世界には様々な民族が存在し、それぞれの歴史、文化、伝統、地政学的事情などを背負って生きています。
バリエーション豊かな世界の民族のなかでも、今回は戦闘能力に特化した民族を三つほど、ご紹介していきます。
平和な日本では考えにくい世界観に生きている、戦闘民族の熱い生きざまをお伝えできたなら、幸いでございます。
アフリカ最強の狩猟民族 マサイ族
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アフリカに住むマサイ族は戦士の民族として有名な存在です。細身ながらも高身長であり、その優れた跳躍力を使った連続ジャンプを用いた躍りも有名ですね。
マサイ族は、高い身体能力と、伝統的な狩猟術と、独自の文化を有した遊牧民族です。
彼らマサイ族の伝統的な武器は、二つあります。
ひとつは長い槍、もうひとつは棍棒です。
かつて、マサイ族の戦士は、普段は槍よりもこの棍棒のほうを持ち歩いていたとされます。
かつてのアフリカには私刑的な風習があり、罪人に対しては市民が直接武器を持ち、問答無用で殺害することがありました。
あるとき、ひったくり犯が通りすがりのマサイ族に見つかってしまい、彼に風のような速さで追いかけられ、前に回り込まれたかと思うと、跳躍しながら棍棒を振り落とされたそうです。
ひったくり犯の頭部はその一撃で粉砕され、即死した……そんな事例も存在しています。
マサイ族にとって、この棍棒も手慣れた武器であり、最大で100メートル先のターゲットにも正確に投げつけることが出来たようです。
100メートル先に棍棒を投げつけられるなんて、とんでもない身体能力ですね。野球で言えば、外野からホームベースにまで届くような距離になります。
驚異的な身体能力を感じさせますよね、おそらく一般的なプロ野球選手の肩より、マサイ族の戦士の肩は強さがありそうですから。
190センチ台も珍しくないとまで言える高身長と、長い手足のリーチ、そして強靭な肩を使って振り落とされる棍棒の威力は、どう考えても残酷な殺傷能力を有しています。
銃器を使わずに戦えば、彼らマサイ族のリーチと身体能力に勝ることは難しいかもしれませんね。マサイ族は、アフリカの民族でも上位の足の速さを持っているともされています。
そして、マサイ族のもうひとつの有名な武器は槍です。
この槍ひとつを用いることで、熟練のマサイ族のハンターならば、陸上で最大の動物であるはずのアフリカゾウさえも、一撃の元で仕留めることが可能です。
槍を扱う高度な技術を感じるのみならず、有能なハンターとしての代々にわたり受け継がれてきた狩猟の経験値は、アフリカゾウの解剖学的な弱点をも伝えていることの証だと言えますね。
かつてのマサイ族に成人の儀式として用意されていた通過儀礼は、槍をひとつだけ持ち、オスのライオンをひとりで殺してくることでした。
槍一本でオスのライオンを殺すことが出来る。それが、マサイ族の戦士階級に期待される最低限の水準だったわけです。
ちなみにメスのライオンを殺すことはしません。強さを証明するためには、より強い獣を倒すことが必要なのでしょう。
有能な戦士が、アフリカゾウを槍の一撃で仕留めてしまえる……その高みを目指すために、まずは2メートルもあり、人類よりもはるかに速く動くライオンに、槍で挑む勇気と技術が要求されています。
戦いや狩猟に関して、彼らマサイ族の伝統的技術は、恐るべき高さにまで洗練されているのです。
銃を持った、かつてのヨーロッパの奴隷商人たちも、彼らマサイ族をターゲットに選ぶことはありませんでした。
敵に回すことが、明らかに危険な人種であることは明白ですからね。彼らマサイ族は、武装せずに移動することはなかったそうですし。
さて、マサイ族の持つ、戦いや狩りへの備えは武器の扱いだけに限りません。
彼らは伝統的に前歯を一本ほど抜いています。
これは合理的な意味のある行動と言えるものです。
もしも、戦いや狩りの最中に攻撃を受けて、気絶して地に倒れたとしても?
