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世界の歴史上最も謎の多い人物10選

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歴史の世界には魅力的な人物が数多くいます。

そして魅力的な人物を知ることで、歴史のつながりそのものが見えてくることがあります。

しかし光があれば影が発生するように、歴史には未だその全容が明らかにされない、謎の多い人物がいるのです。

今回はそんな歴史上で最も謎の多い人物を紹介していきます。
 

10位 グリゴリー・ラスプーチン

引用元:https://jp.rbth.com/
グリゴリー・ラスプーチンは帝政ロシア末期で暗躍した僧侶です。

皇太子アレクセイを祈祷によって治療したことをきっかけにロマノフ朝内部へ入り込み、国政に干渉するようになります。

髭と髪を伸ばした外見もさることながら、宮廷の貴婦人や子女からもその絶大な精力で人気を集め、いつしか怪僧・怪人と呼ばれるようになります。

ほかにもラスプーチンは第一次世界大戦の折に、ラスプーチンの度重なる国政への干渉を嫌った皇族のドミトリー・パブロビッチらによって暗殺されたのですが、青酸カリを飲んでも、心臓、肺、頭部を撃たれても死なず、ついに川に捨てられたことで溺死したと言う奇妙なエピソードが伝わっています。

僧侶になる以前、ラスプーチンは農民として普通に生活し、結婚もしていたのですが、ある日生神女マリア(聖母マリア)の啓示を受けたと主張し、修道院へ出奔してしまいます。

どうやら特殊な霊的能力を持っていたのは確かなようで、当時の宗教関係者もラスプーチンのことを「聖人」と称するなど高く評価していました。

また特に興味深いことに、ラスプーチンは「ロマノフ家、ロシア君主制が崩壊するため」第一次世界大戦への参戦を反対していたほか、自身が暗殺されることでロマノフ家が滅亡してしまうと予言しています。

実際に第一次世界大戦へ参戦した帝政ロシアはロシア革命により滅ぼされ、ロマノフ家も断絶してしまいます。

ラスプーチンがどのような力を持っていたのか、その全容は定かではありません。
 

9位 ウィリアム・シェイクスピア

引用元:https://book.asahi.com/
ウィリアム・シェイクスピアと言えば『ハムレット』、『マクベス』、『ロミオとジュリエット』など後世にも語り継がれる数多くの戯曲を書いた、イギリス文学史に名高い劇作家です。

脚本のほかにもソネットと呼ばれる形式の詩にも長け、詩集『ソネット集』も高い評価を受けています。

シェイクスピアの書いた作品は当時のイギリスで話された英語を知る貴重な資料となっているうえ、現代の英語にもシェイクスピアが作った言葉が残されているなど学術の世界にも多大な存在感を示しています。

しかし反面でシェイクスピアの生涯には謎が多いです。

シェイクスピアはイングランドのストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれ、エドワード6世校でラテン演劇を学びます。

そして卒業後の1582年にアン・ハサウェイという女性と結婚し、1585年にはハムネットとジュディスという双子に恵まれたのですが、この1585年以後ロンドンで演劇の世界に進出する1592年までの7年間の記録がまったく残されていません。

その後シェイクスピアはロンドンで俳優兼劇作家として多くの戯曲を書くのですが、後世その実在を疑う「シェイクスピア別人説」というのが話題を呼びました。

シェイクスピアには自身が記したとされる署名が4つ残っていますがそのいずれも筆跡がまったく違うこと、自身の遺言状に自身の作品についての言及がなかったこと、またシェイクスピアが知り得ないはずの専門的な法律の知識を有していたことなど不可解な点は多くあります。

また高名な芸術家であれば必ず書く芸術論などの著作をシェイクスピアは残していなかったほか、シェイクスピアについてはほとんど人となりが明らかにされていません。

最初にシェイクスピア別人説を唱えたジョン・ミッチェルは著書『シェイクスピアはどこにいる?』において「シェイクスピアの生涯について知られている事実は、便箋1枚の片面にそのすべてを書き尽くすことができる」と述べています。

シェイクスピアの正体については、当時の劇作家にシェイクスピアが名義を貸していただけという説、「ウィリアム・シェイクスピア」という複数の劇作家による集団だった説、妻のアンが書いていた説があります。

