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IQ160以上!?『脱獄王』と呼ばれた世界の三大脱獄犯!!

「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、

犯罪者が刑務所から脱走してしまう脱獄事件においても、世界には普通じゃ考えられないような脱獄を実行する脱獄犯が存在します。

実際に、歴史的な脱獄事件のいくつかは映画、小説、アニメ作品などのモデルになってしまうこともあるようです。

今回は、歴史に名を残す有名な三人の『脱獄王』をご紹介しましょう。

【衝撃実話】歴史に残る世界の大脱獄事件8選!!

史上最恐の監獄・アルカトラズ刑務所を脱出した男!『フランク・モリス』(アメリカ)

フランク・モリスは脱獄不可能と言われた監獄『アルカトラズ刑務所』唯一脱獄に成功したと言われる人物です。

アメリカのカリフォルニア沖に浮かぶアルカトラズ島は、灯台、軍事要塞、軍事監獄、そして1934年から1963年まで連邦刑務所として使用されていました。

アルカトラズ等が連邦刑務所になった当時は、大恐慌や禁酒法により組織犯罪が激化しており、凶悪犯を収容する事が施設の目的とし、刑務所の脱走対策は万全に施されているのに加え、島全体が海に囲まれていることから脱出不可能と言われていました。

しかし、脱獄不可能とされたアルカトラズ刑務所も約30年間の連邦刑務所時代に、計14回、36人の受刑者が脱獄事件を起こしています。脱獄を試みた受刑者は23人が拘束、6人が射殺、2人が溺死、5名が行方不明とされています。

行方不明の5名も溺死したものと推測されているようですが、この内「本当に脱獄に成功したのでは?」と考えられているのがワシントンD.C.生まれのフランク・モリスです。

ワシントンD.C.で生まれたフランク・モリスは幼い頃から里親に育てられ、13歳の頃から犯罪に手を染めるようになり、10代の後半に麻薬所持や強盗の罪などで逮捕されました。何とIQは133もあったと言われています。

モリスは1960年1月20日にアルカトラズ連邦刑務所に護送されました。彼はアルカトラズに着いてすぐに仲間と共に脱獄を計画していたそうです。

脱獄計画にはモリス以外にアレン・ウェストと、ジョンとクラレンスのエングリン兄弟が加わっていました。計画はウェストの立案だったとされていますが、彼は脱獄決行時に独房内の換気口の格子を切断することが出来なかったことから脱獄には加わりませんでした。

彼らは2年もの歳月をかけて、海を渡るためのイカダと自分たちに似せた人形を作り、さらに仕事場から盗んだ道具を使ってコンクリート壁を交代で掘り、1962年3月にようやく独房の裏手まで続く穴を掘ることに成功しました。

1962年6月11日の夜、ついに3人は脱獄を決行しました。

彼らは用意しておいた人形をベッドに寝かせ、掘った穴から煙突を登って屋根伝いに脱出し、用意しておいたイカダで海に消えていきました。

看守がモリスらの脱獄に気づいたのは翌朝のことでした。当然大規模な捜索が行われましたが、脱出に使われたイカダや防水バッグは発見されたものの、モリスらの遺体は見つかりませんでした。

死体が見つかっていないにもかかわらず、FBIは1979年に捜索を中止しモリスとエングリン兄弟がサンフランシスコ湾で溺死したと断定。その理由として、彼らが強盗などの常習犯であったにもかかわらず、その後一度も捕まっていないためとしています。

結局、現在でもモリスらの行方は分かっておりません。

なおこの脱獄事件は映画『アルカトラズからの脱出』のモデルとなっています。

 

日本最強!昭和の脱獄王『白鳥由栄』(日本)

白鳥由栄は収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた人物です。

白鳥は、40歳を過ぎてなお米俵を両手に持って手を水平にすることができる程の怪力の持ち主で、手錠の鎖も簡単に引きちぎってしまうほか、1日に120kmもの距離を走る持久力、更には身体の間接を自由に外すことができる特殊体質を持っており、頭が入るスペースさへあれば簡単に抜け出すことが出来たそうです。

青森県出身だった白鳥は、幼少期に豆腐屋の養子となってから徐々に素行が悪化。1933年に仲間数人と強盗殺人を犯し、その2年後に自首し投獄されました。

その際に収容された青森刑務所の待遇が余りに劣悪だったため抗議したところ、過酷な懲罰を受けたことがきっかけとなり、1936年針金で手製の針金で手製の合鍵を作り開錠して脱獄に成功。

その後も収監と脱獄を繰り返しており、合計26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、累計逃亡年数は3年に及んだそうです。また、脱獄の際に看守に怪我をさせたり、人質を取ったりするような強行突破をしたことは一度もありませんでした。

 

1942年に秋田刑務所で、ブリキ板に釘で加工した手製の金工鋸で鉄格子を切断し、脱獄に成功。

1944年には日本最恐と恐れられる網走刑務所に収監されますが、特製の手錠と視察孔に味噌汁を吹きかけ続けて錆びさせ外し、関節を脱臼させ、監視口をくぐり抜けて脱獄に成功。

