「グリーンベレー」というと、誰でも名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
ベトナム戦争を扱った映画などにも登場し、一般にもよく知られているアメリカの特殊部隊です。
隊員が緑のベレー帽を被っているからグリーンベレーと呼ばれていることは有名ですが、実際にどのような部隊で、どのような活動を行っているのか、詳しく知っている人は少ないのではないでしょうか。
ここでは、アメリカ陸軍の精鋭特殊部隊グリーンべレーについてご紹介します。
グリーンベレーとは
引用:https://blogs.yahoo.co.jp
グリーンベレー(Green Berets:グリンベレーとも表記)とは、アメリカ陸軍特殊部隊群(U.S.Army Special Forces Group)の通称です。
アメリカ陸軍特殊部隊群はアメリカ陸軍特殊作戦コマンド隷下の特殊部隊で、兵力は約11600人です。
グリーンベレーの中核任務は他国内防衛・不正規戦(ゲリラ戦や諜報活動)・特殊偵察(敵国内潜入偵察)・直接行動(小規模攻撃)・テロリズムへの対抗の5つとされます。
このうち特に重要とされるのが他国内防衛で、グリーンベレーはゲリラ戦などを行う優れた戦闘部隊であると同時に、友好国の軍隊に対して特殊作戦や対ゲリラ戦のノウハウを教える訓練部隊・軍事顧問という側面もあわせ持っています。
グリーンベレーの兵士1人は陸軍の歩兵200人に相当する戦力を保有しているといわれますが、これは、兵士個人の戦闘能力に加えて、敵国内に潜入し、反乱分子に対して戦闘訓練を行い、親米戦力として味方にすることができることからきています。
グリーンベレーでは他国内防衛を任務として、毎年世界53か国に2500人以上を派遣しています。
グリーンベレーの歴史
引用:https://www.speroforum.com
グリーンベレーのルーツは第二次大戦中の1942年に創設されたドイツ支配下のノルウェーに潜入し破壊作戦を行う「第1特殊任務部隊」に遡ります。
これは、カナダ兵を中心とした部隊でしたが、ノルウェーでの破壊工作は現実的ではないと判断され、正規部隊としてイギリスのコマンド部隊を手本に創設されたレンジャー部隊とともにイタリアで実戦に投入されました。
このほか、CIA(中央情報局)の前身であるOSS(戦略情報事務局)のメンバーとともに分遣隊が太平洋戦線に投入されたり、アメリカの同盟国に対して特殊部隊の編制・訓練を指導しています。
大戦終結後、第1特殊任務部隊は解体されアメリカには非正規戦を行う部隊がいなくなります。
東西の冷戦構造が先鋭化していた1952年6月19日、ロバート・マクルアー准将により、ノースカロライナ州の心理戦センターにおいて、第1特殊任務部隊やOSSの元構成員を中心として「第10特殊部隊グループ(10th SFG)」が創設されました。
これが、1955年からのベトナム戦争に本格投入され、現在のグリーンベレーへと発展していくこととなります。
グリーンベレーの設立当初は、各部隊の指揮官は自隊の優秀な兵士が特殊部隊にとられてしまうため、グリーンベレーを嫌っており、特殊部隊に志願しようとする兵士は嫌がらせを受けるほどでした。
ですが、当時のケネディ大統領は特殊部隊の重要性に対して理解があり、「冷戦下では秘密戦争が主で、特殊部隊が必要である」と議会で発言し、これにより第5特殊部隊グループが正式に「特殊部隊」として創設され、ベトナム戦争に投入されるなど、グリーンベレーの発展に弾みがつきました。
グリーンベレーの兵士たちはケネディ大統領から受けた信頼と恩義を忘れませんでした。
1963年、ケネディ大統領が暗殺されたとき、第1特殊部隊グループの兵士たちは追悼の証として、ベレー帽の記章の周りにペンで黒い線を引きました。
これは正式な許可を得たものではありませんでしたが、彼らにとってそんなことは関係ありませんでした。
現在、この黒い線は第1特殊部隊グループの記章の一部として制式に採用されています。
緑のベレー帽の由来
引用:https://www.businessinsider.jp
