軍事、あるいは他の分野においても明るみになることばかりではありません。
目的を果たすために秘密でなければならない極秘施設、秘密基地のようなものもあります。
こういったものの存在は私たちの想像をかきたて、今もありもしないような施設を夢想する人であったり、そういった施設を舞台、モチーフとしたフィクション作品を多く生み出しています。
今回は世界に実在する極秘施設、秘密基地を紹介します。
エリア51
引用元:https://jp.reuters.com/
エリア51といえば、UFOやエイリアンのイメージが強いのではないでしょうか。
アメリカ合衆国ネバダ州の南部に位置するアメリカ空軍の極秘施設で、正式名称を「グルーム・レイク空軍基地」と言います。
核兵器や新型飛行機のテストや訓練などに使われていますが、「墜落したUFOが運ばれて研究されている」、「ロズウェル事件と関連している」などという風説が流れ、「Xファイル」や「インデペンデンス・デイ」などの映画に使われました。
エリア51は広大な砂漠地帯に位置しており、極秘施設でありながらその存在は周知されていましたが、アメリカ政府は長く公認しませんでした。
しかし2013年に情報公開請求に基づき、アメリカ中央情報局(CIA)がその存在を公認しました。
シャイアン・マウンテン空軍基地
引用元:https://gazette.com/
シャイアン・マウンテン空軍基地はアメリカ合衆国のコロラド州コロラドスプリングにある基地です。
基地施設が地上から1.6㎞も掘られたトンネルの先にある、ロッキー山脈の堅固な地下基地として作られています。
冷戦期の核攻撃を想定して1961年に基地の建設が始まり、1964年に完成しました。
基地の内部には核シェルターをはじめ、医療施設や食堂、売店など生活に必要な施設が一通り揃っていました。
核攻撃や放射能、生物兵器などの対策も施されており、世界で最も安全な場所とも言われています。
北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)の地下司令部も置かれており、政府の存続という観点から見ても極めて重要な拠点です。
2006年からは待機保管状態にあります。
グリーンブライヤー米国議会掩蔽壕
引用元:https://greenbrierwv.com/
アメリカ旅行によく行くような人や海外ゴルフに詳しいような人であれば、グリーンブライヤーというホテルについて聞いたことがあるかもしれません。
アメリカ合衆国のウェストバージニア州、アパラチア山脈の山間にあるリゾートホテルで、アメリカ国内ではホームステッドリゾートと並び称されるほどの代表的なリゾートホテルです。
ホテルの近くにある「ザ・グリーンブライアー・オールドホワイトTPC」というゴルフコースでは毎年9月に「グリーンブライヤークラシック」というトーナメントが開かれます。
昔はアメリカ大統領御用達のホテルだったこともあり、第10代大統領のジョン・タイラーは新婚旅行にもグリーンブライヤーを使っています。
さて、冷戦期のアメリカでは「Project Greek Island」という政府の存続計画を立案し、国際的な危機が訪れた際に米国議会を収容するためのシェルターをグリーンブライヤーの地下に建設しました。
これがグリーンブライヤー米国議会掩蔽壕です。
この掩蔽壕には寮やキッチン、病院のほか、議員向けの放送設備なども完備されていました。
地下ですが、ワシントンDCからの放送に見えるよう季節に合わせた背景も用意していたそうです。
現在は機密が解除され、一部は民間のデータストレージに使われているようです。
ウォレントン訓練センター
引用元:https://militarybases.com/
ウォレントン訓練センターは「訓練センター」とは名ばかりの、アメリカ合衆国国防総省管轄の極秘通信施設です。
バージニア州のフォーキエ郡とカルペパー郡にまたがる形で存在する4つの施設で構成され、アメリカ中央情報局(CIA)や国家安全保障局(NSA)、アメリカ国務省などの通信に用いられました。
ウォレントン訓練センターは核攻撃などが起きた際に政府機能を移すために建設され、現在も訓練施設兼通信施設として機能しています。
デタッチメントホテル
