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人類史上最も偉大な発明ランキング(紀元前・中世・近代・現代)

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歴史を変えた3大発明と言えば火薬、活版印刷、羅針盤が知られていますが、日常生活で当たり前に使用しているものでも「これって何をきっかけに生まれたんだろう」「いつできたものなんだろう」とふと気になることがありますよね。

発明には技術によって誕生したものの他にも踊りや詩といった概念的なものも存在しますが、今回は人類が生み出した数多の科学技術的な発明の中から後世に与える影響が大きかったものを、古代・中世・近代・現代と誕生した時代ごとにランキングで紹介していきます。

 

紀元前にされた偉大な発明

起源前に人類が発明して物で代表的なのは石器でしょう。石器は紀元前260万年にはたまたま拾った石としてではなく、既に加工された道具として使用していたと考えられており、人類最古の発明品でもあります。

以下に紀元前の古代の時代に人類が発明したものの中から、偉大なものを5つ紹介していきます。壁画や出土品からおよそこの時代には発明されていたと判明したものばかりですので発明の手段や正式な誕生時期は不明ですが、古代人の閃きと知性の高さに驚かされますよ。

 

5位 麻酔

古代人が何らかの理由で他人の気を失わせる必要があったらどうすると思うか?と尋ねられら、殴って気絶させた、と答えたくなりますが実際はもっと高度な方法をとっていたようです。エジプトやアッシリアでは、紀元前2000年頃には手術をする前に患者の頸動脈を左右から同時に圧迫して、脳への血流を滞らせることで意識を失わせていたという記録があります。

またエジプトではアヘンに鎮痛効果があることが知られており、紀元前1500年前にはアヘン製造が行われていたことも文献により判明し、アッシリアではベラドンナや大麻、マンドレイクの根を調合したものを鎮痛剤として使用したことが分かっています。

このように人間が痛みを感じるメカニズムは古代にある程度把握されていた可能性があり、これを取り入れたギリシャ人やローマ人がさらに発達させ、18世紀後半にはイギリスの外科医であるジョセフ・プリーストリーによって亜酸化窒素の分離に成功したことで近代的な吸入式の麻酔薬が誕生しました。

 

4位  裁縫の技術

引用:https://earlychurchhistory.org

これまでに発見された裁縫針のうち最古のものは旧石器時代の紀元前2万5000年頃のもので、象牙や動物の骨に糸を通す穴が開いたものがフランス南西部やロシアのモスクワ近郊で出土しています。これらの一部は狐や兎の骨のそばで発見されているため、毛皮を縫うのに用いていた可能性もあります。

人間が衣服を発明したのは紀元前40万年ほど前ではないかと推測されていますが、その頃は毛皮や葉っぱを体に巻き付けるだけの極めて簡素なものでした。

針や裁縫の技術が発明されてから衣服には断熱性と快適さが求められるようになり、紀元前2000年~800年の青銅器時代には金属の針も発明されました。この頃になるとエジプトやインドでは刺繡の技術も確立されており、中国でも絹に縫い取りがされた衣類が作られています。

その後16世紀に繊維工業の機械化が始まり1830年代にミシンが登場するまでは、針と糸を使った裁縫の技術が衣類を作る主な手段でした。

 

3位  アルコール飲料

新石器時代のものと思われる壺よりアルコール飲料と思しきもののカスが検出されたことから、紀元前6000年前には人々はアルコールを楽しんでいたのではないかと推測されています。

発酵に使われたと思われる壺は東南アジアや北アフリカでは多数見つかっており、古くから食事や祝い事の席以外でも宗教的な儀式の場などで使用されていたとされ、文献などが残っていないため人々がどのようにアルコールを発見したかは不明ですが、水と果物を壺に入れて放置していたら発酵が進んだといったように偶然発明されたのではないかと考えられています。

その後紀元前5000年にはメソポタミアやエジプトでビールが作られるようになり、アルコールを消費することは富裕層のステータスとなっていきました。中世には水が汚染された時にも飲めるようにと蒸留酒が流通するようになり、1700年代にウィスキーやジン、ラムも誕生してアルコールは今日のように一般的な飲料になっていきました。

 

