日本は自然が豊かで、世界的に見れば治安のよい国です。
ですがそんな日本にも、行くだけで生命に関わる可能性のある、危険な場所は存在しています。
今回は日本にある、絶対に行ってはいけない場所について紹介します。
有毒温泉
引用元:http://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/
にわかには信じがたいですが、「有毒温泉」という名前の温泉が、北海道上川郡上川町にあります。
場所は大雪山国立公園の御鉢平(おはちだいら)カルデラの底です。
3か所の湯だまりから湯が沸きだしているほか、有毒温泉の名の通り非常に高濃度の硫化水素を発生させており人間ですら死に至ってしまいます。
ときおり迷い込んだ野生動物が硫化水素によって中毒死し、温泉の底に溜まっているとも言われています。
1958年には学生2名が死亡、1960年代には登山客が入浴中に死亡するという事故が起きており、現在では入湯・立ち入り禁止となっています。
御鉢平カルデラからは赤石川という川が流れていますが、水源が有毒温泉に近く、硫化水素を多く含んでいるため川の水は飲用できません。
日本にはほかに秋田県鹿角市の鬼ヶ城温泉や長野県大町市の硫黄沢温泉など、有毒ガスが湧き出している温泉はあります。
温泉は火山活動と密接な関係にあるので、当然と言えるでしょう。
東尋坊
引用元:https://www.fuku-e.com/
東尋坊は福井県坂井市にある崖で、越前加賀海岸国定公園の特別保護地区にも制定されています。
最大でおよそ25mもの高さがあり、輝石安山岩の柱状節理(割れ目が規則的に走り、岩体を柱状にしているもの)によって構成されています。
東尋坊ほどの規模を持つ柱状節理は世界を見てもほかにノルウェーの西海岸、韓国の金剛山しかありません。
何本もの柱が連なっている光景は勇壮であると同時に、地質学的に見ても非常に貴重なものであると言えるでしょう。
ですが東尋坊は福井県の観光名所であると共に自殺の名所としても知られています。
「東尋坊」という名称も、恋敵を奪い合って崖から突き落とされた東尋坊という僧侶から来ていると言われるだけあり、元々身投げとは切っても切り離せない縁がある土地でした。
現在は10円玉やテレホンカードが用意され、いつでも電話ができる「いのちの電話」という電話ボックスやNPOの活躍、更に観光を盛り上げるために「IWABA CAFE」といった喫茶店が建てられたことで自殺者はほぼ0人になったと言われています。
ただ既に亡くなった人は戻ってきません。
東尋坊では自殺者の霊によるものと思われる心霊現象が後を絶たないと言うのです。
心霊写真が撮れたり「いのちの電話」から助けを求めるような声が聞こえる、トイレに幽霊が出るなどその経験談は数多くあります。
東尋坊から遊覧船で行くことができる「雄島」共々、東尋坊は心霊スポットとして非常に名高い場所となっています。
姫島村
引用元:https://oita-katete.pref.oita.jp/
姫島村は大分県北東沖、周防灘と伊予灘の境目にある姫島を行政区域とする一島一村の村です。
古くは古事記の「国産み」の逸話において、イザナギとイザナミが「大八洲」と呼ばれる大きな8つの島を産んだ後に産んだ6つの島のひとつが姫島だったと言われています。
姫島は黒曜石の産地のひとつで、姫島で採掘された中国、四国の遺跡から数多く出土しています。
2007年には「姫島の黒曜石産地」として国の天然記念物に指定されています。
更に1864年に発生した下関戦争ではイギリス、アメリカ、フランス、オランダの連合軍が姫島を拠点にしていました。
全国的には知名度があるわけではないですが、姫島は古代から現代まで脈々と歴史を受け継いできた島と言えるでしょう。
そんな姫島は、実は1955年から2012年までのおよそ60年間、村長選の投票が行われず、無投票による当選が続いている非常に異例の地域です。
しかもその間村長の職に就いていたのは最初の1期を除いては藤本熊雄とその息子である藤本昭夫のため、およそ50年もの間、親子による行政が続いていた(現在も藤村昭夫が村長職を続けている)ことになります。
