死海はヨルダンとイスラエルの国境線上にある、生物が棲まない不思議な塩湖です。
1947年、ここである古文書が発見されました。それが死海文書です。
死海文書には人類の未来に関する予言が書かれたいました。今回はそんな死海文書について紹介していきます。
死海文書とは?
死海文書とは1947年以降死海の北西ヨルダン川西岸地区にある遺跡ヒルベト・クムラン周辺で発見された972の写本群の総称です。
書かれている内容としては主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっています。「二十世紀最大の考古学的発見」ともいわれています。
死海文書の発見
1947年ら死海から北西にあるクムラン地域にベドウィンのターミレ族のムハンマド・エッ・ディーブという若い羊飼いの青年とその従妹が住んでいました。
ある日二人はヒベルト・クムランと呼ばれる遺跡の岩山にある洞窟に入り込んでしまった子ヤギを中から出そうと、洞窟の中に石を投げこみました。
すると陶器らしきものにあたった音がしたため洞窟の中に入ると、そこには高さ60cmほどの壺がありました。
中を覗くとそこには死海文書がありました。こうして死海文書が発見されました。
しかし羊飼いが見つけたというのは、あくまでも逸話であり、諸説があります。事実として認められているのは死海文書の発見だけです。
死海文書の内容
死海文書の内容は大きく分けて3つに分類することができます。
第1は「ヘブライ語聖書(旧約聖書)正典本文」(全体の4割)、第2は「旧約聖書外典」と「偽典」とよばれる文書群(エノク書、ヨベル書、トビト記、シラ書などでユダヤ教の聖書正典としては受け入れられなかったもの、全体の3割)、第3に「宗団文書」と呼ばれるもので、クムラン教団の規則や儀式書、『戦いの書』1と呼ばれる書など(全体の3割)です。
死海文書の中にあったイザヤ書の写本は今までに発見されたものよりも1000年以上古いものであり、聖書学の研究の発展に大きく貢献しました。
死海文書はいつ誰によって書かれたのか?
死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでおり、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ちます。
文書は大部分がヘブライ語で書かれており、2割ほどのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言であるナバテア語の文書を含んでいます。
文書の成立は内容および書体の分法と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられています。
また死海文書にはある特殊な防腐処理がされていることが判明しましたが、その防腐処理の過程は現在でも分かっていません。
死海文書を記したグループ、クムラン教団については、伝統的にエッセネ派と同定する意見が主流ですが、エルサレムのサドカイ派の祭司たちが書いた、あるいは未知のユダヤ教内グループによって書かれたとする意見もあります。
死海文書の解読
羊飼いが発見した7つの巻物のうち『イザヤ書』『ハバクク書注解』『共同体の規則』『外典創世記』の4巻は、その年の3月にエルサレムにある聖マルコ修道院の院長であるシリア正教会の大主教アタナシウス・イェシュア・サミュエルに現在の価値で約100ドルにあたる、24パレスチナポンドで買い取りました。
『戦いの書』『感謝の詩篇』と『イザヤ書』の断片 の3巻については、死海文書の発見を知ったヘブライ大学考古学教授エレアザル・スケーニクとビンヤミン・マザールが買い取りました。
スケーニクはアタナシウスが持っている4巻の文書を購入しようと接触しましたが、アタナシウスは渡しませんでしたが、後にアタナシウスは4巻の文書を売りたいと、1954年6月1日のウォール・ストリート・ジャーナル紙に広告を出しました。
イスラエル政府の意を受けたマザール教授とスケーニクの息子イガエル・ヤディンが匿名で買い取り、7巻が全て揃いました。
その後エレアザル・スケーニクとビンヤミン・マザールの解読を行いましたがキリストがまだ生まれていないころに書かれた死海文書には、キリスト教発祥の謎が隠されているといわれており、ユダヤ教を知る上でも貴重な存在といわれていますが、いまだに解明されていません。
死海文書の謎の予言とその解釈
引用 http://www.geocities.jp
死海文書独自の文書
死海文書の中には聖書には含まれず、今まで見つかっていなかった謎の7つの文書群が含まれていました。
- 宗規要覧会衆規定
宗教結社の戒律が記されており、死海文書を制作した教団の宗規が記されている。また世の終わりの集まった「イスラエルの全会衆のための規律である」と記されている。また終末の様子が描かれている。 - 感謝の詩編
20個の詩編から作られており、人類の破滅の様子が克明に記されている。 - 戦いの書
光の子と闇の子の戦いを記した予言書です。
「ひとつになった光の子(ユダヤ民族)と闇の子(ユダヤ民族に対する民族)の最後の戦いが起き、世界は破滅へと向かう」と記されています。 - ハバクク書注解
聖書にある予言書、ハバクク書の注解として記された予言書です。 - 外典創世記
創世記は聖書の一番初めの書であり、人類創造からの物語が記されています。この外典創世記ではヘブライ語の方言の一つ、アラム語で記されています。 - モーセの言葉
