人は誰しもが死とは無縁ではいられません。
死因には数多くありますが、特に病死などは無念も多いでしょう。
現在では治療不可能でも未来に技術が進歩し、治療ができるようになる可能性があるなら賭けたいと思う気持ちは理解できます。
そこで未来に託す人々がたどり着いたのが冷凍保存技術(クライオニクス)です。
今回は人体冷凍保存の最新技術と研究、および人体冷凍保存を行う機関について紹介します。
人体冷凍保存の最新技術・研究はどこまで進んでいる?
引用元:https://www.news-postseven.com/
人体冷凍保存の歴史は1960年代にまでさかのぼります。
それまでも1953年に大学院生のジェローム・シャーマンと泌尿器科医のレイモンド・ブンジが雄牛の精子バンクの技術を応用して、冷凍した人間の精子を使って女性を妊娠させた『Women Pregnant by Frozen Human Sperm(ヒトの冷凍精子を用いた妊娠)』という論文を発表しています。
ただ人間の身体そのものの冷凍保存が提唱されたのは1962年、物理学者のロバート・エッティンガ-が『The Prospect of Immortality(不死への展望)』という論文でのことでした。
1967年には癌で死亡した心理学者のジェームズ・ベッドフォード博士が初めての冷凍保存を施されています。
現在の冷凍保存の手法としては、液体窒素を使ったものが一般的です。
まず遺体を氷水に漬け、人工呼吸器と血液循環器によって血液を全身に循環させます。
このときなるべく死後速やかに処置を行うことで、虚血による組織破壊と「再かん流障害」と呼ばれる障害によるダメージを最低限に留めることができます。
そして身体機能を抑えるための薬を投与しつつ、血液を不凍液と入れ替えます。
完全に入れ替えが完了したら、遺体を液体窒素に漬け、1週間かけて-196℃にまで体温を冷却します。
人間の身体は-196℃で完全に変化が停止し、長期間状態を保つことが可能になるのです。
冷凍保存をされた遺体は-196℃を維持したまま保管され、ガンなどの難病の治療法が確立された未来に解凍され、治療を受ける予定となっています。
人体冷凍保存の課題
現状の人体冷凍保存技術は研究が進んではいますが、未だに3つの点で課題を残しています。
ひとつが人体の水分が冷凍保存によって膨張し、細胞膜を破壊してしまうために人体が無事で済まない点です。
現在の技術では血液の代替となる不凍液に「ステムセルキープ」と呼ばれる特殊な保存剤を加えることで細胞をガラス化し、凍結による破壊を最小限に留めていますが完全な克服はできていません。
また人体の中でも特にデリケートな脳については冷凍保存ではなく化学薬品によって保存する方法が2018年に開発されており、今後はコンピュータ制御によって脳の部位ごとに保存する技術の開発が進められています。
もうひとつが、解凍技術が未だに実現できていない点です。
冷凍保存した遺体を解凍するには全体を均一に温めなくてはなりませんが、人体の部位にはサイズに差があるために温度の上昇にムラが生じてうまく解凍できません。
現在では保存液に「金ナノロッド」という金属物質を加えることで均一に熱を加えられるようにする技術の研究が進められていますが、まだ完成には至っていません。
細胞膜の破壊や解凍技術については未来の技術が解決するだろう、と先送りになっている部分もあります。
最後に問題となるのが、人間の意識や人格がどこに保存されているか分からないことです。
生きている私たちにおいてすら、意識がどこにあるのか判明していないのに、冷凍保存した人のものなど言うまでもありません。
脳のシナプスを解凍すればいいのか、それとも、全身のすべての分子を解凍しなくてはならないのか、したとしても果たして解凍後の人格は解凍前のものと同一なのかは分かりませんし、検証もできません。
未来に蘇ろうと思って人体冷凍保存を選択したのに、蘇るのが別人では人体冷凍保存の意義を損なってしまうでしょう。
人体冷凍保存を行う機関
現状の人体冷凍保存技術では、保存処理や長期間の保存に多額の資金が必要になるため、大きな機関でなくては人体冷凍保存を施すことはできません。
そのため世界中に人体冷凍保存を請け負う機関があり、多額の料金をもらって人体冷凍保存を行っています。
アルコー延命財団
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アルコー延命財団は、人体冷凍保存を行う機関の中では最も有名なものでしょう。
北斗七星の星のひとつ、アルコルに由来するこの財団は1972年に人体冷凍保存を積極的に推進してきたチェンバレン夫妻によってカリフォルニア州に設立され、現在はアリゾナ州のスコッツデールに拠点を置いています。