グリーンベレーのトレードマークである緑のベレー帽は制式名称を「297型陸軍遮光用ライフルグリーン色ウール製男性用ベレー帽」といい、これはもともとイギリス海兵隊が着用していたものからきています。
その由来は、1754年に北アメリカ大陸で勃発したフレンチ・インディアン戦争に遡ります。
これは、フランス・ネイティブアメリカン連合軍とイギリス・植民地連合軍による植民地戦争で、このときイギリス軍のロバート・ロジャース少佐はニューハンプシャー州の民兵を率いて戦いました。
彼の部隊は「ロジャース・レンジャーズ」と呼ばれ、緑色のベレー帽をトレードマークとし、神出鬼没のゲリラ戦や後方攪乱作戦を行い、イギリス軍の勝利に貢献しました。
王立海兵隊(ロイヤルマリーン)の被るグリーンのベレー帽に目をつけた第10特殊部隊グループの将校が1953年にこれを自分の部隊に持ち込み、他の部隊にも広がっていったのが緑ベレーの始まりです。
当初、陸軍上層部は兵士たちが緑のベレーを被ることに反対で、高級将校を中心に議論が起こります。
ヨーロッパの軍隊の象徴であったベレー帽を伝統あるアメリカ軍に持ち込むことが反発を生んだのに加え、軍の保守層の振興の特殊部隊に対する無理解と偏見もありました。
しかし、当時のケネディ大統領は「彼らは特別だ。期待している」と、1961年、グリーンのベレー帽に正式な着用許可を与えました。
ベレーバッジには交差した2本の矢の上には短剣、下にはリボンが描かれ、リボンにはラテン語で「DE OPPRESSO LIBER」(抑圧からの解放)という文字が入れられています。
ところで、グリーンベレーの愛称をもつ陸軍特殊部隊群(SFG)ですが、SFGの兵士全員がグリーンのベレー帽を被っているのかというと、そういうわけではなく、着用が許されるのは特殊部隊資格課程(通称「Qコース」)に修了した者だけです。
それ以外の兵士は空挺隊員を表すマルーン(えび茶)色の着用することになっています。
誰もが身につけられるわけではない、緑色のベレー帽はまさに精鋭の証というわけです。
グリーンベレーの任務
引用:http://www1.cbn.com
特殊部隊と聞くと、まさに精鋭戦闘部隊を思い浮かべると思います。
しかし、それだけがグリーンベレーの任務ではありません。
特殊潜入部隊として、各隊員は高い戦闘能力をもっていますが、グリーンベレーはもともと長期間にわたり、親米勢力に属する現地人によるゲリラ部隊の育成と訓練を主たる任務として編成されました。
ベトナム戦争ではCIDG(民間不正規戦防衛隊)の編成・訓練を行い、北ベトナム軍や南ベトナム解放民族戦線と戦わせていますし、2001年からのアフガニスタン紛争では反タリバンの北部同盟の部隊に近代戦術の訓練を行ったといわれます。
さらに、敵支配地域において、情報収集や敵対する政治権力の転覆工作のための「ハーツ・アンド・マインズ」といわれる人心掌握工作を行い正規軍の支援を行います。
このためグリーンベレーの隊員には、語学力に加え、現地の文化・風習に精通する高いインテリジェンス能力が必要とされます。
同じ陸軍のレンジャーや海軍のシールズが短期での戦闘を主任務とするのに対して、グリーンベレーは長い期間をかけて敵対地域におけるアメリカの勢力圏を拡大していく戦略的な作戦も任務としていて、派手なイメージとは裏腹に地味な任務も数多くこなします。
もちろん、グリーンベレーは実際の戦闘も行い、戦時には少人数のチームを敵地に潜入させての長距離偵察や、破壊工作、後方攪乱、越境作戦など多種多様な不正規戦闘に従事します。
グリーンベレーの隊員は重い装具を背負いながら、時速6kmの速度で不整地を移動できるといわれており、スキューバやHALO(High Altitude Low Opening:高高度降下・低高度開傘)による高高度からパラシュート降下による敵地潜入のための高度なスキルも習得しています。
グリーンベレーになるには 入隊から訓練
引用:https://www.businessinsider.jp
グリーンベレーは全員が志願制です。
グリーンベレーになるには自ら名乗り出ることが第一歩です。
しかし、当然誰もがなれるわけではなく、そこには高い基準が求められます。