引用元:https://www.nytimes.com/
1960年、当時のアメリカ大統領であったジョン・F・ケネディは、核戦争に備えてフロリダ州の南東部、ケネディ家が保有するピーナッツ島に極秘裏にシェルターを建設しました。
このシェルターが「デタッチメントホテル」です。
これはケネディ大統領が個人、および小規模に使用することが想定されたもので、有事の際にはヘリコプターを使って移動する手はずを整え、移動のための訓練も2度にわたって行っていました。
デタッチメントホテルは30人ほどをおよそ1ヶ月収容できる規模だったそうです。
ケネディ大統領が亡くなった1963年にデタッチメントホテルは閉鎖され、1974年には機密解除されました。
その後、1990年代まで所有者不在のまま荒廃しましたが、現在ではパームビーチ港がデタッチメントホテルを所有し、パームビーチ海事博物館が運営管理しています。
ポートンダウン
引用元:https://www.independent.co.uk/
ポートンダウンはイギリスの南西部、ウィルトシャー州ソールズベリーにあるポートン村近郊にある研究施設です。
1915年に、当時第一次世界大戦の敵国であるドイツを相手に化学兵器を研究するために設立され、1952年にはポートンダウンに勤めるラナジット・ゴーシュという研究者が「VXガス」という有毒ガスを開発しています。
VXガスはあのオウム真理教がテロに用いたものとして知られています。
ポートンダウンは極めて秘密主義の強い軍事研究施設であり、極秘裏に人体実験を繰り返していたと言われています。
1999年にはウィルトシャー州の警察がポートンダウンの不正行為を調査する「アントラー作戦」を実施した結果、多くの人がポートンダウンによる実験で怪我や後遺症を患ったことを主張しました。
2006年にはポートンダウンによるサリンの人体実験によって1953年に死亡したロナルド・マディソンの遺族に対して、国防省から保証金が支払われました。
RAFメンウィズヒル
引用元:https://economictimes.indiatimes.com/
アメリカ合衆国やイギリス、カナダ、オーストラリアなど英米同盟(UKUSA, United Kingdom & United States of America)の参加国は「エシュロン」という通信傍受システムを運営しています。
エシュロンは軍事無線や固定回線、携帯電話、ファクシミリなどあらゆる通信を傍受して多量の情報を集めています。
RAFメンウィズヒルはイギリスのノース・ヨークシャー州のハロゲイトという都市の近くにある、アメリカとイギリスが共同運営する基地です。
名目上はイギリス空軍の基地ですが世界最大の電子監視局であり、アメリカ国家偵察局(NRO)の管理するスパイ衛星の運用局であったり弾道ミサイルの早期警戒拠点にも使われています。
またエシュロンシステムの構成要素のひとつとも言われています。
基地には「ゴルフボール」と俗に言われる、特徴的な白いレドームに囲われたアンテナが多く配備されています。
2009年に行われたG20ロンドンサミットでは、RAFメンウィズヒルの通信傍受スタッフがロシアのドミートリー・メドベージェフ大統領の暗号化された電話通信を解読しようとしていたそうです。
バーリントンバンカー
引用元:https://www.businessinsider.jp/
冷戦期、ソビエト連邦やキューバなどと直接対峙したアメリカ合衆国は政府の存続を目的とした多くのシェルターを秘密裏に建設しました。
イギリスでも同様の計画が立案されました。
1950年代、イギリスでは核戦争という最悪のシナリオを想定し、ウイルトシャー州のコルシャムという都市の地下に秘密裏にシェルターを建設しました。
政府の書類上でもバンカーという呼称は使われず、「バーリントン」というコードネームで呼ばれる場合がほとんどでした。
バーリントンバンカーは1エーカーほどの採石場の地下にある、35エーカーもの広大な地下都市とでも言える規模のもので、4000人もの政府職員が90日生活するために必要なすべてのものが揃っています。
食糧などはもちろんオフィスや病院、パン屋、更にはBBCのスタジオまであったそうです。
