現在の戦闘は、国と国による戦争から、部族間の紛争や政治・宗教などを背景としたテロリストとの攻防へとシフトしています。
特に、時と場所を選ばずテロを起こし、神出鬼没なテロリストとの戦いでは、既存の軍隊では運用が難しいため、機動性がある少数精鋭の戦闘部隊が求められます。
それが、特殊部隊です。
現代の戦争は「特殊部隊の戦争」と言われているほどです。
今回はそんな特殊部隊をランキング形式でご紹介いたします。
10位 特殊介入部隊 (イタリア)
引用:livedoor.4.blogimg.jp
イタリアの国家憲兵隊(カラビニエリ)の特殊部隊です。
GIS (Groupe Interventional Speciale) と略称されます。
1977年に発生したルフトハンザ航空181便ハイジャック事件をGSG9が解決したのを受け、1978年に設立されました。
要人警護のほか、人質救出任務や対テロ任務を行います。
平和維持任務の一環として、アフガニスタンやイラクにも派遣されています。
カラビニエリは国防省所属である為、有事の際には、軍事作戦にも参加します。
同じ国防省所属の海軍特殊部隊COMSUBINや陸軍特殊部隊第9落下傘強襲連隊とも連携しており、頻繁に共同訓練を行っています。
部隊の規模は秘密事項ですが、最低70名、最高150名程度と推測されています。
入隊には年齢制限があり、30歳以上とされています。
これは、特殊介入部隊の隊員には、冷静な判断力と豊富な技量が求められる為であるとの説が有力です。
隊員同士でさえ本名ではなく、ニックネームで呼び合います。
主要装備となる銃器はH&K MP5やベレッタM92F、グロック17等です。
その他、自動小銃、散弾銃、狙撃銃も使用します。
内務省・国家警察の治安作戦中央部隊 (NOCS) も同様の任務にあるが、こちらは国内のみの担当となっていて、海外派遣は行いません。
選抜されるまでには厳しい試練に絶えなければいけません。
国家警察からパラシュート部隊、外国で最低6ヶ月のミッションを終えた後、ようやく隊員として正式に認められます。
「夜のように静かに、稲妻のように素速く」がモットーです。
9位 コブラ (オーストリア)
引用:b0178302_10113836.jpg
オーストリアの警察系特殊部隊です。
1972年、ミュンヘンオリンピック事件などが発生し、テロ発生の可能性が深刻化するなか、自国を通過するユダヤ人亡命者をテロリストの攻撃から守りイスラエルに送るために志願者を募って編成されたのが起源とされています。
1975年、OPEC本部襲撃事件では、著名なジャッカルを相手に、他国の同種特殊部隊の協力を得て事件解決の計画を練ったとされています。
1978年にその存在を公にしています。
部内の呼称としてコブラの名を得たが、今ではすっかり正式名称になっています。
現在、コブラは他の警察系特殊部隊もそうであるように、人質救出作戦を最も注力する分野として、国内において即応チームが24時間態勢で待機し、いつテロ事案が起きてもすぐに出動できる体勢を整えています。
そのほか、テロ犯と目された人物の家宅を急襲して容疑者を逮捕することも実際に行っています。
海外へも派遣されており、最も多い派遣先はバルカン半島です。
スカイマーシャルも任務の一つです。
2007年には、サッカースタジアムにおける突入訓練を公開しています。
そのほか他国部隊との訓練、情報交換も常に行っており、日本のSATも訪れて研修を受けています。
8位 GSG9(ドイツ)
引用:The German GSG9 to setup a new Anti-terror unit in Berlin
ドイツの連邦警察(BPOL)に所属する特殊部隊で、世界の警察系特殊部隊の代表的な存在です。
1972年、ミュンヘンオリンピックで、パレスチナ解放勢力「黒い九月」による選手村襲撃事件(ミュンヘンオリンピック事件)が発生しました。
