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正体は?世界のUFOの目撃事例8選

UFOは未確認飛行物体(unidentified flying object)の略称です。

名前の通りその物体が何であるか確認されていない飛行する物体のことです。

UFO=宇宙人の宇宙船というわけではなく、UFOの正体の一説として宇宙人の宇宙船という説があるということです。

UFOの正体としては、タイムマシン説、未確認生物説、軍の最新兵器説、地底人説、異世界人の乗り物説など様々唱えられています。今回はそんなUFOの世界各地での目撃情報をまとめてみました。

ロサンゼルスの戦い

ロサンゼルスの戦いを報じる新聞

ロサンゼルスの戦いとは

ロサンゼルスの戦いは太平洋戦争初期にアメリカ軍が日本軍とUFOを誤認し発生した戦闘です。

太平洋戦争勃発直後、日本軍は連合国軍相手に連戦連勝を重ねていました。

勢い乗る日本軍に対しアメリカ政府はアメリカ本土への上陸作戦を警戒していましたが、1942年2月23日午後7時に日本軍の潜水艦がカリフォルニア州の石油製油所が砲撃しました。

これを受け米軍は日本軍の攻撃に対して警戒態勢をしきました。

その後、日本海軍による再攻撃の兆候が見られなかったので、24日の午後10時22分には、警戒態勢は一旦解除されました。

しかし警戒解除のわずか3時間後の25日の午前1時44分にレーダーが日本軍機と思われる飛行物体を発見しました。

そして午前3時過ぎにサンタモニカ上空で日本軍機と思われる320km/hで移動する赤く光る飛行物体が陸軍の兵士のみならず多くの市民からも目撃されたため、陸軍はこれを撃墜しようと対空射撃を開始しました。

陸軍は午前4時過ぎまでの間に約1430発の高射砲を発射したものの、一発も飛行物体には命中しませんでした。

さらに陸軍航空隊の戦闘機などが迎撃を行ったものの飛行物体の発見には至りませんでした。

この飛行物体は多くの市民によって目撃されており

「どこからともなく現れた小型の物体が空いっぱいをジグザグに飛び回って、突然姿を消した」

「正確な数は把握できなかったが、30機から40機の飛行物体が高速で飛び回り、交差したり追いかけっこをしたりしていた」

などの目撃情報も報告され、サーチライトに照らされた飛行物体の写真も多く撮影されました。

UFOの正体について

当時の日本軍側の記録にはアメリカ本土を空母艦載機がその時間飛行したとの記録もなく、そもそも日本海軍の空母は当時該当海域にいなかったため、日本海軍の攻撃という説は否定されました。

その後日本軍の風船爆弾による攻撃ではないかと言われましたが、当時日本軍において風船爆弾の実践投入はできておらず、この説も否定されました。

そのため最終的に政府は「当日、アメリカ陸軍防空部隊が気象観測気球をサンタモニカで上げており、24日の日本海軍の潜水艦による砲撃とその後の警戒態勢を受けて過敏になっていた陸軍部隊が、この気象観測気球を日本軍機と見間違え過剰対応した事がこの戦いの発端である」と結論付けました。

しかしレーダー上でサンタモニカよりはるかに離れた場所から上昇と下降を繰り返す飛行物体が観察され、目視においても多数の兵士や民間人が赤く光る飛行物体を確認し、撮影もされていることからこの結論を疑問視する人も多いのも事実で、騒動の真相は未だ不明のままであるためUFO事件として扱われています。

ケネス・アーノルド事件

自身が目撃した物体を説明するアーノルド氏

ケネス・アーノルド事件とは

ケネス・アーノルド事件は、1947年6月24日にアメリカ合衆国ワシントン州で起こったUFO遭遇事件です。

1947年6月24日にアメリカ人のケネス・アーノルド氏は、アメリカワシントン州のカスケード山脈にあるレーニア山付近の高度2,900メートル上空を自家用飛行機で飛行していました。

飛行の目的は前日に消息を絶っていた海兵隊の輸送機の捜索で、報奨金5000ドルが目当てでした。

午後2時59分にアーノルド氏はレーニア山の上空を北方から南方へ向けて高速で飛行する9個の奇妙な物体を目撃しました。

物体は鎖のように一直線に繋がっており、アーノルド氏は最初ジェット機を目撃したのかと思ったそうですが、物体に尾部は見当たらず、平たい形状で、翼があり、ジェットエンジンの音なども聞こえなかったと証言しました。

