その他雑学

世界一美しい城・宮殿ランキング32

みなさんは海外旅行をしたことはあるでしょうか、

そのとき、もしかすると、外国のお城や宮殿を訪れたことがある人もいるかもしれません。

立ち並ぶ尖塔やカラフルな屋根、跳ね橋や堀といった中世を思わせる建造物、周囲を彩る美しい森や川。

ファンタジー世界を扱ったマンガや映画などに登場するような綺麗で壮大な城は、想像の世界だけのものではありません。

世界には、こうした息を飲むほど美しい城や宮殿がたくさんあるのです。

ここでは、生きているあいだに一度は行ってみたいと思ってしまう、世界の城と宮殿の数々をご紹介していきます。

32位 スワローズ・ネスト (ウクライナ)

引用:taptrip.jp

スワローズ・ネスト(ツバメの巣)は、東ヨーロッパのウクライナ南部、クリミア半島のリゾートであるヤルタの、黒海に面する岬の先端に建てられた城です。

もともとは1895年にロシアの将官によって建てられた「愛の城」と呼ばれる別荘で、小さな木造のコテージでした。

1911~12年にかけて、オーナーになったドイツの石油王フォン・シュテンゲル伯爵がゴシック様式の白亜の城に改装して現在の姿になります。

高さ40mのアイ・ドトール岬のぎりぎりに建てられた城からは、ツバメの巣の名の通り、今にも吸い込まれそうな眼下の海を眺めることができます。

31位 アンコール・ワット (カンボジア)

引用:news.yahoo.co.jp

カンボジア北西部に位置する遺跡群の中にあるアンコール・ワットは、見た目は宮殿のようですが、正確には仏教寺院です。

1992年に世界遺産に登録され、カンボジアの象徴として国旗の中央にも描かれています。

もともとは12世紀後半にアンコール朝のスーリヤヴァルマン2世によってヒンドゥー教寺院として建造されましたが、16世紀後半に仏教寺院として改修されました。

サンスクリット語でアンコールは「王都」、ワットは「寺院」という意味があります。

アンコール・ワットは、主に砂岩とラテライト(紅土)で造られ、神聖な場所を飾るために回廊は精巧なレリーフの装飾によって埋め尽くされています。

かつては紛争のために破壊を受けたり、周辺に地雷が埋められていた時期もありましたが、現在ではカンボジアの安定によって撤去と遺跡の修復も進み、参道の石組みの修復に関しては日本人の石工による指導もありました。

30位 カステル・デル・モンテ (イタリア)

引用:http://visitaly.jp

カステル・デル・モンテは、イタリア南部のプーリャ州の田園地帯アンドレア郊外にある白亜の城で、城全体が八角形をとり入れた象徴的な構造になっています。

1996年には世界遺産に登録されていて、1セントユーロコインの裏面の図柄にも選ばれています。

標高540mの丘の上に建てられたこの城は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって建てられたといわれ、異文化にも理解のあった皇帝の趣味を反映して城内にはイスラム様式の装飾も見られます。

建物は、八角形の中庭を8つの八角形の塔が取り囲んでいるという特徴的な設計で、これは風位や天文学をもとにした緻密な計算によって決められたと考えられています。

カステル・デル・モンテは要塞としての機能には乏しく、軍事的な目的で造られたとは思えず、居城になっていたわけでもないので、来客をもてなすためのものだったと考えられていますが、本当のところは現在でもわかっていません。

29位 シヨン城 (スイス)

引用:ja.wikipedia.org

シヨン城はスイスのヴォー州モントルー近郊にあるレマン湖畔の城で、イギリスの詩人バイロンの代表作「シヨンの囚人」の舞台としても知られます。

スイスとフランスにまたがる三日月形の美しい湖であるレマン湖に突き出た岩盤の上に築かれた古城は、最も古い記録では1160年のものに登場しており、さらに城が建っている場所の岩は青銅器時代から住居として使用されていました。

最初はシヨン大司教の城でしたが、12世紀にサヴォイア伯が領有してから拡張が行われ、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えました。

城の地下牢の柱には、バイロンが書いた「BYRON」の落書きが残っているといわれます。

28位 セゴビアのアルカサル (スペイン)

引用:www.travel.co.jp

セゴビアのアルカサルは、スペインのカスティーリャ・イ・レオン州セゴビアにあるアルカサル(スペイン語で城の意味)で、900年もの歴史をもち、1985年には世界遺産に登録されています。