当時、西ドイツには対テロ作戦部隊がなかったことから、対応は極めて混乱したものとなり、結局人質全員が死亡するという最悪の結末を迎えました。
西ドイツ政府はこれを教訓として、特殊部隊の創設を計画します。
警備警察組織である連邦国境警備隊が設置母体となり、その9個目の国境警備群として、1973年に設置されました。
部隊創設の際には、イギリス陸軍の特殊部隊SASから指導を受けています。
1977年にパレスチナゲリラによる「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」が発生します。
この事件において、GSG9はソマリアのモガディシュに着陸した航空機に強行突入を行い、わずか5分で犯人を制圧、人質全員を無事救出したのです。
この事件は人質全員を無事救出したことから「モガディシュの奇蹟」とも呼ばれています。
この活躍により、GSG-9は世界中にその存在を知られることとなります。
GSG-9は航空機に突入する際、当時、まだ一般的ではなかった特殊閃光弾を使用しており、結果的にその実用性を証明してみせました。
また、突入の際に使用されたMP5短機関銃も、この事件以降、世界各国の軍事系、警察系特殊部隊で採用されています。
なお、過去には海外派遣もあったが、これは特例措置で行われたものであり、現在は国内での活動が中心となっています。
ただし、海外のドイツ大使館には警護任務のため、GSG9の隊員が常駐しており、2004年にはイラクにおいて、車で移動中のGSG9隊員2名が武装勢力に襲撃され、死亡しています。
GSG9は終身雇用制であるのが特徴です。
年を重ねて運動能力が基準以下になると、実戦での経験をいかした訓練の考案や、後輩達の指導、育成を担当して、部隊の進化へ貢献することになります。
7位 大韓民国海軍特殊戦旅団(韓国)
引用:KJCLUB
大韓民国海軍の特殊部隊です。
海上作戦のみならず、陸戦能力も有していて、必要に応じて敵地での破壊工作や偵察任務に従事します。
朝鮮戦争直後の1955年に、韓国海軍内の水中爆破処理を専門とする掃海部隊として発足しました。
アメリカ海軍の特殊部隊・ネイビーシールズが創設に関わった経緯から、韓国海軍シールズとも呼ばれています。
現在でも在韓米軍を通じた本家シールズとの関わりは緊密で、定期的な共同訓練を行っており、隊員をシールズ水中破壊工作基礎訓練課程やアメリカ海軍水中爆発物処理訓練課程へ留学させています。
2015年時点で、韓国は北朝鮮との対峙を目的として徴兵制を維持しています。
よって隊員は兵役中の兵卒、職業軍人である下士官と士官から選抜が行われて、訓練課程に送られます。
訓練課程は幾つかの区分に分かれていますが、その中でも中心となる水中破壊工作基礎訓練課程は、上述のシールズ水中破壊工作基礎訓練課程における研修に基づき、シールズ式の訓練内容で実施されています。
入隊水準は厳しく、志願者の60%から70%が途中で選抜課程から外されるほどです。
訓練課程を修了した隊員は4部隊(特殊作戦部隊、掃海作戦部隊、レスキュー部隊、船舶回収ユニット)のいずれかに配属されます。
銃火器は、国産兵器と輸入兵器の双方が使用されています。
他に大韓民国陸軍の特殊部隊である第707特殊任務大隊と並んで、軍内で最初期にハイテクノロジー装備が配備されています。
6位 オランダ海兵隊(オランダ)
オランダ海軍が整備・編制している海兵隊です。
水陸両用戦力の緊急展開部隊として世界各地に48時間以内に即応展開できる能力を持っています。
オランダ海兵隊のモットーは「世界が広がる限り」です。
ネーデルラント連邦共和国の非公式な指導者であったヨハン・デ・ウィットとミヒール・デ・ロイテル提督により第二次英蘭戦争中の1665年12月10日に海兵連隊として創設されました。
1537年のスペイン海兵隊、1610年のポルトガル海兵隊、1622年のフランス海兵隊、1664年のイギリス海兵隊に続く5番目の海兵隊です。
