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世界最強の女マフィア14選

マフィアとは、もともと、イタリアのシチリア島を起源とする犯罪集団のことです。

そのため、このほかの犯罪集団をマフィアと呼ぶには正確には誤りなのですが、今では犯罪組織全般がそう呼ばれることもあります。

似たような言葉にギャングというものがありますが、こちらはもともとアメリカの犯罪集団のことをいいました。

こうした犯罪集団というのは、一般的には男社会ですが、なかには、女性ながらにこうした社会の中で生き抜き、頭角を現してやがては組織を束ねる大物になっていった人物も存在しています。

ここでは、そうして、犯罪組織のなかで生きた世界の女性たちを紹介していきます。

バージニア・ヒル

引用:matome.naver.jp

バージニア・ヒルは、アメリカ、ハリウッドのギャング、ベンジャミン・シーゲルの愛人で、マフィアの現金輸送屋でした。

ヒルは、1916年、10人兄弟として、アラバマ州リプスコームに生まれました。

父親は、酒癖が悪く、妻や娘に手を上げる人物で、母親は子供たちを置いて家を出てしまったため、彼女は14歳までして学校にいくことができませんでした。

ヒル自身も17歳の時に家を出て、シカゴでウェイトレスとして働いているときに出会ったマフィアの愛人となり、シカゴの大物ギャング、アル・カポネのギャング団のメンバーとの間に人脈が生まれました。

マフィアの運び屋となったヒルは、マフィアの違法な金を輸送してアメリカ中を旅してまわります。

賭博の掛け金などを輸送していた運び屋は、よく不正な警官や敵対しているギャングから金を奪われることがありましたが、当時のマフィアは男社会で、誰も女性が運び屋をやっているとは考えず、警察や敵対するギャングの目をごまかすのにヒルの存在はちょうどよかったのです。

ヒルはギャング界でのシンデレラガールのような存在となり、マンハッタンのナイトクラブで豪華なパーティを開いたり、高級車を乗りまわしたりするようになります。

1940年代にカリフォルニア州に移り住んだヒルは、ラッキー・ルチアーノやフランク・コステロなど大物ギャングと関係をもち、周囲からは尻軽女と陰口を言われていました。

やがて、ヒルはバグジーと呼ばれ、賭博の街ラスベガスの成立にも関わったベンジャミン・シーゲルの寵愛を受け、彼の愛人となります。

引用:dope-onlinecasino.com

2人がメキシコで結婚式を上げたという話もありますが、シーゲルは妻のエスタと別れることはありませんでした。

ヒルはハリウッドのビバリーヒルズに屋敷を購入し、ハリウッドスターを毎晩のようにもてなすようになります。

しかし、彼女はハリウッドスターたちのプライベートをネタに、彼らをゆすっていたといわれます。

1947年、バグジーが他のマフィアと抗争を起こすと、ヒルはパリへと逃れ、その10日後にバグジーは銃殺されました。

ヒルは後に犯罪捜査のための特別委員会であるキーフォーヴァー委員会に召喚されますが、そこでは自分は犯罪行為とは一切関わっていないと証言しています。

その後の余生をヨーロッパで過ごしますが、1966年、オーストリアで睡眠薬により自殺しました。

ジェメケル・トンプソン

引用:http://karapaia.com/

ジェメケル・トンプソンは、アメリカのロサンゼルスが麻薬の密売を行っていた女マフィアです。

若い頃からロサンゼルスの街で貧しい生活を送っていた彼女は、強制立ち退きに遭ったのをきっかけに、今の貧しさから抜け出すために麻薬密売を行って金を作ることを決意します。

ジェメケルは夫と一緒にコカインの販売をはじめ、やがて彼女のビジネスはアメリカ全土で事業を行うほどに成長していきます。

その頃には夫はすでに亡くなっており、彼女には情夫がいましたが、その男は彼女を裏切り、警察へと通報します。

1993年に逮捕されたジェメケルは、13年の懲役を経て出所したあとは、麻薬密売からは完全に足を洗い、聖職者として熱心な布教活動を行うようになりました。

シスター・ピン

引用:www.npr.org

シスター・ピンは、本名チェン・チウ・ピンといい、「スネークヘッド」と呼ばれる組織を率いて、香港~ニューヨーク間での人間の密入国ビジネスを行っていた女マフィアです。

