世界に住む人々は、皆が均一なわけではありません。
国ごとに生活様式や言語、考え方などが違いますし、ひとつの国の中でも異なるバックグラウンドを持つ「少数民族」や「先住民族」が存在することがあります。
今回は世界に存在する少数民族、先住民族を紹介します。
アジア
引用元:https://hotels.his-j.com/
アジアと一口に言っても地域も広大であり、日本や中国のような東アジア、インドやアラブ、更にスリランカなど民族も多彩に存在します。
アジア系の民族はすべてで数百もあると言われています。
特に中国には人口の92%を占める漢民族のほかに55もの少数民族が集住地域の自治権を与えられています。
すべてを紹介することはできませんが、アジア各地域ごとに少数民族を紹介していきます。
エヴェンキ族
引用元:https://arctic.ru/
エヴェンキ族はロシアのクラスノヤルスク地方、中国の内モンゴル自治区エヴェンキ族自治旗や黒竜江省に暮らす民族です。
中国語では「鄂温克族」と書きます。
人口はおよそ6万人ほどで、ほとんどがロシアと中国に居住しています。
エヴェンキ族は鹿やテンなどの狩猟とトナカイの遊牧を生業としており、独特の円錐型の住居で生活します。
オロチョン族、ヤクート族など同系統の民族と混血を繰り返しているほか、ロシア系との混血や生活様式の融合が進んでいます。
宗教面でもエヴェンキ族の伝統的なシャーマニズムのほか、ロシア正教を信仰する人がいます。
クルド人
引用元:https://business.nikkei.com/
クルド人は総人口3000万人を誇る、「固有の国家を持たない最大の民族」です。
トルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部、アルメニアの一部地域などアラブ各国の国境地帯にまたがる「クルディスタン」を居住地としており、イラク北部の「クルディスタン自治区」、シリア北部の「ロジャヴァ(西クルディスタン)」などの自治区を有しています。
人口こそ3000万人を誇りますが、クルディスタンの存在する各国ではクルド人はマイノリティとなっているため、多くのクルド人が自治と独立に向けた運動を続けています。
特に近年注目されたのが、シリアでの活動です。
2011年にチュニジアで起きた「アラブの春」の影響を受け、シリアでもバッシャール・アル=アサド政権に反旗を翻す勢力が続々と表れました。
クルド民主統一党(PYD)が主導となったロジャヴァも独立勢力のひとつとしてシリア北部で「ロジャヴァ革命」を起こして、ISILと衝突します。
反体制派の多くがアサド政権と対立していましたがロジャヴァはアメリカからの支援を受け、アサド政権と同調するなど、イスラム原理主義との対立を鮮明にしました。
またロジャヴァも市民コミュニティによる自治を実現するなど、政治体制も独自のものを実現しています。
クルド人は難民を経由して日本にも2000人ほどが居住しており、そのうちおよそ1300人が埼玉県南部に集住しています。
在日クルド人の多くが日本語を覚え、建設業や飲食業に従事する一方、日本政府はクルド人と関係の悪いトルコ政府との関係を重視しているため難民認定が進まないことも珍しくありません。
オラン・アスリ
引用元:https://www.mormonnews.jp/
オラン・アスリはマレー語で「先住の人々」という意味の言葉で、マレーシア政府の定めた、マレー半島に暮らす18の先住民族の総称です。
総人口はおよそ7万5000人ほどです。
言語や生業、生活様式などによってオラン・アスリは「セマン」、「セノイ」、「プロトマレー」の3つに分かれ、18の民族のうち17がマレーシアに、ひとつの民族がインドネシアに居住しています。
オラン・アスリの多くが今も独自の生活を守り、宗教においてもイスラムへの改宗を拒んでいます。
しかし近年マレーシアは農園の開拓や工業化を進めており、オラン・アスリの居住地域にも開発の手が及ぶようになりました。
オラン・アスリにも近代化の波が迫り、マレー系や華人系への同化が進められています。
シェルパ
引用元:https://world-note.com/
世界でも有数の山岳地帯にあるネパールには、90以上の民族が存在します。
