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【最新】ネッシーはいない!?ネッシー目撃談とネス湖調査結果まとめ

未確認生物、UMAと呼ばれる存在は数多くいますがその中でも最も有名なもののひとつに「ネッシー」がいます。

ネッシーの歴史は長く、その存在は謎に包まれていますが、未だに愛好家から多くの憶測と支持を集めています。

熱狂的なブームとも言うべきものは過ぎ去ったかもしれませんが、未確認生物と言えばネッシーを連想する人もこの国にはいることでしょう。

今回はそんなネッシーについて紹介します。

ネッシーとは?


引用元:http://www.never-world.com/
ネッシーはイギリス、スコットランド北部ハイランド地方にあるネス湖で発見された未確認生物「ネス湖の怪物(ロッホ・ネス・モンスター)」の通称です。

20世紀に入って目撃談が相次ぎ、その外見から今からおよそ2億年前に棲息していた首長竜プレシオサウルスの生き残り、あるいは進化した姿ではないかと言われています。

また大型の魚類や竜脚類(アパトサウルス、ブラキオサウルスなどの大型草食恐竜)の生き残りであるという説もあります。

日本でもネッシーは大きな話題を呼び、鹿児島県池田湖の「イッシー」、北海道屈斜路湖の「クッシ-」、神奈川県芦ノ湖の「アッシー」など、日本の湖で存在が噂された未確認生物にこぞってネッシーになぞらえた名前がつけられるようになりました。

また1977年に日本の漁船がニュージーランド沖で発見した未確認生物の死骸が「ニューネッシー」と名付けられるなど、日本においてネッシーは水棲の未確認生物の代名詞とも言うべき存在となりました。

ネッシーの目撃談


ネッシーの目撃談は古くは7世紀末にまでさかのぼります。

そして1933年ごろからネス湖周辺に道路が開通したことで、目撃談が急増します。

ネッシーは他の未確認生物と比べても目撃談や証拠写真が数多く残されており、明らかにされるたびに世間を騒がせ、憶測が飛び交いました。

ここではネッシーの目撃談を時系列に沿って紹介していきます。

 

聖コロンバ伝の記述(565年)


引用元:https://ja.wahooart.com/
6世紀に、スコットランドや北部イングランドにキリスト教を布教する拠点となったフィオナ修道院をはじめいくつもの修道院を創建し、死後にアイルランドやスコットランドの守護聖人に列せられた聖コルンバという人がいます。

そんな聖コルンバの伝記としてアダムナーンという人が記した『聖コロンバ伝』にはネス湖に表れる怪物について記述があります。

それによると聖コルンバはネス湖に出る怪物に仲間を食い殺されたという男たちの話を聞き、従者を使って怪物をおびき出した後、十字架を怪物をかざし、湖底へ帰るよう命じたと言われています。

この話はキリスト教の伝記にはよくある類型の話ですが、何かしらの事件を下敷きに書かれたものだと考えられており、話の中に出てくる怪物がネッシーではないかという説があります。

 

マッケイ夫妻の目撃談(1933年5月)


引用元:https://machiukezoo.biz/
ネッシーの存在が最初に話題となったのは1933年5月、ネス湖の周辺に道路が通った年のことです。

ネス湖の近くでホテルを経営するドナルディナ・マッケイ夫妻が新しくできた湖岸の道を歩いているときに、ネス湖の水面に黒いものが動いているのを目撃したという証言が新聞の紙面を賑わせました。

このときマッケイ夫妻は新聞に証言しか載せていなかったのですが、この証言から60年後の1993年に、初めて見たときに撮影したという写真を公開しました。

首長竜のような生物がはっきり写ったこの写真をどうして60年もの間秘匿していたのかは定かではありませんが、ホテルの経営者という立場上世間体を気にしたのではないかと考えられます。

 

ヒュー・グレイによる目撃談(1933年11月)