同時期には人体冷凍保存を請け負う企業がアメリカにいくつも存在しましたが、費用面の問題から現在ではアルコー延命財団とクライオニクス研究所という機関くらいしか残っていません。
法学や宗教、生命倫理などの側面から絶えず批判にさらされていますが、実際の保存処理だけでなく人体冷凍保存の理念の普及に努めています。
アルコー延命財団で人体冷凍保存をしてもらうには財団に登録して年会費を払い、加えて冷凍保存そのものにも多額の費用が必要になります。
全身の冷凍保存と頭部のみの冷凍保存の2つのコースが用意されており、全身保存では15万ドル、頭部のみでは8万ドルかかるうえ保存中も年会費を支払わなくてはならないため、生命保険を支払いに充てる人もいるようです。
2009年には、財団の施設職員を務めていたラリー・ジョンソンが『人体冷凍 不死販売財団の恐怖』という本を出版し、アルコー延命財団内で行われる犯罪行為を告発しています。
ラリー・ジョンソンいわく、施設内は非常に衛生状態が悪く、処置もずさんで冷凍保存に用いる薬品を直接下水道へ流すなど廃棄物の処理もおざなりだったそうです。
また財団内も人体冷凍保存技術と未来の進歩に対するカルト的な陶酔に満ちていると言います。
クリオルス社
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クリオルス社はロシアに拠点を置く、人体冷凍保存を提供する企業です。
2003年にロシアのトランスヒューマニストという、高度な技術の発展と科学の普及を目指す団体のプロジェクトの一環として設立されました。
クリオルス社はアメリカ国外では初めて人体冷凍保存を提供する企業で、人体のほかにペットの冷凍保存なども請け負っています。
ロシアだけでなくウクライナやエストニアなどのヨーロッパ諸国やアメリカからも希望者が集まっており、2016年時点で51人の遺体と19体のペットが冷凍保存され、200人近くが冷凍保存を行う契約を済ませていると言われています。
2014年には日本から初めて冷凍保存の依頼が入りました。
依頼したのは鈴木晴之という人で、脳死判定を受けた母親の「ニシカワ」さんが未来の技術で蘇ることを希望して依頼しています。
銀豊生命科学研究院
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銀豊生命科学研究院(Yinfeng Institutes for Biological Sciences)は山東省に拠点を置く銀豊(Yinfeng)グループを構成するハイテク企業です。
アジアで初めて人体を冷凍保存できる設備を整えており、2013年に人体の組織や臓器の凍結保存と蘇生についての研究プログラムを開始しています。
皮膚や切断された指、卵巣、内臓などの凍結保存と蘇生について一定の結果を出しているほか、人体冷凍保存を施した実績もあります。
人体冷凍保存の手術は銀豊生命科学研究院と山東大学齊魯医院が合同で行い、アルコー延命財団でコンサルタントを務める低温医学専門家のアーロン・ドレイクが執刀医を務めました。
手術を受けたのは肺がん患者の展文蓮です。
中国では2015年に北京で作家の杜虹が大脳の冷凍保存を行っていましたが、全身の冷凍保存は銀豊生命科学研究院による例が初めてとなります。
現在人体冷凍保存を受けている人
引用元:https://aboutislam.net/
人体冷凍保存は課題も多く、費用面も問題となりますが、現在ではアメリカだけで250人以上の人が人体冷凍保存を施され、未来の治療を待っていると言われます。
さらには1500人以上の人が生前に契約を結んでいるそうです。
ここでは実際に人体冷凍保存を受けている人を紹介していきます。
テッド・ウィリアムズ
引用元:https://forbesjapan.com/
テッド・ウィリアムズは「MLB史上最高の左翼手」と呼ばれるほど、卓越した野球選手のひとりです。
所属リーグ内で打率・本塁打・打点の3つのタイトルを獲得する三冠王に二度輝いているほか、通産出塁率は歴代1位となる.482、1941年には打率.401を記録しています。
2019年現在、メジャーリーグでは4割打者はテッド・ウィリアムズしかいません。
テッド・ウィリアムズは2002年に83歳で亡くなったのですが、遺言で自身を冷凍保存するように書いていたため、テッドの長男がアルコー延命財団へ冷凍保存を依頼しています。
しかしテッドの長女が遺体を火葬にし、遺灰を海に撒くことを希望したために裁判へと発展、最終的には頭部を冷凍保存し、残りは火葬にすることで決まっています。
