難航しました。容疑者としてヴィクトリアの夫だった隣人のカール・ガブリエルら数人が浮上し、何年にもわたって数百名以上の村人たちが尋問されましたが、事件解決に繋がる有力な手がかりを得ることができず、1955年に捜査は打ち切られました。1986年には改めて事情聴取が行われましたが、成果は上がらず捜査は終了しています。

本件は、アマチュア研究者や事件に興味を持つ多くの人によって現在でもなお真相解明が試みられています。

 

ボドム湖殺人事件(フィンランド)

事件はフィンランドの首都ヘルシンキから西に約22キロメートル離れたボドム湖で起こりました。1960年6月5日早朝、湖畔にキャンプしにきていた4人の若者達が何者かにナイフと鈍器で襲われる事件が発生しました。

犠牲者4人のうち
・マリア・イルメリ・ビョークランド(15歳)
・アンヤ・トゥーリッキ・マキ(15歳)
・セッポ・アンテロ・ボーズマン(18歳)
の3人は、ナイフで何度も刺され、鈍器によって撲殺されて死亡していました。

そして唯一の生存者であるニルス・ウィルヘルム・グスタファソン(18歳)も顔面を殴られ脳震盪を起こし、顎と顔の骨を折る重症を負いました。重症ながら一命をとりとめたグスタファソンはショックのためか事件当時のことを覚えていませんでした。

地元の多くの人は、現場近くのキオスク店員だったカール・ヴァルデマー・ギルストロームという人物を疑っていました。彼は湖でキャンプをする若者たちをよく思っておらず、テントを切り付けたり、石を投げたりと迷惑をかけることで有名だったからです。しかし、警察は彼を殺人事件と結びつける証拠を発見することは出来ませんでした。

それから、約12年後の1972年6月、彼はボドム湖で自殺しました。そして彼が残した遺書には自らがボドム湖殺人事件の犯人であることが記されていたのです。

また、2003年には事件現場近くで病院に勤務していた医師のヨルマ・パロが一冊の書籍を発行しました。事件のあった日、彼はドイツ出身でKGB諜報員だったハンス・アスマンという患者を治療しました。パロは真犯人はアスマンだったが、外交的理由によって彼には徹底した捜査が行われず揉み消されたと主張しました。しかし、警察はこの主張を真っ向から否定。アスマンにはアリバイがあったと主張しました。

そして、事件から約45年後の2004年3月下旬、警察は唯一の生存者であったグスタファソンを友人達を殺害した容疑で逮捕し、2005年にフィンランド国家捜査局は血液染みの新しい鑑識法によって事件は解決したと宣言しました。

2005年8月4日にグスタファソンの裁判が始まりました。
検察は、古い証拠をDNA捜査などの現代の捜査手法によって再調査し、グスタファソンが犯人であると主張。弁護人は、犯人は部外者であり、グスタファソンの負傷の程度を考えれば3人を殺害することは不可能であったと主張しました。

同年10月7日、グスタファソンに対する全ての嫌疑は取り下げられ無罪が確定。フィンランドは彼に44,900ユーロの補償金を支払いました。

現在でもこの事件の真犯人は捕まっておりません。

 

フィレンツェの怪物事件(イル・モストロ事件)(イタリア)

イタリア・フィレンツェで、カップルなど8組16名が殺害された連続殺人事件です。

1968年8月21日、フィレンツェ郊外シーニャの林近くに停められた車の中から男女の射殺体が発見されました。被害女性の夫(ステファノ・メレ)が殺人容疑で逮捕され殺人罪で告訴、懲役6年の判決を受けました。

ステファノが刑務所に収監されていた1974年9月14日、フィレンツェ郊外のブドウ畑近くに停められた車の車内から、男女の死体が発見されました。男性は銃撃され即死。女性には96箇所もの刺し傷があり、性器にブドウの蔓が差し込まれていたことから、悪魔崇拝との関連が噂されました。しかし、この事件の犯人は捕まりませんでした。

更に数年が経ち…

1981年6月6日、結婚式を控えた男女が買い物に出かける途中で殺害されました。74年の犯行同様、男性は射殺。女性は射殺された上に数十箇所におよぶ刺し傷があり、陰部は切り取られていました。この時付近では、カーセックスをする若者をターゲットした覗きが横行していたため、警察は覗き魔の一人だったエンツォ・スパレッティを容疑者として逮捕しました。

