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【閲覧注意】日本で本当に使われていた残酷な拷問方法10選

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かつてこの世界には拷問という残酷で忌まわしい行為が当たり前に存在していました。

殺すことを目的とせずただひたすらに傷めつける見せしめ目的のものもあれば、自動的に処刑に移行するような致死性の高いものまでその種類は実に豊富です。

国際法で人権が手厚く保護されている現代では考えられないような、人の悪意の結晶を思わせる残忍極まりない拷問の数々。

恐ろしくおぞましいと同時に、医学的知識に則った合理的なメソッドには純粋な興味を掻き立てられるものです。

今の時代に実行すれば犯罪待ったなしですが、興味を持って『怖い物見たさ』を覗き見するのは個人の自由。

今回は日本に古来より伝わる拷問の数々をご紹介します。

 

拷問其の一 縄 捕縛


引用元:https://mag.japaaan.com/

我が国の伝統的な拷問の在り方は、大掛かりな装置や専用の拘束具を用いることなく身近な日常の道具を工夫して使うことにこそあります。

それは熟練の拷問吏と屈強な助手数名がいれば、いつでもどこでもプロの拷問が手早く行えることを意味していました。

中でもこれからご紹介する『縄』は、シンプルな道具一つで豊富なバリエーションを生み出す芸術的拷問文化の極致なのです。

 

捕縛のための緊縛

さて、一口に縛ると言ってもその目的は様々です。

単に捕縛した罪人を逃がさぬように拘束しておくだけならば、いわゆる縄抜けをされないように一工夫するだけで充分でしょう。

とは言え、ただそれだけのことにさえ「十文字」「上縄(かみなわ)「割菱(わりびし)」「下廻(げかい)」「返し鷹の羽」「注連(しめ)」「笈摺(おいずり)」など様々な趣向を凝らすのが我らの御先祖様たちなのです。


引用元:https://mag.japaaan.com/

こちらは東京国立博物館所蔵の『早縄掛様雛型』。

江戸時代に奉行の配下で働いていた同心(現場警察官のような仕事)が、捕縛術を学ぶために利用していました。

縛られる罪人の身分によっても縛り方が違ったそうなので、勉強する同心も大変です。

ちなみに日本では捕縛術は武術の一つとして存在していました。

これだけ見ると『なんだ拷問じゃないじゃないか』と思われることでしょう。

しかし、人間は自らの意思で動けぬままに数時間放置されるだけで、心身ともに相当キツイ思いをするものです。

これらの雛型のように縛り上げられたまま、真冬や真夏に石畳の牢屋に放り込まれて一夜を過ごすことを想像してみてください。

もともと身体が固かったり、同心の趣味で「背面合掌」などやられた日には、ものの一時間で嫌な汗が出ることでしょう。

 

拷問其の二 縄拷問 海老責め


引用元:https://trc-adeac.trc.co.jp/

捕縛縄から一歩進んで、罪人に恥辱や苦痛を与えたいとなればそれ用の縛り方が必要になります。

その一つでメジャーなものがこちらの『海老責め』です。

『海老責め』は完全に拷問としての縛りであり、目的は自供を引き出すこと。

手順は至って簡単で、罪人の額が足の爪先に着くほどに前屈させた状態で縄を掛ける――ただそれだけ。

これまたシンプルで効果のほどを怪しまれてしまいそうですが、実際やってみると『ストレッチで30秒やるにはアリだけど、それ以上は無理』だと実感できるかと思います。

これを受けた罪人は、緊縛一時間もすると海老のように真っ赤になって冷や汗を噴き、更に一時間後には全身が紫色から蒼白に変わるそうです。

蒼白まで行くと死ぬ可能性があるため縄を解いて休ませました。

加減がしやすいため拷問中の死亡事故が起きにくく、罪人が意地さえ張らなければ重篤な後遺症や傷痕を残すこともない上、血や肉片や骨片や脳症が飛び散らないので後始末も楽なコスパの良い拷問です。

 

拷問其の三 吊り 駿河問い


引用元:https://mag.japaaan.com/

『海老責め』をはじめとする縄拷問に屈しなかった強者のために用意されているのが『吊り』です。

罪人の手を背中に回して縛り、その手に吊るすための縄をかけて吊り上げます。

見た目は地味ですが、全体重が肩や腕にかかる苦痛は時間の経過と共に増していきます。

鉄棒にぶら下がってみるとわかりますが、鍛えていない普通の人間は10分で泣きが入るでしょう。

吊り方や放置時間によっては、脱臼や骨折も有り得る拷問です。

 

