アメリカ軍は現役の兵士が130万人を超える巨大組織であり、世界有数の軍隊です。
アメリカ軍はいうまでもなくアメリカ合衆国の軍隊ですが、そのうち兵士約19万人、軍属などをあわせると45万人以上がアメリカ本土を離れ海外に駐留しています。
このなかには、訓練や演習など通常の軍務を行っている兵士もいれば、イラクやアフガニスタンといった紛争地の最前線である「ホットスポット」に派遣されている兵士もいます。
アメリカ軍は海外にも多数の基地や拠点をもっており、その数は世界170ヶ国に展開しているとも言われており、これだけの海外基地をもつ軍隊は他にないといえます。
ここでは、アメリカ国外に点在する世界のアメリカ軍の海外基地を紹介していきます。
グアンタナモ基地
引用:www.cnn.co.jp
グアンタナモ基地は、キューバ島南部のグアンタナモ湾に位置する面積約116㎢のアメリカ海軍基地です。
社会主義国キューバは、冷戦時代には東側に属していた、アメリカにとっては敵側といえる国です。
グアンタナモ基地は、現在アメリカが国交のない国に存在している唯一のアメリカ軍基地となっています。
どうしてそんなところにアメリカ軍の基地がつくられたのでしょうか。
グアンタナモ基地の歴史
キューバはもともとスペインの植民地でしたが、1898年の米西戦争によってアメリカに占領され、戦後にアメリカの保護国として独立します。
このとき、キューバ新政府はアメリカに対してグアンタナモ基地の永久租借を認めました。
グアンタナモは、1903年からアメリカの基地として使われていますが、国家主権はキューバが持っていて、アメリカは租借料として毎年金貨2000枚(現在の価値にして4000ドル)を支払うことになっていました。
しかし、1959年のキューバ革命でアメリカの支援を受けた政権が倒れ、新しく誕生したフィデロ・カストロ政権はグアンタナモ租借の合意そのものが違法だと主張しました。
アメリカとキューバは互いに基地の周囲に地雷を敷設し、アメリカのものは後に撤去されましたが、キューバ側のものは今でも残されています。
グアンタナモ基地はキューバ領でもアメリカ領でもないとされ、国際法もキューバやアメリカの国内法も通じないアメリカ軍の軍法のみが通じる治外法権区域になっています。
グアンタナモ基地はマスコミにも公開されず、実態の分からない厳重に秘匿された海外基地となっています。
ちなみに、この基地はキューバ国内で唯一マクドナルドが存在している場所としても知られています。
引用:altavooz.com
グアンタナモ湾収容所
引用:ja.wikipedia.org
2001年のニューヨーク同時多発テロ以降、アメリカはテロとの戦いを開始し、アフガニスタン戦争やイラク戦争が起こりました。
2002年のブッシュ政権時代、グアンタナモ基地には、テロの情報をもっているという疑いをかけられて拘束または逮捕されたアメリカにとって潜在的な脅威や敵性分子となる人間を収容するための施設が設置されました。
グアンタナモ湾は、周囲を険しい丘や海、湿地帯に囲まれていて、さらに基地の周りには地雷原が広がっているため、グアンタナモ湾収容所は、脱出不可能な世界一厳重ともいえる捕虜収容所になりました。
グアンタナモ湾収容所の主要施設は1~6のキャンプと独房のあるキャンプ・エコーからなるキャンプ・デルタで、すでに閉鎖されていますが、以前はキャンプ・エックスレイや児童収容施設であるキャンプ・イグアナも存在していました。
海を見下ろす断崖絶壁の上に建てられた収容所は600名以上の囚人を収容することができます。
グアンタナモに収容されている囚人たちの多くは、アフガンやイラクにおいて軍事作戦中に拘束された人々で、他にも、懸賞金と引き換えに第三国から引き渡された人物もいます。
囚人たちはオレンジ色のつなぎの囚人服を着せられ、収容所内では露天の檻の中に入れられたり、地面にひざまずかされたりといった虐待とも呼べるような行為が行われているといわれ、そうした映像も出回っています。