スパレッティは殺人罪で告発され、事件は解決かと思われた1981年10月22日、再びカレンツァーノのバルトリーネ付近で車内から男女の他殺体が発見されました。そして6月の事件同様に女性は陰部が切り取られた状態でした。

事件の犯人と考えられていたスパレッティが拘留中だったことから、捜査陣はパニックに陥りました。

そして、捜査は進まずに犠牲者は増えていきました。

1982年6月19日:モンテスペルトリで結婚式を控えた男女
1983年9月9日:ドイツ人男性2人(男性の一人は女性と間違えられそうなほど髪が長かった)
1984年7月29日:ヴィッキオでデート中の男女
1985年9月7日-8日、サン・カシャーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザでキャンプをしていたフランス人の男女

殺害方法は、いずれも銃による射殺で、1984年の犯行ではやはり女性の陰部が切り取られ、1985年の犯行後には切り取られた被害者女性の乳房が州検察官のもとに送りつけられました。

この連続殺人事件では、前述の2人を含む、計4人の男性が逮捕され、有罪判決を受けました。しかし、地元では本当の殺人犯は特定されておらず、事件は未解決であり、2017年現在でも捜査は続けられています。

 

カエル少年事件(韓国)

カエル少年事件は、華城連続殺人事件、イ・ヒョンホ誘拐殺人事件と合わせて、韓国三大未解決事件と称される怪事件の一つです。

1991年3月26日、大邱の城西(ソンソ)小学校に通っていた5人の児童が、「(近くの)臥竜山にカエルを捕まえに行く」と家を出たきり戻ってきませんでした。

その後、マスコミがこぞって取り上げ、韓国国民の関心も高い事件となりましたが、警察の必死の捜索活動にも関わらず失踪した小学生の行方は依然として分かりませんでした。

そして、事件発生から11年後の2002年9月に、失踪小学生のものと思われる5体の白骨死体が臥竜山で発見されました。検死の結果、道に迷っての遭難や転落などの事故ではなく、何者かにより殺害された事件であることが判明しました。

近くに軍の射撃場があったことから、軍の関与が疑われ、捜査が開始されましたが、残念ながら2006年に時効が成立し、事件は未解決のまま捜査終了となりました。

 

ゲイラン・バル四兄弟殺人事件 (シンガポール)

ゲイラン・バル四兄弟殺人事件は、1979年1月6日にシンガポールのゲイラン地区で発生した殺人事件です。

ゲイラン・バルの公共住宅団地に住むタン・クエン・チャイと妻リー・メイ・イングは、夫婦で通学バスを運営しており、この日もいつも通り6時35分に家を出ました。

この時、長男(10歳)、次男(8歳)、三男(6歳)、長女(5歳)の4人の子供たちはまだ全員寝ていました。

7時になると、リーは子供たちを起こすために家に電話をしました。いつもなら電話の着信音で起きて電話に出る子供たちが、この日は何度電話をしても全く出ませんでした。心配になったリーは隣人に連絡し、子供たちを確認して欲しいと頼みましたが、住民が呼び鈴を鳴らしても、ドアを叩いても子供たちは出てきませんでした。

そして、10時にバスの仕事を終え帰宅すると、血まみれの子供たちが浴室で重なり合った状態で死亡しているのを発見しました。子供たちにはそれぞれ20箇所以上の傷があり、長男は抵抗したのか右腕を切り落とされかかっていました。

玄関をこじあけたり窓を壊すなどの形跡がなかったこと、家の中が物色されておらず何も盗まれていなかったことから、警察は一家に恨みを持つ者による計画的犯行と断定し、すぐに捜査を開始しました。

事件から2週間後の旧正月に、両親の元に殺人犯から1枚の年賀状が届きました。北京語で「もう子孫は持てないね。ハハハ」と書かれていました。

凶悪事件がめったに起こらないシンガポールで起こった残虐な事件という事で、現地では大きな話題になりましたが、捜査は難航し犯人逮捕には至りませんでした。

また、両親はこの事件にもめげず、5年後に男の子が産まれたという事です。

 

ジョンベネ殺害事件(アメリカ)

