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【衝撃】本当にあった怖い世界の風習・奇習8選

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世の中には、その時代そのコミュニティに属さぬ人間からすると理解に苦しむ風習というものが多々あります。

それれは時に理不尽で残酷なものにも映りますが、その裏には民族の歴史や宗教観、あるいは彼らの暮らす土地の風土が反映されているものです。

このちっぽけな島国日本ですら数多の不思議な風習があるのですから、それが世界ともなればとてつもない数にのぼるというもの。

今回はそのごく一部をご紹介いたします。

 

其の1 童養媳・新婦仔 (中国・台湾)

引用元:http://jp.eastday.com/

中国語で童養媳(トンヤンシー)、台湾語で新婦仔(シンプア)と呼ばれる売買婚が、中国・台湾では宋代以前から20世紀初頭まで一般的に行われていました。

 

童養媳・新婦仔の実態

もっともスタンダードな形態は、子供の養育が困難な貧困家庭の女児を裕福な家庭に幼女の内に売り渡し、将来的にその家の男児の嫁とすることです。

この結婚は女児の家・男児の家双方にとってメリットのある合理的な婚姻と見なされていました。

<女児家側のメリット>

・現金が手に入り家族が救われる

・食い扶持が減る

・娘を売春婦にせず、ちゃんとした家の嫁に出来る

・一般的なこと故、世間体も悪くない

 

<男児家側のメリット>

・息子の嫁を確保できる

・従順な奴隷が手に入る

・娘を幼少期から家に相応しい嫁になるよう教育できる

 

こうして並べてみれば、確かに双方の『家』にとってはメリットのある合理的な制度であることがわかります。

しかし、ここにはまだ幼く将来のことなど何もわからぬ女児の心・気持ちが存在しません。

本当の恋を知るより先に親の金銭的事情で将来の結婚相手を決められ、まだ10歳にもならぬ幼さで実親の元から引き離され他家で『労働力』として酷使されるのです。

 

童養媳・新婦仔の問題点

当人たちの心の問題にさえ目を瞑れば合理的な制度でありますが、やはり人間にとって気持ちの問題は大きいもの。

幼い頃から兄妹のようにして育つため、長じて後も異性愛が育ちにくい場合が少なくなかったそうです。

このため女性の出産率は低く離婚率が高いなど、結婚生活に支障をきたしました。

けれども、これはおそらく『かなりマシな』大っぴらに出来る問題点です。

より深刻なのは、売られた女児の立場が『将来の嫁』であると同時に召使――場合によっては限りなく奴隷であること。

幼い身体に過酷な労働を強いられ病気になっても医者にかかれない。

日常的に暴力を受ける。

まだ肉体的に幼い女児が思春期を迎えた男児に強姦されても、『いずれは嫁になるんだから』で流され泣き寝入り。

男児ではなくその家の成人男性に強姦されても逆らえない。

不運にも妊娠などしよものならば『ふしだらな娘が誘惑した』と罵られ折檻される。

どうでしょう?

女児にとって相当ブラックな職場ではありませんか?

ちなみに男子の側には拒否権があり、『あの娘は嫌だ』と言えば女児は実家に帰されたり他所に嫁がされたりします。

 

今も残る風習…?

あまりにも子供の人権を無視したこの制度は、台湾では1970年代に消滅。

中国でも婚姻法により禁止されましたが、福建省など農村ではいまだに行われているとも言われています。

確かに幼馴染の女の子が行儀見習いのために裕福な家に通っているとでも言えば、いくらでも誤魔化しは効くでしょう。

 

類似した風習 婆養媳(ボーヤンシー)

一般的な生活水準の家庭が相互に娘を交換するシステム。

赤ん坊の頃に交換した娘をそれぞれ養育します。

そうして育てられた女児は、養育の恩に報いるために自ら童養媳になるケースも多く見られたそうです。

一般的な生活が出来ていながら、わざわざ我が子を他人と交換する感覚。

私たち現代日本人にはわかりづらいものがあります。

 

其の2 纏足(中国)


用元:http://yofukasi-susume.xxxblog.jp/

あまりにも有名な中国の風習であるため皆様ご存じのことかと思いますが、作り方や目的など少し詳しくご紹介します。

纏足の始まり

女性の足を明らかに不自然なサイズに変形させる纏足(てんそく)。

この奇妙な風習はいつ頃から、そして何故文化として定着したのでしょうか?

纏足がいつ始まったか明確に記した文献は今のところ見つかっていませんが、唐代末期(618年〜907年)まで漢民族の間で普及したと見られています。

満州族が台頭した清代に入ると、不健康かつ不衛生であるとして皇帝から度々禁止令が出るものの、一度定着した風習はなかなか消えることはありませんでした。

 

纏足の作り方

纏足という風習は知っていても、それが実際どのようにして作られるか知っている方は少ないのではないでしょうか。

足を子供の頃から布できつく縛ることで健全な成長を恣意的に妨げ、生涯に渡って小さな靴を履いていれば出来ると思われているかもしれません。

しかし、現実はそのような生温いものではありませんでした。

ここからはかなりグロテスクな閲覧注意表記なのでご注意ご注意下さい。


引用元:https://twitter.com/

まずこちらの写真をご覧ください。

これは纏足をした足のレントゲン写真です。

まるでハイヒールをそのまま骨にしたような、あからさまな異形。

いかに子供の骨肉が柔らかいからといって、ちょっとやそっとではここまでの変形はしません。

 

