ジブリシリーズ第三弾、今回は比較的有名かと思われるジブリの都市伝説をまとめ整理しながら掘り下げてみました。
都市伝説好きの皆さまにおかれましては既に知っているネタも多いかと思われますが、そこに何かしらのプラスアルファとなる情報提供・考察などをしていけたらと思います。
1 トトロのモデルは醜悪な化け物?
引用元:https://ciatr.jp
トトロはそのヌイグルミのような可愛らしいフォルムから、子供から大人まで幅広い層に人気のあるジブリキャラクターの一人(一匹?)です。
しかし、そんなトトロの原型が恐ろしい化け物だとしたらどうでしょう?
トトロに関しては以下でご紹介していく様々な都市伝説があるのですが、比較的シンプルなものにモデルは北欧神話のトロールではないか?というものがあります。
トロールは北欧ではトロルド、トロールドその他さまざまな名称で呼ばれ、姿形も一定ではありません。
理由は変身能力によっていかようにも姿を変えられるからだとされています。
それでも一般的なイメージというものは存在し、それによると―
・巨大な体躯
・怪力
・再生能力を持つ
・知能は低く容姿は醜悪
・狂暴で大雑把
―とのこと。
これらをトトロと照らし合わせると、『巨大な体躯』『怪力』『大雑把』と、案外当てはまる要素が多いようにも思えます。
引用元:http://hyggelig-news.com
こちら北欧神話のトロール。
可愛い……とは言い難いですね。
2 サツキとメイは途中から幽霊だった?
引用元:https://ciatr.jp
『となりのトトロ』のダブルヒロインであるサツキとメイの姉妹。
しっかり者の姉と年齢相応に少し我儘なとろこもあるやんちゃな妹は、作中で不思議な森のお化けトトロと画面狭しと楽し気に走り跳ね元気な笑顔を見せてくれます。
しかし、そんな彼女たちにはある怖い都市伝説があるのです。
それがこれからご紹介する、実はサツキとメイは幽霊説です。
いかにその根拠とされている通説を考察を交えながら挙げていきます。
トトロが見えていたのは姉妹だけ
主題歌でも歌われているように、トトロが見えるのは子供だけとされています。
しかし、これに関しては二つの大きな疑問が挙げられます。
①姉妹がトトロを見る際に生じたタイムラグ
まず、最初にトトロを見たのは妹のメイだけであり、その時点でサツキにトトロは見えていません。
メイ4歳、サツキ12歳といった年齢差によるものかとも思えますが、後半からはサツキにもトトロが見えています。
トトロの側から考えても、最初姉妹の妹にだけ姿を見せた理由がわかりません。
『借り暮らしのアリエッティ』のように、人間に姿を見られてはいけないのならばメイと接触すること自体御法度でしょう。
②サツキと同年齢のカンタにはトトロが見えていない
子供ならば見えるはずのトトロを見ているのは、しかし実際にはサツキとメイの姉妹だけで地元の少年カンタには見えていません。
小説版トトロではトトロは姉妹が描いた幻想として描かれているそうなので、トトロが母親の不在で寂しい思いをしている姉妹のイマジナリーフレンドであるとすれば、両親や祖母もいて精神的に満たされているカンタには見えなかったということでしょうか。
この『トトロが見えるか否か』をめぐり、『トトロが見えるのは死期が迫った人間、もしくは死んだ人間のみ』という都市伝説が生れました。
サツキが物語途中からトトロが見えるようになったのは、いなくなったメイ(池で溺死)を探す際に『妹の所(あの世)に連れて行って』と自ら願い、この世からあの世に魂を運ぶ乗り物である猫バスに乗ったからだとされています。
姉妹の影が途中からなくなる
引用元:https://ciatr.jp
これも有名な話ですが、物語の途中から姉妹の影が作画から消えているのは二人が死んで幽霊になっているからだというもの。
確かに画像を見るとメイの影がありません。
しかしこれは制作サイドの意図的かつ画期的な試みの結果でした。
美術監督の男鹿氏が、背景による時間経過の描写として影を用いたのです。
つまり、二人の影が描写されていないのは彼女らが太陽の真下にいる=正午であることを表現していました。
お母さんの言動が不自然
引用元:https://www.google.com
サツキとメイが猫バスに乗って母親の入院する病院を訪れながら、結局母親には会わずじまいでウモロコシだけ置いて帰るシーン。
トトロと共に両親の姿をこっそりと眺めるサツキとメイの方に母親だけが視線を向けて『今、あの木のところで、サツキとメイが笑ったような気がした』と言います。
しかし、これは生きている自分の娘たちに言うには可笑しな言い回しではないでしょうか?
