子供からお年寄りまで、国内だけでなく海外でも大人気のジブリアニメ。
『風の谷のナウシカ』『魔女の宅急便』『天空の城ラピュタ』など、金曜ロードショーでも繰り返し放映されている作品群は、普段アニメを見ない層にも知られていますね。
子供に付き合って見ていたら、親のほうが感涙にむせてしまうというケースもあるようです。
今回は、そんなジブリアニメに関する都市伝説・裏話を集めてみました。
1 風の谷のナウシカ 原作が怖い
引用元:http://iam-publicidad.org
1984年劇場公開された宮崎駿監督の長編アニメの中でも、監督自らが原作漫画を執筆完結させた特別な作品。
文明・環境・人類を脅かす存在=腐海・蟲との共生・共存。
従来の子供向けアニメにはなかった、絶対的解答の出せない難しいテーマを扱っています。
ちなみに、当作は一般的にジブリアニメと認識されていますが、実は『トップクラフト』というスタジオが手がけました。
ただし、宮崎監督・高畑監督・鈴木プロデューサーという後のジブリ三大トップがフリーの立場でトップクラフトに加わるスタイルでの政策なので、実質ジブリアニメと考えて間違いないでしょう。
腐海と蟲の真実・映画編
映画の中では、腐海・蟲・巨神兵について次のように語られています。
『人類は戦争を繰り返し土地を汚した。
互いに凶悪な兵器を作った挙句、自分たちの作り出した巨神兵によって世界を焼き尽くしてしまった。
後には荒廃した腐海と蟲だらけの不毛の土地が残った』と。
腐海と蟲は人々の敵、これが作中の人々の一般的な認識です。
しかし、腐海遊びを好み蟲を愛するナウシカは、腐海は汚染された地上の毒を浄化するシステムであり、蟲はその手助けをする生態系であることを理解します。
映画で語られるのはここまで。
容赦のない真実・原作編
原作では更にディープで救いのない設定が次々と登場します。
①『火の七日間』は、汚染された世界をリセットするための意図的な焼き畑であった。
②旧人類は浄化装置とその苗床として腐海と蟲を創った。
③浄化には長い時がかかるため、自分たちはカプセルで冬眠。
④冬眠した旧人類を起こす役割をさせるために、改良種=新人類であるナウシカたちを造った。
『ナウシカは実は人造人間ではないか?』という都市伝説がありますが、それは噂でも伝説でもなく明解に『YES』。
映画とは結末も設定も大きく異なる原作を読めば一目瞭然です。
ナウシカは…というより、あのアニメに出てくるキャラは全員改良種ということにになります。
悲劇の改良種
ナウシカ達改良種には、過酷な運命が最初から約束されていました。
世界が浄化されるその日まで、文明を維持し旧人類を起こすことが役割の新人類ですが、目覚めた旧人類にとって新人類は邪魔な存在です。
文明格差から再び戦争が起きるかもしれません。
そこで旧人類は、新人類に『空気中にある程度の毒がないと生きられない身体』を与えました。
こうすることで、腐海によってすっかり浄化された世界から新人類は自然に淘汰され、目覚めた旧人類は快適に暮らせるというわけです。
かつて世界を破壊しつくした旧人類は清浄な空気の中でしか生きられず、過酷な自然と時に戦い時に共生してきたナウシカ達新人類は毒の大気の中でしか生きられないという、なんとも皮肉な設定なのです。
ナウシカ・ザ・デストロイヤー
原作のナウシカは、かなり思い切った決断を下し、強烈な行動に出ます。
旧人類の眠るカプセルを、彼女を母と慕う巨神兵オーマに命じて全破壊。
心優しい蟲愛する姫は、新世界の破壊者の側面をも持っています。
2 風の谷のナウシカ クシャナ様のリアル
引用元:https://tr.twipple.jp
ナウシカと正反対の存在としてアニメでは描かれたのが、トルメキアのクシャナ殿下です。
彼女は原作では非常に魅力的なキャラクターなのですが…それはひとまず置いておいて。
『我が夫となる者は、更におぞましきもものを見るだろう』
このシーン。
始めてアニメを見た方は、ギョッとするのではないでしょうか?