2004年にはイギリスの国防省のウェブサイト上で機密扱いが解除され、その存在が公のものとなりました。
ピエール・シュール・オート軍用無線局
引用元:https://j28ro.blogspot.com/
機密情報をうっかり掴んでしまい、何らかの形で公開をしようとしたら上から圧力がかかってもみ消される、というのは陰謀論であったりフィクションなどでもたまにある展開です。
実際はそんなことはほとんどあり得ないためにフィクションなどの題材たりえるわけですが、こんな展開を極めてお粗末にしてしまったために、かえって知名度を上げてしまった極秘施設があります。
それがピエール・シュール・オート軍用無線局です。
ピエール・シュール・オート軍用無線局は1913年に腕木信号機が備え付けられた小屋程度の設備として運用が開始され、冷戦期の1961年にヨーロッパの信号網「ACE Highシステム」を担う無線局として現在の形となりました。
2013年4月、フランスの国内情報中央局(DCRI)がフランス語版ウィキペディアでのピエール・シュール・オート軍用無線局の記事の削除をウィキペディア財団に要請します。
財団は何が問題なのかを尋ねましたがDCRIは回答を拒否、そして当該記事の執筆者に圧力をかけ、記事を削除させてしまいます。
しかしピエール・シュール・オート軍用無線局の記事は別の執筆者によって再度作られ、この騒動によって2013年4月に最も閲覧された記事として選ばれてしまいました。
ある情報を消そうとしたり、実際に消すと好奇心を持った第三者によって拡散される現象を「ストレイサンド効果」と言いますが、ピエール・シュール・オート軍用無線局の一件はまさに典型例だと言えるでしょう。
パインギャップ
引用元:http://www.davidicke.jp/
パインギャップはオーストラリア・ノーザンテリトリーのアリススプリングス近郊にある基地です。
オーストラリアとアメリカが共同で管理し、スパイ衛星を管理してアジアや中東を含む世界の1/3を監視するための拠点となっています。
米国中央情報局(CIA)、アメリカ国家安全保障局(NSA)、アメリカ国家偵察局(NRO)などがこの基地を運用しています。
オーストラリア国立大学のデス・ボール教授はこのパインギャップがシギント(通信・電波傍受によって行う諜報活動)に従事していると発言、2013年にはNSAに所属していたエドワード・スノーデンはパインギャップが世界的な電波の収集システムを構成していると発言しています。
そのためパインギャップは多くのフィクション作品のモチーフにされています。
マイバッハⅡ
引用元:https://chikatravel.com/
第二次世界大戦が始まる直前である1939年、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラー総統は自身が新設した国防軍最高司令部(Oberkommando der Wehrmacht、OKW)の本部として、首都ベルリンから南に24㎞離れたヴュンスドルフに極秘の拠点を設けました。
この施設はマイバッハⅡと言われています。
ヴュンスドルフにはマイバッハⅡとツェッペリンという極秘施設が建造され、多くの防空壕などが掘られました。
第二次世界大戦でドイツが敗戦した後、ヴュンスドルフの極秘施設はソ連に占領されます。
東ドイツ赤軍の本部として利用されましたが、爆破されて廃墟と化し、現在ではミュージアムになっています。
ちなみに国防軍の最高司令官であったヒトラーはあまりマイバッハⅡに滞在せず、総統官邸やベルヒデスガーデンにある「ベルクホーフ」という別荘、更には前線付近に設けた指揮所などを転々としていたそうです。
そのためヒトラーのいるところが臨時のOKW本部となっていたと言われています。
ジェリャヴァ空軍基地
引用元:https://haikyo.info/
ジェリャヴァ空軍基地はクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近、クロアチアのジェリャヴァというところにあります。
現在では廃墟として打ち捨てられており、古い世代の軍用機が放置されています。
かつてクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなどが位置するバルカン半島にはユーゴスラビアという国がありました。
第二次世界大戦後にはチトーという指導者を擁し、「ユーゴスラビア連邦人民共和国」として東側の一員となりました。
ジェリャヴァ空軍基地はこのユーゴスラビアが1948年に建設を開始し、1968年に完成させた当時のヨーロッパで最大の空軍基地です。
基地の周辺には大量の地雷が埋設されており、現在も基地の解体や再利用が進まない最大の原因となっています。
地元の警察や地雷の処理を訓練した犬などを使って処理をしてはいますが、財源の不足によって現在も進行していないようです。
816地下核工場
引用元:https://www.chongqing.cn.emb-japan.go.jp/
冷戦期、中国では当時の国際情勢を踏まえ、核武装を進めるために「816プロジェクト」が計画されました。
これに基づき1966年、中国の直轄市である重慶市の涪陵区で地下核処理施設の建設が始まりました。
山の中腹を掘り、核工場や原子炉、廃棄処理施設などが作られ、およそ20年の工事期間を経て1984年に完成しています。
施設は非常に広大で、「世界最大の人工洞窟」と言われています。
2010年には一般公開され、観光地として賑わっています。
131工程
引用元:https://you.ctrip.com/
131工程は中国が核戦争に備えて建設していたシェルターです。
中国中部、湖北省の咸寧市に建設しており、中央指導者や中央軍事委員会などの職員の寝室や発電所などが備えられていました。
「131工程」という名前は1969年1月31日に計画が立案されたことに由来しています。
131工程の建設は林彪によって機密が流出し、当初は3億元を投じる計画でしたが、半額以下の1億3000万元しか用いられませんでした。
現在では建設途上のまま一般公開されています。
ポルト・パレルモ・トンネル
引用元:https://gennarooo.com/
東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する小さな国アルバニアは第二次世界大戦後、エンヴェル・ホッジャによって共産主義政権が樹立しました。
ホッジャ政権はユーゴスラビアやソ連と対立し、中国との関係を深めるなど独特の立ち位置を確立し、ワルシャワ条約機構も脱退、半ば鎖国状態となります。
そんなアルバニアでは今でも当時建設されたトーチカが国内に残されています。
ポルト・パレルモ・トンネルはホッジャ政権下に建造された潜水艦用のバンカーです。
アルバニアの南西部にあるポルト・パレルモ湾の最北端にあり、潜水艦や水雷艇用のトンネルが掘られました。
ポルト・パレルモ・トンネルは1998年に使用が停止され、現在では演習にしか利用されません。
バンカー42
引用元:https://www.travel.co.jp/
バンカー42は冷戦時代のソ連で建設された核シェルターです。
首都のモスクワに建設され、建設当時は近隣住民ですらそれが何なのか知らされていませんでした。
地下18階建てで、居住スペースのほかに核ミサイルの発射装置も用意されており、もしモスクワが核攻撃を受けて壊滅をしてもバンカー42から報復核攻撃ができるようになっていました。
現在、バンカー42は冷戦時代の重苦しい空気を体感できるミュージアムとして開放され、ツアーに申し込むことで内部を見学できます。
ミサイルを発射するシミュレーションなどを体験できるなど、ここでしかできないようなものが目白押しとなっています。
サロフ
引用元:https://www.afghanistannews.net/
ソビエト連邦では軍事産業や核開発などに携わる都市を秘密裏に建設、住民の移動も厳しく制限することで機密を保った「閉鎖都市(ZATO)」がいくつも建設されました。
例えばプルトニウムの生産施設のあったオジョルスクやウラン濃縮施設などのあるシッラマエなどが代表的です。
サロフもソビエト連邦の閉鎖都市のひとつです。
1946年、サロフに核兵器の工場や核開発を担当する第11設計局(OKB-11)の本部が置かれ、「アルザマス16」という名前に改称されました。
