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【テロ対策部隊】デルタフォースの強さに迫る!(装備・訓練・戦歴など)

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みなさんは、「デルタフォース」という名前をご存知でしょうか。

デルタフォースは、グリーンベレーやネイビーシールズと同じアメリカの特殊部隊なのですが、アメリカ最強の特殊部隊ともいわれる反面、実際にどういった部隊なのかはほとんど公表されていません。

ここでは、アメリカで最も謎に包まれた特殊部隊デルタフォースについて紹介していきます。

デルタフォースとは

引用:https://news.militaryblog.jp

デルタフォース(SFOD-D)とは、アメリカ軍の特殊部隊で唯一、対テロ戦を任務として設立された部隊です。

単にデルタと略されたり、軍内ではD-Boysと呼ばれることもあります。

デルタフォースは現在、統合特殊作戦軍(USSOCOM)隷下の統合特殊作戦コマンド(JSOC:Joint Special Operations Command)の管轄下に置かれています。

アメリカ陸軍の直接指揮下ではなく、この点は海軍のネイビーシールズと同様です。

デルタフォースというのは通称で、正式には第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊(1st Special Forces Operational Detachment Delta:第1特殊作戦部隊デルタ分遣隊と訳される場合もあります)といわれますが、これについても推定であり、実際の名称については不明とされています。

というのも、デルタフォースは、その任務の重要性のため徹底的な作戦機密保持性(OSPEC)のもとに置かれており、その存在すら長いあいだ極秘とされ、存在しない部隊とされてきました。

1908年のイランでのイーグル・クロウ作戦の失敗によって存在が明らかとなりましたが、現在でもアメリカ政府はデルタフォースの存在を正式には認めていません。

デルタの活動についてもアメリカの関係する多くの紛争において活動しているといわれますが、その内容は一切公開されていません。

アメリカ軍内部ではデルタの存在を秘匿するため、彼らのことを戦闘適応グループ(Combat Application Group)という呼び、隊員たちも自分たちの活動について積極的に語ることはありません。

デルタ隊員の機密保持に対する意識は他の特殊部隊と比べても高いと考えられ、例えば、2011年のネイビーシールズによるビンラディン殺害作戦では、その後作戦に参加したシールズ隊員の手記が公開されたり、映画が製作されたりしましたが、デルタに関しては隊員がそうした情報が発表したりすることはほぼありません。

アメリカ軍最強の部隊といわれるデルタフォースですが、同時にアメリカ軍特殊部隊の中でも最も厚い秘密のベールに包まれた部隊です。

デルタフォースの歴史

引用:https://en.wikipedia.org

デルタフォースは、1977年11月にアメリカ陸軍のチャールズ・ベックウィズ大佐によって創設されました。

直接のきっかけとなったのは、1970年代のテロ事件の激増で、ベックウィズ大佐はイギリス陸軍のSAS(特殊空挺部隊)に1年間交換勤務していた経験があり、自らの経験をもとに国防総省に対テロ部隊設立の必要性を訴えました。

デルタフォースはSASの影響を強く受けているといわれます。

SASは第二次大戦中に創設された砂漠の特別攻撃部隊を起源とする世界で2番目に作られた特殊部隊で、北アイルランド紛争で対テロ戦のノウハウを身に着けており、1980年のロンドンのイラン大使館占拠事件では鮮やかな突入作戦で人質を解放しました。

SASは世界一の特殊部隊と呼ばれることもあり、ベックウィズ大佐がこれを手本にしようとしたのも頷けます。

デルタはその任務から部隊の構成、訓練プログラムに至るまでSASに酷似しているといわれ、活動が極秘になっているのも同様です。

当初、政府や軍は新たな特殊部隊を作ることには消極的でしたが、1977年のルフトハンザ航空181便ハイジャック事件でドイツの警察特殊部隊GSG-9が鮮やかな救出作戦を成功させるのを見て、対テロ専門部隊の必要性を認識して方針を転換、デルタフォースの編成を決定しました。

こうして誕生したデルタフォースでしたが、最初から現在のような精鋭部隊だったわけではありません。

当時は、人材・練度不足や予算の制限、作戦に対する指揮統制権限の弱さ、対テロ戦に対するノウハウの不足などから思うような活躍をみせることができず、軍内での評価も高くはありませんでした。