外した鎧の中が空洞。
つまり彼女の左腕は欠損していることを意味します。
彼女と床を共にする男性は『更におぞましきもの』を見るということは、腕以外にも欠損していると考えるべきでしょう。
全身の鎧を外しても左腕・両足の鎧を外さないということは、両足共に義足である可能性があるのでは?
原作ではクシャナの体には欠損はなく、スラリとした手足を披露しているシーンがあるため、この設定はアニメオリジナルのようです。
欠損描写に賛否はあるでしょうが、いつ蟲にやられるかわからない過酷な世界観が一瞬で伝わる演出です。
3 天空の城ラピュタ ドーラの謎
引用元:https://wakaikoro.com
『天空の城ラピュタ』、こちらも『ナウシカ』に劣らぬ人気作品です。
ラピュタが地上波放映されるたびに、Twitterに『バルス』が溢れ、悪役であるムスカは『ムスカ様』と呼ばれ『目がっ!』のセリフと共に愛されています。
ラピュタのヒロインは可憐なおさげの少女シータですが、当作にはもう一人おさげの熟女ヒロインが登場します。
それがこちらの貫禄あるおば様、ドーラ。
ドーラ御年50歳。
空の海賊『宙族』の頭であり、『タイガーモス号』の船長であり、三人の微妙に頼りない息子の母親です。
没になった母娘設定
見るから厳つくパワフルな印象のドーラですが、本人曰く――
『シータは若い頃の自分にそっくり』とのこと。
肝の据わった行動的な性格のことかと思いきや、本当に外見もそっくりなのです。
引用元:http://flying-fantasy-garden.blogspot.com
ほんの1カット、作中のごく短い時間ですが、ドーラの私室に若かりし頃の彼女の肖像画が登場します。
引用元:http://batque.com
冗談でもなんでもなく、かなり似ていますね。
それもそのはず、ドーラとシータは母娘という設定が途中まであったのです。
最終的に二人は赤の他人設定となりましたが、作中で見せる二人の様子が母娘のように親密なのはその名残かもしれません。
外見変わりすぎ
時間というものは残酷です。
どんな美少女も数十年後にはオバサン。
逆に言えば、どんなオバサンも数十年前はそれなりに可愛い娘さんであった可能性もあるわけですが。
しかし、それにしてもドーラは変わり過ぎではないでしょうか?
加齢による皮膚の弛みだとか体重の増加だとかいう問題ではなく、骨格から。
引用元:http://blog.esuteru.com
設定画を見ると、18歳~20歳の間に劇的な変化が見られます。
たった二年間でどうやったらこうも鼻の形と輪郭が変わるというのか?
ある意味試合直後のボクサーより別人になっています。
この変化について、ネット上では面白い都市伝説が囁かれているのです。
ドーラ整形疑惑
ドーラの18~20歳の最大の転機は、結婚・出産です。
作中でのドーラは50歳。
長男シャルル30歳、次男ルイ25歳、三男アンリ20歳。
つまり、ドーラは20歳の時に母になっていることになります。
既に海賊として名前と顔の売れていたドーラは、隠遁生活の中で子供たちを無事に育てるため、名前と顔を意図的に変えた。
けれども、女性としての未練で一枚だけ本来の自分の姿を肖像画にして残しておいた。
これがドーラの容姿激変にまつわる都市伝説です。
次男だけ父親違う説
小説版では、ドーラは天才発明家の夫を『かっさらって』結婚という過激な大恋愛の末に結婚して子供を設けました。
しかし、宮崎監督によると、どうも次男のルイだけ父親が違うようなのです。
引用元:http://tkxr9e7xoz.seesaa.net
次男ルイ25歳。
宮崎監督曰く――
『ルイはね、ドーラがスペイン当たりのイイ男と恋仲になって出来た子だけど、それが崩れた顔になるとああなる。
などと馬鹿なことを考えて描いたんです』
単なる監督の妄想なのか、ガチなのか。
後者だとしたら、何故よりによって次男…三人兄弟の真ん中だけ父親が違うって、何気に怖いというか…闇が深くないですか?
