古代文明とは、古代の人間が作り出した高度な文化あるいは社会のことです。
文農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農作物の生産を前提としていますが、なぜ人類社会が高度に組織化され文明が発生するようになったのかは明確には解明されておらず、「乾燥化や地球寒冷化などによって人々がより条件の良い土地に移住して集中するようになり、その人口を支えるために大規模な農耕がおこなわれ、文明が成立したとする説」などいくつかの説があります。
考古学者ゴードン・チャイルド(1892年-1957年)は、文明と非文明の区別をする指標として下記の有無を定義しています。
- 効果的な食料生産
- 大きな人口
- 職業と階級の分化
- 都市
- 冶金術
- 文字
- 記念碑的公共建造物(ピラミッドなど)
- 合理科学の発達
- 支配的な芸術様式
それでは、世界の歴史的古代文明と超古代文明をご紹介していきます。
目次
メソポタミア文明
世界四大文明の一つである古代メソポタミア文明は、チグリス川とユーフラテス川の間(イラク)に生まれた複数の文明(シュメール文明、バビロニア、アッシリアなど)を総称する呼び名で、世界最古の文明の一つとされています。ジッグラトと呼ばれる階段型ピラミッド(聖塔といわれているが詳細は謎)を中心に、巨大な都市国家を展開しました。
象形文字を発展させた楔形文字を創始し、ハンムラビ法典などを残したほか、太陰太陽暦を用い、1週間を7日(七曜)と定めたのも彼らと言われています。
新石器時代から人間が暮らしはじめ、紀元前8000年頃には世界最古の町「イェリコ(死海の北西部にある町)」が出来ていたと言われています。
その後、紀元前3500年頃から今でも多くの謎に包まれているシュメール人によって文明が発展し、紀元前4世紀、アレクサンドロス3世(大王)の遠征によってその終息をむかえました。
エジプト文明
エジプト文明は、紀元前3150年頃に始まった第1王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝が共和制ローマによって滅ぼされるまで(諸説あり)にエジプトのナイル川流域に起こった古代文明で、世界四大文明の一つです。
エジプト文明では、毎年のナイル川の氾濫を予測するために天文観測が行われ、太陽暦が作られました。さらに、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量術、幾何学、天文学が発達しました。
また、古代エジプトでは、神聖文字(ヒエログリフ)、神官文字(ヒエラティック)、民衆文字(デモティック)の三種類のエジプト文字が使われていました。特にヒエログリフは神聖なものとされ、神や、それと同等であるとされたファラオを称える石碑や神殿、墓などに刻まれていましたが、紀元4世紀頃には忘れ去られおり解読することはできませんでした。しかし、1799年にロゼッタ・ストーン(紀元前196年にプトレマイオス5世の勅令が刻まれた石碑)が発見され、19世紀になって解読されました。
エジプト文明は紀元前3150年頃、ナルメル王が上下に分かれていたエジプトを統一してエジプト第1王朝を開き、首都メン・ネフェル(メンフィス)を築いたとされています。
その後、紀元前80年にプトレマイオス11世が殺されたことで王家の直系が断絶し、共和政ローマの影響力が増大。紀元前51年に即位したクレオパトラ7世はローマの有力者たちと友好関係を築くことでエジプトの存続を図りましたが、紀元前31年にローマ軍にアクティウムの海戦で敗北し、紀元前30年にアレクサンドリアが陥落。クレオパトラ7世は自殺しプトレマイオス朝は滅亡しました。これによりエジプトの独立王朝時代は終焉することになりました。
インダス文明
インダス文明は、インド・パキスタン・アフガニスタンのインダス川および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に紀元前2600年から紀元前1800年頃に栄えた文明で、世界四大文明の一つです。
1826年にイギリスの探検家のチャールズ・マッソンが発見し、その後、アレクサンダー・カニンガムが1853年・1856年に最初のインダス遺跡発掘となるハラッパー遺跡の発掘を行い、未知の文字が書かれた印章・土器などが出土しました。
インダス文字は統計的分析ができる長文や、ロゼッタ・ストーンのように多言語併記の物が発見されていないことから、現在でも未解読の言語の一つです。
インダス文明の衰退や滅亡については、砂漠化説、河流変化説、気候変動説、アーリア人侵入説などが考えられていますが、その詳細は現在でも分かっておりません。