ピンは、1949年に中国福建省の貧しい村で生まれ、父親は彼女が子供の頃、アメリカに出稼ぎに行っていたことがあります。

中国に戻った父は密輸商としてビジネスをはじめ、これが成功してピンの家族は香港へと移り住み、ピンも結婚して3人の子供を設けました。

1981年、マンハッタンのチャイナタウンに移り住んだピンは父と同じく密輸業をはじめました。

警察に逮捕されたこともあるピンですが、やがて、中国からの人々を北米やヨーロッパといった裕福な国々に密入国させるビジネスで成功をおさめ、組織的に大規模に行うようになります。

密入国は、ビジネス出張や大人数のツアーなどを語って行われ、1人当たりの料金は18000ドルだったといいます。

他にも、スネークヘッドは身分証明書の偽造や贈収賄、マネーロンダリング、殺人など多くの犯罪行為に手を染めています。

ピンはこの事業でじつに4000万ドル以上を集めたといわれ、アメリカ司法省は、ピンのことを史上最も成功した密輸業者の1人でだと述べています。

2000年に香港で逮捕されたピンは、2003年にアメリカに送還され、2014年に刑務所で死亡しています。

ジュディ・モラン

引用:dengekijoho.hatenablog.com

ジュディ・モランは、オーストラリアのメルボルンで「暗黒街の女王」と呼ばれていた犯罪組織の女ボスです。

ジュディは、組織に逆らった者に対するいくつもの報復殺人で悪名をとどろかせました。

しかし、彼女自身も1982年に最初の夫であるレズ・コールを射殺されており、さらには、2000年にレズ・コールとの間にできた息子が、さらには2003年には次の夫であるルイス・モランとの間にできた息子がそれぞれ暗黒街の組織抗争で殺されています。

ルイス・モランはメルボルンでは有名な犯罪組織のリーダーであるモラン家の長男でした。

2009年には、ジュディ自身も夫であるルイスの兄弟デス・モランをメルボルンの喫茶店で殺害した罪で逮捕されました。

このとき、メルボルンではギャング同士の抗争が発生しており、30人以上が殺害されたといわれています。

2011年の裁判で、ジュディは懲役21年を言い渡され、現在も服役中です。

ステファニー・セント・クレア

引用:www.blackpast.org

1920年代、人種差別の酷かったアメリカ、ニューヨークのハーレムで黒人の地位向上のための活動を行っていたステファニー・セント・クレアには、違法賭博を行う黒人ギャングの女ボスという裏の顔がありました。