アメリカ市民であることに加え、志願者には空挺資格が必須で、陸軍の一般適正テストで100ポイント以上、陸軍体力テストで229ポイント以上、レンジャーテストへの合格、「セキュリティクリアランス(国家が保有している機密の書類や物件の取扱を託すのに相応しいと認められた人物に与えられる資格証明)」の取得など知力・体力ともに高いレベルを求められるとともに、グリーンベレーの隊員は国家レベルの高い機密情報に触れる機会があるため、個人としての高いモラルも求められます。
志願が許可されると、J.F.ケネディ特殊戦センターで1か月の「特殊部隊評価選抜過程(SFAS)」に入ります。
ここで基礎体力、サバイバル能力、チームでの協調性などが試され、これにパスすることでやっと「特殊部隊員資格コース」、通称「Qコース」に挑戦することができます。
Qコースは6段階から構成され、第1段階の特殊部隊評価選抜(19日間)、第2段階の語学訓練(18~24週間)、第3段階の個人技能(12週間)、第4段階の専門技能(15~48週間)、第5段階の総合演習(4週間)、第6段階の修了手続きと卒業式典(1週間)となっています。
ここでは戦闘技能はもちろんのこと、指揮能力や語学力といった知的能力も要求され、捕虜になった場合を想定した監禁・拷問耐久訓練も行われます。
最終段階の総合演習では訓練施設内のジャングルにおいて、「ロビンセイジ」と呼ばれる大規模な野外演習が行われます。
ロビンセイジの名はグリーンベレー創世期のメンバーで第10特殊部隊グループ司令官であり、第二次大戦中にはOSS隊員として北アフリカで戦ったセイジ大佐からとられています。
ロビンセイジでは演習場に架空の国家を設けて約1か月間、チームによる敵地への潜入、現地住民との接触・交渉・懐柔・訓練から組織編制、任務の達成から脱出まで実戦さながらの野外活動試験が行われます。
これにパスしてQコースは修了となり、各人の名前とシリアルナンバーが刻まれた「ヤーボローナイフ」(グリーンベレーの制定に大きな役割を果たしたヤーボロー准将にちなんだもの)と呼ばれるボウイナイフ(狩猟用の短刀)を支給されます。
Qコースを修了した将兵はその証に緑色のベレー帽を与えられ、名実ともに晴れて真のグリーンベレーとなることができます。
このほか、制服や戦闘服の左肩に「スペシャルフォース」タブ(帯状の小さな資格証)をとりつけることが認められ、これはベレー帽とは異なり、本人が特殊部隊を離れても「資格」として着用し続けることができます。
グリーンベレーの編成
引用:https://news.militaryblog.jp
現在、すべての陸軍特殊部隊は陸海空アメリカ三軍の特殊部隊を統括するアメリカ特殊作戦群(USSOCOM)指揮下の特殊作戦コマンド(USASOC)に所属しています。
グリーンベレーは第1・第3・第5・第7・第10の現役5個特殊部隊グループ(SFG)と、第19・第20の州兵2個特殊部隊グループからなります。
第6・第8・第11・第12特殊部隊グループは現在活動停止済みとなっています。
・第1SFG(ワシントン州フォートルイス)はアジア・太平洋地域が担当で、沖縄のトリイ通信施設に第1大隊が、韓国に第39特殊部隊分遣隊がそれぞれ常駐しています。
・第3SFG(ノースカロライナ州フォートブラッグ)はアフリカ担当。
・第5SFG (ケンタッキー州フォートキャンベル)は中央アジア・中東・アフリカの角(ソマリア周辺地域)を担当。
・第7SFG (ノースカロライナ州フォートブラッグ)は中南米担当。
・第10SFG (コロラド州フォートカーソン)はヨーロッパ地域担当で第1大隊がドイツに常駐しています。
・第19SFG(ユタ州ソルトレイクシティ)は第1及び第5特殊部隊グループの予備戦力で、アジア・太平洋地域・中央アジア・中東・アフリカの角を担当。
・第20SFG(アラバマ州バーミンンガム)は第7特殊部隊グループの予備戦力で中南米を担当します。
第1~第10SFGの定員は約1760名で、本部中隊・4個作戦大隊・1個支援中隊からなります。
第19・20の州兵SFGの定員は約1380名です。