ディズニー映画「白雪姫」に登場する城のモデルとしても知られています。

セゴビアのアルカサルのあった場所には紀元前からケルト民族の城があったといわれます。

セゴビアの街は、イベリア半島をイスラム教徒から取り戻すレコンキスタ運動の中心となったカスティーリャ王国の主要都市として11世紀ごろから栄え、この時期にアルフォンソ10世によって岩山の上にあった要塞が王宮として改築されたのがはじまりといわれます。

アルカサルは、外観からよく船に例えられ、オレンジの船体に青のマストをもった巨大な軍艦のようにも見えます。

27位 タージ・マハル (インド)

引用:www.tour.ne.jp

インド北部のアーグラにあるタージ・マハルはその外見から、まるで宮殿のように見えますが、実はムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが若くして亡くなった后を惜しんで建造した霊廟です。

インド・イスラム文化の代表的な建物であるタージ・マハルは、22年もの歳月と莫大な資金を使って建造されました。

総白大理石で造られたタージ・マハルは、庭園と建物がすべて左右対称になるように設計されていて、建物に無数の細かな彫刻が施されています。

ヒンドゥー教徒はもともと墓をもたず、遺体は火葬されて灰は川に流されます。

ムガル帝国の皇帝は自らの権威を示すために巨大な霊廟を建造しましたが、権力をもたない王妃に対してこれほど巨大な霊廟が建てられた例はほかにありません。

皇帝の、后に対する深い愛と彼女を失った悲しみに加え、6代皇帝アウラングゼーブを含め生涯で14人もの子を産んだ后に対する敬意の現れともいわれます。

皇帝は、ヤムナー川を挟んだタージ・マハルの対岸に、黒大理石で造られた自らの霊廟を建設しようとしましたが、その完成を見る前にこの世を去りました。

26位 竹田城 (日本)

引用:http://www.city.asago.hyogo.jp

竹田城は兵庫県朝来市和田山町竹田にある城で、標高353mの古城山の山頂に位置し、円山川の川霧が発生すると、城が雲海に包まれることから、「天空の城」「日本のマチュピチュ」と呼ばれます。

竹田城は、日本の城と聞いて私たちが一般的にイメージする平城と違い、山中に築かれた山城で、現存する山城としては日本最大のものになります。

曲輪(くるわ)、濠(ほり)、門、虎口(こぐち)といった城の各部の配置を差す縄張りが、伏せた虎のように見えることから、「虎臥城(とらふすじょう)」の別名もあります。

縄張りの広さは、南北約400m、東西約100mにおよび、400年前に廃城になり、現在城の建物は無くなって廃墟となっていますが、石垣は当時のままの状態で残されていて、これは全国でも非常に珍しいことです。

室町時代(1443年)に但馬の守護大名だった山名宗全(やまなそうぜん)によって13年の月日をかけて築かれたとされ、その後は大田垣氏が城主を務めました。

天正5年(1577年)には織田信長の命を受けた豊臣秀吉の但馬征伐により、竹田城の戦いが起こり、竹田城は落城します。

その後は豊臣方の城になっていましたが、関ヶ原の戦いのあと、江戸幕府の方針によって廃城にされました。

25位 ハイデルベルク城 (ドイツ)

引用:http://footage.framepool.com

ハイデルベルク城はドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルク市に残る城跡で、ゲーテやショパンといった著名人も愛した、ドイツで最も有名な城の1つです。

13世紀に神聖ローマ帝国の有力貴族だったプファルツ選帝侯によって築かれ、その後400年のあいだに戦争による破壊や修復を繰り返し、いろいろな時代の建築様式が残る巨大な城になりました。

ハイデルベルク城は、ケーニヒスシュトゥール(王の椅子)と呼ばれる山の斜面に建てられ、マイン峡谷とハイデルベルクの旧市街を眼下に望みます。

城内では、ルネサンス様式の暖炉のあるループレヒト館や、フリードリヒ館、オットーハインリヒ館、ルートヴィヒ館など各選帝侯の名前にちなんだ建物や、巨大なワイン樽のある大樽館、ガラスの広間棟、城門塔(時計塔)など様々な時代の建造物を巡ることができます。

24位 トプカプ宮殿 (トルコ)

引用:www.howtravel.com

トプカプ宮殿は、トルコ最大の都市イスタンブールにある歴代オスマン帝国皇帝が居城とした宮殿で、1985年世界遺産に登録されています。

トプカプ宮殿は、イスタンブール旧市街にある半島に位置しボスポラス海峡、マルマラ海、金角湾を三方にのぞむ丘の上に築かれています。

宮殿はオスマン帝国皇帝メフメト2世によって1460年代に建造を開始し、1478年ごろに完成しました。

トプカプ宮殿という名は、1853年にオスマン皇帝が西洋風の新宮殿であるドルマバフチェ宮殿に移ってからの呼び名で、宮殿の丘がある岬の先端の大砲の門(トルコ語でトプカプ)からつけられました。