引用元:http://news.livedoor.com/
マッケイ夫妻が最初に目撃談を世間に広めた1933年の11月、イギリスのアルミニウム会社に勤める会社員のヒュー・グレイがネッシーの写真を初めて公開しました。

それ以前にもネッシーを目撃していたというグレイが湖から15メートルほど離れた茂みを歩いていると、突然ネッシーが姿を表して湖で泳いでいました。

グレイが辛うじて撮影した写真と目撃談は1933年12月6日付のスコットランドの「デイリー・レコード」とロンドンの「デイリー・スケッチ」に掲載されました。

グレイの証言によるとネッシーの体長はおよそ12mほど、丸みを帯びた背中をしており、皮膚は滑らかに光る濃い灰色をしていたと言います。

この写真はアメリカにある世界最大の写真用品企業であるイーストマン・コダック社が検証し、合成などの加工が施された写真ではないと結論を出していますがそもそもかなり不明瞭なもので、本当にネッシーを捉えたものかは分かりません。

またグレイがネッシーを目撃した翌日にはカートンという人物とその妻が泳ぎ去る怪獣の姿を目撃し、1933年12月には「アービン・クレイトン・ヘイ」というスコットランドの映画会社が、不明瞭とは言え動く怪獣の撮影に成功しています。

いくつもの目撃談、証拠写真まで提示されたことで「ネス湖の怪物」は一気にその存在が知れ渡り、1933年は「ネッシー元年」とも言える盛り上がりを見せました。

 

ロバート・ケネス・ウィルソンによる「外科医の写真」(1934年4月)


引用元:http://13shoejiu-the.blog.jp
後に「外科医の写真」と呼ばれることになる、ネッシーの写真としては恐らく最も有名な写真は1934年4月に撮影されました。

ロンドンの産婦人科医であるロバート・ケネス・ウィルソンは友人と鳥の撮影のためにネス湖を訪れた際にネッシーを見たという証言をし、この写真を撮影しました。

ヒュー・グレイの写真よりもずっと鮮明に、首長竜が首を伸ばした特徴的なシルエットを映した写真は大きなインパクトを世間に与えます。

ネッシー=首長竜であるというイメージを植え付けたのもこの写真です。

ですがこの写真が撮影されたおよそ60年後の1993年、ロバート・ケネス・ウィルソンの関係者であるクリスチャン・スパーリングが自らの死の間際にこの「外科医の写真」がトリックだったと告白しています。

このトリック写真の撮影を思い立ったのはスパーリングの養父であるマーマデューク・ウェザラルと言う人で、手口としてはおもちゃの潜水艦に首長竜の首を模したものをくっつけて撮影したと言うのです。

そして社会的に信用のあるウィルソンへ偽証を頼んだという顛末だそうです。

スパーリングはエイプリルフールのジョークのつもりだったそうですが、世間が盛り上がり過ぎたために言い出し辛くなったと証言しています。

確かに「外科医の写真」は湖面の波と比較してネッシーのサイズが小さすぎるため、不自然に思われます。

また意図的に湖面以外が切り取られており、ネッシーの大きさを検証できないようにしてあります。

そのため研究家の間ではトリック写真と発覚する以前から「外科医の写真」への信憑性が疑問視されていました。

最も有名な写真が捏造だと判明したためにネッシーそのものがインチキではないかという評判も広がりましたが、これはあくまで数ある写真のひとつが捏造だったに過ぎず、ネッシーの存在そのものを否定するものではありません。

 

ラクラン・スチュアートの目撃談(1951年7月)


引用元:http://13shoejiu-the.blog.jp/
1951年にラクラン・スチュアートは3つのコブのようなものを湖面にさらすネッシーの写真を撮影しました。