また、このシーンで姉妹の気配に気づいてのは母親だけで父親は全く気付いていません。
これは長く患っている母親にも死期が差し迫っているために、幽霊となった姉妹の気配を感じることが出来たのではないかと言われています。
そもそも母親の病院まで来ていながら(メイに至っては行方J不明騒ぎまで起こして)、顔を見ることもせず帰る姉妹の行動も不思議です。
ちなみに母親が入院していた病院『七国山病院』のモデルは多摩地区に実在した結核療養病院『八国山病院』であったとされています。
3 すべてはお父さんの妄想説
引用元:http://studiototoro.com
トトロの都市伝説の中でもだんとつダークなのが、こちらの『全てはお父さんの妄想説』です。
姉妹の父親草壁タツオ32歳。
20歳で学生結婚即子持ち、現在東京郊外に持ち家在り。
職業は大学の非常勤講師&翻訳。
地味な外見に反してなかなかに冒険的な過去と、高いのか低いのかよくわからない謎スペックを持つ二児の父。
実は作中で語られる楽しい物語の全ては、このタツオの妄想―こうであったら良かったのにというおとぎ話だというのです。
***
結核を長く患う妻のために空気が良く療養病院のある郊外に家族で引っ越し。
娘たちは母親のいない寂しさを紛らわせるかのように空想の友達『トトロ』と遊び興じている。
ある日、母恋しさから単独で病院に行こうとした次女メイが池で溺死。
姿を消した妹を探しに森を彷徨った長女サツキも不幸な事故で死亡。
娘たちの悲報に絶望し、妻も後を追うようにして死去。
一人ぼっちになった父親は誰もいない家の中で机に向かい、娘たちが生きて楽しく過ごしている夢物語を一心不乱に書き綴っていた……。
***
何とも救いのない都市伝説なのですが、文章を書く仕事の人間が孤独から精神を病み、死んだ娘や妻の幻覚を見ながら偽りのほのぼのライフを送っているという設定には少し惹かれるものがあります。
自身を慰める手遊びに書き始めた物語に取り込まれたのか、幻覚を見るようになってからそれを文章化し始めたのか。
物語を綴りながら狂うと言えば映画『シャイニング』のジャック、死んだ妻子の幻覚に取り憑かれているといえば『マッドマックス怒りのデスロード』のマックスを連想します。
エンドロールもお父さんの回想
映画の最後に、登場人物の『その後』を描くエンドロールが流れるのですが、その中で元気になったお母さんと楽しそうにお風呂に入ったり本を読んでもらっている姉妹の姿が描かれています。
これは素直に考えれば、療養の成果が出て退院できた母親と子供達の幸せな『その後』=未来の姿です。
引用元:https://www.dclog.jp
しかし、映像を見てみると明らかに母親も姉妹も本編で描かれている姿よりも若い・幼いように見えませんか?―といった主張が一部でなされています。
つまり、この幸福な母子の姿は『その後』ではなくて、幸せだった頃の家族を父親が『回想』しているという解釈です。
個人的には特に若返っているといった印象は受けないのですが、あなたの目にはどう映りますか?