黄河文明(中国文明)
黄河文明(こうがぶんめい)は黄河の中・下流域で栄えた古代の中国文明のひとつです。
世界四大文明の一つとされていますが、最近では現在は長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されているため、それらをまとめた中国文明を世界四大文明という場合もあります。
紀元前5000年頃から紀元前1000年頃(史記では伝説と目される三皇五帝の時代に続いて、最初の王朝国家としての夏朝が始まる)までが黄河文明(中国文明)とされます。
中国文明は世界最古の文明の一つであり、東アジアにおける中心文化でした。広大な地域や人口を保有し、各地の文化は四千年もの発展を経て、中国大陸だけでは限らず、東アジアや東南アジア圏の国々にも重要な影響を与えました。
古代中国の四大発明と呼ばれる造紙術、 印刷術、羅針盤、火薬を発明し、漢字を用いて多くの史書(史記、漢書、三国志など)や兵法書(孫子、呉子など)を残しました。
ギリシア文明
古代ギリシアは、紀元前3000年頃から前146年まで、現在のギリシャあたりで発展した古代文明です。
ギリシアにはこの地域で最古の人類であるペトラロナ人が、約20万年から40万年前から暮らしていました。紀元前3000年頃に古代ギリシアにおける最古の文明である「エーゲ文明」が誕生。紀元前1200年の「カタストロフ」、考古学的情報が乏しく謎に包まれた「暗黒時代」を経て、紀元前4世紀前半に古代ギリシア最後の時代である「ヘレニズム時代」に突入しました。最終的に古代ギリシアはローマ帝国との戦争に敗れたことで崩壊。その歴史を閉じることになりました。
古代ギリシア語は、ギリシアと西アジア、エジプトとの通商により発展し、ホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』を出発点として、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスなど多くの歴史的文学を生み出しました。
古代ギリシアでは宗教が非常に大きな影響を持ち、多くの神々が登場する『ギリシア神話』は現代でも語り継がれています。
更に全ギリシアの四大神域の一つ『オリュンピア』では、現代のオリンピックの元となる第一回オリュンピア競技会(古代オリンピック)が紀元前776年頃に開催されています。
スキタイ文明
スキタイ文明は、紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族による遊牧国家で3人の王によって分割統治されていました。
その起源については、「伝説のタルギタオス王の3人の息子達がそれぞれ王として領土を支配しスキタイ文明を築いた」などいくつかの伝説などが残っているだけで定かではありません。
スキタイには多くの古墳が残っており、西はウクライナから東はロシアのトゥヴァ共和国にまで広く分布しています。
メソアメリカ文明
メソアメリカ文明は、メキシコおよび中央アメリカで繁栄した農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)の総称です。
主なメソアメリカ文明は次の通りです。
- オルメカ文明(メキシコ湾岸;紀元前1250頃-紀元前後)
- テオティワカン文明(メキシコ中央高原;紀元前後-7世紀頃)
- マヤ文明(メキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラなど;紀元前3世紀-16世紀)
- トルテカ文明(メキシコ中央高原;7世紀頃-12世紀頃)
- サポテカ文明(メキシコ・オアハカ地方;紀元前10世紀-16世紀)
- ミシュテカ文明(メキシコ・オアハカ地方;)
- タラスカ王国(メキシコ西部地域、ミチョアカン州など;)
- アステカ帝国(メキシコ中央高原;15世紀前半-1521年)
神殿文化は紀元前二千年紀の末に起こり、それから約2500年の間、アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸の文明などの外部世界の影響や干渉を受けることなく自力で発展し続けました。そのため、製鉄技術を知らず、宗教においても独自な体系を成立させるなど、他大陸の文明とは際立った特徴がありました。
特に有名なマヤ文明では、紀元前250年頃から巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、石碑に王朝の歴史を刻むようになり、現代までその記録を残しています。マヤ文明は8世紀頃に大都市カラクムルやティカルなどを中心に多くの都市が発展し絶頂期を迎えました。