<纏足の作成手順>

①女児が3〜4歳ごろからスタート

②アルコール度数の高い酒で足を洗い、酢のはいった器にしばらく足を入れておく

酢によって足の骨が柔らかくなると信じられていました。

また、生きた鶏を二羽用意して包丁で胸を開き、女児の足を片方ずつ入れておく方法もあり。

こちらは暖かい血と臓物が足を柔らかくすると信じられていたため。

③足を水で洗い、親指を除いた4指と足の甲を握り込み一気に足の裏側に折り曲げる

この地点で指と甲の骨が折れることがほとんど。

④長さ10m幅10㎝の清潔な布で足をきつく巻く

フルパワーで圧迫するため、曲げられた骨が砕けます。

女児が痛がって自分で解かないように、針と糸で布を細かく縫い付け固定し纏足用の靴を履かせます。

⑤処置後は毎日約一時間歩かせ布を交換

骨折した足は腫れあがり酷い痛みがありますが、寝たままだと美しい纏足にならないため女児を無理矢理歩かせます。

⑥一週間前後で血膿が出始めたら砕いた陶器の上を歩かせる

わざと足を傷つけ排膿させます。

歩く度に陶器の破片が足に突き刺さり、腐った肉や皮膚が削げ落ちていくので適宜削って形を整え、よりきつく布を巻いて完璧な纏足を目指します。

 

この施術が幼い女児にとっていかに過酷なものであるかおわかり頂けたことでしょう。

時代によって差異はありますが、纏足の処置によって亡くなる子供が3〜5割いたというから恐ろしい話です。

鎮痛効果のある薬草などを煎じて飲んでいたそうですが、中国には『纏足が出来るまでに、瓶いっぱいの涙が必要』という言葉が伝わっています。

引用元:http://www.enkyouhyakka.com/

こちらは纏足靴のレプリカ。

10㎝以下の足は『金の蓮』と呼ばれ、美の象徴とされました。

あまりに淫ら過ぎると何度も発禁になった中国四大奇書『金瓶梅』の主人公・藩金連の名は、彼女の纏足した小さな足に由来します。

 

纏足の目的

女児にここまでの苦痛と生活の不自由を強いる纏足の目的は、ほぼ男性の性的趣向を満たすことでした。

・南唐の国主が足が細く小さい女性を好んだことから始まり、小さな足に女性の魅力があると考えられていた。

・纏足した足では遠出ができず、女性を家に閉じ込め貞節を守りやすい。

・走ることも出来ない弱々しい様子が好まれた。

・爪先立状態で踏ん張るため内腿の筋肉が発達し、性行為の際に局部の具合が良いとされた。

纏足で変形し異臭を放つ女性の足を寝所で自分だけが見ることに興奮する男性が多かった。

 

つまり、行き過ぎた足フェチが当時の女性の弱い立場と相まって、猟奇的な方向に極まったということです。

全ての女性が喜んで纏足を受け入れていたとも思えませんが、当時の風潮として足の大きな女性は『大足女』と蔑まれ良い結婚が出来なかったため、母親は娘にまともな結婚をさせるためと代々纏足を施しました。

 

纏足はエリートの証?

多くの女性を苦しめて来た纏足ですが、見方を変えると纏足が出来る女児はそこそこ裕福な家の娘とも考えられています。

何故ならば、纏足をし女性は生涯に渡り歩行や走行に困難を来たし、農作業その他の重労働がこなせないからです。

よって、初期の頃の纏足は貴族階級だけの風習でした。

小さな足に刺繍を施した布の靴を履き、美しくも重々しい着物や髪飾りで着飾り一日の大半を腰かけて過ごせる女性。

そういった意味で纏足は豊かさの象徴であり、美しい纏足はその女性が特権階級であることの証でもありました。

やがてこの風習が庶民にまで広がったのは、貴族階級にあやかり娘を少しでも上品に見せ良い縁談をという親の願いがあったようです。

 

纏足の終焉

中国全土に普及していた纏足は、先にも述べたように清代において皇帝が禁止令を出してもなくなりませんでした。

これが徐々に下火になっていったのは、義和団の乱(1900年)以後の近代国家への動きの中で都市部で罰則が設けられたことからです。

1902年、西太后は纏足禁止令を出し、纏足を正式な政令によって終わらせました。

満州族の出自である西太后自身は纏足をしておらず、しっかりとした自身の足で各地に出かけ、国民の前に度々姿を見せる異例の女性王族でした。

余談ですが、後世で悪女として語られることの多い西太后は、少なくとも彼女の息子よりずっと優れた為政者として民衆に慕われていたそうです。

引用元:https://www.multilingirl.com/

こちらは西太后の靴。

超厚底ですが、纏足していたらこんな靴は履けません。

 

こうして大っぴらには出来なくなった纏足ですが、やはり根付いた美意識というものはなかなか廃れないようでその後も長く隠れて行われます。

結局、纏足が中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のことでした。

その直接的な理由としては、文化大革命において古い因習にしがみつく纏足が『反革命的行為』と見なされたことが挙げられます。

そのため、現在でも70歳以上の老女には纏足をした方が田舎では見受けられます。

 

ローレル・ボッセンによる新説

纏足は金持エリートだけのものという説に、研究者ボッセンが異を唱えました。

彼が農村部に住む1800人以上の女性に取材したところ、特に裕福ではない農村部でも纏足の風習があったというのです。

ただし、彼女たちは労働を免除された『働かない女性』ではなく、むしろ織物などの手仕事を一日中しなければならない存在でした。

農村部での纏足は秩序の維持のためであり、幼い娘に纏足を施すことで母親たちは娘たちを長時間座らせ、糸紡ぎなどの手仕事を手伝わせて収入を増やしていたというのです。

 

其の3 宦官(中国)


引用元:https://rekijin.com/

去勢された男性の役人を宦官(かんがん)と言います。

中国の歴史に古くから大きく関わり、時には国を動かしさえした彼らの肉体・仕事・メンタル・社会的地位などについてご紹介します。

 