4 天空の城ラピュタ 飛行石とブルーウォーター
引用元:http://www.jigsaw.jp
ラピュタにおける最大のキーアイテムは、シータが首から下げている飛行石のペンダントでしょう。
しかし、これ…あるアニメのあるアイテムに酷似しています。
引用元:https://weekly.ascii.jp
庵野監督の『不思議の海のナディア』の主人公ナディアが身に着けている、古代文明のカギとなるブルーウォーター。
デザインといい役割といい、それを持つ(本人無自覚の)王族の少女の使命といい、非常に類似点が多いのです。
もっとも、ラピュタの方が制作公表が先なので、正しくは『ナディアのブルーウォーターが飛行石に似ている』と言うべきでしょう。
そして、ここで特筆すべきはナディアの監督が庵野氏であること。
庵野氏はナウシカの巨神兵の原案を、アポもなく宮崎監督に渡して採用された過去があります。
そして、『クシャナを主役にした外伝・続編をやりたい』と申し出て、即・却下された過去の持ち主でもあります。
そんな庵野監督が類似したペンダントを持つ古代文明の王女の物語を描いた上に、主人公の少女が宮崎アニメには決していないタイプの極度ツンデレ(後半ヤンデレ)ということに、何らかの大人の思惑――もしくは大の大人の子供じみた意地のようなものを勘繰りたくなりませんか?
引用元:https://middle-edge.jp
こちらが庵野監督デザインの巨神兵。
モデルはなんと監督自身。
メンタルを病んでいた頃の氏は、巨神兵のごとくユラユラ揺れ歩きながら室内で奇声を発していたとか…
今回紹介する中で、一番怖い話かもしれません。
5 火垂るの墓 兄と妹の終わらない戦争
引用元:https://renote.jp
第二次世界大戦の真っただ中、両親を亡くした幼い兄と妹は二人だけで懸命に生きて、そして蛍のように儚く呆気なく死んでいきました。
戦争というものを大きな視野ではなく、二人の幼い子供たちの目線で追った美しくも残酷な物語は視聴後も重く心に残ります。
ただでさえ悲劇的な兄妹の物語には、更に悲惨な設定が盛り込まれていたことをあなたはご存じでしょうか?
無限ループする死
まず当作では、主人公の晴太がいきなり遺体で登場します。
薄汚れた浮浪児の痩せて冷たくなった身体が駅に転がる…それはあの時代における日常の風景。
清太の声で『昭和20年9月21日、僕は死んだ』と流れます。
つまり、『火垂るの墓』は死に瀕した清太の走馬燈ではなく、既に息絶え霊魂(幽霊)と化した清太の終わらない追体験なのではないか?
これが今回ご紹介する都市伝説です。
そしてこの説は、作者である高畑監督が認めるところでした。
高畑監督曰く――
『清太と節子の幽霊を登場させているんですが、この二人の幽霊は気の毒なことにこの体験を繰り返すしかないわけです』
この発言から、監督が完全に無限ループする悪夢説を肯定していることが伺えます。
戦争の残した爪痕は、2時間のアニメが終わっても消えずに残り続けるというメッセージなのか。
あるいは、どのような喜劇も悲劇も、一度作られたら繰り返し放映されるアニメという媒体への自虐なのか。
6 火垂るの墓 ポスター&事実が怖い
引用元:https://corobuzz.com
こちらは映画『火垂るの墓』のポスターです。
兄妹が蛍の照らす幻想的な草原で笑い交わす、可愛らしく優しい印象のポスター。
(こんな兄妹があんな末路を…と思うと、より辛くもなるのですが)
しかし、目を凝らして見てください。
兄妹の頭上の空には、闇に紛れてうっすらとB29の機影が!