地理的な要因のうえ、インドからカースト制度が流入しているため身分差によっても生活様式が変わることがあります。
ネパールの支配的民族であるパルバテ・ヒンドゥーはネパールの総人口約2200万人のおよそ半数を占め、残りの半数を他の少数民族が占めています。
シェルパはそんなネパールの少数民族のひとつで、人口はおよそ15万人ほどです。
ネパールのほかにもシェルパはインドやブータン、チベットなどのエベレストに面した土地に暮らしており、世界ではシェルパは28万人ほど存在していると考えられています。
シェルパのネパール国内での主な居住地は、世界から登山者や観光客の多く訪れるエベレスト南麓部にあるソルクンブ郡です。
そのためシェルパの多くがホテルなどの観光業に従事するほか、一部のシェルパはエベレストの登山客を支援するガイドやポーターを務めることがあります。
世界で初めてエベレストの登頂に成功したイギリスのエドモンド・ヒラリーの隊にも、テンジン・ノルゲイというシェルパが同行しています。
本来シェルパは独自の「シェルパ語」を話し、18の氏族のいずれかに属する民族集団ですが、現代では登山支援のイメージが先行しているため、登山支援に従事する他の民族のこともひとくくりにシェルパと呼ばれることもあります。
ですが登山のガイドをするのはシェルパ族に限られています。
シェルパはエベレストへの信仰を持っており、登山者の支援を行う前には「プジャ」という儀式を行うほかエベレストの保全活動にも力を入れています。
アイヌ
引用元:http://mickymagicabc.hateblo.jp/
日本はいわゆる「日本人」である大和民族による単一民族国家であると考えられていますが、歴史を紐解くと「出雲族」や「海神族」、「熊襲」のような古代に力を有した民族や樺太の「ウィルタ」、「ニヴフ」、沖縄の「琉球民族」などの少数民族が存在しています。
しかしそのほとんどが既に同化が完了しており、表面上その違いが問題となることはありません。
そんな日本で、日本政府が唯一少数民族として認めるのがアイヌです。
アイヌはアイヌ語で「人間」という意味であり、北海道から千島列島、樺太の南部、東北地方北部におよぶ広範囲(アイヌは自らの居住地を「人間の住む土地」という意味の「アイヌモシリ」と呼ぶ)に居住していました。
アイヌの生活様式は日本人とはまったく異なります。
すべてのものに「ラマッ」という霊魂が宿るとされる独特の宗教を有しています。
アイヌの信仰ではヒグマは重要な狩猟対象であり高位の霊魂を有する「カムイ」として、殺した後は「イオマンテ」という儀式で弔います。
ほかにも「チセ」と呼ばれる建築物や「アミプ」、「アットゥシ」と呼ばれる民族衣装など独自の生活様式が存在しています。
明治2年(1869年)に北海道への開拓が開始されると共に同化政策が進み、アイヌの生活様式は日本人と同一化されていきました。
現在では同化政策への反省から、1997年に「アイヌ文化振興法」が成立したほか2008年にはアイヌが正式に日本国内の少数民族として認定されます。
2019年には法制上初めてアイヌを先住民族として記載した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(アイヌ新法)が成立・公布されました。
現在、アイヌは特定の居住地を持たないものの北海道内全域におよそ16000人ほどいると言われ、公益社団法人北海道アイヌ協会などがアイヌ文化の保全と継承に努めています。
オセアニア
引用元:https://4travel.jp/
オセアニアはポリネシア、メラネシア、ミクロネシアの3地域に分かれる広大な島嶼地帯です。
オーストラリア大陸がオセアニアの陸地面積のうち86%、ニュージーランドまで含めると98%を占めていますが、残りの2%である小さな島々にも独自の海洋文明が築かれ、島ごとに独自の民族が定着しています。
アボリジニ
引用元:https://ryugaku-chiebukuro.com/
アボリジニはオーストラリア大陸と、その周辺の島嶼(ただしニュージーランドを除く)の先住民の総称です。
およそ4万年前にオーストラリアへ到達し、現在はおよそ数千の部族に分かれそれぞれが独自の生活様式、言語を有しています。