皇帝のいた当時は、それ以前にあった旧宮殿に対して「新宮殿(イェニ・サライ)」、「帝国新宮殿(サライ・ジェディード)」と呼ばれていました。

トプカプ宮殿は現在、博物館として公開されていて、内部にはたくさんの財宝が展示された宝物庫や、ブルータイルの壁が美しいハレム(後宮)、金角湾の景色を一望できるバーダッドキョシュキュ(離れ)など、エキゾチックな魅力にあふれ、かつての大帝国の栄華に触れることができます。

23位 ブラン城 (ルーマニア)

引用:http://blog.livedoor.jp

ルーマニア南部のトランシルヴァニアの山中に位置するブラン城は、別名「ドラキュラ城」とも呼ばれ、ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなった城といわれます。

もともとは、ドイツ騎士団の要塞であったといわれ、その後ハンガリー王家の所有となりました。

現在の建物は1377~1388年にかけて建設されたもので、ドラキュラ城といわれ、吸血鬼が出てきそうな城ではありますが、ドラキュラのモデルとなったワラキアの「串刺し公」ことヴラド3世は1度もこの城の住んでいたことはありません。

ヴラド3世の祖父にあたるミルチャ1世が、1407年にハンガリー王ジギスムントから城の所有権を与えられたのが、ドラキュラ城の由縁のようです。

22位 シュノンソー城 (フランス)

引用:jp.pokke.in

シュノンソー城は、フランスのアンドル=エ=ロワール県のロワール峡谷内シュノンソーにある城で、2000年に世界遺産登録されました。

シュノンソーはロワール川の支流シェール川の湖畔にある小さな村で、シュノンソー城はこのあたりで最も優美な名城とされています。

アンリ2世の愛妾で「永遠の美女」と謳われたディアーヌ・ド・ポワチエをはじめ、カトリーヌ・ド・メディチなど、400年にわたり6代の城主がすべて女性であったことから、シュノンソー城は「6人の女の城」の名で呼ばれています。

21位 ペレシュ城 (ルーマニア)

引用:gotrip.jp

ペレシュ城は、ルーマニア中部、カルパチア山脈のふもとにある標高800mの山岳地帯の都市シナヤにある城で、ルーマニアで最も美しい城といわれます。

シナヤは18世紀からルーマニアの王侯貴族の別荘地として栄えていた場所で、ペレシュ城はルーマニアの初代国王カロル1世が夏の離宮として1914年に建てたものです。

ペレシュ城は、ルネサンス、バロック、ロココなど様々な様式が混在するドイツ・ルネサンス様式と呼ばれる仕様で、建物の至る所には緻密で美しい彫刻が刻まれ、その建造費用は約110~120億円といわれています。

現在、内部は博物館になっていて、カレル1世の収蔵品である絵画や彫刻、宝飾品、武具などが城内の160もの部屋で展示されています。

20位 姫路城 (日本)

引用:www.travel.co.jp

兵庫県姫路市にある姫路城は、別名「白鷺城」とも呼ばれ、築城から400年のあいだ大きな戦災に見舞われることなく、現在もその姿を残している城です。

幾重にも連なる屋根と白の眩しい漆喰の城壁が特徴で、江戸時代から残る天守や櫓は国宝や重要文化財に指定され、1993年には世界遺産にも選ばれました。

1333年、播磨の守護だった赤松則村が築いた砦が姫路城の起源といわれ、秀吉の時代に3層の天守閣が建造され、今では約233万㎡という広大な敷地をもつ城になっています。

姫路城は決して落城しない難攻不落の城ともいわれ、内部には籠城戦用の設備や天守全体で605挺分もの鉄砲掛け、129か所におよぶ銃使用のための高窓、屋根裏には万が一のために「武者隠し」と呼ばれる屋根の隙間を利用した部屋などがあり、美しさだけでなく城としても高い機能も併せ持った、日本を代表する城郭となっています。

19位 マイソール宮殿 (インド)

引用:do-cca.com

インド南部カルナータカ州マイソールは、かつてマイソール王国の首都として栄えた街で、その中心に建つマイソール宮殿はインド最大級の規模を誇ります。

マイソール宮殿は、マイソール王国を治めていたマハラジャ(藩王)のワディヤール一族が居城としていた場所で、その後破壊されたこともありましたが、19世紀にイギリスの建築家ヘンリー・アーウィンの設計により建て直されました。