アーノルド氏はその飛行体が2点間の距離を飛ぶ速度を計測しており、その結果は1947年当時の技術では考えられない時速1700マイル(2735.885km/h)というものでした。

UFOの正体について

アーノルド氏は40キロメートルほど先に見えた物体を15メートルから20メートルの大きさと報告し、その特徴もはっきり分かったと述べていますが、40キロメートル先の物の細部まで観察するのはいかに視力が良くても困難なこと(20メートル先においた1円玉の模様を判別するに等しい事)で、熟練したパイロットであっても距離感を掴み損ねることは珍しくないことなどから、集団飛行する鳥か、観測用の気球を見間違えたのではないかという懐疑的な見方も出ています。

またこの事件以降世間に円盤型UFOというものが広く知られるようになり、事件のあった6月24日がUFO記念日になるなど大きな影響を与えた事件です。

介良事件


引用:https://nazo.shakk.net

介良事件とは

介良事件は1972年、高知県高知市東部の介良地区であったとされる当時中学生達が遭遇した両手に乗るほどのサイズのUFOを捕獲した事件です。

中学生のグループ数人が田畑のなかで地上約1mのところに静止していたハンドボールほどの大きさで、様々な色に発光する物体を発見しました。

気になった中学生達は翌日、同じ田畑に行き、また前日と同じ発光する物体の下に灰皿のような奇妙な物体を発見しました。

その物体は灰皿によく似ており、底面の中心のあたりに正方形の中に直径3ミリほどの穴が多数開いていてまわりに古代壁画のような図柄が描かれていました。

中学生達の一人が、家へUFOを持ち帰ってその物体を調べようと考え、収納しておいたはずなのに、翌日になると姿を消して元あった田畑に戻っていました。

再び友人とともにその物体を捕獲し、調査のため分解しようとしたり、内部を観察したり水を注ぎこむなどといった実験をしましたが傷一つつかず、ヤカン2個分の水が中に入りました。そのあとも何度も収納しておいてもまた逃げて元の田畑にもどり、それをまた確保するという事を繰り返しました。

最後に一人がひもで強く縛って運ぼうとしましたが、途中で発光する物体が出現し、何らかの力により引っ張られてしまい、気が付いた時には物体は消失していました。

この事件の物的証拠はなく、これらの中学生たちの言葉のみにより事実であると主張されている事件です。しかし物体に対するエピソードが詳しく書かれていることから信じている人も多数いる日本の有名なUFO事件の一つです。

ベルギーUFOウェーブ事件

目撃されたUFOと特徴が酷似しているアメリカ軍の戦闘機とうわさされるTR-3b

ベルギーUFOウェーブ事件とは

ベルギーUFOウェーブ事件は1985年11月〜1990年5月にかけて、ベルギーでUFOが頻繁に目撃された事件です。

この期間だけで1万人以上の人がUFOを目撃したといわれています。目撃されたUFOの特徴としては赤、緑、黄色に色を変える、正三角形状で光っているといったものでした。

ドイツ国境のユーペンの住人数百人が、スポットライトをつけた巨大な三角型のUFOが上空を通過するのを目撃しています。

実際に空軍のF-16が緊急発進をかけた例もありました。4つのUFOをレーダーで捕捉しましたが、それぞれ別々の方向に姿を消したため追跡は断念されたといわれています。

特に1989年11月29日にはベルギーの農村地域にて145件もUFOが目撃されニュースメディアにも大々的に報じられました。

目撃されたのは物体の共通の特徴として下部にスポットライトのような光を放ち、無音で飛行し、形は三角形であるという点が挙げられました。

1990年3月30日から3月31日にかけては、数百名の市民が空に光体を目撃し、これはレーダーでも捉えられ、NATO軍基地でも正体不明の目標が捕捉されました。

調査のために出撃した2基のF-16戦闘機もレーダーで物体を捕捉しましたが物体は速度150ノットから970ノットまで加速し、高度5000フィートから11000フィートの間を往復するなど瞬時に猛烈な動作を行いました。

UFOの正体について

これらの目撃に対しての反論として新型電子機器を使う試験飛行、性能の悪いレーダーによる誤認、ライトショーの光の反射、ヘリコプターの誤認という説に加え、モーター付き飛行船を所有する男が悪戯で自分の飛行船に細工をし、ベルギーの空に放ったイタズラであるという証言も出ました。

