日本で「カルト」と聞くと、「カルトクイズ」、あるいは「カルト的な人気」のように、「少数の熱狂的なファンがいる」というようなニュアンスを連想するのではないかと思います。
ですが世界には、そんな私たちの想像の域を超えた狂気的なカルト集団が実在します。
そこで今回は世界に存在したカルト集団を5つ紹介したいと思います。
本当に恐ろしいのはいつも人間の狂気です。
人民寺院
人民寺院は1955年にアメリカのインディアナ州インディアナポリスで創設されたキリスト教系の新宗教です。
正式名称を「Peoples Temple of the Disciples of Christ(キリストの弟子たる人民の寺院)」といい、一般的に略称である「Peoples Temple(人民寺院)」と呼ばれます。
人民寺院を創設したのは共産主義者であり、神父でもあったジム・ジョーンズです。
ジョーンズは差別の撤廃を訴え、社会福祉活動にも熱心に励んだことで差別の対象だった黒人やアジア系の信者を集め、インディアナポリスで勢力を拡大させました。
しかし教団が成長するとともにジョーンズは狂気へ囚われます。
教団が南米ガイアナのジョーンズタウンへ拠点を移す頃には、教団はジョーンズの狂気によって性と暴力に支配され、脱退者によって反人民寺院のキャンペーンが展開されるようになりました。
やがて教団の視察に訪れた下院議員一行が信者によって襲撃される事件が発生します。
身の破滅を悟ったジョーンズはジョーンズタウンに集う信者と毒を飲み、集団自殺を図りました。
この集団自殺は合計918人が死亡し、うち276人が18歳以下の子供でした。
また死亡者の中で300人以上は、自分で毒を飲めない乳幼児や逃げる背中を撃たれて死亡した他殺体だったとも言われています。
このジョーンズタウンの集団自殺は、同時多発テロが起こるまでは最大規模の殺人事件でした。
ヘヴンズ・ゲート
ヘヴンズ・ゲートはマーシャル・アップルホワイトとボニー・ネトルスによって、1970年代に創立された宗教団体です。
教義は、当時流行していたニューエイジ運動によって生まれた他の宗教団体同様に、ヨハネの黙示録やキリスト教の教えに基づく、人間を高次元の存在へ進化させるというものでした。
しかしヘヴンズ・ゲートの教義にはオカルト的要素が混じっていました。
ヘヴンズ・ゲートによると地球は間もなく終わりを迎え、ヘブンズ・ゲートの教えを信じる者はヘール・ボップ彗星からUFOが迎えに来て新世界へ旅立つことができる、と主張していました。
ヘヴンズ・ゲートはSF好きの若者を中心に信者を増やしました。
性愛や家族といった人間的な要素を絶った禁欲的な生活を是としており、信者は進んで去勢をしたうえですべての日用品を共有していました。
しかしネトルスの死後は教団の教えに疑問を抱き、離反するものが相次ぎました。
アップルホワイトが教団の行き詰まりに焦りを感じるなか、1996年にカール・ボップ彗星が地球へ接近します。
アップルホワイトはこれを「宇宙人が迎えに来た」と解釈し、38人の信者と共に集団自殺を図りました。
信者たちはすべて黒いシャツにスウェットパンツを履き、「ヘヴンズ・ゲート上陸班」という紋章を身につけていました。
信者の家族には、アップルホワイトが信者を洗脳し、自身の自殺に巻き込んだのだと証言する人もいます。
太陽寺院
太陽寺院は、正式名称を太陽伝説国際騎士団(Order of the Solar Temple)という宗教団体です。
教祖はリュック・ジュレという男で、フランスにあった再生テンプル騎士団と呼ばれる神秘主義的な宗教団体から独立する形で太陽寺院を立ち上げました。
太陽寺院の教義はニューエイジの神秘主義と環境保護を訴えるもので、教養のある富裕層を中心に信者を増やします。
フランスで信者を増やしたジュレはカナダのケベック州へ教団の拠点を移し、大手企業相手に自己啓発セミナーを開いたり環境保護活動を展開するなど精力的に活動し、信者と資産を拡大します。
しかし1990年代に入ると太陽寺院の経済状況は悪化し、次第に集団自殺の構想が教団内で検討されるようになりました。
そして集団自殺が実行されたのが1994年10月です。
