人類は文明を獲得し、敵対勢力との勢力争いが激化するようになると武器を手にしました。
初期は農具を応用したものであったり、原始的な弓矢であったりしたのですが、手に持つ武器や防壁が発達すると、それらを打ち破る為だけに、もはや狩猟や農耕といった用途には不向きな兵器が生まれます。
今回は兵器としての黎明期でもある、古代世界で用いられた兵器10選をご紹介します。
バリスタ
引用:http://www.roman.org.uk/
バリスタは据え置き式の大型弩砲です。主にヘレニズム世界と古代ローマ帝国において使用されました。
人力で引っ張る通常の弓や同様の機構を持つクロスボウとの大きな違いは、備え付けのウインチで弦を引き、エネルギーを蓄積できる点にあります。バリスタは高い破壊力と飛距離を得る為に弓の張力を最大限に用いた、力学的に効率の良い兵器でした。
弾道ミサイルを意味する英語であるBallistic Missileは、このバリスタが語源となっています。バリスタを弾道軌道に発射すれば水平に発射するよりも飛距離が伸びることが早くから知られており、現代の迫撃砲や弾道ミサイルのように白兵戦の支援や攻城兵器として用いられたことに由来します。
ローマ時代には軸を360°変えられる台にバリスタを搭載して馬に引かせるバリスタ・クアドリロティスというものまで登場しています。機動力と破壊力、長い射程距離を併せ持つ、現代の戦車の原型と言えるものであったとも評価されるものでした。
西洋史では古代の終焉とされる西ローマ帝国崩壊後は姿を消し、中世にかけては細々と利用されてはいたものの、安定性が高い火器が登場するとその利便性は取って代われ、バリスタは兵器としての役割を終えました。
鎌付き戦車
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鎌付き戦車はアケメネス朝ペルシアが使用した兵器です。
チャリオットの車輪に1m程の長さの鎌を取り付けただけのものであり、一見、素朴な兵器であるように思えますが、凄まじい殺傷能力を持っていたため、鎌付き戦車を目にした兵士の戦意を削ぐ効果も高かったとされています。
馬は早くから戦争に取り入れられましたが、動物であるが故の弱点がありました。
元来、臆病な性格の馬は人間に突撃させようと調教しても、できるものなら避けたいようで、ぶつかることなく敵兵を避けてしまいがちでした。
それを補う為、敵の横を素通りした際に、車輪に取り付けた回転する鎌が敵を攻撃する仕掛けが考案されました。つまるところ、鎌付き戦車は敵兵の脚を膝のあたりから切断する為の兵器だったのです。
その威力たるや凄まじいものでした。馬が走る速さは時速30kmから40km、馬二頭と人間、そして戦車の運動エネルギーが高速回転する鋭利な鎌に集約されており、哀れな犠牲者は脚を切り離され、衝撃で吹き飛ばされることになりました。
鎌付き戦車は他のチャリオットとは違い、ただ戦場を走り回るだけで壮絶な心理効果を発揮し、この兵器が迫ってくるや兵士はパニックを起こし、しばしば陣形を乱しました。陣形の乱れは組織的行動がとれなくなることを意味し、会戦における敗北に繋がったのです。
しかし、アレクサンドロス三世がガウガメラの戦いにおいて鎌付き戦車を封じる奇策を用いました。それは海岸に設置されているテトラポットと同じ形状をしたカルトロップと呼ばれる撒菱を放ち、馬の蹄を攻撃することで機動力を奪うといったものでした。
アケメネス朝ペルシアの滅亡以降、鎌付き戦車は時代遅れの兵器と見做され、後の戦争では殆ど使われなくなりました。
狼牙拍
引用:https://www.uknow01.com/
狼牙拍(ろうがはく)は無数の釘を打ち付けた巨大な平板状の守城兵器です。厚さ10cm、幅1.5m、奥行き1.2mほどの大きさであり、およそ2000個の釘がつけられており、古代中国で使われました。
この板を城壁をよじ登ってくる敵兵に対して上から落として侵入を阻んでいたのです。