また飛行物体の正体は偵察用の飛行船であったという説も唱えられました。

目撃されるのを避けるために船体を黒色に塗装し、夜中に航行していという説である。しかし、この説では目撃された飛行物体の形状が、三角形型を中心に、円盤型、ダイヤモンド型、ブーメラン型など多岐にわたることや、飛行物体の周りの赤い光体の不可解な軌道を説明できないため、今でも真相は謎に包まれていました。

しかし近年この三角形型の飛行物体は米軍が製作していたとされるtr-3bという最新鋭反重力戦闘機にも酷似ており、米軍により試作実験ではという説もあります。

キャッシュ-ランドラム事件

目撃されたUFOのイラスト


引用:https://blogs.yahoo.co.jp

キャッシュ-ランドラム事件とは

キャッシュ-ランドラム事件は1980年12月29日のアメリカ南部テキサス州にて、人里離れた森の中の道路を車で移動していたヴィッキー・ランドラム一家の3人は、炎を噴出しながら上空をホバリングする光を目撃しました。

その光は強烈に輝き、鈍い金属銀の色で、大きさは給水塔ほどもあり、直立した巨大なダイヤモンドの形をしていたそうです。車を停めると、同乗者のベティー・キャッシュが車外に出てその飛行物体を観察したました。

中央には小さな複数の青い光が環状に取り巻いており、飛行物体が上空高く移動を始めると、二十数機ものヘリコプターが現れ飛行物体を取り囲み、飛行物体とヘリコプターは上空に消えました。

目撃者である3人は帰宅後に嘔吐感や下痢、脱毛、火膨れなどの症状を示し、放射線障害と診断され入院を余儀なくされました。キャッシュとランドラムはその後、政府を相手に訴訟を起こしたが訴えは却下されました。

同地区の警察署に所属しているラマー・ウォーカー刑事とその妻は、同時刻に12機のヘリコプターを目撃していますが、陸軍や民間のヘリコプターは1機も発進されていませんでした。

ウォーカーがこの事件を調べようとすると、ペンタゴンを含む軍の高官たちから幾度も捜査を妨害され、またUFOが目撃された地面には焼き焦げた跡が見つかっており、夜間に補修作業が大急ぎで行われていたことが目撃されています。

この事件は被害者が実際に存在し、訴訟を起こしていることからかなり信憑性のある話として知られています。

UFOの正体について

この事件において注目するべき点はUFOがヘリとともに飛び去っている事です。またこの件について隠ぺいしようとする勢力の存在が垣間見えることからアメリカ軍の何らかの兵器であると考えられています。

また一つの仮説としてこの事件で目撃されたダイアモンド型UFOの正体は、NASAにより開発中であった原子力エンジン搭載型ロケットのNERVAではないかとも推測されていますが、詳細はいまだに不明です。

マンテル大尉事件

マンテル大尉が乗っていたものと同じ戦闘機

マンテル大尉事件とは

マンテル大尉事件は1948年1月8日にアメリカ合衆国のケンタッキー州にて発生したUFOの目撃とそれに伴って起こったアメリカ空軍機の墜落事件です。

事の発端は1月7日の朝より続発していたゴドマン市民とケンタッキー州警察からの未確認飛行物体の目撃通報により、アメリカ空軍のゴドマン基地は、同基地に所属する戦闘機、ノースアメリカンP-51で付近を飛行中のトーマス・F・マンテル大尉率いる4機に対して未確認飛行物体の追跡命令を下します。

また、これと前後して、直径100メートル近くの大きさで、上部が点滅している銀色の未確認飛行物体がゴドマン基地上空に飛来し、基地管制塔などからも観測されています。

この後マンテル大尉の機体以外の3機は、燃料不足のため追跡を断念しましたが、追跡を継続していたマンテル大尉は、上昇していく未確認飛行物体を確認し司令部に「未確認飛行物体は上空を飛行中で、さらに上昇を続けている」、「高度7,000(フィート)までに追いつかなければ、追跡を断念する」と報告したのを最後に消息を絶ってしまいます。数時間後にマンテル大尉は、広範囲に散らばった機体の残骸と共に遺体で発見されました。

