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世界のUFO目撃談11選

未確認飛行物体とは、英語でUnidentified Flying Objectと呼ばれ、UFOという略称はお馴染みのものでしょう。

UFOは、名前の通りその正体が何であるかが分かっていない飛行物体のことを指し、もともとは航空・軍事用語です。

本来は正体不明の航空機や観測気球、ミサイルなどのことを指す用語ですが、一般的には宇宙人の乗り物というイメージが定着しています。

UFOはあくまでも正体の分からない物体のことを指すものなので、たとえ異星人の乗り物であっても、正体が特定されているならUFOではないのですが、これもUFOというのが一般的になっています。

宇宙人が果たして本当に存在するのか、現時点ではっきりとした証拠はありませんが、世界各地では古くからこうした謎の飛行物体が多数目撃されており、古代文明の壁画や人形、土器などにもUFOや宇宙人を連想させるものが残されていることもあります。

特に、飛行機が発明されてからは、飛行中のUFOとの遭遇といった事例も出てきました。

ここでは、世界各地で目撃されたUFOに関する証言の数々を紹介していきます。

UFO目撃談の分類

引用:https://miraijin.info/ufo-identify/

UFO目撃談のパターンにはいくつかの分類があり、CE (Close Encounter:接近遭遇)として、

・CE1(第一種接近遭遇)……近距離からの目撃で証拠などを残さないケース。

・CE2(第二種接近遭遇)……ミステリーサークルのようにUFOが周囲に影響を与え、なんらかの証拠を残すケース。

・CE3(第三種接近遭遇)……UFOの搭乗者である宇宙人の目撃。

・CE4(第四種接近遭遇)……アブダクション(宇宙人による人間の誘拐)

の4つのパターンに分けられます。

ほかにも、夜間に目撃されたのか(NL:Nocturnal Lights:夜間発光体)、昼間に目撃されたのか(DD:Daylight Discs:白昼円盤体)、目視とレーダーの2つによって確認された場合(RV:Radar/Visual cases)や、目撃されたUFOのタイプによってアダムスキー型や円盤型、葉巻型などいろいろな分類があります。

ケネス・アーノルド事件

引用:www.dailytelegraph.com.au

現在のように、UFO=空飛ぶ円盤というイメージが生まれたのが、このケネス・アーノルド事件と呼ばれるUFO遭遇事件です。

1947年6月24日、アメリカ人のケネス・アーノルドはアメリカ北西のワシントン州レイニア山付近を自家用機で飛行していました。

前日、このあたりでは海兵隊の輸送機が消息を絶っていて、アーノルドの目的は発見者に与えられる褒賞金5000ドルでした。

午後2時59分ごろ、アーノルドは9個の飛行物体が輝きながら飛んでいるのに遭遇します。

その飛行物体は三日月形をしていて通常の航空機のように尾翼がなく、ジェットエンジンのような音も聞こえませんでした。

第二次大戦中にドイツ軍などで開発されていた全翼機に似た形状といえます。

 

引用:www.elixirofknowledge.com

飛行物体は不規則な編隊を組みながら、当時の技術では不可能な音速をこえるようなとてつもない速さで、水面を刎ねる水切りの石のような動きを繰り返していました。

この出来事は地元のマスコミに取り上げられ、「空飛ぶ円盤」として大々的に報道されました。

アーノルドは、自分が証言したのは、その飛行物体が水の上を跳ねるようなコーヒーの皿(円盤)のような動きをしていたということで、飛行物体そのものが円盤型であったわけではなく、マスコミが自分の話の一部を誤って報じたと反論しましたが、世間ではこの空飛ぶ円盤という馴染みの良い表現がすっかり定着してしまっていました。

ただ、アーノルドは最初、飛行物体のことを円盤状と表現していたのが後に三日月形へと修正したともいわれ、その他にも普通の人には見えるはずがない、40mほど離れた距離を飛行していたと証言するなど、この事件には謎も多く残されています。

しかし、この事件によって、多くの人々のなかにUFO=空飛ぶ円盤というイメージが定着し、この事件を記念して6月24日は「UFOの日」とされています。

ロサンゼルスの戦い

引用:ufojikenbo.blogspot.com

1941年12月7日、日本軍の真珠湾により太平洋戦争がはじまりました。

日本軍の奇襲攻撃によってアメリカの国土が攻撃を受けたという事実はアメリカ国民に衝撃を与え、国内では日本軍のさらなる攻撃に対する不安感が高まっていました。

真珠湾から2か月半が過ぎた1942年2月25日、全米を揺るがす大事件が発生します。

なんと、ロサンゼルスの街が日本軍の航空機によって夜間に空襲を受けたというのです。

日本軍、ロサンゼルスを空襲!?

