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【UMA】ツチノコの正体は!ツチノコの歴史・分布と目撃情報まとめ

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日本を代表するUMA(未確認生物)である、ツチノコ。1970年代から80年代にかけて社会現象になるほどのブームを起こした、国内では最も有名なUMAです。

目撃情報の数も非常に多く、目撃された場所も全国各地に散らばることから、ブーム最盛期にはツチノコを生け捕りにしようと山に入る人も後を絶ちませんでした。

かつて子供から大人まで、日本を熱狂の渦に巻き込んだというUMA・ツチノコについて紹介していきます。

 

ツチノコの基本情報

ツチノコの推定体長は30cm~80cm。三角形の頭部と横に張り出した太いを持ち、首の部分がくびれている、というのが目撃情報に共通する外見的特徴です。

胴回りの直径は7cm~15cm程で、背中の部分に斑紋や横縞の模様を持ち、腹部は蛇腹状。体色は黒やこげ茶、灰色といった暗色で、腹の部分のみ黄色または朱色がかっているそうです。また、背の部分は油を塗ったような艶があるとされます。

昼行性で単独行動を好み、変温動物の爬虫類らしく日光浴をする姿も目撃されています。肉食性でありながら、何故か好物は日本酒と人間の頭髪、特に女性のものを好むそうです。

基本的に警戒心が強く、臆病な性格と考えられていますが、身の危険を感じると3m近く跳躍をして体当たりをしてきたり、咬みついて致死性の毒を注入する等という話もあります。

引用:http://underzero.net

移動時は蛇のように地面を這うだけだなく、尺取虫のように体を伸び縮みさせながら前進・後退するという目撃情報も寄せられており、坂道を下る時には自分の尻尾を咥えて丸くなり、そのまま車輪のように回転すると言うのです。ちなみに車輪のように丸くなって移動する蛇型のUMAは他にも存在し、オーストラリアで目撃情報が報告されています。(フープ・スネーク)

更にツチノコは尾の力が強く、威嚇時にはコブラのようにトグロを巻いて首を持ちあげるのではなく、尾を軸として体を垂直に起立させる姿が目撃されています。尾を鍵爪のようにりようして木の枝に逆さにぶら下がっていた、という情報も寄せられていることから、相当の筋肉量があると想像されるでしょう。

水の中を泳いでいたという情報もあるため、これらの目撃情報がとても同一の生物に対するものとは思えない、複数の既知の生物の目撃情報が錯綜して出来上がったのがツチノコなのではないか、とも現在では考えられています。

 

ツチノコの歴史

ツチノコのルーツは『古事記』や『日本書紀』に登場する“野槌神”(ノヅチガミ)ではないかとされています。野槌神の正式名称はカヤノヒメという草の女神で、『古事記』『日本書紀』ともに彼女の容姿に触れている記載は見られないものの、夫のオオヤマツミが蛇の体をしていることから、野槌神も蛇体をしていると考えられるようになりました。

時代が下り、仏教が普及すると野槌神は暗闇の神や惑わしの神などを産んだとされることから、妖を産む女神、ひいては野槌神自体も妖怪として見られるようになったと言うのです。

鎌倉時代成立の『沙石集』には、徳の無い僧侶が妖怪、野槌に生まれ変わったという話があります。私欲に走った僧侶が、死後口だけはあるが目も鼻も手足もない、怪蛇に生まれ変わったという内容のものです。

『沙石集』に出てくる野槌は、山奥に棲む槌のような形をした短い蛇であり、人を見れば襲い掛かって食べてしまうというツチノコに似た特徴が描かれています。

更に江戸時代に発刊された『和漢三才図会』によると、野槌は深山の木の穴に棲み、大きいものは直径5寸(15cm)、体長3尺(約90cm)はあるという記述が見られます。頭と胴が均等の大きさで、柄のない槌のような形をしていると紹介されており、これはまさしくツチノコの原型であると言えるでしょう。

引用:http://calbalacrab.hatenablog.com/

また、縄文時代のものと思われる土器の中には、ツチノコの姿を模したようなものも見られます。上の写真の土器の柄の部分についている、扁平な体を持つ蛇のような生物の飾り。これがツチノコに酷似しているのです。

この土器は長野県茅野市の尖石考古館に展示されているもので、野槌及びツチノコとの関連性は不明なものの、縄文時代の日本にこのような形態の生物が存在した証拠ではないか、とも考えられています。

 