4 元ネタは狭山事件
引用元:https://twitter.com
上記のお父さんの妄想説がもっともダークな都市伝説だとしたら、こちらはトトロにまつわるもっとも不気味な都市伝説です。
その内容は、夢溢れる『となりのトトロ』が、現実起きた悲惨な殺人事件をモチーフとしているという荒唐無稽なもの。
狭山事件とは
1963年5月1日に埼玉県狭山市で発生した、強盗強姦殺人事件で被害者は16歳の少女。
犯人の男性がいわゆる被差別部落出身者であったため、事件に関する裁判というだけでなく、差別の問題が大きく取り上げられました。
トトロとの関連
①物語の舞台が埼玉県所沢市で狭山市と隣接している。
②サツキとメイの姉妹の名前はどちらも5月を意味する名であり、作中の季節も事件が起きたのと同じ5月とされている。
③事件後、行方不明になった妹を探す姉の姿が目撃されている。
④妹の遺体発見時、姉は錯乱し『猫のお化けを見た』『大きな狸を見た』などと発言。
ここで興味深いことは、③と④に関してはまったくの出鱈目だと言われていることです。
おそらく狭山事件とトトロは本来無関係であり、たまたま①②の条件が合致することから話を盛るために③④の要素が少しづつ付け加えられていったのでしょう。
こうした『話に尾ひれがついていく』現象は実に都市伝説的であり、その真偽よりもむしろ発生経過に関して興味がわいてくる事例です。
5 都市伝説の出処は宮崎駿監督のインタビュー
引用元:https://natalie.mu
全ての都市伝説がそうだとは言いませんが、トトロと『死』を関連付ける都市伝説の発端の一部は宮崎駿監督自身のインタビューにありました。
以下、駿監督のインタビューをご紹介します。
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(サツキとメイが引っ越してきた田舎のボロ屋に関して)
あそこは要するに病人が死んでしまった家なんですよ。
僕は、基本的にあの家は病人を療養させるために建てた離れのある別荘だと思ってるんです。
つまり結核患者のために建てた離れなんですね。
で、その人が死んでしまったので、そのまま用なしになって空いてたんです。
***
監督によるとこれは裏設定であるため誰にも言わなかったそうですが、妙に日当たりが良さそうなのもこの設定故だそうです。
つまり、草壁一家が引っ越した先の家は幽霊屋敷でこそないものの、間違いなく人の死と密接に関わってきた中古物件ではあったわけです。
幼い姉妹二人は古く大きな家が気に入り無邪気にはしゃいでいましたが、全ての事情を知った上で不動産屋と交渉して家を購入した父親は内心複雑だったのではないでしょうか?
条件の良い物件を必要なタイミングで安く手に入れることが出来たのは父親にとって僥倖であったものの、その家でかつて療養していた妻と同じ病気であった誰かはもういない=死んでいる。
小さな娘たち二人を抱えるシングル・ファーザーになる未来がリアルに見えてしまう瞬間だったかと思われます。
6 名作誕生のキッカケは税金対策
引用元:https://middle-edge.jp
ジブリの作品はどれも甲乙つけがたい傑作揃いであり、『どの作品が一番好き?』と聞かれると本気で頭を悩ませるファンも多いことでしょう。
そんな名作揃いのジブリ作品の中で、ひと際異彩を放つのが『もののけ姫』です。
自然・人間・神・社会的差別、そうした重いテーマを持つこの作品は、それまでのジブリ作品とは桁違いの予算を投入して制作されました。
通常の長編アニメ映画をジブリでは5~7万枚の作画で作成するのですが、『もののけ姫』には14万枚以上が使用されたというから驚きです。
これだけで『もののけ姫』が人・物・時間・お金を、いかに惜しげなくつぎ込んだ作品かわかります。
しかし、一説によると『もののけ姫』は必ずしも前向きな理由だけで作られた作品ではありません。
その理由とは、ズバリ税金対策。
何とも夢のない話ではありますが、1990年代後半ジブリの売り上げは映画の興行だけでなくグッズやビデオといった物販も含め倍増しました。
すると、現実的な話として浮上してくる大問題が多額の税金。
そして、もっとも安全で手っ取り早い税金対策は、かかる経費を増やすこと。
そこで宮崎駿監督の出した結論が、だったら金に糸目をつけない映画撮ろうぜ!だったというわけです。
その結果、『もののけ姫』の制作には過去最高の23億円が費やされました。(ちなみに興行成績は193億円)
こうした事情から、『もののけ姫』は製作費が注目を集めたジブリ初の作品でもあります。
7 アシタカとカヤの関係
引用元:https://colorflow.jp