この頃、アメリカの西海岸には日本軍の潜水艦が出現しており、輸送船を撃沈したり、カリフォルニア州のサンタバーバラにある製油所を砲撃したりと、日本軍の襲撃に対する警戒が高まっていました。

小規模とはいえ、アメリカ本土が攻撃を受けた事実はアメリカ国民に大きなショックを与え、カリフォルニア州沿岸では灯火管制などが行われていました。

2月25日に日付が変わった深夜2時15分、陸軍の防空レーダーがロサンゼルスの西方120マイル(193㎞)を飛行する謎の物体を捉えました。

正体不明の飛行物体は、ロサンゼルスに接近。

ただちにロサンゼルス全域に灯火管制が敷かれるとともに、対空砲や迎撃機が防衛体制をとります。

ロサンゼルスを襲う謎の発光体

3時16分、沿岸砲兵隊が日本軍の空母艦載機と思しきこの飛行体にむけて高射砲の砲撃を開始します。

サーチライトの光芒がいくつも夜空を照らし出し、夜の街は俄かに騒がしくなりました。

いくつかの飛行体はサーチライトに照らし出されながら、高度約3650㎞で沿岸に接近。

3時すぎにはサンタモニカで赤い発光体が目撃され、20分間にわたり、ロングビーチのほうへと飛行する姿が目撃されました。

飛行物体との戦闘は約58分間続き、軍は1430発におよぶ砲弾を夜空へ撃ち上げました。

市民もふくめ、多くの目撃者がこの飛行物体の存在を認め、あるものは赤や銀の光を放つ小さな物体で、夜空を高速でジグザグに飛び回り、かと思えばものすごくゆっくりと動く物体や、どこからともなく現れては突然消えるものもあったといいます。

なかには、「25機ほどの飛行機がV字編隊を組んでロングビーチのほうへ飛んでいくのが見えた」というはっきりとした証言もありました。

海軍のベテラン観測員による、サーチライトの明かりの中に銀色の9機を確認したという証言もあります。

謎の飛行体は街に爆弾を落とすこともなく、ロングビーチのほうへと飛び去りどこへともなく消えてしまい、朝になると街のあちこちには撃ち上げられた砲弾の破片が散乱していました。

街では、パニックで心臓発作を起こしたり、慌てて交通事故を起こしてケガ人が出たりしていましたが、飛行物体による直接の犠牲者は出ていませんでした。

存在しなかった飛行体?

引用:ja.wikipedia.org

そして、後日ロサンゼルスの人々を驚かせる発表が軍から出されました。

ワシントンのフランク・ノックス海軍長官によると、25日の夜、ロサンゼルスの上空には日本軍の航空機は1機も飛んでおらず、日本軍の空襲に対して神経過敏になっていた軍によって誤って警報が出されただけだったというのです。

しかし、実際に発行する飛行隊を目撃していた多くの人々にとってこの発表は当然信じられるものではありませんでした。

そして、陸軍からは逆にあの夜に軍が所属不明の飛行物体と交戦したのは事実であるという発表が出されると、世間はますます混乱しました。

2月26日、陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルがフランクリン・ルーズベルト大統領に送った極秘の覚書によると、当時ロサンゼルスの上空には未確認の飛行物体が15機ほど飛行していて、速度は非常に遅いものから最高で約320㎞/h、高度2700~5400mを飛行していたと記されています。

しかし、ロサンゼルスの街が攻撃を受けていないため、未確認飛行物体であるとするなら正体は民間機で、対空砲の位置を探ったりパニックにより街の生産性を低くする破壊工作が目的と分析しています。

陸軍のレーダーがその夜なにかを捉えていたのは事実であり、一般に発表されたように、まったくの間違いということはないようです。

ロサンゼルスを襲った者の正体は?

