「教会」という言葉は、本来同じ信仰によって形成される集団のことをいいますが、現在では、宗教の拠点となる建造物のことを指す場合が多く、特にキリスト教のものを指すのが一般的です。
同様の意味では、聖堂、礼拝堂、神殿などの言葉も使われます。
本来は宗教施設ですが、人類と宗教の長い歴史のなかで、多種多様な建築様式や装飾によってバリエーション豊かな建物が建造されてきました。
美しい尖塔やステンドグラス、内部のフレスコ画、彫刻などまるで芸術作品のような教会は、多くの人を引きつける魅力をもち、観光スポットとしても高い人気があります。
ここでは、世界中の美しい教会たちをランキング形式で紹介していきたいと思います。
第22位 ラス・ラハス教会(コロンビア)
引用:sibatabi.com
ラス・ラハス教会は、南米のコロンビア南部ナリーニョ県イピアレス郊外のカトリック教会です。
コロンビアからエクアドルへと流れるグァイタラ川の切り立った峡谷に架かる橋の上に建つ教会で、橋の高さは約50m、教会は谷底から約100mに位置しています。
1916年から1949年にかけ、この地域の人々の寄進によって建造されました。
このような場所になぜ教会を建てることになったのかというと、この場所で起こったある奇跡の伝説がその理由となっています。
1754年のこと、この場所で激しい暴風雨に遭遇したマリアと娘のロザは岩陰へと避難しました。
すると、耳に障害があり言葉も不自由だったロザが、「女の人が私を呼んでいる」と生まれて初めて言葉を喋りました。
彼女が岩壁のほうを指差すと、まばゆい光が輝くとともに聖母マリアのシルエットが浮かび上がったのです。
その後、この場所は聖母マリアの出現と奇跡の治癒が起きた場所として有名な巡礼地になり、やがてラス・ラハス教会が建立されました。
教会の周囲には聖母マリアへの感謝を示すいくつものプレートが埋め込まれています。
第21位 聖カタリナ修道院(エジプト)
引用:ja.wikipedia.org
聖カタリナ修道院は、エジプトのシナイ半島南部にあるシナイ山の麓に建てられた正教会の修道院で、現在まで継続している世界最古の修道院として2002年には世界遺産にも登録されています。
シナイ山は旧約聖書でモーセが神から有名な十戒を与えられたとされる場所で、モーセはこの山で燃える柴を発見し、その中から神の声を聞いたといわれます。
聖カタリナ修道院は、この燃える柴が見つかった聖なる場所に建っており、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の命により565年に建造されました。
聖カタリナは4世紀にアレキサンドリアで殉教したという聖女で、危機にときに名前を呼ぶと助けてくれる十四救難聖人の1人とされ、教育者・弁護士・看護師・少女・司書・学者・機械工・研ぎ職人など多くの分野の守護聖人になっています。
彼女の遺体は天使たちによってシナイ山に運ばれたとされ、800年ごろに修道院で聖カタリナのものとみられる遺体が見つかると、この場所は聖カタリナの聖地としても知られるようになりました。
古くからの歴史をもつ聖カタリナ修道院の修道院図書館およびワシリカと呼ばれる博物館には、キリスト教初期の聖書の写本や手記、聖画像(イコン)など貴重な資料が数多く残されており、その数はバチカン図書館に次ぐ世界第2位となっています。
第20位 マーチャーシュ聖堂(ハンガリー)
引用:www.mid-europe-ex.com
マーチャーシュ聖堂は、ハンガリーの首都ブダペストにあるブダ城のある王宮の丘の中心部に建つ教会です。
色鮮やかな屋根の模様が印象的な教会で、正式名称は「聖母マリア教会」といい、1987年には世界遺産にも登録されています。
1015年に建てられたあと、13世紀半ばにゴシック様式の教会としてハンガリー王マーラ4世によってブダ城内に再建されました。
聖母マリア教会の名前もこのときにつけられたものですが、今日では、1479年に南の塔の建造や増築を命じたマーチャーシュ1世の名にちなんだ呼び方が一般的となっています。