現代のオランダ海兵隊は1814年から始まり、1817年に現在の名称になっています。
1959年、アメリカの水中爆破部隊を参考に水陸両用偵察小隊が創設されました。
同部隊は沿岸偵察、破壊工作に特化した小規模な特殊部隊で、戦時にイギリス軍SBSの一部として共同作戦を行う体勢であることから、オランダSBS第7小隊とも呼ばれていました。
1977年、ドレンテ州のデ・プントで南マルク共和国の過激派6人が人質をとり、列車をハイジャックしました。
事態解決のため、強行手段に出た治安当局はオランダ空軍のF-104 スターファイター戦闘機6機を強襲前の牽制として低空飛行で爆音を響かせハイジャック犯の気を引き、海兵隊介入部隊が列車に突入し、犯人6人を殺害して解決させました。
この功績により、海兵隊介入部隊はオランダ政府の有力な対テロ特殊部隊であると証明されたのです。
近年のオランダ海兵隊は世界各地で様々な運用に投じられています。
イラクには、2003年から2004年にかけて2個の海兵大隊がムサンナー県に展開しており、サマーワのキャンプ・スミッティに配置されました。
2005年から2006年にかけては、国際連合コンゴ民主共和国ミッションでパトリック・カムマート海兵少将が司令官に任命されています。
オランダ海兵隊は従来から純然たる軽歩兵で構成され、重火器や機甲部隊は保有してきませんでした。
しかし、数年来、平和維持活動での運用を念頭に装輪装甲車が導入され、2007年から指揮所型装甲車も導入されるようになったのです。
また、オランダ海兵隊員には多様な個人戦技の習得が求められます。
これは活動範囲に極地や熱帯地域、砂漠および山岳での作戦が含まれているためで、これにより部隊運用上の柔軟性を維持しているのです。
5位 サイェレット・マトカル(イスラエル)
引用:NAVER まとめ
イスラエル国防軍(IDF)・参謀本部の特殊部隊です。
1953年、アマンの157部隊として創設され、1年後、参謀本部直属の部隊として、独自に行動を開始しました。
隊員はアラブ人の思考方法などを叩き込まれるためにベドウィン(砂漠の住人を指す一般名詞で、普通アラブの遊牧民族のこと)によっても訓練されました。
その後、アラブ支配地域奥深くまで侵攻するイスラエル国防軍のヘリコプター中隊にも参加しています。
1959年には、後に首相になるエフード・バラックがサイェレット・マトカルに採用され、その後、101部隊の司令官も兼ねることになります。
1967年の第三次中東戦争やこれに続く消耗戦争に投入され、またパレスチナ解放機構や黒い九月への対テロ戦も経験しました。
1973年の第四次中東戦争の後、この戦争の戦訓から、敵支配地域に潜入して航空攻撃の誘導(レーザー誘導)を行う事が重要とされ、サイェレット・マトカル内に専門の部隊が創設されました。
この部隊は1981年にイスラエル空軍の特殊部隊シャルダグとして独立しています。
1976年、パレスチナ解放人民戦線の分派であるPFLP-EOによってエールフランス機がハイジャックされ、ウガンダのエンテベ国際空港に強制着陸させられました。
これに対して、イスラエル政府は、度重なる交渉の末、C-130にサイェレット・マトカルを主力とする特殊部隊を乗せ、エンテベ国際空港を強襲。
犠牲を出しながらも多くの人質を救出しました。
エンテベの勝利、特攻サンダーボルト作戦など、映画にもなった非常に有名な人質救出作戦です。
最近では、2014年以降のガザ侵攻に投入されています。
本来の任務は国境付近の特殊偵察ですが、アメリカのデルタチームと同様の、人質救出、テロリスト撃破などの対テロ特殊作戦も任務としています。
サイェレット・マトカルは最高機密に属する部隊ですが、同時にイスラエル国防軍内で大きな影響力を有しています。