そのような事態となった背景には、もちろん離島故に候補者が表れなかったことが大きいです。
ただし姫島から感じられる閉鎖性から「1955年に対立候補となった一族は島を追放された」、「村議員選は村長の家系が当選する」、「議会では一般質問が無視される」、「村民の流出を防ぐために10人に1人に村役場職員の座をあてがう」などの都市伝説が流れています。
実際に村特有の事情はあり、1955年の選挙では親戚同士で対立陣営にいたことなどから島が気まずくなったことがあったり、2012年に行われた選挙では同じ藤本姓(ただし村長と親戚関係にはない)の新人が出馬するなどの事態はありました。
また1962年3月30日には姫島村の青年団員30人が、島で映画館やパチンコ店を経営し、暴力団員と深い関係にあった兄弟2人に集団で暴行を加えて死亡させた「姫島村集団リンチ事件」が発生しています。
日本には小さな集落や離島は数多くありますが、閉鎖的な雰囲気があるところだと些細な誤解があらぬ事態を招く可能性もあります。
姫島村は現在は開かれた場所ですが、注意に越したことはないでしょう。
雫石慰霊の森
引用元:https://i.ytimg.com/
1971年7月30日、千歳空港から東京国際空港へ向かう途中の全日本空輸の旅客機が岩手県岩手郡雫石町上空で航空自衛隊の訓練機と空中で衝突、旅客機の乗員乗客162名が全員死亡する航空事故が発生しました。
この事故は「全日空機雫石衝突事故」と呼ばれ、1985年に日本航空123便の墜落事故が起きるまで、国内で最も多くの死者を出した航空事故でした。
全日本空輸の機体が墜落した現場は、事故後に「慰霊の森」として整備され、三十三回忌に当たる2003年まで毎年慰霊祭が行われいました。
この慰霊の森は「最恐」の心霊スポットとして名高く、恐怖体験から廃人状態になってしまった人もいると言われています。
全日空機雫石衝突事故では旅客機が空中分解して乗員乗客が投げ出され、地面に叩きつけられてしまったそうです。
遺体の多くが原型を留めていなかったとも伝えられています。
そのような亡くなり方をしてしまったため、浮かばれない方がいるのかもしれません。
面白半分で行くときには自己責任としたほうがいいでしょう。
谷川岳
引用元:https://www.minakamikogen200.jp/
群馬県と新潟県の県境に位置する三国山脈の谷川岳は地元の子ども達が遠足で登ったり、一般の登山客にも人気の山です。
標高は1977mほどで切り立った崖からの景観も美しいためロッククライミングが盛んに行われるほか、谷川岳にある谷川岳天神平スキー場は関東でも人気のスキー場です。
このように多くの観光客を集める谷川岳ですが、実は統計の始まった1931年から2005年までに781人もの死者を出しています。
この死者数は8000m級の山であるエベレストなどよりも多く、「世界一多くの死者を出した山」としてギネス記録に残っています。
781名というのがどれくらい多いかと言うと、エベレストなどの8000m級の山々合計14座で同期間に出た死者数を足しても781名には到底届きません。
そのため谷川岳は「魔の山」、「人喰い山」などとも呼ばれています。
なぜ最大標高2000m足らずの谷川岳でこんなに死者が出るかと言うと、谷川岳は気候の変化が激しく、複雑な地形と険しい岩壁を有しており、とても遭難しやすい条件が整っているためです。
最も初心者向けのルートである天神尾根ルートですら、気候の変化によっては遭難するリスクを秘めています。
またエベレストなどの山々では登山者は入念に準備を行ってから登山をしますが、谷川岳は軽装、準備不足で登山をする人も数多くいます。
1960年には谷川岳の崖で宙吊りになった遺体を収容できず、陸上自衛隊が狙撃してザイルを切断した「谷川岳宙吊り遺体収容」が起きたり、一ノ倉沢で白骨死体が発見されたりと過去には事件も多く起きています。
パナリ島
引用元:https://www.kohama-haisai.net/