ジョンベネ殺害事件は、アメリカで最も有名な未解決事件の1つです。

当時6歳のジョンベネ・パトリシア・ラムジーが何者かに誘拐され、1996年12月26日に自宅地下から遺体が発見されました。

当時、被害者のジョンベネちゃんは美少女コンテストでグランプリを何度も獲得していた有名人で、更に、父親はコンピューター会社経営、母親は元ミス・ウェストバージニアというセレブ一家だったこともあり、マスコミから全米に大きく報道されました。

1996年12月25日の夜、ジョンベネ、ジョン(父)、パトリシア(母)、バーク(兄)は、友人たちとのクリスマスパーティに出席、一家はパーティが終わると自宅へ戻り、ジョンベネはすでに車の中で眠っていたため、父親が抱きかかえてベッドに連れて行きました。

翌26日の朝、パトリシアは自宅の階段で脅迫文が書かれたメモを見つけた後、ジョンベネが行方不明になっていることに気づきました。

メモには「警察には連絡するな。午前8時から10時頃に連絡する。警察に連絡したら娘を殺す。金を用意しろ」などと書かれていましたが、両親は警察に通報、すぐさま警察には捜査本部が設置されました。

しかし、その後犯人からの連絡はなく、捜査官が再度家中を探し直した結果、前に探さなかった地下室でジョンベネの遺体が発見されました。ジョンベネの遺体は、口はガムテープで塞がれ、首に紐で縛った痕、頭部に打撲傷(懐中電灯で2回強く叩いたもの)があり、手のひらにはハートマークが書かれていました(このマークについては、いまだに謎のままです)。

検死解剖の結果、ジョンベネは性的暴行を受けていたことが判明。また、身代金11万8000ドルという数字は、事件当時に父親・ジョンが受け取っていたボーナスと全くの同額だったこともあり、警察は当初、両親の犯行を疑っており、マスコミも両親が犯認であるかのように大きく報道していました。しかし、1998年に担当弁護士は、DNA鑑定の結果、直系の家族の誰も犯人ではないことを発表しました。

また、初期の容疑者には、サンタクロースを演じた隣人のビル・マクレイノルズ、元家族家庭教師のリンダ・ホフマン・プー、そしてジョンベネが死亡した直後に明らかな自殺で死亡したマイケル・ヘルゴスという男が含まれていましたが、いづれも決め手となる証拠がなく逮捕には至りませんでした。

その後、2006年8月16日、タイで元教師の米国人男性が容疑者として逮捕されましたが、DNA鑑定の結果は不一致でした。

2013年10月26日、地元裁判所が事件捜査を受けた1999年当時の大陪審の決定書を公表。その中身は『殺害の実行犯は不明だが、ジョンベネが何者かに誘拐されるような形で放置した虐待罪で両親の起訴を促すものであったが、地区検事は「証拠不足」として起訴を断念した』というものでした。

現在でもジョンベネ殺害事件の調査は続いています。

 

段ボールに入れられた男児事件(アメリカ)

この事件は、1957年2月25日。ペンシルベニア州フィラデルフィア北東部にて、不法投棄された段ボールの中から、推定4~6歳と見られる男児の全裸遺体が発見された事件です。

通称:ボーイ・イン・ザ・ボックス(Boy in the Box)と呼ばれるこの遺体は、至るところに痣があり、生前に激しい虐待を受けていたと推察され、司法解剖の結果、「死因は頭部への打撃」「死亡後に散髪された」「死亡する数時間前に何も食べていない」「(手足がふやけており)水に浸かっていた可能性がある」ということが判明しています。

事件はフィラデルフィア一帯のマスコミの注目を集め、情報提供を呼びかける少年の写真入りポスターは、フィラデルフィア中のガソリンスタンドに貼り出されました。しかし、事件当時の呼びかけや、長年の事件に対する断続的な関心にもかかわらず、犯人はおろか少年の身元すらわかっておりません。

 

謎のポラロイド写真女性失踪事件(アメリカ)

謎のポラロイド写真女性失踪事件は1988年に発生したアメリカ最恐の未解決事件と言われる怪事件です。

1988年9月20日の朝、19歳のタラ・カリコはニューメキシコ州ベレンの自宅から、マウンテンバイクに乗ってサイクリングに出かけました。サイクリング後にはボーイフレンドとテニスをする約束をしていましたが、タラは現れず行方不明になりました。

家を出る時、タラは母親のパティ・ドエルにふざけて「正午までに私が戻らなかったら、探しに来て」とジョークを言ったそうです。ところが本当に正午を過ぎてもタラは戻りませんでした。