宦官の始まり

中国が有名な宦官ですが、実は朝鮮・ベトナム・オリエント・地中海・イスラムと、ほとんど世界中といって良いほど広範囲に存在しています。

むしろ制度としてまったく存在しない日本の方が珍しいほどに。

しかし、宦官が大きな権力を握り国を腐敗させることが大問題になったということでは、やはり中国はトップクラスです。

中国における宦官のもともとの意味は『神に仕える奴隷』であり、それが時代が下るにつれて宮殿で働くようになります。

また、当初の宦官は必ずしも去勢した男性とは限りませんでした。

宦官が去勢男性の専任職となるのは後漢以降とされています。

 

<刑罰『宮刑』からの宦官>

初期の頃の宦官は、異民族の捕虜や献上奴隷を去勢して皇帝や後宮に仕えさせたのが始まりです。

異民族が子孫を為さぬように断種すると同時に、身体的理由により子孫を持てぬ彼らは権力を世襲できないという点でも使い勝手が良いと見做されました。

皇帝の寵姫たちが暮らす後宮で働かせたのは、間違いを起こしようがないという利点があったためです。

この宮刑に処された人間で最も有名なのは、恐らく司馬遷でしょう。

司馬遷は宦官ではありませんが、友人を弁護して武帝の怒りに触れ宮刑に処されながらも、『史記』を書き上げました。

 

<自主的宦官志願者『自宮』>

男性器を失い子孫を残せなくなるというのは、今も昔も当人にとって大変な問題です。

しかし、当時の中国において出世するには『名家の子弟に産まれる』『科挙に合格する』の二つしかありません。

生まれは当人の努力ではどうにもならないし、科挙(役人になるための試験)はその厳しさから毎年受験中に発狂する者が出るレベル。

そもそも貧困階級には教育を受ける余裕も機会もないのですから、科挙など雲の上の絵空事です。

そんな貧乏人が人生一発逆転を狙えるのが『宦官になる』という選択肢でした。

宦官になれば王宮勤めが約束され、皇帝や寵姫などの側近として重用されるチャンスもあります。

そうした宦官ドリームを求め、多くの貧しい家の少年たちが命懸けで自宮して宦官を目指したのです。

 

宦官の作り方

宦官とは去勢した男性とご説明しましたが、まだ医療が未発達で麻酔もない時代、いかにして彼らは去勢手術を受けたのでしょうか?

ここでは彼らが17〜18世紀、清代に受けていた凄惨な施術をご紹介します。

 

①『刀子匠』(タオツチャン)と呼ばれる政府公認の去勢専門家の元に行く

約3万円で治療まで責任を持って手術してくれます。

自ら門を叩く少年もいれば、貧しい農村の末子などを親が連れて来る場合もあるようです。

②下腹部と股の上を紐できつく縛って止血し、熱い胡椒湯で消毒

この後、最後の意思確認をしてくれます。

③被術者を台に縛り付け、鎌状に湾曲した刃物で陰茎・陰嚢を切り落とす

④白蝋(銅と亜鉛の合金)の栓を尿道に挿入し、傷を冷水に浸した紙で覆い包む

傷口が盛り上がって尿道が塞がるのを防ぐため、3日ほど入れっぱなしにします。

⑤術後すぐに二人の助手に抱えられ、2〜3時間歩かされてから寝かされる

すぐに寝かさないのは、傷口に悪い血が溜まらないようにするため。

⑥術後絶飲食で3日間安静にする

そんなことをしたら脱水症状は起きるわ体力は消耗するわで死んでしまいそうですが、陰茎を切除した跡に尿道を形成するためにはどうしても必要でした。

傷口に白蝋を詰めているため、3日以内に水を飲めば尿が詰まる。

白蝋を抜けば肉が盛り上がり尿道を閉ざす。

どちらにしろ排尿が出来ずに尿毒症などを起こして死んでしまいます。

点滴もない時代、手術を受けた少年たちは激痛と渇きの3日間を生き延びられるかが最初の関門でした。

⑦3日後に白蝋の栓を抜いて噴水のように尿が出れば成功

術後の感染症などで3割が死亡するとも言われていますが、金を払い正規の刀子匠の施術を受けた場合にはほとんど失敗はなかったそうです。

引用元:https://matome.naver.jp/odai/

これでスパっと切り落とします。

 

宦官の光と闇

さて、死ぬ思いをして宦官になった少年たち。

彼らの全員が栄達し、裕福でハッピーな人生が送れたかというと現実はそんなに甘くありません。

宦官の世界は体育会系以上の完全縦社会であり、そこではヒエラルキーが厳密に定められています。

ヒエラルキーのてっぺんで国を動かせる権力を持つ宦官は、当然極一握り――否、宦官の総数から言えば一摘まみでした。

大多数の宦官は調理場や清掃などの雑役を務める下っ端で一生を終えます。

というか、終えられたらラッキーかもしれません。

下級宦官の毎日は悲惨なもので、日常的に上級宦官の不満のはけ口として時に暴力的な、時に陰険なイジメに晒されます。

特に直属の上司に目を付けられでもしたら地獄でしょう。

更に下級宦官がそのまま地位を上げられずに年齢を重ねた場合、高齢から激務に耐えられなくなった彼らは役立たずとして解雇され、その多くが物乞いにまで身を落とし餓死しました。

死ぬ思いで去勢までして辿り着いたゴールが路上で野垂れ死に。

悲惨としか言いようがありません。

このような悲惨な終わりを迎えないためにも、彼らは必死に上を目指すより他に道はなく、下の者は上の者に全力で媚びて機嫌を取り、賄賂が横行しました。

財産を残す家も子供もいないのに宦官の出世欲・権力欲が強烈である背景には、帰る家も面倒を見てくれる子供もいないという追い詰められたメンタルも影響していたのでしょう。

 

宦官の迷信

去勢手術後、切り取られた男性器『宝』(パオ)は処分されずに小さな壺に納められ保管されます。

『宝』は通常持ち主に帰されますが、手術費が払えない者の『宝』に限り借金の担保として刀子匠が預かりました。

切り落とした己の男性器など後生大事に持っていてどうするのか?