パナリ島とは沖縄県の八重山諸島に位置する新城島(あらぐすくじま)の別名です。
上地島(かみじしま)と下地島(しもじしま)の2つの島から構成されています。
島の全域が西表石垣国立公園に含まれ、透明度の高い海からスキューバダイビングで人気のスポットです。
八重山諸島の各島には島々をつなぐ定期船が運行していますが、パナリ島へ行く定期船は出ておらず、観光ツアーで行く必要があります。
パナリ島はかつてジュゴンの最大の生息地であり、パナリ島の住人は琉球王国への人頭税としてジュゴンの肉を納めていたと言われています。
それと関連しているかは不明ですが、パナリ島には人魚伝説があり、人魚をまつる「人魚神社」があります。
人魚神社は琉球の宗教で「御嶽(うたき)」と呼ばれる聖地のひとつであり、島民も普段は入ることが許されません。
無理に入ると体調を崩し、死に至ることもあると伝えられています。
更にパナリ島では「アカマタ・クロマタ」と呼ばれるものを生む奇祭「豊年祭」が行われていると言われています。
豊年祭ではナビン洞という洞窟で「ザーシンカ」と呼ばれる男性が幻覚作用のある薬物を使いながら、女性と丸一日性行為に
及び、「人魚の肉」として子どもの肉を食べるそうです。
パナリ島は人の出入りが少ないために近親婚が繰り返され、障害を負った子どもが生まれるケースが多く、そういった子どもを「人魚の肉」として口減らししていたのかもしれません。
豊年祭を調べた学者は島民によって目を潰されたと言われています。
パナリ島に行くときには、時期を考えたほうがいいのかもしれません。
朝鮮トンネル
引用元:http://blog.livedoor.jp/
岐阜県加茂郡八百津町にある二股トンネルは別名「朝鮮トンネル」とも言われています。
トンネルの開通工事の際に朝鮮人を数多く使っていましたが、事故が相次いだために労働者を人柱として埋めたり、事故の犠牲となった朝鮮人を埋めたなどという噂があります。
そのためか、朝鮮トンネルは岐阜県、中部地方で最も恐ろしい心霊スポットとして伝えられています。
幽霊の目撃情報にはじまり、叫び声が聞こえる、帰り道で事故に遭うなどの体験談がネットを中心に寄せられています。
現在朝鮮トンネルは国道418号線の立ち入り禁止区間となっており、近づくことも危険な状態です。
新丸山ダムの建設によって水没予定となっており、近い将来行けなくなる可能性もあります。
上野駅13番線男子トイレ
引用元:https://stat.ameba.jp/
上野駅と言えば、JR東日本や東京メトロと言った中距離の電車が乗り合わせるほか上越新幹線、東北新幹線、各在来線の優等列車(特急、快速電車)などが停車する「北の玄関口」として知られています。
巨大なターミナル駅として上野駅は多くの乗客を輸送していますが、13番線は宇都宮線の終点として線路が切れており、朝夕のラッシュに使われるほかには寝台列車の「カシオペア」や「北斗」の出発ホームとしての利用が主な用途だったため、普段は人通りは多くはありません。
そのため監視の目が及ばず、上野駅13番線の男子トイレが一部の同性愛者がいかがわしい行為を行うスポットとなっていたことがありました。
トイレの利用者は同性愛者からねめつけられ、時には待ち合わせの相手と間違えられて声をかけられたりいかがわしい行為に及ばれる場合もあったようです。
上野駅もパトロールを強化したり、小便器に衝立を作るなど、少しでもマイナスイメージを払拭しようと躍起になりましたが効果はあまり出ませんでした。
インターネットなどで13番線のトイレは評判を生み、いつしか一般の利用者もトイレの使用を躊躇するようになったと言われています。
現在では「TRAIN SUIT 四季島」を運行させるために13番線と14番線の間に13.5番線ホームを作り、13番線のトイレはラウンジ「プロローグ四季島」を作るために移転しました。
現在の13番線男子トイレは同性愛者の聖地ではなくなっています。
犬鳴峠
引用元:https://tabi-and-everyday.com/