ツチノコブーム

現在からさかのぼること1000年以上前から、その存在が認知されていたと考えられているツチノコ。その存在は限られた地域ではずっと語り継がれていましたが、全国的には認知されていませんでした。

1970年代から始まるツチノコブームの火付け役となったのは、随筆家・山本素石氏の発表した目撃情報です。山本氏は1959年の8月22日にアマゴを釣るために京都の加茂川の奥地に入り、その時にツチノコと思われる生物に遭遇したといいます。

山本氏が土地の人間しか知らないような奥地に足を踏み入れた時に、山の斜面からビール瓶のようなものが飛び掛かってきて、間一髪で避けたところ足元に体長40cm程の扁平な蛇のような奇妙な生物がいたと言います。

山本氏は渓流釣りや山岳について文筆活動を行っていたことから、野生動物に関する知識や耐性は相当にあったとされます。しかし今までに一度も見たことの無い不気味な生物に恐怖を覚え、慌てて下山した山本氏は、近隣の住民にそれはツチノコだと教えられたそうです。

京都北郊の一部の地域の老人の間では、ツチノコの存在は当たり前のものであったのです。

 

ツチノコと懸賞金

ツチノコに対して興味を持った山本氏は、有志の人物とツチノコ捜索隊“ノータリンクラブ”を結成しました。いい歳をしたした大人がツチノコのようなものに現を抜かすのだから、脳が欠けているとして、この名称が付けられたそうです。

ノータリンクラブには、以下のような会員規則があったといいます。

会員規則1:ツチノコの存在を本気で信じること

会員規則2:渓流釣りを愛すること。特にマスの保護増殖に尽力すること

会員規則3:自分の妻子より、自然を愛すること

会員規則4:会員を増やす場合は、既存のメンバー全ての了承を得ること

会員規則5:一旦入会したら、死ぬまで辞めないこと

ツチノコにあまり関係ないものも含まれていますが、クラブの活動は非常に熱意のあるものでした。ツチノコの情報を募るために手配書を出した際には、クラブの活動を聞きつけた東京池袋の西武百貨店の広報担当から、ツチノコの手配書の配布と、懸賞金の援助の申し出があったといいます。

大手百貨店が広報した手配書は瞬く間に有名になり、ノータリンクラブの元には様々な目撃情報が寄せられたといいます。しかし、懸賞金欲しさにツチノコに群がる人がいる一方で、古くからツチノコの存在が伝えられてきた地域の人々は、何故か賞金首の生物を捕まえに行こうとはしませんでした。

ツチノコが身近な存在であった地域の人々は、見ただけで祟りがある、手出しをすれば必ず凶事が起こるといった言い伝えを信じており、中国地方などではツチノコのいる山は決して焼けないという伝説まであったそうです。

他にもツチノコにまつわる伝承は多く、例えば滋賀県の湖北地方には、山仕事に行く際の奇妙な風習が残っているといいます。半纏を着て山仕事に行く際は、紐を左右対称に結んではいけないと言うのです。

半纏の紐は必ず左右のどちらかが短くなるように結ぶように言い伝えられており、行儀よく左右対称に結んでいくと背中に背負った背負い子(山で採れたものを入れる籠)に、ツチノコが入り込んでしまうという言い伝えがあるのだとか。

懸賞金が掛かっているのだから、背負い子に入ってくれれば楽に捕獲できるではないかと思われるかもしれませんが、ツチノコが身近であった地域では、それだけ忌むべき存在であったのでしょう。

 

田辺聖子とツチノコ

西武デパートとノータリンクラブの手配書に加えて、ツチノコブームを後押ししたとされるのが田辺聖子氏の小説『すべってころんで』です。

1972年の初夏から秋にかけて、朝日新聞で連載されたこの小説は、作中にしばしば渓流釣りとツチノコ捜索の描写が挟み込まれていました。

作者自らツチノコ捜索の経験を積んだうえで書いたという描写は、ノータリンクラブの面々が認める程真に迫ったもので、翌年の1973年に本作がNHKの銀河テレビ小説としてドラマ化されると、ツチノコに対して興味を示す人は一層増えたそうです。

更には同年に『少年マガジン』で『幻の怪蛇バチヘビ』という、ツチノコ探索をテーマにしたドキュメント風の漫画の連載がスタートし、作者の矢口高雄氏が描くリアルなツチノコのイメージは、そのまま当時の子供たちの間で定着していったとされます。

