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【UMA】獣人ヒバゴンの目撃情報と正体

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ヒマラヤのイエティやアメリカのビック・フッドといったUMA(未確認生物)の話は、誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

実際にいるのかどうかはわかりませんが、目撃例も多く、これらの生物が人を襲ったという話もあります。

UMAのなかではマイナーな部類に入ると思いますが、実は日本にもイエティのような獣人UMAがいるのです。

ヒバゴンとは、日本に生息しているといわれる類人猿型のUMAの一種です。

果たして、この日本にもそんな獣人が存在するのでしょうか。

ここでは、日本のイエティ・ヒバゴンについて紹介していきます。

ヒバゴンとは

引用:twitter.com

ヒバゴンとは、日本に生息するといわれる獣人UMAで、1970~74年にかけて広島県北東部の比婆郡西城町(さいじょうちょう)油木・比和町(ひわちょう)・庄原市(しょうばらし)など(現在はすべて庄原市に統合)で目撃されました。

ヒバゴンの名前は、主な出没地域であった比婆山連邦からきています。

ヒバゴンは、見た目は茶色の体毛に覆われた巨大なサルで、人間の2倍ほどの大きさがあります。

ある程度の知能をもっているらしく、人間を襲ったとか農作物を荒らしたという被害は報告されていません。

ヒバゴンの出現

引用:www.hiroshima-kankou.com

初めてヒバゴンが目撃されたのは、1970年の夏のこと。

7月20日の午後8時ごろ、比婆郡西城町油木地区で農業を営む丸崎安考さん(当時31歳)が仕事に使う軽トラックに乗って、中国電力六の原調整池ダム付近を走行していたときのことでした。

突然、それまで見たこともないような生き物が現れ、丸崎さんの車の前を横切りました。

その生物は子牛くらいの大きさで、丸崎さんは最初ゴリラかと思ったそうです。

しかし、すぐにそれがゴリラなどではない謎の怪物であることがわかります。

その怪物は、丸崎さんのほうをじっと見つめながら、ゆっくりと歩き、道路を横切ってやがて森の中へと消えていきました。

どうやらその生物は谷に向かって下っていったようでした。

丸崎さんはこのことを町内の人に伝え、その信憑性を疑う声もありましたが、丸崎さんは嘘をつくような性格ではなかったため、人々は、なんだかよくわからないけれど、ただならぬ出来事に遭遇したのだろうと思ったそうです。

これが、最初のヒバゴン目撃証言となりました。

この事件では、舗装された道路に濡れた足跡が残っているのと、怪物が向かったと思われる谷で、渓流に沿って草木が踏み倒されているのが第三者によって確認されています。

そして、この事件はこれだけでは終わらず、その後同様の巨大なサルのような二足歩行の生き物を見たという情報が相次ぐことになります。

ヒバゴン騒動の広がり

引用:sugi.pallat.jp

1970年の終わりまでに六の原ダム周辺の3㎞四方ほどの場所で怪物の目撃証言が相次ぎ、合計12件もの目撃情報が寄せられました。

12月になると、ヒバゴンのものとみられる足跡も発見されました。

獣人の出現は当時、かなり大きな騒ぎになり、比婆山にちなんでヒバゴンという名前もつけられます。

行政も連続する事件を重大視し、1971年4月には、比婆郡西城町役場には対策のため「類人猿対策委員会」が設立されるほどでした。

類人猿係は、ヒバゴンの出現に対する目撃情報の収集や、問い合わせに対する情報提供・現地の案内、探検隊への協力が主な業務とされました。

町民のヒバゴンに対する不安や負担を低減する目的で、目撃情報を提供した町民には、「迷惑料」として5000円程度のお金が支給されることになり、特別予算も組まれました。

かといって、金銭目的の怪しげな情報ばかりということはなく、目撃情報は一定の基準をもとにきっちりと役所で精査されました。

このため、ヒバゴンの目撃証言にはある程度の信憑性が認められるものと思われます。

騒動が終息するまでに役場に集まった情報は100件を越え、そのうちの22件33人分の証言が、「信憑性が高く、事実と認められるもの」とされました。

ヒバゴンは新聞にも取り上げられてその名は日本中に知られるようになり、西城町には、ヒバゴンを見つけ出そうという人やアマチュアの研究家、観光客などが大勢訪れるようになります。