この写真からネッシーが定説の首長竜ではなく大蛇であると考える人がいる一方、ネッシーが複数いるという説も出ました。

しかしこの写真は岸から近く、かなり浅い部分を捉えたものであるため果たして本当にネッシーを撮影したものかは不明です。

イーストマン・コダック社はこの写真は加工されたものではないと断言していますが、ネッシーではなく浅瀬の岩を写したものであるだとか、防水シートを浮かべその上に干し草の山を乗せて撮影したという情報もあります。

地元の著述家であるリチャード・フレールは湖でスチュアートがトリック写真を撮影するための作業をしていたと証言していることからも、この3つのコブの写真の信憑性は疑わしくなっています。

 

ピーター・A・マクナブの目撃談(1955年7月)


引用元:http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/
1955年7月にピーター・A・マクナブが撮影したネッシーの写真はネス湖の湖畔に建つアークハート城址と比較することで、ネッシーのおおよその体長が10から15m以上だと分かります。

ヒュー・グレイの証言では12mほどとのことだったので、マクナブとグレイの目撃例は矛盾しません。

またマクナブの写真には複数のネッシーが写っているのではないかとも言われています。

一方生物ではなく船の航跡を撮影したものであるとも考えられています。

 

ディンスデール・フィルム(1960年4月)


引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/
ネッシーを捉えたとされる動画が初めて撮影されたのは、1960年のことです。

航空技師のティム・ディンスデールが撮影しました。

この「ディンスデール・フィルム」ではネッシーとおぼしき何かが水面に姿を表し、水面下には大きな何かの影があるように見えます。

1972年に「ディンスデール・フィルム」は日本でも公開され、大きな反響を呼びました。

ディンスデールは熱心なネッシー研究家としても有名で、生涯を通じて数度ネッシーを目撃し、「ディンスデール・フィルム」を含めて2度の動画撮影に成功しています。

「ディンスデール・フィルム」が日本で公開された翌年の1973年にはディンスデールの著書である『ネス湖の怪獣』が初めて日本語訳されるなど、日本のネッシーブームの加熱に貢献しました。

ただ後年の分析では「ディンスデール・フィルム」は漁船を撮影したものではないかという結論が出ており、実際に「ディンスデール・フィルム」が撮影された地点の近く、同じ時刻に漁船を出した人がいると言われています。

 

ピーター・オコンナーの目撃談(1960年5月)


引用元:https://matome.naver.jp/
1960年5月、博物学者ピーター・オコンナーは至近距離からのネッシーの撮影に成功しました。

オコンナーは武装した男たちと共にネッシーの捕獲チームを組織しており、キャンプを張った湖畔から少し離れたところで撮影をしています。

オコンナーの写真ではネッシーはそれまで多く見られていた首長竜ではなく竜脚下目(ディプロドクスやブラキオサウルスのような大型草食恐竜)や甲羅を持った、亀やカタツムリのような生物のように見えます。

これまで撮影されてきた写真とは質感も異なっているうえ、ネッシーの捕獲チームにも関わらずいざ表れたら撮影に留まってしまうという筋書きもやや怪しく思われてしまいます。

 

ボストン応用科学アカデミー調査団の全身写真(1972年、1975年)


引用元:https://matome.naver.jp/
アメリカ合衆国のボストン応用科学アカデミーのロバート・ラインズの調査団はネス湖を調査し、1972年にネッシーのヒレを、1975年にはネッシー全体と頭部のアップの写真を撮影しました。

マサチューセッツ工科大学の海洋工学部の専門家はこの写真を分析し、体長およそ6mと推測しています。

ネス湖は周辺の地層の泥炭が河川から流れ込むことで湖水が黒く染まり、透明度が著しく低いです。

そのため潜水や水中の調査が難しく、従来の写真はみなネッシーが水面から身体の一部を出した姿となっていました。

ネッシーの全身像が見えないためにその正体が色々推測されました。

ですがボストン応用科学アカデミーの調査団はソナー(音響探知機)やストロボスコープ式の水中カメラを用いて水中画像の撮影に成功したのです。

しかし肝心の写真については、全身写真にも流木を撮影しただけなのではないかという指摘がされています。

 