その後終戦まで逃亡生活を続けていましたが、終戦後、畑泥棒と間違えられ農家に袋だたきにされますが、逆に相手を殺害してしまい再び逮捕されました。この時は無罪を主張した白鳥でしたが、札幌高裁からは死刑判決を言い渡され脱獄を決意したそうです。

1947年、収監された札幌刑務所で、看守6人1組で厳重に監視される中、視線を上に向けてごまかしながら隠し持った金属片でノコギリを作って床板を切断。食器で穴を掘って床下にトンネルを掘り脱獄に成功しました。

再び逃亡生活を続けていましたが、ある時警官から当時貴重品だった煙草をもらった事がきっかけで、あっさり脱獄囚であることを明かし自首。その後、白鳥の主張が一部認められ懲役20年の判決を言い渡されました。

1948年に府中刑務所に収監された後は模範囚として過ごし、1961年に仮釈放されました。出所後は建設作業員として就労し、1979年に心筋梗塞で世を去っています。

 

当時、看守たちは、脱獄者を出すと職務怠慢で懲戒処分になってしまうため「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい」と言っていたそうです。

更に漫画「ゴールデンカムイ」の白石、ドラマ化もされた小説「破獄」の佐久間などのモデルとして数多く描かれており、まさに脱獄王の名にふさわしい人物と言えます。

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【衝撃実話】歴史に残る世界の大脱獄事件8選!!

IQ169!アメリカ犯罪史上最強の脱獄王『スティーブン・ラッセル』(アメリカ)

スティーブン・ラッセルは、アメリカ犯罪史上最強の脱獄王と呼ばれる犯罪者です。

スティーブンは1957年9月14日、アメリカ合衆国 ノースカロライナ州で生まれました。両親はスティーブンが産まれる前に離婚しており、スティーブンは母親に育てられていましたが、母子家庭は貧困を極め、養子に出されることになりました。

その後、成長したスティーブンは市民を守る警察官になり、警察署長の秘書と結婚し、子供にも恵まれました。誰の目にも順風満帆な人生を送っていた彼には秘密がありました。

 

実はスティーブンには愛人がいました。しかもそれはジェームス・ケンペルという男性でした。

 

子どもの頃から、なんとなく男性が好きだったスティーブンは、愛人ジェームスのために、いくらでもお金を使ううちにカードの返済が滞りはじめ、生活費に困るようになりました。

すると彼は、保険金詐欺をはじめました。わざとビルの床を濡らし、転んで怪我をし、保険金として4万5千ドルを受け取ったのです。

保険金詐欺を何度か繰り返していた時、愛人ジェームスがHIVを発症。しかも既に末期の状態でした。スティーブンは仕事を辞め、妻と離婚し、毎日つきっきりで看病しました。しかし、そんな生活は長くは続きませんでした。

まもなくしてスティーブンは保険金詐欺で逮捕され、懲役6ヶ月となり刑務所に収監されました。

そしてスティーブンは、いつ死んでしまうか分からない状態の恋人ジェームスに一目逢うために脱獄を決意しました。

しかし、刑務所は高い壁に囲われており、ライフル銃をもった看守に24時間監視されています。そこで、スティーブンは毎日看守の動きを観察し続け、

「看守がタバコを吸いに外に行ったとき、看守部屋が無人になること」
「警官が無線機で刑務所の出入口をノックすると看守が扉を開けていること」

を発見しました。

そして、1993年5月13日ついに脱獄を実行しました。

 

スティーブンは、看守がタバコを吸いに行ったのを確認すると、あらかじめ盗んでおいた女性物の服を着て、看守部屋から無線機を奪い、刑務所の出入口を無線機でノックして堂々と刑務所の正面から脱獄することに成功したのです。

何とこの刑務所の出入り口にいた看守は、無線機を持っている人物はみな私服の警官だと認識していたのでした。

大胆不敵で鮮やかな手口で脱獄に成功したスティーブンですが、逃亡生活は長くは続かず一週間後に恋人といるところをあっけなく逮捕され、脱獄の罪も加わり懲役3年となって再び刑務所に収監され、3週間後に恋人ジェームスは他界しました。

 

それから2年後の1995年12月。出所したスティーブンは、医療コンサルタントとして大手企業に就職し、なんと年収8万5千ドル(約850万円)という高額な報酬を得て豪邸に住み、新しい恋人(男)のフィリップ・モリスと優雅な生活を楽しんでいました。

前科者のスティーブンがなぜそのような地位を手に入れることが出来たのかと言うと…

恋人が他界し、脱獄する理由がなくなったスティーブンは模範囚として19ヶ月服役したところで仮出所しました。

出所後すぐに新聞に架空の会社の求人広告を出し、送られてきた大量の履歴書から他人の経歴を引用し、完璧な履歴書を作り上げました。それを大企業に送り、面接を受け入社。大企業の経理部門のトップになることに成功したのです。