2位  金属加工技術

人類が金属を加工して使用し始めたのは紀元前8700年頃と考えられており、イラク北部からこの時代に作られてと思われる銅を加工したペンダントが発掘されています。

鉱石から金属を抽出する技術は紀元前5000年頃には発明されており、銅鉱石を溶かして銅を取り出していました。その後、紀元前4000年頃には金が使われるようになり、銅にヒ素を加えたヒ素銅が作られるようになり、これが合金の始まりと考えられています。

しかしヒ素銅には毒性という欠点があり、銅よりも硬度があったものの作成の過程や使用には代償が伴い、人体に様々な悪影響を及ぼしました。古代の文化では鍛冶の神様を肢体不自由として描写することが見られるのですが、これはヒ素の持つ毒性を表したものと考えられています。ちなみに代表的なものとしてはオリュンポス12神である炎と鍛冶を司る神、ヘパイストス(足が不自由とされる)が挙げられるでしょう。

その後、紀元前3000年頃にはスズと銅を混ぜて青銅が作られるようになり、やがて交易によって青銅とその作成技術が広く知られるようになったことで武器や防具、装飾品といった様々なものが作られるようになりました。

しかしスズの入手が困難になったことなどが原因で青銅の利用は縮小していき、紀元前2500年頃にアナトリアで発明されたと推測される製鉄の技術が、青銅の代替品として広く普及していくようになったと考えられています。

 

1位  車輪と車軸

メソポタミア南部にあった古代都市、ウルクで発見された紀元前3200年頃のものと考えられる絵文字には車輪のつたソリが描かれており、この頃には既に車輪と車軸が発明されていたことが判明しています。

最古の車輪は厚い板を2,3枚重ねて釘を打って円形に切っただけの簡素なもので、車軸の両端にこの車輪を付けるだけでものの移動は相当に楽になり、メソポタミアでは荷車、馬車、2輪戦車などが生み出されました。

車輪の発明は同じくメソポタミアで紀元前3500年頃に誕生したろくろの動きにヒントを得たものと考えられてきましたが、コーカサス北部から車輪が、ポーランドでは車輪を描いた土器が発掘されており、これらはともに紀元前3500年頃のものと推定されるため、車輪の誕生の地というのは一つではなく時を前後して複数の地で発明されたという可能性も示唆されています。

 

中世の偉大な発明

ローマ帝国が隆盛した紀元前44年から2世紀までの間、そして中世には様々な発明品が誕生しました。また発明の舞台もエジプトから中国、ヨーロッパへと広がりを見せていきます。

以下に中世の時代に人類が発明したものの中から、偉大なものを5つ紹介していきます。

 

5位  紙

現在存在が確認されている最古の紙は紀元前150年頃のものと推定される前漢時代の地図が記されたものですが、製紙の技術を確立したのは105年頃に中国の朝廷に仕えていた役人の蔡倫であったと考えられています。

木の繊維かや小枝の茎を樹皮と混ぜ合わせてから何度もたたき、織布の上に注いで薄く伸ばすという工程に改良を加えたことで蔡倫は薄くて携帯性に優れた繊維の混合シートを生み出しました。中国の王朝ではこの発明を門外不出にするように取り計らったため、7世紀の初めになるまで日本や朝鮮半島でも製紙技術は姿が見られませんでした。

しかし751年にタラス湖畔の戦いの最中にアラブ側が中国の紙商人を捕虜にしたことで、蔡倫の確立した製紙技術はたちまちアラブ中に広まり、12世紀ではヨーロッパに伝わったことで羊皮紙と紙との間で主導権争いが起こるようになります。

この争いも15世紀に活版印刷技術が誕生すると薄くて扱いやすい紙が重宝されるようになり、出版には紙が使用されるようになりました。紙の誕生は識字能力の向上にも大きく貢献したとされます。

 

4位  アラビア数字

1202年にレオナルド・ピサノが独創的な研究書『算盤の書』を出版したことで、これまで使用されてきたローマ数字に代わってヨーロッパにアラビア数字が広まるようになりました。

ローマ数字は各数字を表す単純な線と10を表す特別な記号を組みわせた数字に、数字の頭文字を加える数記法で記されますが、アラビア数字は1桁の数字は記号で表され、数の大きさはその記号が何列目に置かれるかで左右されるという十進法で表記されます。