またラリー・ジョンソンの『人体冷凍 不死販売財団の恐怖』ではテッド・ウィリアムズを例にアルコー延命財団のずさんな実態が紹介されています。
いわく頭部の冷凍保存をする際に血液の不凍液への置換が不十分だったために脳に残った血液が膨張し16回も破裂をした、冷凍保存の契約書には「テッド・ウィリアムズ」と書いてあった(テッドは愛称で、テッド・ウィリアムズは公式の書類には必ず本名である「セオドア・S・ウィリアムズ」とサインしている)などにわかには信じられないような告発内容が書かれていました。
マセリン・ナオバラトポン
引用元:https://ichef.bbci.co.uk/
タイ国籍の少女、マセリン・ナオバラトポンはおそらく史上最年少であるわずか2歳で人体冷凍保存を施されています。
マセリンは上皮腫という特殊な脳腫瘍にむしばまれ、両親は12回の脳外科手術、20回の化学療法、20回の放射線治療など懸命に手を尽くしましたが2015年に延命措置を切られてしまいました。
わずか2年で生涯を終わらせなければならなかったマセリンを不憫に感じた両親は、アルコー延命財団へ人体冷凍保存を依頼しました。
現在もマセリンは脳と身体がそれぞれ保管されています。
マセリンの両親はマセリンのほかに3人の子どもがいますが、そのうち2人はIVF(体外受精)によって妊娠しており、先進技術に対して理解がありました。
マセリンの父親はマセリンの冷凍保存に必要な金額と同額を、タイの癌研究に対して寄付しています。
ハル・フィニー
引用元:https://www.coindesk.com/
ハル・フィニーは暗号化技術の専門家であるフィル・ジマーマンによって、セキュリティ製品を手掛けるPGP Corporationで勤務したコンピュータ科学者です。
ごく初期からビットコインを利用していた人物として有名で、ビットコインの開発者であるサトシ・ナカモトがビットコインネットワークを利用して最初にビットコインを送金した相手がハル・フィニーです。
技術者としてビットコインを安全に保管できるウォレット(仮想通貨を管理する専用のソフト)の開発を進めたほか、アマチュアのマラソンランナーとしても活動していました。
2009年、ハル・フィニーは自身のブログで自分が難病のひとつである「筋萎縮症側索硬化症(ALS)」に罹っていることを発表しています。
2014年8月28日にハル・フィニーは死亡、現在はアルコー延命財団で冷凍保存されています。
キム・スオッジ
引用元:https://gutsybroads.com/
キム・スオッジはアメリカのトルーマン州立大学で言語学、心理学、認知科学を専攻し、大学院で神経科学を志した若き才媛でした。
しかし21歳のときに多形性膠芽腫(GBM)という悪性の脳腫瘍を患い、余命半年を宣告されてしまいます。
そこでスオッジは以前から関心のあった人体冷凍保存を受けることを目指し、海外のインターネット掲示板であるRedditで助けを求めるメッセージを発信しました。
すると人体冷凍保存を信じる「ベントゥーリズム・ソサエティ」などの有志によって募金活動が立ち上げられ、アルコー延命財団での人体冷凍保存が実現したのです。
スオッジは2013年1月17日に死亡し、現在も冷凍保存されています。
ウォルト・ディズニー
引用元:https://castel.jp/
ウォルト・ディズニーは世界的に有名なキャラクターであるミッキーマウスやディズニーリゾートを考えた実業家です。
生前のウォルト・ディズニーは1日にタバコを3箱も吸うヘビースモーカーであったり、ドーナツをスコッチ・ウィスキーに浸したものを朝食に食べるなどひどく不摂生で、65歳のときに肺がんで亡くなりました。
そんなウォルト・ディズニーには、死後は冷凍保存を施し、いつか復活できる日を待ちわびているという噂があります。
人体冷凍保存が提唱されたのは1962年のことで、最初に人体冷凍保存が施されたのが1967年のことなので、1966年に亡くなったウォルト・ディズニーの遺体も保存自体は可能です。
しかしアルコー延命財団の名簿には当然ウォルト・ディズニーの遺体は保存されておらず、仮に保存されていたとしても場所は不明です。
一説によるとカリフォルニアのディズニーランドにある「カリブの海賊」の下で、今も冷凍保存されていると言われています。
まとめ
今回は人体冷凍保存の最新技術と研究、人体冷凍保存を実施する機関や実際に冷凍保存される人物を紹介しました。
人体冷凍保存の技術はまだ課題が多く、完成されたものではありません。
しかし死への恐怖や、永遠の生命への渇望がある限り、人体冷凍保存への希望は途絶えないでしょう。
いずれ技術が完成し、かつて死亡した人が次々と蘇る未来が来るときもあるかもしれません。