しかしアボリジニはほぼ共通して狩猟文化を有し、自然との調和を重んじています。
彼らは自身の風習や文化、考え方を「ドリーミング」という独特の口承文芸によって伝えてきました。
最盛期にはアボリジニはオーストラリア大陸を中心に50万人から100万人ほどいたと考えられています。
ですが1788年に流刑植民地としてオーストラリアの開拓が始まり、1828年に大陸全土がイギリスの植民地となると、アボリジニの人口が激減します。
最大の要因は入植者の持ち込んだ天然痘やインフルエンザなどの伝染病です。
長く隔絶された環境で暮らしていたために、ヨーロッパで猛威をふるい、耐性や予防法の確立されたこれらの病気への耐性がアボリジニにはまるでなかったのです。
加えて1828年には、イギリス軍の兵士がアボリジニを自由に捕獲・殺害できる法律が施行され、スポーツハンティングの対象としてアボリジニを虐殺することが流行しました。
1830年までにはタスマニアに住んでいた純血のアボリジニが絶滅したうえ、90%以上人口を減少させています。
更にアボリジニやアボリジニと白人の混血児にはアボリジニ文化から徹底的に隔絶する同化政策が行われました。
アボリジニの市民権は1967年に回復し、1993年には先住権が認められました。
現在アボリジニは都市で生活をしつつ、自身の伝統舞踊をたしなむなど、伝統文化と西洋文明の両方をうまく享受しています。
一方でアボリジニに対する援助によってアルコールやドラッグに溺れるアボリジニが社会問題になるほか、本来アボリジニでない者が援助の不正受給を目的にアボリジニであると偽るなどの問題も発生しています。
マオリ
引用元:https://world-note.com/
マオリはニュージーランドの先住民族です。
9世紀から10世紀にかけてクック諸島、タヒチから移り住んだ人々が祖先と言われ、いくつもの「イウイ」という部族に分かれています。
マオリという言葉は、マオリ語で「普通の人」を表す「タンガタ・マオリ」に由来します。
マオリの人々が入植した西洋人と自分たちを区別するために使用した「タンガタ・マオリ」という表現を西洋人が誤解したためにマオリという名称が浸透しました。
マオリは自分たちをアテオアロア(マオリ語でニュージーランド)の「タンガタ・フェヌア」(「土地の人」)と自称するようです。
1840年にはマオリの各部族とイギリスとの間で「ワイタンギ条約」を結び、ニュージーランドの主権をイギリス女王へ譲渡する代わりにマオリの土地保有権とイギリス国民としての権利が確保されました。
そのためアボリジニのような絶滅の危機を迎えることはありませんでしたが、1860年代に条文の解釈を巡ってマオリ戦争が起きています。
マオリの人々は身分や部族によって身体に異なる刺青を入れ、挨拶として互いの鼻をこすりつけ合う独特の風習を有しています。
またニュージーランドのラグビーのナショナルチームであるオールブラックスは試合前にマオリの伝統舞踊である「ハカ」を踊ることで有名です。
チンブー族
引用元:https://tabippo.net/
パプアニューギニアの国民は伝統的に「ワントーク」と呼ばれる、数十人から数百人ほどの少数部族に分かれて生活しています。
ワントークというのはパプアニューギニアの公用語のひとつであるトク・ピシンで「同一の言葉を話す人(つまり同族、血縁集団)」を表す言葉です。
パプアニューギニアでは同じワントーク同士で助け合う文化が醸成され、ワントークの縁で職を得たり、失業中に同じワントークの人に生活のお世話になることもあるようです。
反面、異なるワントーク同士では仲が悪く、戦いへ発展することもあります。
チンブー族はそんなパプアニューギニアのワントークのひとつで、ニューギニア島東部、パプアニューギニア最高峰であるウィルヘルム山の南にあるチンブー、ワギ、コロナグルという3つの渓谷に暮らしています。
集住する地域の平均標高が非常に高いため、高山地帯でも生産できるサツマイモや珈琲が栽培されるほか、白人プランテーションへ出稼ぎに出る者も多いため、西洋的な考え方にも適応しています。
チンブー族の独特の風習として「スケルトンマン」と呼ばれるものがあります。
チンブー族はワントーク間の対立で相手を脅すことを目的に、全身に人骨を模した化粧を施します。