マーチャーシュ1世の2度の結婚式をはじめ、歴代ハンガリー王の戴冠式や様々な政治的な式典の舞台となってきました。
一方、ハンガリーとともに700年にわたる歴史を刻んできた教会は多くの悲劇も経験しており、1526年にハンガリー王国を破ったオスマン帝国による1541年からの占領期は暗黒時代で、聖堂はイスラム式のモスクへと転用されてしまいます。
聖堂内の宝物はスロヴァキアのブラチスラヴァに移されたため略奪を免れたものの、聖堂内のフレスコ画は白く塗り潰されてしまいました。
現在も、柱の幾何学模様などにモスクだったころの名残を見ることができます。
1686年にオスマン帝国を追い出し、再びキリスト教会に戻ったマーチャーシュ聖堂は、19世紀末に建築家シュレク・フリジェシェによって修復され、カラフルで壮麗な本来の姿を取り戻しました。
第19位 モントリオール・ノートルダム大聖堂(カナダ)
引用:ja.wikipedia.org
モントリオール・ノートルダム大聖堂は、ケベック州にあるカナダ第2の都市モントリオール旧市街に位置し、最大の観光地になっている教会です。
正面の2本の尖塔は、西側が忍耐、東側が節約を意味し、西側の塔にはかつては12人がかりで鳴らしていたという11トンにもおよぶ巨大な鐘があります。
モントリオール・ノートルダム大聖堂は、内部の美しさで有名で、コバルトブルーの光をバックにした黄金の祭壇が幻想的な雰囲気を奏で、ステンドグラスにはモントリオールの宗教史が描かれ、祭壇の後ろにはカナダ製で約7000本ものパイプをもつ世界最大級のパイプオルガンがあり、年間を通してコンサートが行われています。
第18位 ウェストミンスター寺院(イギリス)
引用:do-cca.com
ウェストミンスター寺院は、ロンドンのテムズ川左岸に位置するウェストミンスター地区に建つイギリス国教会の教会です。
イギリス議会の議事堂であるウェストミンスター宮殿に隣接し、王室との結びつきが深く、1066年から現在まで戴冠式や葬儀など数多くの王室行事が執り行われてきました。
1987年には周辺のウェストミンスター宮殿や聖マーガレット教会とともに世界遺産になっています。
ウェストミンスター寺院は、7世紀に東サクソン王国の王が聖ペテロを記念する教会を建てたものが起源とされ、その後ベネディクト派の修道院が置かれ、20世紀に至るまで様々な増改築を行って今の形になっています。
内部には、歴代イギリス王の戴冠式が行われた「エドワード懺悔王の礼拝堂」や、3000の墓と400の記念碑があり、歴代のイギリス王をはじめ、アイザック・ニュートンやチャールズ・ダーウィン、ロバート・スチーブンソン、スティーヴン・ホーキンスといったイギリスの著名人らが埋葬されています。
日本の学校や職場で多く使われている始業・就業のチャイムの音は、1927年にウェストミンスター寺院のために作曲された『ウェストミンスターの鐘』がもとになっています。
第17位 セント・パトリック大聖堂(アメリカ)
引用:www.travelbook.co.jp
アメリカ合衆国ニューヨークのマンハッタン区ミッドタウン5番街に建っているのが、ニューヨークの主要観光地の1つにもなっているセント・パトリック大聖堂です。
まるでここだけタイムスリップしたかのようなネオ・ゴシック建築の教会は、高層ビルが立ち並ぶなかに幻想的で不思議な空間を作り出しています。
セント・パトリックは、アイルランドの守護聖人である聖パトリックのことです。
アメリカはもともと信仰の自由を求めてイギリスから渡ってきたプロテスタントによって作られた国ですが、19世紀からはアイルランド系移民も増加していき、アイルランドで信仰されているカトリックの教会もたくさん建てられるようになっていきます。
セント・パトリック大聖堂は、1850年にニューヨークが大司教区に昇格したのを機に建設が決まったもので、南北戦争での動乱を経て、38年の年月をかけて完成したもので、現在もニューヨーク州大司教区大司教座がおかれています。
第16位 アトス山修道院(ギリシア)
引用:ja.wikipedia.org