彼女には、「クイーン」「マダム・セント・クレア」などの異名がありました。

西インド諸島マルティニーク島に生まれたステファニーは、15の時に母が重い病気になって学校に通えなくなり、母の死後、アメリカへと渡ります。

1911年からニューヨークで暮らすようになったステファニーは売春で生計を立て、恋人もできますが、彼はギャングの抗争で殺されてしまいます。

彼女は、やがて、ハーレムで数字を使った違法賭博の元締めを取り仕切るようになっていき、ニューヨークの地下経済のなかで重要な役割を占めるようになっていきます。

当時、ハーレムの違法賭博はほとんどが男によって仕切られており、ステファニーは唯一の女胴元でした。

彼女は賭博によって年間20000ドル以上を稼ぐようになり、裕福な生活を行うようになりました。

そして、当時のマフィアの権力闘争に巻き込まれたり、警察など公権力にすら差別的な扱いを受けていた黒人の権利を守り、地位向上を目指すための運動を行うようになります。

警察がステファニーを逮捕して口を塞ごうとすると、彼女は違法賭博に関与してキックバックを得ていた警察官の名前を告発してこれに対抗しました。

彼女は違法賭博を行うマフィアとも対立するようになり、最後には賭博の胴元からも足を洗います。

以後は政治活動に全精力を注ぎ、地元に新聞に黒人が受けている差別や警察による虐待、違法捜査などについてのコラムを書き続け、1969年、73歳で亡くなりました。

エネディナ・アレラーノ・フェリックス

引用:http://karapaia.com/

エネディナ・アレラーノ・フェリックスは、メキシコの麻薬カルテルの1つであるロス・セタスのメンバーであり、「史上初の麻薬女王」といわれる人物です。

ロス・セタスは、元軍人や特殊部隊出身者によって構成されており、「メキシコで最も危険な麻薬カルテル」ともいわれます。

もともとは、エネディナの兄弟が中心となって、アメリカのカリフォルニア州ティフアナを勢力圏とするティフアナ・カルテルという名前の犯罪組織を構成していました。

しかし、彼らは逮捕されたり、抗争で殺害されたりしてしまい、一時はメキシコで最も強い勢力の1つであったティフアナ・カルテルも没落していきます。

その時、兄弟たちの後を継ぎ、組織のボスになったのがエネディナでした。

彼女はビジネスの手腕に長けており、カルテルの財務状態に目を光らせたり、他の組織と実益のある取引を行ったりと、まるで実業家のように組織を運営しました。

彼女は後に逮捕されますが、ティフアナ・カルテルはさらに妹によって引き継がれたといわれています。

ロゼッタ・クートロ

引用:dengekijoho.hatenablog.com

ロゼッタ・クートロは、逮捕された弟に代わってイタリアの犯罪組織NCOを率いたゴッドマザーです。

NCO(ヌオーヴォ・カモッラ・オルガニッザーダ:新編成カモッラ)は、彼女の弟ラファエレ・クートロが若い頃に殺人で逮捕されたときに、獄中で職のない若者たちを集めて作った組織でした。

NCOは、商店から上納金を納めさせ、支払いをこばめば放火したり、爆弾をしかけたり、殺人までも行いました。

ロゼッタは、NCOの金の管理を行っており、弟が逮捕されたときには、ボス代行として組織を統率していました。

彼女は数字に強く、交渉術にも長けていたため、こうした役割があっていたのです。

もともとのロゼッタはバラの園芸を趣味とする普通の女性だったということですが、彼女は弟に引きずられるように、いつしかマフィアの一員へと変貌していました。

彼女は、ラファエレが獄中から発する命令を部下たちに伝える役割を担い、ロゼッタがいなければNCOは崩壊していたことでしょう。

刑務所から脱獄したラファエレは、カラブリアの犯罪組織ヌドランゲタと組んでタバコの密売を行いますが、この頃からカモッラとの抗争が激しくなり、そのなかでNCOは疲弊し、徐々に力を失っていきます。

ロゼッタ自身も10年以上にわたる逃亡生活の末に逮捕され、その時には、「逃げるのに疲れたの」と語っていたそうです。

サンドラ・アヴィラ・ベルトラン

引用:dengekijoho.hatenablog.com

サンドラ・アヴィラ・ベルトランは、メキシコの麻薬カルテルの女ボスで、「太平洋の女王」と呼ばれた人物です。

メキシコのグアダラハラ・カルテルの親族の家に生まれたベルトランは、その出自ゆえに、子供の頃から麻薬カルテルと深く関わるようになります。

しかし、17歳のときにはジャーナリストになるという夢を持ち、グアダラハマ自治大学のコミュニケーション学科に在籍していました。

ところが、麻薬カルテルのメンバーだった男友達が嫉妬から彼女を誘拐するという事件が起きます。

これをきっかけに、彼女は大学を去り、同時にジャーナリズムの道へ進むという夢も捨て去りました。

麻薬カルテルの一員として生きることになったベルトランは、女性であることで舐められることのないよう、組織メンバーからの信頼と尊敬を得られるように、並々ならぬ努力を積み重ねてきました。