その先鋭的なデザインから、チンブー族にはスケルトンマンの姿でダンスショーを開く「スケルトンダンサー」がいるようです。
アメリカ
引用元:https://wedding.mynavi.jp/
アメリカ合衆国は移民によって成立した国家であり、現在に至るまで「人種のサラダボウル」と呼ばれるほど多くの人種・民族が並立共存する多民族国家です。
北米にはスペイン語を話すヒスパニックや黒人などのほかにも、独自の文化や生活様式を守る人々が生活しています。
一方中南米はネイティブアメリカンやメスティーソ(白人と中南米の先住民族の混血)、ムラート(白人と黒人の混血)、サンボ(黒人と中南米の先住民族の混血)を始め、アジア系や黒人など多くの民族によって構成されています。
ネイティブアメリカン(インディアン)
引用元:https://jp.sputniknews.com/
ネイティブアメリカンはクリストファー・コロンブスや移民が到達する前のアメリカ大陸に住んでいた人々の総称です。
日本語ではメキシコより北の先住民を「インディアン」、南の先住民を「インディオ」と呼ぶことが多いです。
ネイティブアメリカンは自然との共生を重んじ、毛髪に霊魂が宿るという思想を有しています。
独自の宗教は1881年に信仰を禁じられましたが、現在ではキリスト教の教えとネイティブアメリカンの霊的習慣を組み合わせた「ネイティブ・アメリカン・チャーチ」という宗教が広く信じられています。
インディアンという呼称はクリストファー・コロンブスがアメリカ大陸到達時にアメリカ大陸をインド周辺部の島々と勘違いしたために命名されたものです。
ほかにもネイティブアメリカンが褐色の肌をしていることからレッドマンなどとも呼ばれます。
コロンブスがアメリカ大陸を発見した後、ヨーロッパからの移民がネイティブアメリカンを虐殺したり、天然痘やインフルエンザなどの感染症を流行らせることで、ネイティブアメリカンは大きくその数を減らしてしまいます。
アメリカ合衆国成立後も「インディアン移住法」などの移動政策や部族の実情を考えない居住地の固定など、迫害に近い扱いを受けてきました。
このような待遇に対し、クリーク族の「クリーク戦争」、サンテ・スー族の「ダコタ戦争」などの武装蜂起もありました。
ただネイティブアメリカンは数十以上の部族の総称であり、独立した部族同士が必要以上に協力しあうことはありません。
そのためアメリカに協力して出世をするようなネイティブアメリカンもいました。
イヌイット
引用元:https://ethnic-world.net/
カナダでは先住民族としていわゆるネイティブアメリカンを指す「ファースト・ネーション」とファースト・ネーションとヨーロッパ人の混血である「メティ」、そしてカナダ北部の氷雪地帯に暮らす「イヌイット」の3種類が定義されています。
イヌイットはしばしばエスキモーと混同されますが、エスキモーはシベリアの北極圏内、アラスカ、カナダ、グリーンランドなど暮らす先住民族の総称であり、イヌイットはエスキモーの中でも最大の民族です。
シベリアには「ユピク」と「イヌピアック」、グリーンランドには「カラーリット」と呼ばれる民族が住んでいます。
イヌイットは英語やフランス語のほかにイヌクティトゥット語という独自の言語を話し、オットセイやセイウチ、トナカイなどを狩猟して生活しています。
ハワイ先住民
引用元:https://yuuma7.com/
ハワイにはポリネシア人が到達し、独自の文化を形成してきましたが、1778年にジェームズ・クックがハワイへ到達して以来、多くの人種がハワイへ入植し、現在のハワイの文化を成立させました。
現在、古代ハワイの文化を維持しているところは西マウイにあるカハクロアという村くらいのものです。
カハクロアにはタロイモ畑が広がり、「アフプアア」と呼ばれる古代ハワイの集落が残されています。
現在ハワイの先住民は40万人、うち純血の先住民は14万人ほどと言われています。
ハワイの先住民にはネイティブアメリカンやイヌイットのような権利が保障されておらず、この不満が高い民族意識となって、独立の機運を高めています。
アーミッシュ
引用元:http://www.albatro.jp/
アーミッシュはアメリカのペンシルベニア州や中西部、カナダのオンタリオ州などにかけて居住する、ドイツ系移民の宗教集団です。