吊りのアルティメット『駿河問い』


引用元:http://www.twipu.com/

普通の吊りでは口を割らない頑固な罪人に対する究極形の吊りが『駿河問い』です。

江戸時代の駿府町奉行・彦坂光正によって考案された『駿河問い』は実に優秀な拷問であり、多くの罪人の頑固な口を割ってきました。

1742年に作成された公事御定書によりオフィシャルな拷問として非認可となったことからも、その過酷さが窺えます。

 

手順

①罪人の両手両足をそれぞれ縄で縛り、背中側でまとめた状態で吊るす

これによって罪人は身体を海老反り状態にし続けることを強いられ、この地点で相当の苦痛です。

この状態から更に苦痛を増すために、背中に重り石を乗せられることもありました。

しかし、ここまでの行為は前準備に過ぎず、『駿河問い』の真の恐ろしさはここから始まります。

 

②吊るした罪人を何度も同じ方向に回し、縄をコヨリ状に捩じってから手を離す

するとどうなるでしょう?

答えは簡単、罪人は縄の捩じれが解れるまで独楽のように勢いよく回転し、更に反動で逆方向にも回転するため延々回り続けます。

たかが『回すだけ』と侮ってはいけません。

回り続けることで生じた遠心力により、罪人の血液は身体の末端――この場合は頭と膝に集まります。

すると罪人の顔は真っ赤になって脂汗を流し、急激な血管の膨張による酷い頭痛と眩暈に苦しみながら口や鼻から血を噴いたそうです。

 

拷問其の四 穴吊り


引用元:https://motoretta.exblog.jp/

残念ながらイラストは海外のもので、縛りに何の工夫も芸術性もありません。

こちらの『穴吊り』は『日本の拷問』として取り上げますが、厳密には『日本でも盛んに行われていた拷問』と言えます。

拷問の主な対象者は隠れキリシタン及びキリスト教が禁止された後も日本国内に残った宣教師でした。

江戸時代初期17世紀、長崎奉行・今村伝四郎と曽我又左衛門により考案されたこの拷問は、その過酷さによって121名が殉教したとも言われています。

こちらも『駿河問い』同様残忍過ぎて後世には伝わらず、江戸においても非公認の扱いでした。

 

手順

①罪人を縛る

②地面に穴を掘る

苦痛を増すために穴の中に糞尿を入れることあり。

③罪人を穴に向かってに逆さに吊る。

頭に血が上って罪人がすぐに死なないように、コメカミや耳朶に血抜き用の傷をつけておきます。

 

手順……まさかのこれだけです。

あまりに簡単故、苦痛のほども大したことなさそうに思いがちですが、江戸で非公認になる拷問を嘗めてはいけません。

 

効果

拷問における効果とは、つまり罪人が受ける苦痛の種類を意味します。

『穴吊り』における効果は大別して二つ。

①頭に血が上る

頭に血が上った状態が長く続くと、頭が重い・頭痛・眩暈といった初期症状を経て意識混濁・目の充血・血管破裂を起こします。

それでも尚続けると、口や鼻から流血します。

いっそ早く楽になりたいと切望しても、コメカミや耳朶に漬けられた血抜き傷のためにすぐには死ねません。

拷問の目的はあくまで棄教させることであり殺すことではないため、このような『殺さない工夫』がなされました。

うっかり死なせてしまうと、過酷な拷問にも屈せず殉教したヒーローとして信者や反体制派の人間に祀り上げられてしまうので、幕府としては責めに屈して棄教した宣教師が欲しかったのです。

 

②内臓が上がる

内臓が上がると言われても、大多数の方にはピンと来ないのではないでしょうか?