新種発見を目指した広島大学の学生研究グループや、小型ヘリコプターまで使用したアマチュア研究団体などもありましたが、ヒバゴンを発見することはできませんでした。

西城町では、ヒバゴンを観光資源としても活用し、類人猿係では町の観光振興ももう一つの業務とされていました。

ヒバゴン人形からヒバゴン団子、ヒバゴン丼などの食べ物、さらには当時のヒット曲をもとにしたヒバゴン音頭も作られ、ヒバゴンは1970年代の一大ムーブメントと化します。

ちなみに、ヒバゴン丼は、山の住むヒバゴンが食べていたと思われる山菜や山芋とともに鳥そぼろ、わさびがのったどんぶりで、現在でも庄原市西城町で食べることができます。

引用:http://www.sssp.mihara.hiroshima.jp

しかし、1970年代半ばごろになると、目撃証言も減り、加熱していたヒバゴンブームにも陰りが訪れます。

1975年には西城町がヒバゴン騒動終息宣言を出し、類人猿係も廃止されることになりました。

その後、同じ広島県の山野町で1980年に「ヤマゴン」、久井町(くいちょう)で1892年に「クイゴン」が、そして、遠く離れた岩手県山形村で「ガタゴン」が発見され、ヒバゴンの仲間ではないかと注目されましたが、ヒバゴンほどの大きなブームになることもなく、続報もないため正体不明のままに終わっています。

2004年には当時のヒバゴン騒動を扱った映画や小説などが発表されて再び注目を集め、庄原市にはいまもヒバゴンというゆるキャラがいます。

現在の比婆山は開発による造成工事のためにかつての姿からは変貌してしまい、もはやヒバゴンの棲み処になりえないかもしれません。

こうして、ヒバゴンとはなんであったのか、答えの出ないままにブームは去り、今もその正体は謎のままです。

ここからは、ヒバゴンの特徴や目撃証言などをみていきながら、ヒバゴンとは果たしてなんだったのか、その正体に迫っていきたいと思います。

ヒバゴンの特徴

引用:http://gakkenmu.jp

類人猿係りに集められた目撃情報をもとにしたヒバゴンの外見的特徴は、全身が薄い黒に近い茶褐色の体毛に覆われた巨大なサルで、身長は約1m50㎝~1m70㎝ほどとされています。

身長から推測した体重は80~90kgほどとされ、ずんぐりむっくりした体型をしています。

頭は人間の2倍ほどの大きさをもち、逆三角形をしていて、頭部の毛髪に当たるところはモップのように逆立っていて、硬いものと推測されます。

ヒバゴンの大きな特徴として、目が異様に鋭く、ギョロッとして大きくつり上がっていることが上げられます。

腕まわりは黒くて長い体毛に覆われており、逆に腹部には体毛がなく、腹は膨れています。

尻の左半分の毛が白がかっているという証言があり、また、サルのように尻に毛の生えていない部分(タコ)はないということです。

見つかった足跡から、足のサイズは20~30㎝程度ということがわかっています。

動作は緩慢で、ある程度の知能をもっているようで、人を怖がるようなこともなく、反対に人に危害を浴びせたという報告もありません。

また、農作物を荒らしたという報告もないため、山に自然に生息している動植物を餌にしていたものと考えられます。

足をひきずっていたという目撃証言がいくつもあるため、目撃されていたのは単一個体とみられ、なんらかの理由で足にケガを負っていたようです。

他に仲間がいたかは不明で、もしかするとヒバゴンは最後の生き残りの1匹で、目撃証言が途絶えてしまったのは、この1匹がなんらかの理由で死亡してしまったからだとも考えられます。

ヒマラヤのイエティは身長1.5~4.5m、北アメリカのビッグフッドは2~3mで、世界中で目撃されている獣人UMAは身長2m以上のものが多く、なかには7mというものもおり、これらと比べると、ヒバゴンは小柄な部類に入ります。