その答えは中国の宦官の間で信じられていた迷信にあります。

宦官は死んで墓に葬られる時、『宝』と共に埋葬されないと来世で雌のロバに生まれ変わる。

一体どこからその発想が出て来たのかわかりませんが、とにかく彼らは皆一様にそれを酷く恐れていました。

そのため、宦官たちは膨大な利子を含む借金を返し、自身の『宝』を取り戻すためにも必死に出世しようとしたのです。

しかし、一向に減らない借金を払い続けて尚、最終的に『宝』を取り戻せた宦官は一割に満たなかったと言われています。

思いつめた余り、他人の『宝』を盗む者まで出たというのですから、彼らにとってロバに生まれ変わることは相当深刻な問題だったのでしょう。

ちなみに、宦官が昇進する際には『験宝』と呼ばれる制度があり、自身の『宝』を上司に見せなければなりませんでした。

そのため刀子匠は『宝』のレンタルを行っており、それがけっこうな収入源になっていたそうです。

 

宦官を扱った名作

浅田次郎原作の『蒼穹の昴』は清国最後の宦官たちを扱った作品でドラマ化もされました。

当時の生活様式や、宦官の社会・仕事ぶりが非常にわかりやすく描かれています。

これを見る限り、宦官は結構な肉体労働です。

引用元:http://japanese.china.org.cn/

こちらは主人公の宦官・春児(チュンル)の京劇姿。

清代の宦官の役割は多岐に渡り、中には皇帝や皇后を楽しませるために京劇を上演するお抱え一座までありました。

特に西太后は大の京劇好きであったため、宮中の宦官職の中でも京劇を演じるのは花形であったようです。

 

其の4 カストラート(イタリア)


引用元:http://www.instagub.com

16〜18世紀イタリアに実在しもたはやされた去勢男性の歌手、それがカストラートです。

映画にもなっているので認知度は高いかもしれませんが、彼らの特色・創られた背景・その盛衰などをご紹介します。

 

カストラートを創る目的

そもそも、なぜ歌唱のために健康な男性が去勢する必要があったのでしょうか?

答えは『少年の美声』を保つためです。

どれほど美しいボーイ・ソプラノを持っていても、少年が第二次性徴を迎えれば当然変声期がやってきて、特有の高く澄んだ声は大人の男のそれへと変化します。

そこで考案されたのが、少年が第二次性徴を迎える前、7〜11歳頃に睾丸を切除する手術でした。

男性ホルモンの主な供給源を断つことで声帯の正常な発育を人為的に妨げ変声期をなくし、ボーイ・ソプラノの音域や声質を持続させようとしたのです。

 

カストラートが生まれた背景

上でカストラートを創る目的はお話しましたが、普通に考えて『永遠のボーイ・ソプラノが欲しい』といういだけで去勢という思い切った手段にはなかなか踏み切りません。

声量や声質に多少の問題はあっても、女性に歌わせれば良さそうなものです。

しかし、当時のイタリアにはそれが出来ない事情がありました。

ローマ教皇の方針で、女性は教会の聖歌隊で歌うこともオペラの舞台に立つことも禁止。

よって教会の聖歌隊は少年たちによるボーイ・ソプラノで構成されていましたが、少年の成長は早く変声期を迎えれば聖歌隊を辞めなければなりません。

そうなると必然的に聖歌隊員は入れ替わりが頻繁になり、その度に教育しなければならないため慢性的なメンバー不足に陥ります。

こうした状況の中、変声期直前の少年が偶発的な事故か病気で睾丸を除去した結果、ボーイ・ソプラノを保っていたため意図的に去勢が行われるようになったとする説が有力です。

聖書の一説に『天国のために自ら進んで独身者(去勢者)になったる者もある』と記され、初期のキリスト教に独身者がいた可能性があることも、カストラートが受け入れられた理由の一つとして挙げられています。

 

カストラートだけの歌声

カストラートはただ単に大人になってもボーイ・ソプラノが出せるキワモノ歌手ではありません。

彼らの声には現在のボーイ・ソプラノ、女性のアルト、男性のソプラニスタやカウンターテナーでは再現しきれない独特の魅力があったと言われています。

男性ホルモンの分泌を抑制することで声帯は大きくならないものの、成長ホルモンは正常に分泌されるため、彼らは身長や胸郭は普通の男性と大差なく発育しました。

するとどうなるか?

彼らはボーイ・ソプラノを保ちながら成人男性の肺活量と体力を持つ特別な存在となり、声のトーンや歌声の持続力において未成年や女性歌手では再現不可能なパフォーマンスを演じたと言われています。

いわば、彼らの歌声は男性として子孫を残すことと引き換えに得たギフトとでも言うべきものでした。

 

カストラートにされる子供たち

カストラートになる少年は、そのほとんどが貧しい家の生まれでした。

本人に歌の才能があり、その道で立身出世を望み自発的に手術を受けるケースもあるにはあったのでしょうが、多くは親の一存で決められていたようです。

カストラートは当時の花形歌手であり、大成すれば2〜3ヵ月の公演で一生遊んで暮らせるほどの高収入が約束されていたとも言われています。

そのため自分の息子に音楽の才能があると思った親たちは、未来の大スターに豊かな老後を養ってもらおうと、幼い息子に去勢手術を施したり音楽院に売ったりしました。

ちなみにこうした行為は当時の法では犯罪ではありません。

 

カストラートの闇

<死亡多数>

全盛期には毎年4千人にも及ぶ7〜11歳の少年が未来のカストラートを目指し去勢されていましたが、当時の医療技術や環境の不衛生さから死亡する少年が多数存在したことも忘れてはなりません。

設備の整った病院だけでなく、床屋や家畜の去勢をする施設でも行われていたというのですから、死亡率が高いのも頷けます。

 