引用:ja.wikipedia.org

当時、日本の空母機動部隊はアメリカ西海岸から遠く離れたインド洋でイギリス海軍と戦っており、はるばるロサンゼルスを空襲できたはずもありません。

日本の潜水艦のなかには航空機を搭載できるものもありますが、せいぜい1隻につき1機で、15機という編隊を組むことはできません。

ソ連など第三国の航空機による領空侵犯だったという説もありますが、真相は今に至るも明らかになっていません。

アメリカ国防省は長い間、この事件があったこと自体を認めようとはしませんでした。

当然、日本軍の記録にもこの夜ロサンゼルスを攻撃したという内容のものはありません。

UFOという言葉が一般的になったのは戦後のことで、当時の人々はこのような概念はもっていませんでした。

しかし、この出来事は現代の目でみるとまさにUFOの目撃談といえるもので、しかもこれだけ大勢の人々によって目撃されたというのは希少なケースといえます。

当時の新聞の写真にはサーチライトの光に照らされ夜空に浮かび上がる飛行物体の姿が写されており、あの夜、何かがロサンゼルスの空を飛行していたのは紛れもない事実のようです。

フー・ファイター

引用:japaneseclass.jp

航空機が大きく発達し、戦争のなかで重要な役割を果たすようになった第二次世界大戦中、連合国・枢軸国の両サイドのパイロットによって、謎の飛行物体がいくつも確認されています。

当時はまだUFOという言葉はなく、こうした未確認飛行物体は、当時アメリカで人気だったコミック『スモーキー・ストーヴァー』の登場人物のセリフから「フー・ファイター」と呼ばれました。

フー・ファイターは最初、敵軍の秘密兵器ではないかといわれ恐れられましたが、フー・ファイターがパイロットや航空機に対して危害を加えたという事例は報告されていません。

一部では、航空機の電気系統や電磁系統に異常を起こす例もあったといいます。

フー・ファイターの多くは光ったり、群れを作ったりして、まるでこちらを監視しているように密着して飛ぶこともありました。

1943年10月14日のシュバインフルト爆撃では、第384爆撃航空群のB-17爆撃機が爆撃進路に入ろうとしたとき、厚さ2.5㎝、直径7.5㎝ほどの銀色の未確認飛行物体が突如接近してきました。

当時、すでにドイツ軍の迎撃機は上空から姿を消していました。

避けられなかった何機かはこの円盤と衝突する機体もありましたが、奇妙なことに直撃したにも関わらず、機体には何の損傷もなかったということです。

太平洋においても、1944年8月10日、インドネシアのスマトラ島パレンバンの製油所を爆撃していたアメリカ軍のB-29の1機が、機体の右方向に直径1.5~1.8mほどの点滅するオレンジ色の球体を発見しました。

このとき、B-29は、高度4300mを340km/hで飛行していましたが、その飛行物体は気体にぴったりとついてきて、振り切ろうとしてもできなかったということです。

謎の発光体は8分ほどそうしてB-29につきまとっていましたが、やがて、90度旋回して急加速し、上空の雲の中へと消えていきました。

1942年のソロモン諸島では、地上の海兵隊員によって空襲警報とともに150ほどの銀色の飛行物体が10~12の列を形成して空を飛び去るのが目撃されています。

この物体は震えるように飛んでいて、通常の日本軍機よりも速く感じたということです。

こうした謎の飛行物体の目撃例は枢軸国側にも存在し、1943年12月にはドイツのハンブルクで北東に向けて円柱状で先端の尖ったロケットのような物体が高速で飛び去るのが目撃され、ドイツ空軍機がスクランブル発進したものの捉えることができなかったという事件もありました。

こうした謎の飛行物体は日本軍においても目撃情報があり、中国やビルマ上空、さらには日本本土で日本軍機から撮られた謎の飛行体の写真なども残されています。

戦後の1946年スウェーデンを中心とした北欧諸国でドイツ軍のV2に似た謎のロケットが目撃されるという事件もありました。

引用:http://www.sspc.jpn.org/

フー・ファイターらしきものは朝鮮戦争でも目撃されることがあったといいます。

謎の飛行物体の正体としては、プラズマや球電のように空気中で起こる発光現象、飛行機の翼で起こる放電現象、空中の氷の結晶の反射、見間違えや幻覚など様々な説がありますが、現在も答えはでておらず、フー・ファイターが地球外から来た飛行物体であるという説も根強く存在しています。