アラビア数字の最古の記録は紀元前3世紀に遡りますが、現在のように位取りをする表記がなされたのは7世紀のアラブ世界であり、アル=フワーリズミーなどの数学者が記録を残しています。

その後15世紀に印刷機が発明されると、記号の組み合わせが単純で印刷技術と相性の良いアラビア数字が普及するようになり、数世紀後には世界標準として使用されるに至りました。

 

3位  レンズ

最古のレンズの遺物は紀元前640年頃の水晶製のレンズで、イラクで出土しています。この頃のレンズは円形で中央が周辺部より分厚くなっている凸レンズで、古代ギリシャでは教会の点火などに利用されていたと考えられています。

しかしレンズが何故光を集めるのか、光を屈折させることができるのかといった仕組みについては解明されておらず、後にイラク人のイブン・アル=ハイサムが著作『光学の書』(1011年~1021年)の中で光線が直進することを証明し、人間の眼のレンズがどのようにして網膜上に画像を映すのかを解き明かしたことで、レンズを用いた光の科学が確立されました。

イブン・アル=ハイサムはピンホールカメラを利用した数々の実験も行っており、この結果は写真機を作る技術だけではなく、13世紀以降に作られる視力矯正用の眼鏡の発明にも貢献したとされます。

 

2位  火薬

火薬が発明されたのは800年頃の中国で、錬君術師が粉にした硝酸カリウムに炭と硫黄を75・15・10の割合で配合したことで誕生したとされます。

黒色火薬として知られるこの火薬は片側が閉じた筒に入れて火にさらすことで爆発を起こし、物を遠くに飛ばすことができることから、中国人は硝酸の配合を変えることでロケットなどの燃料にできないかと火薬を使った実験を繰り返しました。

しかし13世紀に火薬の知識がアラブに広まるとたちまち軍事目的の利用が中心となり、竹筒を鉄で補強した銃と組み合わせたり、燃焼速度をコントロールするためにサイズが均一で粒の大きい火薬が製造されるようになります。

19世紀後半にニトロセルロースに取って代わられるまでは黒色火薬は銃器の火力として使用され、一時期は火薬ほど人類に不幸をもたらした発明は無いとまで評されていました。

 

1位  活版印刷技術

活版印刷のもととなる活字印刷の技術は、11世紀の中国の宋の時代に粘土板に漢字を彫り、それを並べて印刷したものが最初と考えられています。26文字のローマ字の組み合わせで文章を作ることができる西洋とは違い、この中国の印刷方法では500以上の漢字を彫った粘土を用意する必要がありました。

この時中国で誕生した技術は言語の違いや、粘土の耐久性の低さといった理由によりヨーロッパに伝播されることがなく、一般的には活字印刷の技術を確立したのは15世紀のドイツで、金属加工職人であったグーテンベルグによる発明とされています。

グーテンベルグの開発した印刷機は大量印刷にも耐えることができ、また印刷所を自ら経営することで活版印刷の父として知られるようになっていったのです。

彼は自らの印刷技術の宣伝をするためにヴルガタ聖書の印刷に取り組み、これは印刷された初の聖書として後にグーテンベルグ聖書とも呼ばれるようになりますが、当時の価格はなんと紙製のもので1冊400万円相当であったらしく、プロモーション活動として出版されたものとはいえ、安価で手軽に誰でも知識を得ることができるという印刷物のイメージからは遠く離れた価格設定でした。

 

近代の偉大な発明

19世紀の前半には蒸気や電気といったエネルギーが使用されるようになり、交通手段や医療、料理に至るまで様々な分野で目覚ましい進歩が見られました。

以下に近代に人類が発明したものの中から、偉大なものを5つ紹介していきます。

 

5位 輸血技術

引用:http://www.kumc.edu

輸血の技術が誕生したのは19世紀のロンドンでのことで、産婦人科医であったジェームス・ブランデルが産後の出血に苦しむ女性を救う方法として思いついたのが始まりとされます。

ブランデルは1816年に犬と猫を使った実験を行い献血者と受血者は同種でなければいけないことを発見し、1818年には胃がんを患っていた男性に数人のドナーの血液400ccを輸血するという治療を施しました。