テロリストと疑われた人たちはジュネーブ条約における戦争捕虜の権利をもたないとされ、囚人たちは裁判を受ける権利も奪われ、軍事委員会によって裁定を受けることになります。
人権団体によれば、2009年に収容されていた囚人800名のうち裁判にかけられたのはたった26人とされています。
さらに、収容所では捕虜の虐待が相次ぎ、独房での監禁や鞭打ち、囚人を眠らせないようにする、長時間にわたって騒音や光を当てる行為、拘束されて水を浴びせられる「水責め」イスラム教の経典コーランを侮蔑的に扱うなど身体的なものから精神的なもの、さらには性的虐待までもが報告されています。
開設直後からグアンタナモ湾収容所は国際的な非難を浴びることになりました。
国連からも閉鎖の要請がありましたが、アメリカ政府は軍事的な見地から収容所は必要であるとし、捕虜虐待の疑惑に関しても否定的でした。
2008年にバラク・オバマ大統領が就任すると、収容所の早期閉鎖の命令が出されました。
しかし、収容者をアメリカ本国の施設に移送する計画は激しい抵抗にあい、共和党を中心とする議員や収容所肯定派の反対にあって失敗に終わり、グアンタナモ湾収容所はいまだ閉鎖されることはありません。
ディエゴガルシア基地
引用:www.fsight.jp
インド洋の島国モルディブの南に位置するチャゴス諸島のディエゴガルシア島は、環状のサンゴ礁が浅い潟を取り囲んだ面積390㎢の諸島最大の島です。
島の名前は1550年代にこの島を発見したスペイン人の航海士であるディエゴガルシア・デ・モゲールの名前からとられています。
サンゴ礁の島は平坦で、丘陵や山はなく沼沢地などが広がる自然豊かな島で、2007年には島の一部がラムサール条約の登録地にもなっています。
しかし、このディエゴガルシア島は、アメリカ軍の大型爆撃機が離発着する飛行場を備えたインド洋におけるアメリカ軍の一大拠点であり、湾岸戦争やイラク戦争でも大きな役割を果たした戦略上の要衝になっているのです。
ディエゴガルシアの歴史
ディエゴガルシア島は、16世紀にポルトガル船によって発見され、ディエゴガルシア島と名付けられましたが、18世紀にフランスによって植民地にされるまでは無人島でした。
18世紀にフランスが黒人奴隷を使用してココナッツとポプラのプランテーションの運営が始められました。
その後、ナポレオン戦争終結時に結ばれた1814年にパリ条約によってこの島はイギリスに譲渡されました。
ディエゴガルシア島は、モーリシャス諸島の一部に組み入れられ、プランテーションは拡大されて労働者の数も増え続けていきました。
まだこの頃は、1942年から短期間、島の東側海岸にイギリスの飛行艇基地が設けられていたことがあったほかは、島の軍事利用はありませんでした。
米軍基地の島へ
ディエゴガルシアが基地の島になったのは冷戦時代。
インド洋における戦略的な足がかりを求めていたアメリカは、この島に目をつけます。
天然の広大な港が存在し、飛行場に最適な平坦な土地が豊富なディエゴガルシアは基地にするには完璧な条件を備えた島でした。
1966年、アメリカはイギリスとの間で、アメリカがディエゴガルシア島を50年間にわたって防衛目的で使用することを認める協定を結びました。
この協定は、終了の通知がない場合は20年間の延長が行われることが決められていました。
アメリカにとっては少ないコストで軍事拠点を手に入れられ、イギリスにとっては当時財政の足かせになりつつあった植民地の負担を減らせるという、お互いにとってのメリットがありました。
さらにイギリスはこれによって、アメリカから潜水艦発射弾道ミサイルであるポラリスミサイルを購入するときに1400万ドル(約15億円)という大幅な値引きを受けられました。
しかし、アメリカ・イギリスの双方が満足するはずのこの協定には、ただ1つ問題がありました。
島民の追い出し
それは、住民とのトラブルを嫌ったアメリカが全島民の島から移住を求めたことでした。
ディエゴガルシアにはプランテーション時代からの労働者として島に移り住み、先祖代々この島に暮らしてきた数百人のチャゴス人が住んでいました。