ほかにも哲学者であるフランシス・ベーコンや劇作家クリストファー・マーロウ、自身も劇作家だった第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアーによる変名という説も語られています。
 

8位 D.B.クーパー

引用元:https://blogos.com/
D.B.クーパーは1971年11月24日に発生したノースウエスト航空11便ハイジャック事件の容疑者です。

事件当日、ワシントンD.C.発シアトル行のノースウエスト航空11便は中継地のオレゴン州ポートランド空港で「ダン・クーパー」という男を搭乗させました。

ダンは自分が注文したバーボンソーダを持ってきた添乗員に「自分は爆弾を所持している」というメモを見せ、身代金20万ドル(当時のレートに換算するとおよそ6300万円)と4つのパラシュートを要求します。

飛行機がシアトルのタコマ空港へ到着すると次はメキシコ・シティへ向かいます。

そしてその途中、ダンが3000mという低空飛行を命じると身代金の入ったリュックと共に飛び降り、パラシュートで脱出したのです。

警察は予想される降下先を捜索しましたが何も見つからず、身代金も一部は発見されましたがその大部分は未だに行方知れずです。

のちにFBIはダニエル・B・クーパーという男を容疑者として逮捕しましたが無実であることが判明し、事件や容疑者の名前もダン・クーパーではなくD.B.クーパーという名称が有名になります。

D.B.クーパーは無用な犠牲や混乱を生むことなく紳士的に目的を果たし、更にスタイリッシュに脱出を図ったことから人気を博し、11月24日を「ダン・クーパーデイ」と呼んだり、事件当時のD.B.クーパーの服装を模した仮装が流行したそうです。

D.B.クーパー事件の犯人については、同じ手口でハイジャックに及んだリチャード・マッコイという元軍人ではないかとも考えられていますが、証拠は見つかっていません。
 

7位 切り裂きジャック

引用元:https://blog.goo.ne.jp/jiten4u/
切り裂きジャックは1888年にイギリス・ロンドンのイーストエンド・オブ・ロンドンやホワイトチャペルで少なくとも5人の売春婦をバラバラに切り裂いて殺害した連続猟奇殺人犯です。

切り裂きジャックの被害者は公式には5人ということとなっていますが、同一犯と思われる犯行は8件から20件ほどもあると伝えられています。

また3件目の犯行直前に警察へ予告状を送るなど、劇場型犯罪の始祖として知られています。

切り裂きジャックの手口はメスのような刃物で喉を切り裂いて絶命させた後身体をバラバラにし、身体の一部を取り去るというものです。

そのため犯人は解剖学的な知識のある医者、あるいは肉屋ではないかと考えられています。

犯人像に関しては議論が重ねられましたが未だに結論は出ず、真相は闇の中にあります。
 

6位 仮面の男


仮面の男はフランスのバスティーユ監獄に1669年から1703年の間収監されていた男です。

名前は分からず、人と会うときには必ず布製のマスクをしていたことから誰もその素顔を知りませんでした。

その正体には諸説あり、顔を知られてはいけない高名な人物ということからオリバー・クロムウェル、フランソワ・ド・ヴァンドーム(フロンドの乱の首謀者)、フランス軍の元帥など様々な候補が上がりました。

1998年に作られたアメリカ映画『仮面の男』では仮面の男の正体はルイ14世の双子の弟であるフィリップであるという設定になっています。

近年の研究では仮面の男の正体はルイ14世の異母兄であるユスターシュ・ドージェであるという説が主流です。

ドージェはルイ14世の治政において宰相を務めたマゼラン枢機卿の出納官(会計係)をしていました。

マゼランは当時イギリスから多額の資産をだまし取っていたと言われており、この事実に気が付いてしまったドージェは機密保持のために投獄されたというのです。

仮面の男は34年の獄中生活の末に死亡し、「マルショワリー」という名前で埋葬されたと言われています。
 

5位 カスパー・ハウザー

引用元:https://blogs.yahoo.co.jp/fukuchin1122/
1828年にバイエルン王国ニュルンベルクのウンシュリット広場で16歳ほどのひとりの少年が発見されました。

少年は辛うじてカスパー・ハウザーと筆談で名乗るほかは身元なども答えることができず、ニュルンベルクへ駐屯していたフリードリヒ・フォン・ヴェッセニヒへの手紙だけを携えていました。

