地図のなかった昔は人の行き来も今ほど活発ではなく、口づてに村や町の在処や情報を伝え合っていたものだと推測できます。
しかし今では地図が発達しGPSやGoogle Mapなどで日本のみならず、世界の土地が明らかとなります。
そのため、普段は噂になることのない、地図にない村や集落の存在が浮かび上がってしまいます。
今回は、そんな地図にない村を紹介します。
巨頭オ
引用元:https://www.kakuhito.net/
巨頭オとは2ちゃんねる(現5ちゃんねる)に伝わる怪談の名前、および怪談に登場する集落の名称です。
投稿者は昔行っていい思い出の残る村へ向かおうと記憶を頼りに車を走らせるのですが、村への距離を伝える看板には「巨頭オ」という不可解な文字列が並びます。
先へ進むと廃村に到着し、草むらから頭のやたら大きな人間が表れ、投稿者は慌てて逃げ出すというものです。
「巨頭オ」という不可解な文字列は「巨頭村」、「巨頭杉」などの看板の最後の文字が欠けてしまったために生まれたと思われます。
この怪談の初出は2006年で、それ以来続報もなく、長く創作だと思われていました。
ですが2018年、鹿児島県の金峰山付近の林道で「巨頭オ」と書かれた看板が発見されたというつぶやきがTwitterに投稿されたことが話題となりました。
今回発見された「巨頭オ」の看板の先は階段や鳥居があったことから元の怪談とは矛盾を来していること、また発見された看板が劣化しやすいはずの赤色の塗料で鮮明に書かれていることから「巨頭オ」の怪談を知る人のいたずらではないかと考えられています。
杉沢村
杉沢村はかつて青森県にあったとされる村です。
昭和初期に杉沢村に住むひとりの村人を発狂して他の村人を皆殺しにし、自殺してしまうという事件が発生しました。
誰もいなくなった村は隣村と併合されて名前が消滅しますが、村の跡地は発狂した村人や殺された村人の怨念が渦巻く心霊スポットになっているようです。
杉沢村の存在や伝説は2000年代にインターネットで流布し、多数の目撃談が相次ぎました。
「ここから先へ立ち入る者 命の保証はない」という看板や髑髏のついた鳥居、当時の惨劇を物語るような血痕のついた建物などが杉沢村への道筋を示すものとして紹介されるほか、杉沢村と思われる場所での怪奇体験なども報告されます。
2000年8月4日に放送された『奇跡体験!アンビリバボー』では杉沢村の場所を検証しましたが、明らかにはなりませんでした。
青森県には「杉沢」という地名がいくつか見られますが、いずれも杉沢村とは無関係のようです。
下多島村
下多島村は日本のどこかにあるという集落です。
上多島村というのも近くにあるそうですが、都市伝説として語られるのは下多島村のほうです。
4年前まで下多島村に住んでいたという人のインターネットへの書き込みから話題になりました。
下多島村は祭りなど村の行事に一切外部の人間を招かない閉鎖的な集落で、非常に自殺者が多かったそうです。
しかも死に方は決まって首吊りで、村の中にある電柱は首吊りに使われることで有名だったそうです。
下多島村、上多島村という村が存在した記録はありませんが宮城県に下田島村という集落は存在したと言われており、投稿者があえて違う書き方をしたのではないかと言われています。
また宮崎県佐土原町(現宮崎県宮崎市)のあった場所にはかつて下田嶋村、上田嶋村が存在していたため下多島村は宮崎にあった可能性もあります。
池添村
池添村は日本のどこかにあるという村です。
池添村は限界集落で、名字が3つほどしかないと言われており、村人は互いを屋号と名前で呼び合っているそうです。
村には郵便局や雑貨屋くらいしかお店がなく、野菜は自給自足で賄っています。
池添村が不気味なのはお盆です。
お盆になるとトラックがやってきて家々の玄関先にお盆に使う花を置いていくのです。
そのうえ池添村を訪れた人間は数年以内に亡くなってしまうと言われています。
池添村のことがインターネットで知られたのは2008年のことですが、現在もこの村が残っているかは不明です。
甲頭倉集落
甲頭倉(こうずくら)集落は滋賀県犬上郡にある廃集落です。
滋賀では有名な登山スポットである霊仙山のそばにあります。
山奥で建物などがきれいに残された集落なのですが、地図には載っていません。
犬上郡には甲頭倉集落のほかにも向之倉集落など廃集落が数多く見られます。
これらは高度成長期に林業や炭の採掘などを目的に開かれた集落なのですが、時代を経るに連れてその必要性が失われ、1960年代には住民をひとり残すのみの準廃村となりました。
現在では完全に廃村となっており、立ち入るには役場の許可が必要となっています。
樹海村
樹海村とは、富士山麓に広がる自殺の名所・青木ヶ原樹海にあるとされる集落です。
自殺に失敗した自殺志願者が作った集落だとも、樹海に隠れ住む「サンカ」と呼ばれる人々が死ぬことができなかった自殺志願者と形成する集落だとも言われています。