マイソール宮殿は、イギリスのコロニアル様式とインド伝統のムガル様式が融合したインド・サラセン様式で建てられていて、イスラムやヒンドゥー、ヨーロッパと様々な文化が入り混じった建物になっています。

現在は博物館として公開されてワディヤール一族の収集した芸術品などが展示され、日曜の夜には数万個の電飾によるライトアップもあります。

18位 シュヴェルニー城 (フランス)

引用:worldheritagesite.xyz

シュヴェルニー城はフランスのロワール峡谷東部、ロワール=エ=シェール県シュヴェルニーの有名なソローニュの森の外れに建つ城です。

16世紀、国王アンリ2世が愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエにこの土地を与えたところ、シュノンソー城を気に入っていたディアーヌが、もともとこの土地の持ち主だったアンリ・ユローの息子フィリップに売却しました。

シュヴェルニー城は、1630年にフィリップによって完成されました。

以後、フランス革命後の財政難で一旦は手放したものの、その後また買い戻し、6世紀にわたってユロー一族が代々この城の城主を務めてきました。

外壁には年月を経るほどに白さと硬さを増すブレ産の石を使い、城の外観が眩しいばかりで、城内には17世紀からの豪華な室内装飾が良好な状態で保存されています。

17位 リーズ城 (イギリス)

引用:www.myushop.net

イングランド南東部ケント州のメードストンは、857年ノルマン人の豪族によって建てられたという千年以上の歴史をもつ城です。

1278年にエドワード1世の居城になって以降、300年以上にわたりイギリス王室の王宮として使用されてきました。

歴代に6人のイングランド王妃が暮らしたことから、「貴婦人の城」と呼ばれます。

王妃の中にはエドワード1世の妻だったマーガレット・オブ・フランスのように、フランス出身の后もいて、城内にはフランス風の装飾が施されるようになります。

湖上に浮かぶ姿から、「世界で最も愛らしい城」と呼ばれるリーズ城は、広大で美しい庭園や、巨大な迷路、ゴルフコース、人工洞窟、世界でも珍しい犬の首輪博物館、鷹狩りショーや気球での観覧など様々なアトラクションが盛りだくさんです。

 

16位 フォンテーヌブロー宮殿 (フランス)

引用:ja.wikipedia.org

フォンテーヌブロー宮殿はフランスのセーヌ・エ・マルヌ県のパリ郊外にあるフォンテーヌブローの森に建つフランスで最も大きな宮殿です。

フォンテーヌブロー城と呼ばれることもあり、1981年には世界遺産にも登録されました。

フォンテーヌブローの森は、もともと王族の狩猟場で12世紀ごろに狩りのための城館が建てられたのがはじまりといわれます。

16世紀にフランソワ1世がイタリアから建築家を招いて、ルネサンス後期のマニエリスム様式をフランス風に解釈したフォンテーヌブロー様式と呼ばれる宮殿を築きました。

その後、歴代のフランス王によって増改築が繰り返され、フランス王室の贅を尽した巨大な宮殿となっていきました。

フォンテーヌブロー宮殿には、中庭や巨大なサロン、マリー・アントワネットの寝室などがあります。

フランス革命が起こると宮殿は一時期荒れ果てましたが、ナポレオンが皇帝の座に就くと、この宮殿をフランス王室にとってのヴェルサイユ宮殿のように、自らの権力の象徴にしようとしました。

フォンテーヌブロー宮殿を見て、「これこそまさに王の宮殿なり」といったナポレオンは、玉石の敷かれた入口を4輪馬車が通れるように拡張するなど、大規模な改築を開始しました。

やがてナポレオンは失脚し、エルバ島に流刑になりますが、フォンテーヌブロー宮殿は、ナポレオンの甥であるナポレオン3世によるフランス第二帝政の舞台となりました。

15位 紫禁城 (中国)

引用:ja.wikipedia.org

紫禁城は、故宮(古い宮殿)とも呼ばれ、中国の首都北京の中心に位置する明・清朝時代の王宮で、広さ725000㎡にもおよぶ世界最大の木造建築群です。

建物の周囲は堀に囲まれ、城塞が張り巡らされていて、内部には9000もの部屋があり、現在は100万点もの所蔵品を有する博物館になっています。

紫禁城はもともと元の時代に作られたものを、1406年に明の第3代皇帝永楽帝が改築したもので、中国の政治の中心として、24人もの皇帝が居を構えました。

皇帝の即位や婚姻、宗教行事など様々な儀式も紫禁城で行われました。

1644年、火災によって1度消失してしまいますが、清朝によってもとの規模のまま再建され、ラストエンペラー溥儀が退位するまで、歴代清朝皇帝の治世の場になりました。

紫禁城は中国の重要文化財に指定されていて、1987年には世界遺産にも登録されています。

14位 デ・ハール城 (オランダ)

