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本当は怖い沖縄の話10選

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日本最南端のリゾートアイランド沖縄。

観光地としての人気は非常に高く、今や本島だけでなく離島にまで国内外からの観光客が押し寄せていることは皆さんご存じのことでしょう。

台風の時期を除けば気候も穏やかで過ごしやすく、美しい海をはじめとする豊かな自然に囲まれた小さな島は美味しい食べ物も目白押し。

住民の多くはのんびりとした『島時間』の中で暮らし、ストレスフルな都会のうんざりする忙しなさもありません。

もういっそ、ここで一生暮らしたい。

沖縄経験者の中には、本気でそう思う方も少なからずおられるのではないでしょうか?

今回はそんな沖縄の長い歴史を順に追い、明るく楽しく朗らかなだけでは済まない沖縄の顔をご紹介していきます。

 

1 琉球王国と鬼島津(オニシマンチュ)


引用元:https://ameblo.jp

沖縄はその昔琉球王国(りゅうきゅう)と呼ばれ、日本ではなく異国として扱われていました。

当然文化も政治のありようもいわゆる本土のそれとは大きく異なり、写真の王族の服装からもわかるように日本よりもむしろ中国(髄・唐・明)に近いものでした。

当時の琉球はさほど裕福ではなく、一般庶民の主食はサツマイモであったとされています。

温暖でさえあれば土地をさほど選ばずに栽培できるサツマイモは、まさに琉球の人々にとって食の命綱だったのです。

それでも彼らはテーゲー(物事万事突き詰め過ぎず、良い加減で生きていこうという大らかな思考)をモットーに、時に倭寇その他の海賊と戦いつつもボチボチ暮らしていました。

しかし、彼らのテーゲー島ライフは1609年のある日を境に侵略者からの厳しい支配・監視下に置かれます。

侵略者の名は島津藩。

戦国最強にして最狂とも呼ばれる野臥せり(ゲリラ戦)死にがまり(決死のシンガリ)大好きな、あの義久・義弘・家久で有名な島津です。

島津は島民から鬼島津(オニシマンチュ)と呼ばれるほど、琉球王国を厳しく締め付けました。

この過酷な島津の支配から、様々な悲劇が生れることとなります。

 

2 人頭税が生んだ悲劇の人口制限 久部良バリ

引用元:http://ritou-navi.com

ゴツゴツとした岩と岩の間に、深い溝が一つ。

これは与那国にある久部良バリと呼ばれる岩で、およそ幅3メートル、深さ7~8メートル。

さて、ここでひとつ質明です。

『ちょっとこの岩と岩の間跳んでみろ』と言われたら、あなたはどうしますか?

3メートルくらい楽勝だぜ!という方も中にはおられるでしょうが、大半の方は『五千円やるから!』と言われても丁重に辞退するのではないでしょうか?

しかし、琉球王国時代の宮古島・八重山諸島では、こうした岩場に妊婦たちが集められ岩と岩の間を飛び越えるよう命じられました。

健常な成人男子でも恐れをなすような岩を身重の女性たちがまともに飛べるわけもなく、妊婦たちの多くが転落死と遂げ、仮に跳べたとしてもほとんどが流産したとされています。

 

世界で最も過酷な税金・人頭税

宮古・八重山の島民が妊婦に対しかくも残酷な仕打ちをするに至るには、もちろん理由がありました。

琉球王府が離島に対してだけ課した人頭税です。

人頭税とは、15~50歳の島民に課せられた一人当たりに対する税金であり、つまり人が増えれば増えるほど課せられる税が重くなるという仕組みです。

この税金の恐ろしさは、心身障碍者、病人、怪我人、妊婦といった社会的弱者に対しても平等に課せられ、一切の例外なく厳然として『一人当たり幾ら』が徹底されていることでした。

台風などの被害で収穫高が少なかった年でも納税額は考慮されぬため、生活に困窮した離島の人々は断腸の思いで残酷な口減らしを行わざるを得なくなりました。

 