ロズウェル事件

引用:matome.naver.jp

世界で最も有名なUFO事件といわれるロズウェル事件は、アメリカのニューメキシコ州ロズウェルで起きたUFOの墜落事件です。

このとき、墜落したUFOはアメリカ軍によって回収されたといわれ、後にはこのとき捕えられた宇宙人を解剖した様子を映したといわれる映像まで出回りました。

1947年7月3日深夜のこと、ロズウェルの北西約120㎞のところにある牧場の管理者であるマック・ブラゼルは異様な爆発音を耳にしました。

同じ頃、ロズウェルの街の複数の住民が落雷のような轟音とともに、飛行機のようなものが墜落していくのを目撃しました。

その飛行物体は皿を2つ向かい合わせにして重ね合わせたような楕円形をしていて、全体から夥しい数の光を発していたといいます。

翌朝、墜落現場の様子を見に行ったブラゼルは、牧草地に散らばる金属片とプラスチックの棒のようなものを見つけました。

このことは警察にも通報され、保安官から空軍に報告されました。

ロズウェル空軍基地からやってきた兵士2人は保安官と一緒に、現場付近で金属片やゴムの破片などを回収して持ち帰りました。

現場付近は封鎖され、ブラゼルがすでに持ち帰っていた金属片も没収されることになりました。

そして、7月8日、新聞で陸軍からの驚くべき発表が報じられました。

それは、軍がロズウェル付近の牧場から「空飛ぶ円盤」を回収した、というものです。

この話は、アメリカはもちろんのこと、海外でも広く報道され、本物のUFOが発見されたという歴史的なニュースは世界中の人々の注目を集めました。

しかし、7月9日、空軍の報道官であるホート中尉は、墜落したのは空飛ぶ円盤ではなく、気象観測用の気球だったという発表を行い、これまでの発表内容を訂正しました。

この見解はアメリカ軍の公式見解としてその後も変わることはなく、軍の公式報告書である『ロズウェル事件採集報告書』においても踏襲されています。

UFO発見のニュースに世間は大きな盛り上がりを見せており、突然の修正をいぶかしむ人々もいましたが、やがて報道も落ち着いていき、事件のこともいつしか忘れられていきました。

新証言の登場 墜落したのはUFOだったのか?

引用:mnsatlas.com

1978年、墜落した物体の残骸回収を行った軍人が、この事件では軍による隠蔽があったという証言をしたことで、再びロズウェル事件に注目が集まりました。

他にも、当時、宇宙人と宇宙人の乗り物を回収することを目的とした大規模な軍事作戦があったという証言や、1989年には、元葬儀屋の男からロズウェル基地で宇宙人の死体解剖が行われていたという証言も飛び出し、後にはこの時のものといわれる17分間にわたる宇宙人解剖のフィルムまでが公開されます。

2007年には、当時墜落したのは気球だったという発表を行い、UFO墜落を否定した報道官のホート中尉が事件に関して隠蔽があったことや、宙人の死体を目撃したと記述された宣誓報告書にサインをしていたことなども明らかになり、ますます疑惑は深まっています。

こうした証言や映像については、嘘や捏造を疑う声も上がっており、真相はいまだに明らかになっていません。

果たして墜落した物体の正体は空飛ぶ円盤だったのか、それとも本当に気球だったのか、今となっては真実の究明は困難となっています。

しかし、一部のUFOマニアの間では、このとき回収されたUFOの破片はまだ軍で保管されているといわれ、その場所は、オハイオ州にライト・パターソン空軍基地か、もしくはネヴァダ州にあるエドワーズ空軍基地の管轄下にある空軍施設、通称「エリア51」内にある第18格納庫だといわれています。

UFO以前の時代

引用:okakuro.org

ライト兄弟が飛行機の初飛行を行った1903年、それ以前にはUFOという言葉がまだ一般的でなかったどころか、そうした概念時代がまだ人々のあいだになかった時代でした。

しかし、その頃でも、謎の飛行物体が目撃されるという事件がありました。

それが、1896~97年にかけてアメリカ各地で目撃された謎の飛行船です。

この飛行船は1896年の11月から97年の5月頃までのあいだ、アメリカ全土で目撃例が報告されたものです。

この頃、日本はまだ明治時代(明治29年)で、アメリカといえどもまだ操縦できる飛行船などない時代でした。

ヨーロッパでは飛行船の開発が行われていましたが、遠く大西洋を渡るような能力はなく、ドイツのツェッペリン伯爵による実用飛行船LZ1が空を飛ぶより4年も前の出来事です。

飛行船はカリフォルニア州を発祥として、中西部やテキサス州で多くの目撃情報が上がりました。

それは、空高くを飛ぶ葉巻のような幅広の物体で、ずんぐりとした翼をもっていました。

夜には赤、白、緑などまるでクリスマスのような色とりどりの光を放ち、昼夜を問わず目撃されていました。

1897年4月19日のウエストヴァージニア州の小村での目撃例では、ブンブンと音を出す巨大なヒレを付けた60mほどの大きさの円錐状の筒型の物体が現れ、ライトのようなものから白くまばゆい光を放ち、村全体をまるで昼間のように照らし出したといいます。