手紙にはカスパーを騎兵として育てて欲しいという内容が書かれていましたがヴェッセニヒには思い当たる節はなく、結局カスパーは孤児として育てられることになります。

カスパーはパンと水しか口にできず、鏡に映った自分の姿を捕まえようとするなど社会的な常識を著しく欠いていました。

一方で保護された当初は麻痺していた知覚はとても鋭いもので、暗闇でも色彩や文字を識別できる、触るだけで金属の材質を言い当てることができるなど人間離れした部分がありました。

カスパーを養育していた者はカスパーの正体について地下牢のような、暗くて小さな部屋で孤独な状態で育ったのではないかと推察しており、後に言葉を覚えたカスパーも「牢獄のような小さな部屋で、馬のオモチャだけを与えられて、何年もそこで過ごした」と語っています。

しかし1833年、カスパーは何者かによって暗殺されてしまいます。

カスパーは自身に関してほとんど語ることなく殺されてしまい、ついにその出自が明らかになることはありませんでした。

カスパーの出自についてはバーデン大公家の後継者であり、後継者問題から難を逃れさせるために死産の子どもと入れ替えておいたという説や、ナポレオンとバーデン大公妃による不貞の子であるという説も囁かれています。
 

4位 南光坊天海

引用元:https://yukarino.jp/
南光坊天海僧正は天台宗の僧侶です。

陸奥国で生まれ、蘆名氏を出自に持ち、若くして随風という名で出家し日本各地で風水や天文学など様々な学問を修めたと言われています。

1608年には駿府城で徳川家康と出会い、江戸幕府の対朝廷の交渉や宗教政策などに携わりました。

天海は家康、秀忠、家光と3代にわたって仕え、江戸城や江戸の都市計画、更には家康の神号(神様としての名前)である東照大権現も定めたと言われています。

天海は前半生に謎が多く、また108歳と言う当時としては異様な長命だったことからその正体を怪しむ声も多く、中でも正体は明智光秀であるという説がよく語られます。

明智光秀が天海の没年まで生きていた場合116歳になるので無理のある説ではありますが、日光東照宮に桔梗紋(明智家の家紋)を刻んでいたり、日光に「明智平」という地名を残しているところから囁かれているようです。

他にも天海を足利将軍家の末裔とする説もあります。
 

3位 リー・ハーヴェイ・オズワルド

引用元:https://jp.rbth.com/
リー・ハーヴェイ・オズワルドはケネディ大統領暗殺の実行犯だと言われている男です。

海兵隊に所属していたことがあり、除隊後の1959年にはソ連へ亡命いましたが1962年にはアメリカに帰国しています。

1963年11月22日、オズワルドはテキサス州ダラス市内のパレードに参加していたジョン・F・ケネディ大統領を教科書倉庫ビルの5階から狙撃し、ビルを出たところで職務質問をしてきたJ・D・ティピット巡査を殺害します。

警察官殺害で逮捕されたオズワルドは容疑を強く否認していましたが、逮捕から2日後の11月24日にジャック・ルビーという男に殺されてしまいます。

オズワルドの犯行についてはアメリカ政府が真相究明のためにウォーレン委員会を組織し、調査結果をウォーレン報告という報告にまとめています。

ウォーレン報告では事件はオズワルドの単独犯であり、陰謀の類はないと結論付けられ、事件は終結しています。

しかしオズワルドの犯行には疑問点が数多く存在します。

オズワルドが狙撃していた時間にはオズワルドは教科書倉庫ビルの2階で昼食を摂っていたという目撃例があるほか、オズワルドとオズワルドを殺害したルビーの間に面識があったと言われ、オズワルドは何らかの組織の身代わりだったのではないかと考える人もいます。

またオズワルドの銃の腕前と狙撃時の装備を考えると教科書倉庫ビルから狙撃することは困難だとも言われるほか、狙撃事件後にオズワルドや事件の関係者がなんと16人も変死を遂げました。

そのためケネディ大統領を暗殺した組織について様々な陰謀が囁かれています。

ケネディ大統領狙撃事件に関する真実は2039年に公開されると言われています。
 

2位 神武天皇

引用元:https://www.excite.co.jp/
宮内庁によると現在、日本の歴代天皇は125代、123人います。

しかしそのうち一体何人が実在するかは定かではありません。

特に欠史八代と呼ばれる2代綏靖天皇から9代開化天皇、そして初代天皇である神武天皇はその実在性が疑われています。

『日本書紀』や『古事記』の記述によると、日本の初代天皇である神武天皇は15歳で日向国(現在の宮崎県)の皇太子となり、45歳で遷都を目的とする大和国(現在の奈良県)への侵攻(東征)を開始します。