それでも、ニホンザルよりはかなり大きく、世界でもベネズエラのモノス(1.5~1.6m)やインドのモンキーマン(1.4~1.6m)という獣人UMAも存在しています。

ヒバゴンを他の獣人と比較した場合、最も大きな特徴いえるのが、逆三角形の頭とつり上がった鋭い目といえ、他の獣人UMAにはないものといえます。

ヒバゴンの目撃証言

引用:http://kima-mato.blog.jp

ここからは、実際にヒバゴンを目撃した人の証言から、ヒバゴンがどのような生き物であったのかをみていきましょう。

目撃証言1:第2のヒバゴン遭遇事件

丸山さんの事件から三日がたった7月23日の午後5時30分過ぎのこと。

中国電力六の原ダム付近に住む農業・今藤実さん(当時43歳)が畑で草刈りをしていたときのことです。

夕暮れのなかでなにかの気配を感じた今藤さんが周囲を見回すと、ドスンという音とともに茂みの中に獣人が現れました。

背丈は人間の大人くらいで、全身を黒色の毛に覆われ、人間に似た頭の部分が異様に大きかったということです。

その怪物は、じっと今藤さんを見つめていました。

最初は人間かと思ったものの、すぐに違うことに気づき、恐ろしくなった今藤さんは慌てて家に逃げ帰りました。

この事件は第1の丸崎さんの遭遇事件から日がたっていないことと、現場が1㎞ほどしか離れていないことから、目撃されたのは同一の怪物であると判断されました。

この事件についても信憑性を疑う声もありましたが、今藤さんは調査の際には現地で当時の状況再現や距離などの測定にも協力し、役場の職員にも自分が本当に謎の生き物を見たのだということを真剣に訴えたということです。

目撃証言2:ヒバゴンの足跡

引用:okakuro.org

1970年12月になると、雪原にヒバゴンのものとみられる足跡が発見されました。

最初に足跡が見つかったのは、庄原市と島根県の境にある吾妻山で、このときの足跡は長さ21㎝、幅22㎝でした。

さらに、12月だけでもヒバゴンの目撃報告は12件にも上りました。

ヒバゴンとみられる足跡の発見数は、計15回におよび、足のサイズは長さ14~30㎝、幅7~23㎝となっていて、同じ動物のものにしては大きさにばらつきがあるようです。

ヒバゴンは1匹だけではなかったと考えることもできますが、なかには本当にヒバゴンのものか判別できない足跡もあるようで、これらがすべてヒバゴンの足跡であったとは言い切れません。

目撃証言3:ゴリラのようなヒバゴン

1974年6月20日午後10時ごろのこと、高野町に住む運転手の太田選(ひとし)さん(当時33歳)は庄原市河北町須川の県境にある山間の細い道に入りました。

すると、100mほど先の道路を全身が毛むくじゃらのゴリラのような生物がぴょんぴょんと跳ねるようにして横切っていくのを目撃しました。

太田さんはクラクションを鳴らしながらブレーキをかけ、怪物から10mほどのところで止まりました。

その怪物は、驚いたような怒ったような顔をして、ジロリとした意地悪そうな目で太田さんを睨んだということです。

身長は1.6mほどで、胴体は人間の2倍ほどもあったといいます。

怪物は車に驚いたようで、そのまま振り向くと、茂みの中へと姿を消してしまいました。

怪物が背中を向けた時、太田さんはそのお尻の部分の毛が白かったのを目撃しています。

目撃証言4:ヒバゴンはサルだった!?

1974年7月15日、午後8時20分ごろのことです。

比和町の平田キミヨさん(当時65歳)がガラス戸を開けた時、家の前を通っている県道に怪物が立っているのを見つけ、息を飲みました。

その怪物は身長1.6mほどで、体毛は茶色で足は人間のようでしたが、手は小さかったということです。

平田さんは、当時の状況を振り返って、「ヒバゴンかと思ったが、あれはサル。ギョロッとこちらを見た時の歩き方もまったくサルと同じだった。トシをとった大ザルのようだった」と語っています。

平田さんは自分の体験をもとにヒバゴンはサルであるという説を唱えましたが、他の目撃者からは、自分が見たヒバゴンはサルではなかった、本当に見たのかという反論の声も上がりました。