その欠けた前歯の隙間から薬を素早く飲ませられるからという哲学から、あえて前歯を抜くわけです。
彼らの特徴的な身体能力の一つに、驚異的な視力があります。
その視力は8.0ほどであり、最大では12.0とも言われ、これは30メートル離れた場所に置かれた、視力検査マークの最小群を読み取れるほどの視力になり、アフリカの平原において、圧倒的な索敵能力として役に立っています。
なおかつ彼らマサイ族の視力には、強い夜間視力も存在しており、夜の暗闇のなかでもわずかな光があれば、獲物を探し出すことが可能です。
しかし、これらのどちらも遺伝学的な特異性ではなく、環境を反映した結果なのだとされています。
都市部で暮らすマサイ族には、それほど高い視力はないためです。
広大で平坦なフィールドという環境に合わせて、その視野のピントを都市生活者などに比べて、はるか遠くに合わせている結果だとされています。
人類の環境適応能力の高さを示す事実のひとつになるかもしれませんね。ちなみに、マサイ族には遠視の傾向があるようで、手元のスマホや本を見る時には見えにくいようです。
マサイ族の遺伝子学的な特徴は解明されていませんが、牛を育てる遊牧生活というライフスタイルなため、広大な土地を旅してきた歴史があります。
そして、その広大な移動の結果として、遺伝子に多様性を取り込んだようです。
そのため、マサイ族の遺伝子学的な起源を特定することには難しさもあり、あまり意味も少ないかもしれません。
マサイの伝統宗教や文化
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近年はキリスト教やイスラム教の信者も増えていますが、伝統的にはエンカイと呼ばれる、男でもなく女でもないとされる神を信仰しています。
この神は慈悲と復讐の二面性を持つ神であり、マサイ族はこの神から地上にいる全ての牛を所有することを許されたことになっているのです。
そのため、彼らは他の部族から牛を奪うことに罪悪感を覚えない時代もあったわけです。
マサイ族の文化は多々ありますが、カラフルな服装で自分の状況を表すことも知られています。
人生におけるスケジュール、割礼を受けた時や成人期や戦士かどうかの立場などを、それぞれカラフルな服装を身に付けて視覚的に集団内に表現する風習があります。
こうすることで、通過儀礼のスケジュールを強固に守れているのかもしれません。
それはマサイ族の伝統を固定化し、保存・継承することにも作用しています。
広大な土地を移動してきたマサイ族の伝統が、今もって受け継がれているのにも理由なありそうです。
しかし、時代の流れにより国際的な介入が強まり、自然保護団体などがヒトを襲うこともある危険なライオンなどまで保護しようと金を使ってもいます。
かつてのマサイ族の伝統であったライオン狩りにも停止の圧力がかけられている状況です。
文化がエゴに消されていく流れは、莫大な資本に裏打ちされ、変えられないようです。
過酷な東欧の地のアウトロー コサック
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ウクライナと南ロシアなどに15世紀以降に帝政ロシアの農奴制から逃亡した農民や没落貴族たちで形成された、独特の軍事的共同体、それがコサックです。
ロシアからすれば東の地、シベリアは深い森林に呑み込まれたまたの未開で不毛な原野であり、コサックたちはその不毛な土地へまで流れ着いた人々になります。
かつてのロシアの流刑地めいた土地であり、コサックたちはそこで良く言えば自由に暮らし、悪く言えば山賊めいた暮らしをするアウトローたちでした。
単一の民族というわけでなく、協力関係にある者や、小さな家族集団による共同体として始まったと見られており、その起源を正確に把握することは不可能と考えられます。
没落貴族から逃亡した奴隷と、遊牧民の盗賊、そしてそこらの田舎者たちにより構成された、極めて雑種姓の高い人々なのですから。
15世紀後半には存在していたとみられ、彼らは河川を利用し辺境の地を行き来して、いくつもの拠点に別れて住む各コサック軍と連携しつつ、時には黒海にさえ下り、沿岸部での略奪を繰り広げました。
発足当初はロシアの皇帝とは不仲なコサックたちでしたが、東欧キリスト教世界において、中世に強大な力を発揮していたイスラム教勢力との戦いを始めもしました。
海賊、山賊行為に、強国の軍隊にも勇猛果敢に戦いを挑むという、荒くれた性格を持つ存在だったようですね。