選抜により入隊が認められると、18~19ヶ月に及び小火器、格闘術、交渉術、カモフラージュ、偵察、アラビア語や英語など言語の訓練が行われます。
4位 GIGN(フランス)
引用:GIGN &
国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN、ジェイジェン) は、フランス国家憲兵隊の特殊部隊です。
1969年にジロンド県セスタで発生した人質事件、1971年にはビュッフェとボンタン事件といった凶悪事件が発生していました。
これらの事件で、国家憲兵隊は国家警察の保安機動隊(CRS)と共同で介入したものの、人質の殺害を阻止できませんでした。
さらに、1973年9月にパリで、パレスチナ・ゲリラによるサウジアラビア大使館占拠事件が発生します。
この事件はパリ警視庁のコマンド対策部隊(BRI-BAC)によって解決されたものの、フランス国内で発生した初のパレスチナ・ゲリラによるテロ事件であり、対テロ作戦の必要性がよりいっそう高まり、1974年に設置されました。
人質救出作戦・対テロ作戦部隊であり、国家憲兵隊の管内で生じた事案のうち、県憲兵隊や機動憲兵隊などの当該部門では対応が困難なものを取り扱います。
また、空港や原子力施設の警備も国家憲兵隊の管轄であることから、ハイジャックや核テロリズムへの対処も任務です。
さらに、国家憲兵隊は海外領土や国外でも活動することから、これらの地域での作戦もGIGNの担当となります。
隊員は全員が志願制で、国家憲兵隊で5年以上の優秀な勤務実績があった者のみが対象です。
選抜課程は極めて過酷であり、このように厳格な条件をクリアした隊員ですら、合格率は平均7パーセント程度に留まっているほどです。
選抜課程を合格した隊員は、10ヶ月の訓練課程を経て部隊に配属されます。
GIGNは射撃術に力を入れていることで知られており、射撃訓練課程は他国からの受講生が大勢いるほどです。
創設当初より頻繁に活動しており、1974年から1985年までに650回以上出動し、500名以上の人質を救出、1,000名以上の犯罪者・テロリストを拘束しています。
またフランス軍の一部として、軍事的な作戦を実施する場合や海外での作戦行動に備えて、第1海兵歩兵落下傘連隊や第2外人落下傘連隊との連携も重視されています。
3位 SAS(イギリス)
引用:TheWay.co.uk
特殊空挺部隊、略称SAS(Special Air Service)は、イギリス陸軍の特殊部隊です。
第二次世界大戦中に空挺作戦による敵陣への進入を想定して生まれた名称です。
その起源は、第二次世界大戦中の1941年にデビッド・スターリング少佐が創設した特殊空挺旅団L分遣隊にまで遡ります。
機械化された近代戦争において敵陣内での主要施設(通信、輸送など)の潜入破壊工作専門の特殊部隊としては、世界で二番目の歴史を持つ特殊部隊です。
現在の各国に置かれている特殊部隊の手本となっています。
オーストラリアなどイギリス連邦諸国には、合同訓練を実施した上で、名称まで同じSASとした特殊部隊がいくつか存在しているほどです。
「特殊空挺部隊」と訳されていますが、現在の部課は空挺・海挺・偵察・山岳に分かれており、破壊工作や敵陣付近での軍用車による偵察活動だけでなく、イギリス国王など国内外の要人の警護、テロ行為に対する治安維持活動(北アイルランド)、および、人身および捕虜の救出作戦の実行など、幅広い分野で活躍しているのです。
モットーは「Who Dares Wins(挑む者に勝利あり/危険を冒す者が勝利する/敢えて挑んだ者が勝つ)」。
対になる組織として、海兵隊の特殊舟艇部隊 (SBS、Special Boat Service) があります。
1980年、駐英イラン大使館占拠事件を解決。
2000年09月10日には、 シエラレオネで捕虜となった英国と現地の友軍兵士を救出(バラス作戦)。
2001年の アフガニスタン侵攻に伴う作戦や、2003年のイラク戦争に投入されています。