引用:www.holland.com

デ・ハール城は、オランダのユトレヒト郊外の「赤い村」と呼ばれるハールザイレンスにある城です。

綺麗な堀が周囲をとりまき、広い森のなかに建つ城で、ユトレヒト全土から7000本もの大木が移植されたという広大な庭園をもっています。

跳ね橋や尖塔をもち、見た目はいかにも中世の城という感じですが、もともと13世紀に建てられたものが30年戦争によって一度廃墟になり、現在の城は19世紀にロスチャイルド家によって再建されたものです。

当時のオランダを代表する建築家によって設計されたネオ・ゴシック様式の美しい城は、見る人にまるでファンタジー世界に入り込んだかのような錯覚を起こさせます。

13位 サンスーシ宮殿 (ドイツ)

引用:tabicoffret.com

サンスーシ宮殿はブランデンブルク州の州都で、ポツダム宣言でも有名なポツダムの街の西にあるサンスーシ公園の北東部に建つプロイセン時代の宮殿で、1990年には世界遺産に登録されました。

サンスーシはもともとフランス語で、「憂いなし」という意味があり、日本や中国では漢字で「無憂宮」と呼ばれることもあります。

1745年~1747年にかけて、プロイセン王フリードリヒ2世の命により、夏の離宮として建造されました。

このとき、プロイセンはオーストリアとの間で第2次シュレージエン戦争を戦っており、わざわざ莫大な費用をかけて宮殿を造ったのは、ライバルであるオーストリアのマリア・テレジアに対する挑発だったともいわれます。

フリードリヒ2世自ら設計に携わったこの宮殿は、「フリードリヒ・ロココ」様式と呼ばれ、ドイツ・ロココ様式の最高傑作とされます。

サンスーシ宮殿は、ブドウの丘と呼ばれる庭に囲まれ、フリードリヒ2世の居城として王の趣味を反映したため、宮殿としては小さく部屋数12というこじんまりした佇まいになっています。

完成当時、宮殿の西には大きな風車小屋が建っていて、これが宮殿の景観の邪魔になるためフリードリヒ2世が取り壊すよう命令したところ、風車小屋の農夫から生活ができなくなると訴えられたためやめたという逸話があり、現在でもその風車小屋が残されています。

フリードリヒ2世は74歳でこの世を去るまでこの宮殿で過ごし、自ら「サンスーシ宮殿の哲学者」を名乗り、遺言書にもこの名で署名したといいます。

12位 モン・サン・ミッシェル (フランス)

引用:tg.tripadvisor.jp

フランス西海岸のサン・マロ湾に浮かぶ小島に建てられたモン・サン・ミッシェルは、満ち潮の時には道が完全に沈んでしまい海の中に浮かぶようにたたずむ姿が有名です。

モン・サン・ミッシェルは修道院なので、正確にはお城ではありませんが、その外見は日本人が思い描く西洋の城そのものです。

708年、アブランシュ司教オベールの夢の中に現れた大天使ミカエルのお告げに従い、岩山の上に聖堂を作ったことがはじまりとされます。

島の入り口には潮の干満を表示した看板があり、満潮時は浜に降りないようにと書かれていて、かつては潮に飲まれて命を落とす巡礼者も多く、「モン・サン・ミッシェルにいくなら遺書を置いていけ」といわれるほどでした。

修道院の建物はカロリング様式やロマネスク様式、ゴシック様式など時代を重ね、いくつもの建築様式が混ざり合った造りになっています。

1979年に世界遺産に登録され、2007年には「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として2度目の登録を受けています。

11位 ホーエンシュヴァンガウ城 (ドイツ)

引用:matome.naver.jp

バイエルン州のフュッセン近郊、ノイシュバンシュタイン城からもほど近いところにあるこの城は、ノイシュバンシュタイン城の城主だった「狂王」ルートヴィヒ2世の父、バイエルン王マクシミリアン2世によって建てられました。

もともとは、12世紀にシュヴァンガウの王によって建てられたもので名前もシュバンシュタイン城といい、跡継ぎが絶えたため廃墟になっていたところ、1832年にこの城を購入したマクシミリアン2世が4年の歳月をかけてネオ・ゴシック様式の大規模な改築を施しました。

