引用:Horror Freak News
悪霊パズズに乗り移られた少女と神父の戦いを描いた映画『エクソシスト』は、アカデミー賞二部門を獲得するなど、オカルト映画界に金字塔を打ち立てた名作です。
映画の中では神父の自己犠牲の精神により少女は救われますが、現実世界でもこのような悪魔憑きが疑われる事件は多数発生しています。
今回は実際に起こったエクソシストの事例を紹介しましょう。
ロビー・マンハイム
引用:Taringa!
アメリカのメリーランド州で1949年に起こったとされている事例で、映画『エクソシスト』のモデルになったケースとも言われています。
ちなみにロビー・マンハイムという名は本名ではなく、彼のプライバシー保護のために付けられた仮名で、実際の名前の情報はすでに失われているそうです。
当時13歳だったロビー少年は勉強好きな少年でしたが、一人っ子だったために非常にシャイな性格で、学校にはあまり友達と呼べる人がいませんでした。
彼が唯一気の置ける存在だったのが一緒に暮らしていた彼の叔母で、叔母にとってもロビーは大切な友人だったそうです。
叔母はクリスチャンでしたがスピリチュアル信者でもあり、霊の存在を強く信じ、ウィジャ・ボードと呼ばれる日本のこっくりさんに似た文字盤を使って、霊ともコンタクトを取っていました。
ロビーもこの文字盤に強い興味を示し、二人は霊とのコンタクトに傾倒していくのでした。
ある冬の日、祖母と留守番をしていたロビーは、水道は閉まっているのにもかかわらず、家のどこかから常に水が漏れている音がすることに気が付きます。
更に壁に掛けてあったキリストの絵がひとりでに揺れるのも目撃します。
両親が帰ってくるとこの音は止んだのですが、今度はどこからか壁をコツコツと叩く音や、ネズミの鳴くような音が聞こえるようになります。
父は家じゅうを探し、また壁紙や床をはがしても見たのですが、全くネズミの影も形もありませんでした。
そしてその11日後に、叔母が亡くなります。
このことはロビーの心に大変な衝撃を与え、ロビーはウィジャ・ボードを使って叔母とコンタクトを取ろうとするのですが、これが彼の体に悪魔を憑依させたと言われています。
このころから家の中の騒音はエスカレートし、また家具や家電がひとりでに動き出すというポルターガイスト現象まで発生しだします。
この様な現象は常にロビーの周りでのみ置き続け、教室でもロビーの机が滑るように動き出し、隣の机にぶつかるのがクラスメート全員に目撃されています。
物静かだったロビーの性格も変貌し、両親やクラスメートに暴言や卑猥な言葉を吐くようになり、また時には彼が知るはずのないラテン語で話すようになりました。
両親は彼を医者に診せますが、医師たちは全く原因を突き止めることができません。
困り果てた両親はルター派プロテスタントのシュルツ牧師を頼り、牧師は夜を徹した調査の末に悪魔憑きと断定し、悪魔払いの儀式を行いますが何の効果も得られませんでした。
牧師はカトリックのヒューズ神父に依頼し、神父はイエズス会所属のジョージタウン大学病院内で悪魔払いの儀式を行うことにしました。
ロビーはこの場所を激しく嫌い、ひどく暴れたために体を拘束した状態で儀式は行われました。
3日間にわたって行われた儀式は何の効果もなく、却ってロビーの暴力性や暴言を悪化させ、ついには拘束具を引きちぎったロビーによってヒューズ神父が重傷を負うという最悪の結果に終わりました。
家に帰った一家はその後セントルイスを訪れ、セントルイス大学教授のビショップ神父の紹介により、ボウダーン神父とハロルド神父の悪魔払いの儀式を受けることになりました。
儀式は精神病院の棟内で行われ、6週間に及ぶ儀式の間、ロビーは常に神父に暴力的な言葉や性的な言葉を吐き続け、家族を侮辱したり、時にはひどく暴力的になりました。
儀式は30回以上行われ、その間に何度もポルターガイスト現象や、ロビーの体に文字が浮かび上がる現象が目撃されました。
またボウダーン神父は鼻の骨を折るけがを負いもしましたが、ついに悪魔祓いは成功し、ロビーが主キリストと大天使ミカエルの名を叫んだ時、悪魔はその体から出て行ったそうです。