犬鳴峠は福岡県宮若市と福岡県糟屋郡久山町の境に位置する峠です。
急なカーブの続く山道ですが北九州市と福岡市をつなぐ近道として交通量が多く、1975年に新犬鳴トンネルができてからはより快適に通ることができるようになりました。
かつては犬鳴隧道(旧犬鳴トンネル)というトンネルが開通していましたが、新犬鳴トンネルの開通後は暴走族のたまり場となったり不法投棄が目立つようになったために閉鎖されています。
犬鳴峠や犬鳴隧道は心霊スポットとして知られているほか、犬鳴隧道の近くには「犬鳴村」と言われる村が存在するという都市伝説があります。
犬鳴村は入口に「この先、日本国憲法が通じません」という看板があり、日本の地図には記載されていません。
村人はひどい差別を受けてきており、村内に足を踏み入れた者は帰ってこられないそうで、実際にカップルが死亡した例もあると言われています。
過去には実際に犬鳴村という村が存在しましたが、都市伝説の犬鳴村とは関係ありません。
犬鳴峠を通る機会があれば、看板には気をつけたいものです。
常紋トンネル
引用元:https://career-find.jp/
JR北海道石北本線生田原駅と金華駅の間にある常紋トンネルは、北海道で一番の心霊スポットとして有名です。
現在も利用されていますが、トンネルの内部や周辺では怪奇現象が相次ぎ、金華駅近辺では幽霊も出ると言われています。
常紋トンネルが着工されたのは1912年のことです。
建設に際しては本州から「タコ」と呼ばれる労働者を集めて「タコ部屋」という簡素な掘っ建て部屋に収容して半強制労働にようにトンネルを掘らせていました。
重労働はもちろん、食事も粗末なものであったために脚気が流行しました。
また作業中に指示に反発した労働者はスコップなどで殴り殺され、労働者への見せしめに、人柱としてトンネル内に立てられたとも伝えられています。
常紋トンネルは1914年に完成しますが、2年の工事期間で100人以上の死者を出しています。
工事中に出た死者はトンネルの内部や、近くの山林に埋められたと言われ、トンネル開通後には慰霊碑も建てられました。
現在も非業の死を遂げた労働者の霊が、常紋トンネルに残っているのかもしれません。
薩摩硫黄島
引用元:https://www.sankei.com/
硫黄島と言えば、小笠原諸島南端に位置する島を連想する人も多いかもしれません。
太平洋戦争の激戦地のひとつでもある硫黄島は確かに心霊スポットとしても名高いですが、現在は海上自衛隊の基地があり、立ち入ることはそもそも困難です。
実は日本には硫黄島がもうひとつ、鹿児島県の薩南諸島北部に存在し、区別のために「薩摩硫黄島」と呼ばれることがあります。
薩摩硫黄島は『平家物語』において俊寛僧都が流刑された地「鬼界ヶ島」のことであると考えられており、島には俊寛ゆかりの史跡も数多くあります。
このことを記念して、1996年には薩摩硫黄島で歌舞伎公演「俊寛」が披露されたことがあります。
また壇ノ浦の戦いで入水自殺したとされている安徳天皇が薩摩硫黄島に逃げ延びたという伝承もあり、安徳天皇ゆかりの史跡も残っています。
一方薩摩硫黄島は非常に危険な環境にある島でもあります。
薩摩硫黄島には硫黄岳と呼ばれる活火山があり、島の海を茶色に染めたり、「東温泉」と呼ばれる温泉をもたらしています。
ただ硫黄岳は「鬼界カルデラ」と呼ばれるカルデラを構成しています。
鬼界カルデラは6300年前に「破局噴火(カルデラ噴火)」(地下のマグマを一挙に噴き上げる大規模な噴火)を引き起こし、当時の南九州の文化をすべて破壊しました。
鬼界カルデラは現在も火山活動を続けており、もしもう一度破局噴火を迎えれば大惨事を招き、死者が最大1億人にまで達すると言われています。
このようなことから、硫黄岳は「世界で最も危険な火山」だと言われています。
あいりん地区
引用元:https://toyokeizai.net/
大阪府大阪市西成区、JR新今宮駅の南側にある釜ヶ崎という土地に「あいりん地区」と呼ばれる場所があります。