城壁に迫る敵を攻撃する手段として、石を落としたり弓矢で攻撃したり、熱湯を浴びせたりする方法がありますが、リソースの消費という代償をもたらしてしまいます。
一方、この狼牙拍は縄がとりつけられており、落とした後は滑車を使って引っ張り上げることができました。
投げっぱなしにしてしまわず回収可能であった為、長期戦になりがちな攻城戦において重宝されました。
しかし、これだけで敵の侵入を全てシャットアウトするのは到底不可能であった為、あくまで補助的な役割として用いられ、投石や弓矢等の投擲武器による攻撃が併用されていました。むしろ、狼牙拍に頼り切ってしまう戦い方は戦術上の禁忌とされていたのです。
ヘレポリス
引用:https://www.labrujulaverde.com/
もしも城壁を前にしたならば、突破する方法は三つ用意されています。
一つは乗り越える、二つ目は穴を掘って自重で壊す、三つ目は高い衝撃力を以て破壊する――攻城兵器や攻城戦術の多くはどれかに当てはまります。
ヘレポリスはその一つ目となる、乗り越えることに焦点を当てた攻城塔を改良した兵器で、紀元前305年、ディアドコイ戦争のロドス島包囲戦においてアンティゴノス朝マケドニアによって用いられました。ヘレポリスは古代ギリシア語で「街々の陥落者」を意味するものでした。
ロドス島はエジプトやオリエント、ヘレニズム世界、そして勢力を拡大していた共和制ローマといった主要国家との交易の中継地点であり、島は高い城壁が張り巡らされていました。
ヘレポリスはその城壁を突破する為だけに生み出されました。通常の攻城塔よりも遥かに大きく、高さは40m、幅は20m近くあったとされています。
内部には先述のバリスタが搭載され、更に木材の外壁は鉄板に覆われていました。この鉄板は耐火性能を上げる為のものであり、びっしりと隙間なくヘレポリスを覆っていたため、火矢を放っても全く損傷を受けませんでした。
また、下部には車輪が八つ備え付けられており、総勢3000余名の兵士が人力で前方に押し出すことが可能でした。この巨大な兵器で城壁の敵を殲滅し、占拠する戦術だったのです。
しかし、ヘロポリスは人力で稼働させるにはあまりに重たすぎました。
機動性に著しく欠け、前進しか出来なかった為に、少し地面を掘れば重心が容易に傾いて転倒することがあったのです。
また、あまりに巨大であった為に遠方から持ち込む方法が取れず、城壁の前で長期間かけて組み立てる必要があったことから、敵に対策を見抜かれてしまう欠点もありました。
結局、ヘレポリスはその威容だけが伝説に残ることになりました。アンティゴノス朝マケドニアは戦果を上げることができず、ヘレポリスを放棄して撤退します。
後にロドス島の住人はヘレポリスの鉄板や木材を接収し、その資金を元に世界七不思議の一つに数えられるロドス島の巨像を建設したと言われています。
戦象
引用:https://www.deviantart.com/
戦象は圧倒的な体重と大きさを誇るゾウを戦場に持ち込んだものです。
その運用は紀元前12世紀から始まり、インド、東南アジア、オリエント、地中海世界で主に運用されていました。
戦象の仕事は、その圧倒的な大きさと体重を乗せて突進し、敵の戦列を乱すことにありました。
会戦では兵士の判断で戦列を乱すことは許されず、危険が伴っても持ち場にいなければ仲間を危険に晒すことになります。
もし、その兵士の目の前に巨大な象が正面から全速力で迫ってきたら……生命の本能に従って戦列を乱してしまう者もいれば勇敢に立ち向かって踏みつぶされた者もいたことでしょう。
更に、踏みつぶす以外にも、長い鼻で敵兵を絞め殺す、牙で串刺しにするといった攻撃にも用いられ、騎乗した兵士によって槍や弓矢の支援攻撃がなされました。
また、西洋世界では現代と違って象そのものが極めて珍しいものであり、大変な恐怖をもたらしたそうです。
古代ローマ人は古代ギリシアのエピロスから征服を受けた際、アレクサンドロス大王の東方遠征でヘレニズム世界に広まった戦象を初めて目にし、その巨大な怪物に恐怖して敗北した事例もあります。どれほど結束が固い部隊であっても戦象の前では自失呆然となったという記録も残っている程です。