普通に暮らしていたら余程の特殊性癖でもない限り、具合が悪くなるまで内臓が上がるような体勢を取り続けようとは思わないものです。

しかし、拷問目的で逆さ吊りにされた場合において、罪人をもっとも苦しめるのは自身の内臓かもしれません。

人間の身体の構造上、長く逆さに吊られると内臓がせり上がり横隔膜が圧迫されます。

私達は皆肺呼吸をして生きていますが、肺は横隔膜と肋骨が動くことで正常に働く器官です。

つまり、横隔膜が正常に動かないということは呼吸困難に陥ることを意味します。

『穴吊り』の前に罪人を縄で縛るのは、内臓が動いて横隔膜を圧迫することを防ぐためなのです。

 

拷問其の五 蓑踊り


引用元:https://murauchi.muragon.com/

『蓑踊り』は江戸時代の九州は島原で松倉重正・勝家親子が自国領民に対して行っていた、残忍極まりない拷問――もはや限りなく処刑に近い火刑です。

もともと島原は先代領主・有馬氏がキリスト教信仰を推奨していたため、キリスト教に対し寛容な土地でした。

ところが次代の松倉親子は幕府が廃教令を出したこともあり、領民相手に顔に焼き鏝を押し当てる、指を切り落とすなどの拷問を行い容赦なく棄教を迫ります。

おまけにこの親子、禄高不相応に立派な城――島原城など建て、相場の二倍以上と言われる重税を領民に課したのです。

当然、年貢を納められない村も出てきます。

そこで行われた地獄のような拷問・処刑が『蓑踊り』でした。

 

手順

①年貢の払えない村から人質の女子供を連れて来る

②蓑(藁で作られた当時の雨具・防寒具)を着せる

③一人の身に着けた蓑に火を付ける

➃火を付けられた農民が仲間に助けを求め駆け寄る

⑤蓑から蓑に火が燃え移り、最終的に全員火だるま

火のついた蓑を脱ぐことも出来ず熱さに駆け回り転げ回り悶え苦しむ農民の姿を、『蓑踊り』と揶揄し役人たちが笑いながら見物していたという記録が残っています。

この『蓑踊り』は後に年貢の払えない農民だけでなくキリスト教信者に棄教を迫るためにも使われましたが、仮に棄教を申し出ても大火傷を負って手遅れになることがほとんどであったそうです。

ビジュアル的にもキツイこの拷問の恐ろしさに、農民たちは震え上がり長く逆らうことができませんでした。

 

その他

松倉親子はこの他にも様々な拷問を行っていました。

水責め・指ツメ・穴吊り・針刺し・烙印・木馬責め。

雲仙岳地獄谷に信徒を裸で経たせ背中を斬り、傷口に熱湯を注いだり浸したりして殺したという具体的な記録もあります。

ここまで来ると、棄教を迫るとか反省を促すというよりも、もはや死んでもOKを前提とした見せしめ拷問と言えるでしょう。

余談ですが、島原では暴君の圧政に耐えかねた民衆が一斉蜂起、江戸時代最大の乱『島原の乱』へと発展しました。

乱の責任を問われた藩主松倉勝家は、武士でありながら切腹を許されず斬首刑に処されたのです。

 

拷問其の六 石抱き


引用元:https://japaneseclass.jp/

江戸時代の代表的な拷問であり、公式認可されていた四つの拷問の内の一つです。

時代劇などでも登場回数が多いため何となくご存じの方も多いのではないでしょうか。

この拷問を受けるのは、主に奉行所に連行された罪人でした。

 

手順

①算盤板板と呼ばれる幅10㎝高さ7㎝の三角形に切った角材を敷き詰め、その上に罪人を正座させる。

②罪人を庇受柱(ひうけはしら)と呼ばれる木の柱に縛り付ける。

逃亡防止と同時に、責めが進み胸部が圧迫されることによる呼吸困難を防ぐために胸を反らした姿勢を保持させます。

③太腿に責め石と呼ばれる一枚50キロの石板を乗せる。

 

効果

三角形に切り立った角材の上で正座するだけで辛いというのに、その上からどんどん重しが追加され角材の尖った部分が肉の薄い脛に食い込むのです。

あまりの苦痛に失神する罪人も多かったと言われています。

また、耐えた所でやがては血流が悪くなり鬱血を起こし、鼻や口から血を流し意識混濁、仮死状態にまで至ります。

そのため、うっかりやり過ぎて殺さぬように医者が同伴し、これ以上は危険と判断したら拷問を中断しました。

ほとんどの罪人は2〜3枚で音を上げたそうですが、中には9枚を耐え抜き口を割らなかった木鼠吉五郎なる強者もいたことが記録に残っています。

重量450㎏の責め石に複数回耐える……窃盗容疑で捕らえられたそうですが、一体何が彼をそこまで耐えさせたのでしょうか?