フランク・サールの目撃談(1970年代)


引用元:http://13shoejiu-the.blog.jp/
1970年代、フランク・サールはネッシーの写真を何枚も公開しました。

いずれも姿をはっきりと捉えており、もし本物であれば大変貴重な写真となるでしょう。

しかしあまりにもわざとらしく見えるので、捏造説が強く提唱されています。

 

アンソニー・シールズの目撃談(1977年)


引用元:http://www.xzukan.net/
アンソニー・シールズが1977年に撮影したネッシーの写真は、貴重なカラー写真です。

褐色の身体をしたネッシーが口を開け、身体から湖の水を滴らせる姿が鮮明に写されています。

シールズがネス湖の畔でテント泊をしていたところネッシーが姿を表したため、撮影したということです。

ただこの写真からはあまり生気のようなものが伝わってこず、またきれいに映り過ぎていると言われることから模型か何かを使った捏造ではないかと考えられています。

 

グーグルアースに映るネッシー(2009年)


引用元:https://www.gizmodo.jp/
時代が進み、衛星写真を使って世界各地を見ることができるグーグルアースというサービスが登場したことで隠れ住んでいたネッシーの姿が目撃されることもありました。

発見したのはイギリス・ノッティンガムで警備員をしていたジェイソン・クックです。

クックはグーグルアースで自分の周辺をチェックするのが日課となっていたのですが、ネス湖を見ていたところネッシーらしき生物の影を発見したのです。

ほかにも2014年にはアップル社の地図アプリにもネッシーらしき影が映るなど、技術の進歩によって新たな目撃例も増えています。

 

ジョージ・エドワードの目撃例(2010年)


引用元:http://hermajesty.cocolog-nifty.com/
地元で観光船の船長をするジョージ・エドワードは2010年にネッシーを撮影しました。

エドワードの証言によるとネッシーは濃い灰色をしており、5分から10分ほどの間浮上していたかと思うと身を沈めてしまったと言います。

背景にはアークハート城址が写っており、マクナブの写真と似たような構図となっています。

このアークハート城址が背景となる辺りはネス湖の中でもネッシーの出没しやすい場所であると言われています。

写真を撮影したジョージ・エドワードは週の60時間をネス湖で過ごす「ネッシーハンター」で、自身の観光船にも「ネッシーハンターⅣ号」と名付けています。

エドワードが軍に所属する友人へ写真の解析の依頼を頼んだところ「水中を泳ぐ、何か生きたもの」を撮影したことは間違いないとのことです。

 

ネッシーはいない!?ネッシーの疑問点


引用元:https://bushoojapan.com/
先に紹介したように、ネッシーは多くの目撃談のある未確認生物です。

その中には模型などを用いたトリック写真もありましたし、漁船や大きな魚などを見間違えた可能性もあります。

それでもネッシーの存在を信じる人は撮影された写真や動画の中に本物のネッシーがいると考えています。

ですが現実にはネッシーが実在するかは非常に疑わしいと言わざるを得ません。

ネッシーには実在すると仮定した場合に直面する疑問がいくつもあるのです。

 

地勢学的に首長竜がネス湖にいることはあり得ない

ネッシーを語る上では「太古の昔に辛うじて絶滅を免れた首長竜がネス湖へたどり着いて生き永らえた」というのがひとつの定説となっています。

しかしネス湖が誕生した年代を見ると、このストーリーには大きな無理があることが判明します。

まず一般的にネッシーの正体であるとされている首長竜が絶滅をしたのは今からおよそ6550万年前のことだとされています。

一方ネス湖のあった地域は長く氷河に覆われていたと考えられており、現在のネス湖ができあがったのは今からおよそ11000年前、最終氷期と言われる氷河期が終わりを迎えたころだと推定されています。