連鎖する差別と搾取

鬼島津の過酷な支配下に置かれ、琉球国民は皆平等に辛酸を舐めた……わけではありませんでした。

関ケ原で西軍だった島津は徳川幕府の中で己の立場を確立させる一環として、琉球王国に重税を課します。

締め付けられた琉球王府は、島津に渡す税を元より差別的に扱ってきた宮古・八重山に押し付けるために人頭税を制定。

宮古・八重山の中でも島民の身分は5~7つに分けられており、高い身分の者はほとんど人頭税を払わず下の者に押し付けたり、私腹を肥やすため小作人からピンハネ。

こうして搾取と差別の皺寄せが下に下にと降りて行った結果、罪なき妊婦たちを久部良バリに立たせてしまったのです。

同じ島民でありながらそこに助け合いの精神は見られず、ノブレス・オブリージュどころではありません。

 

3 不定期開催・命がけのダッシュ大会『トゥングダ』

引用元:https://icotto.jp

過酷な人頭税に苦しむ八重島の人々は、先に挙げた久部良バリをはじめとする間引きを行ってきましたが、それでもなお人口は減らず島民は重税に喘いでいました。

そこで島民が取った更なる苦渋の決断が人升田(トゥングダ)です。

人升田とは15~50歳全ての男子に課せられた生存許可テストで、何の前触れもなく唐突に鳴り響く銅鑼や法螺貝の音を聞いたらナリフリ構わず決められた田に猛ダッシュしなければなりません。

何故なら、既定の時間(銅鑼や法螺貝の音が止むまでともされる)に所定地に入れない者は『生産性のない人間』として処分されてしまうからです。

これは病人や怪我人といった人頭税を生産する能力に欠けた人間を淘汰するための手段でしたが、基本健康な人間にとっても間違いなく恐怖であったことでしょう。

たまたま屋根の修理に上っていた・深い井戸を掘るために潜っていた・用を足していた・ついさっき転んで足首グネった…そんな誰にでもあるちょっとした不運で、明日自分や家族が殺されるかもしれないのです。

この悲しい歴史を持つ場所は現在では取り壊されて残っておらず、おそらくこの辺りであろうとされる場所には青々としたサトウキビ畑が広がっているそうです。

 

4 沖縄の巫女・ノロ

引用元:http://okinawa.seepoo.info

沖縄には琉球王国の時代からノロ・ユタと呼ばれる霊能力者が存在します。

彼女らは占いや神事を担う巫女のような役割をしていました。

ここでは混同されがちなノロとユタの違いを明確にしつつ、ご紹介していきます。

 

ノロとは

沖縄の祭祀をつかさどる女性を意味し、主な役目は農作物の豊穣を願う祭祀。

代表的なものにアブシバレ(虫払い)ウマチー(稲大祭)があり、ウマチーは現代でも毎年行われています。

ノロの呼称については一つではなく、『神人(カミンチュ)』『祝女』『奴留』と書かれた書物もあるそうです。

 

ノロの起源

琉球がまだ祭政一致の部落時代、人々は集落ごとにリーダーとなる一族をトップとして暮らしていました。

集落を作る際には、まず『御嶽(ウタキ)』を選定します。

御嶽とは神や祖先を祀る神聖な場所で、現代でも沖縄では特別に大切な場所として扱われているため、決してみだりに立ち入ったりしてはいけません。

集落の人々はこの御嶽に集まっては加持祈祷や五穀豊穣を願う祭祀を行います。

祭祀は根女や根神(ニーガミ)と呼ばれるリーダー一族の女性たちが執りしきりました。

琉球神話では女性は男兄弟を守る神で強い霊力を持っているとされ、政治は男性、祭祀は女性と役割分担をしていたのです。

しかし、長らく集落の祭祀を担ってきたニーガミたちも、やがては琉球王府が制定した神職組織に組み込まれていきます。

この組織は三十三君体制と呼ばれ、頂点に立つ聞得大君(きこえおおきみ)の下に、地区ごとのニーガミのリーダーであるノロが数多く存在しました。

つまり、ノロは琉球王府より正式に任じられた役職であり、今風に言えば国家公務員ということになります、。

 

ノロの待遇

琉球王府時代、ノロはかなりの好待遇を受けていたと言われています。

明治43年までは国からノロに給料が支払われ、それ以降も退職金として与えられた国債証券の利子が戦前まで毎年支給されました。

明治15年のノロたちは、大体月給10万前後を得ており、当時の行政トップに勝るとも劣らぬ高給取りであったことがわかります。

 