男性は一時回復したものの処置から56時間後に死亡が確認され、この原因を輸血に時間がかかりすぎたためと考えたブランデルはじょうごとポンプを使ってドナーの血液を集めて患者に献血する、インペラーという装置を発明します。

しかしこれを用いても輸血の成功率は低く、ABO血液型の不適合で輸血がうまくいかないということが解明されるのは1900年にウィーン医師、カール・ランドシュタイナーが血液型の存在を発見してからでした。

ランドシュタイナーは4つの血液型を発見した後に、これを応用すれば安全に輸血ができると提案しましたが、人間の病気の内服薬に他者の血液を用いるのは狂気じみているといった批判も当時の医学界では根強くあり、彼の考えは10年以上も日の目を見なかったといいます。

 

4位  鉄筋コンクリート

鉄筋コンクリートが広く知られるようになったのは1860年代のことで、フランスの庭師であったジョセフ・モニエールが鉄筋コンクリートで強化された植木鉢を発表したことが切っ掛けとされます。

コンクリートを金属で補強することを思いついたのはモニエールが初めてではなく、先に同じくフランス人のジョゼフルイ・ランボが技術を開発していたのですが、特許の出願をしたのがモニエールであったため彼の発明であると認められているのです。

モニエールが特許を取った設計によって構造用鉄筋コンクリートの原理は確立され、それまで無筋であったために造ることができなかった構造物、例えばセメント製の橋や歩道橋といったものが生み出されるようになっていきました。

 

3位  電話

引用:http://americanhistory.si.edu

電話は1876年代にエジンバラ生まれの科学者、アレクサンダー・グラハム・ベルにより発明されました。当時すでに長距離での連絡を取る手段として電信は使用されていましたが、ベルは1度に1つのメッセージしか送れない点に軽量の余地を見出していました。

当初ベルは高低の異なる複数の音を使用することで一度に多量のメッセージを送る方法を考えていたのですが、この研究中に会話そのものを送信するという高度な技術を思いついたとされます。

このことについては当時複数の研究チームが電気を用いた音声送信技術の開発に取り組んでいたため、いまだに議論が分かれていますが、電話を実用モデルとして発表したのはベルであり、彼はなんと20代のうちにこの研究を発表したのです。

電話を発表した翌年の1877年にはベル電話会社が設立され、その10年以内にはアメリカで約15万世帯が電話を所有するようになり、またたく間に長距離通信の手段として世界中に伝わっていきました。

 

2位  動力飛行機

引用:http://www.wright-brothers.org

ライト兄弟が持続飛行できる最初の有翼飛行機を建造したのは1903年12月7日のことです。彼らが造ったガソリン動力複葉機“ライト・フライヤー号”は、初回の飛行では僅か12秒間しか滞空できなかったものの、同日中に行われた4回目の飛行では兄のウィルバーを乗せたまま59秒間空中にとどまり、260m滑空することに成功したのです。

自動車製造業者であった兄弟は、1900年代にグライダーを造って以降テスト飛行と改良を繰り返し、機体の上下方向の動きを制御する昇降舵や、左右の振り幅を制御する方向舵などの制御システムを開発していきました。

その後に独自のエンジンやプロペラを設計することで動力飛行ができる機体を発明、エンジンの改良を繰り返すことで1905年には“ライト・フライヤー号”は1回の飛行で38分間も滞空できるようになったといいます。

 

1位  蒸気機関

蒸気機関の技術は1710年代より、炭坑内から水をくみ上げることを主な目的として使用されていました。スコットランドの技師、ジェームス・ワットは1765年に蒸気機関を使った最初の実用モデルを考案し、彼が発明した分離凝縮器つき蒸気機関は蒸気動力の発展のうえで最も大きな功績を持つと考えられています。

ワットはシリンダーの外にあるコンデンサー内で蒸気を凝縮して、シリンダーの作業温度を一定に保つことや、複動機関を設計を設計することで蒸気の利用効率を一気に高めることに成功しました。

そしてこれを切っ掛けに1799年にはリチャード・トレシビックが高圧下の蒸気で駆動する最初の機関を作り、1800年にはロバート・フルトンが蒸気船を、1814年にはスティーブンソンが初めて実用的な蒸気機関車を開発。蒸気機関は安定して供給可能な強力な動力として、第一次産業革命を支える重要な技術になっていきました。