目撃証言5:ヒバゴンの写真

引用:okakuro.org

ヒバゴン騒動も末期となった1974年には、ついにヒバゴンの写真が撮られると事件がありました。

8月15日、8時5分過ぎのこと、西城町の隣にある比和町の三谷美登さん(当時41歳)が車に母親を乗せて庄原市濁川町の県道を走行していたところ、道路の真ん中で四つん這いになったり、二本足で直立して歩いている謎の生き物に遭遇しました。

車が近づくと、驚いたのか、怪物は近くにあった柿の木に飛びつきました。

その怪物がヒバゴンに違いないと考えた三谷さんは、車から降り、怪物の写真を撮影することに成功しました。

これが史上初のヒバゴンの写真になりました。

しかし、7~8mの距離から撮られたということですが、それを差し引いても、写真は不鮮明でこれが果たしてヒバゴンなのかどうか、写真をみてもピンときません。

確かに、よく見ると木々の向こうに背の高い何者かが立っているようにも見えますが、これだけでは人影なのかヒバゴンなのか判然としません。

そのため、この写真を巡っては本当にヒバゴンなのかどうか、大論争が起きることになりました。

専門家からは、被写体の不鮮明さにも関わらず、サルかクマを写したものだという否定的な意見も出ました。

実際にヒバゴンに遭遇した目撃者のなかからも、自分が見たヒバゴンはこんなものではなかったという声も出ました。

そして、この後10月11日の目撃情報を最後に、ヒバゴンの消息は途絶えることになります。

目撃証言6:ヒバゴン再出現

消えたと思われていたヒバゴンが再び姿を現したのは、世間がすっかりヒバゴンを忘れかけていた6年後の1980年のこと。

しかも、場所は西城町から90㎞も離れた広島県東部の福山市山野町でした。

午前6時40分ごろ、市内に住む水道局員の柴田清司さん(当時39歳)がトラックで帰宅中に、全身灰褐色の毛で覆われたゴリラに似た怪物と遭遇しました。

柴田さんは、わずか10mの距離で約1分間、怪物と対峙したということですが、やがてヒバゴンと思しき怪物は山中に姿を消してしまいました。

なぜ突然、これほど距離の離れた場所にヒバゴンが現れたのか、その理由も一切不明です。

その後、1982年5月9日に広島県三原市久井町で目撃されたのを最後に、今度こそヒバゴンの消息は完全に途絶えてしまいました。

ヒバゴンの正体とは

ここまで、ヒバゴン事件の経過やヒバゴンの特徴、目撃証言、写真などを見てきましたが、それを踏まえたうえで、ここからはヒバゴンとはなんだったのか、その正体に迫ってみたいと思います。

1:動物説 ニホンザル

引用:pz-garden.stardust31.com

こうしたUMAすべてについていえることですが、やはり他の動物を見間違えたという可能性は常にあります。

ヒバゴンの場合は、単純に考えてサルを見間違えたのでは、という説が当時から有力視されていました。

年老いたサルが群れを離れて徘徊しているところを目撃されたのではないかという説です。

比婆山付近は大型のニホンザルの目撃が多い地域だったともいいます。

しかし、ヒバゴンのように身長が150㎝を越えるようなニホンザルの発見例は現在のところ日本にはありません。

しかも、ヒバゴンの目撃者の多くが山間部の住民で山の暮らしには慣れていますし、サルも見慣れているはずです。

さらに、ヒバゴンの目撃証言では頻繁に二足歩行をしている姿が目撃されていますが、ニホンザルは基本的に二足歩行は行いません。

サルではないかという声に対して憤りをあらわにする住民もいました。

特に、初期の1970年ごろに目撃されたヒバゴンの報告については、ニホンザルには当てはまらない点が多数あります。

平田さんの目撃証言のようにヒバゴンがサルだったというものがある一方で、自分が見たものは絶対にサルなどではなかったと主張する目撃者もいます。

実は、足跡のサイズにばらつきがあるように、ヒバゴンの目撃証言の内容についても、目撃者によってばらつきがあり、ヒバゴンの特徴についてもそれらを総合したものとなっています。