アメリカ国内に、20万人ほどが生活していると言われます。
ルター派やツヴィングリ派から更に分派をしたアナバプテスト(再洗礼派)を信仰しており、近代技術を生活から排除することで移民としてアメリカへ渡った当時の生活様式を色濃く残しています。
電気や自動車がなく、食料も自給自足が基本、コミュニティ内で助け合って生活しています。
ほかにもコミュニティによって異なる「オルドゥニング」という戒律を厳しく守っています。
アーミッシュでは16歳になると「ラムスプリンガ」という期間に入ります。
ラムスプリンガの間はオルドゥニングから解き放たれ、アルコールやドラッグなどあらゆる快楽や近代技術を経験します。
ラムスプリンガは2年間設けられ、18歳になると1年間アーミッシュから離れて再びアーミッシュに戻るか、アーミッシュと絶縁するかを選びます。
しかしほとんどのアーミッシュが再びアーミッシュへ戻る選択をすると言われています。
ヨーロッパ
引用元:https://www.economist.com/
ヨーロッパには現在の国民国家の枠組みの中で消えようとしている少数民族や先住民族が実は数多くあります。
こうした民族の中にはカタルーニャ人やウェールズ人など、うまく国家と融和して自分たちのアイデンティティを保っているところもあります。
ですがひっそりと知られることなく消滅の危機を迎える民族も決して少なくありません。
ロマ族
引用元:https://kirari-media.net/
主にヨーロッパに存在する移動型民族の総称として「ジプシー」があります。
ジプシーは確固たる居住地を持たず、荷馬車など使ってヨーロッパ各地を移動しています。
現在は職場などを転々とする人の比喩表現としても使われており、例えば1973年から1977年の間、特定の本拠地球場を持たずに後楽園球場や川崎球場、宮城球場などで主催試合を行ったロッテオリオンズは「ジプシー・ロッテ」と呼ばれました。
このジプシーの中で最大の民族がロマ族です。
ロマ族は北インドのロマニ系に由来する民族で、中東やヨーロッパを放浪しています。
「ツィゴイナー」や「ヒターノ」などの外名で呼ばれることもありますが、これらの名称の中には物乞いや泥棒などの意味を持つ差別表現であることも少なくありません。
現在ロマの人口はおよそ1000万人ほどだと言われています。
そのうち180万人以上がルーマニアに住んでいると言われますが、ルーマニアではロマの存在がないものにされ、結婚や就職などあらゆる分野でロマ差別が行われています。
コーンウォール人
引用元:https://theday.co.uk/
イギリスはイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズの4つの国によって構成され、それぞれの文化が並立して存在しています。
しかしグレートブリテン島の南西部にあるコーンウォール半島に住む先住民族であるコーンウォール人も独自の文化を有しています。
コーンウォール人はウェールズ人同様ケルト民族の末裔が暮らし、現在もコーニッシュ・レスリングという伝統的な格闘技が受け継がれています。
コーンウォールでは1549年に宗教改革に対して反イングランド反乱が起き、当時の国王であるヘンリ8世がイングランド化を進めたためにコーンウォール語が消滅してしまいました。
ただ近年では人工的にコーンウォール語が復活し、コーンウォール文化を保護する動きが見られるようになりました。
2014年にはイギリス政府から少数民族としての認定を受けています。
セトゥ人
引用元:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/
セトゥ人はエストニア南東部とロシア北西部で国境を挟んで位置するセトマー地方に住む先住民族です。
独特の美しい刺繍や2009年にユネスコの無形文化遺産に登録された「セトゥ・リーロ」と呼ばれる多声合唱など、独特の文化を守り続けています。
セトマー地方の位置するロシアとエストニアの関係はエストニアの独立以後、ずっと緊張状態にあります。
国境の警備も厳重で、セトゥ人は祖先の墓参りや教会への参拝なども不自由する始末です。
しかしこの分断がかえってセトゥ人の団結を招き、「セトマー王国」というアイデンティティが生まれました。