<適性なき無駄な去勢>

更に、去勢さえすれば誰しもがカストラートデビューしてスターになれるかといえば、気の毒なことにそれも違いました。

親の『ウチの子歌上手いかも?』といったアバウトな判断で去勢したものの、音楽院に連れて行ったら訓練するに値しない声だと言われた。

死亡の次に悲惨なケースがこれです。

少年にしてみれば、無駄に痛い思いをして生殖機能を失くし健康を損なっただけなのですから堪ったものではありません。

こうした者に対しては、司祭となってミサを執り行うことが許されるという救済処置がありましたが、悲惨であることに変わりはないでしょう。

 

<音楽院と孤児院の関係>

カストラートを育成する機関である音楽院、そのほとんどの母体は孤児院でした。

孤児たちに聖歌を歌わせるアルバイトをさせていたことから音楽に特化した学校が生まれたと考えられます。

孤児院や学院の生活は厳しく、宿舎は狭く食事も満足に与えられなかったようです。

カストラート候補生は他の音楽学生より優遇されるものの、イジメによる脱走が多いなど生々しい事情がありました。

そもそも、孤児院が預かっている未成年を働かせて収入を得ることに拘り、才能があるとなればおそらく半強制的にカストラート候補生=去勢を決めるというのも残酷です。

 

<男妾としての役割>

睾丸を持たぬ彼らは生殖機能を永遠に失っている一方で、陰茎はそのまま残っているため性行為そのものは可能でした。

こうした特徴が妊娠の心配なく情事を愉しめる相手として重宝され、彼らの多くはパトロンでもある貴婦人たちの要望に応えていたようです。

 

其の5 精霊返し(ヤノマミ族)


引用元:http://karapaia.com/

アマゾンの奥地で暮らし、未だ文明と馴れ合わず独自の生活形態を保つヤノマミ族。

彼らの暮らしの中には、私たちが驚くような様々な習慣が息づいています。

 

ヤノマミ族とは

表題に挙げた『精霊返し』のお話をする前に、まず彼らがどんな民族かを簡単にご紹介しましょう。

彼らの宗教観や生きる環境を知らずして『精霊返し』だけを切り取って見てしまうと、偏った感想を抱きがちなので事実に対してフェアではないからです。

 

<誇り高い部族>

ヤノマミとは彼らの言葉で『人間』を意味し、彼らは自分たち以外を『ナプ』と呼び下の存在として認識しています。

ある意味選民意識が高いというか、自分たちの生き方に誇りを持った人々であることが窺えます。

人数は2万5千~3万人と言われていますが、まとまっては暮らしていません。

 

<衣食住>

真ん中に広場のある円形の家に多数の家族が集まり、50〜200人程度の集団生活を営んでいます。

狩猟と採集を主な生活手段としていますが、焼き畑農業も行います。

服装はほとんど裸で男女ともに腰巻をする程度。

 

<奔放な性>

配偶者がいても恋人がいても、興味もった相手とは性行為をするのが当たり前。

『男性器が男のものであるように女性器は女のもの』といった、性器と自己を切り離した発想があるようです。

そのため新月の暗闇の中、村の男女が集い集団乱交をするような過激な祭りが大っぴらに行われます。

その結果、婚のシングルマザーが出来がちです。

避妊という概念や中絶の技術もないため、産む以外の選択肢はありません。

 

<短くも憂いなき人生観>

ヤノマミは森で生き、森を敬いその意思を最大限尊重する人々です。

故に彼らは『貯蓄』という『将来のために何かする』概念を持たず、ただ『今』だけを生きています。

季節によってはより多くの狩猟・採集が出来るというのに、今必要な分以上を森から採ることをしません。

しかし、アマゾンの奥地で文明を退けて暮らすことは容易ではなく、彼らの平均寿命は40歳です。

室町時代の信長ですら『人生50年〜』と謳っていたことを思うと、極めて短いと言わざるを得ません。

そのため平均出産年齢も低く12〜14歳、まだ外見的にはあどけない子供のような少女たちが母となります。

けれども彼らはそれをどうこうしようとはしません。

自然の中で生き森の声に従った結果が40年ならば是非もなし、それが彼らの考え方なのです。

 

<独特の死生観・精霊信仰>

彼らの死生観は精霊信仰に基づいて非常にスピリチュアルであると同時に、諸行無常を感じさせるようなある種のドライさがあります。

***

天は精霊の家。

人間も死ねば天に上り、精霊になる。

地上の死は死ではない。

魂は死なず精霊となる。

精霊もやがて死ぬ。

最後に男は蠅や蟻となって地上に戻り、死骸に群がり肉を運ぶ。

女は最後にノミやダニとなる。

地上で生き、天で生き、虫となって消える。

ナプも知らねばならない。

誰もが同じ定めを生きる。

***

死者が天に昇って精霊になる…まではロマンティックなのですが、最後のオチが強烈です。

最終的に男も女も虫になって消える。

ちょっと日本人には受け入れがたい結末ではないでしょうか?

自分たちを『人間』と名乗り特別視しながら、最後の最後はただ消えるのみとするその思想には潔さすら感じます。

 

精霊返し

彼らの生活や思想を簡単にご紹介したところで、表題でもあり彼らが有名になったきっかけでもある『精霊返し』についてお話します。

 

<ヤノマミの妊娠・出産>

ヤノマミは男尊女卑とも言える男社会ですが、妊娠と出産に関して男性は一切関与しません。

出産は森の中で妊婦と付き添いの20~30人の女性だけで行われます。

 

<命の選別>

ヤノマミにおいては、産まれた赤ん坊はまだ『人間』ではなく『精霊』と見なされます。

ここで赤ん坊の母親は重大な決断をしなくてはなりません。

生まれた子供を『我が子』として育てるのか?

『精霊』のまま天に返すのか?