一言で表現するのなら、アウトローといったところだと思います。
しかし、彼らはただのアウトローではなく、自治権を求めたり、国家建設を目指そうとする政治的な野心を掲げた集団でもあります。
コサックたちのテリトリーと隣合う国、ロシアやウクライナの保護を受けて、正式な軍団として認知され、それぞれの保護国の軍事組織と協力関係を築きました。
しかし、こういったアウトローの存在を通常の国家がそのままの姿で受け入れることはなく、ロシアもウクライナも度々、コサックたちの自治能力を奪おうとします。
そして、コサックたちは反乱を繰り返し、ウクライナにおいては一部のコサックは事実上の貴族となり、一生涯の軍役に自由・自治権、土地所有権・行政権・裁判権などを獲得。
そういった身分のコサックからは、すべて税金が免除されました。さらに、国からの給料が与えられ、平時における職業と貿易の自由までもが認められます。
力をつけたコサックたちは、ウクライナに強烈な反乱を実行、自分たちの国さえも建国することになりました。
彼らは結果的にロシアの盾となり、周辺諸国の衰退を招き、ロシアの強国化を助ける形にもなります。
コサックたちは常に武力を有しており、強国と戦うことを恐れず、自治と自由を求めて中世から近代までを生き抜いた特殊な民族です。
ロシアとは保護される、対立するの流れを繰り返しながら、最終的にはソ連時代に徹底的に敵対し、滅ぼされることになります。
コサックという特別な立場は迫害・弾圧を受け、ソ連にナチス・ドイツが攻め込んだ時は、彼らはナチス・ドイツと協力して恨みを晴らすことになりますが。
ナチス・ドイツもまたアーリア人種以外、スラブ民族系のコサックに対して迫害を行うことになるのでした。
現在、それらの弾圧を生き延びたコサックたちや、欧米各地に亡命していたコサックたちにより、ロシア・ウクライナでのコサックの復権、そして世界各地で亡命者の子孫たちによる軍事訓練を伴うコサック文化の活動拠点が存在します。
現在のロシアでは、歴史的にロシア領土を広げることに貢献した集団と認知され、名誉を回復。再びロシアでの評価は変わり、コサックたちはその存在を受け入れられています。
自警団、あるいは無償で戦地に赴く義勇兵として、コサックの文化と伝統は復活を果たしているのです。
武術としてのコサックダンス
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伝統舞踊としても名高いコサックダンスですが、元々、13世紀頃にコサックたちにモンゴル人が伝えた武術が元になっていると言われています。
素手で行うコサックダンスも多いですが、伝統武術としての型を披露するために、空手や合気道のように、あるいは中国武術などのように、演武として行われることもあります。
その際は、ソバットや上段蹴り、胴回し回転蹴り、ボクシング、アクロバティックな側転や跳躍などの体術はもちろんのこと。
剣術、ナイフ術、槍術、鞭やヌンチャクなどの武器の使用も披露されています。多用な文化的背景を持つ、コサックらしい武術のように思えますね、武術には文化的な背景が存在するものです。
ナイフ術の演舞には、相手の頸動脈を切るまでの動きがパターンとして踏襲され、片手を犠牲にしてでも相手をナイフで切りつけにかかる攻撃的な動作も見られますね。
それだけの動きが出来る兵士なら、十分に水準を越えた戦闘能力を有していそうです。
コサックダンスそのものは、イメージとしては中国武術にロシアのバレエを混ぜ、警戒な音楽とリズムでの舞踊……といった存在であり、ともすれば陽気なものに見えますが、あの動きを出来る身体能力はスゴいです。
舞踊が武術に劣ると思うことには危険があります。
武術よりもはるかに高度な身体能力や技術力が必要とされるため、トップクラスの格闘家よりも、トップクラスのダンサーの身体能力や肉体知識の把握のほうが、よほど優れていることがあるのですから。
格闘家がケンカしてはいけない相手は、体脂肪率一桁台で、40㎏台のプリマを片腕で支えきりながらも、微動だに動くこともしない怪力の持ち主、クラシックバレエのダンサーです。
あの身体能力が放つ蹴りなどもらおうものなら、格闘家は恥辱にまみれた敗北を喫することもあるでしょう。
ダンスなんぞを過大に評価していると思われる方には、実例を示すことが効果的かもしれません。
ウクライナ出身のプロボクサー、ワシル・ロマチェンコ。
