国民的人気アニメを量産するジブリ。
ナウシカに始まり沢山のヒット作の、ちょっと面白ライトな都市伝説をメタネタ含めて集めてみました。
伝説というよりも裏話に近いモノ、荒唐無稽すぎて妄想に近いモノまで雑多ではありますが、ディープなものからライトなものまでネタに事欠かないのがジブリの偉大さです
1 風の谷のナウシカ ナウシカノーパン説
引用元:http://gensun.org
のっけからノーパン話失礼します
作中ナウシカがメーヴェで飛び立つシーン、どう見てもナウシカがノーパンに見える!
という説が根強くあります。
実際にビデオ(当時はDVDではなくVHSでした)を確認すると、驚くほどノーパンです。
風の谷の女性たちは老いも若きも、大ババ様に至るまでノーパンか?!
そんな妄想を捗らせた健全な青少年も多いことでしょう。
しかし、残念ながら事実は違います。
ナウシカはベージュのスパッツを履いていて、それが彼女の肌の色に比較的近い。
これが真相です。
誤解の理由
画像の鮮明なものを見ればハッキリとわかるものの、当時のVHSは再生を繰り返すうちに甚だしく劣化します。
また、90年代前半、我が国のアニメファンの間ではダビング・テープが出回っており、そうしたテープは画質がよろしくなかったのです。
引用元:https://minimote.hateblo.jp
これが噂のノーパン疑惑スパッツ。
こうした都市伝説が出回るほどレンタルやダビングを繰り返されたのですから、ある意味作品にとっては勲章のようなものとも言えます。
ダビングの法的是非は別として、画質の悪さにも夢と妄想を持てた時代、悪くなかったんじゃないでしょうか。
ちなみにナウシカのフィルムコミックスを所有していましたが、そちらにおいてもかなりノーパン感ありました。
2 ナウシカ巨乳説
引用元:https://sakamobi.com
ノーパンの次が巨乳で重ね重ね申し訳ありませんが、別に下ネタ祭りではありません。
こちらの画像だと、胸というか女子格闘家並みにガタイが良く見えてしまいますが、実際にナウシカは歴代ジブリヒロインの中で最も胸が大きいと言われています。
作中のナウシカの年齢は16歳と、まだまだ発育途中ともいえる段階でこのサイズです。
年齢的に近い『魔女の宅急便』のキキ13歳や、『もののけ姫』のサン15歳、『風立ちぬ』の菜穂子23歳と比べて明らかに大きく見えます。
繋ぎを着ていてなお存在感のある胸の持ち主『紅の豚』のフィオ(17歳)あたりが対抗馬となり得るくらいでしょうか?
引用元:https://twitter.com/hashtag
なかなかだと思います。
そして上のナウシカ、生足に見えてなりません。
ナウシカの胸が大きい理由
宮崎駿監督の趣味…ではなく、これには理由がありました。
監督曰く―
『あれは子供に乳を飲ませるためじゃなくてね、好きな男を抱くためじゃなくでね、あそこにいる城オジやおばあさんたちが死んでいくときに抱きとめてあげるためのね、そういう胸なんじゃないかと思うんですよ』
つまり、監督は16歳の少女の胸を人が死んでいく時の末期のオアシスとして設定したというのです。
引用元:https://matome.naver.jp
宮崎監督自身の描いた原作でも、かなり強調されています。
しかし、一方監督は原作のラスト付近でナウシカの入浴シーンを描くにあたり、彼女の胸を誇張することなく慎ましく表現しています。
それは巻が進むにつれてナウシカという存在が確立し、そういった『記号化』が必要でなくなったことと、監督自身がそうした表現に後ろめたさを感じたからだそうです。
引用元:https://twitter.com
3 衝撃・意外と若いお二方
引用元:https://mysocialmate.com
ナウシカ最強の剣士、ユパ様(本名ユパミラルダ)
ナウシカというより、ジブリ作品最強との呼び声も高い爺です。
…爺、だと思ってませんか?