ここで母親が『育てる』決断をすれば赤ん坊は臍の緒を切られ、母親の腕に抱かれて村に帰ります。

『育てない』と決めれば赤ん坊は精霊返しの儀式によって天に返されます。

 

<精霊返し手順>

①母親自ら臍の緒のついたままの赤ん坊を捻り殺す

②赤ん坊をバナナの葉に包み、白蟻の蟻塚に放り込む

③白蟻が赤ん坊を食い尽くしたら蟻塚に火を放ち焼き払い、赤ん坊が精霊になったことを天に報告する

こうした一連の儀式を、ヤノマミでは『子供を精霊にする』と表現します。

この精霊返しにも男性は一切口を出さず、全ての決定権は母親にあるとされていますが、実際には食糧事情などから一族の意向が反映されていると思われます。

それでも原則的には母親が決めたことには他の誰も表立って口出しはせず、母親が赤ん坊と帰って来ても一人で戻って来ても理由を聞いたりはしません。

傾向としては、父親のわからない子供や障害児は精霊にされることが多いようです。

彼らの習俗では、死者のことを思い出してはならないそうですが、精霊返しをした母親たちは一人の夜に『夢を見たと言っては泣き、声を聞いたと言っては泣き、陣痛を思い出したと言っては泣く』そうです。

そんなにも辛い決断を一人でしなければならないとは、部族の風習とはいえ何とも酷な話ではないでしょうか。

そして、ヤノマミでは産まれた赤ん坊の実に半数が『精霊にされて』いるのです。

 

其の6 ブレストアイロニング(西アフリカ)

引用元:https://dot.asahi.com/

女性のシンボルとも言える乳房を焼きつぶす習慣がある…信じがたいけれども、それは今も続いている現実です。

 

母が娘に行う恐怖の因習

ブレストアイロニングとは、カメルーンをはじめとする西アフリカ諸国で胸が膨らみ始めた少女に対して行われる『胸を平らにする』伝統的な習慣です。

行うのはほとんどの場合少女の母親か叔母で、彼女らは『それが伝統だから』と娘の幼い乳房に熱した棒や石を押し当てるのです。

カメルーンでは26%の女性、ほぼ4人に1人がこの残酷な習慣の犠牲になっています。

 

<施術方法>

①スリコギや柄杓など台所用具を釜戸にくべて熱する

②娘を押さえ付け、熱した道具を膨らみ始めた乳房に押し付ける

③激しく擦り叩いて胸を平らにする

 

言うまでもなく、施術は少女に酷い肉体的苦痛と精神的トラウマを与えます。

思春期の娘と言いながら実際に施術を受ける少女たちは10歳にも満たないことが多く、少女たちは施術の意味を説明されるこもとなくただ苦痛に耐えるしかありません。

 

<効果は本当にあるのか?>

母親に適温の道具をゆっくり丁寧に満遍なく胸に当てるという適切なテクニックがあれば、少女の胸の成長を抑制することはできます。

しかし、熱すぎる道具を早急に偏って押し当てた場合、胸の組織を破壊し筋肉のないただの脂肪の袋にしてしまい逆効果です。

 

施術目的

<農村部>

それが伝統だから。

いろいろと理由をつけてはいても、結局はこれが最たるものでしょう。

大昔からカメルーンでは伝統的に行ってきたことなのだから、母から娘に施すのは当然である。

娘にブレストアイロニングをする母親たちはそのように考えています。

彼女らにとって、それは必要悪ですらなく『当然すべきこと』にすぎません。

故に、農村部ではこの習慣はタブーでも何でもなく、特に隠されることもない周知の事実であり男性も認識しています。

妻が亡くなっている場合、父親が義務として娘にブレストアイロニングを施すそうです。

 

<都市部>

都市部では伝統だからというよりも、避妊目的で行われます。

胸の膨らみ始めた娘は男性の注目を集め、レイプなどの性犯罪被害に遭い望まぬ妊娠をしたり、性感染症にかかるリスクが高くなる。

それが都市部における主な言い分であり、母親たちは10代の娘が妊娠し学校を退学するような事態を防ぐため、秘密裡にブレストアイロニングを行うのです。

農村部と違い男性のほとんどはブレストアイロニングの実態を知りません。

カメルーンでは娘の教育は母親の責任とされているため、未婚の娘が妊娠などすれば母親が強く責められるという社会的背景も、ブレストアイロニングに走る母親を量産する理由の一つでしょう。

若い娘が妊娠した場合、父親は娘のみならず妻も一緒に家から追い出して良い。

そんな法律がまかり通っているのですから、母親も我が身の安泰を守るために必死にならざるを得ません。

ちなみにブレストアイロニングの苦痛から家出をする少女も多く、彼女たちは身一つでボーイフレンドの家に転がり込むしかないため、逆に妊娠のリスクをハネ上げてしまっています。

 

深刻な健康被害

腫物・痒み・授乳不能・感染・胸の奇形・消滅・嚢胞・組織破壊・火傷によるケロイド。

そして乳癌を発症するリスクが高くなることが挙げられています。

こうしたリスクを医師や女性の人権団体などが説明しても、『伝統』だからと今現在もブレストアイロニングは行われています。

ブレストアイロニング被害者の女性たちが自らの経験を語りだし、このおぞましい習慣の廃絶のために活動していますが、有史以来根付いている因習を消し去ることは難しいようです。

 

其の7 首長族(タイ)


引用元:https://www.webstagram.biz

私たちの感覚では異形とも言えるほど長い首を持つタイの山岳民族カレン族

カレン族

観光客からは『ロング・ネック・カレン』と呼ばれるカレン族は、タイ北部~西部、ミャンマー東部~南部に住んでいる山岳民族から派生した民族の一つとされています。

今回ご紹介するタイの首長カレンはメーンホンソーン県内三カ所と、北部チェンマイ・チェンラーイの半ば観光名所化した村で暮らしています。

彼らの生活様式がカレン系諸部族と酷似しているため、首長族は赤カレン族の支族と見なされますが実態はわかっていません。

民族の起源はチベットで中国雲南地域を経てミャンマーに移住したと推測されますが、それも実は定かではありません。

何故なら彼らはもともと文字を持たず、確たる証拠が残されていないからです。

そのため彼らのルーツは口伝とフォークソングが鍵になるという、非常に夢のあるものになっています。

もうこの地点で面白い…と言っては失礼ですが興味が湧いてきます。

さて、そんな彼らに圧倒的な個性を与えているのが長い首です。

それも先天的・遺伝的に長いというのではなく、人為的に長くしていることが一目瞭然。

彼らは一体どういった理由で首を長くしているのでしょうか?