役場が調査したとされる目撃証言ですが、そのなかには、特にヒバゴン騒動が大きくなるにつれて、こうしたサルなどを勘違いしたものが混ざっている可能性があると思われます。

2:動物説 クマ

引用:http://www.forest-akita.jp

ツキノワグマを見間違えたのではないか、という説もあります。

クマは大型の動物ですし、二本足で立ち上がることも可能です。

しかし、クマに関しても基本は四足歩行で二本足になるのは相手を威嚇するときなどですが、ヒバゴンは人を襲ったという証言はなく、二足歩行で目撃者の前から消えています。

さらに、中国山地にはツキノワグマが生息していますが、西城町周辺ではそれまでにクマの目撃例は皆無で、クマをヒバゴンと見間違えたという可能性と考えられます。

3:動物説 オランウータン

引用:ja.wikipedia.org

ヒバゴン騒動の中期から後期になると、ヒバゴンをゴリラのようだったという証言者が増えました。

ヒバゴンが両手の拳を握り込み、指の関節を地面につけて歩くナックルウォークをしているところを見たという証言もあります。

動物園から逃げ出したゴリラが山に潜んでいるのではという可能性も考えられましたが、近所の動物園ではそんな事件は起こっていません。

ヒバゴン騒動が起こっていた時期に、密輸入された30頭のオランウータンが行方不明になったという新聞報道があったようで、ヒバゴンの正体は実はこのオランウータンではないかという説もあります。

しかし、熱帯に住むオランウータンは日本で越冬することができず死んでしまうため、ヒバゴンのように何年にもわたって目撃されるのは考えにくいといえます。

4:未知の生物(UMA)説

サルやオランウータンではなく、ヒバゴンはこれまでに発見されたことのない未知の生物であると考えることもできます。

目撃されたのは同一個体のため、ヒバゴンは絶滅寸前の最後の1匹だったのかもしれません。

あるテレビ番組で、後年ヒバゴンの出没地域で正体不明の獣の死骸を見つけて埋葬した住民がいたという話が放送されたことがあります。

そのとき死骸の写真は撮られたものの、住民がすでに亡くなっているため埋葬地点は不明で、掘り起こしての調査も行われていないとのことで、これが果たしてヒバゴンのものだったかどうかはわかりません。

ほかにも、ヒバゴン騒動の30年ほど前にある木こりの妻が大ザルとまぐわって子を産んだという話があり、その子供がヒバゴンではないかという説もあります。

ヒバゴンは人とサルの合いの子ということになり、かつてはソ連でチンパンジーと人間の子を作ろうという実験が行われたという話もありますが、すべて失敗に終わっており、人間とサルでは子供ができるはずもありません。

さらに、出没地が広島県であることから、原爆によって誕生したサルの突然変異という説まであります。

5:エイリアン・アニマル説

引用:http://www.gainendesign.com

ヒバゴンが、実は宇宙からきた地球外生命体ではないかという説もあります。

比婆郡には、エジプトよりも古くに造られた太古のピラミッドがあるというオカルト話が存在します。

それによると、庄原市本村町にある葦嶽山(あしたけやま)は、どの角度から見ても完全な三角形をしていて、実はピラミッドだといわれています。

山頂付近にある巨石も、実はドルメン(支石墓)や供物台だというのです。

そして、このピラミッドはパワースポットであり、UFOがたびたび目撃されているということです。

そして、ヒバゴンはUFOによって宇宙から連れてこられ、地球に落とされたエイリアン・アニマルだというのです。

6:山の住人説

ヒバゴン騒動当時に流れた噂として、比婆山の中に密かに住んでいる人間ではないかという話があります。

昭和の初めごろ、あやまちから望まない子供を身ごもった1人の娘が山に隠れ、村人たちの捜索にも関わらず、そのまま見つからなかったという言い伝えがあります。

ヒバゴンは、その娘が生んだ子供で、比婆山で人知れず暮らしており、自然に適応するために全身がサルのような体になったのではないかという説です。

とはいえ、山で生まれた子供といえども、いきなり山に適応してサルのような体毛に覆われているというのは少し無理があります。

ほかにも、戦時中に村で生まれたけむくじゃらの子供が山に逃げた説や、戦争中の兵隊がいまだ山の中に潜んでいる説もありますが、いずれも現実味は薄く、可能性があるのはホームレス説くらいでしょうか。