国際法では、定住者の利益は最優先に守られるべきものとなっていたため、イギリスは様々な手段を講じて島民の追い出しをはかりました。
イギリスは、ディエゴガルシアの島民は短期労働者であって定住者ではないため、保護の必要はないと主張し、居住権を証明する書類(そもそも存在しないものでした)がない者は不法滞在者とする旨を島民に対して通知しました。
突然のことに戸惑う島民に対して、周辺のモーリシャスやセーシェルへの強制的な移住がはじめられ、1968年からは離島者の帰島が禁じられます。
プランテーションは閉鎖され、島民に対しては食料や医薬品の供給が制限され、ペットが殺害されるなど人道的に問題があると考えられる方法を使って島民の追い出しが行われました。
1973年頃には最後まで残っていた島民たちが強制的に船に乗せられて移住させられ、ディエゴガルシアはアメリカの望み通りの無人島になりました。
このときの島民の移住についてはイギリス政府に対して島への帰還と補償を求める訴訟が起こされ、2019年2月に国際司法裁判所はこのときの措置を国際法に照らして違法であるという見解を出しました。
イギリスに対してチャゴス島の統治を速やかに終えるべきという勧告が出されましたが、これに法的拘束力はなく、2016年にはアメリカとの間で2036年までの協定の延長が決まっています。
イギリスも従うつもりはないようで、イギリス政府がインド洋の英国領を海洋保護区にしようとしているという話もあります。
これは島に再びひとが住めないようにするのが狙いだといわれており、ディエゴガルシアの島民たちが島に戻れる日がくることは当分なさそうです。
ディエゴガルシア基地
引用:www.afspc.af.mil
現在のディエゴガルシアは島全体がアメリカ合衆国に貸与されていて、アメリカ海軍の基地が置かれています。
1970年代から、艦隊を停泊させるために港湾施設、飛行場、通信システムやレーダーといった基地設備が、数十億ドルといわれる費用を投じて建造されました。
島には、電子光学式望遠鏡を使って衛星を監視するアメリカ空軍の早期警戒システムである地上設置型電子光学式深宇宙探査(ゲオス:GEODSS:ground-based electro-optical deep space surveillance)の3つの設備のうちの1つが置かれています。
現在のディエゴガルシア島には、アメリカ軍関係者や民間の支援要員が3000~5000人暮らしています。
ディエゴガルシアはインド洋におけるアメリカ軍爆撃機の拠点であり、大型爆撃機のB-52ストラトフォートレスやステルス爆撃機B-1ランサー、B-2スピリットなどが配備されており、1990年の湾岸戦争や2001年のアフガニスタン戦争、2003年のイラク戦争ではこの島から多数の爆撃機が飛び立ちました。
さらに、この島はパナマのグアンタナモ湾収容所へと移送される囚人たちを輸送するときの中継基地としても使われました。
在韓米軍基地
引用:www.cnn.co.jp
在韓米軍の起源は朝鮮戦争にさかのぼり、この時に当時弱体だった韓国軍を支援するために、国連軍の主力として派遣されたアメリカ軍の陸・海・空軍のことで、戦後も引き続き韓国国内に駐屯しています。
1953年には米韓相互防衛条約が結ばれており、これは日米安保とは異なり、韓国にもアメリカを防衛する義務が課されています。
在韓米軍は、陸軍と空軍を中心に構成されており、海軍と海兵隊は補助的な役割を担っているのみです。
朝鮮半島有事の際、海軍と海兵隊はアメリカ本土や日本などから展開することになっています。
朝鮮戦争時、アメリカ軍と韓国軍のあいだには圧倒的な実力差があったため、対等な共同作戦を行うことは不可能だったため、韓国軍は在韓米軍の指揮に従って戦うことになっていました。
その後、平時の作戦統制権は韓国軍に返還されましたが、有事の際には米韓連合司令部が作戦統制権を掌握することになっています。
現在も、アメリカと韓国のあいだで米韓連合軍における戦時作戦統制権を韓国へと返還する話し合いが行われており、2019年6月には、作戦統制権が返還された場合には、米韓連合軍司令官には韓国軍の大将が着任することが決定しています。