『もののけ姫』の主人公サンとやがて恋に落ちる少年アシタカには、実は既にカヤという許嫁がいました。
アシタカは17歳、蚊帳は13~14歳くらい。
現代の感覚ではずいぶんと早い結婚の約束ですが、室町時代においては族長の嫡子ともなれば17歳で結婚していてもなんら不思議はありません。
兄様という呼称
作中でカヤはアシタカを『兄様』と呼びます。
そのため、視聴者の中には二人の関係を兄妹だと勘違いし、兄妹で婚約ってマズくない?日本神話的な近親相姦?と思っていた人もいたようですが大丈夫。
アシタカの暮らしていた村落において、若い娘たちは年上の男性を『兄様』、女性を『姉様』と呼ぶ習慣があるという設定なのです。
ちなみに、日本では古来より和歌を詠む習慣がありますが、その中で妹(いも)は男性が実妹を呼ぶ他に妻や恋人といった親しい間柄の女性を呼ぶ際に用いられます。
兄・弟・姉・妹といった表現が、現代の形で固定されたのは歴史的に見れば結構最近の話なのです。
既に結ばれていたアシタカとカヤ
祟りを受けたアシタカは、村の掟により村から一人出ていきます。
アシタカとの別れ際、カヤはアシタカに駆け寄り自分の守り刀を差し出し思いを告げました。
この守り刀を差し出すという行為には、『粉河寺縁起』の記述によると非常に重要な意味が込められているそうです。
未婚の娘が男性に守り刀を差し出す=自分は生涯別の男の妻になるつもりはないという貞操の証。
これの意味するところは、アシタカとカヤが既に男女の契りを交わしていたということです。
故にカヤの中にはアシタカの子が宿っていて、村には次期族長となるはずであったアシタカの正統な血筋が残りました。
こうして血を残したアシタカとカヤの子孫たちが、OPに描かれている土面の紋様『アシタカ王の伝説』を後世に語り継いでゆくのです。
こうして考えてみると、13~14歳の少女が心から慕う許嫁が自分の元から去るというのに、妙にあっさりと聞き分けが良かったことも納得できませんか?
普通ならば『自分も一緒に村を出る!』と言い出しそうなものを、カヤがそれをしなかったのは既にアシタカの子を授かっていたからだと考えられます。
8 繋がる物語 『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』
引用元:https://nyankichi114.com
こちらは時を隔てた二つの作品にまたがる、何かと都市伝説の多いジブリの中でもちょっと異色な伝説です。
『千と千尋』の千尋は、『もののけ姫』のサンの子孫。
『もののけ姫』のアシタカは、『千と千尋』のハクの子孫。
こう書くと時系列的にワケが解りませんが、ハクは川の化身たる竜神であるため人間とは寿命が何百年単位で違うということを念頭においてください。
千尋とサン
千尋は湯婆婆に名を取られるシーンで、荻野の『荻』を書き間違えます。
その時の間違えが、『火』と書くべきところを『犬』と書いているのです。
他の字でも記号でもなく、『犬』。
これを見た一部のファンが、自らを人間ではなく山犬だと主張していたサンと千尋は繋がっている=千尋はサンとアシタカの子孫であると解釈しました。
更に、『犬』の誤字からのファンの推測とは別に、2001年発売の『千と千尋』のオフィシャル設定本にも『千尋はサンの子孫』と明記されているので、これに関しては都市伝説と言うより裏設定でしょう。
ちなみに、ここでもし千尋が自分の名字を正しく書いていたならば、彼女は言霊の力によって留めおかれ元の世界に帰れなくなっていたという説あがあります。
こちらも古くから呪術に関わる者にとって本名を敵に知られることが御法度だっだのを思うと、信憑性の高い考察と言えます。
ハクとアシタカ
こちらは彼らのモデルになった伝説上の人物の関係からの都市伝説です。
ハクの本名はニギハヤミ・コハクヌシであり、この名は『古事記』『日本書紀』に記されたニギハヤヒの尊に由来すると言われています。
アシタカの本名はアシタカヒコであり、その名の由来は大和朝廷と戦った狩猟民族の長・ナガスネビコにあると囁かれています。
そして、ナガスネヒコの祖先である神はニギハヤヒであるため、アシタカはハクの子孫ではないかとの都市伝説が生れました。
若干のこじつけ感はありますが、『もののけ姫』で結ばれた二人の祖先と子孫が『千と千尋』で再開し助け合うというのは、壮大な規模の面白い都市伝説ではないでしょうか。
9 九份モデル説はデマ
引用元:https://www.tripadvisor.jp
『千と千尋』の作中で、名前を取られた千尋が千として働いていた油屋。
その油屋及び不思議の町にはモデルがあるという話を聞いたことのある方は多いのではないでしょうか?