モーセは聖書の出エジプト記に登場する人物です。神の命令により、エジプトで奴隷であったイスラエルの民を約束の地まで連れ出す任務を任されます。その際海を割って進んでいく様子が有名です。このモーセの言葉には神がモーセを召して命じた言葉とモーセがイスラエル人全会衆に語ったとされる言葉が記録されています。 - 奥義の書
秘密、奥義を意味する言葉が頻出する謎の文書
この書は銅板にも刻まれており、この銅板には金銀財宝のありかとこの死海文書を記したクムラン教団の名が刻まれています。
この7つの文書群は聖書にはないため、偽書として扱われていますが、この文書にはある予言が刻まれています。
ダニエル書の予言
引用 https://blogs.yahoo.co.jp
死海文書の予言には今後の人類の未来についての予言と世界の終末についての予言が記されています。
しかしその前にダニエル書の予言を見ておく必要があります。
「われダニエルは主が預言者エレミヤに臨んで告げられたその言葉により、エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年であることを、文書によって悟った。」
ダニエル書 9:2
「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。」
ダニエル書 9:25
これは死海文書ではなく聖書に含まれているダニエル書に記された予言です。
イスラエル人は古来、ローマ帝国の迫害により祖国を失い、約2000年間彷徨うことになります。
まずはこのダニエル書の記述を読み解きます。「エルサレムは広場と街路とをもって、建て直される。」イスラエル人が祖国を追われてからエルサレムは広場と街路とをもって、建て直されたのは1948年のイスラエル建国の時だけです。
そしてダニエルによればイスラエル建国から70年間は荒廃したまであると語っています。
確かにイスラエル建国から、パレスチナ問題や、周辺のアラブ諸国と中東戦争を行なっています。そしてさらにダニエル書を読み解きましょう。
「エルサレムの荒廃の終るまでに経ねばならぬ年の数は七十年」
エルサレムの荒廃の始まりを1948年とすればその70年後は2018年。
つまり昨年でエルサレムの荒廃は終わったということになります。
問題はこの先です。
死海文書の予言
引用 https://stateschronicle.com
そして聖書の予言は終末には地上のものは皆滅びるとあります。
死海文書にはこの滅びるまでの過程が記されています。
死海文書によると
「光の子」と「闇の子」の最終戦争によって人類滅亡の危機に陥り、その最終戦争、2人の救世主が世の中に現れると予言してます。聖書では終末の時の様子はヨハネの黙示録に記述されていますが、黙示録とは異なる終末論がここに記されています。
二人のメシアとは「アロンのメシア」と「イスラエルのメシア」であり、アロンのメシアは、古代ユダヤ人のモーゼの兄のアロンの末裔であり、現代のフリーメーソンが改心することを意味するとも言われています。
一方の「イスラエルのメシア」というのが、ユダヤ10支族の末裔である日本人であると言われています。
失われた10氏族と日ユ同祖論
モーセの有名な出エジプトの後、イスラエル十二氏族は、祖父の地にあるカナンに建国し、繁栄の絶頂を極める。
しかしやがてかれらは神との契約を忘れ、北イスラエル王国(十氏族)と南ユダ王国(二氏族)に分裂します。
そして紀元前8~前6世紀にかけ、北のイスラエルはアッシリアに、南のユダはバビロニアによって滅ぼされてしまいます。
このうち南の二氏族は有名な「バビロン捕囚」の後にカナンの地の戻ってきます。現在のユダヤ人は、みなこのユダ二氏族であり、クムラン宗団も例外ではありません。
これに対して、北の十氏族は、ついにカナンの地の帰ることはありませんでした。彼らの行方は未だに知れず、そのまま歴史の闇に消えています。
しかし旧約聖書には、終末の時代、イスラエル十氏族が戻ってくるという予言が残されています。
「見よ、このような日がくる、と主は言われる。わたしはダビデの為に正しい若枝を残す。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。彼の代にユダは救われイスラエルは安らかに住む」(「エレミヤ書」23章5~8節)
すなわち、終末にはユダとイスラエルが再び一体となる、といいます。
このことから考えて、もう一人のメシア、つまり「イスラエルのメシア」とは、この「失われた十氏族」の末裔であることはほぼ間違いないと考えられます。
では、彼らはどこにいるのか?
その行方をめぐっては、今も尚、さまざまな説が唱えられています。イギリスに渡ってケルト人の祖先となったとか、インドや中国、或いはアメリカに渡りインディアンの祖先になった等、様々です。
だが、最も説得力があるのは、彼らが日本にやってきて皇室の祖先になったという、いわゆる「日ユ同祖論」です。
皇室の3種の神器にはヘブライ文字が書かれているとか、伊勢神宮の灯篭には「ダビデの星」の図案が見られるなど、この説を裏付ける物的証拠は多くあります。
このように、「失われたイスラエル十氏族」の正体とは、他ならぬ、日本人である可能性が高いです。
とすれば、『死海文書』に登場する「イスラエルのメシア」も、日本のことと取れるます。
まとめ
今回は死海文書の予言について紹介してきました。
こうしてみていくと、現代の中東情勢は確かにいつ戦争になってもおかしくないほど緊迫しており、死海文書の予言も嘘とは言えない状態になっているのではないでしょうか?