しかし、会社のお金を横領していたスティーブンは再び逮捕され、恋人のフィリップも共犯の容疑で逮捕されてしましました。

何も知らないフィリップは激怒しましたが、逮捕直前にお金を引き出しておいたスティーブンが保釈金4万ドル(約400万円)を払うことで仲直りすることが出来ました。

ところが裁判の結果スティーブンの保釈金は90万ドル(約9000万円)と、準備していたお金ではとても払える金額ではありませんでした。

そこでスティーブンは保釈指示書を隅から隅まで暗記し、保釈金を4万5千ドル(約450万円)に変えて紙に書き写し、友人に郵送してパソコンで打ち込んでもらいました。

こうして作り上げた偽の保釈指示書を、裁判所の床にわざと落とし、事務員に拾わせ、判事になりすまして電話し、偽の保釈指示書の金額をコンピューターに入力するよう指示し保釈金を大幅に引き下げることに成功。保釈金を支払い、出所(脱獄)した彼は恋人が待つ豪邸に戻りました。

しかし、翌日、早くも書類の偽造が発覚し、恋人と一緒にいた所を再び逮捕されてしまいました。

 

懲役45年を言い渡されたスティーブンは、テキサス州で最もセキュリティレベルが高い刑務所と言われるエステルユニット刑務所に収監されました。そして、恋人に会いたいスティーブンは収監された時から脱獄を決めていました。

さっそくスティーブンは、囚人対象の美術講座に申し込むと緑のペンを使って木を描きました。4ヶ月たってもスティーブンは緑のペンで草や木や森を書いていました。

スティーブンは緑のペンばかり使うので、すぐに緑のペンばかり無くなることに看守は気づいていましたが、特に問題になることはなく、彼に緑のペンを与えていました。

その間、彼は緑のペンをひそかに集め続けていました。4ヶ月間で集めた数は110本。

スティーブンは110本の緑のペンのインクを貯めた水の中に全て入れ、緑色になった水で、余分に手に入れておいた白い囚人服を緑色に染めました。

実は、この刑務所を自由に出入りしているのは、刑務官と、緑色の制服を着た医療スタッフだけでした。

スティーブンは緑色の制服を着て医療スタッフに化けると、急患が運ばれてきたから早く開けてくれと看守に言い次々と扉を通過。

またも堂々と脱獄に成功し、恋人フィリップの元へと向かいました。

しかし、この3度目の脱獄は『囚人服を緑に染めて脱獄』と新聞にも大きく掲載され全米で話題になりました。

スティーブンとフィリップは2人で一緒に逃亡しますが、指名手配後すぐに逮捕され、今度は2人別々の刑務所に収監されました。

 

それから7ヶ月…、恋人フィリップの元にとんでもない知らせが届きました。

弁護士が見せてくれたスティーブンの医療記録にはHIVに感染と記載されていました。スティーブンがHIVに感染し、HIV感染治療の専門家から治験を受けるためヒューストンの病院に入院する知らせだったのです。

そして、それからしばらくしてフィリップの元にスティーブン死亡の知らせが届きました。

スティーブン死亡の知らせを聞いたフィリップは、頭の整理ができないまま、詳しい話を聞くために担当弁護士との面会に向かいました。

面会室の扉を開けると、弁護士が「フィリップ君だね、初めまして」と話しかけてきました。スティーブンはとても驚きました。なんと弁護士として面会室にいたのは死亡したはずのスティーブンだったからです!

 

スティーブンは4度目の逮捕にもめげずに、再び脱獄することを考えていました。そしてHIV患者になりすまして脱獄する計画を考えました。

手始めに、日々の食事の量を減らして体重を落とすと、看守の見ている前で、頭痛や吐き気など本に書いてあったHIV感染症の症状を真似ました。

次にカルテを偽造し、検査結果を差し替えて、HIV患者として病院に入院すると、HIV感染症の治験を引き受けてくれる病院を探して電話をかけ続けました。

治験を引き受けてくれる病院を見つけたスティーブンは、今度は自分の入院している病院に治験者を探していると電話をしました。

こうして、両方の病院の担当者に成りすまして転院を決めると、移送中に抜け出して、両方の病院に、容体が急変して自分が死んだと報告しました。

そして、弁護士ライセンスを偽造し、愛するフィリップを助ける為に刑務所にやってきたのでした。

しかし、すぐに弁護士ライセンスの偽造がバレ、またもあっけなく逮捕されました。

四度の脱獄を重要視され、スティーブンは懲役144年の刑を言い渡されました。

スティーブンはインタビューに対して、次のように答えています。

「脱獄はもう考えていない。フィリップと別れて、脱獄する理由がなくなったんだ。」

このスティーブン・ラッセルの脱獄劇も2009年にジム・キャリーとユアン・マクレガー主演で映画化されています。興味がある方は是非見てみてくださいね。

フィリップ、きみを愛してる!

 

まとめ

今回は歴史に名を刻む3人の脱獄王をご紹介しました。

いづれの人物もユニークな方法を思いつく発想力と、それを実行してしまう行動力、そして、何度失敗しても諦めない力を持っていて、もうちょっと違う分野で頑張れば普通に成功できたのでは?と思ってしまいます。

どんなに頭がよくても、使い方を間違えてしまっては意味がありませんね。

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