UFOの正体について

アメリカ空軍当局は「マンテル大尉は金星を未確認飛行物体と誤認して高高度に飛行し、酸欠状態に陥って意識を失い墜落したものと考えられる。」と発表し、さらにその1年後には「海軍がテスト飛行させていたスカイフック気球を誤認した」と説明を変えました。

スカイフック計画は海軍の秘密計画だったため、空軍に情報が渡るまで1年かかったとのことです。最終的に空軍は、マンテル大尉が当時UFOとよく誤認されたスカイフック気球を追跡して死亡したのだろうと発表しました。

スカイフック事前の未確認飛行物体目撃情報も、総合すれば気球の形の特徴に一致していたし、それとは別に金星の見間違いと思われる通報もあった。なお、当日早朝に近隣のミネソタ州リプリー基地からスカイフック気球が打ち上げられ、事件後の当日午後4時にケンタッキー州でスカイフック気球が目撃されているためこの説は有力とされています。

ソコロUFO事件

目撃されたとされるUFO


引用:https://lifehack-analyzer.com

ソコロUFO事件とは

ソコロUFO事件は1964年4月24日17時45分にアメリカ合衆国ニューメキシコ州で起こったUFO遭遇事件です。またUFO搭乗者の目撃を伴う事件でもあります。

1964年4月24日のニューメキシコ州ソコロで、当時保安官であったロニー・ザモラ氏は、町外れでスピード違反の車を追跡中に突然現れた轟音に注意を奪われました。

それは大音響で、最初は高いピッチで始まり、ゆっくりと低い音に変わっていきました。やがて青色とオレンジ色の混ざる炎が出現するのが見え、近くにあるダイナマイト貯蔵庫で何か事件で起きたのではないか?と危惧したザモラ氏はその方向に車を走らせました。この時奇妙なことに炎からは煙が一切立ち上がっていないように見えました。

周りに見晴らしのきく丘の上に車を走らせたザモラ氏は、前方150メートルの地点に、アルミニウムのように輝く物体を見つけました。輝く物体は卵型で、窓もドアもなく、側面には謎の赤いマークがついていました。

物体からは二本の機械的な脚部が飛び出し、地面に接触していていました。そしてザモラ氏はその物体の隣に立つ「白い作業服に身を包んだ2人」を目撃しました。

物体からは聞いたことないような怪音が聞こえたといいます。

白い作業服の1人はザモラ氏の出現に驚き飛び上がった様子で、作業服の男が物体に乗り込むと、物体はこれまで聞いたこともないような轟音を発し始めました。(その音はジェットエンジンの音とも違っていたそうです。)

あまりの大音響に恐怖したザモラ氏は自分のメガネを落としながらも車を停めた位置から離れた場所にまで退避しましたが、やがて物体は上空にゆっくりと飛び去りました。

物体が飛び去った後の地面には焼け焦げた跡と、かなりの重量がある物体が残したと推定される四角い圧迫痕が残っていました。圧迫痕の下に置かれていた苗木には何の損傷もありませんでした。

この事件から数日間のうちに、アメリカ南西部ではUFO目撃の報告が急増しました。

物体が飛び去った時点で、ザモラは無線で保安官事務所に応援を要請し、駆けつけたチャベス巡査部長はこの事件をFBIに報告しました。チャベス氏によれば、目撃者のザモラ氏はショックを受けているようで顔色が蒼白でした。

やがて州や国の捜査当局もこの事件の調査に乗り出し、それに陸軍と空軍までもが加わる大事件となりました。

その後、ザモラ氏が最初に見た青い光を同時刻に見たという報告がソコロ警察署に3件寄せられました。

4月26日の午前3時頃には、オーランド・ギャレゴ一家により、ザモラ氏の報告と全く同じ型のUFOがラマデラ(ソコロの300km北の地点)で目撃されています。ここでも警察は目撃地点で焼け跡と、地面の4つの着陸痕を発見しました。

UFOの正体について

アメリカ空軍の公式UFO調査機関であるプロジェクト・ブルーブックの調査により、同時刻に近くにいたガソリンスタンドの客員が同様の物体を目撃していたことが判明しました。客員は、卵型の物体が奇妙な低音を立てながら猛スピードで低空を飛んでいたと証言しました。