創設以来ずっと極秘とされてきたデルタの存在が知られることになったのも、イランでの特殊作戦が失敗してしまったことが原因です。

しかし、そうした困難を乗り越え、その後も実戦を重ねることによってデルタフォースは実力を高めていき、現在では対テロ戦のエキスパートとして、アメリカ軍での対テロ任務の増加に伴い、アメリカ軍にとってなくてはならない部隊となっています。

デルタフォースの名前の由来

引用:http://blog.livedoor.jp

デルタフォースの部隊名についてですが、一説にはベックウィズ大佐がベトナム戦争時代に指揮していた特殊部隊「プロジェクト・デルタ」に由来する、といわれることもありますがこれは誤りです。

実際には、デルタの名称はグリーンベレーの分隊名称から採られたもので、グリーンベレーには12名からなるアルファ分遣隊(Aチーム)、中隊規模のブラボー分遣隊(Bチーム)、大隊規模のチャーリー分遣隊(Cチーム)の3つで構成されています。

SASをモデルにしたデルタフォースはこのどれとも違う編成をしていたため、A・B・Cのどれとも違う新たな部隊としてデルタ分遣隊という名称がつけられたということです。

デルタフォースの任務

引用:https://news.militaryblog.jp

デルタフォースの任務として上げられるのは、人質救出、重要人物(HVT:高付加価値目標)の捕獲または無力化、テロリスト個人やテロ組織などの情報収集、要人警護、ゲリラなどを相手とした非正規戦などで、通常の軍事作戦を含めてあらゆる軍事作戦に参加することがあるとされます。

戦闘面において、デルタフォースがなにより得意とするのがテロリスト等に対する直接攻撃(ダイレクトアクション)任務です。

デルタフォースはCQB(近接戦闘/閉所戦闘)と呼ばれる室内や建物が多数ある市街地などでの比較的近距離での戦闘のエキスパートで、これは人口密集地や船舶、航空機などを狙うテロリストに対処するために重視される戦闘スタイルです。

テロとの戦いにはアンチテロとカウンターテロの2種類があり、テロリストによる攻撃があった場合にそれが対処するのがアンチテロ、逆に事件を起こしそうなテロリストや集団を見つけだし事前に攻撃を加えることをカウンターテロといいます。

アメリカは近年、積極的な情報収集のもと、カウンターテロに力を入れていて、アフガニスタンでのタリバン・アルカイダの幹部狩りなどを行っており、デルタもこうした任務に投入されています。

アメリカは、過去に何度か核テロ計画を阻止していますが、世間の混乱を避けるため一切公表はされていないといわれています。

この話自体の真偽が定かではないため、確かなことはいえませんが、もしも事実だとすればデルタフォースもこうした作戦に参加していた可能性は高いでしょう。

デルタフォースは1970~80年代に多発した要人拉致や人質の拘束といったテロ事件に対応するべく生まれた部隊のため、人質救出も専門にしていて、世界中の建物や航空機、船舶、列車といった乗り物などの図面がインプットされた膨大なデータベースを有しているといわれ、こうした事件が起きた際にも高い即応能力をもっています。

本家のSASと同じように、各隊員は潜水やHALO(高高度降下・低高度開傘)による空挺降下といった専門技能のいずれかのエキスパートで、様々な特殊任務にも対応できる人材が揃っています。

デルタフォースになるには 入隊と訓練

引用:https://news.militaryblog.jp

多くの特殊部隊がそうであるように、デルタフォースも志願制です。

デルタの一員となるには、まず自分から名乗り出ることが第一歩です。

デルタフォースの入隊試験は年に2回、3月と9月に行われます。

デルタフォースへの入隊資格として求められる条件は、

・アメリカ国籍があること。
・連邦航空身体検査に合格すること。
・空挺資格保有者であること。
・レンジャー・特殊部隊体力テストに合格できること。
・陸軍の適性検査で100ポイント以上を取得できること。
・体力テストで225ポイント以上取得できること(2分間に腕立て伏せ55回以上、腹筋62回以上、ランニング3.2㎞を15分6秒以内に完走できること)
・CIA局員になるのにも必要なTSクリアランス(機密取扱資格)を保有していること。

