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実在した世界の動物兵器8選(犬、猫、象、コウモリ他)

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動物兵器とは、軍事目的として動物を使用する兵器のことで、別名生体兵器とも呼ばれます。

よく知られているのは武士や騎士の乗る馬ですが、他にも鳥や象などいろいろな動物が古代から戦争に使われてきました。

戦闘以外でも、兵士の騎乗用や輸送、通信手段など様々な用途に使われ、なかには動物に地雷地帯の上を歩かせ除去を行うという残酷なものもあります。

これらを単に動物を軍用で使っているだけと考えるか、兵器としてみるかは見解の別れるところです。

このうち、動物の体に爆弾を仕掛けたりして、動物単体で敵に攻撃を仕掛けるものは特にアニマルウェポンと呼称し、実際に使用例もあります。

ここでは、歴史上世界で使用されたり、計画されたりした動物兵器をご紹介します。

伝書鳩

引用:https://www.historyextra.com

軍隊で使われる動物として、伝書鳩はよく知られた存在でしょう。

その歴史はとても古く、人類は古代から情報伝達の手段として鳩を使っていました。

エジプトをはじめ、中近東の各地に伝書鳩の存在を伝える石板や記録が残されています。

その後、鳩の飼育法はヨーロッパに伝わり、原始的な飼育法を用いて、中世ヨーロッパにおいても伝書鳩が使用されていました。

近代の軍隊がはじめて伝書鳩を用いたのは、1870年の普仏戦争において、パリがプロイセン軍によって包囲されたときでした。

包囲によって外部との通信手段を断たれたパリの防衛軍は、未だ抵抗を続けていた各地のレジスタンスと気球を使って連絡を取り合っていました。

その気球は、各種の通信文や郵便物と乗員のほかに、伝書鳩も搭載していました。

伝書鳩は気球が無事目的地に到着したことと、外部の情報をパリに伝える任務を担っていました。

結局、普仏戦争はフランスの敗北に終わりますが、このフランス軍の試みが成功をおさめたことにより、ヨーロッパ各国に伝書鳩の有効性を認識させ、研究が始められました。

日本でも明治時代に中国から輸入されて、研究が始まっています。

世界大戦と伝書鳩

第一次大戦前にフランスは軍用伝書鳩として2000~4000羽を保有しており、ドイツにもほぼ同規模の伝書鳩がいたといいます。

ヨーロッパ全土を巻き込む広大な戦場で戦われ、第二次大戦時ほど通信機器が発達していなかった第一次世界大戦は、伝書鳩が最も活躍した戦争といわれています。

自動車や馬車に搭載する移動鳩舎や歩兵が肩や腰にくくりつけて使う携帯鳩籠、戦車から安全に鳩を放つための放鳩ハッチなど、伝書鳩関連の様々な装備品が開発されました。

世界初の戦車であるイギリスの菱形戦車にも伝書鳩が乗せられていましたが、戦車内の換気が不十分で鳩たちはあまりの空気の悪さに気絶してしまったといいます。

伝書鳩は陸海空のあらゆる方面で使用され、兵士たちは敵の伝書鳩を撃ち落とす訓練を行いました。

携帯用の無線機が発達した第二次大戦においても、隠密性や対傍受性、携帯性の高さから、特殊作戦やレジスタンスなどを中心に、伝書鳩が使用されていました。

イギリスではこの頃まで25万羽の軍用鳩を飼っていて、そのうち32羽に戦争で活躍した知能の高い動物に送られるディッキンメダルが授与されています。

第二次大戦後はさすがに伝書鳩が使用される機会は減りましたが、フランス軍はインドシナ戦争やアルジェリアでも使用しており、ベトナム戦争のアメリカ軍やフォークランド紛争のイギリス軍もごく一部ではありますが、伝書鳩を使用したといわれており、湾岸戦争の多国籍軍も無線が使用不能となった場合に備えてスイス軍の伝書鳩を動員していました。