ロビーはその後学校にも復帰し、普通の少年としての生活を送ることになります。
ビショップ神父によると、成人したロビーは結婚し、非常に優れたキャリアを送ったそうですが、この間の記憶は全く残っていないのだそうです。
アンネリーゼ・ミシェル
引用:Mirror
1976年7月1日に、23年の短い生涯を終えたアンネリーゼの事件はより悲劇的です。
1952年に旧西ドイツのバイエルン州で生まれたアンネリーゼ・ミシェルは、3人の姉妹とともに厳格なカトリックの家庭で育ちました。
アンネリーゼに初めの異変が起こったのは、彼女が16歳の高校生の時でした。
激しいけいれんの発作に悩まされるようになり、医師により癲癇の発作と診断され、投薬治療を受けることになりましたが、症状は悪化する一方でした。
大学に通うようになっても発作は続き、1973年にはうつ病状態になり、幻覚や幻聴にも悩まされるようになりました。
一日に何度も悪魔の姿や声に悩まされ、医学的治療は何の効果も生まず、敬虔なクリスチャンだったアンネリーゼは、病気ではなく悪魔に憑依されたことによるものだと考えるようになります。
アンネリーゼは宗教的なものに激しい嫌悪を感じるようになり、十字架の前を通ることも、聖水を口にすることもできなくなります。
彼女だけではなく両親や友人たちも悪魔憑きを疑うようになり、カトリックの司祭に悪魔祓いの儀式を依頼しましたが、司祭たちは医学的治療を受けるように諭し、その依頼を拒否しました。
更に症状は悪化の一途をたどり、自傷行為や昆虫や石炭を口にするという異食症の症状も起こすようになります。
その時出会ったのがエルンスト・アルトとアーノルド・レンツという二人の司祭でした。
司祭は一目アンネリーゼを見ると悪魔の憑依を確信し、カトリック教会に悪魔祓いの許可を要請します。
そしてその要請は認められ、司祭による悪魔祓いの儀式が執り行われることになるのでした。
儀式は1975年から76年にかけて10か月かけて行われ、その回数は実に67回に及びました。
儀式によりアンネリーゼに取りついているとされた悪魔は、魔王ルシファー、アダムとイブの子で人類史上初の殺人を犯したとされるカイン、キリストを裏切ったユダ、ローマ帝国の皇帝でクリスチャンに対して激しい弾圧を行ったネロ、堕落した聖職者で教会内で殺人を行ったとされるバレンティン・ フライシュマン、そしてナチスドイツの総統アドルフ・ヒトラーの6体とされました。
儀式により一時は症状に改善の兆しが見え、学校にも通えるほどになりましたがそれは長くは続きませんでした。
1976年にふたたび状態は悪化し、家族への攻撃や以前にも増して激しい自傷行為を行うようになります。
また儀式の一つとして行われていた繰り返し跪き礼拝するという行為も彼女の体を傷つけ、骨や靭帯に深刻なダメージを与え続けます。
いつしか彼女は、「死による償い」を訴えるようになり、それが堕落し廃退した若者を救うことになると信じ、食べることと飲むことを拒絶するようになりました。
最後の儀式は1976年の6月30日に行われ、その際にアンネリーゼは司祭たちに赦免を求め、家族には「私は恐れている」と訴え涙を流したといいます。
翌7月1日にアンネリーゼは息を引き取りました。
死因は栄養失調と極度の脱水で、亡くなった時アンネリーゼの体重はわずか31キロでした。
映画や歴史書の中の存在と思われていたエクソシストの儀式が、現代において行われていたという事実は、当時のドイツの人々に衝撃を与えます。
そして州の検察官は過失致死の容疑で二人の司祭とアンネリーゼの両親を訴え、裁判の結果6か月の拘留という判決が下されたのでした。
現代において執り行われた悪魔祓いと、法による裁きというショッキングな事件は多くの映画や小説のモチーフとなり、2005年公開の作品『エミリー・ローズ』は、特に法廷での争いに焦点を当てた作品として有名です。
マイケル・テイラー
引用:lastpodcastnetwork.com