7:町おこしのための陰謀説

引用:www.hiroshima-kankou.com

ヒバゴン騒動が起こっていた当時からあった噂の1つに、ヒバゴンは西城町の町おこしのために捏造されたUMAではないかという話があります。

ヒバゴンによって、西城町は知名度を高めると同時に、ヒバゴンを目当てに多くの人が訪れるようになりました。

類人猿対策委員会の仕事に町の観光振興も含まれており、現在もゆるキャラになっているように、ヒバゴンが観光のために利用されてきたことも事実です。

ヒバゴン騒動で有名になった結果、当時、西城町の町長が中央で陳情をした際には、ほとんどが簡単に通ったそうです。

町長自身も豪腕として知られていた人物で、西城町ではこの時期に道路や病院などの建設が盛んに行われました。

この町長が整備を進めていた県民憩いの施設「県民の森」がオープンしたのが1971年で、ちょうどこの頃ヒバゴン騒動が持ち上がりました。

町長は1976年に収賄で逮捕されていて、西城町でのヒバゴンの目撃情報はその少し前の1974年10月を境に途絶えており、1975年には類人猿係も廃止されています。

ヒバゴンが町おこしのためのものだったというのは、観光によって西城町がにぎわっていたことへのやっかみということもあるでしょうが、もしかすると、この町長が着ぐるみか何かを使って、ヒバゴンをでっちあげたのではないかというのがこの説です。

ヒバゴンのおかげで西城町では開発が進み、町長は建設業者からの賄賂で逮捕されており、動機は十分にありそうです。

かといって、多数の目撃者や役場の人間までがみんなグルだったということは考えにくいでしょう。

それほど多くの人間が関われば、それだけ嘘がばれるリスクも高くなります。

ですから、自作自演は町長と周辺の少数の人間のみで行われたものと考えられます。

観光の話題作りだとすると、ヒバゴンが人や作物に被害を出さなかったことにも説明がつきます。

サルなどの野生動物が山を下りてくるとたいていは農作物が荒らされるものですが、ヒバゴンの場合にはそれがなく、なんのために山を下りてきたのかわかりません。

ヒバゴンはまるで、自分の存在を多くの人に見せつけようとしているふうにもみえます。

そして、ヒバゴンがサルだという証言があるのも、おそらく偽ヒバゴンを使ったのは主に初期の頃だけで、騒動が広まるとサルなどを見間違えて放っておいても目撃証言が集まってきたのではないでしょうか。

ですが、これもあくまで状況証拠のみであり、はたしてヒバゴンが捏造されたUMAであったのか、断定できる証拠はありません。

まとめ

ヒバゴンとはいったいなんだったのか。

ここまでみてきましたが、「コレがヒバゴンの正体だ」といえるようなものはないように思われます。

ただ、ヒバゴンの目撃証言は目撃者によっていろいろなものがあり、足跡1つとっても様々なものがあります。

そのため、ヒバゴンといわれている報告例のなかにもサルなどの見間違えが多数混じっていると考えられますが、すべてがサルだったとも思えません。

おそらく、ヒバゴンが初めて目撃された1970年ごろの比婆山には、サルとは違った、ヒバゴンと呼ばれる「なにか」がいたものと思われます。

それが果たして未知の類人猿だったのか、逃げ出したオランウータンだったのか、または人間がでっちあげたものだったのかは今となってはわかりません。

しかし、この発端となった「なにか」の存在によって、人々のあいだでヒバゴンに対する不安や恐怖が広がり、ほかの動物に対してもヒバゴンを見たと勘違いしてしまったのではないでしょうか。

誤解によるいくつもの目撃証言が混ざり合うことで、ヒバゴンというUMAの真実をいっそう分かりにくくしているといえます。

たとえ比婆山に未知の類人猿が生息していたとしても、現在も生きている可能性は低く、ヒバゴンの正体は永遠に謎のままといえるでしょう。



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