軍用伝書鳩発祥の地ともいえるフランス軍では、ヨーロッパで唯一、現在でも伝書鳩が飼われています。

軍用犬

引用:https://wanchan.jp

犬は人類がはじめて家畜として飼育した動物であるといわれ、その歴史は驚くほど古く、約3万5000年前の遺跡からも人間の居住地から犬の骨が見つかっています。

犬は人間と最も仲良しな生き物であり、ペットから盲導犬や災害救助犬まで、いまも社会にとってなくてはならない存在です。

様々な動物を戦争に使用してきた人類にとって、軍用犬ももちろん重要な存在でした。

古代から世界各地で軍事目的に犬を飼い慣らすことが行われ、人間よりも優れた嗅覚や視覚などを使って警戒や敵の捜索などに使われていました。

現代の軍隊でも地雷などを探す検知犬や歩哨犬などが使用されており、海上自衛隊・航空自衛隊の警備犬は2曹や3曹の階級をもっています。

軍用犬は伝令として使われ、第一次大戦ごろまで伝令犬が使用されていました。

伝書鳩と同じく伝令犬も第一次大戦で最も活躍したといわれ、伝令兵の移動が困難な塹壕内などで重宝される存在で、伝書鳩では運ぶことのできない書類や文書、さらにはカゴに入れた伝書鳩自体を運んだりもしていました。

一方、伝令犬は轟音に弱いという欠点ももっていて、敵の爆撃や砲撃などに怯えて役に立たなくなったり、神経症になってしまう犬もいました。

そうした理由に加えて通信手段の発達も手伝い、第二次大戦ごろには伝令犬は廃れていきました。

軍用犬を敵との戦闘に使用しようという試みも行われ、太平洋戦争でのアメリカ軍はジャングルでの戦闘において、軍用犬を使い、日本人のみを選別して殺傷する訓練を行っています。

訓練には日本人捕虜や志願した日系アメリカ人を使って行われ、大型犬を中心とした部隊が作られましたが、砲爆撃を怖がる犬の特性のため、うまく機能しませんでした。

ちなみに、現代の軍用犬は爆発や銃声、騒音、火薬の臭いや異臭などに対する訓練を施され、これらに対しても怯えることはなく、ある程度の敵味方識別能力も備えています。

地雷犬

引用:https://reki.hatenablog.com

ソ連では、「地雷犬(戦車犬)」という犬を使った有名な動物爆弾が開発されました。

1942年9月、モスクワに迫ったドイツ軍の戦車隊に向けて、ソ連軍は爆弾を体にくくりつけた犬たちをけしかけました。

犬たちはレバー状の突起がついたベストのようなものを着せられ、背中には突起につながった起爆装置が取り付けられていました。

地雷犬が戦車やトラックの下に潜り込むと、背中の起爆装置が作動し、爆発する仕組みです。

地雷犬はエンジンのかかったトラクターの下で餌を与えるという訓練を施され、攻撃の行われる2日ほど前から絶食させられていました。

解き放たれた犬たちはパブロフの条件反射に従い、一目散に戦車の下に潜り込み、ドイツ戦車部隊を壊滅させるだろうという目論見でした。

地雷犬をはじめてみたドイツ軍はまさか犬が爆発するなど夢にも思わず、犬たちの接近を許し、戦車や車両に損害を出しました。

しかし、犬が爆弾をつけていることが判明すると、犬たちが戦車に潜り込む前に手当たり次第に射殺するようになり、地雷犬攻撃は成功しなくなります。

さらに、訓練にも関わらず、犬が戦車を恐れて逃げ戻りソ連軍に損害を与えたり、慣れているソ連軍戦車の下に潜り込む犬や、近くの兵士にじゃれつく犬などがいました。

こうして、地雷犬は大した戦果を上げられませんでしたが、爆弾を背負った犬が突進してくるという噂はたちまち広がり、東部戦線のドイツ兵たちを恐怖させました。

空挺犬

引用:http://japanese.china.org.cn

ほかに、空挺部隊では空挺犬(パラドッグ)というものが存在します。

これは降下訓練を受けた犬で、空挺兵ともに単独でのパラシュート降下も問題なくこなします。

第二次大戦時のイギリス軍空挺部隊やインドシナ戦争のフランス軍で使用例があります。

米軍の特殊部隊シールズが使用する軍犬は赤外線暗視カメラを装着して敵地に潜入し、なかには近接戦闘のため、1万2000ドルのチタン製の牙を装着している犬もいるといいます。