「キリング・ハウス」は、SASの訓練施設です。
この施設は、各種テロ状況を実演できる一連の部屋で、人質救出やCQB(近接戦闘)の訓練に使用されています。
また、ここで奇襲攻撃戦術を学び、敵と味方、人質の区別を即座に可能にするスキルアップも行われています。
このキリング・ハウスは、アメリカ陸軍デルタフォースの訓練施設である「恐怖の館」の手本(見本)となっています。
2位 アルファ部隊(ロシア)
引用:China.org.cn
1974年に旧ソ連で発足し、1979年にアフガン戦争に参加しました。
旧ソ連のKGB(現在のFSB)およびロシア連邦保安庁の特殊部隊です。
任務は、テロ対策、人質解放、輸送手段、国家施設の奪取と関連した過激派対策といったロシア国内のみでの活動となっています。
もっとも、一般には本来の任務とは逆に、ソ連のアフガニスタン侵攻の際に、ハフィーズッラー・アミーン大統領の官邸を襲撃した部隊として知られています。
アルファ部隊は、現在、同じく旧KGBの特殊部隊ヴィンペル部隊と共に、連邦保安庁の憲法体制擁護・テロ対策局特殊任務センターの下にあります。
ソ連崩壊後の1993年にモスクワ騒乱が発生し、反エリツィン派の立て籠もるロシア連邦最高会議庁舎への突入命令を受けたアルファ部隊は、突入を断行します。
その後、アルファ部隊はただひたすらに国民を守るという使命のために様々な作戦に投入されます。
モスクワ劇場占拠事件ではチェチェン人武装勢力に捕らわれた人質人を救出するために展開しました。
しかし、彼らは新型の非致死性ガスとして通常の麻酔薬より強力な薬剤を使用し、結果として人質の129人が中毒死してしまいます。
隊員は、全員が将校であり、その能力は、ロシアの特殊部隊の最高峰に位置すると言えます。
1位 ネイビーシールズ(アメリカ)
引用:China.org.cn
アメリカ海軍特殊戦コマンドの管轄部隊であり、2つの特殊戦グループ、8つのチームに分かれて編成されています。
ベトナム戦争における南ベトナム解放民族戦線掃討を目的として1962年に結成されました。
前身として第二次世界大戦中に活躍した水中破壊工作部隊(UDT)があり、その歴史は米軍の近代特殊部隊の中で最も古いのです。
本部はバージニア州バージニアビーチリトルクリークにあります。
SEALsという名称は、SEがSEA(海)、AがAIR(空)、LがLAND(陸)と、陸海空のアルファベットの頭文字から取られており、アザラシ(英: seal)に掛けたものでもあります。
個々のチームは単数形の「SEAL」であり(SEAL Team 1から10まで)、総隊は複数形の「s」が付きます。
その名の通り陸海空問わずに偵察、監視、不正規戦等の特殊作戦に対応出来る能力を持ちます。
2011年5月にはウサーマ・ビン・ラーディンの殺害作戦を遂行しています。
入隊は至難の業で、もはや拷問とまで言われています。
まず訓練への参加を認めてもらうために、SEAL体力審査テストを通過しなくてはいけません。
テストの内容は、460メートルを12分半以内で泳ぐ、2分以内に腕立て伏せ50回以上、2分以内に腹筋50回以上、懸垂10回以上、10分半以内に2.4キロ完走となっています。
その後、さらに選抜試験があり、過酷な耐久試練、中央アメリカにあるベリーズの熱帯雨林でのジャングル訓練、激しい尋問を含む戦闘サバイバル訓練などを合格しなくてはなりません。
挑戦する機会は2回のみです。
各国の特殊部隊が、シールズを模範としています。
まとめ
中東をはじめ、アフリカや南米といった地域の政情はまだまだ不安定であり、いつテロが発生するか予断を許さない緊張状態が続いています。
こうしたテロの遂行防止やテロリスト打倒のために、特殊部隊は不可欠な存在なのです。
民間人を巻き込む卑劣なテロリズムと対峙し、日夜厳しい訓練を続ける彼ら特殊部隊の一層の充実を願っています。