1943年にイギリスのヨークシャー州で生まれたテイラーは、ごく普通の家庭で育ち、そしてごく普通に結婚をして5人の子にも恵まれました。
控えめな性格で家族思い、礼儀も正しく近所からの評判も大変に良かったそうです。
ただ慢性的な背中の痛みを抱えており、時として軽いうつ状態になることもあったといわれています。
彼らが住んでいるオセットという町は敬虔なクリスチャンが多く住んでいましたが、マイケルは特に信心深いというわけでもなく、むしろ教会のイベントにはあまり顔を出さないことの方が多かったようです。
そんな平凡で家族思いのマイケルに異変が生じたのは1974年のことでした。
弱冠21歳のマリア・ロビンソンが率いる新興宗教に、友人の誘いにより入会したマイケルは、カリスマ的な魅力を持つマリアにあっという間にのめりこんでいきます。
あれほど家族思いだったマイケルは、家族団らんの時間よりもマリアと一緒にいる時間を優先するようになり、全く家庭を顧みなくなってしまいます。
マイケルの精神状態も不安定になり、常に苛立ち、何に対しても不快感を持つようになります。
妻クリスティンとは口論が絶えなくなり、幸せだった家庭の面影は全くなくなってしまいました。
ある日の集会の最中にクリスティンは教会に乗り込み、公衆の面前でマイケルとマリアが不誠実な関係を持っていると非難します。
それに対して激高したマイケルは、なぜか怒りの矛先をマリアに向けたのでした。
突然マリアに対して暴言を吐き、そしてマリアに対して暴力を振るい始めたのです。
マリアは暴行を受けている間ずっとイエスの名を叫んでいたとのちに語っています。
そしてそれによって、何とか殺されずに済んだとも。
教会からはこのことは赦免を受けましたが、付近の人のマイケルを見る目は完全に変わってしまいました。
更にマイケルの奇行も次第にエスカレートし、ついには「悪魔に取り憑かれている」と噂されるようになります。
そしてついに地元の教会も悪魔祓いを行うべきであると決断したのでした。
儀式は難航を極め、マイケルは常に痙攣し、つばを吐き、そして神父に噛みつこうとし続けたため、ベッドに縛りつけられることになります。
数時間の儀式の末に、40以上もの悪魔がマイケルの体から取り去られたのでした。
疲労困憊した神父はマイケルに帰宅を許可しますが、それが最悪の悲劇を招くこととなります。
帰宅したマイケルは、すぐに妻クリスティンを惨殺してしまったのです。
それも両目をえぐりだし、舌を引き抜き、顔の皮を引き裂くという凄惨な方法で。
またペットのプードルもマイケルによって全身をバラバラに引き裂かれていました。
妻を惨殺した後マイケルは全裸となり、体中に妻の血を塗りたくりそしてそのまま通りに飛び出し「これは悪魔の血だ!」と叫び続けたのでした。
すぐに通りかかったパトカーに逮捕されたマイケルは、裁判にかけられますが心神喪失により不起訴となり、精神病院に送られることになります。
悪魔祓いを行った教会は、「精神が衰弱したものに対し儀式を行い、更に悪化させた」と世間の批判を浴びますが、教会は間違いなく彼は悪魔に憑かれていたと反論しました。
本当に悪魔の仕業だったのか、マインドコントロールによる精神異常なのか、それは今となってもわかりません。
アンナ・エクランド
引用:youtube.com
アメリカのウィスコンシン州で生まれたアンナ・エクランドに最初の変化が起こったのは彼女が14歳の時だったといわれています。
宗教的なものへ激しい嫌悪感を覚えるようになり、教会に入ることができなくなってしまいます。
また性的にもひどく乱れた生活を送るようになり、更に常に他人を罵るような汚い言葉を吐くようになりました。
多くの医者に診てもらっても全く原因がわからず、長い時間苦しみ続けましたが、ついに1912年に経験豊富なエクソシストであるリージンガー神父による悪魔払いの儀式で、ついに平安を取り戻すことになります。
しかし1928年に症状が再発したアンナは、再びリージンガー神父の悪魔祓いを受けることになりますが、この2回目の儀式は熾烈を極めます。