そして、これを皮切りに1974年にはドラえもんでもツチノコ探しをテーマにした話が発表されるなど、子供から大人まで幅広い世代で、全国的にツチノコの存在は認知されていったのです。

 

ツチノコブームの顛末

東京都の多摩川などでも目撃情報が出たことから、大ブームとなったツチノコ捜索。ノータリンクラブと西武デパートが提示した30万円を、はるかに超える懸賞金を掛ける企業も出てきました。

中でも行政が町おこしとして掛けた懸賞金の額は超高額で、新潟県糸川氏はなんと1億円、兵庫県千種市は2億円もの懸賞金を掛けたといいます。

しかし、ここまでくると「存在しないからこそ、非現実的な懸賞金を提示するのだ」と逆に興ざめする人も出てきたようです。結局、目撃情報だけは多く寄せられるもののツチノコを生け捕りにできた例はなく、ブームは尻すぼみになっていきました。

ブームの火付け役となった山本氏も、高すぎる懸賞金や荒らされる山河、金儲けにツチノコが使われることに嫌気がさして、早々にツチノコ捜索から手を引いたそうです。

 

ツチノコの名称と分布

ツチノコは北海道と奄美、沖縄を除いた日本全国で目撃されているUMAです。ここまで広い範囲で目撃が報告されているUMAは河童やケサランパサランなど限られたもののみで、遠出をしなくても探索ができるという気軽さも、ツチノコ探しがブームになった理由ではないかと考えられています。

目撃範囲が広いツチノコは、日本各地で異なる名称を持つことでも知られています。その代表的なものが、こちらです。

岩手…ノヅチヘビ、キギヘビ

秋田…ノヅチ、バチヘビ

福島…ツチンボ

新潟…ヨコヅツヘンビ、ツツマムシ、カメノコ

福井…タンコロ、コロヘビ、コロ

愛知…ツトヘビ、ツトツコ

滋賀…ゴハッスン、トックリヘビ、三寸ヘビ

京都…スキノトコ、ゴハッスン、キネノコ

岡山…テンコロ、テンコロバン

福岡…コウガイヒラクチ、コロガリ

熊本…タワラヘビ、トウヘビ

 

ツチノコの目撃情報

ツチノコブームが起こる前からブームが去った現在に至るまで、ツチノコの目撃情報は数多く寄せられてきました。その中には、以下のようなものがありました。

 

ツチノコを食べた

1967年に刊行された斐太猪太郎氏の著作『山がたり』には、長野県に住む徳竹則重氏という男性が、ツチノコを食べたことがあると証言したという記述があります。

徳竹氏は蛇を獲ることが非常に上手かったそうで、ツチノコも3度目撃して、そのうちの2匹の捕獲に成功。そして両方とも撲殺して、食べてしまったというのです。

この男性によると、ツチノコはマムシよりも脂肪分が多く肉が柔らかいそうですが、ヒキガエル程は美味しくないということです。

ツチノコの死骸を発見

2000年、岡山県吉井市(現在の赤盤市)で、ツチノコと思われる生物の死骸が発見されました。最初にこの死骸を見つけた主婦は、何の生物のものか深く考えずに近所に埋葬したといいます。

しかしこの話を聞いた市役所職員は、死骸の特徴がツチノコに酷似していると感じ、すぐさま掘り起こして鑑定を頼みました。そして、鑑定の結果この死骸はヤマカガシという蛇のものと判明したそうです。

 

ツチノコを飼っていた町

2001年の6月初め、兵庫県美方町でツチノコに似た生物が発見されました。町の人々は、この生物に“つーちゃん”と名前を付けて可愛がっていたそうですが、つーちゃんの正体は卵を身ごもって丸々と太った蛇だったと言います。

つーちゃんの正体も岡山県吉井市の死骸と同様にヤマカガシであり、腹部に比べて極端に尻尾が細く見えるのは、怪我をしていたからではないかと考えられています。

実際、つーちゃんが産んだ卵から孵ったのは普通のヤマカガシでした。

 

ツチノコの正体とは?