実はまだ45歳なのです、ユパ様。
子供のころの45歳は結構な高齢イメージですが、大人になってみれば45歳はまだ爺ではなくオッサン。
つまりユパ様はジブリ最強爺ではなく、最強オヤジだったのです。
引用元:https://twitter.com
自然に剥げた結果なのか、こだわりのスタイルなのかは謎。
後者だとしたら、なかなかファンキーなセンスです。
眉と髭は白髪で頭髪だけ茶色のままというのも珍しいカラーリングではないでしょうか。
引用元:https://www.youtube.com
『腐ってやがる』の名セリフで知られているクシャナの参謀クロトワ。
どう見ても40代に見える彼の年齢設定は27歳。
髭を剃ったらユパ様の方が若く見えそうなくらいの老けっぷりです。
過酷な環境に生きる彼らは、老化が早く寿命も短いのかもしれません。
ナウシカたちを文明維持装置として造り出した旧人類は、特定の新人類が権力を持ちすぎぬよう敢えて老化を早め、種として短命になるように設定した可能性も考えられます。
4 瓢箪から売り上げ
引用元:https://www.ouchiquest.com
今でこそジブリは国内外を問わぬヒットメーカーであり、『風の谷のナウシカ』は映画・漫画共に名作として誰もが認知していますが、アニメが作られた当時の状況はまるで違いました。
ナウシカを映像化したくとも、映画化にはなかなかOKが出ない――理由は原作がないから。
そこで鈴木敏夫氏は宮崎監督に無理矢理原作漫画を描かせるという力技に出ます。
その頃の漫画の売り上げは、発行部数7万部に対し、5万部にも満ちませんでした。
しかし、鈴木氏はスポンサー相手にとんでもないハッタリをかましたのです。
『どのくらい売れてるの?』
『5、10(ご、じゅう)万部』
5~10万部売れていると答えたのだから、嘘は吐いていない。
ただ意図的に『50万部』と聞こえるように言っただけ。
まるで一休さんのトンチのような詭弁によって、名作『風の谷のナウシカ』は生まれ、その後のジブリ快進撃が始まります。
鈴木氏NU(ナイス・嘘)。
氏はこの嘘によって、多くのジブリファンの心を盗んでいったのです――『カリオストロの城』のルパンのように。
ちなみに、映画のヒットにより漫画は50万部以上売れました。
5 ラピュタ 教育ママ・ドーラ
引用元:https://matome.naver.jp
宙族の女頭領ドーラ御年50歳。
見るからに猛々しく、堅気の人生など何をどうしても無理くさい彼女ですが、実は3人の息子には父親のように育って欲しかったことが小説版で明らかにされています。
息子たちの父親、彼女の夫は旗艦タイガーモス号を造った天才科学者でした。
彼女は息子たちを海賊や宙族ではなく、インテリな科学者にしたかったのです。
そのためドーラは息子たちを学校に通わせ、一流の家庭教師をつけたりもしたそうです。
しかし結果は……
子供は親の理想通りには育ちません。
引用元:https://www.kininarublog.net
家族4人、仲良く元気に生きているのだから無問題。
6 豪快シータと紳士なムスカ
引用元:http://batque.com
シータが若い頃のドーラにそっくりであることは有名な話です。
可憐なシータも数十年後にはドーラのようになるのか…いやいや、さすがにないだろう…いやいやいや、時間は残酷だからして――
様々な推論が飛び交う『そっくり問題』ですが、シータには外見はともかく内面的にポスト・ドーラの素質がしっかりとあります。
それを裏付けるシーンがこちら。
物語冒頭、シータを乗せた軍船をドーラたちが襲撃します。
この時、シータはドサクサに紛れて逃げるため、かなり思い切りよくムスカの後頭部を空き瓶でぶん殴り昏倒させました。
状況が状況なだけに仕方のないことですが、なかなか人の頭を躊躇なく空き瓶で殴れるものではありません。
人の頭めがけて金属バットをフルスイング出来る某闇金会社の社長を思い出します。
しかもこの場面において、ムスカはシータに対し『君は伏せていたまえ』と紳士的な気遣いを見せていたというのに。
良い子の皆さんは、間違っても人の頭を空き瓶でどついてはいけません。
7 ラピュタは売春婦!