ノロになる方法

女性が自立することが難しい時代、そんな高給取りになれるならば誰だってノロになりたいと思ったことでしょう。

しかし、残念ながらノロは『なりたい』と思ってなれるものではありませんでした。

まず第一にノロは世襲制であるため家系が全てです。

家系の中の霊的素質に優れた女性が選ばれるのか、選ばれた女性が修行をして霊力を得るのかは定かでありませんが、選ばれた女性は山や御嶽にこもって修行をしたそうです。

おそらくは何らかの資質を持つ選ばれた女性が、修行によって霊力を高め使いこなす術を身に着けていったのではないでしょうか。

 

5 沖縄の卜者ユタ

引用元:http://okinawa.seepoo.info

ノロが公職ではなくなった現代においては、むしろ一般的にメジャーなのはこれからご紹介するユタかもしれません。

テレビなどで取り上げられることが多いのもこちらのユタです。

 

ユタとは

トランス状態で神霊や祖霊と直接交流し、託宣・卜占・病気治療などを行う呪術者。

大部分が女性(つまり男性もいる)で、東北のイタコ・カミサンなどと並びシャーマン的位置づけがなされています。

 

ユタの占い

昔は米粒を使った占いが一般的だったそうですが、昨今ではタロット・自動書記・地図を使ってのダウジングなど、ユタによって占いスタイルは様々なようです。

交霊するのに相性の良い触媒というものがあるのかもしれません。

ほとんどのユタに共通するのは、占い中に何かと対話し、その話の内容を依頼者に伝えているようであることです。

ユタの占いの基本は、自身もしくは依頼者の守護神・先祖霊の話を聞くことであるため、彼らはただの占い師ではなく霊能力者と考えられます。

 

ユタの起源

琉球王府の定めた公務員であるニーガミやノロですが、彼女らの中にも名ばかりで実力を伴わぬ者は一定数いたようです。

そういった輩は民衆の信頼を失い、代わりに民間の霊能力者が台頭するようになりました。

この民間の霊能者こそがユタと呼ばれる人たちです。

琉球王府はユタが力を持つことを恐れ弾圧しましたが、彼らが民衆の支持を失うことはありませんでした。

ノロが国家公務員であるのに対し、ユタはクライアントと直接交渉して相談料を設定する個人種業主です。

 

ユタになる方法

ノロほど国家的に優遇されるわけではありませんが、それでも民間に根付き商売のやり方次第では己の才能を生かして稼ぐこともできるユタになりたいと思う方に朗報。

ノロは世襲制ではないので家柄は関係ありません。

シンプルに霊力・超自然的な力の素質を持ち、それを修行によって磨く覚悟さえあれば誰でもなれます。

数は少ないものの、男性にも門戸は開かれています。

もっとも、生まれついての資質が求められる地点で、『誰でも』なれるというには些かハードルの高い職業でしょう。

 

ユタを問題視する声

霊能者の全て、ユタの全てを否定するものではありませんが、彼らの中にはいわゆる霊感商法的なやり口で依頼者から過剰に搾取する者がいることも事実です。

そうした事実は学者の研究や民俗学の書物にも取り上げられており、それを問題視した琉球王府がユタを取り締まった歴史もあります。

依頼者の中にはユタに言われるままに全財産をつぎ込んでしまったり、己の望む結果を語るユタに出会うまでドクターショッピングならぬユタショッピングをして散財してしまう人もいたそうです。

しかし、これはユタにも問題がありますが、依頼者にも問題がある話ではないでしょうか。

占い全般に言えることですが、それらはあくまで自ら最善を尽くした上で最後に『運』を味方につけるための『お手伝い』に過ぎないと、プロの占い師の資格を持つ知人も言っていました。

自助努力もせずに他人に依存しきって楽をしようとするような人間に、神様も先祖も運も微笑んではくれません。

 

6 ニライカナイ信仰

引用元:https://instagrammernews.com

ユタやノロのご紹介をする中で、さらりと出てきたニライカナイという言葉を少しご説明します。

ニライカナイとは、一言でいうと琉球における複合的な極楽浄土です。

学者によると本土の根の国・常世の国に酷似しているようですが、風土によるものかそれよりも極楽的な明るいイメージがあります。

遥か東の彼方の海の向こう、または海底にあるとされる異界であり、年初にはニライカナイから神が訪れ(来訪神)年末にまた帰るとされています。

また、沖縄では死者の魂は死後七代を経て親族の守護神=祖霊神になるとされていて、ニライカナイはその生まれ変わりの場でもあります。

 