現在では空挺兵の胸に抱えられて一緒に降下するスタイルが一般的になっているようです。

その他、軍用犬は、負傷した味方兵士の捜索や救出、背中に通信線のドラムをとりつけての電線敷設など多種多様な任務に使用されています。

戦象

引用:https://reki.hatenablog.com/

象は陸上で最大の哺乳動物であり、有史以前から人類にとっては身近な存在でした。

原始の狩猟時代において、最大最高の獲物だった象はやがて文明の発達とともに牛や馬と同様、家畜として人間に飼い慣らされていくこととなり、その巨体を活かし戦争においても使用されていきます。

象は非常に優れた知能をもち、群れを作って生活しているため社交性も高度に発達していて、基本的には家畜化しやすい生き物とされています。

しかし、アフリカゾウは非常に気性が荒く、動物園での飼育経験などから人を襲わないようにすることはできても家畜のように飼い慣らすことはできないといわれています。

一方、アジアゾウは基本的に穏和な性格で人にもよく慣れ、現在は条約により禁止されていますが、かつては野生の像を捕獲して家畜化することも行われていました。

古代の人々は像の生物学的分類を行なっていなかったため、戦象として使われていたのが、何の像だったのかははっきりしませんが、アジアゾウ、アフリカゾウ(北アフリカが砂漠化する前に生息していたサヘル象ともいわれます)ともに使用例があると考えられています。

戦象がはじめて登場した時期もはっきりとは判明していませんが、紀元前4~5世紀以前のインドで登場し、それがペルシア帝国に伝わっていったという説が有力です。

この段階で、インドではすでに象を戦闘単位として運用するノウハウが確立していました。

アレクサンドロス大王の東方遠征によって地中海にも戦象がもたらされました。

ローマと戦ったカルタゴのハンニバルの戦象隊が有名ですが、地中海世界では戦象はあまり使われず、その後急速に姿を消していきました。

ペルシアではイスラム勢力が台頭してくる7世紀まで戦象が使われており、インドから南アジアにかけては、ムガル帝国が崩壊する18世紀にいたるまで戦象が使用されていました。

インドシナ半島では17世紀まで戦象が実戦に参加しており、タイ王国は19世紀になっても戦象を保有していました。

当時のタイは極東最大の戦象所有国で、実に800頭もの戦象を保有しており、そのうち半数が戦闘用、もう半分が輸送用で、100頭は砲兵増で背中に大砲を乗せていて、射撃にも耐えたということです。

戦象の装備と戦闘法

古代から中世に至るまでの戦象の装備や戦術はアジアから地中海世界まで大きな違いはなく、ほとんどの場合、首の部分に象使いを乗せ、大きな駕籠か輿のような台を背負い、そこに弓や投げ槍などを装備した2~4人の兵士を乗せるか、または上級指揮官を単独で乗せていました。

鞍状の絨毯や厚布を乗せただけの背中に兵士を乗せる場合もありました。

牙には尖った金属キャップを被せたり、鼻には槍や大槌をもたせることもあったようですが、あまり効果はなさそうで、単なる装飾だったという説もあります。

しかし、鼻から額を覆う鎧には大きな効果があったようで、インドでは戦象のほぼ全身を覆うような鎧も作られています。

味方の指揮を鼓舞するために派手な衣装や鈴をとりつけたり、特に指揮官が乗る象には金銀宝石を織り込んだきらびやかな戦装束を身に着けていました。

城砦攻撃用に象に攻城塔を搭載した例もあり、これはまさに動く要塞といえるもので、薄い土塀や城門などは体当たりで崩壊させることができました。

戦象の戦い方として、物語や絵画では大きな足で敵を踏み潰す姿が描かれることが多いのですが、実際には象はあまり足を高く上げることはできず、その前進速度もゆっくりとしたものでした。