戦象は破壊力で言えば群を抜いていましたが、やはり動物であるがゆえに扱いづらく、往々にして騎手の意図とは裏腹に味方を踏みつぶしてしまうことや、パニックを起こして戦力にならないことがありました。
その為、頭部に釘を刺した板が取り付けられていました。万が一、象が味方を攻撃して手が付けられなくなった際には、この釘を叩いて象を投棄していたのです。
このように古代の重戦車とも呼べる戦象ですが、一度突進を開始すると簡単に方向転換ができず、急停止もできないというゾウの特性を見破られ、西洋世界では次第に重要性が低下し始めます。
ハンニバルとスキピオが対峙したザマの戦いにおいてはローマ軍は戦象の突進が想定されるルートは隊列の幅を大きく空けておき、大隊全体で回避して仕留めるという方法で80頭の戦象を持ち込んだカルタゴ軍を破っています。
重火器の登場によって、狙われやすい戦象の戦術的価値は低下し、西洋世界以外でも戦象は次第に運用されなくなりましたが、東南アジアにおいては19世紀になるまで飼いならした象を戦争で用いていました。
拒馬槍
引用:https://www.gigcasa.com/
拒馬槍は敵の侵攻を阻む為に造られた古代中国の兵器で、夏王朝の時代(紀元前1900年頃)には実用化されていました。
長さ3m程の丸太に槍を固定し、立てかけているだけでしたが騎馬に対しては高い防御力を誇り、軍馬は拒馬槍を怖がって騎乗しての侵入はできませんでした。
非常に単純な造りであるがゆえに容易に解体して持ち運ぶことができ、宿営地の周囲に設置することが多かったのですが、騎馬の突進を緩める目的で会戦で用いられることもありました。
非常に目立つ為、野戦で用いる際にはある程度の騎馬の侵入ルートを絞って予測して設置しなければならないという欠点がありましたが、ずらりと並べられた拒馬槍はどうしても迂回しなければならなくなるため、騎馬に対する戦術のアドバンテージを得るには充分なものだったのです。
古代中国ではこのような敵の侵攻を阻む兵器が多数発明され、敵が必ず通る隘路や要害に主に設置され、高いパフォーマンスを発揮しました。
ガレー船
引用:http://ramsravensandwrecks.blogspot.com/
ガレー船はおびただしい数の櫂を装備した、人力で前進する船です。
紀元前3000年頃の時代にはすでに用いられ、19世紀に渡るまで長らく地中海世界において運用されました。
推力に関していえば帆船と比べて微弱なものでしたが、大西洋や北海とは違い、地中海は波が比較的穏やかで凪いでいることが多いのですが、地形が複雑でした。
よって、急な方向転換や風が弱い日などには帆船よりも有利であった為、主に海戦に用いられました。
完全に人力に依存するわけではなく、小規模ながら帆を併せ持ち、エネルギー効率と機動性を併せ持った船だったのです。
ガレー船は意図した方向に人為的に方向転換して前進できるという特性を活かし、紀元前9世紀には船主に衝角と呼ばれる体当たり用の固定武装が装備されるようになりました。
それまでは弓矢や投石器等の投擲攻撃の他、敵船に乗り込んでの白兵戦が海戦の伝統的な戦術でしたが、機動力と質量を以て敵船に体当たり攻撃をするという革新的な戦術が生み出されたのです。
これにより敵のガレー船の櫂を打ち砕いたり、船腹に穴を空けて沈没するといった戦い方が可能になりました。
しかし、櫂を漕ぐ大量の人員が必要であることから頻繁に補給をしなければならないことや、地中海の気候や地形に特化したものであった為、外洋では推力に欠けるという欠点がありました。
ユリウス・カエサルの著書『ガリア戦記』には西大西洋での海戦でガレー船が投入され、ローマ軍は地中海との気候の差に手を焼いた記述が残されています。
コルバス
引用:http://ginkgobilobahelp.info/
先述のガレー船の運用に革命的な変化をもたらしたのがコルバス(古ラテン語でカラスの意味)です。それは長さ10m、幅1m程の船上の桟橋という、とてもシンプルなものでした。