あいりん地区は路上生活者や日雇労働者の集まる街で、中心部には日雇労働者が日雇いの仕事を求めるあいりん労働福祉センターがあり、周辺には「ドヤ」と呼ばれる安価の宿などが集まっています。
言ってしまえば、日本のスラム街です。
治安が悪く違法薬物が出回っていたり、盗品を売る「泥棒市」が行われていたり、さらに暴動まで起きることがあります。
暴動のきっかけは「日雇いの求人が少ない」、「店員ともめた」などと私たちからしてみれば些細なことが多いですが、それだけに1960年からなんと24回も起きています。
2009年には、英会話学校の講師をしていたリンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害して逃亡し、懸賞金のかけられていた市橋達也容疑者があいりん地区に潜伏し、日雇いで食いつないでいたことが明らかとなっています。
近年では行政の手が入ることであいりん地区の「浄化」が進んでおり、宿泊費が安いことから外国人バックパッカーの宿泊地としても利用されているようです。
八幡の藪知らず
引用元:http://www.pasonisan.com/
日本には宗教的な事情から立ち入りの禁止された「禁足地」と呼ばれるところがあります。
代表的なものとしては対馬にある「オソロシドコロ」、世界遺産にもなった「沖之島」などが挙げられます。
こうしたものはやはり山奥や離島のイメージがありますが、実は東京都内からほど近いところにも禁足地があるのです。
それが千葉県市川市の八幡神社(葛飾八幡宮)の近くにある「不知八幡森(しらずやわたのもり)」、通称「八幡の藪知らず」という森です。
八幡の藪知らずが禁足地となった理由には日本武尊が陣屋を敷いた、平将門の墓所がある、などの説がありますが不明です。
しかし周辺の住民は八幡の藪知らずを畏れ、不知森神社のある一角にしか立ち寄りたがりません。
更に八幡の藪知らずに足を踏み入れた者は神隠しに遭い、二度と出られないという伝承まで語り継がれています。
なんと「水戸黄門」として知られるあの水戸光圀も八幡の藪知らずへ入り、道に迷ったと言う話が伝わっています。
知床岬
引用元:https://www.jalan.net/
知床岬は北海道北東部にある知床半島の先端部の岬です。
ウミウやオオワシなどの天然記念物に指定された野鳥のほか、貴重な生物が多く生息しており、全域が知床国立公園に指定されているうえ、2005年には世界自然遺産に登録されました。
このような事情があるために知床岬は厳重に管理されており、観光客は宇登呂からの遊覧船などで海上から知床岬を望むことになります。
知床岬には港湾施設がないので、海路からの侵入は困難です。
一方まったく陸路から侵入できないわけではなく、林野庁へ入林届を提出すれば入ること自体はできます。
ただし道らしい道が整備されておらず、気候の変化も激しいために岬へたどり着くのは難しいです。
更に危険なことに、知床岬にはヒグマが生息しています。
2009年には陸路から知床岬を訪れた観光客のテントがヒグマに襲撃される事件が発生しています。
知床岬に生息するヒグマには人慣れしているものがおり、人から逃げない場合があります。
個体によっては人肉の味を覚えているとも言われています。
また知床岬に限った話ではありませんがキタキツネや川の水にはエキノコックスと呼ばれる寄生虫が生息しており、もし寄生されればエキノコックス症と呼ばれる肝機能障害に罹ってしまいます。
青木ヶ原樹海
引用元:https://jp.zekkeijapan.com/
青木ヶ原樹海(富士の樹海)は864年に発生した噴火によって溶岩がそれまであった森や湖を埋め尽くし、その跡にできた森林です。
富士箱根伊豆国立公園に含まれ、「富士山原始林及び青木ヶ原樹海」という名称で国の天然記念物に指定されているほか世界遺産の「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」にも含まれています。
溶岩の上に発生した原生林という特異な自然環境を有しているため、山梨県の富士河口湖町から樹海に精通したネイチャーガイドの案内に従って散策することが自然保護の観点から奨励されています。