7 女性の嗜みハジチ

引用元:https://insta-stalker.com/post/BtVRYp4F2GJ/

北海道のアイヌ女性の入れ墨は人気アニメ『ゴールデン・カムイ』によっても知られていることと思いますが、沖縄にもかつては伝統的な女性の入れ墨ハジチがありました。

古くは竹針や爪楊枝の先に墨をつけ手の甲に流し込む女性限定の文化であり、模様は矢じり、丸、菱形、四角など様々で、それぞれに意味が固有の意味があります。

ハジチは6歳頃から始め、15~24歳で完成するのが一般的であったそうです。

 

ハジチの入れ方

ハジチの施術法は、大きく分けて専門のハジチャーが施すようになった近代式と、民間で非専門家(身内の女性など)が行っていた前近代式があります。

《前近代式》

①針突師の膝の上に手を乗せる。

②長さ20センチ、厚さ3ミリ、幅2ミリほどの竹の先を針状にしたものを5~6本糸で纏めた刺針に墨を含ませ、右手の親指、人差し指、中指、薬指、小指、手の甲の順で墨を入れる。

③術後はオカラで施術跡を洗い、痛みと腫れを退かせる。

 

《近代式》

①針突専門のハジチャー(主に女性)の元に行く。

もしくは地方巡業にハジチャーが来ると、年頃の娘たちが列をなして集まる。

②ハジチャーは泡盛で墨をすり、模様を描いてから縫い針を3~25本束ねたもので突く。

 

ハジチャーが出てくると、かなり道具が洗練され衛生面にも考慮がなされるようになりました。

しかし、ハジチが激烈な痛みを伴い、幼い子供の心身に与える負担が大きかったことは間違いありません。

実際に施術後に炎症を起こし発熱する者が後を絶たず、処置が悪いと腕に障害を残すことも考えられました。

施術を受ける幼女は痛みを紛らわせるために、口に黒糖を含まされていそうです。

 

国によるハジチ禁止令

明治32年(1899)、入墨禁止令が施行され、ハジチも例外ではなく禁止されました。

国家の近代化に伴い、西洋に恥じぬように野蛮で未開な文化は廃止すべしとの考えからです。

しかし、沖縄の文化としてハジチは深く根付いていたため、禁止令が出てからも施術する者が少なくありませんでした。

逆に幼女の内に入れてしまえば大丈夫という考えから、幼い子供に一気に入墨を施すという幼児虐待とも思える無茶が横行したそうです。

 

ハジチが根付いていた理由

ハジチを行う理由は、民間信仰や魔除けといったファンシーなものばかりではありませんでした。

そこには、より現実的で生々しい琉球時代からの諸事情があったのです。

 

①薩摩の略奪から逃れるため

琉球王国が島津薩摩藩によって厳しく管理統制されてきたのは先述した通りです。

実に多くのモノを琉球王国から搾取した薩摩は、モノだけでなく琉球の美しい女性までも召し上げていきました。

沖縄の女性は今も昔も顔立ちのくっきりとした美人が多かったため、目を付けられやすかったのでしょう。

しかし、薩摩の藩主はハジチをした女性に関しては突き返しました。

このことから、琉球では女性が薩摩に連行されるのを防ぐためにもハジチがますます盛んになったのです。

 

②人身売買防止対策

他国との交易が盛んであった時代の琉球王国においては、女性が異国人に誘拐されアジアの国々に売り飛ばされたり、辻遊郭に送られたりしがちでした。

そうした悲劇を防ぐために、異文化人からは異様にも見えるハジチを入れていた側面があります。

実査にフィリピンに売られ太平洋戦争時に救出され、ハジチをしていたおかげで沖縄に戻れた人もいるそうです。

 

8 大きく立派な墓

引用元:http://tama-suwanimism.seesaa.net

沖縄に行ったことがある方は、観光バスの車窓などから個人のモノとは思えないほど立派なお墓の数々を見たのではないでしょうか。

写真のお墓は伝統的な亀甲墓とよばれるスタイルのお墓で、ご覧の通りちょっとした防空壕なみの大きさを誇ります。

子宮の形を模した亀甲墓以外の墓も、家柄や経済力に比例はするものの概ね本土のそれよりも大きく重厚であることが特徴です。

 