アトス山は、ギリシア北東部のエーゲ海に突き出したアトス半島の先端にそびえる標高2033mの山で、ギリシア正教会最大の聖地として「聖山」と呼ばれ、山中には大小20の修道院が点在しています。
アトス山は、1988年には世界遺産にも登録されていて、ギリシア国内でありながら、「アトス自治修道士共和国」として大幅な独立自治権が認められています。
アトス山は、嵐に遭った聖母マリアが避難した場所といわれ、その美しさに心惹かれて自らの土地にしたという伝説が残されています。
961年に東ローマ帝国の修道士聖アサナシウスによってメギスティ・ラブラ修道院が建設されると、アトス山で修道院の建設が活発に行われるようになりました。
修道院の多くは大ドームを備えたビザンティン様式で、ギリシア正教の修道院17に加え、ロシア正教、ブルガリア正教、セルビア正教の修道院があります。
修道院では、巡礼者が訪れるとギリシャコーヒーや蒸留酒、ルクミと呼ばれる砂糖菓子がふるまわれ、旅の疲れをねぎらいます。
アトス山では現在も約2000人の修道士たちが暮らしていて、1406年から600年以上続く女人禁制の伝統を守りながら生活しています。
入山を許されているのはネズミ退治のための雌の猫のみで、修道士たちにとって女性とは、すなわち聖母マリアただ1人なのです。
第15位 サン・マルコ聖堂(イタリア)
引用:ja.wikipedia.org
サン・マルコ聖堂は、イタリアのヴェネト州の州都であり、イタリア最大の観光都市で、水の都としても有名なヴェネツィアにたたずむ聖堂です。
マン・マルコ聖堂が面するのはヴェネツィアの中心的な場所であるサン・マルコ広場で、ヴェネツィアの玄関として栄えるこの場所をナポレオンは「世界で最も美しい広場」と呼びました。
1987年にはこの広場を含む周辺が世界遺産に登録されています。
サン・マルコ聖堂は、かつてアドリア海の女王と謳われたヴェネツィアの象徴的な建物で、828年にヴェネツィアの商人が当時のアッバース朝の支配下にあったアレキサンドリアから聖マルコの聖遺物(遺骸)を盗み出してきて安置し、町の守護聖人としたことから建造されました。
現在の建物は3代目にあたり、1090年代に完成したものですが、その後も約900年にわたって増改築が繰り返されました。
1204年にヴェネツィアが主導で行われた第4回十字軍で東ローマの首都コンスタンティノープルが陥落した際には、多くの略奪品が運び込まれ、聖堂が飾り付けられたといわれます。
聖堂の5つのドームは十字をかたどって置かれていて、内部の壁や天井はきらびやかな黄金に彩られ、美しいモザイク画によって飾られ、祭壇には2000個ものまばゆい宝石が埋め込まれた黄金の衝立「パラ・ドーロ」があります。
第14位 ウルム大聖堂(ドイツ)
引用:ja.wikipedia.org
ウルム大聖堂は、ドイツ南西部のバーデン=ビュルテンベルク州ウルムにあるゴシック建築の大聖堂です。
161.53mの尖塔は、現在も教会建築としては世界一の高さを誇ります。
物理学者アルベルト・アインシュタインの出身地でもあるウルムは、ドナウ川の水運によって栄えた神聖ローマ帝国の重要な都市でした。
大聖堂の建設は1377年から開始され、当初は小規模な教会になる計画でしたが、1392年に市民の威を示すために巨大なゴシック様式の聖堂となるよう変更されました。
完成は1890年で、着工から500年以上が経った後でした。
第二次大戦時にウルムの街は空襲によって大規模な被害を被りましたが、大聖堂は奇跡的に小規模な被害にとどまり破壊を免れました。
教会内は緻密なゴシック容姿区の装飾が施され、いくつものステンドグラスから降り注ぐ光によって照らされます。
ウルム大聖堂の尖塔には、地上約140m、40階建てのビルに相当する展望台が設けられています。
展望台へと続く螺旋階段は、なんと総段数768段もあり、途中には2か所の休憩所もあり、登り切るのに30分以上かかるということです。
第13位 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(イタリア)
引用:tvmatome.net