ただ青木ヶ原樹海と聞くと、「自殺の名所」を思い浮かべる人も多いでしょう。
青木ヶ原樹海では遊歩道から少し離れると、毎年自殺者や自殺者の遺品が見つかると言われています。
それだけでなく、自殺者の霊が出没する心霊スポットとしても青木ヶ原樹海は知られています。
更に、青木ヶ原樹海には磁鉄鉱を多く含む溶岩が地中に多く含まれているためにコンパスが利かず、同じような光景が続くこともあって道に迷いやすいという都市伝説もあります。
青木ヶ原樹海にまつわる都市伝説はいずれも俗説だと言われていますが、訪れるときには注意をしたほうがよいでしょう。
大久野島
引用元:https://hiroshima.uminohi.jp/
大久野島は瀬戸内海の芸予諸島のひとつで、広島県竹原市に属しています。
島には元々生息していたアナウサギという種類のほかに、島の外から持ち込まれたウサギが繁殖しており、2018年時点では900羽を超えています。
それ以前はほとんど知られていませんでしたが、2011年にその年の干支が卯であったことから脚光を浴び、現在では年間に30万人以上が訪れています。
このように、現在の大久野島は「ウサギの島」として有名ですが、かつての大久野島は別の顔を持っていました。
昭和初期、大久野島は地図に記載されていませんでした。
芸予要塞の一部が島にあったうえ、昭和4年(1929年)からは陸軍が大久野島の住人を強制退去させ、秘密裏に血液剤や催涙剤などの毒ガスを製造をしていました。
太平洋戦争終戦後には進駐軍によって無毒化がなされましたが国民休暇村として開発が行われた際は工事業者が毒ガスの容器を発見し、被災するという事故も相次いでいたうえ、土中から基準値を大きく超えるヒ素が検出されたために飲用水を島外から運ぶこととなりました。
現在もかつての毒ガス製造施設は立ち入り禁止となっていますが、これは毒ガスがまだ残留しているためではなく、施設の老朽化が懸念されているためです。
ただまだ完全に毒ガスの影響が払拭されたわけではないので、大久野島を訪れる際には、毒ガス製造施設の周辺には注意が必要かもしれません。
ウトロ地区
引用元:http://blog-imgs-94.fc2.com/
ウトロ地区は京都府宇治市伊勢田町51にある地区です。
自衛隊の大久保駐屯地の北隣に位置しています。
宇土口(うとぐち)という地名が誤読などで変化したもので、正式名称ではなく、北海道の宇登呂(うとろ)とも関係はありません。
ウトロ地区は太平洋戦争中の1942年、日本国際航空工業(現在の日産車体株式会社)が京都飛行場、およびそれに隣接した航空機工場を建設するために同地区に集めた労働者と労働者の家族の住む飯場を元に成立しました。
太平洋戦争後、工事に従事したうち1300人の在日朝鮮人が不法に地区を占拠し、居住権を認めるよう法廷闘争を繰り広げていました。
この不法占拠したところに、似たような境遇の貧しい在日朝鮮人が集まって形成したのがウトロ地区です。
ハングルで書かれた看板や「オモニ(母親)の歌」など朝鮮半島を思わせるような看板が並び、幾度となく出された退去命令によって現在では空き家も目立ちます。
治安が悪く、入ることがタブー視されていた土地ですが、現在の住人は立ち退きに応じることのできない高齢者が多く、危険は少ないとも言われています。
2016年には市営住宅の建設が決定し、順次家屋の取り壊しと道路の整備が進められる方針です。
油井グランドホテル
引用元:https://shinreispot.com/
油井グランドホテルは、千葉県東金市でかつて営業していたホテルの名称です。
ラブホテルとして開業しましたが経営難に陥り生け簀が売りの割烹料理店へと改装、それでも経営状態が上向かなかったために、モーテルへと改装しましたが結局倒産し、現在は廃墟だけが残されています。
割烹料理店に改装したときに「活魚」と大きく書かれた看板を掲げていたために、「活魚ホテル」とも言われています。