彼女は、麻薬組織の一員でしたが、自身は決して麻薬に手を染めることはありませんでした。

麻薬に手を出すと、運び屋から「弱い」人間だと思われてしまうからです。

ベルトランは、持ち前の頭の良さを活かし、いつしか麻薬カルテルのボスとして君臨するようになっていきます。

ベルトランには、メキシコ湾からアメリカに向けて10トンものコカインをマグロ漁船で運んだという逸話もあります。

彼女は唸るほどの大金をもっていたもの、長年、外部に対しては質素に振る舞い、普通の主婦のように見せていました。

そのため、ベルトランによる麻薬の密売には、捜査の手が伸びることもなく、警察もまさか彼女が組織のボスだとは思いもしませんでした。

しかし、彼女の息子が身代金目的に誘拐されるという事件が起きてしまい、警察に助けを求めざるをえなくなり、その結果、彼女が普通の主婦にしては不審な点が多いことに気づいた警察は捜査をはじめました。

2007年9月にとうとう逮捕されたカルデロンは、裁判で5年10か月の禁固刑を言い渡されました。

謝才萍

引用:dengekijoho.hatenablog.com

謝才萍は、中国の裏社会の三合会で力をもっていた女マフィアで、中国西南部の重慶で30以上の地下カジノを経営し、違法賭博や売春などありとあらゆる犯罪行為に手を染めていました。

三合会とは、香港を拠点にしている中国の犯罪集団で、英語圏ではトライアドと呼ばれ、秘密結社的な性格をもっているため、その真実の姿は謎に包まれています。

三合会は、現在、57ほどの組織が存在しているといわれ、なかには構成員が30000人に上るところもあるといいます。

香港や中国だけでなく、台湾やマカオ、アメリカからヨーロッパ、南アフリカ、オーストラリアなど世界中の華人社会に影響力をもっているといわれます。

謝才萍は、一見、普通の主婦のように見えますが、高級車や別荘をいくつも保有するという豪奢な生活を送っており、16人の若い男を愛人として囲っていたといいます。

謝才萍は、重慶の税務署の元職員で、2000年に退職したあと、地下カジノ運営をはじめ、年間1億3000万円以上を荒稼ぎするようになっていきます。

彼女は、重慶の暴力団の後ろ盾になっているといわれていた文強公安局副局長の弟の妻で、部下からは「謝姉」と呼ばれていました。

組織に内定に入って公安の捜査員を捕まえて、部下たちに6時間以上にわたって暴行させたこともあるといい、かなり冷酷な人物であることがうかがえます。

謝才萍は、役人や警察幹部といった地元の権力者に金を送って大勢を買収していたとされますが、やはり彼女の豪華な生活は人目を引き、警察から目をつけられることになります。

2009年6月から重慶ではじまった暴力団一掃キャンペーンによって、彼女は逮捕されました。

これには、文強が失脚したことも理由の1つで、もしこれがなければ、彼女は永遠に逮捕されることもなかっただろうという声もあります。

メリッサ・カルデロン

引用:www.nnc.mx

麻薬カルテルの活動が活発なメキシコでは、警察など政府機関と犯罪組織との戦いはもちろんのこと、麻薬組織同士でも熾烈な競争が繰り広げられています。

メリッサ・カルデロンは、メキシコの暗黒街で名を知られた女性で麻薬カルテルの密売人、殺し屋、用心棒などを務め、150人以上を殺害したといわれています。

「ラ・チャイナ」の異名をもつカルデロンは、2005年、20歳のときにメキシコ最大の麻薬組織であるシナロア・カルテルと結びつきの深い「ダマソル・カルテル(太陽のカルテル)」メンバーに加わりました。

ダマソル・カルテルは、元軍人や警察官など、屈強な男たちの集まるギャング組織として有名なところでしたが、カルデロンは女性であるにも関わらず、そのなかで頭角を現していきます。

ちなみに、ラ・チャイナとは中国という意味で、カルデロンとは特に関係のない名前のようですが、この先、その名は多くの人々にとって、聞くだけで震えあがるものになっていきます。

カルデロンは、邪魔な役人や敵対勢力であるギャングのメンバーなどを、組織に命じられるまま次々と殺害していきました。

その功績を認められたカルデロンは、ダマソル・カルテルに入ってからわずか3年である23歳のときに、組織内の武装チームのリーダーに抜擢され、女性というだけでなく、カルテルのなかでも異例のペースで出世を遂げました。