その一つとして挙げられているのが、画像にある台湾の九份です。
実際台湾のガイドブックなどを見ると、『ジブリの人気アニメーション映画千と千尋の神隠しの舞台となった~』という紹介文と共に、趣ある九份の写真が載っていたりします。
しかし、この噂は完全なるデマでした。
何故そう言い切れるのかというと、油屋・不思議の町のモデルについてインタビューを受けた駿監督ご本人がきっぱりと否定しているからです。
そもそも九份ってどんな場所?
台湾の観光名所である九份は、もともとは過疎気味の寒村に過ぎませんでした。
開墾した土地に九世帯だけがつましく暮らしていて、モノを買う(取り寄せる)際にはいつも『九個ください』と言っていたことから九份の名がついたと言われています。
19世紀末には金の採掘で街が活性化し、日本統治下の藤田組により最盛期を迎えました。
そのため今もって九份は日本統治時代の面影を色濃く留め、路地や石段など当時作られたものが数多く残っています。
実際に九份に行ったことがありますが、確かに『千と千尋』の舞台モデルだと言われれば納得してしまう空気のある場所でした。
九份モデル説が囁かれた理由
ではなぜ九份モデル説がネット上だけでなく、ガイドブックでまで取り上げられるようになったのでしょうか?
これにはいくつかの理由が挙げられています。
・シンプルに九份の街並みがソレっぽい。(日本統治時代の影響が色濃く残る街故、駿監督の求める『昔の日本』テイストがあるのは当然)
・ジブリ作品の舞台となる土地は特定の一か所ではなく、複数の場所や建物からインスピレーションを得て描かれることが多いため、作品がブレイクすると『ウチがモデルです』という名乗りは国内でも多い。
・ジブリアニメは台湾でも人気があるため、九份自らがモデルとなったとされる茶屋の前に『神隠少女湯婆婆的湯屋』の看板を掲げて営業している。(日本からの観光客が九份モデル説で増えたことで、台湾国内でも九份への注目がより集まったらしい)
***
看板に関しては、3年ほど前に九份を訪れた際に見かけた記憶があり、また土産屋に『千と千尋』グッズ(オフィシャルかは謎)もありました。
また、台北ナビでは『宮崎駿が店に入ってきてスケッチをしていった』とあるそうですが、これはジブリとは無関係な一個人の言い分であり信憑性のほどは高いとは言い難いでしょう。
そもそも、監督ご本人が台湾に取材に行ったことを認めていません。
ただし、これをもって台北ナビが意図的に嘘を吐いたと解釈するのもいかがなものかと思われます。
駿監督と似たような風貌の日本人男性客が、趣ある景色を気に入り趣味のスケッチを楽しんでいたのを勘違いしただけの可能性もあるでしょう。
10 油屋のモデルは風俗店
引用元:https://cinema.ne.jp/
『千と千尋』の油屋が風俗産業であることは余りにも有名でしょう。
鈴木プロデューサーがキャバクラの話をしたところ、そこからヒントを得た駿監督が作り上げたのが『千と千尋の神隠し』なのです。
子供を対象とした物語の舞台モデルがキャバクラなんて…と良識あるPTAは顔をしかめそうですが、『人とちゃんと挨拶ができないような女の子がキャバクラで働くことで、心を開く訓練になることがあるそうですよ』という鈴木氏の言葉には一面の真実があるように思えます。
人と接するのが苦手――いわゆるコミュ障と言われるような人間にとって、プライベートな時間を他人と関わって過ごすことは苦痛でしかありません。
しかし、生活のために必要なお金を稼ぐという大目的が前提としてあれば、限られた場所で限られた時間だけ我慢してお付き合い…となるでしょう。
千尋も登場時は拗ねて不貞腐れた我儘な印象の少女であり、いざ油屋で働くとなってもオロオロするばかりでまともな挨拶もできない甘やかされた子供のテンプレでした。
そんな千尋が千という名を与えられ働くうちに、驚くような成長を遂げ最後にはハキハキと『お世話になりました!』と頭を下げられるほど大人になるのです。
キャバクラというより遊郭