引用元:https://pixiin.com
今でこそ国内外問わず人気の『ラピュタ』ですが、発表当時は必ずしもそうではなかったようです。
その理由…になるのかは定かではありませんが、なんとスペイン語では『ラピュタ』は売春婦を意味する言葉。
よって、アメリカでの上映タイトルは『Castle in the sky』(空の城)。
肝心の『ラピュタ』が省かれています。
8 魔女の宅急便 クロネコヤマト問題
引用元:https://matome.naver.jp
13歳の見習い魔女キキが、箒にまたがり空飛ぶ宅急便屋として頑張る成長物語『魔女の宅急便』。
松任谷由実の主題歌と共に人気を博した当作品ですが、とある大人の事情により現場がザワついたことはあまり知られていません。
その事情とは、『宅急便』という単語にありました。
私たちは誰もが日常的に『宅急便』という単語を用い、そこに違和感を覚えません。
しかし、『宅急便』とは本来クロネコヤマトの登録商標であり、クロネコヤマト以外の業者が『宅急便』を名乗ることは許されません。
それをクロネコヤマトから指摘された時、映画は既に完成間近。
パンフレットその他も刷り上がった状態で、今更タイトルの変更などおいそれとできる状態ではありません。
しかし、ここでクロネコヤマトはジブリを訴えることはしませんでした。
国民的人気を誇るジブリの新作を訴訟でボツにすれば、会社のイメージダウンに繋がると考えたからです。
偶然の類似
引用元:https://dime.jp
引用元:https://dime.jp
クロネコヤマトのロゴと、キキの相棒である黒猫のジジ。
この偶然の類似に目を付けたクロネコヤマトは、ジブリを訴訟する代わりに『魔女の宅急便』の筆頭スポンサーになり、アニメ画像を自由に用いる許可をジブリ側に取り付け円満解決となりました。
ことの真相は謎
以上が都市伝説になりますが、実際にはクロネコヤマトとジブリの話し合いはタイトル決定の地点でついていた、むしろクロネコヤマトの方から自社イメージアップのためにジブリに頼んで筆頭株主になったという説もあります。
どの説を信じるかはあなた次第ですが、いずれにせよ映画もクロネコヤマトも大成功を収めました。
9 となりのトトロ コダマ進化論
引用元:https://cinema.ne.jp
森の妖精トトロとサツキとメイの過ごす夢のような日々を描いた『となりのトトロ』。
作中には灰色の大トトロ、青色の中トトロ、白色の小トトロと、3体のトトロが出てきます。
トトロの正体はトロールが転じたもの、つまりは死神であるという説が出回る一方で、監督自らは『トトロはコダマが時を経て変化した姿』であるとしています。
引用元:http://flying-fantasy-garden.blogspot.com
こちらが『もののけ姫』に登場した森の精コダマ。
特に何をするでもなく、ただそこにいてコロコロと柔らかな鈴のような音を立て、頸椎の存在を無視した動きで頭を縦回転させます。
彼らは森そのもののように善悪是非をジャッジせず併せ飲み、何が起きてもその存在を消すことはありません。
引用元:https://www.youtube.com
そんなコダマたちも、千年たてば巨大な灰トロ、数百年で青トロ、百数年で白トロになり、個の意思を持つ存在へと変化していくようです。
10 文化的アウト
引用元:https://insta-stalker.com
父親と幼い娘たち二人が、家族水入らずで風呂に入る。
小さな子供のいる家ならば、どこの家庭でも見られるほのぼのとした光景です。
しかし、欧米ではこのシーンは『不適切な表現』としてカットされました。
理由は、娘に対する父親のDV(性的虐待)に見えるから。
欧米諸国では、父親が乳幼児の娘を風呂に入れることはあっても、服を脱いで一緒に入ることはしないそうです。
所変わればではありますが、このシーンから性的虐待を想起してしまうほど現実にそうした事件が多いのでしょう。
ただ、作中のサツキは既に12歳。
日本においても父親と風呂に入るにはそろそろ微妙な年齢であるようにも思えます。
11 ハウルの動く城 城が動く理由
引用元:https://matome.naver.jp
『ハウルの動く城』では、表題通りにハウルの住む城(見た目的には城というより変人ハウス)が、細い足で歩いたり飛んだりして移動します。
ハウルがわざわざ城を動かす理由は、戦争から逃れるため。
ただし、この場合の逃れるとは疎開的な意味ではなく、優れた魔法使いである自身が国家のためという名目で戦争に組み込まれるのを避けるためでした。
ナルシストで我儘で情緒不安定なハウルですが、彼は戦争を嫌悪する反戦主義者なのです。
しかし、これはあくまでもアニメ版での設定であり、原作となる小説には戦争要素はありません。
だったら何故、城を動かしてまで逃げているのか?
一体、そこまでして何から逃げねばならぬのか?
答えは、昔フラれた女の子から逃げるため。
は?
引用元:https://ayakakurashi.com
どんだけ無駄に繊細で自意識過剰にプライド高いんだよ!この色男は!?