森のなかにそびえる黄色の壁の美しいホーエンシュヴァンガウ城はシュヴァンガウの地名の由来である「白鳥の里」をもとにしたワーグナーのオペラ「ローエングリン」で有名な白鳥伝説の地です。

中世騎士を描いたローエングリンにちなみ、ホーエンシュヴァンガウ城の城内には至る所に中世騎士伝説をモチーフにした絵画が飾られていて、なかにはもちろんローエングリンを描いたものもあります。

中世騎士伝説に耽溺し、ついにはノイシュバンシュタイン城を建てるまでになったルートヴィヒ2世のルーツは、この城で過ごした幼少時代にあるといわれています。

10位 シャンボール城 (フランス)

引用:jp.pokke.in

シャンボール城は、フランスのロワール=エ=シェール県シャンボールに建つロワール峡谷最大の城です。

もともとブロワ伯の城だったものを、1519年に国王フランソワ1世によって狩猟用の城館として大規模な改装が行われました。

ファサード(横幅)128mもの巨大な城は、440の部屋をもち、精巧な彫刻が施された柱の数々は800以上にもおよび、その姿はまるでおとぎの国から現実世界にもってきたようです。

城の中央に据えられた二重らせん階段は特に有名で、上る人と降りる人がすれちがわないように計算された設計は、王と親交のあったレオナルド・ダ・ヴィンチのアイデアによるものといわれます。

城の敷地内には1000haにもおよぶ広大な森が広がっていて、シカやイノシシなどの野生動物が暮らしており、散策を楽しむこともできます。

1981年、世界遺産に登録されました。

9位 ホーエンツォレルン城 (ドイツ)

引用:tabinaka.co.jp

プロイセン王家であり、のちにドイツ統一を果たしてドイツ皇帝家となる名門ホーエンツォレルン家。

ホーエンツォレルン城は、ホーエンツォレルン家の居城として11世紀に建てられたものです。

ドイツ南部のシュヴァーベン高原に建つこの城は、標高900mの山頂に位置し、雲上に姿を見せる天空の城です。

特に山に霧が垂れ込めた日には、山頂の城だけが見えて、本当に空に浮かんでいるようになります。

現在の城は、戦火によって廃墟となっていたところを、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世によって1867年に再建されたもので、今でもドイツ帝国最後の皇帝であったヴィルヘルム2世の子孫によって管理されています。

8位 シェーンブルン宮殿 (オーストリア)

引用:www.hankyu-travel.com

かつてヨーロッパ各地に広大な領地をもっていた名門ハプスブルク家は、20世紀まで存在していた東ヨーロッパの大帝国オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝家でもありました。

オーストリアのウィーン郊外にたたずむシェーンブルン宮殿は、ハプスブルクの歴代皇帝たちが離宮として使用していた建物で、在りし日のハプスブルク家の栄華を今に伝えています。

もともと、この場所はハプスブルク家の猟場だったところで、1619年に皇帝ルドルフ2世の弟マティアスが美しい湖(Schöner Brunnen:シェーナーブルンネン)を見つけたことからこの名前が付けられました。

1683年、オスマン帝国のウィーン包囲によってこの地は荒廃しましたが、イスラムの脅威が去った後、皇帝レオポルト1世はこの地に宮殿を建てることを決めます。

1713年、1440もの部屋数を誇る壮大なバロック様式の館として、シェーンブルン宮殿が誕生しました。

当初、外壁はなんとピンク色だったといい、その様子も見てみたかったものですが、宮殿はその後ハプスブルク家唯一の女帝マリア・テレジアに手によって現在の姿になりました

抜群の政治手腕を発揮した才女であり、生涯に16人もの子を育てたマリア・テレジアは、シェーンブルンを自分の居城と決めると、大規模な改装を施します。

内装はロココ様式に改められ、外壁は通称「テレジア・イエロー」と呼ばれる黄色に塗られましたが、当初は本物の金で塗られる予定であったところ、厳しい財政状況のため金に近い黄色になったものです。

1996年には世界遺産に登録されています。

7位 リヒテンシュタイン城 (ドイツ)

引用:tabizine.jp

リヒテンシュタイン城は、ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州リヒテンシュタインに建つ、巨大な円塔をシンボルとする城です。