つまり、兄妹に降り注ぐのは優しい蛍の光だけではなく、空襲による火の雨だったのです。
丸いのが蛍。
細長いのが火の雨。
美しく幻想的なポスターの中で、既に幼い兄妹の不穏な未来は示されていたことに、当初どれだけの人が気付いたことでしょう。
映画より過酷なリアル
『火垂るの墓』には、野坂昭如による同名小説の原作があります。
そして、その小説は野坂氏の戦争経験をベースとする、『半分本当』の物語なのです。
引用元:https://www.sponichi.co.jp
野坂氏は14歳で両親を亡くし、当時1歳4か月の妹を抱えて暮らしていました。
・兄として妹の世話をしたこと。
・妹が餓死したこと。
・妹を喜ばせようと、蚊帳の中に蛍を放ったこと。
・妹の遺骨をドロップの管に入れていたこと。
これらは野坂少年が実際に経験した事実です。
けれども、野坂氏は振り返ります。
『自分は清太のように優しくはなかった』と。
腹が空いてどうしようもなく、妹の分の飯まで食った。
栄養失調で夜泣きの酷い妹の頭を叩き、脳震盪を起こさせた。
終いには妹の大腿に食欲すら覚えた。
野坂氏にとって、清太は理想の『良いお兄ちゃん』であり、自身の『もっと妹を可愛がってやれば良かった』という悔恨の投影でした。
野坂氏は、自らを『妹の思いの良き兄』『哀れな戦災孤児』として描いたことに苦しんだといいます。
あの悲しい『物語』すら、過酷な『現実』に比べれば『理想の兄と妹の姿』であったことに、強いショックを受けずにはいられません。
7 もののけ姫 エボシ御前の真実
引用元:https://thedeskgram.com
人と物の怪、文明と自然。
共存・共生を謡うのはたやすいけれど、現実には衝突は避けられない。
それぞれの譲れないものをかけて、一度は殺し合いを辞さぬ戦いが起きる。
全て壊れて、ようやく新たに始めることが出来る。
始めたものが良い形で実るとも限らない。
そんな子供向けアニメの枠を超えた、非常にシビアなテーマを描いたのが『もののけ姫』です。
そうした点でナウシカと共通するものを持つ作品です。
さて、『もののけ姫』にはヒロインであるサンと対になる存在としてエボシという大変魅力的な女性が登場します。
高位の遊女を思わせる姿をし、男たちと対等以上に振る舞い、タタラ製鉄所を行き場のない女たちの生きる場とするやり手の女性。
刀を取って戦えばサンと互角以上、銃の腕前に至ってはシシ神に一発でヘッドショットを決める程。
そんな彼女には、かなり重く苛烈な設定が用意されていました。
エボシの過去
これは都市伝説ではなく、宮崎監督がインタビューなどで述べていたことをまとめたものですが――
エボシは少女のころ攫われて海外に売られました。
つまり、元・奴隷ということです。
おそらくは娼婦であったかと思われます。
その後、彼女は中国で倭寇(日本の海賊)の親分に買われ、やがて姉御として倭寇を差配するように。
そのことからもわかるように、基本的に聡明な女性だったのでしょう。
最終的に倭寇の親分を殺害し、船や富を奪って日本に帰国。
引用元:https://frequ.jp/2703
後ろに控えているゴンザはその頃からの部下。
帰国した彼女は、倭寇の富でタタラ製鉄所を作り、かつての己のように売られた女、逃げた女、そして業病に侵された者たちを引き入れました。
ジブリアニメのキャラとしては、なかなかに強烈な過去を持っていると言えるでしょう。
エボシとサンは母娘?!