彼は北京、ロンドンのオリンピックで金メダルを獲得し、そのままプロボクシングに転向、圧倒的な手数が産み出す攻撃力で相手を打ち崩すというスタイルで、現役最高の技術を持つボクサーです。
彼は15才になるまでは、トレーナーであり元プロボクサーの父親にボクシングをさせてもらえず、「ウクライナの伝統舞踊」をマスターしろと命じられていました。
その結果、ボクサーとなった彼は、他のボクサーとは明らかに異なる動きを実践しています。
有効なパンチを放てる距離や角度やタイミングが、明らかに他のボクサーより多く、他のスポーツの動きのようにさえ見えるのです。
しかも素早く動きながらのパンチを連打しつつも、重心が常に安定し、次の攻撃へと巧みに連携させて来ます。
ロマチェンコには、「Hi-Tech」という二つ名がつけられているほど、ボクシングの追随を許さない技術力が存在しているのです。
ブレない重心の軸から速射される的確な強打のコンビネーションに、スピードスターと称されるボクサーたちが追いきれないフットワークと未知のタイミングで放たれるパンチの嵐……。
ボクシング界最高の攻撃的テクニシャンの技術的な下地は、「ウクライナの伝統舞踊」なのです。
生まれながらの特殊部隊、エリート戦闘民族グルカ兵
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※ロイヤルグルカライフルの紋章。
エベレストがある高山地帯の国、ネパールにいる山岳民族たちで組まれた戦闘ユニットがグルカ兵です。
約200年ほど前、東インド会社軍に傭兵として従事したことを皮切りに、長年イギリス軍とつるんでいる山岳戦闘のエキスパート民族です。
戦闘能力を商品として、イギリス軍に雇用されている存在であり、つまりは傭兵ですね。
グルカ兵の特徴は、その勇猛果敢な戦いぶりと、小柄さを武器にした山岳地帯などでの圧倒的な身軽さになります。
エベレスト登山のエキスパートであるシェルパには、退役した元グルカ兵が多く参加していりするほどですから、高山地帯での活動能力はプロのアルピニストを軽く凌駕しているわけです。
肉体の使用が要求される山岳地帯での戦闘において、世界最高峰のアルピニストたちよりも高い水準で活動することが可能という体力的なアドバンテージが最大の武器になります。
山岳での戦いに、こんな人々が敵として参加していたら最悪ですよね。彼らより山岳で動ける人間は、世界に存在しません。
グルカ兵は基本的に英軍軍属からのスカウトで見出だされ、幼い頃からの格闘訓練、射撃訓練、語学訓練、組織哲学の教育などを受けることで、伝統の強さを維持しています。
怒れる霰の女神カーリーを称える、この戦闘民族は、各地の紛争地帯にイギリス軍の本隊よりも先に乗り込んで来ることも多いそうです。
第二次世界大戦では、イギリスとも戦っていた日本軍がグルカ兵と遭遇し、ひどい目に遭わされたという歴史もあります。
山岳戦のエキスパートで、先祖代々、世界最先端の軍隊と共に新型武器を使いこなし、国際紛争を戦い抜いて来た戦闘民族は、日本軍をことごとく撃破し、日本を占領する時の兵力としても来日されました。
第二次世界大戦後に各国で発足する少数精鋭の特殊部隊ですが、その原形とも呼べるイギリスのSASのデザインに、グルカ兵の存在は大きな影響を与えたと言われています。
大量の装備品を担ぎ、疲れることなく山を越え崖を越え、ライフルでの遠距離狙撃に、ククリナイフを用いた独自の格闘術……。
数人でも敵地に入り込み、何らかの破壊工作を行うというスタイルの戦闘部隊には、グルカ兵はピッタリな存在かもしれませんね。
さらには、戦闘能力だけでなく、部隊の死亡率が75%に迫る戦闘でも怯むことなく戦い続けるという、その驚異の戦闘意欲や不屈の哲学もグルカ兵の特徴です。
部隊の13%に死傷者が出れば、死への恐怖心に取り付かれ、士気が下がるとも言われるのが一般的な兵士ですから、グルカ兵のその戦闘意欲の高さは桁が違いますね。
もはや存在そのものに伝説を帯びている集団であるため、グルカ兵と戦うというシチュエーションそのものに、多くの国の兵士がモチベーションを喪失することさえあります。
フォークランド紛争では、グルカ兵の投入を聞かされるだけで、逃げ出す兵が出たとも言われているほどです。
元インド陸軍参謀長の元帥 サム・マネックショウはグルカ兵の特徴をこう語ったとされています。
「死を恐れぬと語る男がいたとすれば、彼は嘘つきなのか、もしくはグルカ兵なのである」