しかし、戦象部隊の衝撃力は非常に高いものがあり、戦象を何匹も使った組織的な突進により、敵戦列を破壊することが戦象の主な任務でした。

戦象に遭遇したことのない部隊は、戦象が接近してきただけで潰走することもあったといいます。

古代には、象は倒れた人間を踏む習性があるという俗説が信じられており、兵士たちは戦象が来るとかがんだり伏せたりすることなく、走って逃げ出そうとしました。

象は基本的に大人しい動物だったため、戦象は戦いの前に酒や麻薬を与えて興奮状態にしたり、頭皮の一部を傷つけて像を怒らせるという残酷な方法もありました。

しかし、興奮した像を制御することは象使いのも難しく、戦象隊は一度前進を開始すると、方向転換はおろか止まることもできず、前進速度すらまともにコントロールすることができませんでした。

戦象隊は常に象の凶暴化の問題を抱えており、象が暴走を始めると誰にも手が付けられなくなり、味方にまで甚大な被害を出すこともありました。

戦象への対抗策

戦象隊への対抗策としては、前進してくる象をやり過ごして隊列の後ろに回りこんで攻撃するという戦法が用いられました。

こうなると、体の大きな象は単なる目標にしかなりませんでした。

特別に重装にした兵士を接近させ、象の背中に輿を止めている腹帯を切ったり、足を切るという戦術もありました。

軽装の兵士の場合には象の腹下にもぐりこむことも可能でしたが、うかつに象の腹を切り裂くようなことをすれば、倒れてきた巨体に潰されてしまうことになりました。

とはいえ、基本的に戦象というのは厄介な相手であり、倒すことは非常に困難だったため、多くの指揮官は戦象との戦いを避け、それ以外の部隊を倒して戦象隊を孤立させようとしました。

そして、戦象はできる限り象使いごと生け捕りにして、味方に引き入れることを好みました。

戦象はうまく像を手なずけ、使いこなすことができれば最強の部隊となり得ましたが、融通が利かないため他の部隊との共同は困難で、戦象を使うなら必然的に戦象部隊を中心として戦わなければならず、兵器として使い勝手のいいものではなかったといえます。

20世紀になると、ほとんどの像は単なる使役動物となり、インドシナ半島のジャングルでのパトロールに使われたごく一部の例を除いて、戦象という兵器は姿を消しました。

軍用イルカ

引用:https://jp.sola.ai

第二次大戦後、海中で様々な特殊作業を実施したり、軍港や上陸地点付近の警戒の必要性が生まれたため、アメリカやソ連ではイルカに訓練を施し、軍用犬のように使用する研究が行われるようになりました。

しかし、当時はこうした海生哺乳類の生態事態に未解明な部分が多く、その解明とともになんとか実用化にこぎつけることができたのは1960年代に入ってからでした。

イルカは高度な探索・識別能力を備えていて、適切な訓練を施すことでダイバーがやるよりもずっと効率的に水中の物体を探索し、回収することが可能となります。

当時はちょうど米ソ冷戦時代にあたり、米ソはお互いに相手や味方が海中に落としたミサイルや航空機、核爆弾などをイルカを使って回収しようとしていました。

1980年代から軍用として飼育されるイルカの数は増えていき、1989年には和歌山県太地町から2頭のイルカがアメリカ海軍に買い付けられ、ハワイ基地に送られました。

イルカたちはさらに高度な訓練が施され、単なる捜索・回収任務だけでなく、物資を所定の場所に運搬・集積する、海底へのケーブルやセンサーの配置、決められたコースを泳いで取り付けられたカメラやセンサーでの情報収集、敵艦への爆発物の設置、といった様々な任務をこなすようになっていきました。

水中で人をつつくように訓練されたイルカに水中銃の一種をとりつけ、ダイバーを攻撃する兵器にしたともいわれます。

一説によると、アメリカ軍はベトナム戦争でこの戦闘イルカを投入し、停泊中の艦艇に水中工作員やゲリラが接近しないように港内パトロールをさせたり、イルカ同士での戦闘まで計画されていたといわれますが、アメリカ軍ではこのような話を否定しているため、真偽のほどは明らかではありません。

