現代では私たちや家族が亡くなったときには、一族の墓に入るのが一般的です。
その大半がいわゆる霊園などで、こじんまりとしています。
ですが昔はもっと大きなお墓を作り、盛大に弔っていました。
今回は昔に作られた、世界最大のお墓について紹介します。
世界最大のお墓は日本にある?
世界には「世界三大墳墓」と呼ばれるものがあります。
内訳はエジプトの「クフ王のピラミッド」、中国の「秦の始皇帝陵」、そして大阪府にある「大仙古墳」です。
このうち大仙古墳は世界一敷地面積が大きいことから、世界最大のお墓だと言われています。
世界遺産にも選ばれるなど有名なお墓ばかりですが、改めて世界三大墳墓について見ていきましょう。
クフ王のピラミッド
引用元:http://rararasan.hatenablog.com/
クフ王のピラミッドは「ギザの大ピラミッド」とも呼ばれるお墓です。
ギザにはクフ王のピラミッドのほかに「カフラー王のピラミッド」、「メンカウラー王のピラミッド」と呼ばれるピラミッドがありますが、クフ王のピラミッドが最も大きいです。
クフ王のピラミッドは完成時の高さが146m、現在は頂点が削られ138mとなっていますが、これは今もなお世界で最も高いお墓です。
建造された年代は不明ですが、紀元前5世紀にギリシャの歴史家ヘロドトスの著した『歴史』にはヘロドトスが紀元前450年ごろに「建造後2000年が経過したクフ王のピラミッド」を訪れたという描写があります。
秦の始皇帝陵
引用元:http://www.cnta-osaka.jp/
秦の始皇帝陵は中国陝西省西安にあるお墓です。
秦の始皇帝が中国を治めていたのは紀元前256年から紀元前210年の間であり、今からおよそ2200年も前のことです。
そのため長く所在が明らかにされていなかったのですが、1974年に近所の農家が発見しました。
そして1987年に「秦始皇帝陵及び兵馬俑坑」として世界遺産に登録されています。
2万㎡にもおよぶ広大な兵馬俑坑には様々な種類の兵馬俑をはじめ銅車馬や戦車などが始皇帝の副葬品として納められ、当時の生活様式や風俗を今に伝えています。
始皇帝は治政の末期に不老不死を求めていたと言われており、副葬品の数々は死してなお永遠の帝国を築こうとする始皇帝の思想や欲求の表れだと言われています。
司馬遷の『史記』には始皇帝陵の様子についてある程度現実と一致する描写があったほか、「水銀の海や川を流した」というような記述が見られました。
大仙古墳
引用元:http://sakai-arukikata.jp/
大仙古墳は大阪府堺市堺区大仙町にあり、別名を「仁徳天皇陵」、「仁徳陵古墳」と言います。
宮内庁は大仙古墳を「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」と呼称し、第16代仁徳天皇の陵(みささぎ)と治定しています。
宮内庁の調査によれば基底部の面積は121380㎡を誇る、世界一面積の広い墳墓です。
大仙古墳の周辺にはお堀が巡り、古墳から少し行ったところにある向陵公園の芦ヶ池から水を引いています。
現在大阪府南部の堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市は同市域にある49基の古墳群を「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産へ登録する活動をしています。
大仙古墳の秘密を紹介!