こちらはシータとドーラのように公式に途中まで母娘設定が検討されていたとかではなく、いわゆる『アニメ研究本』から広まった説です。
サンは作中で山犬のモロが語ったように、物の怪から受ける被害を減じるために、人間が山犬への生贄として捧げた子供でした。
しかし、サンがどこの誰の子かといった出生については、作中で一切語られません。
そこから、サンがエボシの娘である説が現れたようです。
***
帰国してタタラ製鉄所を開いたエボシだが、自然を開墾し森を侵したことにより物の怪の怒りを買ってしまう。
自らの夢の拠点であり、行き場のない女たちの生き場を潰されるわけにはいかない。
どんな手を使ってでも製鉄所を守る義務が己にはある。
エボシは三番目の娘サン(サンの名前の由来は三の姫から)を山犬に捧げた。
生贄であるはずのサンに情が沸いたモロは、自分の娘を捨てたエボシを森の破壊者としてだけでなく、サンを虐げた者としても憎む。
***
筋は通っているように思えます。
そして決定的とされるのが――
引用元:https://ddnavi.com
刃を交え勝利しながら、エボシがサンを殺さなかったこと。
エボシはタタラ場の女たちに対し慈悲深い反面、敵と認識すれば神すらも躊躇わずに射殺する信長のような女性です。
単にサンがまだ年端もゆかぬ娘だからという理由で生かすとも思えません。
8 もののけ姫 ハンセン氏病患者とタタラ製鉄所
引用元:https://ameblo.jp/rapyutasakura
タタラ製鉄所の主な労働力は女たちですが、中には彼女らの夫や、『業病にかかった者』もいます。
この業病にかかった者=ハンセン氏病患者ではないかというのが、いまや都市伝説というよりも定説です。
タタラ製鉄所はハンセン氏病患者の隔離施設だったのではないか?といったネガティブなものから、世間から差別され身の置き所がない患者の最後の家であったなど諸説ありますが、歴史的に差別を受けてきたデリケートな病気を堂々と描写していることに驚きます。
タタラ踏みなどの重労働に従事できない彼らは、火縄銃を作る仕事についていました。
9 ハウルの動く城 ソフィのモデルは原作者
引用元:https://twitter.com
キムタクがハウルの声を当てたことでも話題を呼んだ『ハウルの動く城』。
この作品の原作は、イギリスの女性作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズによる『魔法使いハウルと火の悪魔』です。
宮崎アニメの常として、原作に大胆なアレンジは加えられているものの、地味だけれど可愛らしい19歳のヒロイン・ソフィが突如として老婆になってしまう設定は同じです。
物語の中の出来事とは言え、若く美しい盛りの娘さんがシワシワの老婆になる描写は、コミカルに描かれながらも鬼気迫るものがありました。
人間――ことに女性にとって、『老いる』ことは強い恐怖を伴います。
アンチエイジングという言葉が定着するほどに、女性は年老いることを拒むものです。
けれども、劇中でソフィを襲った急激な老化現象は、おとぎ話の中にだけ存在する夢物語ではありませんでした。
原作者を襲った悲劇
外見的にはごく普通の中年女性であったダイアナは、1984年のある日、唐突に病に侵されました。
彼女の得た病は牛乳アレルギー。
このアレルギーのために、彼女は身体が衰え、髪の色が変わり、皺が急激に増えたそうです。
もちろん、その変化はソフィほど劇的ではなかったのでしょうが、短期間に人相が変わるほどの変容を遂げたことは確かです。
引用元:https://lando-claire.livejournal.com
中年女性から一気に老婆へと。
本人にとっては受け入れ難い現実であったことでしょう。
しかし、彼女は自らの経験を生かしてソフィという面白いキャラを生み出しました。
ソフィが自身の老化に関してショックを受けつつも、ポジティブかつタフなリアクションを示すのは、作者の人柄の投影であるように思われます。
10 ゲド戦記 ハードモードな主人公&ヒロイン