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、イタリア中部の都市フィレンツェに建つカトリックの大聖堂(ドゥオーモ)です。
1982年にはフィレンツェ歴史地区として世界遺産にも登録されています。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はルネサンス発祥の地としても知られるフィレンツェの象徴であり、巨大なドームは石積み建築のものとしては世界最大の大きさを誇ります。
聖堂の建設が始められたのは1296年のことで、当時のフィレンツェはメディチ家による支配のもと、毛織物業や金融業で栄える経済・貿易・文化の中心地であり、この街がルネサンスの発端となったのも自然なことといえます。
繁栄の絶頂にあったフィレンツェの権威を示すため、豪華な造りの教会となるはずでしたが、当時の技術ではドームに屋根を付けることができませんでした。
そこで街の有力者たちはこの問題を解決するための設計案を募集し、当時は絶対に必要と思われていた木枠を使わずに二重構造のドームを作るという案が採用されます。
ファサード(正面)が完成し、工事が完了したのは着工から実に600年後の1887年のことでした。
第12位 血の上の救世主教会(ロシア)
引用:ja.wikipedia.org
血の上の救世主教会は、ロシア西部の都市サンクトペテルブルクにあるロシア正教の教会で、正式名称はハリストス復活大聖堂といい、1990年には世界遺産に登録されています。
まるでテーマパークのおとぎの城のようなカラフルな外観が印象的な教会ですが、なにやらおどろおどろしい名前がついています。
この名称は、1881年3月13日のロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺事件によるもので、血の上の救世主教会は、この皇帝が暗殺された場所に建っているのです。
アレクサンドル2世はロマノフ王朝第12代のロシア皇帝で、農奴解放をはじめとする近代化のための大改革に着手し、解放皇帝とも呼ばれました。
しかし、アレクサンドル2世が改革を行ったのはあくまでも帝政ロシアを存続させるためで、解放された農奴もその後に奴隷として資産家たちに売られたりといった具合で、民衆との間でしだいに軋轢が高まっていきました。
そして、3月31日に起きた革命家ソフィア・ペロフスカヤらによる爆弾テロで瀕死の重傷を負ったアレクサンドル2世は、事件から1時間後にこの世を去りました。
あとを継いだ息子のアレクサンドル3世が父の記憶をこの世に残すために建造させたのが、この大聖堂でした。
血の上の救世主教会は、中世ロシア建築の影響を色濃く受け継いだ美しい外観をもち、聖堂内の壁画として、聖書の中から悲劇的なシーンを選んで描かれたモザイク画で装飾されているのが特徴です。
皇帝のための教会だったため、ロシア革命後のソビエト時代には略奪や破壊が行われ、第二次大戦時には野菜倉庫として使われ、「ジャガイモの上の教会」と揶揄されるなどぞんざいな扱いを受けていました。
ですが、ソ連崩壊後には修復作業が行われ、1997年からはじつに60年ぶりの一般公開が行われるようになりました。
第11位 セント・ポール大聖堂(イギリス)
引用:tamipote.com
セント・ポール大聖堂は聖パウロ大聖堂とも呼ばれ、ロンドンの中心に位置し長い歴史をもつ世界有数の金融街シティ・オブ・ロンドンに立つ教会です。
聖パウロを記念して建てられたこの聖堂の起源は、607年ごろに建てられた木造教会といわれ、1666年のロンドン大火災で焼失しましたが、後にイギリスの有名な建築家クリストファー・レンの設計により再建されました。
2度の世界大戦でロンドンが空襲を受けたときも奇跡的に崩壊は免れ、1941年のドイツ軍による空襲を受けたときに当時のチャーチル首相が発した「セント・ポールはまだ建っているかね」という言葉が有名です。
シンボルである直径34mの巨大なドームはヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ世界第2位の大きさで、1981年にチャールズ皇太子とダイアナ元妃の結婚式が行われたことでも知られています。