――失礼、いささか興奮しました。
『若気の至りで酷いフリ方をしてしまった女の子から逃げ回っている』ならばギリギリ理解できます。
なまじ有名人で目立つだけに、自宅バレすると不都合なことも多いでしょう。
誰だってポストにマヨネーズを入れられたり、虫の死骸を投げ込まれたり、果ては家に火をつけられたりしたら嫌なものです。
それにしても何も城ごと逃げなくても…とは思いますが、偉大なる魔法使いともなると下々の者とは発想が根本から異なるのでしょう。
しかし、ここで問題なのは彼はフった側ではなくフラれた側なのです。
相手の女の子的には、フった地点でハウルは既に過去の男。
女は己がフった男のことなど可及的速やかに忘れ去り、さっさと次に乗り換えるしたたかな生き物です。
『大丈夫、彼女はもう君のことなんか忘れて新しい恋人とよろしくやってるよ』と教えてあげたくなりますね。
偏差値は高いのにちょっと勘違いの激しい残念なイケメン、それがハウルなのでしょう。
12 戦争は監督の趣味?
引用元:https://twitter.com
『ハウルの動く城』に、原作にはない戦争要素が色濃く織り込まれた理由――
単純に宮崎駿監督の趣味だから。
そんな実も蓋もない都市伝説があります。
実も蓋もない…しかし、説得力はあります。
宮崎監督と言えば飛行シーン、飛行機と言えばパヤオ。
これ、アニメ界の常識。
宮崎駿監督はとにかく飛行機が大好きです。
初のアニメ長編映画『ナウシカ』でメーベェ、コルベット、ガンシップ、バージといった魅力的な飛行機が登場し、『ラピュタ』でもドーラの旗艦タイガーモスを筆頭に空戦が繰り広げられ、『紅の豚』では終始戦闘機が飛んでいたものです。
幼い兄妹の戦時下の悲劇を描いた『火垂るの墓』ですら、B29の描写に気合が入りまくっている徹底ぶり。
とりあえず 映画撮るなら 飛ばしとけ(5・7・5)
ありだと思います。
13 紅の豚 ただの豚以下?!
引用元:https://cinema.ne.jp
自ら望んで魔法にかかり、豚の姿となった戦闘機乗りポルコ・ロッソ。
その技量は豚になっても健在で、トレンチを羽織り煙草を咥えるすがたもきまっています、豚なのに。
そんな彼の名前の由来――豚野郎。
大事なことだから二度言います『豚野郎』。
見たまんま過ぎるというか、かなり酷い…学校だったらイジメとして問題になるレベルですね。
ポルコ(豚)ロッソ(赤)、分解すると『紅の豚』になるというわけです。
ヨーロッパでは『豚野郎』とは臆病者を意味する単語であり、ポルコの繊細な性格や純粋さ故に屈折した心境を表しているようにも思えます。
ポルコが豚になった理由
そもそも、ポルコは何をすき好んで人間でありながら豚の姿で暮らす人生を選んだのでしょうか?
アニメ視聴者の誰もが疑問に感じるこの件について、作中では明確に語られていません。
故に、様々な推測がファンの間でなされています。
①仲間の飛行機乗りたちは皆死んでいったのに、自分だけが生き残ってしまった罪悪感からの贖罪。
世間的に『臆病者』のシンボルとして蔑まれる豚の姿で生きることで、自らを戒め生きる道を選んだ。
②飛行機乗りと恋愛をしては先立たれ、悲しみに暮れるジーナと恋愛関係にならないため。
※ジーナはそんなポルコの思惑とは裏腹に、姿形に頓着せず彼に好意を寄せていました。
③他者との距離を取るため。
※ポルコの周りの人間は、彼が豚であってもあまりに気にしている素振りがありません。
④飛行機乗りが冒険家ではなく戦争の歯車にされていく時代の中で、人間を辞めてでも自由な飛行機乗りで在り続けるため。
『ジョジョの奇妙な冒険』のDIO様同様、己の在り方と信念を貫くために人間を辞めたと考えて間違いなさそうです。
14 耳を澄ませば
引用元:https://dougamill.com
等身大の中学生の日常――学校、勉強、同級生、進路、恋愛。
それらを大きな事件もなく、けれども幻想的な表現で描いた作品が『耳をすませば』です。
舞台も上映された時代をそのまま反映させたものであり、視聴者に共感や仄かな憧れ、あるいは懐かしさを与える穏やかな作品でした。
しかし、当作には少し怖い都市伝説があります。
『耳をすませば』をテレビ放送すると自殺を誘発する。
事実であればなんとも物騒な話です。
一体この穏やかに進んでいく少年少女の淡い恋愛物語のどこにそうした要素があるというのでしょう?