実在する証拠は一切見つかっておらず、樹海自体もさほど豊かな森とは言えないので存在する可能性は薄いです。
しかし樹海の中に集落自体は存在しています。
かつてオウム真理教がサティアンという拠点を置いた上九一色村は村の東部に樹海が広がっており、甲府市と富士河口湖町に分かれる形で今も人が暮らしています。
樹海村と同じく地図にない村として「八坂(はっさか)」というものもありますが、こちらも三ツ沢集落と混同してしまっているだけで、八坂のある場所に三ツ沢集落が存在しています。
また樹海の真ん中には「精進湖民宿村」と呼ばれる集落があり、「樹海荘」という民宿や小学校、幼稚園などがあります。
主に精進湖へ訪れた観光客向けに開かれた集落です。
千葉 地図にない集落
千葉県夷隅郡大多喜町大田代1160という番地の付近には、名前のない集落があります。
性格には番地まで指定されているように地図には載っているので正確には「地図に名前のない集落」となります。
千葉県夷隅郡大多喜町大田代は2つのエリアに分かれており、1160番地は小さなエリア、いわゆる飛び地にあります。
山中の集落で、自然は豊かですが変わったものは「虚空蔵様」という小さなお社くらいしかありません。
犬鳴村
犬鳴村とは福岡県の犬鳴峠の近くにあるという集落です。
心霊スポットとして知られる旧犬鳴トンネルの先にあると言われており、村の入口には「この先は日本国憲法は一切通用しません」という看板が立てられているそうです。
このあからさまな治外法権の通り犬鳴村は入った途端に村人に襲われ、命の保証はできません。
犬鳴村の村人は古い時代から差別を受けて孤立しており、今も日本政府の庇護を逃れて自給自足の生活をしているのだとか。
外界を拒絶しているために近親相姦を繰り返しており、精神が不安定な村人が増えてしまい、余計に攻撃性が増しているそうです。
一度セダンで村へ近づいたカップルが無残に殺されたことがあり、村には朽ちたセダンの残骸が打ち捨てられているとも言われています。
ただし旧犬鳴トンネルの付近はセダンで通れるような場所ではなく、実在は非常に怪しいところです。
福岡県には1986年まで「犬鳴谷村」という村が存在し、現在は犬鳴ダムの完成により水没しています。
現在では宮若市犬鳴という地名に名残を残すのみですが、もしかしたら「犬鳴谷村」から着想を得たのかもしれません。
一方犬鳴村があるとされる場所は柳ヶ浦、コイゲという地名なのですがかつてその地には6世帯が小さな集落を形成していたと言われています。
「犬鳴谷村」と柳ヶ浦、コイゲが混ざって脚色されたものが「犬鳴村」の正体なのではないかとも考えられます。
南馬宿村
南馬宿(みなみうまやど)村は、日本に存在するはずの7つの村のうち、ロシアに実効支配された6つの村を除く唯一の村を自称する
村です。
日本のどこにも属していないそうですが、地理的には秋田県にあるようです。
南馬宿村は他の「地図にない村」とは違い、公式サイトが存在するいわゆるイタズラ、ネタです。
他の「地図にない村」や村八分といった田舎の因習を皮肉ったようなものとなっています。
中でも村八分に関する記述はなかなか的を射たもので、単なるネタで収まらないこだわりを感じさせます。
2016年9月末には秋田県庁が存在を認知しており、静観の姿勢を貫いています。
甑島列島の「クロ宗」集落
鹿児島県甑島(こしきしま)列島には、独自の宗教である「クロ宗」(クロ教)を信仰する集落があると言われています。
クロ宗とはキリスト教を元に発展した宗教です。
クロ宗のクロは「十字架(クロス)」から取られました。
島原の乱で敗れたキリシタンが弾圧を逃れながら甑島列島にまで逃れ、孤立しながら生活するうちに考えが変容して生まれたものだと言われています。
クロ宗の信徒はサカヤと呼ばれる司教の指示のもと悪魔崇拝の儀式や人肉食を行っていると伝えられています。
甑島列島の人口は1950年ごろのおよそ25000人をピークに、現在ではおよそ6000人ほどです。
そのうちクロ宗の集落は20戸ほどの小さなものです。
しかしクロ宗の集落の建物は一軒一軒が高い塀で囲われていると言われており、そのような異様な光景は今日ではすぐ明らかになってしまうように思われます。
クロ宗はキリスト教弾圧のために流された流言や、後世の創作によって大きくその情報が歪められていると言われており、真相は定かではありません。
まとめ
この記事では地図にない村をご紹介しました。
そもそも存在が言い伝えに過ぎないものであったり、やむにやまれず廃村になってしまったりと、なぜ村が地図に載っていないかには様々な事情があります。
しかしあるはずなのに、地図にないという事実が好奇心をかきたてるのは確かです。
厳密には「名前のない村」ではありませんが、日本には廃集落や廃村、寂れた秘境の集落などがまだまだ数多くあります。
地図片手に探してみるのも面白いかもしれません。