リーダーとなったカルデロンは、これまで以上に活発に行動し、彼女の縄張りでは殺人事件の発生件数が前年の3倍にまで跳ね上がりました。

カルデロンはたいていターゲットを誘拐して監禁し、拷問の限りを尽くして残酷に殺害し、遺体を細切れにして被害者の自宅の前にばらまくという手法をとっていました。

これが、自分に逆らえばどうなるか、ということを敵対相手に理解させる最良の手段だったのです。

敵対組織との縄張り争いの際には彼女自らライフルを手に銃撃戦を行うこともありました。

ほかにも、ボリビアの首都ラパスやメキシコの観光都市カボサンルーカスの麻薬市場を任されるようにもなります。

しかし、あまりに残虐でかつマフィアとして優秀すぎるカルデロンは、いつしか周囲の人間から畏怖されるようになっていきました。

ダマソル・カルテルのナンバー2で、同じギャングで何人もを手にかけた殺し屋でもあるエル・チノですら、カルデロンを恐れていたといいます。

いつかは自分もカルデロンに殺される。

どう考えたチノはこれまでの地位やプライドもすべて捨てて警察に助けを求め、カルデロンがこれまでに行ってきた犯罪行為をすべてを白日の下に晒しました。

これにより、それまで未解決されてきたいくつもの殺人事件がカルデロンの手によるものであることが発覚します。

捜査当局の動きを察知し、逮捕は時間の問題と考えたカルデロンは、メキシコを脱出し高跳びしようとしますが、警察はすでに空港に先回りしており、2015年9月、彼女はついに逮捕されました。

クラウディア・オチョア・フェリックス

引用:http://blog.livedoor.jp/

まるで女優のような美貌をもつクラウディア・オチョア・フェリックス。

噂の域を出ないとされていますが、彼女はメキシコの世界規模の麻薬カルテルであるシナロア・カルテルと同盟を結んだ殺人部隊ロス・アントラックスのボスの1人だといわれています。

ロス・アントラックスは、メキシコのシナロア州を拠点に活動している犯罪集団で、殺人や誘拐、麻薬密売などを行うシナロア・カルテルの暴力装置としての役割をもっています。

2011年にはメキシコ軍との間で銃撃戦を起こしている凶暴な組織ですが、シナロア州当局は、公式にはロス・アントラックスの存在を認めたことはありません。

美人で、3人の子持ちとは思えない抜群のプロポーションを誇るフェリックスは、「世界一セクシーなマフィアのボス」と呼ばれています。

2014年ごろに、ロス・アントラックスの指導者であるホセ・ロドリゴ・アレチガ・ガンボアが逮捕されたときから、SNSを中心に彼女が麻薬密売組織と関係があると噂されるようになりました。

フェリックス自身はこの噂を否定しており、真相は不明のままです。

フェリックスは、アメリカの女優キム・カーダシアンに似ていることからツイッターやインスタグラムなどでは有名人で、そこには高級なスポーツカーや、クルーザー、飛行機などに乗った写真がアップされており、彼女の豪華な生活が映し出されています。

なかには、彼女が銃を持っている写真もあり、まるで資産家の令嬢のような派手なライフスタイルの資金源がなんであったのかはよくわかっていません。

引用:noticias.uol.com.br

2019年9月14日、フェリックスは、薬物の過剰摂取による呼吸困難で、メキシコのシナロア州クリアカンの自宅で死亡しているところを発見されました。

フェリックスは、前夜に市内の中心部で開催されたパーティに出席しており、その後、男性と帰宅したところを目撃されています。

ネット上では、フェリックスの死を巡って、ロス・アントラックスとシナロア・カルテルの関係が悪化したために彼女が消されたのだと噂されました。

マーロリー・チャコン・ロッセル

引用:republica.gt

グアテマラのマーロリー・チャコン・ロッセルは、麻薬密売やマネーロンダリングなどを行い、ラテンアメリカギャングの世界最高権力者の1人として、「南の女王」と呼ばれた女マフィアです。