冤罪であったにしても、普通の根性ではありません。

 

拷問其の七 牛裂き


引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/

こちらは本来拷問ではなく処刑にカテゴライズされるべきものです。

では何故ここで取り上げるのか?

それは、この処刑方が凄まじい苦痛を伴いながらもすぐには死ねず、最終的には首を刎ねることが多かったからです。

つまり、殺す前にたっぷりと恐怖と苦痛を味あわせる末期の拷問という括りです。

 

手順

①罪人の両手・両足と、2頭または4頭の牛の角戸を縄で繋ぐ

2頭の場合は罪人の足のみを縄でくくりました。

②牛に負わせた柴に火をつけ、興奮状態にした牛を四方に走らせ罪人の身体を引き裂く

 

効果

ひ弱な人間の身体を2〜4頭の牛が引っ張るのだから、簡単に引き千切れて絶命するように思えますが事実は違います。

まず、力学的にキレイに四つ裂きにするならば均等のスピード・パワー・タイミングで四方向に引かなくてはいけません。

しかし、息の合った熟練ドライバーが運転する車ならまだしも、牛にそんな芸当ができるでしょうか?

しかも背負った柴に火をつけられて(これも動物虐待です)めいめい勝手に興奮してしまっているのですから、牛使いの指示など聞くわけがないのです。

すると罪人はどうなるか?

まず手足の関節が全て外れ、腱や靭帯が伸びきって通常では有り得ないほどに手足が引き伸ばされブラブラになります。

靭帯や腱も私たちが思うほど簡単には切れません。

繊維に添って平行に引っ張られると驚くほど伸びます。

スポーツ選手などがよく靭帯を切りますが、あれは引っ張られて切れたのではなく捩じれたところに大きな力が加わるから切れるのです。

そういった事情から、最終的には首を刎ねて罪人を殺すことが多かったようです。

ちなみにフランスでも国王暗殺未遂犯ダミアンが、処刑人サンソン家の二コラとシャルルによって牛裂きならぬ馬裂き(八つ裂き刑と呼ばれる)に処されていますが、牛が馬に替わってもやはり人体はそうそう簡単にバラバラにはなりませんでした。

シャルルがダミアンの四肢の付け根に鋏をいれてようやく片足・片手ずつもげていったそうです。

 

拷問其の八 火頂


引用元:http://freebies-db.com/

火を使った拷問は世界中にあります。

こちらでご紹介する火頂もその一つであり、日本中国など主に東洋で行われてきました。

やり方は至って簡単で、真っ赤に熱した鉄鍋や兜、鉢や冠を罪人の頭に被せるだけ。

『火頂』という名前は文字通り『火を身体の頂きに乗せる』ことを意味します。

ただし、『火頂』を被せられた罪人はあまりの熱さのために頭蓋骨が砕けてしまうことが多かったため、使用は短時間、もしくは恐怖心をあおるために見せつけることが大半であったと考えられています。

 

日本における『火頂』の歴史

我が国ではかなり古くから『火頂』が行われていたことが記録されています。

有名なのは日蓮宗の日親上人です。

彼は室町幕府六代将軍・足利義教を日蓮宗に改宗させる運動を起こして投獄され、『火頂』の拷問を受けました。

この時に被せられた鍋が上人の頭から生涯外れず、彼はそのまま説法を続けたとされ『鍋かぶり上人』の伝説が生まれました。

実際医学的に考えて、人の頭から鍋が取れなくなるものかどうかは疑問ですが、焼けた鉄鍋を被せられたことで頭髪や頭皮が焼けただれ、しばらくそのまま放置されたとしたら多少の癒着はするかもしれません。

ちなみにこの方、寒い時期に自ら池に入って修行したり、毎日一枚ずつ自分で生爪を剥がしながら修行したりとセルフ拷問の記録も激しいです。

 

拷問其の九 五寸釘


引用元:https://chiebukuro.yahoo.co.jp/

いきなり『五寸釘』と言われても何のことやらと思われるでしょう。

しかしこの大工道具、結構な頻度で拷問に用いられてきました。

コスパも良く携帯にも便利、汎用性も高い優れものなのです。

もっとも大工道具と言っても、五寸=15.15㎝もの特大サイズが普通の建築現場で使われることは少なかったとも言われています。

 