ソ連でも同様にイルカにダイバーをつついたり叩いたり、エアチューブをボンベから外したりする訓練を行っていたといわれています。

軍用イルカは1991年の湾岸戦争や2003年のイラク戦争で実戦投入され、機雷の掃海などを行ったとされます。

アメリカ海軍は現在でもカリフォルニア州サンディエゴ基地で軍用イルカの研究を継続しています。

コウモリ爆弾

引用:https://taskandpurpose.com

19世紀から20世紀にかけ、動物の生態が解明されてくるにつれ、動物に爆弾をもたせて攻撃させようという発想が生まれてきます。

コウモリ爆弾は第二次大戦中にアメリカで研究が行われていた兵器で、文字通りコウモリによって爆弾を運ばせようというものでした。

コウモリ爆弾は爆弾のような形をした箱で、中は千以上の区切りで仕切られ、焼夷弾を抱いて冬眠状態にしたコウモリが収納され、夜明けに爆撃機から投下されたコウモリ爆弾は降下中にパラシュートが展開してコウモリを解放、コウモリたちは軒下や屋根裏に入り込んで火災を引き起こすこという仕組みでした。

コウモリ爆弾は専用のコンテナに入れられて爆撃機に積まれ、アラスカから発進したB-24爆撃機10機が大阪湾の工業地帯に100個のコンテナを投下し、104万匹のコウモリ爆弾を放てると考えられていました。

アメリカにはコウモリの生息する洞窟が大量に存在し、コウモリは自分の体重以上の荷物を運ぶことが可能なこともコウモリ爆弾を開発するのに好都合でした。

コウモリ爆弾はペンシルバニア州の歯科医であったアダムズ医師のアイデアで、ルーズベルト大統領夫人の友人でもあった彼は、1942年ホワイトハウスに自らのアイデアを提出しました。

アメリカ陸軍がこの計画に興味を示し、ニューメキシコの訓練施設で実験が行われました。

実験用のコウモリは時限装置のついた5gの協力爆弾または焼夷弾をぶら下げ、目標の洞窟や実験家屋を破壊することになっていました。

しかし、解き放たれたコウモリは制御不能となってそこらじゅうを飛び回り、実際に破壊されたのは実験施設と材料、基地の格納庫、司令官の車などでした。

アメリカ陸軍は実験を中止しましたが、実験チームはアメリカ海軍と海兵隊の説得に成功し、X線作戦と名付けられ、実験は継続することになりました。

今度はコウモリを空中から散布する計画になっていました。

しかし、冬眠状態で投下されたコウモリはほとんどすべてが地上に激突し粉砕し、わずかな生き残りが小規模な火災を発生させただけでした。

結局、海軍も研究から降り、実験は海兵隊に譲られましたが、原子爆弾開発プロジェクトのマンハッタン計画のほうが重要性が高いと判断されたことから、コウモリ爆弾が実用化されることはありませんでした。

ブルーピーコック(ニワトリ)