ロッセルの組織はグアテマラを拠点として、私設の宝くじ販売をフロント企業として、大規模な麻薬密売を行っていました。

ほかにも、ホンジュラスやパナマでも麻薬密売事業を展開して、ロズゼータやシナロア・カルテルといったメキシコ麻薬カルテルにコカインを出荷して毎年数千万ドルにもおよぶ売り上げを上げ、アメリカ財務省は彼女のことを「中央アメリカで最も成功した麻薬密売人の1人」と言いました。

ロッセルはまた、マネーロンダリングの手腕にも長けており、グアテマラにおいて、麻薬密売で稼ぎ出した利益を使い、最も大規模な資金洗浄を行っていました。

ロッセルは、2015年についにアメリカで逮捕され、連邦裁判所から12年の刑を求刑されますが、情報提供と引き換えに減刑を受けて、最終的には5年の実刑判決となり、2019年2月に釈放されています。

グリセルダ・ブランコ

引用:matome.naver.jp

グリセルダ・ブランコは、1970年代に麻薬密輸を行い「コカインの女王」と呼ばれた女マフィアです。

コロンビア北部のカルタヘナに生まれたブランコは、13歳の頃からスリを行い、1970年代に夫とともに偽造パスポートでアメリカに入国してからは、コカインの売買を行うようになります。

ブランコは、コロンビアからアメリカのフロリダへの密輸ルートを開拓し、多い時は月に1500キロものコカインをアメリカへ密輸したといわれます。

さらに、ブランコは、自分の夫を含めて250人以上の殺害に関わったといわれます。

1985年にDEA(アメリカ麻薬取締局)のエージェントによって逮捕されたブランコは、アメリカで20年近く服役した後、2004年、故郷のコロンビアへと戻りました。

しかし、2012年9月3日、肉屋で買い物していたブランコは、バイクに乗った数人の男に襲われ、頭部と肩に2発の銃弾を受けて死亡しました。

マリア・リカルディ

引用:www.ladomenicasettimanale.it

マリア・リカルディは、1993年から2001年にかけて、ナポリでイタリアのマフィア組織カモッラのボスを務めていた女マフィアです。

彼女は「ゴッドマザー」と呼ばれ、体格が小柄だったために「リトル・ガール」の名前ももっており、カモッラの女性からは憧れを込めて「プリンセス」とも呼ばれていました。

ナポリ郊外で、カモッラに属する一族に生まれたリカルディは、2人の兄と夫が逮捕された後に、彼らの後を引き継いで一族のボスになりました。

彼女は麻薬やタバコの密売、売春などを取り仕切り、優れたリーダーシップを発揮して20におよぶカモッラの一族を配下におさめ、リカルディ家に繁栄と安定をもたらしました。

特に、売春では貧しさから逃れるために国をでようとする未成年の少女たちをアルバニアから1人2000ドルで購入する大規模な売春貿易を行っていました。

こうした少女たちは、逃げるのを防止する目的で購入後に麻薬漬けにされ、売春によって利益をもたらすと同時に、カモッラの麻薬密売の顧客にもなっていました。

リカルディは、とても頭の良い女性でしたが、同時に非常に冷酷で計算高く、長い間、犯罪容疑者になったり、逮捕されて有罪判決を受けるようなこともありませんでした。

しかし、2001年、ついに逮捕され、2009年までの8年間を刑務所で過ごすこととなりました。

2019年には、マリア・リカルディは、カモッラ組織から抜けたといわれています。

まとめ

以上、世界の女マフィアたちを紹介してきました。

男の世界だと思われているこうした犯罪組織のなかで、トップに立っていた彼女たちのような人物がいたというのはやはり驚きです。

それと同時に、女性でありながら、こうした地位に着くためには、表には出てこないいくつもの苦労や努力があったのではないでしょうか。

彼女たちは、マフィアであることを隠すため普通の人間のように振る舞ったりしていますが、多くは最終的に警察に逮捕されるに至っており、やはりこうした稼業で本当の安定を得ることはできないのだということがわかります。

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