引用元:https://www.sankei.com/
ここまでは世界三大墳墓について紹介しました。
世界で最も高いお墓はクフ王のピラミッドで、面積が広いのが大仙古墳です。
体積が最も大きいお墓も大仙古墳だと言われています。
日本は決して国土面積に恵まれていないのに、世界最大のお墓があるのは意外に思われるかもしれません。
実は大仙古墳にはあまりよく知られていない秘密が隠されています。
もう少し掘り下げて紹介していきましょう。
実は誰のお墓か分かっていない
宮内庁は大仙古墳を第16代仁徳天皇の陵であるとしています。
宮内庁は『記紀』や『延喜式』と言った歴史書の記述に基づいて古墳と被葬者である天皇を対応させています。
歴史書には百舌鳥の地には仁徳天皇、反正天皇、履中天皇の3陵が築かれたと伝えられています。
このうち反正天皇陵が田出井山古墳、履中天皇陵が上石津ミサンザイ古墳として現在では治定されています。
また江戸時代には大仙古墳が地元の住民から「仁徳さん」と呼ばれ親しまれているという記述が残されています。
ですが近年の調査によって古墳の作られた年代が推定されるようになると宮内庁の指定と研究結果が食い違うようになりました。
現代の研究結果では百舌鳥の3つの古墳は上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、大仙古墳(仁徳天皇陵)、田出井山古墳(反正天皇陵)の順に完成したと推定されています。
一方天皇の即位順は仁徳天皇(第16代)、履中天皇(第17代)、反正天皇(第18代)と言われています。
また大仙古墳、上石津ミサンザイ古墳は全長がそれぞれ486m、365mもあるのに対し、田出井山古墳は148mしかありません。
古墳は位の高い人ほど大きなものが造られるため、田出井山古墳が小さいのは不自然です。
特に天皇陵と目される古墳は宮内庁が管理しており、発掘調査が進んでいないため、現状では宮内庁の治定と最新の学術調査の間の齟齬は解消されていません。
そのため現在は○○天皇陵という呼び名を控え、大仙古墳というように、地名+古墳という普遍的な名称で古墳を表すケースが増えています。
大仙古墳よりも大きいかもしれないお墓がある
日本には大仙古墳のほかにも、大きな古墳がいくつも存在しています。
堺市の発表している「古墳大きさランキング(日本全国版)」によると日本の古墳の大きさ(全長)トップ5は大仙古墳(486m)、誉田御廟山古墳(425m)、上石津ミサンザイ古墳(365m)、造山古墳(350m)、河内大塚山古墳(335m)の順となります。
岡山県にある造山古墳を除けばトップ5はいずれも古墳時代の政治の中心地であった大阪府にあり、当時の時代を思わせます。
先ほどから大仙古墳が世界で最も大きいお墓だと紹介していますが、実は日本で2番目に大きな古墳である誉田御廟山古墳は大仙古墳よりも全長が大きい可能性があるのです。
誉田御廟山古墳の全長425mというのは、作られた当時のものではありません。
この古墳は近くに活断層が通っており、734年、1510年に発生した地震によって古墳の一部が崩れてしまったのです。
そのため建造時の全長が分からず、現在は日本2位の古墳の座に甘んじています。
誉田御廟山古墳は体積も大仙古墳の164万㎥に迫る、143万㎥と全長だけでなくすべての面で非常に規模の大きな古墳です。
もし全長が明らかとなり、大仙古墳よりも大きいとなったら体積なども大仙古墳を超え、晴れて誉田御廟山古墳が世界最大のお墓となることもあるかもしれません。
世界で最も大人数が埋葬されたお墓とは
引用元:https://www.bxtimes.com/
今回紹介した「世界最大のお墓」は陵墓、つまり位の高い人を埋葬するために造られたものです。
現代では陵墓を作る習慣そのものが廃れてしまったため、大仙古墳よりも大きなお墓が作られることはほぼないと言っていいでしょう。
現代の主流は一定のスペースに何人も弔う集合墓地です。
では世界で最も大人数が埋められたお墓とはどんなものなのでしょうか。
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市、ロングアイランド湾に浮かぶハート島は島全体が集合墓地として使われ、現在100万人以上も埋葬されています。
現在はニューヨーク市更生局が管理しており、毎年およそ1500人ほどを受刑者が埋葬しています。
ハート島は軍の訓練用地やアメリカ南北戦争の捕虜収容所として使われたことをきっかけに軍人の墓地として使われはじめ、やがて黄熱病や結核患者の隔離所、刑務所と用途を増やしていきました。
島には普通の居住者もいましたが、1977年を最後に現在は誰も居住していません。
2012年にはハリケーンサンディの被害を受け、ハート島の海岸線が削れ、人骨が露出する事態が起きました。
ハート島はもともと海岸線の浸食を受けやすい島で、その後もたびたび埋葬した骨が露出しています。
ハート島に埋葬される人の多くはニューヨークの病院で幼くして亡くなった子供たちです。
また身寄りのない人やホームレスなども埋められることがあります。
ハート島に埋葬されると知らずに、子どもの葬儀について書類にサインをした遺族が子どもの墓地を求める動きなどが盛んになったため、1994年からハートアイランドプロジェクトと呼ばれる活動が行われています。
ハートアイランドプロジェクトはハート島に埋葬されたという公的な記録を遺族に渡し、遺族の埋葬地への訪問を支援する活動です。
現在ではGPSの埋葬データをもとにしたマッピングなども行っており、活動は展開し続けています。
まとめ
今回は世界最大のお墓について、世界三大墳墓と世界で最も大きなお墓である大仙古墳、そして世界で最も多くの人が埋められていると思われる集合墓地ハート島について紹介しました。
お墓は死者の魂を慰めるとともに、生きている人にとっては亡くなった方の過去と未来を忘れないためのモニュメントでもあります。
世界最大のお墓である大仙古墳が地域の住民や世界の人々に知られているように、私たちも一族のお墓は忘れずに管理しておきたいです。