イギリス軍に属するロイヤルグルカライフルのモットーは、
「臆病者であるぐらないなら、死んだ方がましだ」
……なんとも血気盛んな雰囲気を漂わせていますね。でも、これはハッタリではありません。恐ろしいことに受け継がれてきたグルカ兵の『伝統』なのです。
伝統を地で行き、雹の女神カーリーの守護でも受けているかのような猛者たちが、グルカ兵には存在しています。
ビクトリア十字勲章受賞者、伝説のグルカ兵タル・バハダ・パン
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第二次世界大戦で、日本帝国軍相手に大暴れしたグルカ兵です。
その勇敢さと功績を称えられて、タル・バハダ・パンはビクトリアクロスを授与されました。
1944年6月23日、ビルマにて、パンの部隊は日本軍の十字砲火を受けて壊滅状態になりましたが、彼は心折れることなく徹底抗戦と突撃を続けます。
朝になり、日光に照らされて居場所がバレバレな状態、射線と視界の確保された開けた土地と、倒れた木々が転がる足首まで埋まる泥、そこかしこにある砲弾の爆発により地面がえぐられて出来た大穴……。
隠れる場所も少ない上に、走ることも難しいという、守る側である日本兵とすれば、これほど有利な状況はありません。
突撃するにはありえないほど不利な状況にも関わらず、パンはこの難局を突破してみせました。機関銃の弾丸が飛び交う180メートルもの悪路を走破することで。
敵陣に乗り込み、3人の敵兵を殺し、5人を撤退させ、機関銃を奪い取りました。
そのまま占拠したバンカーに居座り、釘付けにされていたイギリス軍の部隊を前進させるために、奪い取った機関銃を使って効果的な援護射撃を行い、戦場を掌握させたのです。
まさにグルカ兵の伝統そのもの、死をも恐れぬ勇敢さを体現してみせたわけですね。
小柄なグルカ兵の武器である、悪路を走り抜く力と、接近戦の強さ、的確な射撃能力による援護……特殊部隊の理想を体現するような存在です。
心技体の揃った究極兵士といった極地かもしれません。
他にも、ククリナイフで3人殺した、火炎放射器で30人焼き殺したなどという伝説まで、彼は持っています。
近年の著名なグルカ兵
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2010年、9月17日、ロイヤルグルカライフルに所属していた、ディプラサド・パン軍曹はアフガニスタンでの戦闘で伝説を作ります。
パン軍曹の管轄地を襲撃した12~30人のタリバン兵を、彼はなんと単独で敗退させることに成功したのです。
17分間の戦闘で、パン軍曹は闇のなか常に走り回りながら400発の銃弾を撃ち尽くし、17個の手榴弾を投げ、そこかしこにクレイモア対人地雷を使用、最後にはタリバン兵にマシンガン固定用の三脚で殴りかかりました。
インタビューで彼は語ります。
「殺されると感じ、戦うほかに選択肢はなかった。最初は怖かったですが、戦い始めると恐怖は消えたんです」
……もはや、アクション映画の登場キャラクターのようですね。
グルカ兵はパン軍曹の鬼神のごとき活躍の結果、新たな伝説を帯びて、最強の戦闘民族という座を守ることになるでしょう。
もしも日本がかつてのように領土的野心に駆られたりして、イギリス軍との紛争でも勃発した日には、近代戦争史を駆け抜けた、200年の最強傭兵の歴史を持つグルカ兵と戦わされることもあるかもしれません。
イヤですよね?でも、政治家や軍人の野心によっては、かつてのように対戦を強いられることになります。
日英戦争という妄想は、グルカ兵が持つ伝説の恐怖、それを感じるには、実に好ましいシミュレーションかもしれません。
雹の女神の加護を受けた、女王陛下のグルカライフルと戦うのは、個人的には遠慮したいものです。
まとめ
今回は戦闘能力で最強と思われる三つの民族をご紹介していきました。
最強の陸上動物アフリカゾウを、槍一本で仕留めてしまうマサイ族の戦士。
歴史上、強国と戦い抜いて、果ては国家まで建設してみせた、最強の自由人でありアウトロー集団であるコサック。
近代戦争史に恐るべき存在感を今もなお刻み続けている、最強傭兵集団ネパールのグルカ兵。
最強のハンター、アウトロー的自警団、英国の尊敬を受ける傭兵、三者はそれぞれの価値観を持ち、今もなお、それぞれが持つ最強の伝統を継承しようとしています。
世界には、興味深い民族が存在しているものですね。
やはり、最強という言葉にはロマンがあって面白いです。