第10位 ミラノのドゥオーモ(イタリア)
引用:jp.pokke.in
ミラノのドゥオーモ(大聖堂)は、イタリア北部のロンバルディア州ミラノの中心であるドゥオーモ広場に位置するカトリックの大聖堂で、500万人の信者を誇る世界最大の司教区であるミラノ大司教区を統括する司教座聖堂(カテドラル)です。
ミラノ大聖堂は、1386年に大司教アントーニオ・ダ・サルッツォと神聖ローマ帝国の皇帝からミラノ公の肩書を買い取るなど当時勢力を伸ばし、北イタリアの大部分を領有していたミラノの領主ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティによって建立されました。
度重なる戦火や宗教改革のために工事は何度も中断しましたが、最初の石が置かれてから500年後の1813年、ミラノ公国を占領したナポレオン・ボナパルトの命によりフランスの資金によって完成しました。
ミラノ大聖堂は、世界最大級のゴシック建築で、約3500体の彫像と135本もの尖塔があり、一番高い場所には金のマリア像が輝いていて、昔はこの像より高い建物を建ててはいけないとされていました。
外部から内側に至るまで細やかな装飾が施されたドゥオーモは、古くから「気まぐれな菓子職人の作ったデコレーションケーキ」と呼ばれています。
第9位 シュテファン大聖堂(オーストラリア)
引用:kubogen.com
シュテファン大聖堂は、オーストリアの首都ウィーンに建つゴシック様式のカトリック大聖堂です。
シュテファン大聖堂はウィーンのシンボルであると同時に、かつて権勢を誇り、ヨーロッパに巨大な領地をもっていたハプスブルク家歴代君主の墓所がある場所でもあります。
その他にもオーストリアを代表する音楽家モーツァルトの結婚式と葬儀が行われた教会としても有名です。
シュテファン大聖堂が完成したのは1160年ごろのこととされ、14世紀からオーストリア公ルドルフ4世の命により大改修が行われました。
1359年から70年以上の歳月をかけて完成された136.7mの南塔は、教会の塔としてはウルム大聖堂、ケルン大聖堂に次いで世界第3位の高さを誇ります。
本当は南塔と対になる北塔も建設する予定でしたが、半分の高さまで建ったところで16世紀に工事が中断したまま現在に至っています。
地下の墓所カタコンベには、1679年にヨーロッパでペストが流行した際に亡くなった2000人ともいわれる人々の遺骨や、ウィーンの司教・ハプスブルク家の人々の神像以外の内臓が保管されています。
第8位 ケルン大聖堂(ドイツ)
引用:ja.wikipedia.org
ケルン大聖堂は、ドイツ西部の都市ケルンのライン川沿いに建つカトリックの大聖堂で、正式名称はザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂といわれます。
世界最大のゴシック建築とされ、1996年には世界遺産にも登録されています。
ケルンには古代ローマ帝国の頃からすでにキリスト教が伝わっていたといわれ、4世紀にはすでに起源となる聖堂が存在していたとされます。
現在のケルン大聖堂は、3代目の建物にあたります。
2代目の聖堂は、818年に完成し、1164年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世がミラノから持ち帰った東方三博士の聖遺物がおかれていました。
東方三博士とは、キリストの誕生時に来訪したといわれるカスパール・バルタザール・メルキオールの3人で、東方の三賢者とも呼ばれます。
この聖遺物が安置されたことで、大聖堂に多くの巡礼者を呼び寄せ、ケルンの発展に貢献しました。
しかし、1248年に起きた火災で聖堂は消失していまい、改修工事がはじめられたものの、宗教改革による財政難から16世紀から19世紀という長期間にわたって工事が中断してしまいます。
1842年にようやく工事が再開され、現在の聖堂が完成したのは、火災から600年以上を経た1880年のことでした。
高さ157mの尖塔は当時、世界一の高さを誇っていました。