という内容で、デルタの隊員には、ただ単に体力があるだけではなく頭脳の良さも求められ、機密性の高い任務につくことも多いためそれに対する資格も必要となります。

少数精鋭の特殊部隊隊員には、任務において個人個人の冷静な判断力や思考力を求められる場面も多く、単なる体力自慢では務まらないのです。

ちなみに、TSクリアランスは一般人が取得しようとするとけっこうな手数料がかかるもので、これをもっているため、特殊部隊隊員が軍を退役した後のセカンドキャリアとしてCIA職員は人気があります。

入隊条件を満たした人間は、1か月間の評価選抜過程を経て、6か月間のOTC(Operator Training Course:戦闘員訓練課程)へと進み、入隊後も最低18か月間はOJTでの勤務となります。

デルタフォースの訓練

引用:https://news.militaryblog.jp

デルタフォースは、グリーンベレーの本部がおかれているのと同じ、ノースカロライナ州フォート・ブラッグの陸軍特殊軍団基地を本拠地としています。

デルタフォースの訓練は対テロ向けに特化されていますが、その内容は厚い秘密のベールに包まれています。

ここには、世界の最先端を行くといわれる射撃場、水泳プール、潜水プールなどがあり、地下鉄や旅客機などあらゆる種類のテロを想定して作られた模擬訓練施設も存在します。

なかでも、市街地での強襲や人質救出の訓練に使用される、9万ドルをかけて作られたCQB訓練場があり、恐怖の館(House of Horror :ハウス・オブ・ホラー)と呼ばれています。

これは、イギリスのヘリフォードシャーにあるSASの訓練施設「キル・ハウス」を手本に作られたもので、施設内では各種テロを実演することができ、テロリストに占拠された建物に突入するための戦術をチームや個人単位で習得できるように設計されています。

デルタ隊員は演習時に他部隊の隊員に内容を知られないようフランス語やドイツ語で作戦会議を行うなど、高い語学能力も求められます。

デルタフォースは、技能の向上を図るために頻繁に外国の対テロ部隊とも交換・訓練プログラムを実施しており、イギリスのSASをはじめ、ドイツのGSG-9やイスラエルの最精鋭部隊サイエレット・マトカル、オーストラリアSAS連隊(SASR)、フランスのGIGN(ジェ・イ・ジェ・エン:国家憲兵隊治安介入部隊)などが代表的な連携パートナーです。

デルタフォースの編成

引用:http://beta.deltaforceops.com

デルタフォースの隊員は通常、総数100名強で、1個連隊3個大隊で構成されています。

各大隊はA・B・Cの3個作戦中隊に分けられ、うち1個中隊が偵察・狙撃中隊で、残り2個中隊がダイレクトアクション・アサルト中隊(直接攻撃・強襲中隊)となっています。

それに、本部・支援中隊、通信中隊などが加わり、陸軍特殊部隊の支援を行う第160特殊作戦航空連隊(ナイト・ストーカーズ)とは別に独自の飛行小隊を保有しています。

デルタでは、SASのパトロール隊に倣って、4名1組が最小作戦単位になっています。

デルタフォースは全体でも100人ほどという少数精鋭の部隊であるため、実際の作戦にあたってはネイビーシールズやレンジャーなど他の特殊部隊などとチームを組むことも多く、イラクではアメリカだけでなくイギリスのSASとも合同で「タスクフォース88」という任務部隊が作られたこともあります。

デルタフォースの装備

 

引用:https://news.militaryblog.jp

デルタフォースはその活動が非公開であることから、彼らがどのような装備で戦っているのかについても、あまりはっきりとしたことは分かっていません。

しかし、特殊部隊全般について言えることですが、任務の内容によって装備の内容も大きく変わること、また、通常の戦闘については一般兵士に準じる装備が使われるであろうことが上げられます。

CQB装備

引用:https://orga-inc.jp

デルタフォースの存在が明らかとなった1990年代、一時期彼らの訓練が公開されたことがありました。

少し古いですが、その時のCQB訓練における装備をみてみると、隊員は、スナップによる着脱式でポーチ類を交換することのできるタクティカル・ベストを身に着け、頭にはケブラー製防弾ヘルメットを被っています。