心配になったパティが家の近くを探していると、タラがウォークマンで聞いていたと思われるカセットテープを発見し、直ぐに警察に電話しました。

警察は、タラが成人(18歳以上)だと言うことを理由に直ぐには動きませんでしたが、その後、道路でウォークマンの破片と、自宅から約32キロ離れたキャンプ場の近くでタラのピンクのマウンテンバイクが捨てられているのが見つかり、捜査を開始しました。

捜査により7人の目撃者が見つかり、警察は、タラが自宅から約3キロの地点で自転車に乗っているのを見たとの証言を得ました。そして、目撃者のうち5人が、キャンピングカーをけん引した1953年型フォードトラックが、タラの自転車の後にぴったりついていたと話していました。また、タラはヘッドフォンで音楽を聴いていて、トラックに気づいていないように見えたとも話しました。

その後は、捜査に何の進展もなく時間が過ぎていきました。

そして失踪から1年が過ぎた1989年夏、タラの家からはるか離れたフロリダ州ポートセントジョーの食料雑貨店で、買い物に来た女性が駐車場に落ちていた1枚のポラロイド写真を見つけました。

その写真は、口にガムテープを貼られた10代の少女と、さらに小さな男の子がベッドで手を縛られ、カメラに目線を向けているものでした。そして、写真が見つかった駐車場には白い車が停まっており、運転手は口ひげのある30代くらいの白人男性でした。

写真の女の子はタラに似ていて、髪、目、皮膚の色合いやタラと同じように右脚には古傷のような変色が見られました。さらに、女の子の隣に無造作に置かれた本は、タラが好きな作家の本でした。

パティも警察もこの写真の女の子はタラだと確信しました。

それからしばらくして、人気テレビ番組「Unsolved Mysteries」がタラの失踪事件を放送。更に続いて「America's Most Wanted」と「48 Hours」でも取り上げられ、全米で誰もが知る有名な事件となりました。

全米中で話題になったこの事件には、いくつかの仮説が存在します。

その一つが、地元の当時10代の少年2人が運転するトラックがタラの自転車にぶつかり、彼女は死亡してしまった。そして彼らの両親や友人が遺体や犯罪の隠ぺいを助けたという説です。

しかし、証拠となる死体が無いので現時点で彼らを罪に問うことは不可能だと言われています。

駐車場で発見された不気味なポラロイド写真についても未だ謎のままです。

スコットランドヤードの写真分析官が「写真の女性はタラ本人」と結論を出しました。一方で米国ロスアラモス国立研究所は「写真の女性とタラは別人」という結論を出しており、結局FBIも写真の女の子がタラかどうかを判断できていません。

また、写真の男の子は1998年4月に姿を消したニューメキシコ州のマイケル・ヘンリー君ではないかと言われていましたが、1990年にマイケルの遺骨がキャンプ場付近で発見され、警察は彼が山で道に迷い、死亡したと結論づけました。

そして、2013年には再調査が開始されましたが、現時点で有力な情報や手がかりがなく、現在も未解決のままとなっています。

 

デイトナビーチ連続殺人事件 (アメリカ)

デイトナビーチ連続殺人事件は、2005年12月から2007年12月までにフロリダのデイトナビーチで4人の女性が殺害された連続殺人事件です。

2005年12月26日、最初の犠牲者であるラケッタ・ガンサー(45歳)の射殺体が路地で見つかりました。彼女は至近距離から頭を撃たれ、遺体は全裸で現場からは犯人のものと思われるDNAが見つかりました。

2番目の被害者は、2006年1月14日に発見されたジュリー・グリーン(34歳)でした。彼女もまた全裸で頭を撃たれており、現場からはDNAは見つかりませんでしたが、乗用車のタイヤ痕が残されていました。

その1か月後の2006年2月24日、警察に「女性の遺体がある」と匿名の電話があり、警察が向かうとイワナ・パットン(35歳)が全裸で射殺されているのを見つけました。現場にはDNAと拳銃の薬きょうが残されており、ラケッタの現場で回収されたDNAと一致しました。その後、匿名で警察に電話をかけた人物は特定されましたが犯人ではありませんでした。