第二次大戦の連合軍による空襲で破壊されたケルン大聖堂は、戦後に復旧工事が行われましたが、このとき、教会のステンドグラスをデザインしたのがドイツ現代画家の巨匠でドイツ最高峰の画家と呼ばれているゲルハルト・リヒターでした。
リヒターのデザインしたステンドグラスは、コンピューターの乱数発生プログラムにより色を決定したモザイク柄の、教会のステンドグラスとしては斬新なデザインで、聖職者を中心に伝統に反するという否定的意見が出され、現在も賛否両論があるといいます。
第7位 聖ヴィート大聖堂(チェコ)
引用:amazing-trip.xyz
多くの尖塔が立つことから「百塔の町」の名でも知られるチェコの首都プラハ。
聖ヴィート大聖堂は、プラハ城の中心に位置し、この街を象徴する大聖堂で、「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイテフ大聖堂」という長い正式名称をもっています。
925年に、ドイツから寄進された聖遺物「聖ヴィートの腕」を安置するためにボヘミア公ヴァーツラフ1世によって建てられたもので、歴代の多くのボヘミア王の墓を有しています。
聖ヴィート大聖堂の正面には82mの2本の塔がそびえ立ち、99mの鐘楼をもち、内部には高さ34mの天井、幅60m、奥行き124mの大空間が広がっています。
一般の見学者が近づくことのできない聖ヴァーツラフ礼拝堂には7つの鍵を持つ扉があり、その奥にはボヘミア王の戴冠式用のクラウン・ジュエルである聖ヴァーツラフの王冠が所蔵されているとされています。
この王冠が公開されることはなく、展示されているのはレプリカのみで、7つの鍵はそれぞれ、チェコの大統領、議会の議長、元老院議長、首相、プラハ市長、プラハ大司教、聖ヴィート大聖堂代表司祭によって保管されており、この7人すべての同意がなければ取り出すことはできません。
聖ヴァーツラフの王冠には、古くから、正統な王の資格のない者がこの冠を被ると死が訪れるという言い伝えがあります。
第6位 聖ワシリイ大聖堂(ロシア)
引用:beautiful-photo.net
聖ワシリイ大聖堂は、ロシアの首都モスクワの象徴といえる赤の広場に建つ、広場の名前のように真っ赤な外壁が美しい教会です。
ちなみに、赤の広場の赤とは、ソビエト時代の社会主義からくるものではなく、赤にはロシア語で美しいという意味もあり、元来は「美しい広場」という意味をもっていました。
「ロシアで最も美しい聖堂」といわれる聖ワシリイ大聖堂は、「雷帝」と呼ばれたツァーリ・イヴァン4世がロシア南部のイスラム国家カザン・ハン国を征服したことを記念して1559年に建造されました。
完成時の聖ワシリイ大聖堂には現在のようなカラフルな色はついておらず、今のような彩色は17世紀から19世紀にかけて施されたものです。
聖ワシリイ大聖堂は、9つのドームからなっていますが、それぞれのドームはすべて異なる高さ・大きさ・デザインをもっています。
イヴァン4世は、この聖堂の完成後、これより美しい教会が建てられることを嫌がり、設計者のポスニク・ヤーコブレフの目を潰させたという伝説が残されており、圧制や粛清により独裁政治を敷いたイヴァン4世の象徴的なエピソードとなっています。
有名なパズルゲームのテトリスは、もともとロシアの科学者が教育用ソフトウェアとして開発したもので、背景画像として聖ワシリイ大聖堂もしばしば登場しています。
第5位 サン・ピエトロ大聖堂(ヴァチカン)
引用:plaza.rakuten.co.jp
イタリアの首都ローマの中に位置する世界最小の国であり、カトリックの総本山でもあるヴァチカン市国にあり、ローマ教皇の住まう宮殿でもあるのがサン・ピエトロ大聖堂です。
1984年にはヴァチカン市国全体が世界遺産に登録されています。
サン・ピエトロとは、キリストの12使徒の1人である聖ペテロのことで、ペテロの墓があったこの場所にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教会堂を開いたのが起源となっています。