また、後の調査では同時刻に航空機やヘリコプターは飛行していない事が判明しました。現場の土壌の分析結果からは、ジェットエンジンやロケットエンジンの場合に当然期待される化学推進燃料が検出されておらず、さらに当時の航空機の技術ではザモラが目撃したような垂直離陸や高速度飛行はありえないものでした。

そしてザモラ氏の描いた卵型の物体には飛翔に必要な羽や外部装置の類が一切、欠けており、プロジェクト・ブルーブックは長年に渡って多種多様なUFO事件を収集し検証していたが、この事例はそうした事件の中でも「判別不能」とされ、かつ唯一「着陸」「痕跡」「搭乗者」を残す事例となりました。

飛行物体が飛び去った場所の小石には、微量の金属が付着していました。その金属がUFOの着陸脚の破片ではないかと考えたUFO民間研究者のレイ・スタンフォード氏は金属の調査をNASAに依頼しました。

分析を担当したのはNASAの宇宙船システム部部長ヘンリー・フランケル氏であった。フランケル氏は問題の金属が「亜鉛と鉄」の成分を持ち「自然界にはない物質」で出来ており「地球外からやってきた可能性」があると述べました。

しかし金属片はスタンフォード氏のもとには返還されなかった。

後日、NASAの宇宙船システム部はフランケル博士の結論を撤回し、問題の金属はどこにでもある「二酸化ケイ素であった」と述べた。

この結論に対し、プロジェクト・ブルーブックの科学コンサルタントであったアラン・ハイネック氏は「亜鉛と鉄の合金を二酸化ケイ素と間違えるわけはない」とし、当初のフランケル博士の研究結果を支持しました。

なお、アラン・ハイネック氏は元々UFOは自然現象の誤認であるという説を唱えていたが、この事件を調査した末に意見を撤回しています。

このソコロ事件において特筆すべきなのは、目撃者であるザモラの正直な人格や正確な識別能力への信頼性の高さでした。

ザモラ氏が目撃したUFO側面のロゴマークの形については、錬金術のシンボルであり水銀や「狂った頭」、土星などを意味すると結論した研究もあります。

ロズウェル事件

UFOの墜落現場を再現したイラスト

ロズウェル事件とは

ロズウェル事件は1947年7月アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOの残骸が米軍によって回収され、何処かへと運ばれたとして有名になった事件です。

世界で最も有名なUFO事件といわれ、多くのSF映画にも登場します。この事件に関する情報はきわめて多く、何か不可思議な事件が起きたのか、はたまた町おこしのための壮大なネタなのか、真実は解明されていません。

この事件の発端となったのは、1947年7月8日にロズウェル陸軍飛行場の発表でした。軍は、「軍の職員がロズウェル付近の牧場から潰れた「空飛ぶ円盤」を回収した」と発表しました。しかしその数時間後、軍はこの情報を修正し、「職員が回収したものは「空飛ぶ円盤ではなく、気象観測用気球であった。」としました。

この出来事はすぐに忘れさられましたが、30年以上後に、突如注目を浴びることになります。

それは1978年にUFO研究家のスタントン・T・フリードマン氏は1947年の事件発生当時、問題の残骸の回収に関わったジェシー・マーセル少佐インタビューを行い、「軍は異星人の乗り物を極秘裏に回収した」と発表しました。

フリードマン氏の主張はテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられることとなり、ロズウェル事件は全世界の注目を集めることとなりました。

また、このインタビューの中でマーセル少佐はロズウェル事件で彼が回収した残骸が「この世の物ではない」と彼が疑っていることを話しています。

UFOの正体について

それ以降、この事件は世界中で様々な憶測や噂、研究、調査などの対象となっていて、それは現在になってもなお進行中です。これに対してアメリカ政府は公式見解として極秘の観測気球の墜落としています。

ロズウェル事件はUFO関係の都市伝説と密接な関係があるとされており、一説にはロズウェル事件で墜落したUFOと乗っていた宇宙人はエリア51に運ばれたと言われています。

まとめ

今回、様々なUFOの目撃例をまとめてみました。

こうして調べてみるとしっかりと記録として残されているものが多い事がわかります。

またUFOの形状も円盤型のものから様々な形状を取り、何かよくわからないものが空を飛んでいるということは事実である事もわかります。

しかしUFOが軍事的なものなのか、それとも地球外から来たものなのか真実は誰にもわかりません。



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