引用:http://rikukaikuu.com

プルーピーコック(青孔雀)とは、1950年代にイギリスで開発された地雷の名称です。

この地雷はただの地雷ではなく、核爆弾を使用した核地雷でした。

そして、ここにはなんと作動装置の一部として、卵ではなく核兵器を温めるためのニワトリがいたのです。

冷戦時代に計画されたブルーピーコックは、ソ連軍の地上侵攻に備えて、ドイツのライン川区域に設置することを目的としていました。

核爆弾による爆発とそれに伴う広範囲への放射能汚染によって、ソ連軍の侵攻と占領を長期間にわたって妨害することができると考えられていました。

この地雷の威力は10キロトンで、広島に投下されたリトルボーイの威力15キロトンと比較してもかなりのものであることがわかります。

地中で爆発するため、単純にくらべることはできないものの、ブルーピーコックの爆発によって生じるクレーターの深さは180mにも及ぶとされました。

しかも、この核地雷、当事者であるドイツ(当時の西ドイツ)には秘密のうちに設置される予定だったというから驚きです。

ニワトリと核爆弾

ブルーピーコックは1954年、ケントのホールステッド砦の軍備研究開発機構によって開発されました。

ブルーピーコックは高性能爆薬に包まれたプルトニウムのコアを巨大な鋼製の球状ケーシングで包んだ核爆弾です。

イギリス最初の実用核兵器である自由落下爆弾「ブルーダニューブ(美しき青きドナウ)」をもとに開発され、7トン以上の重さがありました。

ブルーピーコックは有線通信によって遠隔制御、または8日間の時限装置によって起爆でき、起爆が妨害された場合は10秒以内に爆発するようになっていました。

開発にあたり、技術的な問題となったのが、地中に埋められているうちに特に冬季は、ブルーピーコックの温度が非常に低下するおそれがあることでした。

埋められてから数日間が経つと、電子部品が正常に作動しなくなり、起爆しなくなる可能性がありました。

この問題を解決するために断熱材で核爆弾を包むなどの対策が検討されましたが、最終的に採用されたのは、生きているニワトリを保温機構の一部にするというものでした。

ニワトリは餌と水を入れられてケーシングの中に封入されます。

ニワトリはブルーピーコック内で1週間程度生きているとされ、これは爆弾の予想最大寿命と同じであり、ニワトリの体温は電子部品などを保温するのに十分だと考えられていました。

1957年、イギリス陸軍は野戦部隊が用いる原子力発電設備用という名目で10発のブルーピーコックを発注しました。

しかし、放射能汚染のリスクや同盟国に秘密裏に核兵器を設置するという行為が露見した場合の政治的・国際的問題へ発展するリスクが高すぎると判断され、結局、1958年国防相はプロジェクトを中止しました。

ブルーピーコックに関する公文書は2004年4月1日に機密解除されました。

しかし、この日がエイプリルフールだったため、最初は英国流のジョークだと受け止められ、イギリス公文書館はあらためて嘘や冗談ではないと表明することになりました。

同盟国に核兵器を仕掛けるという驚くべき発想のブルーピーコックは、核戦争が実際の脅威として捉えられていた冷戦という時代の特異性をあらわす兵器といえるでしょう。

アコースティックキティー(猫)

引用:https://www.ladn.eu

アコースティックキティー(Acoustic Kitty:音響猫)とは、1960年代にCIAがネコをスパイ活動に利用しようとしていた計画です。

冷戦により米ソ関係が緊張していた当時、ワシントンD.C.のソ連大使館にスパイ装置を仕掛けた猫を送り込み、その行動を監視しようというものでした。

この計画で使用されたネコには、切開により小型マイクと電池が配線でつながれ、さらに尻尾部分にはアンテナを埋め込まれていました。

ネコがネズミなどに気をとられて注意散漫になり、任務に支障をきたすことのないよう、空腹を感じさせなくなる手術も施されていました。

アコースティックキティーを生み出すのに、訓練・手術のため、CIAは1000万ドル(36億円)を投じたといわれます。

最初の任務はワシントンD.C.のウィスコンシン大通りにあったソビエト大使館近くの公園で、ベンチに座っている二人の人物の会話を盗聴してくるというものでした。

平凡なバンに乗ったCIAのエージェントは、後部ドアからアコースティックキティーを解き放ち、その行く末を見守りました。

しかし、ここで悲劇が起こります。

駆け出して10mほどのところで、通りがかったタクシーがネコを轢き殺してしまったのです。

こうして、アコースティックキティーはスパイ行為をする間もなく失敗に終わり、この計画はただの予算の浪費だったという結論になりました。

アコースティックキティーを有効に使うには、エージェントがネコを目標の至近距離まで連れていく必要があり、現実的ではないと考えられたのです。

そして、アコースティックキティーは2001年9月、情報公開法に基づき公開されたCIA文書によって公のものとなりました。

兵隊クマのヴォイテク

引用:https://culture.pl

ここまで、兵士に使役されたり兵器として使われた動物たちについて紹介してきました。

このほかに、軍隊では動物がマスコットとして扱われることがあります。

例えば、ノルウェー陸軍にはマスコットして名誉准将の階級をもつエジンバラ動物園のキングペンギン「ニルス・オーラブ」がおり、兵士の閲兵を行ったりといった「軍務」についています。

 