飛行船の形状は、円柱状のものから、ゴンドラのようなもの、葉巻型のものなど目撃談によって様々で、謎の飛行船が墜落した、中から声が聞こえた、搭乗員らしきものが降りてきて話をしたといった話まで残されています。

ちなみに、飛行船の乗組員は、東洋人のような顔をしていたり、背の高い髭面の白人であったりとこちらも目撃談によって様々です。

こうした話のなかには、作り話も混じっていたかもしれませんが、とにかく謎の飛行船は当時の新聞でも取り上げられ、アメリカ中を巻き込む大きな騒動になっていたことは事実です。

飛行船の正体については、星の光などの自然現象の見間違いや、新聞が報道をエスカレートさせて騒ぎを大きくした、実はアメリカのどこかの発明家が秘密で開発した飛行船だったなどいろいろな説がありますが、はっきりとしたことはわかっていません。

目撃談にある、飛行船が発した色とりどりの光やまばゆい光が事実だとすると、その後に開発された実際の飛行船とはかけ離れた乗り物であったようにも思えます。

飛行船病

引用:natgeotv.jp

このように存在するはずのない飛行船は、第一次大戦中のイギリスでも目撃例があります。

この頃にはすでに飛行船も開発済みで、戦争中にはドイツのツェッペリン飛行船によるイギリスへの空襲も行われました。

しかし、戦時中のイギリスでは、全長30mほどの魚雷型をした飛行船のようなものが凄まじいほどの高速で空を飛ぶ様子が目撃されています。

この飛行船はイングランドの南部で目撃され、ウェールズ地方にも拡大していきました。

当時すでにドイツの飛行船は有名だったため、イギリスの人々はこれをドイツが飛行船を使って偵察行動を行っているのだと考えました。

しかし、この時代は飛行船どころか航空機であってもこのような高速が出せるはずがありません。

この謎の飛行船は1912~13年にかけて多数目撃され、新聞ではこうしたありもしない飛行船を目撃する例を「飛行船病」と呼びました。

ドイツ飛行船に対する警戒心と恐怖心が人々にそうした勘違いを起こさせたとも考えられますが、その正体はなんであったのか今でも不明のままです。

このように、UFOという言葉や概念が決して一般的ではなかった時代であっても、未確認飛行物体に関する目撃例は世界各地に存在していたのです。

介良UFO捕獲事件

引用:spase.blog.jp

1972年、高知県高知市東部の介良地区で中学生たちがUFOを捕獲するという事件がありました。

中学生の友達グループが数人でいたところ、田んぼの中で地上から1mほどのところで浮遊している謎の物体を見つけました。

その飛行物体はハンドボールほどの両手に乗るくらいの大きさで、色とりどりの光を放っていました。

気になった中学生たちが翌日同じ場所にいくと、灰皿のような奇妙な物体を見つけました。

引用:ufojikenbo.blogspot.com

その物体は、底の部分の中央に正方形があり、中には直径3㎜ほどの穴がいくつも開いていて、中にはラジオのような部品がびっしりつまっていて、穴の周りに古代の壁画のような絵柄が描かれていました。

1人がその物体を持ち帰って調べようとしましたが、不思議なことに翌日になるとその物体は家のタンスから消えており、前と同じく田んぼの中に戻っていたのです。

そこで、再びその物体を回収して友達と一緒に内部を調べたり、水を注ぎ込んだりと観察や実験を行いました。

しかし、その物体は文鎮で思い切り叩いても傷1つつかず、ジージーという虫の鳴くような音をさせながらヤカン2個分の水をすべて吸収し、そして、家に置いておくとやはり次の日には元の場所に戻っていました。

写真を撮ろうとしてもシャッターがうまく降りず、ぼやけた写真が撮れるだけでした。

ヒモで縛っておこうとすると、今度はハンドボール大の発行物体が出現して、強力な力で引っ張られ、謎の物体は消失してしまったということです。

中学生の証言だけで物的証拠はなにもないこの事件ですが、後にこの事件を取材したUFO研究家によると、インタビューの最中に彼らはUFOの大きさを巡って真剣に口喧嘩をはじめました。