14世紀には教皇の司教座聖堂がラテラノ大聖堂からサン・ピエトロへと移されました。
1506年から老朽化に対する改修工事が始められますが、財政難や壮大な設計のために工事は遅々として進みませんでした。
1546年、当時71歳だったミケランジェロが主任建築家に任じられると状況は一変し、それまでが嘘のようなスピードで工事は進み、着工から100年以上が経過した1626年に現在の形で完成しました。
聖堂内では100以上の大理石像や40以上のブロンズ像、数多くの祭壇画、さらには147にもおよぶ歴代教皇の墓を見ることができます。
この大聖堂を訪れた観光客がかかる病気として有名なのがスタンダール症候群です。
これは、教会の天井や柱など高いところにある絵画を長く見上げていることで、目まいや吐き気などを催すというもので、なかには気を失う人もいます。
1979年にフィレンツェの精神科医師ガジエッラ・マゲリーニによって指摘されたもので、『赤と黒』で有名なフランスの作家スタンダールもかかったことからこの名前がつきました。
第4位 サグラダ・ファミリア(スペイン)
引用:www.nta.co.jp
サグラダ・ファミリア教会は、スペインが誇る大建築家アントニオ・ガウディが設計し、生涯をかけて建造に取り組んだ未完成の大聖堂で、日本でもその名を広く知られています。
サグラダ・ファミリアは、スペイン北東部の都市バルセロナのシンボルであり、正式名称は「聖家族贖罪聖堂」といい、日本ではよく聖家族教会とも呼ばれます。
2005年には世界遺産にも登録されており、スペインでは最も有名な観光スポットとなっています。
天を貫くような塔が印象的なサグラダ・ファミリアは、綿密に計算されたアーチや鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻など、大掛かりな設計を誇り、これは自然を愛していたガウディが教会の厳格な雰囲気を和らげるためにとデザインしたものでした。
サグラダ・ファミリアの建設がスタートしたのは1882年で、信者の喜捨により建造する教会である贖罪教会として計画されました。
最初は、建築家フランシスコ・ビシャールが無償で引き受けていたものの、着工後に意見の対立から辞任し、2代目として襲名したのが当時はまだ無名だったガウディでした。
ガウディは1926年にこの世を去りましたが、彼の意志を引き継ぐ人々により現在でも建設は続けられています。
その設計の緻密さから、かつては完成までに300年かかるといわれていましたが、現代ではソフトウェアによる解析や3Dプリンターの導入により、工期が大幅に短縮され、ガウディの没後ちょうど100年に当たる2026年に完成する予定です。
第3位 ノートルダム大聖堂(フランス)
引用:ja.wikipedia.org
フランスの首都パリのシテ島にたたずむノートルダム大聖堂は、ゴシック様式のカトリック大聖堂です。
1991年には世界遺産に登録されていて、現在も、パリ大司教座聖堂(カテドラル)として使用されています。
ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」を意味し、すなわち聖母マリアにささげられた大聖堂です。
フランスにはノートルダムという名の大聖堂が8つありますが、そのうち7つが世界遺産になっています。
ノートルダム大聖堂は、1163年にフランス国王ルイ7世隣席のもと、ローマ教皇アレクサンデル3世が礎石を据えたことにはじまり、1345年に完成しました。
パリのノートルダム大聖堂は、『ノートルダムのせむし男』の邦題もあるヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』の舞台として世界的に有名です。
この小説が書かれた当時、フランス革命と自由思想の広まりによって宗教への批判が高まりキリスト教会が略奪などの被害に遭うことが多くなり、ノートルダム聖堂も荒廃していました。
ユーゴーの小説はフランス国民にノートルダム大聖堂復興の意義を訴え、これによって正式に大聖堂の補修が決定されました。
ノートルダム大聖堂では、2019年4月15日に大規模な火災が発生し、日本でも大きなニュースとして取り上げられました。