そして数々の苦難の果てに現地の豪族や戦士を従え、大和国を平定して橿原の地に都を作り初代天皇として即位、即位後76年、127歳で没したと伝えられています。

神武天皇の実在は第二次世界大戦終戦まで信じられていましたが、終戦後にGHQによって否定されています。

『記紀』の記述を詳細に見ていくと神武天皇の行動にはムラが多く、また東征以外の描写もほとんどありません。

このことから神武天皇は複数氏族の活躍をまとめたもの、天武天皇の権威を高めるための天武天皇が果たした壬申の乱と重ね合わせた創作だという説があります。

実際に『日本書紀』などは皇室の権威づけをするために誇張されたと思われる描写も少なくありません。

ですが橿原神宮には2600年前まで遡ることのできる遺物もあると言われており、神武天皇、及び神武天皇の功績である東征は何らかの史実が下敷きになっているのではないかと考えられています。
 

1位 サンジェルマン伯爵

引用元:http://sekaino-bukimi.com/
サンジェルマン伯爵は18世紀のヨーロッパを中心に活躍したとされる男です。

当時50代ほどであったサンジェルマン伯爵はギリシア語、ラテン語、フランス語、中国語など10以上の言語に精通していたほか錬金術や化学、歴史に膨大な知識を有していました。

ですがもっと驚くべきことにサンジェルマン伯爵は長寿をもたらす秘薬によっておよそ2000年から4000年生きており、古代の出来事をまるで見てきたかのように鮮明に話したと言われているのです。

サンジェルマン伯爵は1784年に93歳で亡くなったと言われていますが、なんと死後に複数の人が40代から50代の外見のサンジェルマン伯爵を目撃しています。

多くの記録が残されており、サンジェルマン伯爵は確かに実在するようなのですが、その出自も定かではありません。

一般的にはスペイン王妃マリー=アンヌ・ド・ヌブールとメルガル伯爵の間に生まれたと伝えられていますが、ポルトガル系のユダヤ人ともルーマニアのラーコーツィー王家の出身とも言われています。

時代をまたいで様々な姿で目撃されるサンジェルマン伯爵は時間や空間を自在に移動するタイムトラベラーとも、不死の力を持っているとも伝えられています。

その存在は神秘思想において重要視され、神秘主義的な思想を体系化し「神智学」という学問を興したヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーとヘレナの結成した「神智学協会」ではサンジェルマン伯爵を大尊師(マハトーマー、マスター)、「第七光線の大師」に位置付けています。

またナポレオン3世はサンジェルマン伯爵に興味を示し、サンジェルマン伯爵に関する資料をテュイルリー宮殿に集めさせましたがそのほとんどが宮殿の火事で焼失してしまいました。

このときサンジェルマン伯爵の足跡は途絶え、もう追うことができなくなったと言われています。

最後にサンジェルマン伯爵が確認されたのは1972年のことです。

リシャール・シャンフレーという男が「サンジェルマン伯爵の生まれ変わり」を自称し、鉛を金に変える錬金術を披露しました。

しかしシャンフレーはニューエイジブームに便乗しただけの詐欺師であり、手品を錬金術と偽ってお金を巻き上げていただけでした。

歴史に名を残すサンジェルマン伯爵とはまったく似ても似つかない存在でした。

サンジェルマン伯爵はヨーロッパ最大の謎だと伝えられています。

まとめ

この記事では歴史上最も謎の多い人物を紹介してきました。

実在はしたがその足跡が謎に隠された人物は数多くいます。

もし今後新たな資料が発見され、彼らの謎が明らかになったとしたらそこには何があるのでしょうか。

定説を覆るような大発見かもしれませんし、逆に何でもない肩すかしかもしれません。

しかしいずれにしても、分からないからこそ私たちを惹きつけるようなものが今回紹介した人物にはあるように思います。

今後歴史の研究が進み、歴史が少しだけつまらなくなる日を楽しみに待ちたいところです。




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