コルバスは共和制ローマの海戦兵器であり、敵の船に人員を送り込む為の渡し板です。通常は船に立てかけられており、敵の船に近づくと相手の甲板目掛けてコルバスを落とし、橋底の鋭い爪が双方の距離を固定し、そこから兵士を送り混むことができました。
当時の海戦は先述の衝角による衝突攻撃が一般的であり、船を横付けにして兵員を送り込むには高度な技術が必要だったのに対し、コルバスを用いることである程度近づくことができれば容易に、それも大量の兵士を敵船に投入することが可能になったのです。
当時の古代ローマは純然たる陸軍国家であり、海洋国家であるギリシアやカルタゴと比べて海戦の経験に乏しく、カルタゴとの戦争(第一次ポエニ戦争)においては海を見たことすらない指揮官が海軍を指揮するという有様でした。
その経験の差は戦力に如実に表れ、海戦の実戦経験が豊富なカルタゴ軍はローマを圧倒するのですが、このコルバスの登場により戦局は一変したとされています。
しかしながら、このコルバスにも欠点がありました。重量は1トン近くになり、それにより船体の重心が傾いてしまう為、嵐に見舞われた際にはコルバスが原因で船体が沈んでしまうことがあったのです。
操船技術の差を克服した新兵器はこのような理由と、次第にローマ軍が海戦経験を積んでいったことから無用の長物となり、次第に廃れていきました。
塞門刀車
引用:http://www.ifuun.com/
塞門刀車(さいもんとうしゃ)は古代中国で用いられた防御用の兵器です。
かつての中国では城壁は石造りでしたが門は木造でした。最も脆弱であるが故に、攻城戦になれば門を度々攻撃されたのです。
防御する側は門の守りを強化する必要に迫られました。そこで登場したのがこの塞門刀車です。
前方には24の刃が取り付けられており、この刃自体で敵を攻撃できるほか、登りにくくすることで敵の侵入を阻むことができました。
また、前方の板が石や矢を防ぎ、隙間や後方から弓矢での攻撃が可能であり、防御と攻撃を同時に展開し、敵対勢力を撃退することを想定して設計されています。
塞門刀車は門と同じ幅に造られており、城壁との間の空間を隙間なく塞ぎました。城門を突破された際、内側からこの兵器を門に設置することで「殺傷力がある応急の城門」の役割を担ったのです。
城門だけでなく、城壁が破壊された際にも用いられており、通常は複数台の塞門刀車が同時に運用されていました。
アルキメデスの鉤爪
引用:https://homesecurity.press/
アルキメデスと銘打ってある通り、この兵器は古代屈指の数学者であるアルキメデスが発明した、オーバーテクノロジーとも言える兵器です。
この兵器の目的は軍船に鉤爪を引っかけてクレーンを使って引っ張り上げ、軍船を転覆させるというとんでもない用途であり、空前絶後の力学兵器でした。
てこの原理と滑車を用いたT字型のクレーンであり、力点側は強靭な縄が結ばれており、下部に設置された滑車により、数名で水平に引っ張れば作用点側が持ち上げられるという造りになっていました。
紀元前213年、ローマは第二次ポエニ戦争でハンニバル側についた都市国家シラクサを攻撃したところ、シラクサにいたアルキメデスという天才が生み出した力学兵器で大敗を喫してしまう結果をもたらしました。
同じ船に引っかける兵器でも、このアルキメデスの鉤爪に比べればコルバスは素朴だと表現せざるを得ないでしょう。
なお、このアルキメデスの鉤爪は2005年に「Superweapons of the Ancient World」というドキュメンタリーで当時の記録を元に極めて精巧に複製され、有用性が検証されたところ、このクレーンは見事に機能し、ダミーの軍船を人力でひっくり返しました。
まとめ
まだ火薬が登場していない時代、兵器は張力や動物の力、てこ、重力等を動力としていました。
現代の基準からすれば原始的ですが、その実、高い軍事的能力を備えたものばかりであり、当時の技術力の高さを証明しています。
単純でありながら高い効果を持つという特徴は古代ならではの魅力ですね。