龍山基地
引用:www.stripes.com
龍山(ヨンサン)基地は、韓国の首都ソウルの中心部にあるソウル駅の南1㎞の場所にある面積2.9 km2の基地です。
戦前には、日本陸軍の駐屯地があり、朝鮮軍司令部もおかれていました。
北側は「メイン・ポスト」と呼ばれて在韓アメリカ軍司令部と韓国駐留のアメリカ陸軍である第8軍の司令部、米韓連合司令部などがおかれていました。
南側は「サウス・ポスト」と呼ばれ、兵舎や病院、スポーツクラブ、娯楽施設などがあります。
軍事上の機密を守るという観点から、韓国国内で発行されている地図には空き地や緑地として記載されている場合が多く、衛星写真では基地の上の森林画像を合成していることもあります。
2004年に米韓両政府は、韓国北部の平沢市に新たに拡張されたキャンプ・ハンフリーへの在韓米軍の司令部移転について合意し、2017年から移転がはじまり、2018年に移転が完了しました。
米韓連合軍司令部も2019年6月に、キャンプ・ハンフリーへ移転が決定しています。
烏山空軍基地
引用:ja.wikipedia.org
烏山(オサン)空軍基地は、ソウルの南約40㎞の場所にある平沢氏近郊にある在韓アメリカ空軍の基地です。
韓国に配備されているアメリカ第7空軍および韓国空軍の司令部がおかれています。
もとは、朝鮮戦争中に陸軍の基地があったところで、1952年から空軍基地として整備されました。
2700m級の滑走路2本をもち、F-16戦闘機やA-10攻撃機などが配備されています。
ガエータ基地
引用:militarybases.com
ガエータ基地は、イタリア南部ラツィオ州ラティーナ県にあるティレニア海を望む観光地ガエータにある軍港で、1967年からアメリカ海軍第六艦隊の母港となっています。
アメリカ第六艦隊は、アメリカ海軍の艦隊の1つで、主に地中海と大西洋の東側を警備の担当海域にしています。
第六艦隊は、約40隻の艦艇、約170機の航空機に、人員約20000人を有し、海軍中将が式にあたります。
通常、原子力空母は配備されていませんが、原子力潜水艦や強襲揚陸艦、海兵隊遠征部隊などが配備されています。
レバノン内戦やコソボ紛争、シリア内戦などで展開し、中東や北アフリカ、バルカン半島で何度も実戦に参加しているNATO(北大西洋条約機構)にとっての重要な戦力となっています。
アメリカの在欧海軍の司令部は同じイタリアのナポリにおかれています。
ヴィースバーテン陸軍飛行場
引用:en.wikipedia.org
ヴィースバーデンは、ドイツ南部ヘッセン州の州都にあたる街で、15の鉱泉を有するヨーロッパで最も古い温泉地としても知られています。
ヴィースバーデンには、第二次大戦後からアメリカ軍が駐留しており、2004年からは米軍の再編に伴って、それまでのハイデルベルクとマンハイムから、ヴィースバーデン陸軍飛行場に在欧州アメリカ陸軍の司令部が置かれることになりました。
アメリカ陸軍欧州工兵軍もこの街を本拠地にしています。
それまであった軍用飛行場が拡張され、軍事施設のインフラの近代化工事も行われて、ヴィースバーデン飛行場は2012年6月にドイツ占領米軍司令官の名前をとって、「ルシウス・D・クレイ・カセルネ(兵舎)」と名付けられました。
市内の中心部にも多くのアメリカ軍施設が存在し、アメリア・エールハルト・コンプレックスの軍事施設やマイツ=カステル貯蔵ステーション、アメリカ軍司令部タワーなどがあります。
基地内には駐留しているアメリカ軍兵士に番組を放送するための地域スタジオであるAFN-ヘッセンも置かれています。
ヴィースバーデンには、アメリカ軍の統合情報センターがおかれ、アメリカ国防総省の諜報機関であるNSA(国家安全保障局)もここを使用しています。
パンツァー・カセルネ
引用:en.wikipedia.org
パンツァー・カセルネは、ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州にあるベーブリンゲン群の中心都市であるベーブリンゲンにおかれた米軍基地で、在欧州アメリカ軍海兵隊の司令部があります。