引用元:https://blogs.yahoo.co.jp
『ゲド戦記』は60年代から不定期に発行されているアーシュラ・K・ル=グウィンの小説『ゲド戦記』第三巻『さいはての島へ』をベースとする長編アニメ映画です。
そしてこの作品は、ジブリ映画で初めて宮崎吾郎監督(宮崎駿監督の息子)が手がけたものでした。
実父を刺して逃げる主人公
引用元:http://mangaku.hatenadiary.jp
当作の主人公アレンは、豊かな国のイケメン王子という恵まれた地位にありながら、物語の冒頭で何かに取り憑かれたかのように顔をゆがめ、実父殺害というとんでもない行動に出ます。
これは原作にない映画だけのオリジナルシーンです。
アレンのこの行動を、吾郎監督は――
『心の均衡を崩した。
がんじがらめの閉塞感から己の感情が処理しきれず爆発し、社会・世界の象徴である父親へと矛先が向かった。
父親を憎んでいたのではなく、むしろ尊敬しながらの衝動的犯行である』
といった趣旨のことを語っていました。
都市伝説における定説では、アレンの父殺しには吾郎監督のファザーコンプレックスが投影されていると言われています。
偉大すぎる父親を持ち、父に倣いながら超えたいと欲し、周りからの期待や既に父親が完全構築した『世界』の中で息苦しさに喘ぐ。
真面目な人間ほどそうした葛藤は深く、劇中のアレンは真面目+内気を激しく拗らせ実父殺害の暴挙に出ます。
けれども彼は手にかけた父親の魔法の剣を持ち出し、ずっと手元に置いて離しませんでした。
そしてラストでは、己の弱さや二面性を認め、逃げ出してきた場所へと自分の意思で帰って行きます。
アレンは吾郎監督の投影であり、目指す在り方なのかもしれません。
しかし、それにしても原作にないエピソードとして、『未成年主人公の実父殺し』を冒頭に持って来るとは、かなり大胆なアレンジです。
監督の父親に対する感情の激しさが垣間見る気がしませんか?
原作がハードモードなヒロイン
引用元:http://noaidea.me
こちらはヒロインのテルー。
最初は命を粗末に粗末にするアレンに反感を持ちますが、やがて彼が自分と同じ苦しみを持つことを知り寄り添います。
当作の彼女は、ジブリヒロインの例に漏れず可愛らしい少女でありながら、画像からもおわかりのように顔の左に大きな火傷の痕が痣状にあります。
顔に大きな疵のあるヒロインはジブリ初かと思われますが、劇中ではこの傷跡についてほとんど触れられません。
しかし、原作では彼女の顔の傷には大きな意味があります。
まず原作の彼女は4歳の幼女であり、顔だけでなく右半身に酷い火傷の痕がケロイド状に残っています。
しかも、潰れた片目に鉤状に溶けた片手とかなり容貌の醜さを強調する描写がなされています。
声も潰れているため、劇中で披露されたような『テル―の歌』を歌うこともできないでしょう。
まだ少女とも呼べぬ年頃のテルーが、このように無残な姿となった原因は親の虐待。
昨今増加し続ける実親による児童虐待を予見するかのような設定に、背筋が寒くなりました。
まとめ
こうしてまとめてみると、ジブリのアニメは子供からお年寄りまで安心して鑑賞できる『安全な作品』であると同時に、答えの出せない深く難しいテーマを内包していることがわかります。
子供は子供なりに、大人は大人なりに。
それぞれのステージに合わせた理解力と感受性で作品を受け止めるからこそ、ジブリの作品はいつ見ても新しく色褪せるということがありません。
『火垂るの墓』などその最たるもので、『清太と節子可哀そう、オバサン酷い!』に始まり、『いやいや、清太も馬鹿だろ?無謀だよ』と一歩引き、最後には『戦争という極限状態が人に非情な決断をさせる。誰もが狂う』とキャラの善悪とは異なる場所を見るようになるものです。
今回は『怖い都市伝説』というテーマで集めてみましたが、その怖さの種類もオカルト的なものではなく、作品の持つ暗さ・厳しさ・やる瀬なさによるものが多いことが特徴でしょう。
都市伝説・裏設定という新たなスパイスをふりかけ、今一度ジブリ作品を見直してみると新たな発見があるかもしれません。