アフリカ
引用元:https://footage.framepool.com/
アフリカは人口10億人以上の地域であり、民族も数多く存在しています。
北アフリカではアラブ人が、サブサハラ(サハラ砂漠以南)では黒人が最大多数を占めています。
そのためサブサハラは「ブラックアフリカ」とも言われます。
南西アフリカではカポイドと呼ばれる人種の人々が住んでいます。
ただほかにも独自の生活様式を持つ少数民族が数多く存在し、ときに紛争を引き起こしています。
マサイ族
引用元:https://matome.naver.jp/
独特の高く跳躍する舞踊や視力が8.0もあるということで、マサイ族(マーサイ族)は日本でも比較的知名度の高い先住民族でしょう。
マサイ族という名前は「マー語(マサイ人の言葉)を話す人々」という言葉から来ており、ケニア南部からタンザニア北部にかけての地域で生活しています。
元々は牛を遊牧して暮らす遊牧民族であり、牛糞と泥を固めて作った「エンカジ」をサークル状に配置して木の柵で囲った「エンカン」で生活しています。
近年では都市化も進んでおり、エンカンで暮らし、民族衣装である赤の衣装を着て生活する「ビレッジマーサイ」と都市部で生活する「シティマーサイ」の2通りに分かれます。
ちなみに時折日本のバラエティ番組などでも取り上げられるマサイ族の高い視力は、マサイ族の遺伝的な性質ではありません。
遊牧民であるマサイ族には家畜を守るために天敵をいち早く見つけるべく、常に遠くを見渡す習慣があります。
そのため、自然に視力が鍛えられるのです。
実際シティマーサイの視力は一般人並みだと言われています。
ベルベル人
引用元:https://www47.atwiki.jp/
イスラム圏が進出して以後、北アフリカではアラブ人が最大多数となりましたがそれ以前の北アフリカに住んでいたのがベルベル人です。
「ベルベル人」という名称はギリシャ語で「わけのわからない言葉を話す人」という意味の「バルバロイ」に由来しており、差別的な意味合いも持ちます。
そのためベルベル人は自分たちを「アマーズィーグ」と自称しており、「アマジグ人」という呼称もあります。
ベルベル人の総人口はおよそ1500万ほどと言われ、モロッコでは人口の過半数がベルベル人ですが他の北アフリカ諸国では数%から20%ほどと少数派に属しています。
南アフリカの白人集団
引用元:https://southafricatoday.net/
南アフリカはすべてのアフリカ諸国の中で白人が総人口の中で占める割合の最も大きくなる国です。
2019年には全人口のおよそ7.9%である460万人の白人が住んでいます。
南アフリカの白人はかつてケープ植民地だったころに移民してきた人々やアフリカーナー(宗教的自由を求めてアフリカへ渡った白人)の子孫であり、今では半数以上が南アフリカの公用語であるアフリカーンス語を話します。
しかし未だに文化的アイデンティティも異なり、生活面では完全に同化することはできていません。
加えて南アフリカではかつて公的な黒人差別政策である「アパルトヘイト」が施行されており、未だに白人が農場の7割を所有するなど人種間の経済格差が存在しています。
黒人の白人に対する不満は大きく、これまで70人以上の白人が殺害されています。
また白人の土地を取り上げて黒人へ再分配する政策も行われていますが、こちらは逆差別として白人側の不満を募らせているほか、実際に逆差別として白人の就労が著しく制限される事案もあります。
逆差別の結果働き口を失い、ホームレスとしての生活を余儀なくされる白人層である「プアホワイト」の存在が社会問題となっており、南アフリカの人種間対立はまだ解決に時間がかかりそうです。
まとめ
今回は地域別に世界の先住民族、少数民族を紹介しました。
その土地のマジョリティとうまく融和し、共存している少数派というのは実はあまり多くはありません。
異なる文化様式の集団が2つあれば対立をしたり、片方が迫害を行うことはどの地域でもよくあることです。
そのために消滅の危機に瀕している民族もあります。
大切なことはお互いの違いを理解し、共存できる妥協点を見つけることなのですが、残念ながらそのような理想が地球全土で叶う日はまだ訪れないようです。