パンツァーはドイツ語で「戦車」を、カセルネは「兵舎」をそれぞれ意味します。
近くにあるシュツットガルトのパッチ駐屯地には在欧州アメリカ特殊作戦群の司令部が、ケリー駐屯地には在アフリカアメリカ軍の司令部が存在し、パンツァー・カセルネにもこれを支援する部隊が多数配備されています。
パンツァー・カセルネはもともとドイツ軍が造った駐屯地で、戦車搭乗員の訓練が行われていたためこの名前がついたといわれます。
パッチ駐屯地では、戦争中、実験的な新型戦車の開発も行われていたといいます。
第二次大戦直後からアメリカ軍が駐屯し、冷戦時代からヨーロッパにおけるアメリカの重要な拠点になっていきました。
パンツァー・カセルネには、米軍兵士の子供たちのためのインターナショナルスクールや基地で暮らす人々のためのショッピングモールなどが設けられています。
ラムシュタイン空軍基地
引用:ja.wikipedia.org
ラムシュタイン空軍基地は、ドイツ南西部のラインラント・プファルツ州カイザースラウテルン近郊にあるヨーロッパ最大のアメリカ空軍基地で、在欧州アメリカ空軍とNATO連合軍司令官(AIRCOM)の司令部が置かれています。
ラムシュタイン空軍基地は、第二次大戦後の1949年から1952年にかけてフランス陸軍とアメリカ陸軍の工兵によって建てられたもので、当時はのべ270000人以上の労働者を雇用するヨーロッパ最大の建設現場でした。
現在はアメリカ軍兵士や家族、軍関係者を含めて50000人ほどがこの基地で生活しているとされます。
ラムシュタイン基地は、カイザースラウテルンの農村地区にあるラムシュタイン・ミーゼンバッハの町の近くに位置し、近郊の都市であるカイザースラウテルンはアメリカ兵から「Kタウン」と呼ばれています。
軍事基地であるラムシュタイン飛行場ですが、ドイツの航空法により原則として午後10時から午前6時までの間は航空機の飛行が制限されています。
ラムシュタイン空軍基地には、2015年ごろからアメリカ軍のドローンコントロールセンターが置かれていますが、ドイツ政府がこのことをアメリカ軍から知らされていなかったこともあり、ドイツ国内で米軍に対する批判と反ドローン抗議が起きる事態に発展しました。
横須賀基地
引用:www.kanaloco.jp
一般には米軍横須賀基地や横須賀海軍基地といわれている在日アメリカ海軍の横須賀基地は、正式には横須賀海軍施設と呼ばれます。
地元ではベースと呼ばれ、アメリカ軍関係者のあいだでは横須賀ベースと呼ばれることもあります。
米軍横須賀基地は、かつては日本海軍の鎮守府もあった神奈川県横須賀市にあり、海上自衛隊の自衛艦隊司令部がある横須賀基地に隣接しています。
アメリカ本土以外で唯一、アメリカ空母の母港となっています。
現在の在日アメリカ海軍司令部および横須賀基地司令部がある建物はかつての日本海軍横須賀鎮守府です。
米軍横須賀基地は、太平洋の日付変更線の西からアフリカ東岸までを作戦担当範囲とするアメリカ海軍第7艦隊のアジアにおける重要な拠点となっています。
横須賀基地には大型艦船のメンテナンスや修理が行える大型ドックがあり、このおかげで第7艦隊の艦艇は日本から半月以上を要するハワイの真珠湾やアメリカ本土の海軍基地までいかなくても日常の点検や補修を行うことができます。
ドックのなかには幕末に建造された日本最古のものもあり、現役で使われています。
横須賀基地はこれまでも「ミッドウェイ」や「インディペンデンス」などの米空母が母港としていて、現在は、2015年に原子力空母「ジョージ・ワシントン」が燃料棒の交換と整備のためアメリカ本国に帰国したことに伴い、原子力空母「ロナルド・レーガン」が配備されています。
ロナルド・レーガンはアメリカ空母のなかで唯一海外の軍港を母港としていて、2011年の東日本大震災のときには復興支援であるトモダチ作戦のために関東・東北沖にも展開しています。
横須賀基地では、空母専用にかつて日本海軍の空母「信濃」を建造した第6ドックが使われています。