首長竜の絶滅とネス湖の誕生の間には6500万年以上の隔たりがあり、絶滅を免れた首長竜がネス湖へ逃れるという状況は非常に考えにくいものとなっているのです。

また1994年にネス湖周辺の地層の調査が行われたのですが、ネス湖周辺の氷河が溶けたときに海水が紛れ込んだという証拠は見つかりませんでした。

更にネス湖が海とつながっていたという事実を示す証拠も過去の調査では一切出てきていません。

首長竜でなくとも亀や、他の大型生物が海からネス湖へ侵入してネッシーとなったという可能性も考え辛いです。

 

ネス湖はネッシーのような大型の生物が生きていける環境ではない

ネッシーのような大型の生物が生きていくには、湖に豊富な質と量の魚類が棲息していなくてはなりません。

ですがネス湖は周囲の地層に含まれた泥炭が河川を伝って流入しており湖水が常に黒く濁っており、湖の底まで見通すことができません。

だからこそ巨大な生物が隠れ住むというロマンが成り立つという側面はあるのですが、湖の透明度が低いためにネス湖では植物プランクトンが育ちにくい環境となってしまっています。

そして魚の餌となる植物プランクトンが少ないネス湖は同じ規模の湖と比べて魚の棲息量がかなり少なくなっているのです。

ネッシーはネス湖に流れ着いてから1頭でただ生きることはできません。

少なくとも1万年もの間湖で繁殖をする必要があります。

爬虫類の繁殖には少なくとも個体数が40頭は必要だと言われていますが、ネス湖にはそんな数の大型爬虫類を養うほどの魚類は棲息していません。

また仮にネス湖に40頭もの爬虫類が棲息していたとしても、爬虫類はみな肺呼吸のため頻繁に湖面に口を出して呼吸をする必要があります。

そうなった場合目撃数は現在よりも格段に増え、未確認生物としての地位を築くことはできなかったでしょう。

同様に爬虫類であれば卵生であり、陸地に上がって卵を産む必要がありますがネス湖に産卵に適した陸地は存在していません。

しかし首長竜や魚竜(9000万年前に絶滅した海棲の爬虫類)であれば胎生であるため、この問題はクリアされます。

 

実際の調査で見つかっていない

ネス湖には1972年のボストン応用科学アカデミーによるもののほかにも、幾度となく調査が実施されました。

代表的なものとしては1987年に行われた大規模な調査が挙げられます。

この調査ではネッシーの実在のほか、ネッシーの巣となりうるような洞窟などの存在も調べられました。

ネス湖は氷河の浸食によってできた湖で地盤が非常に硬く、容易に洞窟を掘ることができません。

そのため仮に大型の生物が住むとすれば浸食の過程でできた自然の洞窟となるのですが、ネッシーの姿はもちろん湖底も平坦で大型の生物が住むことのできるような空間の存在は認められませんでした。

また現代ではネッシーの証拠写真とされるものにCGやデジタル技術を用いた調査が行われているのですが、多くの写真が流木や破損したボート、魚の群れなどを誤認して写真に収めてしまったものであるという結果が出てしまっています。

近年行われた調査では、ネッシーの存在について否定的な結論ばかりが出ているのです。

まとめ

この記事では未確認生物の中でも代表的な「ネス湖の怪物」、通称ネッシーに関してその詳細や目撃談の紹介、実在に対しての疑問点を紹介しました。

どれほど否定的な証拠が揃ってもネッシーの非実在を結論づけるのは「悪魔の証明」であり、答えは出ません。

最初にその存在が報告されてから半世紀以上経ちますが、未だに多くの愛好家がネッシーの実在を信じて捜索しているのは豊富な目撃談と、「静かな湖に潜む恐竜の生き残り」という存在の持つロマンゆえのことでしょう。

科学技術や通信技術が発展し、世界の不思議とされてきたことが暴かれるようになってもネッシーの持つ魅力だけは決して色褪せることなく、これからも私たちを魅了していくのかもしれません。



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