スイス・ジュネーブに住む太陽寺院の信者である実業家の家で火災が発生し、23人が死亡します。
更にその四時間後にはグランジェ・シュール・サルバンという村にあった太陽寺院の拠点が爆発し、教祖であるジュレを含む25人が死亡しました。
いずれの場合も信者は頭からビニール袋を被せられ、薬物を投与されていました。
また銃で撃たれて亡くなった人もいました。
ジュレが死亡した後も集団自殺は相次ぎ、ジュネーブと同日にカナダでも太陽寺院の拠点が爆発し男女5人が死亡。
生後3か月の男児も心臓に杭を打ち込まれて死亡していました。
そして一連の集団自殺が発生した1年後にフランス・ヴェルコールで、3年後にはカナダ・ケベックで、太陽寺院の信者が集団自殺を遂げました。
結局、太陽寺院の自殺を図った信者は、確認されているだけで53人となりました。
信者は自身が自殺することをビデオで告白していたのですが、そろって笑顔だったことが、後に議論を呼びました。
KKK
KKK(クー・クラックス・クラン)はアメリカ南北戦争後の1865年に、南部連合の奴隷商人であるネイサン・ベッドフォート・フォレストが設立したと言われている結社です。
プロテスタントのアングロサクソン系こそが聖書に伝えられるアダムの子孫であり、他の人種から優先され隔離されるべきだという、白人至上主義、北方人種至上主義を唱えました。
クー・クラックス・クランという名前は、ギリシャ語で「円環、集まり」を意味する「kuklos(ククロス)」という語と、英語で「一族」を意味する「clan(クラン)」を合わせて作った造語から来ています。
KKKは1870年代に一度消滅しますが、1915年に復活し第一次世界大戦をきっかけに規模を拡大させました。
1925年ごろには構成員が600万人を超えるなど最盛期を迎え、後に大統領になるハリー・トルーマンがKKKの票を確保するために加入していました。
第一のKKKが消滅したことを踏まえ、派手な活動を避けていましたが1928年には構成員を数万人を動員し、大規模なデモ行進を行いました。
しかし第二のKKKも活動が活発化し、リンチなどが表面化し、リーダーが強姦と殺人で逮捕されたことをきっかけに衰退します。
現在では第二次世界大戦後に、KKKを名乗る結社が百以上も組織され、小規模なデモ活動などを行っています。
KKKを名乗る結社同士につながりはないと言われていますが、地下では一大組織としてつながっているとも言われています。
クメール・ルージュ
クメール・ルージュはかつてカンボジアに存在した政治勢力、武装勢力です。
ポル・ポトが指導した勢力であり、カンボジアにおけるポル・ポト政権(民主カンプチア)を支え、政権崩壊後もカンボジア王国やカンプチア人民共和国へ抵抗を行いました。
クメール・ルージュは「ポル・ポトの軍隊」と呼ばれ、ポル・ポトの反植民地主義と極端な毛沢東主義を強く反映した政策を実行し、カンボジアに完全な原始共産主義社会を建設しようとしました。
当時のカンボジアは食糧危機に瀕しており、クメール・ルージュはまずその解決のために通貨を廃止し、カンボジア国民の私有財産を全て没収します。
更に都市部の住人を農村部に強制移住させ、少しでも反抗的な人間は徹底的に処刑しました。
続いてクメール・ルージュは知識人の根絶を目指しました。
最初は教師や医者、技術者を集めて処刑していたのですが、次第にエスカレートし本を読める人、メガネをかけている人、外国語を話せる人、手の柔らかい人、と様々な理由で収容所へ送るようになりました。
収容所へ送られた人は残らず処刑されました。
クメール・ルージュにより処刑された人の数は不明ですが、100万人から300万人と呼ばれています。
しかしポル・ポト政権が終わったのち、カンボジアの人口の85%が14歳以下だったと言われています。
人口の構造にまで影響を与えるほどの虐殺だったのです。
まとめ
いかがでしたか。
人間のやることは、ときにフィクションよりも恐ろしいものです。
宗教やイデオロギーなど、たやすく狂気へ落ちます。
日本でもオウム真理教など、恐ろしいカルト集団とは無縁ではないので、気をつけて生活を送るべきかもしれませんね。