実働部隊である4つの作戦大隊(383人)は大体本部と3個作戦中隊(アルファ・ブラボー・チャーリー)、1個支援中隊からなっています。
各作戦中隊は中隊本部となる11名編成のブラボー作戦分遣隊(Operation Detachment Bravo/ODB)、通称Bチームと、12名編成のアルファ作戦分遣隊(Operation Detachment Alfa/ODA)、通称Aチーム6個の計83名で構成されています。
『特攻野郎Aチーム』のAチームはここからきています。
アルファ作戦分遣隊は特殊部隊の基本単位となる非常に重要な小部隊で、指揮官と副官(各1名ずつ)、作戦下士官(1名)や情報下士官(1名)、兵器専門家(2名)、工兵専門家(2名)、通信専門家(2名)、医療衛生専門家(2名)からなりますが、近年は特殊部隊でも人材不足が起こっており、10名以下となる部隊も出ているようです。
グリーンベレーの装備
引用:https://www.businessinsider.jp
グリーンベレーといえば、ベトナム戦争における、ジャングル・ファティーグと呼ばれた熱帯用戦闘服であるTCU(Tropical Combat Uniform)を着用し、M1957LCEと呼ばれる装備品用ベルトを身に着け、緑のベレー帽を被った姿が有名で、これがグリーンベレーのイメージのようになっています。
しかし、現代のグリーンベレーは戦場においてはさすがに部隊の誇りであるベレー帽を外し、普通にヘルメットを着用しています。
そのため、グリーンベレーの兵士かどうかを見分けるには、ベレー帽よりもQコース修了時に与えられるスペシャルフォースのタブを探すほうが確実です。
グリーンベレーは地球上のあらゆる地域が活動範囲となるため、その場所の気候や作戦内容によって大きくその装備品を変えます。
ですから、グリーンベレーなら全員がこの格好をしている、というような決まったユニフォームはありません。
グリーンベレーも制服としては、通常の陸軍兵士と同じく、上下セパレートの迷彩戦闘服を着用します。
陸軍では現在ACUと呼ばれる新型迷彩戦闘服が標準のユニフォームとなっていますが、特殊部隊では作戦地域によっては今でも、ウッドランドと呼ばれるくらいグリーン系の森林やジャングル地帯向け迷彩パターンのBDU戦闘服が使用され続けているといわれます。
グリーンベレーにおいて一般的といえるような装備をあえて挙げるなら、1990年代後半から支給が始まった特殊部隊向けのSPEAR装備システムがあるでしょう。
SREARとは特殊部隊用個人携行装備システムのことで、BASボディアーマーはその中核となる装備で、一般的にはタクティカルベストと呼ばれるものです。
これは第二次大戦中に英米軍が限定的に支給した上陸戦用アサルトベストを起源とします。
アーマーは前面に装備連結用ストラップ(PALSテープ)が備わっていて、これはマジックテープのようなもので、弾倉ポーチや手榴弾ポーチを任意の位置に装着することが可能となっています。
首周りと股間部には耐弾性を高めるための追加アーマーを連結できますが、特殊部隊では機動性を重視してか、装着例はあまりありません。
ヘルメットは耐弾ケブラー製のMICHヘルメットを着用し、これは特殊部隊向けに開発されたヘッドセットを着用したままでも被れるヘルメットで、現在では一般歩兵部隊でも使用されています。
使用する武器としては、SOPMOD-M4カービン銃が代表的です。
SOPMOD-M4カービンは1998年から特殊部隊向けに支給が開始されたカービン銃で、モジュラー化された光学機器などのオプションパーツを任意の位置に取り付けることが可能です。
もちろん、任務によってはこれ以外の武器が使用されることもありますし、装備についてもグリーンベレーに限らず特殊部隊においては、個人の裁量や指揮官の判断によって改良や改造された装備やイレギュラーな装着法、隊員が自費で購入した私物の装備品などが多数使用されています。
特殊部隊が使用する車両装備は、様々な用途に対応できるよう、1トンに満たないバギー型のLTAV(全地形軽戦術車)から10トン級のMRAP耐地雷装甲車まで約3000両が配備されています。