使用法いろいろ

①とりあえず人体にぶっ刺す

②釘の先端を爪の間に差し込み、そこを金槌などで打ち込んでいく

丁度釘がクサビのように爪と指の間に入っていき、最後には生爪が剥がれます。

③罪人の手足を板に打ち付ける磔刑

『板張り付け』の刑が中世日本の拷問に実在。

➃掌・足の甲に打ち込み蝋燭を立てる

蝋燭から次第に蝋が滴り、釘で裂かれた傷口が直接焼かれます。

 

土方歳三の拷問

五寸釘を用いた拷問を有名にしたのは、新選組副長・土方歳三によるところが大きいでしょう。

別名『鬼の副長』と呼ばれた土方の拷問は苛烈を極め、同じ新選組隊士たちからすら恐れられていました。

土方が長州間者の元締め古高俊太郎に行った拷問の一つが、『五寸釘の使い方④』です。

古高は二階から逆さ吊りにされ足の甲から五寸釘を打たれ、貫通した足裏の釘に蝋燭を立てられ数時間で自白したと言われています。

当時の蝋燭が融点の低い和蝋燭であることを差し引いても、振り散らすのではなく塊でドロリと落ちる蝋が傷口をダイレクトに焼く苦痛はかなりのものでしょう。

日本では五寸釘だけでなく、鋸・やっとこ・金槌など大工道具が拷問用具として活用されました。

 

拷問十 水磔・潮責め


引用元:https://mag.japaaan.com/

棄教しない隠れキリシタンに対して多く行われた拷問(棄教しなければそのまま死刑)がこの水磔です。

満潮時に頭上まで海水が来る位置に設置した磔台に罪人を括り付け放置します。

これまで紹介してきた拷問のように最初から激しい苦痛を伴うものでないのは、時の経過とともに徐々に潮が満ちて来る恐怖の中で、罪人が自ら棄教を申し出るよう仕向けるためです。

棄教さえすればそう酷い苦痛や身体的な後遺症を残さないと言う意味では、『火頂』や『蓑踊り』に比べ良心的な拷問と言えるかもしれません。

ただし、意地でも棄教しない信者にとっては、ジワジワと溺死する処刑前提の拷問となります。

また、より厳しい責めを行う際には逆さ磔にしていたそうです。

こうなると、『穴吊り』同様頭に血が上るので早い段階から強い苦痛を伴います。

類似した拷問では、砂浜に罪人自ら穴を掘らせ首だけ出して生き埋めにし、満潮を待つタイプの潮責があります。

こちらは極道の制裁などで使われていたようです。

 

拷問其の10 遊女への折檻


引用元:https://edo-g.com/

江戸時代にはあちこちに華やかな遊里があり、そこには着飾った遊女たちが蝶のように行きかっていました。

しかし、見た目の華やかさとは裏腹に彼女らの日々の暮らしは決して楽なものではありませんでした。

足抜けとよばれる脱走は大罪であり、その他にも放火・窃盗・職務怠慢・朋輩(同僚)との喧嘩・客とのトラブル・阿片吸引・廓内での密通・心中未遂など様々な事柄が処罰の対象となります。

この処罰には、折檻と呼ばれる体罰も数多く存在しました。

ただし、体罰といっても遊女は楼主にとって『商品』なので顔や体に痕になる傷をつけることは基本的に避けたいところ。

そこで犯した罪のレベルに応じ『傷痕を残さずに苦しめる』方法が考案されました。

遊女たちを思いやってではなく、あくまでも商品価値を下げないために。

 

レベル1 おろし

上位の遊女が営業努力を怠っている。間夫にばかり入れ上げていると楼主に見なされた場合などに行われる降格。

これだけ聞くと大したことがなさそうですが、遊郭は遊女同士の激しい競争原理と嫉妬で成り立っているような場所です。

昨日までの上位ランカーが墜ちたとなれば、ここぞとばかりに意地悪をして来る者、掌を返す者が続出することは想像に難くありません。

また、降格とは即ち稼ぎが減ること=借金返済が遅れ年季が伸びるということなので、長期的な目で見れば肉体を苛まれていると言えるでしょう。

 