ところが多くのメソアメリカ文明は、15世紀の末に始まったスペイン人のアメリカ大陸侵略により滅亡へと追いやられていきました。
アンデス文明
アンデス文明(アンデスぶんめい)とは、スペイン人によるインカ帝国征服以前に、現在の南米ペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した古代文明です。
アンデス文明では、最古のもので1万年以上前の遺跡が発見されており、紀元前2500年頃になると石造建築を主体とするカラル遺跡が現れました。13世紀頃にクスコを首都とするインカ帝国が築かれ、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで約200年間続きました。
インカ帝国には製鉄技術がありませんでしたが、金銀の鋳造が発達していました。しかし、インカ帝国の金製品は合金だったため、そのほとんどは侵略したスペイン人によって純金のインゴットにされスペイン本国へ運ばれました。
アンデス文明は、旧大陸の四大文明や新大陸のメソアメリカ文明とは異なり文字文化を持ちませんでした。その為、アンデス文明は口頭伝承がスペイン人修道士による記録の形でわずかに残されているにすぎず、現在も多くの謎が残されています。また、文字の代わりに縄の結び目で情報を記録するキープというものがありました。
口頭伝承の中には創世神話、太陽の神話、ビラコチャ伝説、インティ伝説など多くのインカ神話や創造神話が存在しており、インカ帝国の皇帝である「サパ・インカ」は太陽神インティの化身と考えられていたことが分かっています。
アトランティス【超古代文明①】
アトランティスは、古代ギリシアの哲学者プラトンが著書に記述した未知の大陸と、そこに反映したとされる古代文明です。古代都市アクロポリスを中心に強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたという伝説があります。
アトランティスは実際には存在しない伝説上の古代文明と考えられていますが、その繁栄と滅亡には直接的なモデルが実在したと考えられています。
代表的な諸説をいくつかご紹介します。
- サントリーニ島の火山噴火説
エーゲ海にある巨大なカルデラの島であるサントリーニ島の爆発による津波によって滅んだミノア王国(ミノア文明)をアトランティスとする説 - 大西洋説
プラトンの著書にはアトランティスは大西洋に存在することになっています。アゾレス海台に位置するアゾレス諸島(火山島)は、元々ひとつの大きな陸地であったものが、火山の大噴火によって海底沈んだという説。 - 南極説
ポールシフト(地球の自転軸移動)以前の南極大陸こそがアトランティスであるという説。 - 大海進説
紀元前9560年頃にアトランティスが海中に沈んだとするのは、氷河期の終焉による海面の上昇とかつての陸地の水没を指すとする説。
その他にも、現在のインドやアメリカ大陸がアトランティスだとする説など様々な説が存在します。
ムー大陸の文明【超古代文明②】
ムー大陸は、今から約1万2000年前に太平洋にあったとされる伝説上の大陸で、そこには高度な古代文明が存在したとも言われています。
ムー大陸については、1863年にトロアノ絵文書という古文書を解読したフランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブールが、「トロアノ絵文書には『ムー』(Mu)と呼ばれる王国が大災害によって陥没した伝説が描かれており、アトランティス伝説と類似性がある」と発表したのが始まりとされています。
アメリカ合衆国の作家、ジェームズ・チャーチワードによるとムー大陸にはムー文明と呼ばれる古代文明が存在し、約6400万人もの人々が暮らしていました。人々は白人で構成される民族であり、彼らの王「ラ・ムー」は太陽神ラーの化身として崇められていました。
ムー大陸にはアトランティス同様に「イースター島やポリネシアの島々を、滅亡を逃れたムー大陸の名残であるとする説」「太平洋にユーラシア大陸と同位の大陸が存在したというムー大陸=レムリア大陸説」「ムー大陸はなかったが、ムー文明はあったのではないかとの説」など。様々なムー大陸実在説が世界中に存在しています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
世界には様々な古代文明がありました。その多くは現在でも多くの謎に包まれたままであり、世界中の考古学者らによって日々研究が進められています。
少しずつ謎が解明されていくのが楽しみですね^^