沖縄のお墓が大きい理由

①風葬を行うため

現代日本の主な埋葬方法は火葬、明治頃までは土葬でありました。

故に風葬というのは聞きなれない方法であるかると思われます。

風葬とは、遺体の周りを石で囲って安置しそのまま風化させるという特殊な方法です。

遺体が風化し骨になったら遺骨を洗浄し骨壺に入れ、その後再び石室に納骨していました。

の遺骨を洗浄する作業を洗骨(せんこつ)といいます。

こうした一連の作業を個人の墓のスペースで行うにはある程度の広さが必要だったのです。

 

②門中墓を作るため

沖縄では門中(ムンチュー)制度という父系の直系一族が長を継承するシステムがあります。

ムンチューでは一族の墓は共有する習慣であったため、大きな墓が必要となりました。

引用元:https://ameku148.com

亀甲墓でなくとも、沖縄のお墓はちょっとしたガレージ付きの小屋サイズが珍しありません。

 

③墓で宴会をするため

沖縄では納骨後その場で宴会が開かれます。

本土でも葬式後や納骨後には寺に併設されたレストランなどで会食となることがほとんどですが、沖縄のそれは場を改めることなく本当にお墓の敷地内で宴会を開きます

お重にご馳走を詰めてピクニックシートの上に広げ、三味線を弾き泡盛を飲む様子はまる親族が集まりピクニックをしているようだとも言われています。

沖縄の人々にとって、お墓は怖いものではなく先祖の霊と生きている親族が語らう憩いの場なのです。

ただし、納骨の際に墓の扉を開ける場に同席してはいけない人たちもいます。

妊婦・(地域によっては)子供・新築中の施主などは、お墓に引っ張られてしまうそうです。

 

9 珍味ヤシガニの怖い噂

引用元:http://karapaia.com

豊かな自然に囲まれた沖縄は、石垣牛にアグー豚にヤンバル鳥、そして様々なシーフードと美味しいモノの宝庫。

その中でもこちらで紹介するヤシガニは、絶滅危惧種の珍味としても人気の高い一品です。

ヤシガニはその名に反し蟹ではなくヤドカリの仲間であり、地上に住む甲殻類としては最大の種で体長1メートル体重4キロ以上まで成長し、寿命は50年と言われています。

餌は主にヤシの実やアダンの身ですが、彼らは食べることに貪欲でほぼ雑食、腐った動物の死骸でも残飯でも手あたり次第何でも食べます。

飢えれば共食いも厭いません。

 

間接的カニバリズ疑惑

沖縄伝統の埋葬法、風葬

何でも食べる雑食のヤシガニ。

個体の少ない長寿種で美味であるにもかかわらず、生息地の民に食い尽くされることなく今更絶滅危惧種。

これだけ条件が揃えば、勘の良い方は大体何の話かお察しのことでしょう。

墓場近くのヤシガニはことさら大きく育つ――沖縄にはそんな噂があるのです。

風化させている最中の遺体を食う、洞穴に入れられた遺体を食う、一度埋め二年後に掘り返し洗骨する予定であった遺体を掘り返して食う…様々な可能性が考えられます。

風葬土葬が当たり前だった時代には、人間の頭蓋骨を被ったヤシガニが道路を横断する姿が見られたというまことしやかな話もありますが、真偽のほどは定かではありません。

また、沖縄は第二次世界大戦で激しい地上戦が繰り広げられた土地でもあります。

50年を生きるヤシガニであれば、ほんの数十年前まで日米の戦死者を食らった個体も生きていたのではないでしょうか。

 

10 R―18!鬼餅の由来

引用元:https://matome.naver.jp

節分には恵方巻と豆、雛祭りにはアラレと桜餅、端午の節句には粽。

そして沖縄では旧暦12月8日(新暦1月下旬から2月上旬)に健康長寿を願って鬼餅(ムーチー)を食べる習慣があります。

実際に食べた感想としては、包んだ葉っぱの匂いが爽やかな素朴な粽といった具合で、紅芋味がたいへん美味しいお菓子でした。

タイの屋台で売っているタロイモやバナナを潰して糯米で包み蒸した菓子に似ているようにも思えます。

さて、この鬼餅という名称の由来が実はかなりヤバイのです。

 