油井グランドホテルは千葉県でも屈指の心霊スポットとして知られています。
ラブホテルだったころに宿泊したカップルが仲違いをし、彼氏が彼女を刺殺してしまうという事件が起き、それ以後宿泊客の自殺が相次いで発生したと言われています。
また2004年には、未成年者3人を含む5人グループによって女子高生が乱暴、殺害される事件が油井グランドホテルで起きています。
2人の女性の怨念が残る油井グランドホテルでは、女性の幽霊を目撃したという評判が後を絶ちません。
上小阿仁村
田舎の小さな村の住人が外から来た人に対して冷たく当たるというのはフィクションの世界ではよく見られる光景ですが、実際に日本でこのような事態が発生したと話題になったのが、秋田県北秋田郡にある上小阿仁村です。
上小阿仁村は秋田県の中心部に位置する、人口2000人ほどの小さな村です。
村では国保診療所が村の医療を一手に担っているのですが、2008年以後公募で来た医師が定着していないことがスクープされました。
2008年2月には僻地医療に20年も関わっていた医師が「最後の勤務地」として上小阿仁村に就任しましたがわずか4ヶ月で辞意を表明し、6ヶ月で辞任しています。
その後2009年1月には離島などで診療歴のある医師が就任しましたが、2010年3月に辞意を表明します。
このときは村側が改善策を提示したために一度辞意は撤回されましたが、2010年9月に同医師は再び辞意を表明し、2011年2月に辞任しています。
その次に就任した医師も1年足らずで退職し、3人連続で医師が1年以内に退職してしまいました。
退職した医師は村の広報誌に「村執行部の医師に対する見方、接し方、処遇の仕方の中に医師の頑張る意欲をなくさせるものがあった」、「次の医師が見つかっても、その人も同じような挫折をすることになりかねない」などといった意見を掲載しており、上小阿仁村による何らかの嫌がらせがあったことが伺われます。
ほかにも退職した医師には女性の方もいたのですが、心ない誹謗中傷があったとも言われています。
ネットには上小阿仁村での医師に対する嫌がらせの具体的な内容が数多く寄せられています。
上小阿仁村の村長は上小阿仁村が「悪の村」であるという風説に対して反論をしていますが、真実のほどは定かではありません。
忌み地
忌み地とはどこか特定の場所を指す言葉ではなく、なんらかの伝承や言い伝えによって「呪わしい土地」、「腐った土地」として忌避されている土地を指します。
日本各地に存在しており、代表的なものとしてはかつて処刑場のあった千日前、野江、飛田、三軒家(いずれも大阪府)が挙げられます。
ほかにも忌み地とされる土地は日本各地にあるのですが忌み地だと見分けるときのコツとして、地名に注目するという方法があります。
忌み地の多くは「病ヶ沢」、「位牌山」など、死や病気、不幸を連想させる漢字が当てられることが少なくありません。
もちろん地図に載るような正式な名前は不吉でないように改められていますが、今風の「○○ヶ丘」というような名前の土地の歴史を調べてみると、忌み地だったという事態はあります。
また伝承も実際の土地柄や土地の実態と重なっている場合があり、作り話だからと無視することもできません。
2014年には広島県の「八木」という土地に大雨が降り、土砂崩れが発生して多くの家屋が巻き込まれたことがあるのですが、この八木という土地の昔の名前が「八木蛇落地悪谷」というものでした。
この土地は「蛇の落ちてくるような」水害が多い「悪い谷」であったことからこの名前がつけられ、蛇にまつわる伝承も残されています。
蛇や竜は大きな水の力と深い関連があり、地名に蛇や竜のつく土地は大きな池があったり、水害と関連があったりします。
忌み地と呼ばれる土地には、そう呼ばれるだけの確かな所以がある場合もあるのです。
まとめ
今回は日本の絶対に行ってはいけない場所を紹介しました。
日本にもタブー視されていたり、実態の不明な土地はまだあります。
すべてが危険なわけではないでしょうが、なるべくなら足を踏み入れないのが賢明だと言えるでしょう。
何か起きても、自己責任です。