他に、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦「アンティータム」「チャンセラーズビル」「シャイロー」アーレイバーク級駆逐艦や第7艦隊旗艦の揚陸指揮艦「ブルー・リッジ」などが配備されています。
横須賀基地には、燃料庫や弾薬貯蔵庫などアメリカ海軍の長期の作戦を支える補給物資も備蓄されています。
基地内の道路には「ニミッツ通り」や「クレメント通り」といった名称がつけられていて、銀行や郵便局、スーパー、教会、消防署、高校や大学、図書館といった各種施設が揃っています。
基地内では、ドルと日本円の両方が使用され、多くの日本人も勤務しています。
世界でも特別な在日米軍基地
引用:www.mag2.com
第7艦隊の担当地域であるアジアからインド、中東はアメリカ本土やハワイかも距離的に最も離れているため、艦隊を短時間で展開させるのが難しく、アメリカ海軍では「距離の暴虐」といわれています。
日本に基地があることで、アメリカ海軍は南シナ海や東南アジア、インド洋への展開に際して所要日数を大きく短縮することが可能になります。
在日米海軍基地は、第7艦隊がアジアから中東にかけての広い範囲で作戦行動を行うためには必要不可欠な戦略拠点なのです。
米軍基地は韓国やドイツにもありますが、韓国の基地は北朝鮮・中国との最前線であり、ドイツの基地は冷戦時代にソ連との最前線にありました。
日本の米軍基地は後方にあることから部隊の展開だけでなく、補給物資の備蓄や艦艇の整備までを行うことができ、他国の米軍基地を支店や営業所とするなら、在日米軍基地は本社機能をもっているとされ、米軍にとって世界的にみても重要な存在になっています。
佐世保基地
引用:www.sankei.com
在日米軍佐世保基地は、正式には佐世保海軍施設と呼ばれ、長崎県佐世保市にありアメリカ海軍第7艦隊の一部が駐留している在日米軍基地です。
佐世保基地も、もとは日本海軍の佐世保鎮守府で、基地内部には旧海軍時代からの赤レンガの倉庫群が並びます。
基地内には司令部やドライドック、弾薬補給所のほか、アメリカ海軍の兵站施設である横須賀補給センター佐世保支所があり、赤崎貯油所、庵崎貯油所、横瀬貯油所の3つを管理しています。
海上自衛隊の佐世保基地と隣接しており、一部施設は自衛隊と共同で使用されています。
佐世保基地には、強襲揚陸艦「アメリカ」のほか、ドック型揚陸艦「ニューオーリンズ」「グリーン・ベイ」やアヴェンジャー級掃海艇などが配備されています。
横須賀基地に空母や巡洋艦などが配備されているのに対して、佐世保基地には揚陸艦が多数配備されているのが特徴です。
揚陸艦は、上陸作戦時に海兵隊を輸送し展開させるための艦艇で、沖縄の海兵隊を迅速に展開させることができるよう、より沖縄に近い佐世保基地にこうした艦がおかれているというわけです。
アメリカ海軍ではあまり数の多くない掃海艇が4隻も配備されているのも、上陸作戦に先立つ機雷等の排除に用いられるためと考えられます。
岩国基地
引用:www.pref.yamaguchi.lg.jp
岩国基地は、正式名称を岩国飛行場といい、山口県岩国市にある海上自衛隊とアメリカ軍が共同で使用している飛行場および基地施設です。
一部は共用空港として民間航空によって使用され、岩国錦帯橋空港の愛称がつけられています。
2440mの滑走路をもち、在日米軍や在韓米軍の航空機が部隊移動やアメリカ本土へ帰還する際に給油を行う中継点としても使われています。
岩国基地は、元々日本海軍の時代から軍用飛行場があり、岩国海軍航空隊がおかれていました。
戦後はイギリス空軍の占領下にあり、朝鮮戦争ではイギリス空軍やアメリカ空軍の高茎が多数この飛行場を使用しました。
日本の占領解除と同時にイギリスからは返還されましたが、その後アメリカ軍が引き続き使用しています。