もし作り話ならあらかじめ口裏をあわせようとしたはずで、それが却って事件が真実なのではないかと感じさせたそうです。

ブラジル空軍vs UFO コラレス島事件

引用:www.ufoinsight.com

1977年末、ブラジル北部のパラ―州コラレス島で、UFOの目撃情報が相次ぐという事件がありました。

報告の数は、数十から数百にも上るといわれ、その多くはまばゆい光を放つ物体が低空を飛行しているのを見たというものです。

目撃談を元にしたスケッチによると、その物体は円柱形で、底部に細長い円柱型のライトのようなものがついており、側面からは細い棒のようなものが出ています。

飛行物体が放つ光を浴びた人は、めまいや震えが起きたり、傷を負ったりして、多くの被害者が失血していました。

そのため、地元の人々はこの物体のことをポルトガル語で「吸う」を意味する「チュパチュパ」と呼びました。

この事件でコラレスの街はパニック状態になり、お手上げになった市長は、事態を鎮めるため軍に救援を求めました。

これにより、ブラジル空軍が動き、このとき行われた作戦はオペラサオ・プラート(円盤作戦)と名付けられました。

円盤作戦は翌1978年まで続けられ、空軍では作戦行動中に未確認飛行物体の証拠写真がいくつも撮られたといわれます。

この作戦の結果、UFOの目撃情報は次第に減少していき、コラレス島は平静を取り戻していきました。

そして、空軍による作戦行動もいつしか終了したということです。

この事件の真相をただの集団ヒステリーだったという説明で片付けようとする向きもありますが、UFOは住民から血を集めることによって地球人に関する情報収集を行っていたという説もあります。

ブラジル空軍には円盤作戦に関する数百ページにおよぶ報告書が存在するといわれていますが、軍はこの事件に関する情報を公開することを渋っており、この時コラレス島で何が起きていたのかはいまだに謎のままです。

甲府事件

引用:gakkenmu.jp

甲府事件は、1975年に山梨県甲府市で起きた小学生がUFOと宇宙人に遭遇したという事件で、日本における宇宙人目撃例のなかでは最も有名ともいわれるものです。

1975年2月23日午後6時ごろ、甲府市立山城小学校の2人の男子児童K君とY君は、K君の家の近くでローラースケートをして帰宅する途中でした。

日はすっかり沈んでいて、あたりは薄暗くなっていました。

ついてくるUFO

引用:www.he-fumu.com

すると、K君が達沢山の上空にオレンジ色の光を発する2つの謎の物体を発見しました。

K君はY君にも急いでこのことを知らせ、2人が見守る中、物体のうち1つは北に向かい遠ざかっていきましたが、もう一方は2人に気づいたのかこちらに近づいてきて頭上で止まりました。