 

現代の偉大な発明

1990年代に入るまでインターネットという言葉は誰も知りませんでした。しかし基となるものはかなり前に発明されていたりと現代の生活に欠かせないものの中には意外な歴史を持っているものも珍しくありません。

以下に近代に人類が発明したものの中から、偉大なものを3つ紹介していきます。

 

3位 人工衛星

引用:https://www.rbth.com

人類が宇宙への一歩を踏み出したのは1957年10月4日。ソビエト連邦(現在のロシア)が初の人工衛星、スプートニク1号を発射した日です。

スプートニク1号は窒素を満たしたビーチボール程度の大きさの球体で、地球を96分かけて周回してアンテナを使って地球に情報を発信しました。そして同年の11月にはライカ犬を搭乗させたスプートニク2号が打ち上げられ、ソ連と米国との宇宙開発競争が激化していきました。

米国は航空宇宙局・NASAを設立して宇宙開発に巨額の資金を投入、それを追うように40ヵ国もの国々が独自の人口衛星を飛ばすようになり、現在では約3000機の使用可能な人工衛星とその倍以上の宇宙ゴミが宇宙を漂っていると推測されています。

また現在運転している人工衛星の多くは地球の周りを周回しており、宇宙研究、天気予報、電話番号発信、テレビ放送、軍事活動など様々な用途で使用されています。

 

2位  インターネット

世界で初めてコンピューターネットワークが確立されたのは1969年のことで、米国国務省によって創設された硬度研究計画局(ARPA)のユニットが開発しました。

当時の米国はソビエト連邦による核攻撃の脅威にさらされており、様々な場所にあるコンピューターを研究者が電子的ルートを使って繋ぎ、遠隔地でも情報共有ができるようにすることで、核による攻撃を受けた場合でもシステム全てがダウンすることを防ぐという狙いがあったのです。

そして1950年代後半にAT&T社が開発したモデムを通してデータが電話番号に変換され、更に小分けしたデータにラベルを付けてネットワークを通して機械の間でやり取りができるパケット通信が1960年代には生み出されました。

これをもとに情報が送られる経路を切り替えることができる機能をポール・バランが提案し、1969年にアーパネットという呼称で新しいネットワークが稼働するようになったのです。

1970年代に入ると核の脅威も薄れ、アーパネットはインターネットと名称が変わって一般的にも普及していくようになりました。

 

1位  パーソナルコンピューター

コンピューターの歴史上で最も革新的な設計が発表されたのは1973年。この年にゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)が制作したアルトという名前のコンピューターこそ、現在普及しているパーソナルコンピューターの礎になったもとされています。

アルトはキャビネット、モニター、キーボード、マウスを備え、ウィンドウやクリックできるアイコンを持つ世界初のグラフィック・ユーザー・インターフェイスで構成されていました。

主に研究用に制作されたものであるために研究室に収まるよう小型でありながら、機械間での情報共有ができるなど優れたユーザビリティを持つこのコンピューターは、ゼロックス社によって様々な研究機関に無償で貸し出されたことも手伝い、以降に開発されるパーソナルコンピューターの設計基準となったといいます。

このことからゼロックス社のアルトを制作したチームはコンピューター開発の黄金期の切っ掛けを作ったとして、2004年に工学技術の最高栄誉とされるチャールズ・スターク・ドレイパー賞を授与されました。

 

まとめ

優れた知能と行動力を持った先人の手で生み出された数々の発明品は、我々の生活を豊かなものにしてくれました。

しかしその反面、ルーズベルトに原子力研究の重要性を訴えていたアルバート・アインシュタインや、マンハッタン計画の科学部門のディレクターであったロバート・オッペンハイマーらが原子爆弾の発明を悔やみ続けたように、人類に制御ができないものを誕生させてしまうことで大きな不幸を招いてしまうこともあります。

近年では英国の物理学者、故リチャード・ホーキング博士が人工知能開発の恐ろしさについて警鐘を鳴らすなど、今後一層、科学技術により生み出されたものと、その恩恵を享受する人間とのバランスが重要視される時代が来るとも予想されています。




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