ちなみに彼らの自称は『人・民』を意味するカヤンであり、真鍮のリングをはめるのはラウィーです。

 

首を長くする理由

これにも諸説ありますがいずれも口伝であり、真相のほどはカレン族自身も既にわかっていないというのが実態です。

ここでは資料や実際にチェンマイの観光村で現地ガイドさんに伺った説をご紹介します。

 

<①虎から身を守るため説>

ある時、精霊の怒りに触れたカヤンの村に虎が送り込まれ、女性の喉笛ばかりを食い千切った。

よって、女性の喉を保護するために鉄の輪をはめた。

 

<②女性の他部族との恋愛防止>

特定部族内だけの美意識に準拠した身体改造を施すことで、他部族の男性と女性が交際・結婚し村から流出するのを防いだ。

 

<③女性の略奪防止>

北部の山岳民族の女性には美人が多く、誘拐からの人身売買により都市部で売春などのいかがわしい仕事を強いられることが多かった。

そうした悲劇を防ぐために、外部の人間が戸惑う姿になるよう幼少期から身体改造を施した。

しかし、今度はそれが物珍しく見世物として狩られるという問題が起きる。

 

<④シンプルに美しいと思うから>

単純に彼らの美意識にマッチしたから。

日本のお歯黒が今も一部の田舎ではやっているような感覚でしょうか。

 

<⑤経済的理由>

タイ北部においてカレン族の容姿は一大観光資源。

タイに住む首長族のほとんどはミャンマーからの難民であったり、タイの観光業者に手引きされ難民キャンプから出稼ぎとして観光村で土産物を作ったり売ったりしながら暮らしている。

村によっては差異はあるようですが、首にリングをはめている女性にはタイ政府から首長手当が支払われる。

難民である故に決められた村でしか暮らせない彼らにとって、観光収入を得ることは死活問題であるため商売道具として長い首を創る。

 

いかがでしょう?

真鍮の輪を首にはめても虎から身を守ることは困難であるように思えますが、③と⑤には実際にタイに行ってみると強いリアリティを感じます。

写真の女性は年配ですが、チェンマイの山岳民族の若い娘さんには確かに可愛らしい子や整った顔立ちの子が多いのです。

肌も一般的なタイ人よりも白くキメが細かく美しいといった印象を受けました。

 

引用元:https://search.yahoo.co.jp

このレベルの子がゴロゴロとは言いませんが、小さな村をブラブラ歩いているとチラホラいます。

まだ幼くほとんどノーメイクでこれだけ可愛いのですから、素晴らしいポテンシャルではないでしょうか。

 

⑤に関しては、タイという国そのものが貧富の差が激しく、今の時代でも物乞いがバンコクの路上に当たり前に座ってることからも納得です。

彼らは基本的に『マイペンライ』(気にしない・大丈夫)の精神で、日本人のように細かいことは気にしません。

ホテルでお湯が出ないとフロントのお兄さんに訴えても放置帰宅、朝食の時間にコーヒーしかなくてもニコニコしながらコーヒーと紅茶を交互に勧めてくれる人たちです。

国の計らいで重度身体障碍者には路上で宝クジを売る特権が与えられていて、バンコクでもチュンマイでもサイアムでもそうした方々が路上にシートを敷いてクジを売っているのを見かけます。

もし日本でそんなことを国の政策でしようものならば、『身体の不自由な人に何てことをさせるんだ!』『見世物にするな』と炎上待ったなしです。

しかし、タイの人々は政策を打ち出した前国王を非常に尊敬し、お寺に飾られた国王夫妻の肖像画や写真を仏像と同様敬い拝みます。

宝クジの話をしてくれたガイドさんも、それを素晴らしいことだとし国王の慈愛を称えていました。

タイ北部の観光産業に貢献してくれているから手当を払う、それを有難く受け取る。

そこで倫理的にひっかかる感覚は大半のタイ人にはないでしょう。

彼らは皆、キレイゴトの通らない貧困を身近な現実として理解しています。

 

首の構造

それにしても、子供の頃からリングをはめたくらいで人の首はああも長くなるものか?

仮になったとして、頸椎に障害が出ないのか?

彼女たちの首を見れば誰もがそうした疑問を抱くことでしょう。

しかし、実は医学的に首長族の首の構造を調べたところ、首そのものはさほど突出して長くなかったのです。

女児が5〜6歳頃から首に真鍮のリングをはめるのですが、このリングは実際にはコイルになっていて、子供の成長と共に巻き付けるコイルを溶接して増やしていきます。

するとコイルの上圧が下顎を平板化させ、下圧が鎖骨を沈下させることで肩の位置が下がり極端な撫で肩になります。

つまり――

× 首が長くなる

○ 肩が下がることで首が長く見える

ただし、だからといってそれが健康上良いこととは決して思えません。

カレン族の村で、後ろに切れ目の入ったコイルリングを装着してみたところ、驚くほど重かったのです。

あんなものを一日中(寝る時も)付けていたら、間違いなく肩が凝るのではないでしょうか?