3人はいずれもデイトナビーチで働く娼婦であり、客である犯人の車に乗って殺害され、その後投棄されたものと思われました。

しかし、その後も犯人は逮捕されず、2年後の2008年1月2日に4人目の犠牲者となるステイシー・シャーリーン・ゲージ(30歳)の遺体が発見されました。遺体は見つかりにくい場所に放置されており腐乱が進んでいました。

彼女はドラッグの使用履歴がありましたが、娼婦ではありませんでした。その為、地元では「娼婦だけでなく一般人も殺すのか?」「女なら誰でも殺すのか」と緊張が走りました。

地元新聞『オーランド・センチネル』は、「FBIによると、この4人の殺人事件は、フロリダの28件の連続殺人未解決事件の犯人と同一人物である可能性が高いとのこと。犯人はおそらく長距離トラック運転手で、28件の中には、タンパからデイトナビーチにいたる州間高速道路4号線で発見された19人の犠牲者の事件も含まれるという」と報道しました。

地元の警察は、これらの事件との関連性はないとの見解を示していますが、未解決連続殺人事件として現在も捜査が進んでいますが、現時点で犯人逮捕には至っておりません。

 

ホノルル・ストラングラーズ (米ハワイ州オアフ島)事件

ホノルル・ストラングラーズ事件は、観光地として有名なハワイ・ホノルルで1985年から1986年にかけて5人の女性が殺害されたハワイ史上最悪の連続殺人事件です。

1985年5月29日、軍人妻のビッキー・ゲイル・バーディ(25歳)は、友人と待ち合わせをしていたワイキキのクラブに行く途中に行方がわからなくなり、翌朝ケエヒ・ラグーン・ビーチの堤防で遺体となって発見されました。彼女は両手を後ろに縛られ、強姦されて絞殺されていました。

彼女が働いていたポルノビデオレンタル店では、1年前に女性従業員2人が殺傷事件にあっていたことから、警察は同一犯の可能性を疑っていましたが、その後の事件発生により、殺傷事件と同一犯の可能性は消えました。

最初の事件から8ヵ月後の1986年1月14日、ワイパフに住む日系女子高生のレジーナ・坂本(17歳)が登校途中に行方不明になり、翌日ケエヒ・ラグーンで下半身裸の状態で発見されました。彼女はビッキーと同様に手を縛られ強姦されて絞殺されており、警察は同一犯による連続殺人事件と断定しました。

しかし、警察の懸命な捜査も虚しく、同年1月30日には電話会社秘書のデニス・ヒューズ(21歳)が行方不明になり、2月1日にモアナルアの川で遺体となって発見されました。更に、3月26日にワイパフに住むルイーズ・メデイロス(25歳)が行方不明になり、4月2日にワイケル川の近くで遺体が発見されました。彼女らもビッキーと同様に強姦・絞殺されていました。

ホノルル警察は、FBIらの助けを借りて犯人像のプロファイリングを実施し、犯人は「ワイパフやサンド・アイランドで生活・仕事をしている可能性が高い」「バス停などで大人しそうな女性を見つけた際に時に犯行に及ぶ機会主義者」である可能性を上げました。

そして、4月29日、最後の犠牲者となるリンダ・ペッシェ(36歳)が行方不明に…。

すると、43歳の白人男性から警察に「霊能者からサンド・アイランドに女性が放置されていると聞いた」という電話があり、5/3に警察はこの白人男性と共に現場へ向かいました。そこには何もありませんでしたが、警察は島全体を捜索しリンダの遺体を発見しました。彼女も同様の手口で殺害されていました。

しばらくして警察は情報提供者である白人男性を容疑者として逮捕しました。男性はエワビーチに住んでおり、ラグーンドライブに沿った航空貨物の整備士でした。警察による尋問が行われましたが、証拠や決め手となる情報がなく、男性は最終的に解放されました。

それ以降連続殺人は止まり、捜査にも進展がなく、殺人犯は未だ捕らえられておりません。

 

まとめ

今回ご紹介したように海外には多くの未解決事件が存在しています。

しかし、それは海外だけの話ではありません。日本国内においても未解決事件は確実に存在しています。

【凶悪】最も有名な未解決事件(日本)10選

真犯人は確実にどこかに潜伏しており、平和に暮らす住民にとって大きな脅威です。

もしかすると、あなたの近くに未解決事件の真犯人がいるかもしれません。

少しでも怪しいと感じたら警察に相談するなどのこまめな情報提供が凶悪事件解決への糸口になるかもしれません。




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