修道院で行われた儀式の間、アンナがひどく暴れるためにその体を拘束する必要がありましたが、あまりの力の強さに体格のいい修道女が6人がかりでやっと押さえつけることができたといわれています。
時にはその拘束具すらも破壊し、そしてその体は横たわった状態のまま壁を伝って上昇し、天井付近で停止するなどの現象も起きました。
また知るはずのない言語で話すこともあり、時には神父や修道女が過去に犯した罪を正確に述べ、そして嘲笑したともいいます。
また彼女が話している間その唇は全く動いておらず、まるで喉から直接声が出ているようだったとも伝えられています。
特に儀式を困難なものにしたのは、アンナはほとんど飲まず食わずであったのにもかかわらず、常にその口からタバコの葉に似たものや瓦礫のようなものを含む奇妙なものを嘔吐し続けたことです。
更に排泄も頻繁に行い、儀式が行われている部屋は大変な悪臭に包まれていました。
神父はアンナに取りついている悪魔はハエの魔王ベルゼブブであると断定し、実際に部屋の中は異常な数のハエに覆われていたといいます。
儀式が進むにつれてアンナの体は膨張し続け、ついには原形をとどめないほどに肥大し、その体の重さがベッドの足を曲げます。
修道女たちは今にも彼女の体が爆発しそうだと恐れ、アンナの体からは距離を置くようになりました。
この地獄のような儀式は23日間にわたって行われ、神父たちの努力の甲斐あってベルゼブブをはじめとする悪魔祓いに完全に成功し、最後はアンナがイエスへの賛辞の言葉を叫んだ時、完全に彼女の体の中の悪魔は消失しました。
ジュリア
引用:foto-basa.com
カルト宗教に属し、悪魔に憑依されていると自ら悪魔払いを求めた39歳のジュリアという女性のケースは、ニューヨーク医科大学のギャラガー博士により明らかに悪魔に取り憑かれていると判定された非常に珍しいケースです。
ギャラガー博士は、診断からエクソシズムの儀式に至るまでを詳細なレポートにまとめてもいます。
ジュリアという名は彼女のプライバシーと身の安全を守るための仮名ですが、博士が彼女を悪魔憑きと断定するまでには、多くの超常現象があったといいます。
初対面にもかかわらず、ジュリアは博士の母親の死因や、博士の家で買っている猫が昨晩ケンカしたことなどを正確に言い当てました。
またジュリアの話す声質も絶えず変化し、非常に甲高い声で話したかと思えば今度はしゃがれた低い声で話したりもしました。
また時には、数千マイルも離れたところにいるにもかかわらず、博士が電話で知人と会話している際に、受話器の向こうからジュリアのものと思われる悪魔の叫び声を聞くこともあったといいます。
この様な出来事から、悪魔による憑依と断定したギャラガー博士は、カトリック教会に悪魔払いの儀式を依頼し、そしてそれは6月のある暖かい日に開始されました。
外は心地よい陽気にもかかわらず、儀式が行われている部屋はなぜか肌寒かったそうです。
しかしジュリアが口から奇妙な音と蒸気のようなものを発すると、一転して室内は汗をかくほどの熱に覆われたと記されています。
儀式の間ジュリアはスペイン語とラテン語、また全く未知の言語で話したといわれていますが、ジュリア本人は英語以外の言語を話すことはできなかったそうです。
彼女が発する言葉は非常に攻撃的で、常に神父や修道女たちを卑猥に罵り、また神を冒涜する言葉を発し続けました。
暴れる彼女を抑えるために3人の修道女が必死にその体を押さえつけましたが、拘束できないどころか、30分にわたってその体は浮遊し続けたといいます。
儀式は8回にわたって行われ、そして悪魔が完全に抜けきっていないにもかかわらず終了しました。
ジュリアは博士に対して儀式を再開してほしいと訴えましたが、その願いが聞き入れられることはありませんでした。
その時がんを患っていたジュリアの健康状態を考えると、儀式の続行はすでに現実的ではなくなっていたのです。
その後博士がジュリアについて聞くことはもうありませんでした。
おそらくは亡くなったのだろうと、博士自身も話しています。
セイラム魔女裁判
引用:flickr.com