武器は、当時CQB用として絶大な人気を誇っていたドイツ製のH&K MP-5サブマシンガンを使い、太もものSAS Mk.Ⅲレッグ・ホルスターには拳銃を装着しています。

現在なら、ヘルメットは特殊部隊向けに開発されたMICHヘルメットやそれを元に開発されたACHヘルメットなどが使用されるでしょう。

通常の戦闘であれば個人装備携行用のタクティカル・ベストには特殊部隊用に開発され、各種ポーチをナイロンテープでつけ外しできるSPER-ELCSもあり、こちらはグリーンベレーでも使われています。

私服装備

引用:http://tamesure.com

デルタの隊員は活動を秘匿するため、民間人か軍人か区別のしにくい格好で作戦に臨むこともあり、パナマ侵攻作戦の時にはノリエガ将軍を捕縛する任務を受け、私服姿で上着の下にMP-5サブマシンガンを潜ませて戦いました。

アフガンやイラクでも、民間軍事会社の警備員のような格好で任務にあたっている写真があり、服装・頭髪ともに自由度は他の部隊と比べて高いようです。

アフガンでのデルタ隊員の装備の一例として、マガジンポーチなどのついたイーグル社製のタクティカル・ベストを身に着け、腿にはタクティカルホルスターを装着し、ナイツSR-16アサルトライフルを手にしています。

武器には、AK-47などの旧ソ連製のものも多用されました。

着ているものはウールリッチのタクティカルシャツやカーゴパンツ、ブーツなど私服と見分けがつかないもので、頭にはキャップを被り、ヘッドセットとサングラスを着けていて、首にはシュマグ(アフガン・ストール)と呼ばれる布を巻いています。

サングラスは、デルタや特殊部隊隊員たちはオークリー社のラップラウンド型を好んでつけていました。

アメリカの特殊部隊全般についてもそうですが、隊員の個人の私物武器やイレギュラーな改造等を施した武器が指揮官や個人の裁量で持ち込まれることも多くあります。

デルタフォースの機動力

引用:https://orga-inc.jp

特殊部隊にとって重要となるのが、迅速な作戦を実現させるための機動力です。

デルタフォースも他の特殊部隊と同じく、航空支援部隊である第160特殊作戦航空連隊「ナイト・ストーカーズ」の支援を受けることができます。

映画『ブラックホーク・ダウン』で有名なソマリアの戦いではデルタ隊員を乗せたMH-6Mリトルバードが目標の建物に強襲をかけました。

MH-6Mはキャビンの外側にベンチシートが設置されていて、ここに隊員を座らせて素早く地上展開させることができ、スナイパーをシートに乗せての空中からの狙撃も可能です。

ナイト・ストーカーズは180機余りのヘリを保有しており、このほかにも、MH-60ブラックホークやビンラディン暗殺にも使われたステルス・ヘリなどがあり、作戦内容に応じてデルタフォースを支援します。

デルタフォースは独自の航空支援小隊ももっていますが、ここではアメリカ製だけでなく、旧ソ連製のMi-8ヘリも使われているようです。

Mi-8ヘリは頑丈で汎用性が高く、旧東側諸国だけでなくドイツ警察やアメリカの航空会社でも使われていて、現在でも製造・販売が行われています。

デルタフォースの戦歴

引用:https://en.wikipedia.org

デルタフォースがはじめて出動したのは19779年7月にプエルトリコで行われたパンアメリカン競技大会で、FBIと対テロチームを組み、万が一のテロ攻撃から大会を警護するのがデルタの任務でした。

イーグル・クロウ作戦

デルタフォース初の実戦であり、デルタの名を不名誉な形で世に知らしめることになったのが、1979年の「イーグル・クロウ作戦」です。

当時、イランで起こっていた革命騒動のなかで、テヘランのアメリカ大使館に乱入した暴イラン革命防衛隊と名乗る武装グループが職員や海兵隊員を人質に取って立てこもりました。

