黒は夜空の色、墨の色であり、古来からよく使われる色です。
今日でもファッションやデザインなどに使われるほか、車やパソコン、ゲーム機などさまざまな分野で利用されています。
更に黒の特性を活かして私たちの生活を豊かにするような研究も進んでいます。
今回は世界で最も黒い物質について紹介します。
「最も黒い」とはそもそもどういうことなのか
赤、青、黄色と、色には多くの種類があります。
色の分類にはJIS規格、RGB、CMYK、マンセル値など多くの方法があり、それぞれの色に固有のコードが当てはめられます。
黒の場合はRGBで(0、0、0)、CMYKでは(0、0、0、100)という値となります。
厳密に言うならば、この値から外れたものは「黒」ではありません。
そう考えると、「最も黒い」という言葉はなかなかイメージが難しいかもしれません。
「最も黒い」というのは、私たちが色を知覚する仕組みと深く関わっています。
私たちがあるものを見ているときというのは、太陽や照明から放たれる可視光線をものが部分的に吸収し、反射されたものを見ています。
可視光線は周波数ごとに紫、青、緑、黄色、橙色、赤に分類され、どこまでの周波数域を吸収するかによって何色に見えるのかが決まります。
このときすべての波長を反射すると白、反対にすべての波長を吸収すると黒となります。
ただ、現在私たちが黒色だと認識しているものは可視光線すべてを吸収しているわけではありません。
「最も黒い物質」とは、最も可視光線を吸収している物質のことなのです。
実用化される中で最も黒い物質「ベンタブラック」
引用元:https://www.widewalls.ch/
現在実用化される中で最も黒い物質は「ベンタブラック」です。
2014年にイギリスのSurrey NanoSystems社が開発しています。
ベンタブラックは炭素の同位体のひとつであるカーボンナノチューブによって構成される物質で、対象物の表面に森を生やすように垂直にカーボンナノチューブを植え、成長させることで作ることができます。
ベンタブラック(Vantablack)という名前は、Vertically Aligned NanoTube Arrays(垂直に並べられたナノチューブの配列)の頭文字に由来しています。
もともと黒いものは光を吸収する性質がありますが、ベンタブラックに光を当てると光がベンタブロックを構成するカーボンの管の中を何度も屈折し、最後に吸収されて、熱として放出されます。
結果として、ベンタブラックは可視光線を最大で99.965%も吸収してしまいます。
通常の黒色では可視光線の吸収率はおよそ95%から98%であることを考えると、その黒さが分かるでしょう。
開発が発表されたとき、ベンタブラックはアルミホイルに生成されましたが、ベンタブラックに覆われたところはアルミホイルの皺などが一切目視できず、平面的に見えました。
アルミホイルの皺を知覚するのに必要な光が放出されなかったためです。
ベンタブラックの用途とは?
引用元:https://nlab.itmedia.co.jp/
ベンタブラックは元々人工衛星に搭載するための光学センサなど、先端宇宙事業向けの機材をコーティングするために開発されました。
先端宇宙事業では従来よりも遠くの銀河や、遠くにある等級の低い星を観察するために太陽光の影響を排除しなくてはなりません。
そのため観測機器をベンタブラックでコーティングすることで、太陽光を吸収して観測精度を上げることができます。
ベンタブラックは優れた光の吸収能力に加えて衝撃や振動にも強く、凹凸が分からなくなるほど黒いという特異な性質を有しています。
更にスプレーによってカーボンナノチューブを塗布することで三次元的形状にもペンタブラックを塗布することが可能なため、多くの分野での応用が期待されています。
2019年8月28日、ドイツの自動車メーカーBMWは、ドイツ・フランクフルトで行われたモーターショーでベンタブラックを用いて塗装を施したBMW・X6を発表しました。
このとき発表されたのは、モーターショー限定の特殊仕様であり、まだ自動車の塗料として利用するためには克服すべき技術的な課題が存在しています。
しかしBMWはベンタブラックを自動車用塗料に応用することに対して前向きな姿勢を見せており、今後ボディーカラーオプションにベンタブラックが登場する日も来るかもしれません。
ベンタブラックの課題とは?