岩国基地には、横須賀基地を母港にしている空母「ロナルド・レーガン」の艦載機であるF/A-18E/F戦闘機やEA-18G電子戦機などが横須賀入港時に駐留しているほか、アメリカ海兵隊では佐世保基地を母港にしている強襲揚陸艦「アメリカ」の入港時に艦載ヘリや第1海兵航空団のF-35BライトニングⅡも配備されています。
在沖縄米軍基地
引用:www.asahi.com
沖縄には多数の米軍基地があり、沖縄県の面積が日本の国土の1%以下しかないにも関わらず、米軍基地の面積は日本全国の74%を占めています。
沖縄に駐留するアメリカ海兵隊基地の多くは、総称してキャンプ・バトラー(バトラー基地)と呼ばれています。
バトラーの名は、メキシコ革命や第一次大戦で活躍した海兵隊の英雄スメドリー・バトラーから採られています。
普天間飛行場
引用:www.asahi.com
普天間基地と呼ばれることの多い普天間飛行場は、沖縄県宜野湾市にある在日米軍海兵隊の軍用飛行場です。
宜野湾市の面積の約25%にあたる4.8km2の敷地と2700m級の滑走路をもち、嘉手納基地と並ぶ沖縄における海兵隊の拠点です。
第1海兵航空団が配備されており、基地内には格納庫や通信施設、整備施設などが揃っています。
普天間飛行場はキャンプ・バトラーに含まれておらず、独立した基地となっています。
普天間基地周辺は人口密集地であり、過去には航空機の墜落事故も起きていて、世界一危険な基地と呼ばれることもあります。
アメリカ軍では2005年から世界的な再編を進めており、在日米軍でも沖縄の海兵隊のグアムへの移転や普天間基地の代替施設の建設と基地の返還などの計画がもちあがっていますが、グアムへの移転はまだ始まっておらず、普天間基地をキャンプ・シュワブとして辺野古に新しく建設する基地施設へ移転させるという計画も地元や沖縄県の反対もあり、埋め立て工事ははじまっているものの、未だ完了していません。
キャンプ・フォスター
引用:www.stripes.com
キャンプ・フォスターは、沖縄県沖縄市や宜野湾市などにまたがって存在する基地で、在沖縄アメリカ海兵隊の基地司令部がおかれている沖縄における海兵隊の重要施設です。
キャンプ・フォスターの名前は沖縄戦で戦死した海兵隊のウィリアム・アドルバート・フォスター一等兵から採られています。
1972年には陸軍のキャンプ瑞慶覧と統合が行われており、1975年までは、在沖縄アメリカ陸軍の司令部も置かれていました。
基地内には兵舎や住宅のほか、銀行や郵便局、消防署、教会など日常生活に必要なものはすべて揃えられており、1つの街のようになっています。
嘉手納飛行場
引用:www.pref.okinawa.jp
嘉手納飛行場は、嘉手納基地と呼ばれることもあり、沖縄県中頭郡嘉手納町や沖縄市にまたがるアメリカ空軍の基地です。
アメリカ第5空軍の管轄下にあり、総面積19.95 km2で、3700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐している、日本最大級の飛行場であり、極東最大の空軍基地です。
かつてはスペースシャトルの緊急着陸地にも指定されていました。
ベトナム戦争の時代には、B-52爆撃機がこの基地から北爆へと出撃していました。
現在は、F-15戦闘機やKC-135空中給油機を保有する第18航空団やMC-130輸送機を保有する第353特殊戦航空群などが配備されています。
第353特殊戦航空群は、2011年の東日本大震災において災害復旧にも投入され、トモダチ作戦の一環として、日本政府内では回復は不可能ではという声もあった、水没した仙台空港への着陸作戦を行い、見事空港機能の回復を成功させています。
引用:business.nikkei.com
まとめ
以上、世界のアメリカ国外にあるアメリカ軍基地を紹介してきました。
アメリカ軍はヨーロッパからアジアにいたるまで世界各地に拠点をもっており、二本やドイツといったかつての被占領国には現在も数多くの基地をもっています。
アメリカ軍が世界中で軍事パフォーマンスを発揮することができるのも、こうした基地の存在があってこそのことです。
アメリカ軍にとって、海外基地はなくてはならない戦略的重要拠点といえるでしょう。