UFOの底部から、黒い筒のようなものが伸びてきて、カチリカチリというカメラのシャッター音のようなものが聞こえました。

怖くなった2人はK君の家に向かおうとしましたが、飛行物体は2人のあとをついてきたため、近くの福王寺の境内の墓地に身を隠しました。

UFOは2人を見失ったのか、やがて前の1機と同じく北へ向かって姿を消しました。

現れた宇宙人

引用:japaneseclass.jp

安堵した2人は隠れ場所から出てくると、急いで家に帰ろうとしました。

すると、途中にあるブドウ畑にさしかかったとき、炎のような光を見つけ、再びさっきのUFOがいることに気がつきました。

UFOは、光の明滅を繰り返していましたが、2人が近づいてきたのを見計らったようにブドウ畑の上で横滑りし、青白い光を放つようになります。

2人は、恐怖心もありましたが、好奇心もあり、しばらくそのUFOを見つめていました。

UFOは直径5m、高さ2mほどの大きさで、ドームの下に皿を逆さにしたような本体がついている円盤で、底部には3つの球形の着陸ギアがついていました。

機体はステンレスのような銀色で、光を放っており、見たこともない文字が書かれていました。

5分ほど見つめていたでしょうか、最初は回転していたドームがやがて停止し、ガタンという音とともに文字の右横にあったドアが開きました。

ドアの内側は階段になっていて、そこから前かがみになった宇宙人が降りてきました。

その宇宙人は身長120㎝ほどでチョコレート色の顔をしており、髪の毛はなく、のっぺらぼうで目はついていませんでしたが、顔一面に横一線の深いしわが走っていました。

ウサギのような細長い耳は先が尖っていて、真ん中には穴が開いていました。

手の指は4本で茶色の手袋のようなものをしていて、脚にはブーツのようなものを履いていました。

銀色に光るスーツに身を包み、腰にはベルトをして、先端部がラッパのようになった銃のようなものを肩から下げていました。

宇宙船の中ではやや小柄なもう1人の宇宙人が操縦桿のようなものを握って座っているのも見えました。

宇宙人との接触

K君は、宇宙人がY君の背後に近づいてくるのをみて、「逃げろ!!」と叫びました。

宇宙人はY君の肩を2回叩くと、テープレコーダーを早送りしたときのようなキュルキュルという声を出してなにか言いました。

Y君はあまりの恐怖に動けなくなり、その場にへたりこみました。

そして、身の危険を感じて死んだふりをして、薄目を開けて宇宙人の様子を見ていました。

宇宙人はY君に手を出すわけでもなく、早足に周囲を歩き回りながら観察しているようでしたが、やがてY君から離れていきました。

そのスキにK君はY君を背負って一目散にブドウ畑を駆け出し、その場から逃げ出しました。

2人が家族を連れてきたとき、宇宙人の姿はすでにありませんでしたが、ブドウ畑にはまだ燃えるように光るUFOがあり、子供たちの親もそれを目撃しています。

さらに、近隣の住民らからも飛行物体を目撃したという複数の目撃証言が上がりました。

山梨日日新聞の協力によって行われた現地調査によると、現場のブドウ畑ではコンクリートの柱3本が折れていたほか、地面にはところどころ穴が開いていてリヤカーで引きずったような轍が残されていました。

さらに、放射能の専門技師が調べたところではUFOが着陸していたとされる場所からは、人工的な残留放射能が検出されたということです。

これがUFOによるものなのかどうかは不明ですが、多くの目撃者もいるこの事件、果たして2人は本当に宇宙人と遭遇したのでしょうか。

日航ジャンボ機UFO遭遇事件

引用:ja.wikipedia.org

日航ジャンボ機UFO遭遇事件は、1986年11月17日に日本航空の貨物便JAL1628便がアメリカのアラスカ上空で謎の飛行物体に遭遇した事件です。

1628便はボーイング747-246F貨物機で、パリ発アンカレッジ経由で成田へ向かう途中、アラスカ州フェアバンクス上空を高度約10000mで飛行していました。

機長の証言によると、そのUFOは巨大な母船型で、ジャンボ機の3~4倍もの大きさの巨大な球体でした。

UFOは、約1時間にわたり、旋回して逃げようとする1628便に併走しました。

UFOは機内のレーダーにも映し出されていましたが、レーダー上では雲のような透明の物体として映っていました。

この飛行物体は、1628便がアラスカ行きのユナイテッド航空機とすれ違った時に反転してユナイテッド航空を追尾しはじめ、この機がアラスカに着陸するとどこへともなく姿を消したということです。

しかし、ユナイテッド航空機の乗員はこのUFOを目撃しておらず、実は1628便でもこれを見ていたのは機長だけで、副操縦士は光は見たが物体のようなものは見えなかったと言っています。

さらに、アメリカ連邦航空局(FAA)のアンカレッジ空港のレーダーやアメリカ軍エレ面ドルフ空軍基地レーダー局でも、UFOは捕捉されていません。

そのため、この事件は機長の錯覚とされ、彼が見たのは氷の結晶を含んだ雲ではなかったかといわれ、その後この機長は地上勤務に異動になっています。

しかし、2001年NASA関係者や政府関係者が明らかにしたところによると、この時FAAのレーダーがアラスカ上空で実際にUFOのようなものを捕捉していたとされ、機長の証言が裏付けられています。

さらにこの事件に関しては、当時のレーガン大統領がこの事件に関してアメリカのマスコミに圧力をかけた、アメリカで行われているHAARP(高周波活性オーロラ調査プログラム)の秘密実験に関係がある、など様々な説があります。

マンテル大尉事件

引用:ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co

1948年1月7日朝、アメリカ合衆国ケンタッキー州ゴドマンでは、市民から謎の飛行物体を目撃したとの通報が相次いでいました。

ケンタッキー州警察から報告を受けたアメリカ空軍ゴドマン基地では、付近を飛行していたトーマス・F・マンテル大尉率いる4機のP-51に未確認飛行部隊の追跡を指令します。

ゴドマン基地上空でも直径100m近くの大きさの上部が点滅する銀色の飛行物体が目撃され、基地の管制塔からも観測されました。

追跡した4機のうち、3機は燃料不足によって追跡を断念しましたが、マンテル大尉の機だけは未確認飛行物体の追跡を続けました。

マンテル大尉は、「未確認飛行物体は上空を飛行し、さらに上昇を続けている」「中に何人か人の姿が見える」「高度7000フィートまでに追いつかなければ追跡を断念する」と基地に連絡をとっていました。