引用:www.bbc.com
この火災で教会の尖塔が崩壊し、木組み構造の身廊・翼廊の屋根部分がほぼ全焼しましたが、建物正面と左側の二つの塔は損壊を免れ、現在は聖堂の再建計画が進められています。
第2位 カンタベリー大聖堂(イギリス)
引用:4travel.jp
カンタベリー大聖堂は、イギリスのイングランド南東部ケント州カンタベリーにある教会で、イギリス国教会の総本山として古くから多くの巡礼者が訪れ、イギリス随一の聖地となりました。
カンタベリーはイギリスで初めてキリスト教が伝わった場所ともいわれており、そうした意味でも、聖地にぴったりの場所といえます。
大聖堂の起源は、カンタベリー大司教アウグスティヌスによって7世紀に建てられた修道院にはじまっており、12世紀から16世紀まで幾度かの増改築を経て現在の形になりました。
14世紀のイングランドの詩人ジェフリー・チョーカーによって書かれた『カンタベリー物語』もカンタベリーへ行く巡礼者の物語です。
カンタベリー大聖堂は、カンタベリーに立つ他の重要なキリスト教建築である聖オーガスティン修道院、聖マーティン教会とともに、1988年に世界遺産に登録されました。
第1位 モン・サン・ミッシェル(フランス)
引用:www.travelbook.co.jp
モン・サン・ミッシェルは、北フランス沿岸ノルマンディー地方のサン・マロ湾に浮かぶ小島にあるカトリックの代表的な巡礼地です。
よくお城に間違われることもありますが、モン・サン・ミッシェルは城ではなく修道院です。
1979年には世界遺産にも登録され、1994年には湿地の保存に関する国際条約であるラムサール条約にも登録されています。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の満ち引きの差が最も激しいところとして知られ、モン・サン・ミッシェルといえば、やはり満潮時のまるで海に浮かんでいるような幻想的な姿で有名です。
この場所はもともとケルト人の聖地で、「モン・トンブ(墓の山)」といわれていたところで、起源となる聖堂が建てられたのは708年のことです。
アブランシュの町に住むオベールという司教が夢の中で大天使ミカエルから、「この岩山に聖堂を建てよ」というお告げを受けたことがきっかけだといわれます。
966年にはノルマンディー公リシャール1世によってベネディクト会の修道院が築かれ、増改築を重ねて13世紀には現在の姿になったといわれます。
満潮時には巨大な潮の波が押し寄せるため、昔は潮に飲まれて命を落とす巡礼者も多く、「モン・サン・ミッシェルに行くなら遺書を置いていけ」といわれるほどでした。
1877年には対岸へと続く道路が作られ、潮の満ち引きに関係なく安全に島へと渡れるようになりました。
モン・サン・ミッシェルは、ロマネスク様式とゴシック様式の混在する建物で、修道士の共住空間だった「ラ・メルヴェイユ(驚異)」の回廊にはブドウやバラの美しいレリーフが刻まれた137本もの円柱が並びます。
修道院周辺の牧草地では、満潮になると海水に浸かってしまうため、それでも大丈夫な牧草だけが残り、塩分とミネラルを豊富に含むこうした牧草を食べて育った「プレ・サレ(塩の牧草)」と呼ばれる子羊は一流レストランでもなかなかみることのできない希少食材です。
引用:4travel.jp
最初にモン・サン・ミッシェルは城と間違われることもあると書きましたが、モン・サン・ミッシェルには要塞としての機能もあり、百年戦争や宗教戦争の際に軍事拠点としても使用され、入り口には今も百年戦争のときにイギリス軍が残していった大砲と砲弾が残されています。
まとめ
以上、世界の美しい教会を紹介してきました。
古くから、それぞれの国や地域ごとに個性豊かな教会が建造され、人々の信仰とともに長い年月を刻んできました。
様々な願いや祈りとともに建てられた教会は、今でも厳かで壮大な雰囲気をもち、見るものに積み重ねてきた歴史の重みを感じさせます。
もし、海外へ旅行に行かれる機会があれば、ぜひ一度こうした教会に足を運んでみてはいかがでしょうか。