垂直な切り立った岩山の上に建てられた、まるで童話の中に登場しそうなこの城は、ルパン3世「カリオストロの城」のモデルになったといわれます。

12世紀に建てられた砦がリヒテンシュタイン城の起源とされますが、その後、帝國戦争やオスマン帝国の侵攻などにより何度も破壊され、やがて廃墟となってしまいます。

1803年にフリードリヒ公爵によってようやく「狩猟の館」として再建され、リヒテンシュタイン城が現在の姿となったのは19世紀のことで、この地を舞台にしたヴィルヘルム・ハウフの小説「リヒテンシュタイン」に憧れたヴュルテンベルク大公によって、1840~1842年にかけてネオ・ゴシック建築の城として建てなおされました。

6位 冬宮殿 (ロシア)

引用:tabinaka.co.jp

冬宮殿は、サンクトペテルブルクの中心にあるネヴァ川に面した位置にあり、ロシア皇帝の冬の離宮として建造されました。

緑の壁と白い柱が美しいこの宮殿は冬宮(とうきゅう)とも呼ばれ、1990年に世界遺産に登録されています。

女帝エカテリーナ2世の命によって建てられた冬宮殿は、正方形の建物の真ん中に中庭を配したロシア・バロック様式になっています。

現在は、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館と並ぶ世界3代美術館のひとつ、エルミタージュ美術館の本館として使用され、ここを訪れれば美しい建物だけでなく多くの芸術作品にも出会うことができます。

冬宮殿の特徴の1つである外壁の色は、現在は緑色ですが、時代によって何度も塗り替えられており、建設時は黄色でその後、ピンク、赤茶色になり、第二次大戦時には敵の空襲を避けるため目立たない灰色にされましたが、戦争終結後に解放感の象徴として緑になりました。

5位 ヴェルサイユ宮殿 (フランス)

引用:tabinaka.co.jp

フランス絶対王政を象徴する建造物であるヴェルサイユ宮殿は、1624年にルイ13世がパリ郊外に狩りのための館を建てたことがはじまりです。

宮殿が現在の姿になったのは「太陽王」ルイ14世の時代のことで、不潔なパリのルーブル宮殿を嫌ったルイ14世が美しい森と田園に囲まれた郊外の宮殿を増改築していき、1661年から実に49年という歳月をかけて完成しました。

政府機関もヴェルサイユ宮殿へと移転され、最盛期には約34000人もの宮廷関係者、兵士、従者が住んでいてヴェルサイユ宮殿自体が1つの街のようでした。

広大な平面幾何学式庭園は、約100万㎡もの広さを誇り、温室にはポルトガルやイタリアから取り寄せたオレンジやレモンの木が植えられ、ルイ14世の時代には王の偉大さを知らしめるために一般民衆にも開放され、毎晩のように祭典が催されました。

17の窓と17の鏡のあるヴェルサイユ宮殿「鏡の間」は、普仏戦争勝利後のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式や、第一次大戦後の対ドイツ講和条約であるヴェルサイユ条約調印の場など、歴史的な出来事の舞台となっています。

引用:france-plus.net

ヴェルサイユ宮殿は、1979年には世界遺産にも登録されました。

ところで、ヴェルサイユ宮殿といえば、なかにトイレがなかったことでも有名です。

実際には、国王などが使うトイレは少数ありましたが、使用人や下級貴族はおまるを使用しなければなりませんでした。

現在でも、建物内にトイレは少ないそうで、もし見学するのならトイレは入館前に済ませておくのがいいようです。

4位 プラハ城 (チェコ)

 

引用:coco-machi.jp

チェコの首都プラハは「黄金の都」と呼ばれる美しい町並みが魅力の観光都市で、旧市街には11世紀から18世紀の古い建物が今なお残り、「百塔の町」の異名をもちます。

プラハ城その旧市街に位置する城で、1192年には世界遺産にも登録されました。

敷地は東西430m、南北140mで、世界で最も古くて大きい城としてギネスブックに認定されています。

プラハの象徴であるこの城は、9世紀にボヘミア公ボジヴォイ1世によって建てられ、ボヘミア王、神聖ローマ皇帝の居城として使われ、現在はチェコ大統領府がおかれています。

プラハ城はフラチャヌイの丘の頂上に位置し、ふもとの城下町(マラー・ストラナ)との高低差は80mにもなります。

 

引用:tabijozu.com

城の手前にあるカレル橋には、いくつもの露店や大道芸人たちが並び、城の正門に立つ衛兵は記念撮影や正午の行われる交代式が人気になっています。

城内には様々な時代の建築様式の建物が存在し、なかでもヴィート大聖堂はゴシック建築の代表格として有名です。

高さ100mの尖塔ときらびやかなステンドグラスの豪華な装飾をもつチェコ最大の教会として、歴代のボヘミア王たちの墓が保存されています。

ヴィート大聖堂では他に、公開はされていませんが、ボヘミア王家に伝わる聖ヴァーツラフの王冠も保管されています。

 