セイラム魔女裁判事件とは、17世紀のアメリカ、マサチューセッツ州セイラム村で起こった、集団の悪魔憑き事件とそれに関わる一連の裁判のことを言います。
結果20名を超える人たちが、処刑や獄死によって命を落としました。
事の発端は、村の牧師の娘エリザベス・パリスとその従妹であるアビゲイル・ウイリアムら数人の少女たちが突然暴れだしたり痙攣するなどの奇妙な行動をとるようになったことから始まります。
少女らは奇妙に手足をくねられのたうち回り、奇声を発しものを投げつけるなど、全く制御が取れない状態になってしまいました。
当然親であり牧師でもあるサミュエル・パリスは少女らをすぐに医者に診せましたが、医師らは全くこの奇怪な現象の原因を特定できず、そしてこれを「悪魔憑き」によるものと断定します。
悪魔憑きの原因として真っ先に疑われたのが、使用人として働いていたティテュバという南アメリカ先住民族の女性でした。
彼女は当時すでにキリスト教に改宗していましたが、ブードゥーの儀式に詳しく、また実際に少女らと降霊の儀式を行い、未来を占ったりもしていました。
ティテュバは捕らえられ裁判にかけられますが、儀式を行ったことは認めたものの、それが人に害を与えるものではないと容疑を否認します。
しかし自白をすれば減刑するとの取引に応じ罪を容認、更に数人の女性の名を挙げ、彼女らも魔女であると告白したのです。
この告白に村中はパニックになります。
更に時を同じくして、数十人の若い女性たちも同じように奇妙な行動をとるようになり、混乱は拡大の一途をたどります。
この告白によりサラ・グッドとサラ・オズボーンという二人の女性が魔女の疑いによる裁判にかけられます。
この二人の女性は浮浪者であったり、または数度の離婚歴があるなど社会的に決して良い評判を得ている女性ではありませんでした。
更にサラ・グッドの裁判に参考人として呼ばれた少女らが、容疑者の姿を見るなり発作を起こし、地面をのたうち回りながらもがき苦しみだしたことから容疑は確定的なものとなり、魔女として有罪判決を受けることになるのでした。
更に少女らの告白により、マーサ・コーリー、レベッカ・ナースといった女性らの名が挙げられ、逮捕されます。
特にレベッカ・ナースに関しては、71歳の高齢で敬虔なクリスチャンとして村中の尊敬を集めている人物でした。
当然彼女は容疑を否定し、更に自白による取引にも一切応じなかったことから、不幸にも絞首刑に処されることになります。
こうしてさらに数人の名前が魔女として挙げられては裁判にかけられるという、村は悪夢のスパイラル状態となってしまうのです。
結果100名を超える人物が魔女として告発され、19人が実際に処刑されるという事態になります。
騒ぎが村を越えて近隣の都市にも及ぶに至り、さすがに人々はこの告発合戦に疑問を抱くようになります。
更に名高い大学教授やマサチューセッツ州総督夫人が告発されるに至り、この騒動は終焉に向かうことになります。
すぐに州総督は事件に介入しこの裁判騒動を停止、魔女として収監されていた人々に恩赦を与え無罪とし、すでに処刑された人達についても名誉回復をさせます。
こうして一連の事件は完全に収束を迎えたのですが、結局少女らの発作の原因については不明のままです。
本当に悪魔が彼女らを支配していたのか、それとも一種の集団ヒステリーなのか。
裁判の記録の中で、少女らが「遊びでやっている」と仄めかしたという一文が残っています。
本当にそうだとすると、その行為そのものが悪魔よりも恐ろしい行為といえるでしょう。
まとめ
歴史上実際に起こったとされるエクソシスト事例を紹介しました。
医学的知識が乏しい昔の時代だけではなく、比較的最近に至ってもこのような事例が起こっていることに驚かされます。
精神障害や多重人格の一種として結論づけてしまうことは簡単です。
しかし医師たちがそれだけでは結論づけられない「何か」を感じたからこそ、現在に至るまでエクソシストの実例として残っているのでしょう。
高ストレス社会で暮らす我々の耳元でも、ある日突然悪魔のささやきが聞こえるかもしれません