お子様向け鬼餅の由来

昔朱里にある兄妹が住んでいた。

やがて兄は大里へと移り住み、夜な夜な人や獣を襲う鬼と化す。

鬼兄の凶行に心を痛めた妹は、鬼兄に鉄の塊の入った餅を食べさせ弱ったところを崖下に蹴り落し殺害した。

***

これが沖縄でお子様向けに語られている無難な由来物語

何の説明も脈絡もなく鬼と化す兄。

兄を説得ではなくいきなり殺しにかかる妹。

毒殺ならまだしも、鉄の塊入りの餅を弱るまで躊躇なく食う鬼兄。

鬼とはいえ実兄を崖下に蹴り落とす妹。

お子様向けの地点で突っ込みどころ満載の怖い話なのですが、真実の物語はこんなものではありません。

 

大人の鬼餅物語

800年ほど昔の物語――

朱里の金城に兄と妹が住んでいた。

両親を亡くした兄妹は二人で暮らしていたが、やがて妹は嫁いで行った。

一人残された兄は大里に移り住み、何故か山の洞窟で暮らし始める

その後しばらくして、母となった妹の耳に『おまえの兄が人食い鬼になった』というとんでもない噂が舞い込む。

妹は真偽のほどを確かめるために兄の元に向かうと、兄は噂と違わぬ人食い鬼となっていた。

世間に仇なす鬼と化した兄を捨ててはおけじと、妹は兄を殺すための『鉄餅作戦』を敢行する。

妹は鉄を仕込んだ餅と普通の餅を大量にこしらえ月桃の葉で包み、『好物の餅をご馳走するから』と兄を見晴らしのよい崖の上に呼び出した。

並んで餅を食べる兄と妹であったが、普通の餅をぱくぱくと食う妹に対し鉄入りの餅を渡された兄は噛み切れずに難儀する。

兄が妹の歯の強さに驚き凝視していると、妹はわざと着物の前を寛げ膝を立て血を流すホーミー(女性の陰部、漢字をあてると宝味)を露出して見せた。

兄は不思議そうに『お前の下の、血を吐いている口はなんだ?』と尋ねた。

すると妹は『上の口は餅を食う口。下の口は鬼を食うための口だ』と答え、着物をめくりあげて鬼となった兄に迫る。

驚き怯えた兄――鬼は飛び上がり、そのまま足を踏み外し崖から落ちて死んでしまった。

***

どうでしょう?

いろいろな意味で子供にはちょっとありのままを語れない由来ではないでしょうか。

血の繋がった妹による兄殺しだけでも強烈なのに、そこで更に妹が経血を流す陰部を露出して実兄に迫るのです。

結婚するような年齢の妹がいるのに、兄はホーミー見たことない上に生理も知らんのか?という素朴な疑問が残りますが、親代わりに妹の世話に明け暮れてきた兄が童貞こじらせた結果鬼になったのだとしたら気の毒な話です。

また、妹の結婚をきっかけに兄が朱里を離れ大里の山中で鬼になったことから、兄の妹に対する近親相姦願望を感じます。

嫉妬に狂った女性が鬼となる物語は能や狂言にも存在するので、可愛がり密かに異性としても愛していた妹をどこかの男に取られた兄が、一人山中で嫉妬に狂う内に鬼となったならば辻褄は合うように思えます。

 

ホーハイウタキ

朱里の金城御嶽には、今も崖から転落死した鬼の角が祀られていると言われています。

そこはホーハイ(女陰部を広げて見せる)御嶽と呼ばれ、鬼餅由来の拝所とされています。

ちなみに、いきなり陰部を露出した妹は私たちの感覚だと完全に痴女ですが、それが魔除けとして効果のある行動であることは古事記にも記されており、古代ギリシャ・ローマ・インドでも同じように認識されていたそうです。

 

まとめ

明るく朗らかな日本最南端の楽園沖縄。

実際旅行などをすると、たいへん楽しく何度足を運んでも飽きない素敵な土地です。

しかし、そこには明るく楽しい物語だけでなく、辛く厳しいたくさんの歴史がありました。

そうした多くの悲しみを乗り越えて尚、明るく歌い踊る身も心もタフな人々が築き上げた文化が今も沖縄には息づいています。

よその家の墓に立ち入らない、やたらと洞窟に入らない、動植物を傷つけたり採取しない、海を汚さない、悲しい歴史跡で悪ふざけをしない。

そうしたマナーを守り、あなたも是非一度沖縄を楽しんでみてはいかがでしょうか。



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