3位 ブダ城 (ハンガリー)

引用:skyticket.jp

ドナウ川の両岸に広がるハンガリーの首都はブダペストの街は「ドナウの真珠」と謳われる美しさを誇り、「王宮の丘」と呼ばれる丘陵地帯に建つブダ城はこの街のシンボルです。

城の歴史は古代ローマ帝国の時代にまで遡るといわれますが、現在の城の起源は、1241年にモンゴル軍の攻撃によってそれまでの木造の城が破壊されたことにより、ハンガリー王ベーラ4世が石造りの城を再建したことに始まります。

17世紀にはオスマン帝国の侵攻により再び城は破壊されてしまいますが、18世紀にハプスブルク家の女帝マリア・テレジアによりバロック様式の部屋数200を誇る大規模な宮殿として再建されました。

引用:worldheritagesite.xyz

第一次、第二次大戦でも被害を受け、そのたびに修復されたため、バロックやゴシックなど様々な時代の建築様式が混在した建物になっています。

現在は国立美術館、歴史博物館、軍事博物館がおかれていて、1987年には世界遺産登録もされています。

2位 エカテリーナ宮殿 (ロシア)

引用:do-cca.com

エカテリーナ宮殿は、ロシアのサンクトペテルブルク郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに建つロマノフ王朝時代の離宮です。

宮殿の名前の由来は、農民の娘から初代ロシア皇帝ピョートル大帝の后になり、後にロシア初の女帝となったエカテリーナ1世にちなみ、1717年にエカテリーナが夏の避暑用の離宮として作らせたものが宮殿の原型になっています。

1752年から、エカテリーナの娘で6代皇帝のエリザベータによって大規模な改装が行われ、それまでの質素な造りから、全長325mにおよぶ広大なロシア・バロック様式の宮殿へと生まれ変わりました。

鮮やかな青の壁と白の柱が美しい外観に加え、内部も豪華な造りになっていて、「鏡の間」と呼ばれる大広間や、1770年に完成した世界唯一の「琥珀の間」は特に有名です。

引用:www.russia-ex.com

「琥珀の間」は第二次大戦中にドイツによって略奪され、現在もオリジナルは見つかっていませんが、2003年に復元作業が完了し、かつての姿を取り戻しました。

1990年には、世界遺産に登録されています。

1位 ノイシュバンシュタイン城 (ドイツ)

引用:osmo-edel.jp

ロマンチック街道の終点に現れるノイシュバンシュタイン城は、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとしても知られています。

この城は、19世紀のバイエルン王「狂王」ルートヴィヒ2世によって建てられました。

子どもの頃から中世騎士への強い憧れを抱いていたルートヴィヒは、芸術にも関心が高く音楽家ワーグナーのパトロンでした。

現実よりも夢の世界で暮らすことを好んだルートヴィヒは、ワーグナーへの手紙に「この城に棲めるようになるのが待ち遠しい」と記すほど完成を心待ちにし、居住できるまで工事が進むと、首都ミュンヘンに戻らずこの城で暮らすようになります。

ノイシュバンシュタイン城は建築ではなく、舞台美術の専門家だった画家クリスチャン・ヤンクに設計を依頼したため、ドイツの伝統的な城塞建築とは違い、「自分自身の作品」を目指したルートヴィヒ王の趣味が100%反映されたデザインとなりました。

引用:www.travelbook.co.jp

このため、歴史的・文化的な建造物を保存するという観点にあわず、世界遺産には指定されていません。

一見すると石造りの城に見えますが、19世紀に建てられたものだけあって、鉄骨の骨組みにコンクリートとモルタルによって造られています。

ルートヴィヒ王はやがて、その過度な浪費のために軟禁され、その後湖畔を散歩中に謎の死を遂げました。

王は、自分が死んだあとは城を取り壊すようにと言い残しましたが、工事は中止されたものの、その死の直後から城は観光施設として公開されています。

まとめ

以上、世界の美しいお城、宮殿の数々をご紹介してきました。

まるでおとぎ話の光景を現実にしたようなお城や宮殿の数々。

こんなに綺麗な写真を見ると、行ってみたくなるのではないでしょうか。

世界には、ほかにもたくさんの美しいお城があり、ランキングに選びきれないほどです。

今度の長期休暇には、お城を巡る旅行の計画を立ててみるのはどうでしょうか。

ぜひ、自ら足を運んで、自分だけのお気に入りのお城を見つけてみてください。

 

 



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