既知の生物の中にツチノコの正体はいるのではないか?という説が、昨今では有力視されています。ツチノコの正体と考えられているのは、以下のような生物です。

 

アオジタトカゲ説

ツチノコの正体として、有力視されているのがアオジタトカゲです。アオジタトカゲはオーストラリアに分布する生物ですが、1970年前後に日本に輸入され始めました。1970年というと、ちょうどツチノコブームの頃です。

体長は平均45cm~60cm程。三角形の頭を持ち、腹部が楕円形に膨れたずんぐりとした体形で、上から見るとツチノコそっくりのシルエットをしているのです。

勿論、トカゲなので脚はあるのですが、短いために草むらなどで見ると太い体の陰になって見えない可能性も高いでしょう。

また、ツチノコには瞼があり目を閉じるとされているのですが、ほとんどの爬虫類が、瞬膜と呼ばれる水平方向にシャッターのように動く透明の膜を瞼の代わりとするため、人間のように上下に瞼を動かすものは珍しいとされます。しかし、アオジタトカゲには瞼があり、平行に閉じることができるのです。

他にもアオジタトカゲは前脚を使って上体を持ちあげることができることから、これをツチノコの威嚇ポーズと勘違いしたのではないかという指摘もあります。

 

何かを飲み込んだヘビ説

ツチノコを目撃した誤情報に多く登場したヤマカガシですが、実際にヤマカガシがヒキガエルや鼠を飲み込んだ状態は、腹部が膨れてツチノコそっくりになるといいます。山岳愛好家の中では、この状態の蛇を“風船”と呼ぶことがある程、腹部が膨張している個体もいるそうです。

他にもマムシの見間違いではないか?という説もあります。これは外見だけではなく、足場の悪い所ではマムシはジャンプしているような動作を見せることによるようです。

しかし、マムシのジャンプ力はせいぜい10cm~20cm程度。2m~3mは跳躍するというツチノコの正体と決めには、少し無理があるかもしれません。

パフ・アダー説

アフリカの毒蛇、パフ・アダーがツチノコの正体なのではないか?という説も存在します。実際、頭が三角形で首が括れていて胴が太い、というシルエットはツチノコに酷似しています。

しかし、パフ・アダーの毒は非常に強く、咬まれた場合は24時間以内に血清を打たなければ死に至るという恐ろしいものです。現在でも日本国内では研究機関などでしか飼育されていない危険な毒蛇が、山中に普通にいるというのは不自然に思われます。

 

オオサンショウウオ説

引用:https://www.huffingtonpost.jp/

泳いでいた、水中で見たという証言があることから、オオサンショウウオがツチノコの正体とする説もあります。大型のものでは体長150cm程度にもなるオオサンショウウオですが、小型のものは50cm程度のものも存在します。

ツチノコの目撃情報が多発している河川でも、オオサンショウウオは生息していることが多いので、見間違えることは考えられます。

しかし、ツチノコの有名な特徴として動きが非常に機敏というのが知られており、これにはオオサンショウウオは当てはまりません。

また、オオナメクジをツチノコと勘違いしたのでは?という説もあるようですが、オオナメクジの体長は最大でも15cm程度のため、これもツチノコの正体としては当てはまらないように感じられます。

 

ネコ説

引用:http://nekotp.com/

非常に可愛いですが、ツチノコの正体ではなさそうです。

 

絶滅した種説

引用:http://sow.ggnet.co.jp/

縄文時代の土器にツチノコと思しき飾りがついていることなどから、かつては本当に存在した生物で歴史上のどこかでひっそりと絶滅している爬虫類が、ツチノコの正体なのではないか?という説も存在します。

実際、ツチノコブームを先導した山本素石氏が初めてツチノコを目撃した際、山の麓で生活する古老達は「もうとっくに死に絶えたと思っていたのに、まだツチノコがいたのか」といった発言をしていたそうです。

山で生活をする人、特に高齢の人は不思議な体験をしても、それを都会に暮らす人間のように吹聴したりせず、いつの間にか忘れてしまう習慣があると言われています。そのため、一時期はあちこちで見た奇異な生物がいなくなっても、取り立てて騒ぐことなく、静かにツチノコは消えていった可能性もあるのです。

 

まとめ

日本人と非常に密接な関係を持つツチノコ。日本中が捜索に沸いた時期でさえ生け捕りにすることができなかったことから、現在では、ツチノコはいないのではないか?という説が濃厚になっています。

しかし一方で、マムシやヤマカガシといった日本在来の蛇で突然変異を起こしたものがいて、それがツチノコのような見た目をしているのではないか?という新種(亜種)の生物説も存在します。

現在でもツチノコの目撃情報が多かった岐阜県の東白川町では、毎年5月に捕獲懸賞金が出される“ツチノコフェスタ”が開催されており、まだツチノコブームは静かに続いているようです。

 



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