レベル2 食事抜き

遣り手に口答えをした、朋輩とちょっと喧嘩をしたなどの軽い罪へのお仕置き。

とはいえ、夜遅くまで客の相手をして朝風呂・食事・姐女郎に言いつけられた用事・昼見世・懇意の客への手紙作成などで慢性的に寝不足な上に、白飯一杯に味噌汁漬物程度の粗食で暮らしている遊女たちにとって、『飯抜き』を数日にわたって食らうことは結構な痛手であったことでしょう。

特に育ち盛りの十代の禿や若い遊女にとっては間違いなく折檻です。

 

レベル3 布団部屋

身動きできぬように縄で縛られ、布団部屋に転がされます。

もちろん水や食事は与えられません。

通気性も悪い納戸のようなものなので、季節によっては相当きついと思われます。

 

レベル4 くすぐり責め

一人の遊女を大勢の遊女たちが押さえつけ、寄ってたかってひたすらくすぐります。

たかがくすぐりと侮るべからず。

一見女の子同士のおふざけのような絵面ですが、くすぐりも限界を越えると呼吸困難を引き起こし非常に苦しい思いをします。

くすぐりの陰湿さは、責め手を敢えて仲間の遊女にやらせることにあります。

先にも述べましたが妬みと競争原理の世界である上に、皆それぞれに多大なストレスを抱えている職場であるため、たとえ明日は我が身であってもそういったガス抜きの機会があれば奮って参加する者も多いのです。

殺傷力のない折檻だけに、嫌悪感や罪悪感をあまり持たず気軽に参加できてしまえるのもポイントでしょう。

また、痕が残らないため遊女同士の集団リンチとして生意気な新人などに対し行われることもあったそうです。

 

レベル5 蚊責め

遊女を裸にして庭の木などに括り付け、一晩放置して蚊に刺させます。

縛られる苦しさ、蚊に刺される痒さ、そして仲間の遊女や客の目に晒される屈辱感による折檻。

蚊責めに限らず、裸にして木から吊るしたり縛りつける折檻が多かったようです。

顔など刺されまくったら目立ちそうな気もしますが、白塗りメイクだと案外隠せるものなのかもしれません。

 

これと同レベルの責めには、針責めなどもあります。

針で刺されるのですから当然強い苦痛はあるものの、傷跡は文字通り『針の穴程』というわけです。

これを爪の間や内腿など目立たない場所に押さえつけて刺します。

 

レベル6 水責め

水責めには何種類かありました。

裸にして縛り上げ、梁から吊るして水に漬けては窒息寸前で引き上げることを繰り返すもの。

裸にして庭木に麻縄で縛り付け、冷水を桶で掛け続けるもの(麻縄は濡れると締まります)。

このあたりが知られています。

真冬に井戸水など掛けられたらショック死しかねない気もしますが、縄痕がしばらく残る以上の傷跡ができないように考えられてはいます。

 

レベル7 吊るし・叩き

顔や体に目立つ傷をつけないことが遊女への折檻の原則でしたが、犯した罪が足抜けや放火など極めて重大であった場合はその限りではありません。

特に放火は『八百屋お七』でもわかるように初犯で火炙りに処されるほどの重罪なので、拷問と遜色ないレベルの折檻が楼主によって行われることも少なくありませんでした。

待ち合わせに使われる秋葉神社の灯篭に裸で縛り付けられ1〜3晩人目に晒された後、縛り上げられ梁から吊るされ、竹笞(先を割った青竹)で失神するまで打ち据えられます。

時には先に挙げた『駿河問い』を受けながらの笞打ちもあり、これを廓では『つりつり』『ぶりぶり』と呼んでいました。

叩きには仲間の遊女を集めての殴打もあり、この場合一撃が軽く失神出来ないためなおさら凄惨なことになります。

 

まとめ

西洋のものと比べると些か地味な日本の拷問ですが、こうして並べてみるとそれぞれ工夫がなされています。

特に縄のバリエーションに関しては、考えた人間の偏執的な拘りにある種の愛すら感じないでしょうか?

世界一宗教に大らかとも言われている日本において、拷問のメソッドを確実に数段階アップさせたのが廃教令による隠れキリシタン狩りであったことは少し意外な気もしますが、宗教的な問題というよりむしろ政治的な問題であったためと考えれば納得です。




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