このような習慣は古くから軍隊に存在し、海軍ではネズミをとるため船に乗せた猫がマスコットになったりしました。

こうした軍のマスコット動物のなかから、最後に兵隊クマと呼ばれたヴォイテクをご紹介します。

ヴォイテクは第二次大戦中、ポーランド陸軍に所属していたクマで、正式な軍籍と階級を与えられ、戦場では兵士と一緒に弾薬を運んでいました。

ヴォイテクの生い立ち

1942年、イランのハマダーンで現地の少年が親を猟師に撃たれて亡くしたシリアヒグマの赤ん坊を見つけました。

少年は数個の肉缶と引き換えに子グマをポーランド人難民に譲り渡しました。

子グマはやがて、近くに駐屯していたポーランド軍に引き取られます。

ドイツの侵略によって祖国を奪われたポーランド人たちは連合軍に加わり、自由ポーランド軍を結成して、家族とともにイランに移り、訓練を行っていたのです。

子グマはまだ1歳にもなっていなかったため、固形の餌を飲み込むことができず、コンデンスミルクをウォッカの瓶に入れて与えられていました。

子グマはヴォイテクと名付けられ、これはポーランドの一般的な男性名の愛称形ですが、原義は「戦を楽しむ者」という意味があります。

ヴォイテクは兵士たちとレスリング遊びをしたりして可愛がられ、そのうち挙手の敬礼もできるようになりました。

兵隊クマの誕生

ヴォイテクは正式に徴兵され、ポーランド第2軍団第22弾薬補給中隊に配属されました。

ヴォイテクは部隊とともにイラク、アフリカと転戦していき、すっかり大人のクマへと成長していました。

アフリカから南イタリアへ渡るとき、アフリカからの動物の渡航が禁じられていたため、裏ワザとしてヴォイテクに伍長の階級が与えられ、専用の軍籍番号と軍隊手帳が発行され、これによって渡航が許可されました。

ヴォイテクの階級を伍長にしたのはヒトラー総統の軍における最高位と同じにしたという皮肉がこめられていました。

正式な身分を得たヴォイテクは、給料と好物のタバコを配給されるようになり、世界で唯一の兵隊クマとなりました。

果物やマーマレード、ハチミツ、シロップを食べ、時々ご褒美として大好きなビールをもらい、タバコを食べたり、兵士が火をつけてやると吸ったりしていました。

ヴォイテクは兵士とともにテントの中で眠り、トラックで運んでもらうための特製の木箱ももらいました。

イタリア半島のモンテ・カッシーノの戦いにおいては、部隊の一員として弾薬運びを行い、足場の悪い山岳地帯でも決して弾薬箱を落とすことはなかったといいます。

この戦いの後、ポーランド軍の司令部は砲弾をもつクマをかたどった紋章を正式に第22中隊のシンボルとしました。

戦後のヴォイテク

1945年、ナチス・ドイツは崩壊し、第二次大戦は終結します。

しかし、ポーランドはソ連によって共産主義国となり、ポーランド政権は西側で戦ったポーランド人たちの帰国を許さず、祖国解放を信じていた多くの自由ポーランド軍兵士は行き場を無くし、やむなく西側諸国に移住しました。

ヴォイテクもイギリスのエディンバラ動物園に引き取られることになりました。

兵隊クマのヴォイテクは戦争の終わりとともに、一匹のクマとして余生を過ごすこととなり、時々訪れる自由ポーランド軍の元兵士にタバコをもらって食べていました。

1963年12月、ヴォイテクは檻の中で22歳の生涯を終え、遺体はスコットランドに埋葬されました。

まとめ

以上、世界の動物兵器を紹介してきました。

使い捨ての兵器として利用される動物から、兵士の仲間として絆をはぐくんだ動物まで、様々な動物たちがありました。

通常の兵器と違い、人間の意のままにならない部分が大きいのも、動物兵器の特徴です。

動物を人間の都合で戦争の道具にすることに関しては賛否があるかと思いますが、戦争の歴史の中で動物が果たしてきた役割は無視できないものがあり、人が動物とともに生きていく以上、これからも兵器として使われる動物たちはいなくならないでしょう。

しかし、命ある動物はやはり、ともに戦う兵士にとっても、単なる兵器とは違う存在なのではないでしょうか。



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