日常の中の非日常
当作はありきたりな中学生の日常を描いているようでいて、決して『ありきたり』などではないという指摘が多く見られます。
容姿の整った少年と少女。
共にまだ中学生でありながら将来の夢を持っていて、そこに向かって明確な意思を持って進んでいる。
作家になりたい雫、ヴァイオリン職人を目指す聖司(既に作っている)
互いの夢を応援しあえるような関係性。
始めはぎくしゃくしながらも互いに理解しあい、好意を寄せあい、最後は結婚の約束まで――。
確かにこうして列挙してみると、そんな中学生はいません。
いたとしても、極限られた少数派でしょう。
なまじ舞台が現代日本である故に、当作を視聴した人間は作中の登場人物と己の人生を比較してしまうようです。
映画の中のような素敵な初恋・キラキラとした夢・夢への足掛かりを掴んだ手応え・未来への希望。
そんなものが己の人生に一度だってあっただろか?いや、ない。
中学生以下のつまらない人生を送っている自分に嫌気がさして、『鬱だ死のう』的な気分になってしまう…そういった理屈があるそうです。
もちろんこれはあくまでも都市伝説で在り、実際に自殺した方がおられるかは定かでありません。
15 ゲド戦記 ガチな父子喧嘩勃発説
引用元:https://cinema.ne.jp
『ゲド戦記』は宮崎吾郎監督の処女作であり、その物語には吾郎氏の父親(駿監督)に対する様々な葛藤が投影されていると言われています。
しかし、その裏でガチな父子喧嘩が勃発していたという噂を見つけました。
駿監は『ゲド戦記』の熱心な原作ファンであり、自らの手でアニメ化したいと長く望んでいたのですが、大人の諸事情で夢はかないませんでした。
息子の初仕事に自らの夢を託す形になった駿監督は、自身優れたクリエイターであるだけに黙った見ておれず、あれこれ口を差し挟んでしまったというのです。
ことの真偽はわかりませんが、自分の色を出したい処女作に父親が口出し、時に厳しい駄目出しをしてくるとなれば、当然吾郎監督も面白くありません。
こうして宮崎父子は作品の中だけでなく、リアルに苛烈な父子喧嘩を繰り広げました。
しかも、双方の家族まで巻き込んで。
事実であれば、クリエイター同士の喧嘩に巻き込まれた奥様方が気の毒です。
善悪損得の話ではない、感性のぶつかり合いの問題など、当事者以外にはわけがわかりません。
16 仮想敵は漫画の神様?
引用元:https://tezukaosamu.net
漫画の神様・手塚治虫。
彼の名を知らない人は、おそらく今の日本にはいないでしょう。
70歳以上の方々の間では、未だ『宮崎駿』よりも『手塚治虫』の方が知られているかもしれません。
1967年に執筆された『どろろ』が、実写映画化、舞台化を経て今年二度目のアニメ化を果たしていることからもその人気はうかがい知れることでしょう。
その神様こそが、宮崎駿監督の仮想敵だというのです。
数々の作品を手掛けてきた監督は、当然作品を作る過程でスタッフやアシスタントと幾度となくミーティングを繰り返しました。
そこで監督が誰かからの提案を却下する時のお決まりのセリフの一つがスゴイ。
『そんなのは手塚治虫だ!』
訳:そんな展開は手塚治虫がやりそうだから俺はやらね!
こんなことを言われたら、もはやどう反論しても無駄な気がします。
もちろん、実際に手塚治虫がそんなことを考えているかはわからないのですが、宮崎駿監督の中にいる脳内治虫氏が主張するのだから仕方ありません。
引用元:https://www.msn.com
天才というものは、往々にしてどこかしらエキセントリックであり、嫉妬深いものなのでしょう。
手塚治虫氏も、石ノ森章太郎や水木しげるに嫉妬から暴言にも近い言葉を吐き、劇画ブームの火付け役となった梶原一騎の『巨人の星』に対抗意識を燃やし、スタッフに『君、この漫画のどこが面白いのかね?!』と詰め寄ったと言われています。
天才でありながら常に現状に飽き足らず、よりを上をと目指してきたからこそ彼らの作品はいつまでも色褪せないのです。
まとめ
今回はジブリの軽めの都市伝説や裏話を有名なものからマイナーなものまで集めてみました。
ひとつひとつは短く他愛のないエピソードなのですが、これだけ多岐に渡ること自体、ジブリアニメの人気と長い歴史の証明と言えるでしょう。
これだけ書いて尚『トトロ』や『千と千尋』などのディープな都市伝説がまだまだ残っているのですから、ジブリの引き出しの多さには驚きます。