が、マンテル大尉が未確認飛行物体を捉えることはありませんでした。

数時間後、マンテル大尉はバラバラに散らばった機体の残骸とともに遺体で発見されました。

引用:ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co

アメリカ軍の戦闘機がUFOによって撃墜されたという大ニュースは、マスコミによってアメリカ全土で報道されました。

アメリカ軍は当初、マンテル大尉が金星を未確認飛行物体と誤認して高高度まで上昇したところで酸欠状態に陥り墜落したと発表していました。

しかし、1年後には海軍がテスト飛行させていたスカイフック気球を誤認したものと説明を変えました。

引用:ja.wikipedia.org

スカイフック気球とは、アメリカ海軍が気象観測用に上げていた高高度で使用する無人気球で、これは海軍の極秘計画だったために事故原因が判明するのに1年もの時間がかかったのです。

事件の日の早朝、ケンタッキー州の近くのミネソタ州リプリー基地からスカイフック気球が打ち上げられており、これが当日の夕方にケンタッキー州でも目撃されています。

どうやらこの事件、本当にUFOではなく気球だったようですが、事件直後にはアメリカ空軍で未確認調査機関が発足し、その後20年間にわたって存続し続けました。

この機関は最初、「プロジェクト・サイン」というコードネームで呼ばれ、その後「プロジェクト・グラッジ」「プロジェクト・ブルーブック」と名前を変えていき、1969年に閉鎖されました。

これ以後、アメリカ空軍では公式に未確認飛行物体の調査は行われていません。

ワシントンUFO乱舞事件

引用:machiukezoo.biz

ワシントンUFO乱舞事件は、1952年7月19日と27日にアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.に大量のUFOが現れた事件です。

このとき目撃されたUFOの数は68機ともいわれ、UFOが目の前で飛び回る姿が多数の市民によって目撃されたといわれています。

7月19日、ワシントンナショナル空港のレーダーがホワイトハウスや議事堂の上空に不審な物体を捕捉し、近くにあるアンドリュース空軍基地に通報しました。

空港では白やオレンジなど空中で異様な動きをする光が管制官や駐機中の旅客機のパイロットによって目撃されています。

空軍基地からはF-94迎撃戦闘機が飛び立ちますが、そうすると、謎の物体はレーダーから消えてしまい、戦闘機が燃料切れで基地に引き返すと再び現れました。

この事件は新聞でも報道され、アメリカ全土で大きな話題になります。

引用:dcist.com

一週間後の7月26日から27日にかけても同様の事件が起こり、ワシントンの上空で飛行していた旅客機の複数の乗員が上下左右に不規則に移動したり静止したりする謎の光体を目撃しました。

このときも空港のレーダーは謎の反応を捉えており、またも戦闘機が出動して機上レーダーにもそれらしい反応があり、パイロットのパターソン中尉は期待を取り巻く4つの光体を目撃しています。

この光は、様々な場所に現れ、戦闘機が到着するとすぐに消えてしまい、まるで追いかけっこのようでした。

ペンタゴンにはUFOを見た市民からの問い合わせが殺到し、市民を落ち着かせる必要があると感じた軍は会見を行いました。

空軍の見解は、このUFOの正体は上位蜃気楼という気象現象だったというもので、この現象はレーダーにも影響を及ぼし、当時の気象データもこの現象が発生する条件が揃っていました。

謎の光が、戦闘機が近づくと消えてしまったというのは、まさに蜃気楼の現象そのものといえます。

目撃されたUFOの数も68機というのはどうやらかなり尾ひれのついたもので、実際には12機程度だったといわれています。

とはいえ、このときワシントンの上空でいくつもの謎の光が目撃されたのは事実であり、さらに、実はこのとき世界中でも同様の謎の飛行物体が目撃されていたという話もあります。事件が起きる1時間前には、沖縄の米軍基地で球状の未確認飛行物体が目撃され、ワシントン事件の数十分後には西部のモンタナ州グレートウォール空軍基地でも高速移動する飛行物体の目撃が報告されています。

そのほかにも、ニューヨーク、ニューメキシコ州、モロッコ、カサブランカ、アルジェリアなどでも共通の目撃情報があったともいわれます。

まとめ

以上、世界各地のUFO目撃談を紹介してきました。

古い時代から現代に至るまで、世界中で謎の飛行物体が多数目撃されていたことがわかります。

こうした目撃情報のなかには、勘違いや作り話、自然現象の見間違いなども混ざっているのかもしれませんし、現在までのところ、宇宙人が地球に来ているという確たる証拠はありません。

しかし、広い宇宙には人間のような知的生命体が存在している可能性がないとは言い切れないでしょうし、このすべてが間違いやデタラメだと断定してしまってよいものでしょうか。

もしかすると、近い将来、UFOや宇宙人の存在について、科学的な発見がされることもあるかもしれません。

 

 



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