サロフは森林地帯の奥にあったために機密も守りやすく、鉄道も通っていたために工場を置くには都合がよかったのです。
1991年のソ連解体と共にサロフも開放され、「クレムリョフ」という名前に改称しましたが1995年に現在のサロフへ名前を戻しています。
今も第11設計局の後継であるロシア核センター・全ロシア実験物理学研究所がサロフに研究所や工場を置いていますが、2019年8月に爆発事故を起こしました。
サロフは元々この都市出身のロシア正教のサロフの克肖者セラフィムに因んで名前がつけられ、今もセラフィムが住んでいたと言う修道院が残っています。
カプースチン・ヤール
引用元:https://www.learning-history.com/
宇宙開発の分野では宇宙人やUFOなどの噂とは無縁ではいられません。
それはソビエト連邦も例外ではなく、「ソ連のエリア51」と言われたのがカプースチン・ヤールです。
カプースチン・ヤールはロシア南部のアストラハン州にある閉鎖都市ズナメンスクにあるロケットの開発基地です。
敗戦国であったドイツの技術者やドイツから鹵獲したV2ロケットなどが運ばれ、ロケットや人工衛星の大部分が開発されたほか上空核実験の実験場にもなりました。
アメリカの偵察機がカプースチン・ヤールを空撮した際、基地にはレーダー施設や滑走路などのほかに用途の分からない幾何学模様が描かれていたと言われています。
ソ連はミグがUFOの光線兵器によって撃墜されたという噂もあるなど非常にUFOなどと関連の深い国で、この幾何学模様も古代の文様などを真似てUFOを引き寄せるためのものではないかと推測されました。
松代大本営
引用元:http://www.matunomi.com/
太平洋戦争末期、大日本帝国は本土決戦を想定して政府機能や皇居の移転を計画しました。
東京は海に近く、平野部にあるために防衛の観点からすると弱く、本土決戦にあたっては不利になると考えられていました。
そこで戦局の悪化した1944年1月、陸軍の井田正孝少佐は首都機能の移転を立案、現地調査の結果長野県埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代地区)が候補地として策定されました。
松代は地盤が強固で空襲に強く、近くには飛行場があり、更に信州という地名が「神州」にかかるなどの理由で選ばれています。
松代大本営は舞鶴山、皆神山、象山の3つの山にまたがって作られ、1944年11月に建造を開始します。
1万人に及ぶほどの朝鮮人や日本人を強制徴用して工事に従事させ、終戦する1945年8月までの1年足らずで全体の75%ほどが完成しました。
終戦後、松代大本営の一部は児童養護施設となったほか松代地震センターが置かれました。
現在では象山地下壕の一部が一般公開されています。
関東軍防疫給水部本部
引用元:https://jp.sputniknews.com/
「関東軍防疫給水部本部」とは俗に「731部隊」と言われる関東軍の研究機関です。
満洲国のハルビン市平房区(現在の中国黒竜江省哈爾浜市)に本部を置き、兵士の感染症対策などのほか細菌兵器などの研究・開発を行っていました。
731部隊は1936年に当時の関東軍参謀長である板垣征四郎の発案によって新設され、1940年に改編されました。
炭疽菌やペスト菌などの細菌兵器の研究や開発のほか、非道な人体実験や都市への散布などを行っていたと言われていますが、1945年8月にソ連が日本へ参戦したことを期にすべての証拠を隠滅して日本へ撤収してしまいます。
そのため厳密な活動内容などは不明ですが、一部残された資料によれば、731部隊の活動で出た死者は3000名にも及ぶと言われています。
2018年には国立公文書館が731部隊に関する機密の公開を行い、合計で3600名の731部隊の部隊員の名前や住所が明らかとなりました。
まとめ
今回は世界の極秘施設、秘密基地を紹介しました。
軍隊や政府はあらゆる事態を想定して秘密裏に動いています。
今回紹介したものはそのうちのほんのわずかなものに過ぎないのかもしれません。
いずれ戦争などが撲滅されれば、秘密裏に建造されたもののすべてが明らかになるのでしょう。
こういった施設が必要にならない世界が作られる日が望まれるところです。