上記のように油屋の設定はキャバクラにインスピレーションを得たことを公言していますが、ネット上にはキャバクラどころか遊郭だろう!という声も多くあります。
個人的にも油屋の外見と女の子の住み込みシステムその他の要素から、一見して江戸時代から戦前までのキャバクラを連想しました。
以下に油屋の遊郭的要素を上げていきます。
①油屋のビジュアル
赤く塗られた背の高い建物、これはまさに江戸時代から戦前の遊郭です。
現代でこそ風俗=ピンクですが、かつての色街の色は赤と相場が決まっていました。
戦前の赤線(戦後もしばらく残った)は、赤い灯りが点る店によって自然と引かれた赤いラインから出来た言葉です。
②油屋にかかる橋
かつての遊郭の多くには、堀が掘られて小さな橋が架けられていました。
これは遊女の逃亡を防ぐ意味もありましたが、世俗から橋を渡って遊郭という別世界に渡って遊ぶという意味があったそうです。
③油屋に来る神様は男性ばかり
油屋が本当にただの銭湯であるならば、男女の神々が垢を落としに来てしかるべきです。
しかし、作中で油屋を訪れるのは男性の神々ばかりでした。
日本(その他の国々でも)古来神殿に使える巫女は同時に娼婦でもあったことを考えると、湯女が娼婦の隠喩に思えてきます。
静御前で有名な白拍子なども、全国行脚の舞妓兼遊女です。
④そもそも湯女の副業が娼婦
江戸時代、風呂屋は庶民の憩いの場で誰もが気軽に利用していました。
そこで男性客の背中を流すサービス業に就いていたのが湯女(ゆな)です。
しかし、いつの頃からか湯女は副業として売春を始めました。
江戸幕府公認の色街吉原は庶民男性にとっては高値の花であり、そうそう気軽に足を運ぶわけにはいかなかったため、些かならず質は落ちるものの安価な湯女で代用したわけです。
こうした私娼行為は幕府から取り締まりを受け、ガサ入れによって多くの湯女が吉原送りにされました。
湯女上がりの花魁としては勝山が有名です。
⑤千は源氏名
千尋は湯婆婆に本来の名を取り上げられ、千という簡単な名前を与えられます。
これはまさに源氏名ではないでしょうか?遊女となる娘たちは、その店の楼主や遣り手婆から新しい名を与えられて仕事に就きます。
⑥湯婆婆は遣り手婆
遊郭には楼主とは別に(兼任の場合もある)遣り手婆と呼ばれる中高年女性がいました。
遣り手の仕事は遊女と客の管理、店の経理などであり、利益至上主義で金にガメツイ湯婆婆の姿はそのものズバリでしょう。
⑦千尋の労働動機
そもそも千尋が小学生の身の上で千となって必死に働く羽目になったのは、彼女の両親が制止する子供を振り切ってまで無銭飲食(金は持っていたが無人の店で好き放題飲み食い)した挙句、内面の卑しさに相応しく豚の姿にされてしまったからです。
駄目な親を救うために子供が身を削って働く、これは遊女となった多くの女性たちの『一身上の都合』とリンクします。
当時の遊女たちの多くはすき好んで遊女になったわけでなく、家族の事情によるものが半数以上。
中には『親が無職、または働いていても生活に困るくらい遊び呆ける因習的貧困もある』と、遊女専門病院の院長をしていた人物の著書に記されているそうです。
ちなみに当時の遊女のほとんどが小学校中退であるため、学力的な意味では現役小学生である千尋と大差なかったかと思われます。
まとめ
今回は比較的有名で誰もが知っているであろうジブリの都市伝説・裏話を集めてみましたが、知っていたつもりのそれらを掘り下げたところ新たな発見と出会えました。
都市伝説も時を経てリサーチすると、以前にはなかった考察や新情報が追記されてくるので『そのネタもう古いから』と安心していられませんね。
これはジブリに限った話ではありませんが、都市伝説の中にはトトロの狭山事件のように無理矢理感の拭えぬものも多々あります。
しかし、都市伝説の面白さは『それが事実か否や?』ではなく、『何故そうした説が出回ったのか?』『その説はどのように尾ひれがついて広まったのか?』を探ることにこそあるのです。