デルタ空挺部隊による救出計画が立てられ、隊員たちはヘリでテヘラン郊外まで運ばれることになっていました。

ヘリは途中、給油のために砂漠に一旦着陸することになっており、レーダー探知を避けるため、飛行高度は60m以下に指示されていました。

しかし、ヘリがその高度で飛ぶと砂嵐に突っこんでしまうことになり、肉眼で水平線を見ることもできなくなります。

電気系統のオーバーヒートも発生し、故障して不時着するヘリも出ました。

ヘリが全機給油地点への着陸を済ませた時には、すでに作戦は大幅に遅れていて夜明け前にテヘランに到着するという当初の計画は不可能となっていました。

すでにヘリは作戦遂行に最低限必要な数である6機にまで減っていて、その上さらに1機で油圧系統のトラブルが発生したため、ここで作戦は中止になりました。

この作戦では、それまでアメリカ政府が存在を否定していたデルタフォースの存在が明るみに出ただけでなく、イラン大使館の人質はSASが代わりに救出してアメリカの面子は丸潰れとなり、自国内で勝手にこんな作戦をやられたイラン政府をも激怒させることになりました。

その後、デルタフォースは1983年のグレナダ侵攻「アージェント・フュリー(抑えきれぬ怒り)作戦」やイタリアの豪華客船アキレラウロ号シー・ジャック事件での犯人確保に、シールズとタスクフォースを組んで参加しました。

ジャスト・コーズ作戦

1989年のパナマ侵攻「ジャスト・コーズ(正当な理由)作戦」では、「ニフティ・パッケージ(気の利いた小包)作戦」で独裁者ノリエガ将軍を捕縛する任務を与えられます。

デルタ隊員はノリエガの隠れているという部屋に乗り込みました。

部屋にはノリエガのタバコの匂いが漂い、ベッドにはまだ温もりが残っていましたが、ノリエガはわずかな差で取り逃がし、ヴァチカン大使館へと逃げ込まれてしまいます。

ブラックホークダウン

1993年には映画『ブラックホークダウン』で有名なソマリアのモガディシオの戦闘にも参加しています。

ソマリアの軍閥アイディード将軍の部下たちを捕縛するという任務で、デルタはレンジャー部隊とチームを組み、40名のデルタ隊員がヘリに乗って目標の建物に突入しました。

しかし、敵に攻撃を悟られてしまい、ブラックホークヘリが撃墜され、数百人の民兵を相手にする大規模な戦闘が起こりました。

デルタ隊員も6名が死亡し、アメリカがソマリアからの撤退を決定するきっかけとなりました。

アフガニスタン

デルタフォースは、2001年のアフガニスタンのタリバン政権への攻撃「不朽の自由作戦」にも参加しています。

アルカイダの指導者ビンラディンの捕縛を命じられたデルタフォースは、ビンラディンの潜伏するトラ・ボラ峠を攻撃し、あと一歩のところまでビンラディンを追い詰めます。

しかし、旧ソ連によるアフガン侵攻時にソ連と戦った英雄であるビンラディンを殺すことをためらった現地部族の族長が、「ビンラディンは降伏したがっている」という誤った情報を伝えてきたため攻撃の手を緩めたところ、ビンラディンに逃げられてしまいました。

イラク戦争

2003年のイラク戦争では、デルタフォースはCIAとともにイラク政府と敵対するクルド人武装組織「ペシュメルガ」の軍事指導を行い、彼らとともにイラク軍の拠点攻撃も行いました。

デルタフォースは12月、逃走していたサダム・フセイン大統領の隠れ家を発見し、捕縛する作戦を成功させました。

他にも、デルタフォースはイラクでの外国人拉致事件での人質救出作戦も行っており、2008年にはソマリアで海賊からの人質救出、2015年にはイスラム国に拉致された人質の救出作戦をクルド人部隊と合同で行っています。

まとめ

以上、アメリカで最も厚い秘密のベールに包まれた特殊部隊デルタフォースを紹介してきました。

その活動についてほとんど語られることのないデルタフォースですが、対テロ戦で最も大切なことはテロが起きる前に未然に防ぐこと。

公表されていないだけで、彼らが多くのテロを防ぎ、平和な社会とたくさんの市民の命を守っているのかもしれません。

アメリカ最強の部隊で対テロ戦の切り札デルタフォースは、これからも私たちの知らないところで、数々のテロとの戦いを繰り返していくことでしょう。



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