引用元:http://anishkapoor.com/
しかしベンタブラックにも課題はあります。
まずはカーボンナノチューブの有する施工条件によるものです。
ベンタブラックではカーボンナノチューブを森のように伸ばしていくのですが、その際には430℃もの高温が必要です。
つまり430℃に耐えられるような素材でなければ、ベンタブラックを塗布することができません。
更にコーティングは真空環境下でしか行えないため、あまり大型のものには塗布することができません。
そしてカーボンナノチューブは、吸引による毒性が報告されているため、摩耗などの対策を万全に施す必要があります。
現状、ベンタブラックの実用はごく限られた環境下において、適切にガスマスクなどをつけてのものとなります。
ほかにもベンタブラックは黒すぎるがゆえに一般の利用が広まらないリスクもあります。
2018年8月22日、ポルトガルの美術館で芸術作品として展示されていた落とし穴に男性が落ち、病院に運ばれました。
当時美術館ではインド出身のアニッシュ・カプーアという彫刻家が「煉獄への転落(Descent into Limbo)」という芸術作品を展示していました。
この作品は、深さ8フィート(2.4m)の穴をベンタブラックで塗装するものです。
美術館では「煉獄への転落」の周辺に多数の警告文を表示したうえ、スタッフまで配置していましたが、この不幸な事故が起きてしまいました。
先ほどベンタブラックに覆われたアルミホイルの凹凸が分からなくなると紹介しましたが、ベンタブラックで塗られたものは等しく立体感を失ってしまいます。
「煉獄への転落」も実際は深さ2m以上の穴にも関わらず、まるで平面上に描かれたただの絵のようにしか見えません。
黒はよく引き締め効果があるとしてファッションアイテムに利用されますが、もしベンタブラックを用いた服を着たら引き締めどころかそこだけが切り取ったように見えます。
もしベンタブラック塗装の自動車が普及すれば、歩行者や自動車が遠近感を失うことで不要な事故が増えてしまうかもしれません。
「世界一黒い」ことへの新奇性や、見た目の独特さなどから注目されるベンタブラックですが、安易な普及は非常に危険です。
ベンタブラックよりも黒い物質が発見された
引用元:http://news.mit.edu/
まだ具体的なメカニズムや実用化などの目途はまったく立っていませんが、実は近年、ベンタブラックよりも更に黒い物質が発見されました。
2019年9月12日、アメリカのマサチューセッツ工科大学航空宇宙工学科のブライアン・ウォードル教授と、中国の上海交通大学の崔可航副教授が、ベンタブラックよりも更に光の吸収率が大きな、新しい物質を発見しています。
2人はアルミ箔にカーボンナノチューブを成長させる実験を行っていた際にこの物質を偶然発見しました。
調べたところこの物質は光を99.995%も吸収することが判明しています。
数値上はベンタブラックの10倍以上も黒いことになります。
偶然の産物であるためになぜここまで高い光の吸収率が実現されているかも分かっておらず、名前もつけられておらず、実用化のメドもまったく立っていません。
ただ、芸術の分野で先んじてその存在がお披露目されています。
新しい物質が発見されたのと同時期、マサチューセッツ工科大学に所属するディエムト・ストリーべは「アートサイエンス」と言われる科学と芸術を組み合わせる企画を進行しており、新たに発見されたこの物質を作品に利用しました。
ディエムトは時価200万ドル(約2億2000万円)相当の天然のイエローダイヤモンドをこの新しい物質を使って塗りつぶし、黒い背景に置いたのです。
この作品は「Redemption of Vanity(虚栄心のあがない)」というタイトルがつけられています。
普通、ダイヤモンドを黒く塗りつぶして黒い背景に置くと見えなくなってしまいます。
しかしこの新しい物質は背景の黒よりも黒いために、黒い背景にあっても輪郭が浮かび上がってしまうのです。
黒の中に更に黒いものが浮かび上がる光景は、この新しい物質でなくては見られない非常に神秘的なものです。
まとめ
今回は世界一黒い物質を紹介しました。
現在ベンタブラックは本来の先端宇宙事業のほかに、「黒すぎる」ことを活かして車の塗装やほかにも様々なアイテムに利用が進められています。
実用化に対しての課題もありますが、今後は私たちの目に触れる機会も多くなるでしょう。
またマサチューセッツ工科大学では、このベンタブラックを超える黒い物質が発見されました。
まだメカニズムなどが明らかにされていませんが、今後研究が進むことでより詳しく分かるでしょう。