鞭打ちの予防には有効ですが、毎晩寝違えそうです。

 

人間動物園という批判

国連難民高等弁務官事務所から、首長族の村が人間動物園さながらだという批判が上がり、ボイコットを呼びかける働きがありました。

日本国内でも一部の有識者はそれに賛同していたようです。

しかし、その観光収入で生活している方々も数多くいるのでボイコットが最善の方法とは思えません。

沖縄の基地問題と同じく、外の人間にはわからないそこで暮らす人たちだけの生活事情というものがあり、一概に善悪のジャッジを下すべきではないデリケートな問題なのです。

というか、本人たちは土産物を売りつつ適当に昼寝をしたりお菓子を食べながらお喋りしたりと、日本のオフィスで毎日残業を強いられ業務態度がどうこうと小うるさいことを言われながら働くよりも、よほど伸び伸びと楽しそうにしていたので大きなお世話という気もします。

首にコイルを巻く習慣にしても、強制されるわけではなく親が女児本人の意思を尊重した上で行っているそうで、実際ミャンマーの若い世代はリングをしない女性も増えています。

タイの首長族の女性のほとんどがリングをしているのは上述のような経済事情もありますが、現地の女性たちを見た限り若い世代はあまり無茶な身体改造はしていないように見えました。

 

其の8 サティ(インド)


引用元:https://gatotkaca.exblog.jp

夫への貞節の証としての妻の殉死。

そのあまりにも壮絶な実態とは?

 

生きながら焼かれる妻

サティとは、インドにおいて夫に先立たれた妻が殉死することをさします。

それだけでも驚くべきことですが、その殉じ方がまた恐ろしいのです。

なんと、夫を荼毘に付す燃え盛る炎の中に、妻が自ら飛び込み焼身自殺をするというもの。

ヨーロッパの魔女裁判でも火刑は苦しい死に方の一つとして非常に恐れられていました。

そんな死に方を、インドでは長い間多くの寡婦たちがしてきたということです。

この恐るべき慣習がいつ始まりどのように広まって行ったかは明確にはわかっていません。

インドには史書というものが極端に少なく、ヒンドゥーやバラモン教徒による古代インドの記録は存在しません。

ただし、ヨーロッパ人やアラブ人の記録にはサティ―に関する記述が見られ、紀元前4世紀のギリシア人は西北インドでサティの風習があったとしています。

 

サティの歴史

紀元前4世紀のギリシア人の記録より連綿と続いて来たサティに、外部からの待ったがかかり始めたのは17世紀。

17世紀のムガル帝国支配者で会ったムスリムは、野蛮な風習であるとしてサティに反対。

完全禁止は宗教的反目を恐れてしなかったものの、サティを許可申請制にしムスリムの女性たちに可能な限り説得させました。

 

18世紀の初めにはサティはほとんど行われなくなるものの、イギリス植民地時代の18世紀末以降ベンガル地方の都市部でブーム再燃。

19世紀になると条件付きで東インド会社がサティを非合法としましたが、件数は増大し社会問題となりました。

20世紀にほほとんど行われなくなり、現在では法律で禁止されています。

しかし、稀にですが今も慣行として行われているというから驚くより他ありません。

 

サティの推奨の背景

サティがインドで長く続いて来た様々な背景をいくつか挙げて行きます。

 

①男性社会と女性差別

インド社会は完全に男性中心の社会であり、宗教の教義も道徳観もほぼ男性に都合良くできています。

そのため女性には理想の妻=夫に献身の限りを尽くす貞淑な妻が求められます。

その究極の形がサティ。

 

②貧困

夫に先立たれた妻が生きていくのが厳しい。

夫がいない場合子供が養うことになるため、その負担を減らすことが肯定されます。

 

③財産相続問題

18世紀にサティが増えた理由の一つとして、女性に夫の財産相続権が認められたことが挙げられます。

夫側親族とすれば邪魔な寡婦がサティでいなくなれば、亡くなった男性の財産を親族で山分けできるということ。

進んでサティを行うような貞淑な嫁のいた家という世間体の良さもオマケについてきます。

上位カーストにおいて寡婦が不吉な存在とされたのも、恐らくはこの財産がらみかと思われます。

 

④歳の差夫婦が多い

ヒンドゥー同士の結婚はカーストなど制約が多いため、親同士が早い内に結婚を決めてしまうことが多いそうです。

30歳の夫に対して一番良いのが12歳の妻とされるなど、妻に絶対服従を求めるため女性の多くは早婚になります。

すると、年齢差から必然的に寡婦が増え財産だのなんだのとややこしい問題が起き始めます。

 

⑤宗教的価値観

女性は生涯ただ一人の夫に献身することが美徳とされているため、サティが増えた19世紀には再婚=堕落と考えられました。

再婚できない女性が一人生きていくには厳しい時代と社会であったため、夫親族に強要され実家にも帰れないとなればサティに身を投じるより他なくなるケースもあったことでしょう。

 

⑥神話

ダクシャの娘サティはシヴァと結婚するが、シヴァを嫌うダクシャはシヴァを祭儀に招かない。

怒ったサティは聖火に身を投じ死んでしまう

後にサティはパールヴァティーに転生し再びシヴァの妻となる。

***

この物語がインドでは夫を立てる模範的な妻の在り方とされていたため、サティの起源を女神サティに求めるものもいます。

 

いずれにせよ、必ずしも全ての女性が本心から自らサティを望んでいたわけではないことが窺い知れます。

親族の圧力・経済的事情などから薬物を盛られて無理矢理というケースすらあったようです。

 

まとめ

ここでは世界の強烈な風習・奇習のほんの一部をご紹介させていただいたにすぎません。

世界どころか日本国内にすら、まだまだこの数倍もの奇異な風習が存在するのです。

教科書で年号を暗記するための歴史の勉強は面白くもありませんが、こうした風習から辿っていくと世界史・日本史ともに興味深いお話がたくさん出てきます。

学校のお勉強からは逸脱した、自分自身が楽しむためだけのプチ歴史研究をあなたも楽しんでみませんか?



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