特殊部隊というからには特殊作戦用に開発された特別な車両を使っているのかと思いきや、これらの車両は専用に開発されたものは皆無で、多くが民生品の改修型を使用しています。
このほかに商用車両も400両ほど保有していて、その主力車種はトヨタ製の四輪駆動ピックアップのハイラックス・ダブルキャブです。
商用車両は一般車に紛れることができるため、市街地での隠密任務には最適で、運用にあたっては防弾仕様に改造され、通信装置や夜間映像装置などが搭載されています。
また、グリーンベレーの任務には空からの隠密偵察や夜間浸透なども含まれますが、こういうときには第160特殊作戦航空連隊「ナイト・ストーカ―ズ」が最新鋭の特殊作戦用ヘリを使用し任務支援を行うこととなっています。
この連隊は特殊作戦ヘリを184機も装備し、その中にはボーイングMH-47G重特殊戦闘ヘリも含まれます。
完全武装のグリーンベレーを44人乗せることのできるこのヘリを連隊では61機保有していて、7個特殊部隊大隊に相当する2684人のグリーンベレーを一度に輸送することができます。
グリーンベレーの戦歴
引用:https://www.businessinsider.jp
グリーンベレーがはじめて本格的に任務に投入されたのがベトナム戦争です。
1960年、第7SFGが南ベトナムに軍事顧問として派遣され、のちに第5SFGも続きました。
ベトナム戦争中、グリーンベレーが一貫して行っていた任務は、「ベトナミゼーション(戦争のベトナム化)」といわれ、「ベトナム戦争をベトナム国内の問題として、できる限りアメリカの軍事介入を避けるため、現地人の手に委ねよう」というもので、グリーンベレーは南ベトナム軍など現地戦力の訓練を行いました。
グリーンベレーの隊員たち自身も、「プロジェクトデルタ」と呼ばれた作戦では「ロードランナー」といわれる偵察チームを編成し、特殊長距離偵察パトロール(LRRP)を行いました。
グリーンベレーと民間不正規戦グループ約400人が900人の北ベトナム軍の攻撃から基地を守り抜いたナム・ドンの戦いやベトコン無力化作戦であるフェニックス作戦、ソンタイ捕虜収容所奇襲作戦など多くの実戦にも参加しています。
ベトナム戦争終結後、特殊部隊は一時的に縮小され、人員削減を余儀なくされます。
しかし、「強いアメリカ」をスローガンに掲げるロナルド・レーガン大統領のもと、第1SFGが再編され、大規模戦争から小規模の紛争まで様々な戦争に対処できる部隊と位置付けられるようになります。
1978年からのソ連軍のアフガニスタン侵攻ではソ連に対抗するムジャヒディンの訓練を行い、南米のエルサルバドルで内戦が起こるとエルサルバドル軍の支援を行いました。
冷戦終結後も、湾岸戦争ではエジプト軍特殊部隊に訓練を施し、2001年からのアフガニスタン紛争ではアフガンに潜入し、北部同盟を支援しています。
2002年からは「フィリピンにおける普及の自由作戦」において、イスラムテロ組織アブ・サヤフ討伐を行うフィリピン軍支援のため、第1SFGが派遣されています。
2003年のイラク戦争ではクルド人武装勢力やイラク占領後のイラク治安部隊に訓練を施し、2014年からの対イスラム国の戦いではイスラム国に対抗する各勢力への支援のため、第3・第10SFGが派遣されました。
まとめ
以上、アメリカ陸軍特殊部隊群グリーンベレーについてご紹介してきました。
特殊部隊というと、映画などでよくみる、少人数で敵地に潜入し、突入して制圧するという派手な戦闘シーンをイメージしてしまいますが、実際のグリーンベレーはその任務のほとんどが外国軍の訓練という地味なものも多いのです。
もちろん、実際には、一般には公開されていない作戦には多数参加しているでしょうが。
グリーンベレーがこのように、軍事訓練をメインとしているのはできるだけアメリカの兵士を傷つけず、また、できるだけアメリカが手を汚すことなく、アメリカの国益を追求するという冷徹な考えが背後に存在しています。
アメリカと敵対する国にとってグリーンベレーは戦闘においても高い能力を発揮する上、自国を内側から侵食していく脅威の存在です。
これからも、グリーンベレーは多様な任務をこなせるアメリカ軍の尖兵として、有事の際には世界各地に投入されていくでしょう。